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オウム真理教が事件を起こして捜査が開始された時、警察庁長官が狙撃されるという事件も起きて、これはオウムによる警察への報復に違いないという報道がなされ、世間ではみんなそう思ったのであったが、結局これは警察が総力を挙げて捜査したが犯人検挙に至らず、時効となってしまった。にも関わらず、警察はホームページに、証拠もないのに「あれはオウムの犯行だった」と勝手に書いて発表したため、関係者に名誉棄損で訴えられて敗訴したと、前代未聞の事件の顛末を、16日の東京新聞は次のように報道している; 公訴時効が成立した警察庁長官銃撃事件で、警視庁が「オウム真理教の信者グループによる組織的な犯行」と捜査結果を公表したことで名誉を傷つけられたとして、教団主流派「アレフ」が東京都と当時の池田克彦警視総監(現原子力規制庁長官)に計5千万円の損害賠償などを求めた訴訟の判決が15日、東京地裁であった。石井浩裁判長は「公表は重大な違法性がある」として、都に100万円の支払いと謝罪文の交付を命じた。=関連28面◆アレフ名誉毀損を認定 判決は、検察が不起訴にした信者について、警視庁が事件に関与したと断定して公表したことを「無罪推定の原則に反するばかりでなく、刑事司法制度の基本原則を根底からゆるがすもの」と厳しく批判した。 アレフの教団施設に対する住民の反対運動などを挙げ、「オウムとアレフが実質的に同一の団体であると一般的に認識されているのは明らか」と指摘。公表によって「アレフがかつて組織的・計画的に狙撃事件を実行した宗教団体だとの印象を受ける」として、アレフの社会的評価が低下し、名誉を毀損(きそん)したと認めた。 一方、「公務員個人は民事上の損害賠償責任を負わない」との理由で、池田氏個人への請求は退けた。 公表内容が真実だったかどうかや、真実と信じた相当の理由があったかどうかは、警視庁側が主張せず、争点にならなかった。 判決によると、警視庁は元長官に対する殺人未遂罪の時効が成立した2010年3月30日、記者会見で「オウム真理教の信者グループが教祖の意思の下に組織的、計画的に敢行したテロ」と発表。捜査結果の概要を約1カ月間、同庁のホームページに掲載した。 事件は、1995年3月30日朝、出勤のため自宅マンションの通用口を出た当時の国松孝次長官が銃撃され、瀕死(ひんし)の重傷を負った。【 解 説 】司法手続き無視に警告 警察の容疑者逮捕と検察による起訴を経て、被告人の反論の機会が保障された刑事裁判で黒白をつける。そんな刑事司法の手続きを全て無視して、立件しないまま犯人を特定し、公表した警視庁の姿勢に、裁判所が強い警告を発した。 オウム真理教は反社会的な団体であり、教団から派生したアレフは、団体規制法に基づき、現在も公安審査委員会から観察処分を受けている。だが、ことはアレフだけの問題ではない。このような対応がまかり通れば将来、捜査当局から標的にされた他の団体にこの手法が恣意(しい)的に利用されかねない。 判決は「金銭賠償のみによって、社会的評価を回復することはできない」として、賠償金の支払いだけでなく謝罪文の交付まで命じた。名誉毀損(きそん)訴訟で、ここまで踏み込む判決は珍しい。 石塚伸二龍谷大法科大学院教授(刑事法)は「社会通念上からいっても、警察の対応はアンフェアだ。国家機関はそのようなことをするな、というメッセージだ」と指摘する。警察は裁判所の警告の意図を真摯(しんし)に受け止めるべきだ。 (横井武昭)2013年1月16日 東京新聞朝刊 12版 1ページ「『オウム犯行』公表違法-都に賠償、謝罪命令」から引用 違法行為を取り締まる立場の警察が、証拠もないのに「犯人はあいつらだ」などと勝手に推測してホームページに書いたのは、公的機関として落ち度であった。当事者にはよく反省してもらいたい。
2013年01月31日
原子力安全・保安院とはうって変わって、原子力規制委員会は経済産業省から睨まれることもなく、公正な立場から科学者の専門知識を基にした根拠のある安全基準を打ち出そうとしている。この基準で全国の原発を再審査するとなると、半年や一年では終わらないし、今稼働している大飯原発も今年中には定期検査で止めることになっているので、また稼働原発ゼロの日がやってくる。15日の東京新聞は、次のように報道している; 原子力規制委員会が原発再稼働の条件となる新しい安全基準を今年7月までに決める。だが、新基準ができても、再稼働はさらに先に延びそうだ。新基準を基に電力会社が補強工事を計画→規制委が計画を審査→工事に着手-というステップを踏まざるを得ないためで、今秋、再び「原発ゼロ」となるのは必至。何度も原発ゼロを繰り返すうちに「原発不要論」に一段と拍車がかかりそうだ。 (加藤裕治) ◇半年超 「電力会社から申請があっても、3、4日でOKとはいかない。一基の審査に半年、一年はかかる」。規制委の田中俊一委員長は今年最初の9日の記者会見でこう語った。 田中氏が言う申請とは、原発の重要な設備に大幅に手を加える場合に不可欠な「変更申請」手続きのこと。 新基準では、(1)電源喪失対策の強化(2)航空機が衝突しても安全を確保(3)テロ対策(4)格納容器のベント(排気)を迫られても、汚染蒸気を浄化してから排出するフィルタつの設置-など数々の対策が求められそうだ。 一部の項目は完了するまでの猶予期間が設けられる見込みだが、再稼働のためには新基準の全てを満たすことが必須。電力会社は対策工事を規制委に申請し、ようやく工事に取りかかる。この時点で、既に来年になっている見込み。 唯一稼働中の関西電力大飯原発(福井県おおい町)3、4号機も今年9月には定期検査に入り、再び原発ゼロになる。 ◇難工事 新基準に基づく工事も難しく、大がかりなものになり、長期化が予想される。 ベントフィルターを設置するには、分厚い格納容器に穴を開ける非常に難しい工事が必要になる。航空機衝突対策では、原子炉からやや離れた場所に頑丈な建屋を建設し、制御室や非常用電源、原子炉の冷却装置を備えることが検討されている。 工事には一基当たり100億円単位のカネがかかるとみられ、規制委の事務局職員からは「経済的に見合わないと判断し、再稼働を断念する電力会社もあるのではないか」との声も聞かれる。 新基準で再稼働のためには何が求められるかによって、電力会社の経営にも大きな影響が出る。このため規制委の新基準検討チームの会合には毎回、黒や紺のスーツ姿の電力会社の社員らが多数傍聴に詰め掛けている。 ◇長期化 国内に50基ある商業用原発のうち、早めに審査が進みそうなのが、活断層などの問題を抱えていない九州電力玄海原発(佐賀県玄海町)。それでも来夏前に対策工事まで完了するかどうかは微妙な状況だ。 その他の原発は審査に時間がかかる見込み。特に多数の活断層があると指摘される福井県・若狭湾の原発では、大規模な対策工事が必要になる可能性がある。 規制委は「国民の安全が最優先」との理念を掲げ、田中氏は3年以内に全原発の審査を終えるのは不可能との見通しを示している。原発ゼロ、動いてもわずかという状況は来夏を超えて長期化すると予測される。 関電のように、原発依存度が高い電力会社は今後、追加の電源確保を迫られるのは避けられず、コスト削減などの合理化努力も求められる。2013年1月15日 東京新聞朝刊 12版 3ページ「原発 遠い再稼働」から引用 この記事が示すように、今年の秋には再び稼働する原発はゼロになる予定であるが、はたして日本の財界は、そのような事態を許すであろうか。常識的に考えれば、それは当然、規制委員会の決定を尊重して国民の生命を守るために、2年でも3年でも時間をかけて、必要な経費を支払って、規制委員会が決めた安全確保策を実行するはずであるが、しかし、わが国の財界やその傀儡である自民党政府は、国民の安全よりもカネを優先する傾向が感じられるので、ひょっとすると参議院選挙で自民党が勝利したあかつきには、総理大臣の職権で規制委員会のメンバーを総入れ替えした挙句、既存の原発は無条件で再稼働を許可するということになる危険性は十分にあると私は思う。もちろん、いくら自民党でもそんな無茶はできない、規制委員会の決定は絶対だ、という道を選択することを願ってはいるのだが、・・・。
2013年01月30日
与党は消費税増税の不満をかわすために、富裕層への増税を決めたと、15日の東京新聞が報道している; 自民、公明両党は14日夜、東京都内で税制調査会幹部による与党税制協議会を開き、所得税と相続税の最高税率を2015年1月1日から引き上げることで合意した。与党は14年4月の消費税増税に向けて格差是正などを狙い、裕福な人へより多くの負担を求めることを決めた。 具体的には、所得税と相続税ともに、富裕層が対象となる最高税率の引き上げが有力。どの年収層を課税対象にするかなどの異体的な手法は引き続き議論するが、所得税は現行の最高税率40%から45%に、相続税は50%から55%に引き上げる方向で最終調整が進む見通しだ。 いずれも消費税率の引き上げに備え、富裕層に対する課税を強化する姿勢を鮮明にして低所得者の批判をかわすとともに、格差是正を図る狙いがある。 また、消費税増税の際の低所得者対策として導入を決めた、生活必需品の税率を低くする「軽減税率」は、公明党側が「穀類、めん類、生鮮品など基礎的な食料品から始めてはどうか」と提案。自民党には依然、8%段階からの実施は「準備が整わない」(同党幹部)との声が根強く、引き続き調整を重ねる。 14日の協議会では、消費税増税を控え、自動車や住宅の購入者負担を減らす案も議論。住宅については住宅ローン減税の延長に加え、購入者への現金給付を検討する案を軸に検討した。撤廃が検討される自動車取得税と自動車重量税は「地方や購入者に迷惑をかけない」(税調幹部)方針で一致した。 16日には、民主党との3党協議が行われる見通し。自公は今後も具体的な制度設計を急ぐ。2013年1月15日 東京新聞朝刊 12版 6ページ「富裕層増税 15年から」から引用 税金は能力に応じて負担する、これが民主的税制の基本であるから、与党の決定は当然である。「税負担は富裕層に」と書くと「富裕層攻撃は貧乏人の嫉妬だ」などという反論が出ることもあるが、下衆の勘ぐりである。まあ、自民党と公明党のやることだから、抜け穴は用意されて、税収増の効果は無かったという残念な結果になるかも知れないが、もしそうであっても、為政者として民主税制の基本をわきまえていることを、国民に明示できただけでも有意義というものだ。
2013年01月29日
わが国憲法は国際紛争を解決する手段として武力を用いることを禁止しているのであるが、これを無視してやろうというのが、安倍首相が言明している「集団的自衛権」の行使である。字面では「自衛権」だからいいのではないか、という安易な雰囲気を漂わせているが、実際には、これが容認されれば、日本に関係ない戦争にも自衛隊が参戦するということになる。元々自衛隊は「専守防衛」の名目で設立されたのであるから、「集団的自衛権」は明らかに自衛隊の主旨に反している。ルポライターの鎌田慧氏は、次のように指摘している; 米国はいうまでもなく、世界最強の軍事大国である。その世界一強い軍隊と一緒に戦争をするのが、いま安倍普三首相がやりたがっている「集団的自衛権」行使である。 自分の国に関係のない戦争にでも、約束に応じて、出かけていくことになりかねないのだから、「集団的攻撃義務」というほうがより正確だ。 けんかに強い男の尻馬に乗って相手を攻撃するなど、わたしのもっともしたくないことである。「助っ人」するなら弱い者にすべきで、強い者に加勢するのは卑怯(ひきょう)な迎合である。「集団的いじめ」そのものだ。 「集団的自衛権」は、日本側が考えたことではなく、米国側の要請である。先方は十分ひとりでも戦えるのだが、経費削減と孤立化を防ぐため、「同盟国」に下請けさせるという屈辱である。 日本は憲法で「武力行使はしない」と誓っている国である。「自衛」は認める、と解釈されたにしても、武力行使までのハードルは非常に高い。まして外国に出かけて戦争など、最悪の選択だ。 オバマ大統領との2月の面会で、戦争への加担を約束してきそうな、右派純粋培養の首相に不安感がいっぱいだ。首相も麻生太郎副総理もひとの痛みを知らない、無邪気なエリートで、心もとない。 米国の戦争に参加して、最初に死ぬのはだれか。最初に殺すのはだれか。 (ルポライター)2013年1月15日 東京新聞朝刊 11版S 23ページ「本音のコラム-最初の戦死者は誰か」から引用 創設されてから60年間、自衛隊はただの一人も外国人を殺すことは無かった。それもそのはず、わが国は平和憲法の下、どの国とも交戦状態になることはなかったからであり、自衛隊も「専守防衛」を旨として活動してきたからである。もしここで、安倍首相の米国迎合策で「集団的自衛権」を容認することになれば、この良き伝統は崩壊する。そんなことを国民として許すわけにはいかない。
