2006年03月17日
XML
カテゴリ: 雑考生活



先日、たまたま『おとなの小論文教室。』(山田ズーニー著)というのを読んでいたら、ちょうどこのテーマに近いくだりがあり、なかなか良いことが書いてあった。
自分の進路について壁にぶちあたったとき、つい「自分の好きなことが必ずどこかにあって、自分はそれにふさわしい才能を持っているはず。なのに、それが何だかわからない。」という思考に陥りがちであると。しかし、「誰にも個性があって、誰にも能力が与えられている、なんてことに期待しすぎてはダメ」である、と。では、どう考えるべきかというと

「才能は自分の中になく、社会の中にある」
「才能は自分の中になく、他者の中にある」

つまり、ある種の才能の発見というものは、そのヒト個人の中で完結する話ではなくて、世の中がそれを認めることによって初めて成立するものである、ということ。まぁ言やぁ「個人の才能」以前に、「個人の存在」そのものが他社との相対関係の中でしか成立し得ない、というのと同じなんだけど。
ま、いいや、えーと「才能」の話に戻すが、だから、「自分の才能がどこにあって、何に向いているかわからない」と嘆いているヒトたちは、要するに今まで「自己完結の人生」を選んできた。つまり「内に閉じていた」。「外」に向かって自己を確認するためのアウトプットが少なかったので、確認のすべがなかったということ。

自分の中に、もともと個性はない。
自分の中に、もともと才能はない、としてみる。
自分の個性は、人に出会って、関わって、自分の価値を認めた相手の中にあると考えてみる。

つまり、嫌でも面倒でも、他者との関係を築く中でしか「自分の個性」「自分の才能」についての発見はないのである。ということで、「自分はいったい何をやりたいのか、さっぱりわからない」と言っているヒトは、まずは「積極的に他者と関わる」というところから始めるしかないのである。

ちなみにこの『おとなの小論文教室。』だが、ワタシがかつて受験生だったころちょうど「小論文入試」があちこちで導入され始めたハシリで、ワタシ自身も「小論文一発で楽にどこか入れないかなぁ」なんて甘いことを考えつつ、小論文のノウハウ本を読み漁ったことがあるが、この本はその手の具体的な書き方の技術解説書ではない。当たり前の話ではあるが、「面白い小論文を書こうと思えば、小手先の文章技術ではなくて、人間としての面白みを磨かなきゃ書けないよ」と言っているのである。

この本には、そのための生き方のヒントみたいなものが著者の苦悩の経験を引き合いに出しながら、書かれている。「おとなの…」とは言うものの、新社会人になりたてのヒト向きかな。
(※peachmamaさん、教えてくれてどうもです。)









お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2006年03月21日 00時57分25秒
コメント(6) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

キーワードサーチ

▼キーワード検索

コメント新着

郡山ハルジ @ 出たな真打 どんとが死んで中島らもが死んで、ちょっ…
放浪の達人 @ Re:ヒッピーに捧ぐ(05/03) 心斎橋さんが生きてたことにビックリしま…
トイモイ @ ぼくが ひそかに、むすめに絵を教えたのがばれた…
郡山ハルジ @ Re:ドクター・パッチを知ってるかい(02/04) 親に隠れてドクタートイモイのブログを見…
心斎橋ワタル @ Re[1]:恐るべき老人たち(02/03) ナッチ(*^-^)さん >インドから続きを何…

カレンダー


© Rakuten Group, Inc.
X
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: