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【コロン・プヨン・ホッカホカ・次女の寝相】コロンとしていてプヨンとしていてホカホカしているそんな次女の寝相(ねぞう)ポーとしてフワッとしてボサボサとしている可愛いそんな次女の寝顔ドスンとしてバタンとしてモコモコ・モゾモゾとしているそんな次女の目覚めそんな次女は障碍児(しょうがいじ)でも,普通の女の子と同じただ,優しくて,寂しがりやさん次女へパパとママより二○○三年一月三十一日(金)
2003年01月31日
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【雨上がりの滴】(写真:海鳥)昨日の雨は路面に水溜りを残している.水溜りを覗き込むと,そこには,底知れぬ深い青と白い雲がポッカリと浮かんで流れて行く.路肩には,竹林が緑豊か(みどりゆたか)に潤(うるお)い艶(つや)やかに,水化粧で,おめかしをしている.車の突風(とっぷう)が,そんな緑を愛撫(あいぶ)して遠のいて消えて行く.空気は温和(おんわ)に,静かに流れ.カラスが歌うレトロな声が林の中に木霊する.その響きの中で,子供達の楽しそうな声が,何所からともなく雑じっては,遠く微かに聞えてくる.その声にスズメ達のハシャギ声も,おぶさるように聞えてくる.空は青く,雲は白く流れる.狭き道路を前後に擦違(すれちが)い進む車の列(れつ),ただひたすら,前のみを見詰めて走っている.前方の車か,アスファルトにでも,引き付けられるかのように・・・一点の磁場に引き付けられるかのように・・・エーメン2003年1月28日(火) 『狭い門から入りなさい. 滅びに通じる門は広く, その道も広々として,そこから入る者が多い. しかし,命に通じる門はなんと狭く,その道も細い ことか. それを見いだす者は少ない.』 (マタイによる福音書 7章13~14節) エーメン
2003年01月30日
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【二度目のメッセージ】2003年 1月 13日 (月)の日記にこの言葉を書いた.「水に溺(おぼ)れて,喘(あえ)いで,水に抵抗する者は,死ぬ.水に身を委(ゆだ)ねる者は浮いて流され生かされる.ただ , ハートの温もりに身(体温)が保たれるならば・・・」01月13日 【 ルート (道)】フッと前にも何所かで聞いたことが有るセリフと思っていたら・・・2002年 9月10- 11日 (水)の日記にも・・・「水の木の実を殴(なぐ)り,水に浸(つ)かる者は,水に死なない.」「この果肉を食べて,その果汁を飲み干して,水に浸かりなさい」09月10日 【信仰のダイビング[夢](1/2頁)】09月11日 【信仰のダイビング[夢](2/2頁)】この様に言葉が夢の中で示されている.『しかし,最後まで耐え忍ぶ者は救われる.』(マタイによる福音書24:13)『信じて洗礼(バプテスマ)を受ける者は救われるが, 信じない者は滅びの宣告を受ける.』(マルコによる福音書16:16)『イエスは,これを聞いて会堂長に言われた.「恐れることはない.ただ信じなさい.そうすれば,娘は救われる.」』(ルカによる福音書8:50)『神を賛美していたので,民衆全体から好意を寄せられた.こうして,主は救われる人々を日々仲間に加えて一つにされたのである.』(使徒言行録2:47)エーメン今,このような御言葉と繋がりがあるのか ??? と感じている.御言葉の見極め方を昔に教わったことがある.(1),祈り(2),目的を共有する人と確認し合う.(例えば妻などと)(3),信仰の先輩に意見を聞く.(例えば牧師先生などと)だそうだ,その三角形の交わりに答えが示されるという.これってもしかしてディボーション ???感謝を’込めて祈りたい・・・エーメン と・・・グローリアそしてエーメン
2003年01月28日
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「修道女ヘレン・ムロスラ」(ステキな姉妹のメールより) 修道女であり、教師であるヘレン・ムロスラは、彼女がまだ寄宿学校で教えていた頃の事を語り続けています。 当時、彼女が受け持っていたクラスの男子生徒達は、いつも互いに喧嘩ばかりをする、わんぱく少年達ばかりでした。ある日へレンは、クラス全員の名前が書かれた紙を一人に一枚づつ渡し、それぞれ彼らが他のクラスメート達に対して、最も良いと思うところ、好きだと感じたところを各名前の横に書かせました。そしてその紙を回収すると、へレンはその後で別の紙を生徒の人数分用意をし、他の生徒が思った「素晴らしいところ」を各生徒ごとにまとめてリストにし、それぞれの生徒に渡したのす。その紙を貰って、驚きと喜びの気持ちで読んだ少年達は、それぞれに声をあげて叫びました。「皆が僕のことを、こんな風に思っていたなんて!。」それから何年もの歳月が流れました。ある日彼女が休暇から帰宅すると、ヘレンの父が彼女にこう告げました。「昨晩エックランド氏という方から電話があり、彼のご子息がベトナム戦線で亡くなられたそうだ。おまえに、お葬式に出席してもらいたいとの事だよ」と。ベトナム戦争の犠牲となったその青年は、彼女が昔、寄宿学校に勤めていた頃の教え子のひとり、マークでした。 葬儀の後、エックランド氏はマークの当時のクラスメート達と共に、ヘレンを家に招きました。居間でしばらく歓談していると、エックランド氏は突然、へレンに言いました。「是非お見せしたいものがあるのです。私は息子の遺品の財布の中から、こんなものを見つけましてね・・」。その財布を開けると、彼はその中から、黄ばんでくちゃくちゃになった、けれど見覚えのある一枚の紙切れを取り出したのです。それはまぎれもなく、昔、へレンが教え子達に書かせて、マークの素晴らしいところをまとめた、あの一枚の紙切れでした。するとその時、その場にいた一人一人が、静かに微笑みながら、自分達のポケットの中から、財布やカードケースを取りだし、そして彼らのあの紙切れを取り出し始めたのです。 へレンは当時のことを回想し、語ります。「私にはただ座って、泣く事しか出来ませんでした。」 何がマークに、15年もの長い間、彼の行くところの全ての場所、地球の裏側の、死と向き合う場所へさえまでも、その一枚の紙切れを持ち運ばさせたのでしょうか。― 答えは「感謝」です。 今日、今でもあなたの傍に、その感謝に飢え、傷ついている人達がたくさんいます。どうぞ彼らに「感謝」を示して下さい。「わたしは、あなた方のことを思い出す度に、私の神に感謝します」(フィリピ1章3節) エーメンとてもステキなお話しを何時も有難う御座います.感謝・感謝して・・・エーメン01月20日 「斉藤宗次朗」