2013年01月28日
ウソを千回繰り返してホントにすることを企んでいるのか、2007年にアメリカに呼び出されて慰安婦に対する謝罪をしたいきさつは忘れたのか、性懲りも無く河野談話見直しを口走る安倍首相を、年明けのニューヨーク・タイムスは厳しく糾弾したが、日本の大手メディアは沈黙している。しかし、「しんぶん赤旗」日曜版は、次のように報道した; 「安倍氏の恥ずべき欲求」-。安倍晋三首相が最重要視する同盟国・米国の有力紙ニューヨーク・タイムズが新年早々、安倍氏を手厳しく批判する異例の社説(3日付)を掲載しました。世界とアジアの目には、安倍政権のとんでもない暴走が鮮明に見えているのです。 田中一郎、田中倫夫記者 「恥ずべき欲求」とは-。安倍首相が産経新聞のインタビュー(昨年12月31日付)で語った、2つの「談話」の見直しです。 標的は、(1)日本の植民地支配と侵略に「心からのお詫(わ)び」をのべた村山雷市首相の談話(1995年)(2)「慰安婦」問題で旧日本軍の関与と強制を認めた河野洋平官房長官の談話(93年)。とくに河野談話については、「慰安婦」の「強制連行」を示す資料はないとし、それを「加味して内閣の方針」を示す。「未来志向の安倍内閣」の談話も出す-というのです。 世界に衝撃が走りました。ニューヨーク・タイムズは「日本の歴史を否定する新たな試み」と題した社説で「過去の偽造」と断定。「歴史に関する周辺国の批判を正面突破」(韓国紙・東亜日報)するものとして韓国、中国、英国でも批判されました。◆憲法9条も標的 歴史だけでなく、憲法9条も標的です。日本が二度と「侵略国」にならず、世界平和に先駆的役割を果たそうと「国際公約」したのが憲法9条。その改定をねらう安倍内閣に国内外の批判が急速に強まっています。(4面のつづきは以下のとおり) 自民党と公明党の第2次安倍晋三内闇。侵略戦争への無反省、集団的自衛権行使、改憲…。早くもその危険性がむき出しになってきました。◆現閣僚4人も 日本軍「慰安婦」問題で「おわびと反省」をした河野洋平官房長官談話(1993年)の見直しを求める安倍首相。過去に何度も同じ言動を繰り返してきました。これは本音中の本音です。 昨年11月4日、米ニュージャージー州の地元紙「スターレッジャー」に、「慰安婦」問題を否定する意見広告が掲載されました。 ジャーナリストの桜井よしこ氏らでつくる「歴史事実委員会」名で出されたこの広告はこう主張します。 「女性がその意思に反して日本軍に売春を強要されていたとする歴史的文書は…発見されていない」「(「慰安婦」は)『性的奴隷』ではない。彼女らは当時世界のどこにでもある公娼制度の下で働いていた」 広告賛同者は、自民、民主などの国会議員39人。当時、自民党総裁に返り咲いたばかりの安倍首相のほか、現閣僚の古屋圭司国家公安委員長、稲田朋美行革担当相、下村博文文科相、新藤義孝総務相4人が含まれていました。同委員会は07年6月にも米紙ワシントン・ポスト紙に同様の意見広告を出し、内外の批判にさらされました。07年の反省なし 安倍首相は、第1次安倍内閣(06~07年)でも、同じ発言をして大問題となり、謝罪に追い込まれました。 07年1月、米下院で「慰安婦」問題で日本の謝罪を求める決議案が提出され、2月、元「慰安婦」3人(韓国人2人、オランダ出身者1人)が下院公聴会で証言しました。その直後の3月、安倍首相は「強制性を裏付ける証拠はなかった」と発言。同趣旨の答弁書を閣議決定(同)しました。 各国から非難が殺到。「(安倍発言は米国内に)破滅的な影響を及ぼす」と駐日米大使が警告し、中韓両国の外相、豪首相、シンガポール首相と、遺憾表明や批判の声が広がりました。 結局、安倍氏は4月の訪米で、ぺロシ下院議長ら米与野党の議会指導者と会談し、「河野談話」の継承と、元「慰安婦」へのおわびを表明せざるを得なくなりました。日米首脳会談でも「慰安婦」が人権侵害だったことを事実上認め、おわびしました。 それなのに、反省もせず、今回の発言です。 安倍民らが繰り返す主張は、「慰安婦」問題を狭い意味での軍の「強制運行」の有無にすり替える内容です。もちろん、こうした「強制連行」の証言もありますが、米議会をはじめ、各国が問題にした「強制性」の核心は、軍が管理する施設で、女性にたいする性の強要、暴行が組織的に行われたこと自体です。 元外務官僚の東郷和彦氏(条約局長、欧亜局長、オランダ大便を歴任)は、「(「強制連行」の有無は)この間題の本質にとって、まったく無意味」「日本国内でしか通用しないガラパゴス化現象」の議論と指摘しています。(『世界』12年12月号)◆右翼改憲団体の面々、ずらりそろった13閣僚 安倍政権の危険性は、閣僚の顔ぶれにも表れました。自民党の元衆院議員がいいます。 「右翼の『お友だち』内閣だ。問題発言を起こすのではないか。夏までもつだろうか…」 目につくのは、右翼・改憲団体の「日本会議」の国会版、「日本会議国会議員懇談会」の面々。閣僚18人中、麻生太郎副総理、谷垣禎一法相、岸田文雄外相などその数13人。第1次安倍内閣の12人を上回りました。 「日本会議」は、日本の侵略戦争は正しかったという歴史観に立ち、天皇元首化、国民の「国防の義務」などを明記する憲法制定を主張してきた団体です。◆9条改憲が狙い 安倍首相は、昨年の自民党総裁選のときから「改憲のための橋=国民投票法は(前の)安倍政権でつくった。いよいよ、橋を渡って新しい日本へ」と街頭演説していました。 政権交代後、(1)歴代政府が憲法違反としてきた集団的自衛権行使に道を開く(2)憲法96条を変えて、改憲発議に必要な要件を両院の「3分の2」以上から「過半数」にする-という動きを強めています。改憲の最大の狙いは戦争放棄・戦力不保持を定めた憲法9条です。 自民党が昨年4月にまとめた「憲法改正草案」は、9条2項の戦力不保持規定を削除し、「国防軍」創設などを盛り込んでいます。2013年1月13日 「しんぶん赤旗」日曜版 1ページと4ページ「安倍首相の『恥ずべき欲求』」から引用 世の中の情勢は新しい事態に向かって進んでおり、今までのやり方では立ち行かなくなっているにも関わらず、安倍内閣がやろうとしているのは、旧態依然の発想に基づいているだけで、新たな戦略というものが無いのは致命的だ。景気回復のために大型補正予算などといってるが、バラマキ政策が行き詰まって自民党が下野した3年余り前のことを忘れているとはあきれる。その上、慰安婦の歴史を否定して右翼グループにしか通用しない修正主義歴史観を打ちたてようとするのでは、ガラパゴス化と皮肉られても反論のしようがないだろう。わが国では、60年代だったと思うが、靖国神社国家護持法案などという非常識な法案が繰り返し国会に提出されて、その都度廃案になるということが繰り返されたが、当時はまだ戦争体験者が多く存在し「戦争はもう懲り懲りだ」という世論が健在だった。私たちは、戦争体験者の発言に学んで、歴史を逆転させようとする策謀にNOを突きつけなければならない。
2013年01月27日
2009年の総選挙で自民党長期政権が敗北し、民主党が政権を勝ち取ったのは、一重に財界偏重・国民無視の自民党政治に対する国民の批判が原因だった。ところが、自民党の悪政を改善してくれるはずだった民主党も、どのような事情があったのか、国民には何もわからないままに選挙のときの公約を次々に裏切り、公約に無かった消費税増税の実現に熱心に取り組むという、これまた国民無視の姿勢になったために、与党の座から転落することになった。しかし、民主党政権を見限った有権者の判断は、完璧な誤りであることが、総選挙から半年もしないうちに明らかになっている。民主党がダメだからといって自民党を与党の座に復帰させたのは、間違いであった。3年と少々の時間では、自民党は立ち直っていない。今の自民党がやろうとしているのは、かつての失敗路線を性懲りも無く繰り返す政策であり、中には、かつての自民党ですらやらなかった「愚策」まで持ち出している。こんな馬鹿ばかりそろった与党にロクな政策が出来るわけがない。小泉政権のときは、規制緩和と称して新しい政策を実行するというふれこみで、何かいいことが出来るのかと思ったら、何のことはない、国民の財産をオリックスの宮内某のフトコロに入れるだけの結果で、当時の郵政省の管轄だった「かんぽの宿」なんかもただ同然で宮内が手に入れる寸前に、マスコミが、国民の目の前に暴露して阻止したという一幕もあったと記憶している。しかし、今また、安倍政権はかつての小泉のような手口で財界の便宜を図ろうとしている。10日の東京新聞コラムで、法政大学教授の竹田茂夫氏は次のように告発している; 昨年の選挙期間中、自民党の日銀たたきに対して、白川方明日銀総裁は理路整然と反論した。だが選挙後に態度が豹変(ひょうへん)し、自ら不可能とした2%インフレ目標と無制限金融緩和を受け入れてしまう。総裁罷免を可能にする日銀法改正の憫喝(どうかつ)に対して、日銀の政治的独立性を守るため苦渋の選択をした結果だろう。この背後には、セントラルバンカーが選挙の洗礼を受けない専門家集団であるという宿命がある。 選挙の洗礼を受けないという点では、経済財政諮問会議や産業競争力会議等の経済政策の司令塔に続々と起用されている財界人も同じだ。だが、こちらの方は別の深刻な問題を抱えている。 諮問会議の民間議員の小林喜光・三菱ケミカルホールディングス社長は、諮問会議の役割は「いかに原発を再稼働させるか」だという。その同じ諮問会議の民間議員には原発メーカー社長が就いている。 かつて小泉政権などで規制緩和の旗をふった人物は、規制緩和で利益を受ける大手金融業トップであった。当然、利益相反が問題になった。 政権に協力する財界人に問いたい。一企業の利益、財界の利益、国民の利益をそれぞれどのように定義し、どの利益を代表するつもりか。「GMによいことは米国にもよい」との主張は日本でも成立するのか。国民に説明する義務がある。 (法政大教授)2013年1月10日 東京新聞朝刊 11版S 25ページ「本音のコラム-利益相反」から引用 安倍の日銀叩きは、今のところ投資家には良い印象を与えたようであるが、これがそのまま継続されれば、そのうち日銀の独立性が疑問視されて、日本の格付けが下降するのは理の当然である。今は一時的に円安に振れて、輸出企業には「天の恵み」のように見えているに違いないが、そのうち化けの皮がはがれてしまうのは時間の問題ではないだろうか。「経済財政諮問会議」などと、いかにももっともらしい会議を立ち上げても、中身は国民の声を無視して原発を再稼働させることしか考えない、オリックスの宮内よりも腹黒い連中である。安倍・自民党政権の中身は民主党政権よりもひどい。こういう実態に、国民は気付くべきである。
