ウエスティ Benの部屋

ウエスティ Benの部屋

二日目

一日ツアーに参加

朝7時起床。
8:40にロビーにツアーのお迎えが来る。
ツアーガイドはイヴと言う30代半ば位の男性。マルセイユ出身だという。
最高8人までのツアーだが、今日の参加者は私達2人だけ。
とすると多少の融通は利くかな、と夫と二人で頷きあう。

エズ(Eze)
カンヌを後にし、まずニースを通ってエズ(Eze)という岩山の砦の村に着いた。
山の上の方に村があると言うが、下からでは何も見えない。これはサラセン人の攻撃を防ぐため海から絶対に見えないように山で隠れるように村を作ったためだそうだ。
エズの村は中世の石造りの家が石造りの階段に沿ってひしめき合うように建っている。
その多くはクラフトや美術品、ブティック、カフェなどの店になっている。
個性的で可愛くて楽しい店が多い。

Eze1

階段を登っていくと古城の廃墟を利用した熱帯庭園(Jardin Exotique)になっていてサボテンがたくさん植えられ地中海のムードが一杯。

Jardin Exotique

去年の夏訪れた英・コーンウォールのエデン・プロジェクトを彷彿とさせる。こちらが本物なのだから順序が逆だが。

ここからのリヴィエラ海岸の眺めは絶景。
コートダジュール1

フラゴナール香水工場(Fragonard Parfumeur)
カンヌから山側に15キロほど入った所にあるグラース(Grasse)は「世界の香水の首都」と呼ばれている。
温暖な気候を利用してラヴェンダー、ジャスミン、スミレ、バラなど香水の原料になる花が育てられている。
ルイ15世時代のフランス宮廷を魅了した画家フラゴナールの出身地だそうだ。
私達が訪れたフラゴナール香水工場はグラースではなく、エズのすぐ隣にあり、ガイドつきで18世紀後半の香水の上流方、製造過程の見学ができる。
ただし土曜日のため、実際の製造はお休みだった。
私達のガイドはその名も美しいジャスミンさんだった。

ジャスミンによると、世界の調香師20数人(正確な数字は忘れた)のうち女性はただ2人だけ、という。
調香師となるためには、フランスのプロバンスかパリの専門大学(世界に2つしかないと言う)を6年かけて卒業し、お酒、タバコ、香辛料を使った食事は一生涯取らないそうだ。
う~む。
私はワインとスパイスの無い食卓では生きていけないので絶対無理だ。
何はともあれ、専門を極めるのは厳しいという事だ。

見学後に好みのノートの香水の香り試させてもらうと、美しい香りに思わずうっとり。
香水・お肌のお手入れオイル、石鹸などを工場価格で買って香水工場を後にした。


モナコ(Monaco)
モナコ、というとグレース・ケリーの嫁入り先でカジノ大国、と言ったステレオタイプなイメージしか持っていなかった私だが、実際行ってみるととても魅力的な国だった。
それにはイヴが色々な解説をしてくれた事でモナコの新たな魅力を発見した事も一役買ったようだ。

モナコ湾
モナコ湾 ビルほどの大きなクルーザーはサウジアラビアの第2王子所有とか

まずモナコ公国は国と行っても1.4キロ四方程度しかなくモナコ国籍と納税義務・選挙権をもつモナコ国民は総人口3万6千人のうち6千人程度で、その他は免税・選挙権なしの住民だと言う。
いわゆるタックスヘブンとしてモナコに不動産などを持つ世界の有産者たちだ。
モナコの住民となるには3つの条件があるそうで、
1. モナコに一定面積以上の不動産を所有している事、
2.モナコの銀行に100万US$以上の預金があること、
3.モナコ大公と面接してその同意を得る事、
だそうだ。(以上については、イヴの解説の受け売りで事実確認は取れていませんので念のため。)

またモナコの始まりは13世紀に北イタリアの反法王派で抗争に敗れてイタリアを追われる事になったグリマルディが修道僧に扮してジェノヴァ人の要塞にまんまと入り込み要塞を手中に収めてモナコの基礎を築いたのが始まりだという。
その後フランス革命で独立性を失ったりと紆余曲折を経てウィーン会議で独立国としての主権を回復し、フランスに領土の95%を売り払って独立性を確保した。
その時得た資金で観光立国化を進め、カジノを建設し、ヨーロッパの王侯貴族、富裕階級が集まる高級リゾートとしての地位を確立したという。
第2次大戦後にアメリカ経済が隆盛し、ヨーロッパ経済が相対的に沈めばアメリカの大スター、クール・ビューティーと呼ばれたグレース・ケリーと結婚してアメリカ人及びアメリカ資本のホテル開発を呼び込み、カジノにもアメリカン・ゲームを普及させたと言う。
まさにエクセレントな国家経営手腕ではないか。
日本の経営者や政治家も、もっとモナコを参考にされてはいかがか。
東京都知事が一時期、カジノ建設を目論んでいたそうだが、果たしてモナコ大公の経営手腕を汲んだ流れなのだろうか。