2003年01月27日
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【 ヴェルレーヌ 】 【禁句】「都に雨の降るごとく」都に雨の降るごとくわが心にも涙ふる。心の底ににじみいるこのわびしさは何ならむ。大地に屋根に降りしきる雨のひびきのしめやかさ。うらさびわたる心にはおお 雨の音 雨の歌。悲しみうれふるこの心いはれもなくて涙ふるうらみの思ひあらばこそゆゑだもあらぬこのなげき。恋も憎みもあらずしていかなるゆゑにわが心かくも悩むか知らぬこそ悩みのうちのなやみなれ。[ ヴェルレーヌ {鈴木信太郎訳}]-----------------------------------------------------【禁句】この詩・・・俺にとっては「想い出 ポロポロ」懐かしい初恋の想い出がある.ツルゲーネフの「初恋」なんぞを愛読していた時代のことだった.片思いの女の子から最後に頂いた手紙が,この詩だった.詩もさることながら鉛筆で書いてあった.その当時,グリーンのペンか,鉛筆書きで別れの手紙を出すと必ず分かれられるなどと言われていたために・・・それは それは ショックが大きかった.鎌倉へのデートも禁句(きんく)の時代だったなぁー◎今の時代の禁句恋の禁句,職場の禁句,様々な禁句が有ると思いますが ! ! ! 皆さんの禁句は何ですか ??? 出来ましたら教えて下さい.
2003年01月26日
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【靴屋のマルティン】トルストイのこの話はどういう内容か,紹介しましょう.ある町にマルティン・アフデューイチという靴屋さんが住んでいました.彼は窓が一つしかない地下室に住み,いつもその窓から,通り過ぎて行く人々の足だけを見ながら生活していました.実直で人々から信用され,良い仕事をしながら生きていたのです.ところが,息子を失い絶望の淵に落ちてしまいます.その時に聖書を読むことを勧められ,やがて彼は聖書の言葉に魅せられ,信仰を持つようになります. ある夜,「明日わたしがお前の所に行くから」という主イエスの言葉を聞きます.靴屋のマルティンは,その翌日,朝から主の来られるのを待ち望みました.そして待っている間に,雪かきをしている友人にお茶を出し,赤ちゃんを抱く女の人にシチューとパンを与え,古い外套(がいとう)を与えます.またリンゴを盗もうとした男の子を助け,リンゴ売りのおばさんにはリンゴの代金を支払います.そして一日が何事もなく過ぎてしまいました.とうとう主はあらわれませんでした. しかし彼はその夜,「これがわたしだよ」という主の声を聞きます.それと共に,今日マルティンが助けてあげた人たちの顔が次々と目の前に浮かんできたのです.そしてその時,彼が開いた聖書に,この聖書の言葉(【羊と山羊のたとえ】)「わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは,わたしにしてくれたことなのである.」が記されていました. キリストの到来を待った一人の男が,その信仰のなかでおこなった「愛の業」が主の喜びたもうところとなり,彼はイエスに出会う者になったというのです.[イエスの譬話 {船本弘毅 書}より]
2003年01月25日
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【羊と山羊のたとえ】『終わりの日に,人の子(イエス)は栄光の座につかれます. そしてすべての国の民がその前に集められると,ちょうど羊飼いが羊と山羊を分けるように,彼らをより分けて,羊を右に山羊を左に置くでしょう. そして王は右側の人々には,「祝福された人たち,天地創造の時から用意されている国を受け継ぎなさい. お前たちは,わたしが飢えていた時に食べさせ,のどが渇いていた時に飲ませ,旅をしていた時に宿を貸し,裸の時に着せ,病気の時に見舞い,牢にいた時に訪ねてくれたからです」すると右側にいる正しい人たちは,「いつそんなことをあなたにしたでしょうか」と問うでしょう.すると王は,「わたしの兄弟であるこのもっとも小さい者の一人にしたのは,わたしにしてくれたことなのです.」と答えるのです. 左側にいる人々には,「呪われた者よ,わたしから離れ去り,悪魔とその手下に用意した永遠の火に入りなさい. お前たちは必要な時に何の手助けもしてくれなかったではないか. このもっとも小さい者の一人にしなかったことは,わたしにしてくれなかったことなのだ」と言われました. こうして,正しい人は永遠の命にあずかり,悪しき者は永遠の罰を受けることになるのです. 』(マタイによる福音書25章31-46節) エーメン
2003年01月24日
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【長男のお気に入り パート8】[♪♪オオカミなんか こわくない♪♪]オオカミなんか こわくないこわくないったら こわくないオオカミなんか こわくないこわくない~~~♪3びき 子ぶた きょうだい 子ぶたレンガのおうちで なかよくなって3びき 子ぶた きょうだい 子ぶたおうたをうたって げんきをだそうオオカミなんか こわくないこわくないったら こわくないオオカミなんか こわくないこわくない~~~♪-------------------------------------------------------この歌,次女もタドタドシクよく歌っていたなぁー最近はあまり聞かないけれど・・・たしか最後に「オオカミさ~~~~~ん」て叫んで「キャ~~~~~」て逃げ回る仕草がついていたように思うけど ? ? ?
