おとぼけ香港生活から脱皮

おとぼけ香港生活から脱皮

「父から娘へ」


確執があったことを
前日記でちょっと触れた。

だが、末っ子の一人娘である私が
結婚してからと言うもの
年がら年中会えることもなくなった所為か
はたまた厄介なのが片付いた所為か
父は本当に円くなった。

私が日本に一時帰国すると
それはそれは笑顔で
私を迎え入れてくれ
気を使ってか外食も時には
連れて行ってくれる。
そして、結婚前は旦那・豊を
大いに毛嫌いしていたのにも関わらず
数日遅れて帰ってくる旦那を
拉致るようにして
なんやかんやと言っては
実家に泊めようとするのだ。




去年だったか、友達の結婚式出席の為
私一人で帰国したときがあった。
約2週間の滞在だったが
ほぼ毎日実家にいられることができた。
↑(豊も一緒に帰ると私が豊に拉致られ豊の実家に泊まるようになる)

そのある日、父が仕事から帰ってくると
腰が痛いと言い出した。
そして、食事を済ませた父が
茶の間へ行こうとすると
腰をおさえながら
崩れるように倒れこんでしまった。
ぎっくり腰だ。
それからは微動だにも
動くことができずにいたが
私達母子は日頃から行っていた
「電気風呂」が良いからと父に勧め
断っていた父を強引にも銭湯へ
連れて行ったのである。

いつも2時間近く入っている
私達母子だが
父がいる為、その日は少し早めに出てきた。
すると既に父はロビーの長いすで
横になっていた。

見るからには風呂上りの体の火照りと
それを少しひんやりと冷えさせる
ロビーの静けさに調和がとれ
より一層気持ち良さをかもし出し
転寝しているかのように見えた。





が、






電気風呂で余計に腰が
痛くなったというのだ。


父の話ではこうだ。


男風呂には父の他にも何人かおり、
そして、父が電気風呂に入るや否や
腰には耐えられないほどの電気が
走ったという。
母に言われたとおりに「ゆっくり入って」
いようとしたのだが
あまりにも耐えられなくなったので
出ようとしたら腰が持ち上がらなく
這って 出てきたというのだ。


この「這って出てきた」という
父の滑稽な体勢に
私と母は大爆笑をしたのだが
父のぎっくり腰が悪化してしまったことに
強引に連れて来てしまって少々後悔した。
↑(母はなんで電気風呂が効かないのか不思議がっていた)

車を横付けにし父を乗せ
帰路に着いたのだが
車から父が降りれないという。
自分で降りようとするも
腰が立たないので
本人もどうすることもできなくいた。
私は父のそんな姿に
とてもいたたまれなくなり
父の座っている後部席に回り
父をおぶろうとした。

そんなことをしようとする私に
母はとても慌てていた。
そりゃ、そうだ。
手首も極細の私が20キロ以上も違う
父をおぶったところで
そのままひっくり返ってしまうと
考えるのもわからなくはない。
慌てる母が
兄を呼んでくるからと言う間に
父に車の外に出てもらって
一気に車から父の寝床まで
父を背負って行ったのだった。
↑(これには母もたまげて今でも親戚に自慢をしている)


翌日、病院へ行って注射を打ってもらったら
次の朝にはピンピンになり、
元気に会社へ行った父。

そして、私の滞在期間中も
親子3人で買い物に出掛けたりと
色々と今までにない
濃い時間を過ごしていたのだった。




私が香港へ帰る日。
夜中2時出発の空港行きタクシーに乗る為
その日の晩御飯は外食にした。
生ビール好きの父はいつものように
グイグイ飲み、その日の食事も
楽しく過ごすことができた。

家に帰って来てから私と母は
あの父がぎっくり腰で悪化させた
電気風呂のある銭湯へと繰り出した。



そして、銭湯から帰り
真っ暗になった茶の間の電気を
付けると台の上に
一輪挿しの花瓶に花が飾られてあった。
そして、その花瓶にテープで
父から私宛への手紙が添えられてあった。


「○○○へ

 色々と有り難度う
 又来る日を楽しみに
 しています
 暮々も気を付けて
 お帰り下さい
        父より」



そして、花瓶の花を見ると
酔っ払った父が庭で摘んで来たであろう
木の花と造花が刺さっていた。



こうして私への感謝の印で
一人、夜に懐中電灯を持ち
娘の為に花を探し
娘宛ての手紙を一人いそいそと書く
背中の小さくなった父の姿を
想像すると

生花と造花のちぐはぐなセンスに
母と一緒に笑いはしたが
そんな不器用な父の姿に
感謝とうれしさと寂しさに
私と母は泣いていた。




© Rakuten Group, Inc.
X
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: