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前巻発売からわずか2か月での続巻発売。 手に取ると、いつもより少々軽めの印象(頁数は前巻の1割減)。 帯には「フジテレビ系にて TVドラマ 7/16(木)スタート!」の文字。 本当なら、ドラマも佳境に差し掛かった頃の発売になるはずだったんですけどね。 ***第21話「巨人の肩」は、薬を処方された量より多く要求する患者たちのお話。ありがちなのは、処方された人が他の人に、譲ったり使ったりしてしまうケース。処方薬の方が市販薬より安く手に入ったり、手間が省けたりして便利と考えがちですが、薬は用法・用量を守らないとたいへん危険なもの……刈谷さん、今回もブレません。第22話「星に願いを」は、入院する自分を受け止めきれず、薬剤師や医師、看護師だけでなく、病院というものに反発する少年・海のお話。見舞いに来た祖父母にまで反抗的な態度をとる彼も、母親だけは別のよう。そして、言葉や態度とは裏腹の本音をのぞかせることに。第23話「果てしなき地平」は、みどりの大学時代の友人が集まって、千尋の結婚を祝うシーンからスタートし、それぞれの今後について語る展開に。自分には何の展望もないと感じたみどりは、笹の葉薬局勤務が決まった小野塚に会う。そして翌日、前十字靱帯損傷で手術入院している15歳の夏目紗由紀と遭遇。第24話「頼られる人」は、ドーピングを気にする紗由紀との関りや、スポーツファーマシスト認定を取ろうとしているハクに刺激を受け、みどりが「子供や若者に薬剤師を身近に感じてもらう布教活動」に目覚め、俄然やる気が出てくるというお話。第25話「新しい戦場」では、みどりが小児科病棟の担当を継続しながら、産休に入る鶴田さんの後任として、産科病棟も担当することに。鶴田さんの「出産は奇跡のような出来事だけど 幸福なものだけじゃないってこと心にとめておいてね」の言葉が、今後の展開を予測させます。 ***湿布薬が処方されるのは、上限で1回に70枚までと決まってるんですね。また、かかりつけ薬剤師やスポーツファーマシストのお話も興味深いものでした。そんな中、最も印象に残ったのが、産婦人科病棟の中の世界。次巻では、他の科では見られなかった人間模様が描かれていくことになりそうです。
2020.06.28
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昨年度まで、東京都世田谷区立桜岡中学校で、 10年の長きに渡り、校長を務められた西郷先生の著作。 様々な場面で取り上げられ、広く名前が知られるようになった同校ですが、 その在り様については、絶賛する声と同時に、批判的な声も聞こえてきます。 *** 本気の衝突や喧嘩を経て成長した子どもは、強いですよ。 なぜなら、「人間は必ずしも言葉と感情が一致する時ばかりではない」と 身をもって理解できるようになるからです。 たとえば、「バカ」と罵倒してきた同級生が、 「実はかまってほしいことを素直に伝えられないだけではないか」などと、 言葉の背景にある感情を察せられるようになります。 結果、最終的には無駄ないさかいは減っていきます。(p.26)現在の学校では、多くの場合、子どもたちがこのような気付きに至る前に、衝突や喧嘩は即座に中断されてしまいます。それ以前に、そういった事態にならないよう教師たちは常にアンテナを張っています。なぜなら、トラブル発生後の対処が遅れると、学校は強い非難に晒されるからです。 実際、1学期あたりに桜丘中学校を訪れる外部見学者は、 中学3年生のクラスを見ると、 「まだ中学生なのに自律的に動いている。高校生や大学生のようですね」 と褒めてくれます。 ところが、同じ見学者が1年生のクラスを覗いて絶句するのです。 「桜丘中の1年生は荒れている。しかも先生方は注意もしない」 ここからは教員と生徒の我慢くらべです。 