2003年01月23日
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【 ニュアンス 】「ゾウを見て驚いた.ゾウの尻尾(しっぽ)を見てヘビだと思って驚いた.」「そんな例えを昔に教わった気がするが・・・その例えは,近づき過ぎると全体像を見失う.だったと,思う・・・でも今日,ある本を読んでいて,この言葉を思い出しフッと待てよと思ってしまった.言葉は「驚いた」で同じでも,ニュアンス(言葉で表現できない微妙な意味合い)が違う.昔,ある牧師さんが「サタンは神に似(に)せて誘惑(ゆうわく)を持ってくるのだ」と,私に教えて下さったことがある.「ゾウの全体像への驚きが神であれば,ゾウの尻尾への驚きは,サタンが神に似せた仕業なのかなぁー」 と,今日なにげに感じた.サタンへの恐れは自らの思い込みが引き起こす幻想なのかもしれない.その牧師さんがおっしゃっていた.「ハレルヤ・ハレルヤの喜びの賛美にはサタンは近寄れない」とおっしゃっていた意味が薄ボンヤリと分かった気がした.喜びの中に内なる敵は居ないからである.感謝の中にも同様に・・・ハレルヤ・ハレルヤ・ハレルヤ・エーメンと響く賛美の歌声が今日もサタンを砕いている.『見よ. 主の御手が短くて救えないのではない. その耳 が遠くて,聞えないのではない. あなたがたの咎(とが)が,あなたがたと,あなたがたの神との仕切りとなり,あなたがたの罪が御顔を隠させ,聞いてくださらないようにしたのだ. 』(イザヤ59・1-2) エーメン『見よ. 主の御手が短くて救えないのではない. その耳が遠くて,聞えないのではない. あなたがたの咎が,あなたがたと,あなたがたの神との仕切りとなり,あなたがたの罪が御顔を隠させ,聞いてくださらないようにしたのだ. 』(イザヤ59・1-2) ・・・エーメン
2003年01月21日
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「斉藤宗次朗」 斉藤宗次朗は岩手県の花巻で、禅宗の寺の三男として生まれました。15歳の時に、母の甥にあたる人の養子となります。成長した彼は小学校の先生となり、ふとしたきっかけで聖書を読むようになり、洗礼を受けてクリスチャンとなりました。しかし、当時はキリスト教がまだ「ヤソ教」「国賊」と呼ばれていた時代で、彼が洗礼を受けたその日から彼に対する迫害が強くなり、親からは勘当されてしまいます。町を歩いていても、「ヤソ,ヤソ!」と嘲られ、何度も石を投げつけられます。それでも彼は神を信じた喜びに溢れて、信仰を貫いていきました。しかし、いわれのない中傷が相次いで、遂に彼は小学校の教師を辞めなければならない羽目になりました。それだけではありません。迫害は家族にまで及んできます。長女の愛ちゃんはある日、ヤソの子供と言われて腹を蹴られ、腹膜炎を起こして、何日かの後にわずか9歳という若さで亡くなります。教師の職を追われた彼は、新聞配達をしながら生計を立て、毎朝3時に起き、夜9時まで働くという厳しい生活を20年間続けてゆきます。彼は朝の仕事が終わる頃、雪が積もると小学校への通路の雪かきをして道をつくります。小さい子供を見ると、だっこして校門まで走ります。彼は風の日も、雨の日も、雪の日も、休む事なく、地域の人々の為に働き続けます。自分の子供を蹴って死なせた子供達の為に・・。新聞配達の帰りには、病人を見舞い、励まし、慰めます。 やがて、彼は住みなれた故郷・花巻を離れ、東京に移り住む日がやって来ました。花巻の地を離れるその日、「誰も見送りに来てくれる者はいないだろう」と思って、駅に行ったところ、そこには、町長をはじめ、町の権力者たち、学校の教師、神社の神主、お寺の僧侶、そのほか町中の人達が、たくさん見送りに来てくれていたのです。それは彼が日頃からしていた事を皆は見ていたのです。その中の一人に宮沢賢治がいました。宮沢賢治は法華経・日蓮宗の信者でした。斉藤宗次朗が東京駅に着いて最初に手紙をもらったのが、宮沢賢治でした。その5年後に、宮沢賢治が有名な「雨にも負けず、風にも負けず」といいう詩を作ったのです。「雨にも負けず、風にも負けず」 宮沢賢治 雨にも負けず、風にも負けず、雪にも夏の暑さにも負けぬ丈夫な身体を持ち、決して怒らず、いつも静かに笑っている。1日に玄米四合と味噌と少しの野菜を食べ、あらゆる事を自分の勘定に入れず、良く見聞きし分り、そして怒らず、野原の松の林の陰の、小さな わらぶきの 小屋にいて、東に病気の子供あれば、行って看病してやり、西に疲れた母あれば、行ってその稲の束を負い、南に死にそうな人あれば、行って怖がらなくてもいいと言い、北に喧嘩や訴訟があれば、つまらないからやめろとい言い、日照りの時は涙を流し、寒さの冬はおろおろ歩き、みんなにでくの坊と呼ばれ、誉められもせず、苦にもされず・・・、そういう者に私はなりたい。「私たちはみなこの宝を土の器に納めています。それはこの並外れた偉大な力が神から出たものであって、私たちからではないと言う事が明らかになる為です」 第Ⅱコリント書 4章7節01月17日 【主は話された】教会の姉妹のメールより・・・何時も有難う御座います.感謝致しております.ステキな教会の姉妹へ感謝して・・・エーメン
2003年01月20日
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【シルエット】[インフェリオリティーコンプレックス]私は夜に時折,牛久沼の横を通る.そして何時も何故か,そこを通る度に目を落とすシルエットがある.色までは分からないシルエットは,旧家の姿をしている.そして何時も「ポッ」と真ん中に明るい光が燈っている.私はその家に出会う度にこう感じる.昔懐かしい甘酸っぱい感じを感じる.父母,祖父母,家族を思い,愛しい程に胸が苦しい.日頃忙しさに隠(かく)れている,我が身の罪が噴出して私を咎(とが)める.アーメン・アーメン・主よ・主よ・・・とインフェリオリティーコンプレックス(向上意欲・自信・勇気が失われるもの.)の中でもがいて祈る車が進み,その場を遠のく・・・エーメン一時への開放を感じ車が進む.2003年1月16日(木曜日)
2003年01月18日
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【主は話された】主は話されたニュートンが万有引力(ばんゆういんりょく)を発見するとき私は何時もリンゴを落とした時には彼が目を背(そむ)けないように目の前に落としたが彼はあまりにも鈍感(どんかん)でそれでも気がつこうとしなかった私はやむを得(え)ずに愛情を込めて彼の頭に何度もぶつけてやったのさそして彼はやっとのことで天を見上げリンゴの木を見上げてリンゴの実が落ちるのに気がついた万有引力の働きに気がついたのさエジソンだってフランクリンだって幾度も幾度も失敗を重ねたそして私は彼らに話した又,一つ成功に近づけたじゃないかと主は話されている一人一人に語られている自然の中にミックスされたカリスマ(神の贈物)としてエーメン
2003年01月17日
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【 強風 】【 クロス 】【 強風 】風かピューピューゴーゴーと音を唸(うな)らせ吹き荒む(ふきすさむ).雨戸がガタガタと振るえて,木々はザワザワと淀(よど)めき騒(ざわ)めく風は闇夜を擦り抜ける.まるで過越祭のように・・・10月17日 【主の過越】2003/01/15【 クロス 】青空に雲は流れて,風が車を扇(あお)いでいる.揺らめく裸の並木の隙間から木漏れ日が車中へと温もりを注ぎ込む.温もりに日曜日の牧師さんのメッセージの一節が尻切れトンボで,よみがえる.「縦・横の繋ぎ目を大切に・・・今年の教会目標です!!!」そんな言葉に意識を置くと,縦と横の光のクロスがイメージ出来た.その中央にはイエス・キリストのハートの炎が・・・フォーカスを絞ってピントを合わせて,十字架(クロス)に真っ裸で,はりつけられたイエス様・・・天を仰いで光が降る.注ぐ光はイエス様のハートの温もりに地平線へと左右に際限なく広がる.又,地の底にも光の剣(つるぎ)を伸ばして突き立てる.主イエス・キリストの力にエーメン2003/01/15
2003年01月16日
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【上には上がいるものだ・・・】今日の朝のこと,妻が忘れ物の多い長女へお説教(せっきょう)をしていた.そして,しばらくして,長女と次女を小学校に送り出した後に,長男を保育園へと連れて行こうとした時に,玄関先でダダをこねる長男・・・妻が叱(しか)りつけると長男が「だってママは,箸(はし)を忘れるのだもの~」と言う・・・「アッそうか」「そうか~~~」と今日の保育園のお昼は,箸がいるのだと思いだして,キッチンに駆け戻る(かけもどる)妻・・・私はそれを「上には上がいるものだ」と笑いを堪えて見守っていた.今日に感謝して・・・エーメン
2003年01月15日
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【共同体のアイデンティティ宣言】私たちは,天の御国のためにこの世から救い出されて,また,この世を救うために送り出されたイエス・キリストの弟子たちです.預言者と使徒たちの信仰の上に建てられた,真理の柱と土台,イエス・キリストの身体の共同体です.日々学び,成長していきましょう.みことばの上に立ち,御霊によって祈り,真理と愛を実践する光と塩の共同体となりましょう.共同体は,天の御国の前ぶれです.私たちはその御国の祭司であり,預言者の灯を高くあげ,心から赦し合い,喜びを持って仕え合う,従順と愛の共同体を築き上げましょう.礼拝をとおして神さまを喜ばせましょう.隣人愛をとおして魂を救いましょう.信仰を持って進み出,聖徒の交わりをおして身体の一致を告白しましょう.そして,主が来られるまで,弟子の使命を果たし,創造主の栄光を現し,永久に主を喜びとする.聖霊に満たされた共同体となりましょう.