2013年01月26日
六ヶ所村に建設中の使用済み核燃料再処理工場は、試運転するたびに技術的な問題が発生して、今まで18回も稼働開始を延期してきている。そのことを指して、このブログに六ヶ所村の再処理工場は完成の見込みがない、と書いたところ、「そんなことはない、2013年の秋には操業を開始することになってる」との反論が書き込まれたが、それもつかの間、今度は断層の問題が浮上してきて、やっぱりこの秋も稼働を延期することになるかも知れないという事態になってしまった。10日の東京新聞は、次のように報道している; 原子力規制委員会の田中俊一委員長は9日の記者会見で、日本原燃が青森県六ヶ所村に建設中の使用済み核燃料再処理工場(再処理工場)など下北半島にある原子力施設で、断層調査を実施する方針を表明した。再処理工場は今年10月に完成する予定だが、田中氏は調査や新たな安全基準の導入で、稼働はそれより後になる可能性も示唆した。 下北半島の東側沖合には、全長100キロとされる「大陸棚外縁断層」があり、断層活動により半島の地形が変形したり、大地震を引き起こしたりする可能性が指摘されている。外縁断層から分岐した断層が六ヶ所村の施設などの直下に伸び、連動して動くとの学説もある。 こうした専門家の指摘を踏まえ、田中氏は「(旧経済産業省原子力安全・)保安院時代から調べるべきだとの意見があり、何もしないわけにいかない。島崎邦彦委員長代理にどのような調査をすればいいか検討をお願いした」と述べた。 田中氏は、調査対象として、再処理工場など核燃料サイクル施設のほか、むつ市の中間貯蔵施設、電源開発が大間町に建設中の大間原発を挙げた。東通村の東北電力東通原発では、すでに規制委の専門家チームが調査を始めている。 具体的な調査内容は未定だが、今のところ電力会社などに追加調査を指示し、事業者で対応しきれない調査は規制委で行う方針。 再処理工場など原発以外の原子力施設の稼働の是非は、12月までにまとまる新しい安全基準による審査と断層調査の後になる。田中氏は「耐震性の再評価は、そう簡単に結論が出ない。原子力施設に対する社会の不安、懸念を考えると安全が優先される。事業者も理解すると思う」と述べた。2013年1月10日 東京新聞朝刊 12版 2ページ「再処理工場 稼働延期も」から引用 事故を起こしても尚、原発にまつわる甘い汁を当てにしている原子力ムラの連中にとって、再処理工場は、必ず稼働しなければならないものではない。現に建設作業が進行していて「来年は稼働します、再来年は稼働します」と言える状況であれば、それを口実に、持って行き場の無い使用済み核燃料を青森県にどんどん持ち込むことができるからであり、彼らはそれが目的で建設工事をやってるだけである。仮に再処理工場が稼働しても、確かに使用済み燃料の一部が再利用できるようになるのであるが、依然として高濃度の使えない放射性廃棄物ゴミは残るのであり、減ることはない。したがって、我々はこれ以上子孫に迷惑をかけないように、今すぐ原発は止めて、全部廃炉にするべきである。
2013年01月25日
中国では、民間の出版社が発行する週刊誌の編集に共産党が介入したとのことで、編集の現場が抗議ストに立ち上がったというニュースが報道された。10日の東京新聞コラムは、次のように論評している; その昔の中国では、身分の高い人々は不老長寿の薬と信じ、水銀化合物を服用していたようだ。毒を体内に取り込んだ唐代の歴代皇帝20人のうち、少なくとも6人は、水銀中毒で命を縮めたという(船山信次著『毒』)。 「現代の皇帝」ともいえる総書記が頂点に君臨する中国共産党にとって、自由な報道は体制を揺るがしかねない毒なのだろう。広東省の週刊紙「南方週末」の記者たちが、同省共産党委員会宣伝部に対する抗議ストライキに踏み切ったのは、記事の差し替えがきっかけだ。 新年特別号に掲載される予定だったのは、憲法に基づく民主政治の実現を訴える記事だった。宣伝部の指示を受け、中国の発展を強調する内容に差し替えられたという。 共産党の管理下にある中国メディアで、記者が抗議ストに踏み切るのは異例中の異例だ。「記者は皆、怒りに震えている」。南方週末の記者は本紙の今村太郎特派員に声を荒らげた。記者を支持する市民も本社近くに集まり、「われわれには言論の自由が必要だ」などと訴えた。 共産党中央宣伝部は、海外の敵対勢力が介入しているという通知を出し中国メディアを牽制(けんせい)したが、彼らを突き動かしたのは、ジャーナリストとしての矜持(きょうじ)だろう。 ストは収束に向かい、記者は処分されないという。自由な報道は体制維持には毒であっても、長い目で見れば良薬である。2013年1月10日 東京新聞朝刊 12版 1ページ「筆洗」から引用 もともと共産党というものは「社会主義建設」という高邁な人類の理想を実現することを目的に設立されたものですから、当初、世間では「共産党というからには、庶民のための正義の味方のはずだ」と考えたかも知れませんが、レーニンのグループがロシアで革命に成功したときは、反対勢力が武力で弾圧してきたために、革命勢力も武力で対抗して「革命を防衛」する必要がありました。また、政権樹立の後も、外国軍隊を導入して革命政権を転覆しようとする動きがあり、ソビエト共産党としては「一党独裁」路線を取らざるを得ない歴史的制約があったものと考えられます。そして、その後に政権を掌握した世界中の共産党政権が「一党独裁」路線を踏襲したのも事実ではありますが、しかし、これは「共産党」の本質ではなく、単なる歴史的制約のなせる業に過ぎません。マルクスが著した「資本論」には、共産党政治は一党独裁でやるべきだなどとは、一言も書かれていません。逆に、「資本論」には「革命と社会主義建設を担うのは、発展した資本主義国の労働者だ」という意味のことが書かれており、マルクスとしては、封建主義の権威による権力をブルジョア勢力が打倒して一定の民主主義が確立されることを前提にしたのであろうと考えられます。しかし、現実に共産党をなのる勢力が政権を樹立したモスクワも北京も、あまり資本主義は発達していたわけではなく、訓練されたプロレタリアの数もほとんどいなかったことも、これまた事実です。このような不利な条件下では、スローガンで「共産主義」を唱えても現実にはそうもいかないというジレンマが生じるのは無理もありませんでした。私たちは、このような過去の歴史に学んで、民主主義の基盤に立脚した新しい「社会主義建設」の道をさぐるべきだと思います。
2013年01月24日
ルポライターの鎌田慧氏は、台湾の原発から出る放射性廃棄物の処分場について、8日の東京新聞コラムに次のように書いている; 台湾東南にある台東市に正月明けの3日間滞在した。そこからさらに90キロ南東、フィリピン・ルソン島に近い、蘭嶼(らんしょ)島を目指したのだが、強風に影響され、小型飛行機はついに飛べなかった。 蘭嶼島は海洋民族タオ族の島だが、台湾電力の原発の「低レベル核廃棄物最終処分場」として知られている。魚の缶詰工場を建設する、という触れこみで土地が買収され、30年前の1982年から10万本にもおよぶドラム缶が搬入された。 政府と台湾電力は、補助金や電力料金無償化、奨学金支給などの利益誘導で住民の抵抗を抑えてきた。ところがドラム缶の腐食破損がすすんで、放射能漏れが発生、3割ほどが再装されたが、地域の汚染と子どもの障害などが指摘されている。 村のたたずまいや施設の状況を、日本の核廃棄場・六ヶ所村と比べて見てみたかった。それで空港ロビーで粘っていたのだが、島の強風はやむことなく、残念ながら断念せざるをえなかった。 台湾の核廃棄物が、交通が遮断されがちな絶海の孤島に捨てられ、米国の核実験が先住民の地で行われ、日本の核廃棄物がエミシの地の開拓村に押しつけられる。危険な核政策の差別性をもろに考えさせられた空港ロビーに国の「経済部」と台湾電力の「低レベル核廃棄物は地方を興し、共存共栄」の巨大な看板があった。 (ルポライター)2013年1月8日 東京新聞朝刊 11版S 25ページ「本音のコラム-核廃棄物の島・蘭嶼島」から引用 経済的に弱い地域に、危険な廃棄物を押し付けて「共存共栄」の美名で封印する。どこでも、やり口は同じだ。人間同士の「共存共栄」はあっても、人間と核エネルギーは共存できない。核のゴミは、これ以上増やすわけにはいかない。
2013年01月23日
都知事の職を中途で投げ出して総選挙に打って出た石原慎太郎の、選挙期間中の軽挙妄動を、8日の東京新聞は次のように批判している; 昨年末の衆院選で、各政党の党首たちは列島を駆け回り、それぞれの主張を有権者に訴えた。異彩を放ったのが日本維新の会代表の石原慎太郎氏(80)だった。自らを「暴走老人」と称し、歯に衣(きぬ)着せぬ発言で物議を醸した。 「『暴走老人』の石原慎太郎です」。黒いダウンジャケットを羽織ったまま選挙カーに登ると、まず決まってこう声を上げた。田中真紀子前文部科学相が皮肉で名付けた愛称を逆手に取って聴衆の笑いを誘う。著名人として、行く先々で大勢の人を集めた。 ひとまず石原氏の言葉に耳を傾けてみる。例えば「憲法改正」。石原氏は現行憲法を「占領軍が日本を統治するために作った基本法。間違いだらけの醜悪な日本語で書かれている」と断じる。はたして日本の名文の一つである憲法前文も、芥川賞作家の目にはそう映るのか。あるいは主義主張の問題なのか。 北朝鮮の拉致問題にも触れた。「憲法9条がなければ『戦争するぞ』という姿勢で同胞を取り戻せた」と述べ、具体性はともかく、言葉は勇ましい。 中国に対する強硬姿勢でも持論が続いた。選挙期間中、一貫して中国を「シナ(支那)」と呼び、「シナの覇梅主義に侵され、日本が第2のチベットになるのは嫌だ」と繰り返した。「秦」を語源とするという説が有力なシナは、必ずしも差別語とは決めつけられない。ただし、中国側が反発を強めるのは明らかだ。 太平洋の島国、パラオ共和国の監視船が昨年3月、排他的経済水域(EEZ)内で違法操業していた中国漁船に威嚇発砲し、乗組員1人が死亡した事件を挙げ「何で日本はそれができないんですか」とも強調した。念頭には沖縄県・尖閣諸島問題がある。 だが、人口約2万人の島国パラオと日本を単純に比べるのは乱暴だ。パラオは台湾と外交関係を持ち、中国とは国交はない。一方、中国と日本は世界第2、3位の経済大国で、お互いに最大級の貿易相手国だ。 軍備強化を進める中国をけん制するには、日中の2国間問題という発想を抜けて、東南アジア諸国連合(ASEAN)諸国との連携も含めた多面的な視点が不可欠だ。石原氏も「(南シナ海で中国に)領海を侵されつつあるベトナムやフィリピンと同盟を組むべきだ」との認識は示している。一方で「有色人種でたった一つ、日本だけが近代国家をつくった」と発言する。「暴走老人」の発言は、持論だと受け止められやすい。見過ごされがちな現状が問題だ。 「今の日本は宦官(かんがん)のような国だ」と嘆き、「平成の維新をやろう」と声高に訴えた石原氏。その言葉に内向きな軽さを感じるのは私だけではないだろう。 (経済部)2013年1月8日 東京新聞朝刊 11ページ「『暴走老人』石原氏の言葉」から引用 都知事選に出る前の政界引退を表明するまでの石原慎太郎は、時には人目を引くような極端な言動があったにせよ、概ね世間の常識を意識した行動をしていたものであったが、都知事になった途端に、それ以上の地位向上はないと開き直ったのか、「第三国人」発言を始め、次々と非常識な持論を展開した。それが極限まで達したのが、先月の総選挙だったわけである。上の記事が指摘するように、石原の発言のどれもこれも、居酒屋の酔っ払いおやじの域を出ない物であるが、こういう発言をする者に投票する有権者がいるというところに、わが国民主主義がまだ発展途上である実態が表れている。
2013年01月22日