外部から何と言われようと、踏ん張って叱らずにすませます。(p.212)実際には、教員と生徒の我慢比べだけでは済まないでしょう。きっと様々な方面から、様々な厳しい声が届いていたはずです。それを、「教員と生徒の我慢比べ」のように、教員や生徒に感じさせていた裏には、西郷先生の、言葉では言い尽くせぬほどの、並々ならぬ奮闘があったはずです。そして、先ほどの文章は、このように続いていきます。 すると、その積み重ねで、子どもたちが「本当に自由にしていいんだ」 と実感するようになるのです。 と同時に自分達に注いでくれる教員の愛情にも気づき始めます。 それに要する期間がだいたい1年、 遅くても2年生の夏休みが終わる頃には、驚くほど落ち着いてきます。 「試し行動」はなりを潜め、小学校で暴力的でみんなに嫌われていた子や 勉強を全然やらなかった子も自分の考えをきちんと持ち、 問題行動が出なくなります。 さらには、進んで学ぼうとしたり、 やりたいことのためにがんばったりするようになるのです。 それは見違えるほどの変化です。 教員たちも、こうした変化が毎年起きているのを知っていますので、 「この子たちは大丈夫」と教員同士で励まし合いながら、 ひとりひとりの成長を信じて待つことができるのです。(p.212)この落ち着くまでの期間を、どうとらえるかによって、この取り組みの受け止め方は、大きく異なってくることでしょう。1年から1年半という期間は、中学校生活全体の中で決して短いものではありません。およそ3分の1から2分の1にも至ろうかという、とてつもなく長い期間です。もちろん、その期間を経て、生徒たち一人一人が得るものは、とても大きく、その後の人生において、何物にも代えがたい価値あるものだと思います。しかし、そこに至る前の段階で、本当にしっかりと集中して授業に取り組んだり、肩の力を抜いて、楽しく学校生活を過ごせているのでしょうか?そのあたりの実態は、本著を読むだけでは伺い知ることが出来ませんでした。
2020.06.27
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たいていの場合、私は何冊かの本を並行して読み進めています。 この『暗黒のゲルニカ』を読んでいる時には、 マハさんの『やっぱり食べに行こう。』と村上さんの『やがて哀しき外国語』、 そして、中川さんの『至高の十大指揮者』をとっかえひっかえ読んでいました。 本作は、1937年から1945年にかけてのパリ、ムージャン、ロワイヤンと、 2001年から2003年にかけてのニューヨーク、マドリッド、ビルバオ、 そして、スペイン国内某所を舞台にしたお話なのですが、 これに、意図せず並行して読んでいた数冊の本が、見事にシンクロしていたのです。まず、『やっぱり食べに行こう。』には、マハさんが『暗黒のゲルニカ』の取材のため、スペイン国内5都市を旅して回った時の様子が記されていました。まぁ、これは別に驚くほどのことではありませんね。そして、『やがて哀しき外国語』は、村上さんが1991年初めから約2年半、アメリカのプリンストンに滞在した際に書かれたエッセイですが、その渡米直前、米軍がバグダッドをミサイル攻撃、湾岸戦争が始まったと記されています。この戦争こそが、本作で描かれている様々な社会情勢を生み出す契機となったのです。さらに、『至高の十大指揮者』に登場するトスカニーニ、ワルター、そして、フルトヴェングラーらは、まさにピカソが活躍した時期に、欧米各地で大活躍した偉大なるマエストロたち。そこで描かれている彼らの周囲に漂う空気感は、まさに本作と同じものでした。 ***スペイン内戦の最中、ゲルニカが空爆されると、ピカソはその怒りをキャンバスにぶつけ、その創作過程の一部始終を、恋人で写真家のドラ・マールに撮影させた。