エーメン奇蹟を伴う世界宣教(1).良い願いは神の御言葉から (聖霊の年)(2).夢がなければ実現もない (奇跡の年)(3).良いスタートは与えることから (宣教の年)(アガペーチャペル 2003年1月12日 週報より)「アガペーチャペル インターネットの仲間達の日記」 -----------------------------------------------------脳からの信号があっても 体がまったく動かないことが まひ脳からの信号がないのに 体が勝手に動いてしまうことが けいれん神さまからの導きがあっても 従わなければ……神さまからの導きがないのに 動いてしまえば……「あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです。」 新約聖書 コリント人への手紙第一 12:27あなたの愛で 私を 取り囲んでくださいあなたの声だけに 聞きしたがう者と して下さい「ぽん#さん」の日記より 「ぽん#さんの日記」
2003年01月14日
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【 ルート (道)】深海を思わせる夕暮れ空に,牛久沼のオレンジ色の夕日が地平線を境(さかい)に天と世を二分して分けている.国道六号線は,茨城県牛久市でのことだった.そんな道路にヘッドライトが流れて進む.光のシャベルが路面を浚(さら)う,海底探査の潜水艦のように・・・こんな言葉が頭に浮かぶ,今日のメッセージが変化して行く.「水に溺(おぼ)れて,喘(あえ)いで,水に抵抗する者は,死ぬ. 水に身を委(ゆだ)ねる者は浮いて流され生かされる. ただ , ハートの温もりに身(体温)が保たれるならば・・・」今日(1/12)のメッセージは,「君は岩なのか?」(マタイの福音書16章13~19節)「卞 在昌 師」のメッセージだった. エーメン派遣式も有った.「鄭 トウルヨン 牧師ご夫婦」は,東京「中央チャッペル」へ「坂本兵部 牧師ご夫婦」は,大阪「川西アガペーチャペル」へ彼らの地境が益々栄えますようにお祈りしたい.エーメン
2003年01月13日
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【 ステキな人達 】[写真:本日のベテスダ・柏]ウインドーに差し込む光が「ベテスダ・柏」のお店の中に優しく降り注ぐ。今日(1/10)は,坂本かおり牧師をお招きしての「ベテスダ・柏」の家庭集会があった.坂本夫婦は,来週から大阪に移り住み「川西アガペーチャペル」で牧会活動をする.そんな事もあって,妻はどうも持成し料理と思い込んでいる,パイエリアを作り始めた.海老,貝とシーフードがテンコ盛りで,夫の私が言うのも何ナノだが中々のシタタカな味がする.又,集う姉妹達は,「台湾料理は美味しい ょ」の大根餅を作って持って来て下さったり,ケーキなども持ち寄ってくれた.テーブルの上に所狭し(ところせまし)と並ぶ料理(現に多すぎて並ばなかった.) に舌鼓を打ち,忙しく仕事へと戻る.無銭飲食のオヤジさんのように食べて素早くその場から消えた.( 罪深い男です,主よ お許しください.エーメン )そんな中で大阪「川西アガペーチャペル」の話しを少し聞いた.信者さんは一人と言う.私は「エッ」と聞き返してしまった.何故に其処に坂本夫婦が・・・との思いに絶句して.でも経歴を見ても分かるようにこの牧師夫婦は只者(ただもの)では無いのです.謙遜(けんそん)に主に使える僕(しもべ)なのです.( あの人も,私も爪の垢(あか)を授かって煎じて飲まなければ ! ! ! )そしてこの教会には平日に集う青少年が多いという.その話しには,何故かリバイバルの炎を感じて胸躍る喜びを感じてしまった.奇跡が常識の教会・・・それが今年の「国際福音キリスト教会」の一つのビジョンである.エーメン●坂本兵部/1966 年6月24日生まれ 東京都出身 早大第一文学部文芸専修卒業後、東大大学院で比較文学比較文化専攻(博士課程中退)。韓国合同神学大学院卒業後、2001年3月アガペーチャペルの副牧師に赴任。●坂本かおり/1968年7月18日生まれ 神奈川県出身 東京神学大学卒業。函館遺愛女子学院で聖書科教師として3年間勤務した後、結婚。夫とともに2001年3月アガペーチャペルの副牧師に赴任。
2003年01月12日