小泉内閣の日朝共同宣言から10年以上もたつのに、一向に進展しない日朝国交回復交渉について、制裁一辺倒の日本政府の対応を批判する投書が、8日の東京新聞に掲載された; 高齢の在日朝鮮人の方とじっくり話をする機会を得た。日朝関係は全て「拉致問題」で止まってしまい、相手国の顔さえ見えない中、政府は日本国内向けに「拉致問題の解決」を叫んでいる。 今日、軋轢(あつれき)を生んでいる日韓、日中の領土問題もつまるところ、当事国間の歴史問題を抜きに語れないことが明らかになってきている。「拉致問題」に関しては議長国たる中国と米国に、尖閣問題に関しては米国に力添えを頼むしかない日本外交に当事者能力があるといえるのか。 国民同士の交流こそが緊張緩和を生み出すことは、江戸時代の朝鮮通信使を通じての両国の豊かな関係の歴史が教えている。北朝鮮に遺骨収集のため高齢の日本人遺族が訪問し始めた。彼らは北京経由で平壌に行くしかない現状だ。 費用的にも体力的にもかなりきつい行程となる現実に向き合い、「人道的措置」として万景峰号の運航を再開し、高齢の日本人遺族や在日朝鮮人の行き来を認めることは、今の停滞状況を打開し、大きな道筋になると思う。「制裁一辺倒」では駄目。何らかの政策転換なくして日朝外交は進まないことを認識すべき時だ。2013年1月8日 東京新聞朝刊 11版S 5ページ「発言-日朝交渉の停滞打開を」から引用 過去10年間、日本政府はなんとかの一つ覚えのように「制裁」に次ぐ「制裁」ばかりやってきたが、問題の解決には何も寄与しないことが、もはや証明されたというものではないか。政府は拉致問題について、民間の報道機関ではかなり以前から指摘されていたにも関わらず、なかなか認めようとはせず、事件として認定したのは事件発生からかなり時間が経ってからのことだった。小泉政権のときに、数人の被害者とその家族の生還を果たしたが、まだ消息不明の被害者はいる。この問題がいつまでも解決しない原因は、日朝間に国交がないためである。この問題を解決する特効薬などはないのだから、政府は日朝平壌宣言に基づいて誠意をもって国交回復の交渉を始め、先ず、植民地時代への謝罪と補償を実施し、経済援助を行い、日朝平和友好条約を締結する。そのようにして、国内に数ある国際空港と平壌の空港の間に定期航路を開設し、民間交流を促進する。そのようにして友好ムードを高くした後で初めて、拉致問題の全貌が明らかになるに違いない。
2013年01月21日
発足して間もない安倍政権は、今のところ高支持率を維持しているが、半年もしない内にデタラメな内実が明らかになって、そのうち支持率が低迷するに違いない。そのデタラメの中でも、「集団的自衛権」というウソについて、7日の東京新聞コラムは次のように論評している; 安倍晋三首相らが憲法で禁じた集団的自衛権行使を容認するべきだと主張する際に持ち出す「自衛艦と並走する米軍艦艇の防御」「米国を狙った弾道ミサイルの迎撃」の2類型は、どう考えてもおかしい。 日本海海戦のような密集陣形を想像しているのだろうが、現代の艦艇は潜水艦への警戒から点々と散らばり、無防備に並走しない。攻撃に使われるのは魚雷と対艦ミサイル。とくに魚雷は一発で撃沈させる威力があり、ひそかに狙われたら防御どころではない。 米艦艇と並走するのは洋上補給の場面だが、ここで攻撃されたら自衛艦は集団的自衛権行使を意識するまでもなく、自らの防御のために反撃するだろう。 米国を狙った弾道ミサイルを迎撃する手段が現状で存在しないことは前の自民党政権当時、久間章生元防衛相が国会答弁している。迎撃できるようになるのは開発中の迎撃ミサイル「SM3ブロック2A」がイージス艦に搭載可能となった後の話である。 迎撃ミサイルを搭載できるイージス艦は自衛隊に4隻しかないが、米軍は26隻保有し、さらに増やす。米政府には自前での対処をお勧めする。 より大きな疑問は世界中の軍隊が束になってもかなわない米軍にいったいどの国が正規戦を挑むのかという点にある。ありもしない話はレトリック(修辞法)というよりトリック(ごまかし)である。(半田滋)2013年1月7日 東京新聞朝刊 11版 5ページ「私説・論説室から-集団的自衛権のトリック」から引用 わが国憲法は、国際紛争の解決に武力を使ってはならないと決めているのですから、そばにいた米軍艦船が日米共同の敵から攻撃されたからといって、自衛隊がこれに反撃することは許されません。これが基本です。しかし、安倍一派がこの憲法の規定を無視して、自衛隊に武器使用を許可しようとするための口実が、この記事が指摘するように、現実にはあり得ないたとえを、まことしやかにでっち上げていることを、我々は見落とすべきではありません。また、もう一つ、見落としてはならない事実は、アメリカは世界最強の軍事力で世界のあちこちで悪行を積み重ねている関係で、世界中から敵視される理由は十分にありますが、日本は、戦後60余年間、平和国家として世界の平和に貢献してきたこともあり、現在、日本を敵視する国はありません。もしあったとしても、それは国内に米軍基地があるために、そこが狙われるかも知れないといった程度です。したがって、自衛隊も米軍にくっついて行動しない限り、安倍が想定するような、自衛隊の援護が必要になるような事態は無いのですから、私たちは正々堂々、日本国憲法を守り、今後も平和国家として世界の平和に貢献していくべきです。
2013年01月20日
小松論文は、最後のしめくくりに従軍慰安婦問題は日本一国の問題ではないこと、日本軍国主義が朝鮮半島を支配した一連の歴史の流れの一つであるという「歴史認識」が重要であること、などを主張しています;おわりに 日本軍「慰安婦」の問題をめぐっては、2007年に安倍政権のもとで「強制性」が否定されて以降、世界7つの国と地域で非難・謝罪要求決議があげられています。このなかには、米国下院やカナダなど、日本が「同盟国」「友好国」とする国も含まれています。また、韓国の「聯合ニュース」によると、日本軍「慰安婦」にかかわる国連をはじめとする国際機関の報告書は10件にのぼるといいます。(2012年8月29日配信) これらは、いずれも日本軍「慰安婦」が過去の問題でもなければ、日本一国にかかわる事件でもないことを物語っています。それにもかかわらず、いまだに「強制性はなかった」などという言説がまことしやかに流される事態は、日本の無知と無恥を世界にさらすようなものと言えましょう。 最後に指摘しておきたいことは、「慰安婦」の問題をはじめとする歴史的な事件は、それだけで独立して存在しているわけではないということです。朝鮮半島の人びとからみれば、王妃(閔妃)を殺害され(1895年)、国を奪われ(韓国併合、1910年)、名前を奪われ(創氏改名、1939年から)、家族を奪われた(強制連行、同年)などの、日本軍国主義に支配受れた一連の歴史の流れの一つとして「慰安婦」問題が横たわっているのです。先述した竹島問題もこの流れの中にあります。そうした歴史認識こそ、これからの日本の政治指導者に求められているのです。 「慰安婦」問題を否定しようとする勢力は、日本の加害の責任を真摯(しんし)に見つめることが愛国に反するかのように主張しています。しかし、みずからの誤りを率直に認め、歴史の真実に誠実に向き合ってこそ、深い信頼と共感が寄せられ、結果的に、日本がアジアと世界のなかで確固としたゆるぎない地位を築くことにつながるはずです。これを不動の確信として、論を終えることにします。月刊「前衛」2012年12月号 「『強制はなかった』という主張で問われるもの」から69~70ページを引用 アメリカには「ワシントンと桜の木」という逸話があって、正直なことが立派なことで美徳であると教えているわけですが、中国よりはアメリカと仲良くしたいという日本の右翼は、「ワシントンと桜の木」をどのように思っているのでしょうか。歴史学上でも明らかにされ、裁判でも証拠として認定されている史実を、「子孫に不名誉な歴史を引き継がせることはできない」と言って「否定」することが、人間として正しい態度でしょうか。恥の上に、もう一度恥を上塗りしようとしていることに、何故気が付かないのか。安倍晋三氏を始めとする右翼の皆さんの頭脳の構造を疑います。
2013年01月19日
90年代以降に、かつて強制的に慰安婦にさせられた被害者たちが日本の裁判所に補償と謝罪を求めて提訴したことがあり、残念ながらどの裁判も原告敗訴となりましたが、その裁判の過程では原告が訴えた「被害状況」が「事実であった」との認定を受けました。つまり、日本の裁判所も「慰安婦は強制連行された」ことを認めているわけです。その点を、小松論文はつぎのように説明しています;《最近の一連の「慰安婦」裁判での事実認定》 この間題の最後に、1990年代以降に提訴された「慰安婦」裁判の判決を取り上げることにします。この節をまとめるにあたっては、坪川宏子、大森典子両氏による『司法が認定した日本軍「慰安婦」被害・加害事実は消せない!』(かもがわ出版、2011年12月20日)を参照しました。 【資料13】で紹介しているように、この20年ほどのあいだに、元「慰安婦」の人たちが日本政府にたいし謝罪や損害賠償を求めて10件の裁判を提訴しました。地裁、高裁段階で合計20件の判決が下されますが、そのうち15件で、「慰安婦」問題について軍の関与を認めています。 たとえば、表の最初にある「アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求事件」の東京高裁判決(03年7月22日)の事実認定は次のようなものです。 「日本軍慰安婦の募集は旧日本軍当局の要請を受けた経営者の依頼により、あっせん業者がこれに当っていたが、戦争の拡大とともに軍隊慰安婦の確保の必要性が高まり、業者らは甘言を弄(ろう)し、あるいは詐欺脅迫により本人たちの意に反して集めることが多く、さらに、官憲がこれに加担するなどの事例も見られた」 また海南島裁判での東京高裁判決(09年3月26日)は、次のように事実関係を認定しています。 「譚玉蓮は、南林で〔食事や洗濯を担当する〕戦地後勤服務隊として仕事をしている最中に、山中に連れ込まれ、複数の日本軍人に強かんされた。譚玉蓮は、拠点でその日の夜、通訳から『逃げ出すことはできない。もし誰かが逃げ出せば他の者や家族を殺す。』と言われたことから、日本軍人にしたがわざるを得なかった」 これらの裁判では、すべて原告(被害者である「慰安婦」)の請求が棄却されました。しかし、日本軍が「慰安婦」の強制連行に直接・間接に関与したという被害者らの証言は、それこそ「歴史的事実」として裁判所によって認定されているのです。弁護士資格をもつ橋下氏であるなら、これらの意味することが理解できましょう。月刊「前衛」2012年12月号 「『強制はなかった』という主張で問われるもの」から69ページを引用 この記事から明らかなように、「慰安婦の強制連行」とはあっせん業者が警察や軍とグルになって、女性を騙したり脅迫したりして本人の意に反して慰安所に送り込んだことを意味したものでした。ところが、ある時期から安倍晋三ら右翼勢力が「強制連行というからには、軍や警察が土足で家に上り込んで・・・」などという極端な話を勝手にでっち上げて、そんなことを命令した文書はない、などというマッチポンプというか馬鹿げた茶番を繰り返し、その言葉尻をとらえたネットウヨクが「証拠がないんじゃ、事件もなかったというのは当たり前だ」というデマを言いふらす、これが「慰安婦問題」にまつわる雑音です。こういういい加減な話で「河野談話」を見直すというのは、どう考えてもあり得ないことです。
2013年01月18日
