世界で一番愛する人と国際結婚

冬のソナタ NY~ソウル 1


冬になると、必ず思い出す淡い恋がある。


韓国人男性、ブルー。



今から5年前、2000年の12月の暮れ、
私とブルーは、ソウルのロッテホテルのロビーで
8年ぶりの再会を果たした。


彼は少し太って貫禄づいて、なんだか急激に大人の男になっていた。


12月の夜のソウルは、凍てつくような寒さ。
彼はすぐに私を車に乗せ、運転しはじめた。
曇ったフロントガラスから、細い細い雪が見えた。


しばらくして彼は、自分の右手の指を私の左手に絡めてきて、


私達はしっかりと手を握り合った。



私の頭の中で、8年前に一緒に唄った音楽が鳴り始めた。

フランシス・レイの『ある愛の詩』が。




1992年12月 クリスマスイブの夜 私達は冬のNYにいた。


私とブルーは、雪がチラチラ舞うセントラルパークを、
しっかりと手をつないで歩いていた。


『ある愛の詩』を英語の歌詞で一緒に唄いながら。

(絶対に笑われると思いますが、本当の話です。)





私とブルーとの出会いは、その数ヶ月前の9月だった。
NYに留学した私は、最初の4ヶ月間大学の寮に入り、
大学の付属のESLに通っていた。


そこは、男女別のベッドルーム棟が2つあり、2つの棟の真ん中に
キッチンやリビングがあり、そこを抜けて、2つの棟が行き来
できるような作りになっていた。


寮に入って間もない頃、リビングで本を読んでいると、
初対面のアジア系の男の子が声を掛けてきた。


「今、ヌードルを作ったのですが、食べきれないので、
一緒にどうですか。」


“辛”という名前の辛くて美味しい韓国のラーメンで、
今でこそどこにでも売っているが、
私はその時”辛”を初めて食べたので、
「すごく美味しい」と連発していた。


彼は大喜びして、「明日も作ります。」と言ってきた。


彼の名前はブルー、韓国人。


いかにもお育ちのよさそうな、感じのいい青年。
英語が堪能だったので、ESLの学生だというのが意外だった。


翌日、クラスがスタートすると、ブルーが入ってきた。
彼は私を見つけると、すぐに私の隣に座った。


同じクラスとは言え、ソウルの某一流大学の現役大学生で、
NYの前はロンドンに留学していた彼のほうが、
私より英会話力は上だった。


彼は何かと私の世話を焼きたがった。


頼んでもいないのに、何かの用事の度に私に付いて来た。


そして、私の部屋に“辛”を持ってきては、
一緒に食べようと言った。


「今日は韓国語を教える。」


「今日は、僕の家族の写真を見せたい。」


何かしら言い訳を作っては、毎日私の部屋にやってきたり、
食事に誘ったりしてきた。


私は当時、日本に日本人の恋人がいた。
彼は、ほぼ毎日のように大学の寮に電話をくれ、
手紙も週に一度は届いていた。


ブルーにもそのことを話したし、私は彼のことを
仲のいい友人か、私を慕ってくれる弟のように思っていた。


私達が出会って1ヶ月が過ぎた頃、ブルーが私を街のバーに誘った。


21歳の誕生日を迎えた彼は、アメリカのバーで
お酒を飲んでみたいのだと言う。

*アメリカのバーはIDの提示を求められ、NY州は21歳未満は飲酒禁止です。



彼は強かった。スコッチを何杯も飲んでいた。
でも、どうしても酔えないと言う。


そして、その帰りに、寮で別れる時に突然言われた。


「I love you. Be my girlfriend.」


私は、少し驚いたが、彼の真剣でストレートな眼に
引き込まれていってしまった。



つづく


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