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【キャロリングの裏話】今日(1/5)の礼拝のメッセージの中で,このような話しが証された.それは去年12月24日に年内,第二回目のキャロリングでスーパーと共に回った病院での出来事であった.その日にキャロリングで伺い賛美をした病院は,ボウ有名大学病院だったのだが,数日前までは,別の病院が予定に組まれていたと言う.その病院は,ここ数年間,毎年のように回って歌わせて頂いているので,今回も数日前にアボイントを取れば,きっと何も言わずに承諾(しょうだく)して歌わせて下さると思っていたそうだ.だが病院サイトのスタッフが変わっていることもあって,思惑(おもわく)は外れた・・・教会のスタッフは,前年に病院での賛美で奇跡が生まれたこともあって,急遽(きゅうきょ)代わりに伺(うかが)える病院を手分けして探したそうだ.だが時間的にも余裕(よゆう)が無く日程(にってい)の差し迫った状態で,説明も中々相手サイトに伝えることが覚束(おぼつか)ない.教会のスタッフも忙しく探すのだが,どの病院の担当者も中々,捕(つか)まらずに,計画の変更が余儀(よぎ)無くされていたという.そんな時に,教会スタッフが導かれた病院は,前に一度断られて「絶対ダメ」との思い込みに捕(とら)われていた大学病院だった.そんな,ダメモトで入った大学病院で思いも寄らずにOKを頂いたという.当日,聖歌隊に加わって病院へと行った牧師さんが驚いた.そこは,一ヶ月前に教会の姉妹が癌(ガン)で亡くなった病院であった。彼女の入院していた,おなじ階の,彼女の居た部屋の側だったからだ.( 彼女はその病院で,この牧師さんから洗礼を授かった.そして一度は奇跡的に回復して退院したが,再発して病院へともどった.彼女は教会に行かなかった事を枕元で最後まで悔やんでいたという.)その日のその病院の場所は,多くの患者さん達が集まっていた.多くの患者さんが賛美歌に耳を傾けていた.看護婦さん方も翌年に期待した話しをして下さったとのことである.奇跡が常識の教会・・・それが今年の教会のビジョンであるように,そんな去年の後半だった.主に感謝して・・・エーメン『イエスはこうお答えになった.「人の子が栄光を受ける時が来た. はっきり言っておく.一粒の麦は,地に落ちて死ななければ,一粒のままである. だが,死ねば,多くの実を結ぶ. 自分の命を愛する者は,それを失うが,この世で自分の命を憎む人は,それを保って永遠の命に至る・・・わたしに仕える者がいれば,父はその人も大切にしてくださる.」』 (ヨハネによる福音書12: 23-26) エーメン 12月27日 [12/24夜に・・・]〔キャロリング〕12月28日12月28日[12/24夜に・・・]〔キャンドルサービス〕
2003年01月11日
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【長男の靴】それは先日のことだった.長女・次女の新学期の始まりを翌日に控えて新しい靴を買いに行った.夜でも開いている百貨店へと子供達三人を連れて出かけた.長女(小6)の靴のサイズを見てビックリした.25センチ !!! 母親を 「モー」 抜いている.長女と次女の足のサイズに驚いていると長男(三才)が警備灯(けいびとう)のようにピカピカと赤く忙しく光る靴を持ってきて・・・「いい~~~」「買って,買って」とおねだり攻撃・・・靴の絵柄はカメンライダー龍騎 !!!一足しか店頭に無く煤(すす)を被って何所か汚い.我が家では子供達にあまりテレビを見せない.争いごとのテレビ番組はなるべく子供達に見せないように心がけている.でもやっぱり保育園で憶えてくるのだよねー靴は長男にビッタリの17センチだった.妻は長男の「ピカピカのクチュ買って」に根負けしてか???値札も取れていて価格も分からない靴をレジに持って行って,思いがけない価格の高さに驚きつつも,長男の固く靴を握って放さないあまりのしぶとい態度にやむなく買い求めた.長男は「ヤッタ~~~」と飛び上がる.買って帰ると,先ずは,お爺ちゃんに自慢して,今まで彼のお宝だったビーダマはホッポらかされて,靴が宝になっていた.「いいでしょうー」「いいでしょ」と何編(なんべん)も言って回る.それを次女がからかって・・・「手に靴を履こう」と言って,靴に手を突っ込んでぶら下げる.その仕草は正常児さながらである.その度に靴は反応して赤い光をピカピカと目まぐるしい程に光らせている.喜びの声と赤い光があっちに行ったり,こっちに来たりと飛び交っている.一夜空けた朝,長男は一番に早くに起きて玄関の段差から身を半分,今にも落ちるかの様に乗り出して何かしている.寒々とした玄関で薄い寝巻きで・・・よく見ると,彼は新しい靴を突っ突いては,赤くピカピカと反応して光るのを見て,ご満悦(ごまんえつ)な顔で又,突っ突いている.保育園に今日は特別に早く行きたがって(何時もだと,ただをこねるのに・・・!!!)靴を早くに履きたがって,朝早くに保育園へと出社していった.2003年1月7日の事である・・・彼が今日は何だか何時もより早く走っているように見える私達夫婦は,親馬鹿なのだろうか・・・ ? ? ? エーメン『あなたがたは心を騒がしてはいけません。神を信じ、また私を信じなさい。私の父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、私は場所を備えに行くのです。わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです、、、、、わたしはあなたがたに平安を与えます。わたしが与えるのは、世が与えるのとは違います。ヨハネ14:1、27エーメン 感謝致します.