完成した作品は、パリ万博でスペイン館に展示された後、北欧やイギリスを巡回すると、戦火を避けるべく、ニューヨークのMoMAへと移されたのだった。1981年、スペインが民主主義国家として再出発を果たすと、その作品はスペインに返還され、レイナ・ソフィアで展示・管理されることに。その人類の至宝を、再びニューヨークに呼び戻そうとしているキュレーターがいた。それは、2011年9月11日の同時多発テロで、恋人を失った八神瑤子だった。 ***『楽園のカンヴァス』から始まった、マハさんだけが描きうる独自のアートの世界。それが確実に進化・発展した姿が、この『暗幕のゲルニカ』には見られます。『リーチ先生』や『デトロイト美術館の奇跡』は、その流れをくむものでしょう。もちろん、その他の流れに属する作品群も、私は大好きです。
2020.06.21
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田勢のヘッドで2点差に迫ったワラビーズ。 その田勢からのパスを希がスルー。 ボールを受けた類はゴールに向かって突進、そして上がってきた田勢へパス。 田勢の放ったシュートは、21番・藤江梅芽が体を張って阻止。 しかし、そのボールを拾った希は、ゴール前にキラーパスを献上。 そこに駆け込んだ白鳥が、遂にゴールネットを揺らして1点差。興蓮館は、15番九谷が希をマンマークして守備を固める。しかし、諦めず速攻でボールを前に運ぶワラビーズ。立ちはだかる九谷を振り切る希。試合はアディショナルタイムに突入し、これがラスト・ワンプレイ。希は11番来栖未加に止められるが、ボールを拾った周防が前進しながらディフェンスを引き付ける。そして、周防からノーマークの希へヒールパス。決定的場面と思われたが、そこへ九谷が喰らい付く。それでも希はルーレットで九谷を振り切り、ペナルティエリア内で再度のフリー状態。しかし、8番・夏目がレッドカード覚悟の捨て身のディフェンス。この一発退場で人数は10対10のイーブン、そしてワラビーズのPKに。プレッシャーのかかる場面、しかも10人で1試合を走り通し、ワラビーズは皆足がボロボロ。そんな中、PKを蹴ると手を挙げたのは希。そして、その結果は1994年ワールドカップ・アメリカ大会決勝でのイタリアの至宝、ロベルト・バッジョと同じものになった…… ***JKFBインターリーグ決勝戦は、興蓮館高校が5-4で蕨青南高校を下し優勝。試合が終わって、来栖が田勢に言う。 残念ね TVスタッフを連れて来るべきだったわ なんとしても この試合を放送してもらうのに田勢の後ろで、それを聞いていた希が言う。 やだよ 負けたとこ見られるなんてカッコ悪いその言葉に対し、来栖が言う。 あら そう?そして、来栖は思う。 この試合を見たら みんな フットボールに熱狂するのに みんな ナンバー8に 恋をするのに別の場所で、藤江梅芽が言う。 でも ビックリしたなぁ 日本にもまだ知られてない すごいフットボーラーが たくさんいるんだねそれに答えて、藤江宇海が言う。 そうだね あ でも当然よね だってこの国は ワールドカップを獲った国なんだもの ***今巻、スタート時の主役はキャプテン・田勢それから、来栖。で、最後の締めは希。でも、本当のところ、今巻はサッカー少女たち、みんな輝いてました!!
2020.06.20
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先日、職場の中でウロウロしていると、 ある部署に差し掛かったところで、突然声をかけられたのです。 「この人たち、村上春樹を知らないって言うんですよ。 まさか、あなたまで知らないなんて言わないですよね?」 そこで私は、「もちろん、よ~く知っていますとも。 村上さんの作品は大好きで、たいていは読んでいますよ。」と答えました。 でも、その場所を立ち去って、しばらくしてふと思ったのです。 あの発言、あれで本当に良かったのかな?