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べるはこの小説が大好き!スタンダールの代表作『赤と黒』です。読んだ人はいるのかな?多分まどろっこしくて(笑)今から読む人は少ないでしょう。だからちょっと長いけれど、あらすじをぜひお読みください。貧しい木こりの子として生まれた主人公ジュリアン・ソレル(ジュリヤン・ソレルとも)はナポレオンを崇拝し、野心に満ちた美しい青年である。初めはナポレオンのように軍人としての栄達を目指すが、王政復古の世の中でその願いもままならず、今度は王政復古の世の中で羽振りの良い聖職者を目指す。ある日、ジュリアンはその頭脳の明晰さを買った町長・レナールによって子供たちの家庭教師に雇われる。やがてジュリアンはレナール夫人と恋に落ちるが、レナールは2人の関係を疑うようになる。そこでレナール夫人はジュリアンをかばって、彼を神学校に送り込む。神学校に進んだジュリアンは、校長のピラール神父に頭脳の明晰さと記憶力のすばらしさを買われ、大貴族のラ・モール侯爵の秘書に推薦される。ラ・モール侯爵家令嬢のマチルドに見下されたジュリアンは、マチルドを征服しようと心に誓う。マチルドもまた取り巻きたちの貴族たちにはないジュリアンの情熱と才能に惹かれるようになり、2人は激しく愛し合うようになる。マチルドはジュリアンの子を妊娠し、2人の関係はラ・モール侯爵の知るところになる。侯爵は2人の結婚に反対するがマチルドが家出も辞さない覚悟をみせたため、やむなくジュリアンをとある貴族のご落胤ということにし、陸軍騎兵中尉にとりたてる。そして、レナール夫人のところにジュリアンの身元を照会する手紙を送る。そのころレナール夫人はジュリアンとの不倫の関係を反省し、贖罪の日々を送っていた。彼女は聴罪司祭の言われるままに「ジュリアン・ソレルは良家の妻や娘を誘惑しては出世の踏み台にしている」とラ・モール侯爵に書き送る。侯爵は激怒し、ジュリアンとマチルドの結婚を取り消す。レナール夫人の裏切りに怒ったジュリアンは、彼女を射殺しようとする。レナール夫人は一命を取り留めるがジュリアンは捕らえられ、裁判にかけられる。マチルドはジュリアンの助命のために奔走するがレナール夫人がジュリアンを愛しており、ラ・モール侯爵への手紙は本意ではなかったということを知ったジュリアンは自ら望んで死刑を受け入れる。内容はてんこ盛り。貧しい青年ジュリアン・ソレルは大変な努力家である。一生懸命勉強し社会的な成功(富と地位)を得ようとする。頭が良いので周囲の大人たちも彼にはとても協力的である。見目麗しいので女性にモテる(このあたり女性読者の心も掴むね)頭が良いので計算高い面も否めない。人の心を読むことが得意である。結果的に好意を持った女性の心を弄んでしまう。頭が良すぎるのも考え物、策に溺れる。最期は崇高な愛に気付く。そして断頭台(ギロチン)に送られる。心理描写が凄い、とても細やかでリアル。でも恋愛ってやはりこういった大変なモノなのかも。相手の自分の感情を相手にぶつけてばかりじゃ引かれる、単なるストーカー行為です、捕まります(笑)人間は自分にとって都合のいい、自分の良き理解者を得たい。そのためには相手の興味のあるものに興味を示す(フリでもいいけど)いっぱい話を聴いてあげる、何も見返りは求めない。それでも相手にはぜんぜん興味の無いふりをする、恋心を悟られないように・・・・・高度な技量(アルス)が大切なようですね。それに徹底していれば、恋は上手く行くのかも・・・・・恋の上手い終わらせ方は書いていませんが(笑)人間観察、成就させるための秘訣がここにあるような気がします。実は最近、ある人(複数)から恋愛相談、恋の悩みを打ち明けられこの本のことを思い出したべるなんです(^_-)人はとても不合理な生き物なので、実は配偶者がいたりしても(笑)恋の悩みを持ち続ける。 いや、持ち続けたいものなのか?ただし仕事が上手く行ってて、生活が安定している人たちのとても贅沢な悩みであることは間違いありませんよね(笑)世紀の二枚目ジェラール・フィリップ主演で映画化もされました、もちろんべるも観ましたよ(笑)「名古屋でオーダースーツを提供する東洋商事株式会社のHPはこちら」
January 30, 2014