2003年01月10日
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【聖会(2/2)】[寒煙(かんえん)]教会からの帰り道に路肩の向こうの畑から寒煙(かんえん)が昇っていた.白く地を這(は)い彷徨(ほうこう)しているように見えた.助手席に座る妻にそんな風景を指差して話していてフゥッと最近の意識にシングルフォーカスを感じた.又,今日のメッセージがよみがえる.「迫(せま)りくる物質的試み(ぶしつてきこころみ)を避(さ)けて,信仰の誘(いざな)いに身を任(ま)かせなさい・・・儚い者(はかないもの)に関心を持たせなさい・・・」「こころみに合うと枷(かせ)の半分も開かれる・・・神は それによって苦難人(くなんびと)を助ける知恵を与えてくれて目も開かれる.」さてと・・・明日(1/9)の朝はまた早い,そして又明日の夜は聖会が有ります.お近くの方は,お気軽にお立ち寄り頂ければメッセージもお聞き頂けます.時間PM8.00頃より又,明後日(1/10)は「ベテスダ・柏」の家庭集会が有ります.此方もお近くの方はお気軽にお立ち寄り頂けると幸いであります.時間AM11.30頃よりPM4.00頃まで(お昼時だけも可)夜(1/10)は「アガペーチャペル」で祈祷会も有るかと思います.時間はPM8.00頃だったような???チョットあいまいで御免なさい.(昨日,今日の日記での「ジョン・ビョンウク師」のメッセージは,かなり私なりに噛み砕いて書きましたのでご了承下さい.)エーメン01月07日 【聖会(1/2)】[六つの鎧(よろい)]
2003年01月08日
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【聖会(1/2)】[六つの鎧(よろい)]今日(1/8)の夜に田炳旭師(ジョン・ビョンウク師)の聖会に伺ってきた.現在,韓国サミル教会で7,000人以上の若者達に語られいる牧師さんで,隣では「アガペーチャペル」の坂本牧師が日本語で同時通訳して下さるという非常に贅沢(ぜいたく)な新年ビジョン聖会の4回目である.先日までは東京の中央チャペルで行なっており行けなかった.今日の「アガペーチャペル」は韓国からの団体も集(つど)って賛美歌は燃焼(ねんしょう)の祈りの篭(こも)った,凄(すさ)まじい響きが伝わっていた.そんな賛美に礼拝堂が聖霊に満たされると,ジョン・ビョンウク師が語り始めた.「六つの鎧(よろい)」① 信義(しんぎ)の帯「ダブルフォーカスからシングルフォーカスへと絞り変えて一つのことに束(たば)ねて集中すること.」(木の実を実らすのには剪定(せんてい)も必要)② 正義の胸当「自我で潰されないようにイエスのプロテクターで 我が身の御霊を守ること・・・」③ 福音を伝える靴④ 信仰の大盾(おおだて)「サタンが射る火の矢を避けるため・・・」⑤ 救いの兜(かぶと)「信じる主に大胆(だいたん)に正しく導いて頂く・・・」⑥ 聖霊の剣(つるぎ)「多くの御言葉を剣としてサタンを切り裂く・・・」そして此れを支(ささ)えて動かす力(ちから)が祈りで,七つの力が霊的武装に繋がると話していた.サタンが攻める「肉欲」・「安全欲」・「自己実現欲」・「自我」に含まれる「想像(そうぞう)」・「堕落(だらく)」・「購(あがな)い」からの脱却(だっきゃく)の術(すべ)であると話して下さった.エーメン
2003年01月07日
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【らせんの煙り】あの人の頭の上に煙草の煙が昇ってゆく・・・私は,煙草をやめたが,他人の煙草の煙を見ていると思い出す昔話がある.それは雪国での私も煙草を吸っていた昔の事である.らせんに空に昇る,私の煙草の煙を見詰めてボソっと呟(つぶや)いた人がいた.溜め息のように・・・「私の父も妹が生まれるまでは,煙草を吸っていたのョでもパタッと止めて・・・そんなお父さんが何十年ぶりで煙草を吸っているのを私は見たの・・・お爺ちゃんが亡くなった日の晩(ばん)に・・・暗がりでお爺ちゃんの残した畑(はたけ)の方をぼんやりと背中を丸めて見詰めていたワ・・・頭の上には煙草の煙が天に向って頭の上から昇っていて,その背中の方では,酔っぱらった親戚達が大騒ぎをしていたワ・・・父を覗き込んだ時の,とってもぎこちない煙草を持った仕草が今も脳裏に焼きついている.」と言っていた.煙草を吸っていたときには忘れていた話しを思い出した.あの人は,あの時に何を思って私にこの話しを聞かせたのだろうか ? ? ? 雪明りの中に空は暗く一筋の煙草の煙がらせんを描いて白く昇っていく.冷たい空気が流れて,らせんが凍えて消えていく.溜め息だけがそこに止まり温もりを求める.サラサラと雪が煌く・・・『主に依り頼み,その偉大な力によって強くなりなさい. 悪魔の策略に対抗して立つことが出来るように,神の 武具を身につけなさい.』(エフェソ6・10-11) エーメン
2003年01月06日