確かに、私は、村上さんの長編は、おそらく全て読んでいるはずです。(『1Q84 BOOK1』より前は、こんな感じ。以後の作品は全て読了。)でも、翻訳されたものとなると……『村上春樹翻訳(ほとんど)全仕事』に掲載されているものの中でも、既読は数えるほど。じゃあ、短編やエッセイはどうなのか?調べなおしてみると、う~ん、まだ読んでないものが結構ありますねぇ……というわけで、反省の意味を込めて、未読作品をいくつか発注。そして、最初に読んだのが本著です。 ***「メンズクラブ」や「太陽」等のシリーズ広告に使用された短い短篇を集めたもの。表紙と挿絵は安西水丸さんで、1995年6月に刊行されました。1995年と言えば、『ねじまき鳥クロニクル 第3部 鳥刺し男編』が刊行された年。この作品のキャラクター・笠原メイは、本著の中にも登場しています。ちなみに、本著で登場する渡辺昇(ワタナベ・ノボル)は、安西水丸さんの本名で、『ねじまき鳥クロニクル』に登場するのはワタヤ・ノボルです。本著には37もの短い短篇が収められていますが、初心者はかなり戸惑うのでは?でも、これらは、ひょっとすると、このコンパクトなサイズの中に、村上ワールドが、ギュッと凝縮された作品たちと言えるのかもしれません。おそらく、これらは理解しようと思って相対してはいけないものたちなのです。多分。
2020.06.20
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「別冊文藝春秋」に、2007年7月号から2008年9月号まで連載され、 2008年12月に単行本として刊行、2011年には文庫化された作品です。 単行本刊行は『ランウェイ☆ビート』と同年ですが、 文庫化された年には、先日読んだ『まぐだら屋のマリア』が刊行されています。 また、文庫化の翌年2012年には、第8回酒飲み書店員大賞を受賞しています。 ***国内有数の再開発企業である東京総合開発株式会社で、シネマコンプレックスを中心とした文化・娯楽施設担当課長を務めていた円山歩は、10年の準備期間を経た巨大再開発プロジェクト着工を翌年に控えていながら、身に覚えのない噂が社内を駆け回り、プロジェクトから外されてしまう。辞表を提出したばかりの歩の元にもたらされたのは、父の手術・入院の知らせ。歩は両親に退職したことを伏せたまま、父のしていたマンション管理人業務を代行。その際、管理人日誌に、映画好きの父がその日観た映画の感想を書き綴っているのを発見。その中に、歩が先日観たばかりの「ニュー・シネマ・パラダイス」の感想があった。読後、そのページに挟まれていたチラシの裏側、白紙部分に歩は自分の感想を書き綴る。そして、そのチラシを元のページに挟み込んでおいたのだった。その文章を歩の父が、映画雑誌の超老舗・映友社のブログに投稿したことから、歩は映友社に勤務し、そこで評論を書くことになる。その後、歩たちがリニューアルした映友社のウェブサイト上に、歩の父・ゴウによる連載ブログ『キネマの神様』が掲載されることに。それは、たちまちのうちに評判を呼び、やがて英語版サイトまで作られる。ところが、ゴウの投稿に対し「Rose Bud」なる人物からの挑戦的な書き込みが始まった。 ***この後の展開は、本当にワクワク、ハラハラ、ドキドキもので、もう、頁を捲る手を止めることが出来ません。このあたりの感覚は、『ランウェイ☆ビート』にも共通するところで、この時期の、マハさんの筆の走りの絶好調ぶりを強く感じさせられます。そして、この作品については、エンディングも秀逸で、設定の甘さや理解・納得しがたい言動に起因する突っ込みどころも、ほぼ皆無。これまでに読んだマハさんの作品は、本当にハズレが無く、全て当たりばかりだったのですが、その中でも本作はピカイチの大当たりでした。巻末の、片桐はいりさんによる「解説」も素晴らしいので、是非一読を!!
2020.06.14
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様々な研究誌や会報、紀要、雑誌、新聞等に掲載された広田教授の文章や、 日大での講演、本著のための書き下ろしを加えて出来上がった一冊。 『教育展望』や『学校運営』『月刊教職研修』『日本教育新聞』等、 教育現場ではお馴染みのものに掲載された文章が多いです。 第1部は「中央の教育改革」、第2部が「教育行政と学校」、 そして、第3部が「教員の養成と研修」という、3つの観点から構成されています。 第1部と第2部からは、現在進められている教育改革の背景や、 それを突き動かしている政治の思惑がよく伝わってきます。 「生まれつきの能力」というのは、特別な障害を除いて誰にも分かりません。 にもかかわらず、「個に応じた教育」を早期の段階で始めると、 子どもたちの興味・関心や意欲は家庭環境に大きく左右されているので、 家庭環境の差が早期の学校選択に反映してしまいます。 レベルや内容の異なる教育、すなわち「分化した社会化」がなされていくことで、 結果的に一人ひとりの子どもの間の差異は増幅され、固定化されます。 まだ全国レベルでの分化の程度は進んでいませんが、 下手をすると、多くの子どもが小学校入学段階で将来が限定されてしまうような 教育制度にもなりかねません。(p.17)懸念されるような状況になることを、実は望んでいる人たちも存在する。そして、その状況をつくりだすべく改革が進められているのではないか……そんな風に思ってしまうのは、勘繰りすぎでしょうか。 学力が落ちていっているわけでもないし、教育内容への関心や意欲が低く、 家でもあまり勉強しない子どもたちを相手にして、 日本の学校は、国際比較で上位のスコアを維持している。 日本の学校の教員はよくやっている、というのが私の率直な感想である。(p.39)まさに、『FACTFULNESS』の世界。なぜ、逆方向のことばかり、足を引っ張る内容ばかりが広く喧伝されるのか…… 知識の有無は測定できるけれど、 抽象的な「〇〇力」なんてものは、簡単には評価できません。 評価すべきではないものまで評価しようとすることになったら、 教育の本質から離れてしまいます。(p.49)全く異論の余地がありません。何でも数値化し、評価しようとするのは危険極まりない行為です。 氏岡 国が緩やかに裁量を決めても、 地方行政の段階で締めつけが厳しくなっていくように感じられます。 広田 公教育が官僚制の末端に位置しているというベクトルと、 教育の専門性・自律性との間のせめぎあいなのだと思います。 近年は現場で問題が起きないように…… という上からの関与が厳しくなっていますが、 行政は現場を管理しすぎないでほしいし、 校長は、行政の下請けにならずに、 現場の教員の自主性と裁量を尊重する存在であってほしいです。(p.56)行政側からすると、校長なんて一介の課長にすぎません。そんな分際で上級行政職に逆らうなんて論外、と思っているはずです。さて、何と言っても、本著が優れていると私が感じたのは第3章。学校に関わるものは、ここだけでもぜひ読んでほしいと思いました。 日本の教員の仕事は意外なほどチーム労働である。 教育以外の分野の研究者と議論して、 なかなか理解してもらえないのは、この点である。 政治学の専門家でも経済学の専門家でも、自分が受けてきた教育を思い出すとき、 教壇に立つ授業中の先生の姿だけを思い浮かべているらしい。 だから、個人を単位とした評価・競争の徹底をやれば、 教育の質が向上するはずだ、と思い込んでいる。 実は、教員の仕事の重要な部分は、教員集団のチーム労働や、 メンバー相互の協力によって支えらえてきている。(p.200)このあと、著者は現場の様子を3つの側面から述べています。まさに、これが教員の世界であり、「こうあらねば」と思わされます。 このことを私は「教育の不確実性」と呼んでいる。すなわち、 ①教育を受ける側は、教育に対して、 常にやり過ごしたり離脱する自由を持っている。 ②教育を受ける側は、教育する側が意図したものと まったく異なることを学んでしまう可能性がある。 ③教育の働きかけは、相手(と相手の状態)によって、 まったく異なる結果が生じてしまう。 ④それゆえ、教育に失敗はつきものである。(p.222)これも素晴らしい。まさに、これが「教育」ですね。
2020.06.14