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最初が1990年で最後が2006年。だから8年ぶりの来日です、ザ・ローリングストーンズ。35年以上のファン歴のべるはもちろん東京ドームまで出かけます。恥ずかしながら(笑)高校時代はファンクラブにも入ってて、その会報誌の名前が『ストーン・ピープル』でした。 当時はもちろんインタ―ネットもない時代、彼らの近況やプライベートな話題はそれを必死に読んで得ていたんです。今はそんな紙媒体はないのかな、オフィシャルサイトもあるからね。朝のNHKの番組で言ってたけれど、彼ら結成52年になるそうです。なので50年以上のファン歴の方だってみえるんですね、ジュリーやかまやつさん、内田裕也さんなんかその代表でしょうか。当時まだロックンロールは若者のための音楽だった。 今思えばまだまだ若い彼らが30代の頃でも、20代のUKのパンクロック(べるはオンタイムでした)の連中、特にセックスピストルズのジョニー・ロットンなんかは毒舌がウリで「あいつら(ストーンズ)は金持ちのブタ野郎だ!」とか言ってた。たしかに若い貧乏人(笑)の音楽パンクロックってエネルギッシュで勢いはあったけど・・・・・勢いだけでは永くは続けられないんです、強運もたゆまぬ努力も必要。やがて彼らのほうが先に消えましたね。甘くはないんです、ショービジネスも立派なビジネスですから。ヒトは飽きるものだし、過去のヒット曲だけだと懐メロになっちゃう。主になるオリジナルメンバーが3人いて、今でも新しい曲を書く。彼らのルーツである黒人のブルーズやR&Bへのリスペクトは今も変わらない。そんじょそこらの企業よりもウーンとしぶといロックンロールバンド。彼らのステージを観れば、ただの金儲けじゃないのがビシビシ伝わってくるんです。いつもステージ上で一番幸せそうに見えるのは我がキース・リチャーズかな?今でロシアや中国などの旧共産圏も廻って、新しいファンも獲得している。実はべる、一経営者としても彼らへの関心は尽きません、どうやって終息させるのか。終わりも見届けたいし、もしキースがべるより先に死んだら墓参りにだって行きます。久しぶりに彼らの“ヴ―ドゥー”に脳味噌もカラダも侵されてきます(*^_^*)UKのバンドなのでとてもお洒落だったね・・・・・今では前と右の二人がいない。「名古屋でオーダースーツを提供する東洋商事株式会社のHPはこちら」
January 25, 2014
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べる、何の自慢にもなりませんが最低冬に一度は風邪を引いてしまいます。今では年中行事の一つのような感じでしょうか(笑)子供の頃は扁桃腺が腫れてよく高熱が出たもの。なので小学校の5年生だったかな?扁桃腺の切除手術をしました。当時の流行りだったみたい(笑)、友人たちも手術した記憶です。それ以降高熱は出なくなり小学校低学年ではガリガリだったべるは体力も付いたのでしょう、ちょっとふっくらした子供になりました。熱は出なくても風邪は引くんですね、それは以前と変わりません。毎年冬には風邪の予防についてテレビなどでは詳しく教えてくれます。でもその方法はなかなか実行できないものですね。一旦罹ってしまい病院に行くと、診療の後には薬を処方してくれます。1 炎症を抑える抗生物質。2 抗生物質は消化器官や肝臓にダメージがあるのでそれを軽減する薬。これら“ゴールデンペア”、プラス症状に応じて飲む薬は増えていきます。最近のべるは病院にも行かず、辛いけれど自力で治す努力をしています。薬も飲まないので完治するまでには1週間から最悪10日間くらいかかりますが。夜のお付き合いもキャンセルし、充分な睡眠と栄養を摂取して回復させることが一番望ましいのですがなかなかそうはいかないのが現実、長引いてしまうんですね。でも異物を体内に入れるよりはまだましじゃん! なんて思ってます。自分自身の免疫をウィルスと戦わせる、もしも負けたら死んじゃうけど(汗)周囲の人には迷惑な話かもしれません、もちろんうつさないようには気をつけてますよ^^;今でも注射は大の苦手です(笑)「名古屋でオーダースーツを提供する東洋商事株式会社のHPはこちら」
January 21, 2014
