2006年02月03日
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テーマ: たわごと(27382)
カテゴリ: 雑考生活



人の顔を思い出そうとする時、顔の中で一番重要な構成要素はやはり眼である。眼を中心に周辺のイメージだけは思い浮かぶが、じゃあ鼻の形はどうだったかとか、耳や口はどんなだったかといわれると意外とあまり思い出せない。ホクロの有無なんかも、本人は結構気にしていたりするが、実は他人はあまり覚えていなかったりする。
同様に、顔写真なんかで匿名性を保とうとすると必ず眼に黒い線を入れるのがお約束になっているが、確かに耳や鼻を黒く塗ってもなんだかワケがわからないだけだが、眼を隠すだけで途端にそのヒトが誰だかわからなくなってしまう。

よく、「話をする時は、相手の眼を見なさい」などと言われたものだが、実際は相手の眼など始終凝視していられるものではない。ヒトの眼は怖い。何が怖いかというと、眼というのはたまたま顔の中にある相手の心の入口のようなもので、相手の眼を見ればそのヒトの考えていることが何となくわかってしまう気がする一方で、自分の考えていることも相手に読みとられてしまっているのでは、という恥じらいというか恐れのようなものがあり、実際誰かと話す時には一定のタイミングで視線を合わせたり逸らしたりというのを、本能的に計りながらやり過ごしているものである。

ワタシは昔からかなり眼が悪くて、裸眼では確か0.02ぐらいなのだが乱視も入っているのでなかなか相当なものである。普段はコンタクトを常用しているので問題ないが、以前一度、コンタクトを着けない状態で夜のネオン街に立ったことがあるが、色とりどりの光が複雑に滲んでやたら幻想的な光景であった。先日、眼が悪かった会社の後輩がレーザー手術を受けて見事に視力回復したのだが、そればっかりは怖くてたぶん一生やる勇気がない。

以前から、「こんなのできたらいいな」と思っているもののひとつに、(自称)『アイ・カメラ』というのがある。要は、記録に残したい対象物をいちいちデジカメなんかを構えて撮影するのではなく、自分の眼で見たそのままが画像になって記録できるようになればいいのになぁ、というものである。まぁそれを実現しようと思うと、脳幹に電極を埋め込んだり、こめかみあたりにUSBポートを取り付けたりしなければいけないだろうから、かなりサイバーパンクな状態になってしまうよなぁ。

なんてことを電車の吊革を持ったままホゲホゲ考えていたら、いつの間にか駅に着いてしまった。

ワシだーれだ。







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最終更新日  2006年02月04日 00時51分49秒
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