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【次女への思い】今は障碍を持つ次女が生まれる時に私は,秩父札所34ヶ所巡りに行った事がある.私は,それが達成された時に意を決してスキンヘッドになった事があった.そしてスキンヘッドになった翌日の朝の事をよく憶えている.私は後ろ髪を引く者からの脱却(だっきゃく)を掛けてその日の夜中に自分でハサミと髭剃り(ヒゲソリ)を持ち出して,自分の髪の毛を切り落とした.当時,私は若くして会社を経営し,妻や子との交流に行き詰まり始めていたからかもしれない・・・翌日の朝,長女が目を覚ますと私の頭を繁々(しげしげ)と見て恐々(こわごわ)と優しく擦ってこう言った.「だいじょうぶパパ~~ 痛くない~~」と寝ぼけ眼で小さい手が私の頭に優しく触れて,私は目覚めに涙を流していた.子供の手の温もりを頭で感じて「ホッー」と力み(りきみ)が取れたのを今も想い出す.今はそんな私もクリスチャンとなり,三人の子供達がいる.主の示す道と奇跡にまだまだ戸惑いを覚えて両手両足でヨチヨチと手探り(てさぐり)でベビーのようにゆっくりと前進している.(そう信じている.)2003年1月3日今日の夜はシンシンと寒い雨が降っている.葉の落ちた木々に氷の花が美しく咲いていた.街灯に氷柱(つらら)が幾つも煌めき揺れる.雨露(あめつゆ)に研ぎ澄まされては,身体を洗わられて艶(つや)やかに,木々にしがみついて光を御胸に受け入れて煌めいくクリスタルのように・・・エーメン
2003年01月05日
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【お正月】元旦の朝 晴れて風なし 平安に時満ちて 深い青空 海を想わす アーメン2003年1月2日今日,目覚めると雪が薄らと車の上に乗っていた.「明け方に雪が降ったのかぁ~」と大空を見上げる.青空は何所までも青く深く大海(たいかい)を想わせる.そして単純な家族は海へと車を走らせた.銚子に調子良く向い,銚子市場で魚を買って,美味しい刺身を食べて犬吠崎へと向う.子供達は興奮気味で狭い車中でも大ハシャギしている.そんな子供達に気を取られていたら,道に迷って,先は海の行き止まりの場所に出た.沢山の海鳥達が車の止まった目の前でホバーリング(空中に止まる)して羽ばたいていた.子供達は喜んだ,三歳の長男も車から降りて大きい目を凝(こ)らして冷たい海風に声も高らかに騒いでいる.鳥達は頭上で,そんな子供達を窺(うかが)知ってか,からかうように頭上と海を繰り返し行ったり来たりしている.車に戻り入ると幾羽かが車の頭上でもホバーリングをして見送ってくれた.車を走らせて,海岸道路に出ると白波激しく砂浜に打ち寄せている.岩に砕けている.車を又,止めて砂浜に階段を下りる.次女は怖がって,カギを閉めた車外にしがみついている.そんな次女の手を優しく引いて,浜辺に下りる階段まで来ると,彼女は手摺りにしがみついて砂浜を見て大笑いしている.砂浜では,妻と長女と長男が無邪気に波と追いかけっこをして遊んでいる.波は浜辺を登っては,砂浜に飲み込まれるように,沖へと帰って行く・・・薄らと夕日を背負う地平線・・・犬吠崎の灯台に光が燈(とも)った.お風呂に行こうと,犬吠崎京成ホテルへと向かい,ホテルの露天風呂で夕日を眺めて帰ってきた.帰りの車中では沈黙の祈りの中で子供達の寝息が密やかに零(こぼ)れていた.
2003年01月03日
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【アイデンティティー】未来のささやかな灯火(ともしび)に命の炎が支えられる。働きに命の油を注ぎ込んだ時に、スピリット(精神・活気・御霊)はアイデンティティー(主体性(作用を他に及ぼす))を築(きず)き共に働く。主の求める貴方への啓示(けいじ)は、高められる。身を清めて心を清めて、全焼(ぜんしょう)の祈りで礼拝する時、主に与えられるものは大きい。我が身にそんなふうに、受け止められる今日の元旦礼拝だった。2003年の「ベテスダ・柏」のビジョンが有るように思えた。「でも・でも・・・」 ↑↑↑ この疑いが、いけないよなぁ~~~主を見詰めて信ずる事なのだと心は分かっていても、頭の中には、否定(ひてい)と欠落(けつらく)に満ちた人間の考えが蠢(うごめ)いている。サタンが「チョットそこのお兄さん」と呼び止めて居るかのように・・・クリスチャン2年目の我が家は今年、どう働き,主にどう作り変えられて行くのだろうか???夜空に飛行機雲が白くボンヤリと浮かんでいる.まるで,何かを指し示す矢印のように・・・時は動き,月が満ち,月明かりにポッカリと浮かんで眩しく映る.流れる鏃(やじり)は何所を示すのか ! ! ! エーメンA HAPPY NEW YEAR !! ハレルヤー新年明けましておめでとうございます.今年も皆様との良きつながりと皆様のご健康をお祈り致しております.エーメン
2003年01月01日
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