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あけましておめでとうございます!今年もべるにーにのブログにお付き合いいただき誠にありがとうございます!そんな心優しい皆様にとって、幸多き年であることをお祈りしています。未だに昨年末に観た映画のことでモヤモヤした状態のままですが(笑)、同じくジュゼッペ・トルナトーレ監督の2009年制作の映画をDVDで鑑賞しました。日本語題は『シチリア!シチリア!』シチリアが舞台の映画であることはわかります。ただ、オリジナルタイトルは "BAARIA" 『バアリア』? 不思議な言葉です。二つの"A"? こんなイタリア語はないはずですが。後で調べたら"BAGHERIA" 『バゲリア』のことだった。監督の故郷の街“バゲリア”のシチリア語名、故郷への想いを込めた映画でした。 実はシチリアの歴史はとても複雑、セリフも全部“シチリア語”で、イタリア語とはかなり違う言葉なんですよね。どこから話そうか・・・・・バゲリアに生まれたとても貧しい牛飼いの息子ペッピーノが1930年代から1980年頃? 激動の時代のシチリア(イタリア)を生き抜いていく物語です。小学校には行かせてもらえても働かなければいけない。街に牝牛を連れてきてペッピーノが呼び止められた家の前で乳を絞り、それを売る。 そう、昔の日本の豆腐屋さんのような感じです。貧しい家庭なので地主のオリーブ畑で、大人同様に働かされる。羊の群れを連れて山で寝泊まりする、狼に襲われないように約1月ほどの放牧だ。 山で自分で勉強しようと思って持って行った本は、なんと羊たちが食べてしまった!イタリア建国は1861年、今から150年ちょっと前なのでとても若い国家です。それまでは両シチリア王国(教皇領のローマ以南のイタリアとシチリア)はスペイン(ブルボン家)の領土で北部はオーストリア(ハプスブルグ)の領土。それを統一したのはトリノの王様、ヴィットリオ・エマヌエーレ2世。王様はフランスの資金援助を得て、北部イタリアを支配していたハプスブルグと戦い勝利する。南部はガリバルディ将軍がスペインブルボンと戦い勝利、南を王様に“献上”する。ということで一つの国家になりその後の第一次大戦にも勝利しました、メデタシメデタシ?やがて世界恐慌と第一次大戦、戦勝国ではありましたが、戦費でイタリア経済が悪化し多くの労働者が失業してしまう。戦争には莫大なお金がかかるんですね・・・・・やがて労働争議が全土で勃発、資本家や南部の大地主たちと、その彼らが利用してきた長い歴史を持つ秘密結社(カモッラやマフィア)が危機感を抱き、その彼らの財産を守るための新しい愛国的な政党を支持する。そのムッソリーニ率いるファシスト党が、ついにはイタリアを一党で支配します。しかし権力を手にしたムッソリーニは用済みなマフィアのドンを次々に逮捕する。やがて第二次大戦、マフィアの報復の始まり! 米軍がシチリアのマフィアとアメリカに渡っていたマフィアを利用しシチリアからイタリアに上陸し北上していく。勝利したイタリアのパルチザンはローマのムッソリーニを吊るす、イタリアは激しいです。だから実はイタリアは第2次大戦戦勝国なんだそうですよ。負けたのは唯一ファシスト党ということらしいんです(笑)再び労働者の左翼運動が活発になり、ソヴィエトとイタリアの交流が始まる。なんだか近代史では日本とよく似たところも多いイタリアですね。貧しいけれども本を読むことが好きだった子供ペッピーノも、大地主に寄生するマフィアに暗殺されたり、彼らから迫害を受けていた人々を見て育つ。彼の義祖父はマフィアに惨殺され、父親も暴行を受けた一人だった。やがて弱者の救済のため政治活動に身を投じ、共産党員として生きることを決心する。しかし現実は彼の理想通りにはなかなか進まない。 雇用主にしてみれば煙たい存在である“党員”は雇いたくない。 やむを得ずパリへ左官として出稼ぎに行くことに。日本より歴史の振れ幅が大きな、光と影の濃いシチリア。同じ街に暮らしていても超えられない身分や経済の格差が存在していた。普通に生きていくことでさえ困難であった島、打たれ強いシチリアの市井の人たちの半生の物語でした。決して明るく楽しい作品ではありませんが、実際の人生なんて悲劇で喜劇。誰もが現状には不満で、物質的な豊かさや心の平穏を願う。世の中は簡単に変わらない、それでも必死で生きかなければいけない。希望という言葉は美しい、努力をつづけることも当たり前です。でも現実に報われることはそんなにも多くはない、それが人生なのかもしれません。「名古屋でオーダースーツを提供する東洋商事株式会社のHPはこちら」
January 6, 2014
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