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先日読んだ『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』の 第6章「美のモノサシ」で、ここ数年でマツダのイメージが大きく変わった、 現在のマツダは、日本の自動車市場においてはじめて、 世界水準でトップクラスのデザイン力を持つに至ったと記されていました。 そのデザイン面での躍進を支えいるのが、前田勇男氏のリーダーシップであり、 その到達点が「魂動:Soul of Motion」というデザイン哲学とのこと。 私は、このような変化に全くと言っていいほど気付いていませんでした。 そこで、近年のマツダの変貌を知るため、本著を手にしたのです。 ***本著は、日経ビジネス編集部シニア・エディターの山中浩之さんによるマツダの元会長・金井誠太さんへのインタビューをまとめたもの。金井さんは、車両設計が専門の生粋のエンジニアで、どん底だったマツダを立ち直らせ、フォードの支配から脱出させた人です。 大組織で、大勢の人が関わる仕事だと、 途中からやりなおすのはものすごい手間と時間とコストがかかります。 「今回はもう無理だ。次のモデルチェンジのときに最初からやりなおそう」、 という発想になる。だから「オールニュー」。 でも、またまた最初によく考えていなかったら、同じことになってしまう。(p.49)これは、金井さんの言葉。「最初によく考えること」の重要性を述べています。 じゃあ、最初からムダな仕事が起きないためにはどうするか。 仕事はまず「P」に重点を置くべきです。 しっかり考えて、あとは淡々と実行していけば成果が上がる、これが理想です。 始まる前に重点を置く。こっちは「PDマネジメント」ですね。(P.63)これも、金井さんの言葉。言っていることは先ほどと同じで、「始まる前にしっかり考えること」がポイント。 「考えて間違うこと」は、罪じゃない。 「考えないで始めること」と、 「間違えても手を打たないこと」が罪なんです。(p.65)そして、これが金井さんによる極めつけの一言。「まさに!!」ですね。 現場に無理難題が降ってくる時点でその計画は失敗であり、 やらなくてもいい仕事をさせられただけなのに……。 「英雄の誕生とは兵站の失敗にすぎない」という言葉を思い出す。(p.66)これは、著者の山中さんが、まとめのページに書いたもの。ちなみにこの言葉、林譲治さんの『星系出雲の兵站1』の帯に書かれていました。 つまり「いいものをつくれば売れる」ということですか? いや、そんなことは思っていない。 「いいものをつくらないと売れない」とはおもっていますよ。(p.260)これは、山中さんの問いに金井さんが答えた部分。山中さんは、この後(またやられた、と思っている)と記しています。さて、本著を読むきっかけとなった前田勇男氏ですが、金井さんが技術畑の人だけに、登場シーンはごく限られています。それは、2010年にミラノで「魂動デザイン」を発表した時に、靭(SHINARI)というコンセプトカーの評判が良かった時のお話。 金井 そこで「アテンザ、もうちょっとシナらせたいよね」と、 マツダの「だだっ子三人衆」が言い出した(笑い) - だ、だだっ子三人衆。 金井 デザイナーの前田(育男氏、現常務)と、例の藤原(清志氏、現副社長)、 そして毛籠(勝弘氏、現専務)。 そりゃ無理だろうとこっちも最初怒ったけど、 じゃあ、やるか、シナらせようとデザイナー陣をはじめ全員が頑張って、 やり替えた。もちろん、その後の新世代車種群も 一斉にシナらせることになりました。(p.270)マツダのデザインや、前田氏について詳しく知りたいのなら、本著あとがきの「参考図書リストにかえて」に示されている前田氏自身の手による『デザインが日本を変える』の方が良かったかも。
2020.06.13
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2011年7月に刊行された作品です。 私がこれまでに読んだ作品で言うと、 『本日は、お日柄もよく』(2010年8月)の約1年後、 『でーれーガールズ』(2011年9月)のちょっと前に刊行されています。 ちなみに『楽園のカンヴァス』と『旅屋おかえり』は2012年、 『総理の夫』が2013年、『翔ぶ少女』が2014年に刊行されています。 こうして見ると、『楽園のカンヴァス』だけ微妙に立ち位置が違う気がしますが、 その他は、本著も含め、デビュー時から見られるマハさんらしい世界観の作品ですね。 ***東京・神楽坂にある日本料理最高峰の老舗料亭『吟遊』。