さて、モナコのお勉強はその位にしておいて、百聞は一見にしかず、の観光に移りましょう。

まず大公宮殿広場で毎日11:55に行われる衛兵交替を見学。

衛兵交替

ちなみにモナコは警察官の数が人口に比して非常に多く、夜中に女性が高価な貴金属を身に纏って一人歩きしても安全だと言う。
ただし、警察官はニコリともしないので有名だそうだ。

その後旧市街で昼食を取り、大聖堂、サン・マーチン通りを海洋博物館までぶらぶらと散歩。
大聖堂には故グレース大公妃の墓所があり、たくさんの花輪が飾られていて、多くの人が足を止め、写真を撮っている。

グレース王妃墓所
Gratia Patriciaは大公妃の本名

私もそのうちの一人だったが、死して墓所まで写真に撮られてしまう美しい女性の人生を思い、ちょっと切ない気持ちになった。

その後フォン・ヴィエイユ港まで戻る。

フォントヴィエイユ湾

こんな可愛いポーチの演出をしているお宅があった。白雪姫と7人の小人そしてこれは小林亜星人形?!
白雪姫と7人の小人+?

4:30にイヴと大聖堂前で待ち合わせしたため、大聖堂前に戻る。

モンテカルロ Monte-Carlo
世界に名だたるグラン・カジノの他、設備の整った国際会議場を擁しており、多くのビジネスが行われているという。
グラン・カジノはまさに百聞は一見にしかず、の好例だった。

グラン・カジノ
グラン・カジノ

カジノの前にずらりと駐車している車は世界の高級車ばかり。
ロールス、アストン・マーチン、フェラーリ、メルセデスなど(車オンチの私にわかるのはこの位)。
カジノ内は写真撮影が禁じられており、入場する際カメラは預けなければならない。
入場には、入場料とパスポート(または写真付きID)の提示、エレガントな装い、21歳以上である事が必要。
大理石の床、オニキスの柱、ボヘミアグラスのシャンデリア、各部屋の天井画や壁画は圧巻。
パリのオペラ・ガルニエを設計したガルニエによる優雅な建築と装飾は一見の価値がある。

グラン・カジノ前の喧騒
グラン・カジノ前の喧騒

さらに、そこに存在する人々の雰囲気、行動、遊び方も実際見てみるのと聞くのとでは大きな違いが。
500ユーロ紙幣がゲームテーブルの上を飛び交い(私は500ユーロ紙幣という物を初めて見た)、ブラックジャック21で1,000ユーロを3分足らずで失っても気にせずにさらにゲームを続ける人、ルーレットのオッズをグラフや表に記録して勝機を計算する人、黙々とカードを切り、ルーレットを回す黒服のバンカー達、シャンペンをすすりながらのお喋り・・・

ルーレットやブラックジャック等のルールがよく理解できておらず、やって来るかどうかわからない勝機に身を任せて大金を賭けて遊ぶ金銭的・精神的余裕のない私にできるのはせいぜいシャンペンに身を任せる事くらいか。

その後、車に戻ってモナコ・グランプリのコースを一周した。
グランドホテル前のカーブは鋭角で有名だが、それ以外にもカーブが多々ある。
サーキットは一般道路として使われている市街コースなので、コースアウトしたらすぐに建物や海へ一直線、という事になる。
常設サーキットのような遊びがないのでとても危険でスリルがある。
今まで一度もモナコ・グランプリをTVで観たことがなかったが、今度は観てみよう。

さて、これで今日の一日ツアーの行程は終わり、後はカンヌへのドライブ。
カンヌへはA8を抜けてクロワゼット通りに出るまでは信号待ちだけだっのが、クロワゼット大通りに出ると渋滞で車が動かなくなった。
特に土曜日で人と車が繰り出して大渋滞だった。

この晩はホテルの近くのレストランで美味しそうな雰囲気の店を探し出し(私の勘は、この点かなり当てになる)、プロバンス風エスカルゴ、アーティチョーク、スズキのロースト、オマール海老などを地酒パスティスとともにいただく。
エスカルゴがバジルとにんにくがきいてとても美味。
それ以外の料理も味と盛り付け共にかなり高得点。

こうして盛りだくさんだった一日も終った。





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