昨日は、オランダの外相が議会に報告した文書について論じた部分を引用し、バタビアに設置された「慰安所」と日本軍の関係について確認しました。今日は、極東国際軍事裁判の判決に述べられた慰安婦問題の事実と、これに対する日本政府の立場について論じた部分を引用します;《東京裁判での判決から》 次は、東京裁判で認定された事実です。本誌10月号でも紹介しておきましたが、あらためて取り上げることにします。 【資料12】は極東国際軍事裁判(いわゆる東京裁判)で下された判決の一部です。ここにあるように、日本軍は「工場を設立するという口実で」「女工を募集し」「こうして募集された婦女子に、日本軍隊のために醜業を強制した」と断罪されています。 前出の関東学院大学の林教授は、東京裁判で取り上げられた「慰安婦」の事例は、「一見しただけで強制的に『慰安婦』にしたとわかるケースだけ」と指摘。検察が取り上げたケースには、次の四つの手口があることを明らかにしています。(『歴史と責任』、青弓社、2008年6月)・日本人と性的な関係にあった女性、あるいはその嫌疑をかけた女性を逮捕して裸にして無理やり「慰安婦」にした・部族長に「若い女を出せ」と脅して出させた・抗日勢力の討伐に行って男たちは殺害しながら若い女性を連行し、「慰安婦」にした・女工だと騙(だま)して募集して無理やり「慰安婦」にした 前出のオランダのバタビア軍法会議のところでも指摘したように、連合国の裁判で日本の軍や官憲による「慰安婦」の強制連行が認定されたことは、非常に重い意味をもちます。なぜなら、日本が「独立」を回復し、戦後の世界政治に復帰する契機となったサンフランシスコ条約(1952年発効)で、次のように「裁判を受諾」しているからです。 「日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾し、且つ、日本国で拘禁されている日本国民にこれらの法廷が課した刑を執行するものとする」(第11条) 裁判を受諾したということは、日本政府として判決内容全体を受け入れたということです。だから、連合国の戦犯裁判で出た結論にたいして、安倍政権でさえ”異議を述べることはできない”としてきたのです。 「我が国は、日本国との平和条約第11条により、同裁判を受諾しており、国と国との関係において、同裁判について異議を述べる立場にはない」(安倍内閣の答弁書、2007年4月20日) 連合国の戦犯裁判の判決を受け入れたということは、言葉を換えれば「慰安婦」の強制連行を日本政府として認めたという結論になるのです。月刊「前衛」2012年12月号 「『強制はなかった』という主張で問われるもの」から67~69ページを引用 これを読んで分かるように、戦後の日本の出発点はサンフランシスコ条約なのですから、今さら「河野談話」の見直しなどと言うことになれば、必然的にサンフランシスコ条約の否定になるわけで、その先には「じゃあ、もう一度戦争をやり直すのか」という問題が持ち上がってくることにもなりかねず、こういう馬鹿げた事態を回避するためにアメリカ政府から安倍内閣に圧力がかかるのは当然のことです。また、二度と戦争はしないという国民の平和志向の意志も固いのですから、安倍内閣には愚かな策謀に手を出すのは止めて、健全な平和国家の運営に取り組んでいただきたいものでございます。
2013年01月17日
従軍慰安婦が軍人を相手に売春を強要されたことを示す公文書の存在について、小松論文は次のように論証しています;(4)公式文書では日本軍の強制を示す文書は無数にある 日本の軍や官憲が、ほとんど強制的に女性を連れ出し、本人の意に反して「慰安婦」にさせたことを示す文書は、被害者らの証言以外にもいくつもあります。ここでは[1]バ夕ビア軍事法廷での資料(オランダ人「慰安婦」事件)、[2]東京裁判での判決、[3]最近の一連の「慰安婦」裁判での事実認定-という三点から考えることにします。《オランダのバタビア軍事法廷での資料(いわゆる「櫻倶楽部事件」判決)》 「調査結果によれば、オランダ領東印度各地の娼楼にヨーロッパ人女性を送り込むために日本占領軍が実力行使をした事例が数例あった。娼楼で働いた200~300人のヨーロッパ人女性のうち約65人は売春を強制されたことが絶対に確実である」 この文書は1994年1月24日付でオランダの外相が同国の国会下院議長に提出した報告書です。日付から明らかなように、日本政府が河野談話を発表してからほぼ4カ月後に出されたものです。 文書では、日本の軍や警察が売春の強要にかかわっていたことを次のように指摘しています。 「2人の少女が働くことを拒否したら、憲兵ないしは警察によって検挙された。1人は短期間で釈放されたが、もう1人はグロゴル刑務所に留置された。戦後、日本人業者はバタビアの臨時軍法会議で禁固10年の刑を受けた」 ここでいう「日本人業者」とは、事実上の売春所でもあった櫻倶楽部(さくらくらぶ)の経営者のAという人物です。Aが禁固10年の刑を言い渡されたのは、バタビア(現ジャカルタ)で、現地に住むオランダ人少女らに売春を強要した犯罪事実のためでした。この「櫻倶楽部事件」の判決は、Aの証言として「41年11月30日に日本へ戻り、日本政府の指示によって42年6月、再びバタビアへ戻ってきた」と述べていることを指摘。女性たちが「辞職しようとしたときには、場合によっては憲兵の介入をちらつかせた直接間接の脅しによって、上記のクラブで客たちとの淫売(いんばい)を強制した」と認定しています。注目すべきは、ここでAが「軍政監部から売春宿を開設するよう指図された」と証言していることです。 「彼は、43年6月2日、軍政監部(原文:Gunseikanbu)から、バタビアのホルニング通りに売春宿を開設するよう指図を受けた。この指図が彼に二度出された後、彼は抗議しつつもこの指図に従った」 あとでもふれることになりますが、連合国の一つであるオランダの軍法会議で、こういう認定がされたことは、きわめて重要な意味をもちます。 ところで、この櫻倶楽部の問題は、日本の侵略戦争の反省という歴史問題の根本にかかわる重大な問題を提起しています。それは、同クラブ経営者のAが、靖国神社に「英霊」として合祀(ごうし)されていることです。(【資料11】) 靖国神社は、戦争中、国民を戦場に動員する役割をになった神社でした。「戦争で死んだら靖国神社に神としてまつられる」 - それが天皇の赤子たる臣民の最大の「名誉」でした。Aが靖国に合祀されていたことを報じた「東京」(07年3月29日付)は、林博史・関東学院大学教授の次のコメントを紹介しています。 「靖国神社の合祀対象は戦争に協力した人物であることが建前。慰安所経営者が、戦争に貢献したことを国が堂々と認めている。旧厚生省が『慰安所を経営してくれてありがとう』と言っているようなもので、重大な事実だ」 以上の内容は、梶村太一郎氏ほかによる『「慰安婦」強制連行』(金曜日、2008年6月)に依拠したものです。この本には、オランダ領インドシナで日本兵が文字通り”家に乗り込んで、強制的に、女性を人さらいのように”連行されたという証言 - 有罪判決のもととなった被害者の声が多く綴られていることも付記しておきます。 橋下氏は10月23日、オランダ人女性の「慰安婦」について「あれを慰安婦強制の、慰安婦の象徴例ということであれば、それは事実として認めますけど……」と述べました。「強制はなかった」という氏の主張は、完全に崩れ去ったということです。月刊「前衛」2012年12月号 「『強制はなかった』という主張で問われるもの」から65~67ページを引用 ここに紹介されている金曜日刊「『慰安婦』強制連行」は史料集ですが、やがては史料批判が加えられたのち、従軍慰安婦に関する実証的研究として成果が発表されることでしょう。
2013年01月16日
一昨日、昨日と引用した小松論文は、河野談話を発表するに当たっての政府の事前調査で「本人の意志に反して強制的に慰安婦にされた人の発言に間違いない」との確証が得られたこと、被害者本人が日本の市民集会に参加して被害の実情を証言したこと、を指摘しました。そして、三つ目の論点として、拉致事件を引き合いに、橋下徹や安倍晋三の「二重基準」を痛烈に批判しています;《拉致被害者の政府認定問題から考える》 第三点として強調したいのは、日本政府が北朝鮮の拉致被害者と認定した事実との関係です。橋下氏は、「慰安婦が強制的に連行されたという直接的な証拠はなかった」と主張します。これをもっと極端にしたのが、安倍氏です。9月14日の会見で「朝鮮半島において、家に乗り込んで、強制的に、女性を人さらいのように連れて行く、そんなことは事実上証明する資料はなかった」などと述べています。 それでは、北朝鮮による拉致被害者はどうなのか-。たとえば、1978年6月に日本を出国したのを最後に、その後の消息が分からない田中実さん(当時28歳)。政府が田中さんを拉致被害者と認定したのは、2005年4月27日のことでした。警察庁は、田中さんの事案について、「拉致であるとの判断に至った理由」として、次のように指摘しています。(【資料10】) 「この度、複数の証人等から、同人が甘言に乗せられて北朝鮮に送り込まれたことを強く示唆する供述証拠等を、新たに入手するに至った」 つまり、政府が田中さんを「拉致被害者」として認定したのは、(1)「複数の証人」の「供述」であり、(2)その供述とは、田中さんが「甘言に乗せられ」たことを「強く示唆」したものだったから-というのです。これは被害者当人の証言ですらありません。認定した根拠は、あくまでも状況証拠からであり、第三者からの聞き取り以外のなにものでもありません。 同様の認定は、安倍氏の首相当時にもありました。1977年10月に、鳥取県米子市内で当時29歳の松本京子さんが消息を絶った件です。安倍政権は2006年11月20日、松本さんを17人目(12件)の拉致被害者と認足します。警察庁発表によれば、その理由は次のようなものでした。 「関係者からの事情聴取、現場付近における聞き込み及び関係機関との情報交換など、必要な捜査を行った結果、北朝鮮による拉致容疑事案と判断しています」 ここであらためて強調しておきたいのは、いま問題にしようとしているのは、田中さんや松本さんらを政府が拉致被害者として認定したことの是非・当否ではないということです。安倍民らは「拉致問題の解決」を主張していますが、「直接的な証拠の有無」を言い始めたら、その刃(やいば)は自らに向かってこざるをえなくなるでしょう。ましてや、安倍氏が主張するように、強制連行=拉致の定義を、「家に乗り込んで……連れて行く」ということにしてしまったら、拉致被害者のほとんどは「強制連行ではなかった」というとんでもない結論になってしまいます。 拉致事件そのものは、人権を踏みにじり、国家主権を蹂躙(じゅうりん)する許しがたい犯罪行為です。どんな理屈や口実をつけようが正当化が許されるはずがありません。同様のことは、「慰安婦」問題でもいえるはずです。にもかかわらず、片方は、状況証拠や周囲の証言で「拉致」と認定しておきながら、「慰安婦」については本人が名乗り出、被害の実態をどれほど詳述しようとも「確たる証拠がない」と居直る。ここに、こうした主張をする人びとの-「二重基準」というようなゆるい評価だけではすまされない、貧しい人間性、卑劣な精神構造を垣間見る思いがします。月刊「前衛」2012年12月号 「『強制はなかった』という主張で問われるもの」から64~65ページを引用 慰安婦問題について、証拠がないなどと主張する人たちを批判する上で、上に引用した文章は正鵠を射ていると言えます。もし朝鮮政府が拉致事件について「強制ではなかった」だの「強制連行を指示した文書が見つからないから、強制ではない」などと言いだしたら、橋下さんや安倍さんはどうするつもりなのでしょうか。こういう貧しい人間性、卑劣な精神構造の人物を市長や首相にする社会の品性が疑われるというものです。
2013年01月15日