しかし、そこで料理の使い回しや、賞味期限切れ食材の使用、さらには、販売商品の産地偽装や賞味期限シール貼り換えまで行われていたことが、内部告発により発覚すると、19歳の使用人が自死する事態へと発展した。20歳からの5年間『吟遊』の板場で下積み生活を続けてきた及川紫紋は、決して自らが殺人や窃盗を侵した犯罪者ではなかった。しかし、間接的に後輩を死に追いやり、社会を欺いたことの罪の大きさに苛まれる。そして、死に場所を求め、始発の港町から長い海岸線を走るバスに乗ったのだった。降り立ったのは「尽果」というバス停。その先の崖っぷちに建っていたのが『まぐだら屋』という食堂で、その料理人・マリアは、紫紋の要望に応え食事を振る舞う。そして、これを機に、紫紋は『まぐだら屋』で働くことになるのだった。 ***その後、『まぐだら屋』の前で行き倒れになっていた青年・丸狐が再生していく様や、『まぐだら屋』の経営者である女将とマリアとの間の確執の理由が描かれていきます。そこには、マリアの実家の家庭環境と、高校の担任教師・与羽が関係していました。そして最後には、紫紋も、また新たな一歩を踏み出していくことになるのです。小川さんの『食堂かたつむり』とは、また一味違った食堂の物語。どちらも、それぞれの持ち味が十分に出ていて、素敵です。そして、『翔ぶ少女』を読んだ時と同じように、この作品でも、「風」の描写に感動させられました。最後に、その部分を紹介しておきます。 紫紋はゆっくりと起き上がり、しみだらけのカーテンを開けた。 隣の雑居ビルのベランダが見えた。 物干しピンチにぶら下がった雑巾が一枚、薄汚れた長方形を風によじらせている。 強く吹きつけているのは海風にちがいない。(p.11)
2020.06.13
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2007年9月から11月にケータイサイト「デコとも」で連載され、 その後、2008年1月に単行本発行、2010年11月に文庫化された作品。 『カフーを待ちわびて』で第1回日本ラブストーリー大賞受賞したのが2005年、 その他にもいくつか作品を既に発表した後の、ケータイサイト連載に少々驚き。 しかも、作品のワクワク感は半端ないです。 これまで私が読んできたマハさんの作品の中でも、トップクラス。 『楽園のカンヴァス』以降の作品に見られる際立った独自性は、まだ見られないものの、 アートへの造詣の深さは随所に感じられ、流石と思わされました。 ***甲府から東京の青々山学園に転校してきた溝呂木美糸、高校2年生。かつて銀座のテーラーで修業し、首相のスーツを作っていたという祖父・善服と、世界に通用するブランドを作ろうと会社を立ち上げた父・羅糸をもつ。そんなDNAを受け継いだビートのファッションセンスは言わずもがな。同級生になった塚本芽衣や秋川杏奈のをおしゃれ感覚を目覚めさせ、いじめられっ子だった犬田悟をイケてる男子に大変身させると、超人気モデルでクラスの女王様だった立花美姫の態度も激変。イイ感じ……と思ってたところへ、校長による今年度限りの廃校宣言。理由は、企業が開発事業を進めるための、学校及び周辺地域の土地買収。そんな学校の危機を救うべく、ビート達は学園祭でファッションショーを開催。目立つイベントを仕掛けて、マスコミを味方につけようという作戦。仲間の頑張りと周囲の支援でショーは大成功、廃校中止が決定した。その後、立花美姫のもとに、業界大手企業から専属モデルのオファーが舞い込む。しかし、その企業の名物社長・安良岡覧は、羅糸のライバルであり、そのデザイナー・パク・ジュンファも、羅糸とは大いなる因縁の物。美姫はオファーを断ろうとするが、それが出来ない事情を突きつけられてしまう。一方、ビートと悟は、自分たちのブランドを立ち上げるという目標に向け、善服の指導の下、修業を積み重ねていく。そして、日本を代表する若手デザイナー・南水面とデザインユニットを組んで、羅糸の会社の新ブランドとして、東京コレクションにいよいよ出展することに。 ***塚本芽衣、立花美姫、犬田悟、南水面、そして塚本芽衣。お話を進めていく語り手、その視点は次々に変化していきますが、とてもスムーズ。そして、ビートときららと芽衣、美姫と悟、水面とパクの恋の行方や、羅糸と安良岡覧との対決等もしっかり描かれていて、中だるみは一切なし。マハさんの作品を語るうえでは、ぜひ読んでおくべき一冊ですね。
2020.06.06
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