去年の9月、市民団体が主催した「河野談話見直し論に反撃する」と題する集会に、従軍慰安婦にさせられた被害者が2名、韓国から参加し、自らの体験を語りました。その集会に参加して体験談を聞いた小松公生氏は、次のように書いています;《「慰安婦」の血の叫びから》 9月21日夜、東京・新宿区で「河野談話見直し論に反撃する」と題する緊急集会が開かれました。主催は「戦時性暴力問題連絡協議会」。ここには、日本軍「慰安婦」にさせられた韓国人女性-金福童さんと李容沫さんという2人のハルモ二(おばあさん)-も参加しました。 金さんは、「『慰安婦』問題で証拠がないとはどういうことですか。ここに証拠があるではありませんか。私が生きた証拠です」と声のかぎりに訴えていました。 李さんも、「私は台湾の慰安所で、『とし子』という名前で『慰安婦』をさせられていました」とのべながら、それまでの韓国語からいきなり日本語で歌を歌い、再び韓国語に戻って次のように述べました。 「独島(とくと、竹島の韓国名)は重すぎて、日本は持っていくことができなかった。しかし、私は軽かったから、日本に持って行かれてしまった」 お二人の、喉(のど)から絞り出すような、文字通りの”血の叫び”を聴きながら、私は顔を上げることができませんでした。 日本政府は、いまだに加害責任をまともに認めようとしていません。そればかりか、橋下、安倍両氏らのように「強制連行はなかった」などとうそぶく始末です。本来、人権回復の見地からもっとも手厚く保護され、処遇されるべき元「慰安婦」の方がたが、わざわざ日本にまで出向いて抗議の声をあげなければならない - この倒錯した図式を、たまたまではあれ、日本に生を受けた者の一人としてどう考えるべきなのか。 2011年12月14日、旧日本軍の韓国人元「慰安婦」を支援する団体が、ソウルの日本大使館前に「慰安婦」問題を象徴する少女像を設置しました。ウィーン外交関係条約は「外国公館の威厳の侵害を防止する」義務を接受国(この場合は韓国)に課しており、像を設置した行為自体の妥当性は問われなければなりません。しかし、その行動がどういう感情や思いから生み出されたものであるかは、加害の側の歴史的道義的、あるいは法的責任の問題として、たえず自問しつづけなければならないのではないでしょうか。同じ問題は、領土・領有権問題にも通じます。竹島が日本の領土であることは確信をもっていえたにしても、領土に編入した時期が、韓国の外交権を事実上奪い取っていた時期の1905年であったことは、この間題に、「領土問題」とは別の影を投げかけています。 話が少しそれてしまいましたが、被害者の証言が信頼に足る証拠になりうることは、弁護士である橋下氏が知らないはずがありません。それを頭ごなしに「証拠がない」と切って捨ててしまうところに、同氏のどうしようもない「心性」があらわれています。月刊「前衛」2012年12月号 「『強制はなかった』という主張で問われるもの」から63~64ページを引用 従軍慰安婦の問題については、今さら「証拠が無い」という話は通じません。軍が警察や行政の協力を得て、中国大陸や東南アジアの各地に「慰安婦」を送り込むことを指示した政府文書は、大半は焼かれたとは言え、残っている文書は小松論文が紹介するとおりで、軍は斡旋業者に「慰安婦」を集めることを指示しておきながら、一方では「軍の名を語る業者を取り締まれ」などと、関与の事実を隠蔽する工作もやったことが、小松論文によって明らかになりました。このような史実は、今では世界中に知れ渡って、国連でも日本政府の責任が問われているのが現状です。被害者の元慰安婦だった皆さんが存命のうちに、日本政府は正式な謝罪を行うべきです。そうすることによって初めて、我々の子孫は誇りを持って新しい歴史を切り開いて行くことができると思います。
2013年01月14日
今もあるのかどうか知りませんが、昔、安倍晋三や酒を飲みすぎて死んだ中川某という極右政治家のグループが「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」などという会を作って、河野談話がけしからんというので、当の河野洋平氏や談話をまとめる実務を担当した石原信雄氏を、勉強会と称する会合に呼びつけて追求したことがありました。その時のことに触れて、小松論文は次のように述べています;(3)当事者・被害者の証言こそ、「慰安婦」問題の最大の確証 すでにくり返し明らかにしているように、日本軍「慰安婦」問題の核心は、日本政府が、軍隊・憲兵や外務省、警察など、関連する政府組織を動員して「慰安婦」を囲い込み、「慰安所」を軍の付属物として設置し管理し運営したところにあります。「慰安婦」が「強制的に連行」されたかどうかは、それ自体人道上も国際法上も重大な問題です。しかし、「慰安婦」問題の核心・焦点をうやむやにするような議論をするために、強制性の議論を持ち出そうとするなら、それは問題のすり替えにしかなりません。 この間題でまずなによりも強調しなければならないことは、日本軍「慰安婦」に被害者・当事者の存在と証言こそが、最大の「物証」であり証拠だということです。この点を、三つの角度から明らかにしておきます。《元「慰安婦」の聞き取りで「本人の意に反する募集があったと認めざるを得ない」》 第一は、河野談話をまとめるにあたって日本政府がおこなった「慰安婦」からの聞き取り調査の結果です。 すでにふれたように、1993年に河野談話を発表するにあたり、政府は日米の膨大な文書を調査するとともに、「慰安婦」にされた方がたから、詳しい聞き取り調査を実施しました。最初は、プライバシーの問題や「慰安婦」であったことが周囲に明らかになる恐れなどから、聞き取りそのものが難航を極めたといいます。こうしてえられた「生の声」をうけ、関係当事者は「慰安婦は事実上強制されたものだ」という認識に達します。(【資料9】) 最初に、談話の当事者である河野洋平氏です。資料にあるように、河野氏は「少なくとも被害者として、被害者でなければ到底説明することができないような証言というものがその中にあるということは重く見る必要がある」と認めています。この発言で注目すべきことは、河野氏がどこでこの主張を開陳したのかということです。時期は1997年6月17日ですが、河野氏が招かれたのは、教科書から「慰安婦」の記述を削除させることなどを目的に結成された自民党の右翼的な議員集団「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」の会合でした。つまり、「従軍慰安婦」否定派がそろった国会議員の前で、「慰安婦」の証言の重さ - つまり、それが証拠になり得ることを、公然と強調したのです。 次に登場するのは、前でも紹介していますが、河野官房長官談話を作成する過程に直接携わった石原信雄官房副長官(当時)です。この発言も、河野氏と同様、「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」の勉強会でのものでした。(1997年4月9日) ここでもやはり河野氏と同じく「明らかに本人の意に反する形での募集があったと認めざるを得ないという報告を受けまして、それをベースにして先程申し上げたような『談話』の表現に落ち着いた」と述べています。 石原氏はさらに、「慰安婦」問題の調査・研究をすすめてきたアジア女性基金の聞き取りにたいしても、「総合判断として、これは明らかにその意に反して慰安婦とされた人たちが16人のなかにいることは間違いありませんという報告を調査団の諸君から受けた」と証言しています。(2006年3月7日の聞き取り)月刊「前衛」2012年12月号 「『強制はなかった』という主張で問われるもの」から61~63ページを引用 この記述からも分かるように、「従軍慰安婦」について問題とされているのは、多くの女性(その大部分が朝鮮半島の出身)が「本人の意に反する形で」慰安婦の仕事をさせられた点であり、本人が拒否しようとしてもそれが許されなかったのですから、これは「強制的に慰安婦にされた」ということになるわけです。ところが、これをなんとか否定しようと企んだ安倍ら右翼勢力は、「強制的」というからには「抜刀した日本の官憲が、朝鮮の民間人の家庭に土足で上がりこんで、泣き叫んで抵抗する女性を暴力的に連行した」ということなんだから、と勝手なシナリオをでっちあげて、そんなことを命令した文書がどこにあるのかと、開き直る。まるでマッチポンプのような、馬鹿げた茶番が「慰安婦否定論」であると、こういうことです。そんな姑息な了見で史実を捻じ曲げようとしても、国際社会は許さないことでしょう。
2013年01月13日
従軍慰安婦問題について、国としての責任を認めようとしない、安倍首相を始めとする右翼・歴史修正主義者たちが「強制連行の証拠がない」と主張する背景と、彼らが何を狙ってそんなことを言うのかという問題について、小松論文は次のように分析しています;(2)なぜ「強制連行を示す直接証拠がない」という面が強調されるのか ところで、「強制連行」について、「確たる証拠がなかった」という議論のごまかしはあとで検証することとして、なぜこういう議論がいまだに平然となされるのか、その背景と要因を考えたいと思います。《「慰安婦」の存在が公的に確認されたのは1990年代に入ってからだった》 いちばんの理由は、日本軍の「慰安婦」が公的に確認されたのが、敗戦から50年近くが経過した1991年になってからのことだったという事情があります。 「慰安婦」問題が90年代まで公認されなかったのは、いくつかの理由があったと考えられます。一つは、戦後直後は、「慰安婦」に駆り出された人びとの体験・苦痛が生々しく、しかもほとんどが20代、30代とまだ若く、公然と声をあげられなかったことです。二つ目に、とくに朝鮮半島では日本の敗戦と同時に南北が分断され、民族的な大分裂が引き起こされたことです。「慰安婦」という過去は、個々人にとってはたいへん悲惨な経験です。しかし、民族と家族がばらばらにされて対立しあうという国家的な悲劇の前では、個々人の苦しみを社会的に共有し、癒す基盤さえ失われてしまったといえましょう。三つ目に、人道上の戦争犯罪などについて国連を中心に活発な議論がおこなわれ、これらの課題に本格的に光が当てられ始めたのは、70~80年代以降のことです。 くわえて、次にみるように、「慰安婦」問題はおろか、日本の戦争犯罪さえも根こそぎ隠ぺいしようという日本側の独自の問題もありました。《敗戦とともに各地の軍司令部、警察が戦時文書をいっせいに破棄、焼却》 なかでも、日本の敗戦とともに、外交、軍事、植民地支配などにかかわる多量の文書が破棄・焼却処分させられたことです。作家の内田百聞(ひやっけん)は、ポツダム宣言を受諾する天皇の「玉音放送」がラジオで流される前夜、大本営があった市ヶ谷で、火事騒ぎがあったことを日記に記しています。これを紹介した「毎日」2012年8月15日付一面コラム「余禄」によると、「夜8時過ぎ、火事だと声があり、市ヶ谷の大本営の後ろに火の手が見えた・・・何か焼き捨てているのではないか」と記し、文書の焼却がすでに前日の45年8月14日午後から始まっていたことを指摘しています。同様のことは、朝鮮総督府がおかれていた朝鮮や満州でもおこなわれたことは、広く知られています。 国際政治学者の坂本義和氏は、次のように指摘しています。 「終戦直後、官庁では書類が燃やし続けられたことは周知の事実である。韓国の研究者によると、朝鮮総督府でも重要文書が燃やされてしまったという。文書がなければ事実はないというのは、文書信仰にはかならない」(「東京」9月8日付) 日本がおしすすめた侵略戦争の実態と、その数かずの犯罪的事実は、現存している政府関係文書でも相当程度把握することができます。しかし、もし、関係文書が焼却処分されずにこんにちまで残されていたなら、これまでとは比較にならないほどの詳細な戦争の実態と指揮命令系統の状況、加害の実態などが白日にさらされたことは明らかです。その点でも、日本の政府と軍部は、二重三重に国際社会と歴史を踏みにじる犯罪的な行為をおこなってきたことを指摘しなければなりません。 同時に、この間題で考えなければならないのは、かりに関係する文書が残っていたとしても、徴用や労務動員などと違う次元の、「政府や軍が強制連行」を指示するような明確な証拠が、文書として存在し得たのかということです。前述のように、軍が慰安所の運営・管理に直接かかわっていたことは明白な事実ですが、それすらも日本政府や軍部は公然とは認めようとしませんでした。まして、文字通りの犯罪行為である「監禁」「拉致」「連行」などの、いわば”奴隷狩り”に等しい強制連行を命令する公文書が作成されたとは、どんな野蛮な政権でも常識的には考えられないことです。かりに文書があったとしても、連行を直接指示・命令するような形の文書ではなく、限りなくそれをにおわせるような記述であったり、民間業者による「自主的な募集」という形をとったりしたであろうことは、容易に想像できます。ちょうど、ナチス・ドイツのホロコースト(大量虐殺)について、「強制移住」や「特別措置」などという用語はあっても、「虐殺を命令する文書は存在しなかった」といわれる問題と同じようにです。月刊「前衛」2012年12月号 「『強制はなかった』という主張で問われるもの」から60~61ページを引用 安倍晋三らの極右勢力が「強制連行の証拠が無い」と主張する狙いは、実際にはありもしない物を「無い、無い」と声高に主張し、それが事実であることをしつっこく主張することによって、世間に対して「そうなんだ、無かったんだ。だから従軍慰安婦なんて、無かったんだ。あれはデマだったんだ」というふうに世論を誘導することが目的です。この安倍らの悪質な企みは、「つくる会」系の教科書が全国の学校で採用になっていけば、成功して、日本国民は全員「従軍慰安婦なんてフィクションなのだ」と信じてしまう可能性は十分に有ると思います。しかし、それは喜ぶべきことでしょうか? 最大20万人と推定される「慰安婦」被害者が、消えてなくなるワケではありません。国際社会から、歴史修正主義者に丸め込まれた愚かな日本民族というレッテルを国際社会から貼られて軽蔑されるのがオチです。先ごろの総選挙で、安倍晋三は「慰安婦を強制連行したなどという屈辱的な歴史観を、我々の子孫に引き継がせることはできない」という意味の演説をしたそうですが、史実と向き合うことができない安倍ら一味の考え方と行動こそが、我々の子孫に伝わる屈辱の歴史を作りつつあることを、私たちは考えなければなりません。歴史の事実を直視し、侵略戦争で迷惑をかけた近隣諸国に誠意をもって謝罪してこそ、我々の子孫は民族の誇りを取り戻すことができるのではないでしょうか。
2013年01月12日
アジア女性基金が保管している史料の中には、かつての内務省警保局長名で発令された「内務省発警第5号」という文書があり、これには「軍の名を語って慰安婦を集める業者はウソを言ってるのだから、これを厳重に取り締まるように」という内容が書かれています。こういう文書を見て「なるほど、軍は慰安婦を集める業者を取り締まる立場だったんだから、慰安婦問題は民間業者の問題であって、軍も国も責任を追及される立場ではないのだ」とか、「こうやって国は悪質業者を取り締まったのだから、国としての責任は果たしていたのであって、今さら責任を問われる筋合いではない」などと思うのは素人の浅知恵です。「内務省発警第5号」のような史料については、これがどのような社会状況下で、誰によって、何のために書かれたものであるかを考える、これが史料批判です。また、この史料に書かれた通達が実施された結果、何がどのようになったかという点も検証されなければなりません。それが歴史学の立場です。この「内務省発警第5号」について、小松論文は次のように論証しています;《「慰安婦」の存在は、当時の皇軍としても、恥ずべき秘すべきものであった》 ところで、戦前の価値観をもってしても、公娼制度が公序良俗に反することは、先に見たとおりです。ましてや、日本軍 - しかも、あくまでも建前上は”志操堅固(堅いみさお)”でもって国内外に名をとどろかせようとした皇軍(※)が、組織的に慰安所を設置・運営するなどということは、とても公然と明らかにできるようなことではありませんでした。いくら戦前に公娼(売春)が合法であり、公然と認められていたといっても、それは、あくまでも「個人的な性欲処理」という範囲でのものでしかなかったのです。※1941年に東条英機の名前で出された陸軍省「戦陣訓」には、次の一節があります。「戦陣苛(いやしく)も酒色に心奪はれ、又は慾情に駆られて本心を失ひ、皇軍の威信を損じ、奉公の身を過るが如きことあるべからず。深く戒慎し、断じて武人の清節を汚さざらんことを期すべし」 「皇軍」にとって、「慰安所」との関係が恥ずべきことであり、秘すべきことであったことをよく示しているのが、【資料8】で紹介した内務省警保局長の通牒(つうちょう、1938年2月23日付)です。文書名は「支那渡航婦女ノ取扱二関スル件」(内務省発警第5号)。この文章には、軍と慰安所の関係-さらにいえば、軍が「慰安婦」を集める人物らとの関係-を、いっさい認めようとしない姿勢が、以下に指摘するような言葉で綴られています。 「日本国内で慰安婦の募集やあっせんをする人物が、あたかも軍当局の了解を得ているかのような主張を行うものが、最近、各地で頻繁に出回っている」「渡航する女性の募集・あっせんなどに際し、軍の了解、または、軍と連絡しているかのような言辞や、その他軍に影響を及ぼすような主張をする者は、すべて厳重に取り締まること」 しかし、すでにみたように、政府と軍が文字通り一体となって慰安所を設置し運営していたことは、まざれもない事実でした。 では、なぜ実態に反するこんな文書を、わざわざ内務省警保局長名でださなければならなかったのでしょうか-。その答えは、この通牒のなかの次のような一文にあります。 「慰安婦の募集・あっせんについて、軍が関与し了解しているかのようにとられるのは、帝国の威信を傷つけ、皇軍の名誉を損なうだけでなく、銃後の国民、とりわけ出征兵士を送り出した家庭に好ましくない影響を与える」 つまりは、皇軍-それは一般兵士のことでは断じてありません。天皇制軍部上層部と為政者をさすことは明白です - の体裁だけをとりつくろう”かっこつけ”のためだったということです。暗々裏に軍が「慰安婦」徴集と「慰安所」の運営に号令をかけ、そのために綿密な手筈(てはず)を整え、「慰安所」設置のために規則まで改正しておきながら、日本の「臣民」向けには、慰安所を運営する業者らとは軍が無関係であるかのように装う-。ここには、資源の確保・収奪と版図の拡大という覇権主義、帝国主義の野望を本音として持ちながら、対外的には「アジア解放の戦争」などと主張した日本軍国主義者の腹黒さが通底しています。しかし、このことは、本音としては隠し通したかったということであり、結局、「慰安所」の設置・運営が軍の了解と指示のもとにおこなわれていたこと自体が、旧帝国軍隊にとって知られたくない”恥部”だったことを物語っています。 前述のように、橋下氏は公娼制度が存在していた戦前・戦中にあっては、売春行為が否定すべきことでも恥ずべきことでもないかのように主張していますが、こういう姿勢は、対外的には「秘すべきもの」「隠すべきもの」「恥ずべきもの」と考えていた当時の政府や軍部でさえも、思わず顔を赤らめてしまうような主張にほかなりません。日本の帝国軍隊なみの「含羞(がんしゅう)」すら持ち合わせていないのが、橋下氏や安倍氏の「慰安婦」論だということです。 日本軍の「慰安所」は帝国陸海軍の恥部だっただけではありません。当時の国際法規からみても、かぎりなく違法なものだったことです。本来なら、ここで日本軍「慰安婦」の”国際法違反”の実態について詳しくみる必要があります。しかし、この小論の狙いは「強制性」を否定する議論の問題点を浮き彫りにするところにあります。したがって、この問題については、以下の2点を指摘しておくにとどめ、あとは別の機会や他の論考に譲ることにします。 一つは、女性を事実上の監禁下において性こういを強制しつづけたこと自体、当時の国際法にも明白に違反した所業だったことです。 二つ目に、当時の日本が加入していた「醜業を行わしむる行為の婦女売買取締に関する国際条約」(1910年)でも、未成年(20歳未満)の女性に売春させることを禁じていたことです。たしかに、この規定は植民地(朝鮮半島、台湾)には適用しなくてもいいことになっていましたが、これは植民地に残る婚姻の風習 - 「花嫁料」など -と密接にかかわる問題だったために一気に廃止するわけにいかないことへの配慮だったということです。この規定を、植民地から連れ出された「慰安婦」に適用されないという解釈は成り立ちません。なによりも、この規定が植民地に適用されなかった結果、台湾や朝鮮で「慰安婦」として集められた女性は、10代前半の女性まで含まれることになりました。アジア女性基金のホームページで確認できるもっとも年少の「慰安婦」は、13歳です。月刊「前衛」2012年12月号 「『強制はなかった』という主張で問われるもの」から57~59ページを引用 ここに述べるように、日本軍は慰安所の設置・運営を行いながら、国民に対してはそれを秘匿するために、慰安婦を斡旋する業者がみだりに軍の名をかたることの無いように画策した、そのことを示しているのが「内務省発警第5号」であるということです。こういう実態を知ることもなく、「当時は売春も公認されていたくらいだから、軍隊に慰安所があるのは当然だ」などという発想では、歴史を語ることはできず、歴史認識を誤ることになります。※お詫び「前衛」12月号「『強制はなかった』という主張で問われるもの」を、私はこれまで「小林論文」と書いておりましたが、筆者のお名前は「小松公生」ですので「小松論文」と書くべきものでございました。私の不注意による誤りでございまして、関係各方面のみなさまに深くお詫び申し上げます。
2013年01月11日
帝国陸軍が進軍する先々に「慰安所」を設置するために、内部規定の変更を行っていたという事実について、小林論文は次のように述べています;《「慰安所」の設置のために、日本軍は「酒保規則」を改定した》 ところで、日本軍が「慰安婦」を軍の機構に組み入れるようになったのは、いつなのか。この問題・経過は、日本軍「慰安婦」問題の一つの核心・本質にかかわる問題ですので、簡単にでもみておきます。 日本軍が軍の組織の一部として「慰安所」を設置できるようにしたのは1937年のことでした。「野戦酒保規定」の改正です。「酒保」とは、軍隊内の売店をさします。 【資料7】は、陸軍衣糧課がまとめた「野戦酒保規定改正説明書」(1937年9月15日付)です。この一枚で、改定前後の条文と改正理由がわかるようになっています。 まず上段では、改定前の第1条が次のように明記されています。 「野戦酒保ハ戦地二於テ軍人軍属二必要ノ軍用品ヲ正確且廉価ニ販売スルヲ目的トス」 これが改定後に、中段にあるように変えられます。 「野戦酒保ハ戦地又ハ事変地二於テ軍人軍属其ノ他特二従軍ヲ許サレタル者ニ必要ナル日用品飲食物等ヲ正確且廉価こ販売スルヲ目的トス/野戦酒保二於テハ前項ノ外必要ナル慰安施設ヲナスコトヲ得」 改正で追加されたのは、(1)野戦酒保は戦地だけでなく、事変地にも適用されること、(2)軍人・軍属以外に「特に従軍を許された者」-つまり「慰安婦」や「慰安所」の表向きの経営者なども対象になること、(3)「慰安施設」は、酒保の一部として設営されること-ということです。 この「改正」の理由について、下段で「野戦酒保利用者ノ範囲ヲ明瞭ナラシメ且対陣間ニ於テ慰安施設ヲ為シ得ルコトヲモ認ムルヲ要スルニ依ル」としています。つまり、改正の目的そのものが「慰安施設」の設置にあったことが浮かび上がります。 ここで注目したいのは、この規定が追加された時期です。1937年9月といえば、日本の中国への全面侵略の転機となった「盧溝橋(ろこうきょう)事件」(1937年7月7日)から2カ月後、日中間の本格的な交戦状態となった第2次上海事変の発生からほぼひと月後のことです。改正後の文章に「事変」という言葉が登場するのも納得できます。つまり、日本軍による本格的な「慰安婦」制度は、日本の侵略戦争と不可分のものとして具体化されたのです。 こうして同年末の南京占領と大虐殺事件へと続きますが、問題はこの時期、数十万の日本兵が中国の前線へ派兵され、翌38年には100万人ともいわれる兵員に達したことです。それにつれて設置された「慰安所」も膨大な数にのぼります。吉見義明・中央大学教授の『従軍慰安婦』(岩波書店)によれば、この当時、判明しているものだけでも、中国中部の華中で約80カ所の「慰安所」と、1000人以上の「慰安婦」が存在していたとされます。月刊「前衛」2012年12月号 「『強制はなかった』という主張で問われるもの」から56~57ページを引用 この文章が明らかにしている通り、かつての日本軍は作戦を遂行するために必要と考えて、当初は予定していなかった「慰安所」の設置を、内部規定を変更してまで実施したのであり、これが実態であったのですから、日本政府として「関知しない」とか「責任はない」などと言い逃れは出来ず、ましてや「慰安婦問題」を「あれはビジネスだった」などと誤魔化すことは許されません。
2013年01月10日
従軍慰安婦に関する国家責任について議論するとき、戦前は公娼制度があって「売春」もビジネスとして世間が認めていたのだから、と主張し、だから軍が慰安所を設置したからといって殊更問題視する必要はないのだ、と言う人を時折見かけます。橋下市長もその一人のようですが、そういう認識は誤りであることを、「前衛」12月号の小林論文は、次のように説明しています;《当時でさえ「売春」(公娼制度)は”時代錯誤”と批判されていた》 ところで、先に指摘したように、橋下氏は「慰安婦制度が……当時の時代背景においてどういうものだったのかは議論しなきやいけない」などとのべ、あたかも”赤線(※)”と同様のものであるかのように主張しています。前述のように、軍による「慰安婦」制度を認めようとしない、あるいは認めたくない勢力のなかには、いまだにこのように主張するものが少なくありません。※ 赤線とは、売春が公認されていた地域のこと。警察などが地図に赤い線を引いて他の地域と区別したことから、こう呼ばれるようになりました。売春を防止する目的で1956年5月24日に制定された売春防止法によって廃止。(施行は1958年4月1日) この間題では、まず初めに声を大にして主張しなければならないことは、戦前の日本にあっても、公娼制度は”速やかに廃止すべき、時代おくれの制度”だという認識が広範に共有されていたということです。 【資料6】は、明治以降、1937年末までのあいだに「公娼制度」の廃止をめぐって、全国の府県会が採択した意見書や決議の一覧です(府県会は現在の都道府県議会に相当します)。公娼制度の廃止をもとめる運動は、「廃娼運動」といわれますが、日本でこの運動のさきがけとなったのは、群馬県でした。以降、1937年の年末までに、北は岩手・秋田から、南は沖縄にいたるまで、全国の47都道府県のじつに4割以上となる21の県会で議決されています。 女性に参政権が与えられたのは、1945年の敗戦後のことです。そのため、戦前、県会には女性が1人もいませんでした。県会議員は市会議員などの互選で選ばれ、その地域の富裕層を中心とする、いわば「名士クラブ」のような性格を持っていました。つまり、戦前の県会は、単にその地域の「男社会」の頂点だっただけでなく、「家父長制」や「男尊女卑」が”公序良俗”とされた時代の、シンボルであり権化のような機構だったということです。しかし、そういう議会ですら、公娼制度については、「正義人道に悖(もと)る」とか、「封建時代の遺物」など、まことに正鵠(せいこく)を射た言葉を使って断罪していたのです。 こうしたことと比較するなら、戦前の公娼制度を事実上肯定するかのような橋下氏らの主張が、いかに時代錯誤であるかは明白です。 そういえば、頭に浮かぶのは、橋下氏ら「日本維新の会」と連携する「東京維新の会」です。都議会に出された”大日本帝国憲法の復活”をもとめる請願に同会が賛成したことは、こうしたことと無関係とは思えません。請願書の文中には、次のような言葉が躍っていました。 「我々臣民としては、国民主権といふ倣慢(ごうまん)な思想を直ちに放棄して……」「大日本帝国憲法が現存するとする都議会決議がなされることを求めます」 これに賛成した議員も、国民主権の重要な一要素である参政権によって選出されたわけですから、この文書は恐ろしいほどの自己矛盾を露呈したものになっていますが、それはこの際、おいておきましょう。橋下氏は、当初、「東京維新の会」がこの請願に賛成したことについて、「党本部のほうであれやこれや言わない」などと、事実上容認する姿勢を示していました。ところが、直後からネット上などで批判が高まるなか、「信じがたい」などと前言を翻すような主張に転じましたが、”覆水盆に返らず”です。なによりも、「日本維新の会」の英語名「Japan Restoration Party」について、「新党の英語名を直訳すると、『日本復古党』とも読める」(「朝日」10月13日付)と指摘されるように、この党が時代錯誤の体質をもっていることは、もはや隠しようがありません。【資料6】:省略月刊「前衛」2012年12月号 「『強制はなかった』という主張で問われるもの」から54~56ページを引用 ここで小林氏が【資料6】として引用したのは、不二出版「日本女性運動資料集成」第9巻「人権・廃娼II」のページの情報で、画像コピーでは面積が大きすぎるので一部を紹介すると「1928年12月17日 福井県会が前回一致で『公娼制度は人格の尊厳を知らざりし封建時代の遺風』とする意見書採択」「1936年12月19日 三重県会『県ハ皇紀2600年首ヲ期シ公娼制度ノ廃止ヲ断行スベシ』『公娼制度ハ人格ノ尊厳ヲ無視シタル封建ノ遺風』との廃娼決議」など、1893年から1937年にかけて21の県会の決議を紹介しています。これを読むと、当時の日本人と現代の日本人はそれほどかけ離れた価値観を持っていたわけではないことが、よくわかります。また、この小林論文は、この後、当時の政府や軍の高官も、当然のことながら「売春」に対する否定的な価値観をもっていた事実を明らかにしていきます。
2013年01月09日
昨日引用した部分では、日本軍がどのようにして「慰安所」を設置し、管理・運営していたかが詳細に説明されておりましたが、実は、慰安所を運営するために関与したのは軍隊だけではなく、行政や警察も深くこれに関与したことが、次のように述べられております;《官憲が一体となって設置した「慰安所」運営の実体-当時の政府文書から》 さらに、軍だけでなく、官憲-日本の行政府や警察が軍と一体となって、「慰安所」を設置・管理・運営した証拠もあります。それが【資料5】です。 文書は、上海駐在日本総領事館の警察署長から、長崎水上署警察署長あての依頼文です(1937年12月21日付)。依頼文の題名は、「皇軍将兵慰安婦渡来ニツキ便宜供与方依頼ノ件」。つまり皇軍(日本帝国陸海軍)の将兵(将校と兵士)を「慰安」する女性が上海に向かう際には、便宜を図ってほしいという文書です。最近のことばで補うと次のような内容になります(以下、同じ)。 「前線各地へ皇軍が進展したことにともない、将兵を慰安するために、関係諸機関でよく考え、先日からこの領事館の陸軍武官室憲兵隊で合議した結果、施設の一部として、前線各地に軍の慰安所を、次の要領で設置することにした」 つづいて、この文書は、「慰安婦」の移動や慰安所の営業について、領事館、憲兵隊、武官室がそれぞれどういう役割を果たすかが明記されています。要約すると、次のような内容になります。 <領事館>慰安所を営業する者の諾否と「慰安婦女」の渡航の便宜 <憲兵隊>「慰安婦女」らの輸送 <武官室>就業場所の確保と梅毒検査など 京都大学文学部の永井和・教授は、この文書について、「政府機関と軍すなわち在上海陸軍武官室、総領事館、憲兵隊によって慰安所の設置とその運営法が決定されたことを直接的に示す公文書として他に先例がなく、その点で重要な意義を有する」と指摘しています(※)。※同氏のホームページ上の論文「日本軍の慰安所政策について」。詳しくは以下で。http:\\nagaikazu.la.coocan.jp\works\guniansyo.html【資料5】:省略月刊「前衛」2012年12月号 「『強制はなかった』という主張で問われるもの」から53~54ページを引用 歴史家で京都大学教授の永井和先生のホームページによると、慰安婦問題について先生が正式な学術文献として発表したのは1本のみで、慰安婦問題の専門家だとは自分では思っていないと書いています。しかし、先生のホームページには慰安婦問題に関する情報がたくさんあって、大変勉強になります。軍が慰安所を設置するといっても、その慰安所の慰安婦を国内や朝鮮半島で集めて現地に連れて行くのに、出国審査をどうするとか、慰安婦を斡旋する業者の活動を不審視する末端の警察官を納得させるための通達とか、いろいろ複雑な状況だったことがよく分かります。
2013年01月08日

従軍慰安婦の問題について、「慰安所」の設置、運営、管理を軍が行っていた様子を、月刊「前衛」の小林論文は次のように述べています;《日本軍による「慰安婦」の徴募・収集と「慰安所」の設置・運営の実態》 日本軍が「慰安婦」の募集と「慰安所」の設置・運営にかかわっていたことは、明々白々な事実です。たとえば、日本政府の全面的な意向を受けて開設された「アジア女性基金」のホームページには、次のような記述があります。 「慰安所は通常業者が経営管理していましたが、軍はさまざまな面で慰安所の存立、移動に関与しました。それは現地部隊が定めた各種の管理規定にうかがえます」「まず慰安所の建物は軍が提供したり、建設したりしました。警備は軍が行い、さらに営業時間、休業、単価も、部隊別の利用日の割り振りも軍が決めていました。慰安婦の性病検査も軍がおこなっていました。軍は管理委員を指名し、慰安所にいく者のためには、軍が利用券を発行する場合が多くみられました」 【資料4】は、そうした軍の「管理」や「運営」がどのようなものだったかを示す軍の文書の一部です。ここには、部隊ごとに慰安所を使用する曜日が決められ、検徽(けんばい)(梅毒検査)の日時も指定されています。 軍による「慰安婦」制度を否定しようとする論者のなかには、いまだに「慰安所は民間業者が設置・運営した」などとうそぶく輩がいますが、そうした議論が成り立たないことは、日本軍が作成したこの文書一つとっても明らかです。「慰安所」が日本軍の完全な統制下にあったことは、だれも否定できません。月刊「前衛」2012年12月号 「『強制はなかった』という主張で問われるもの」から52~53ページを引用 慰安所が民間業者によって営利目的で運営されたケースは皆無であったというわけではありませんが、その例はごく少数だったのであり、大部分は上の記事が示すように、軍によるものです。私たちは、歴史の事実から目をそむけるべきではありません。ここで紹介されている「アジア女性基金」の理事長は原文兵衛という人物で、警視総監を務めた後、政界入りし参議院議長にまでなった、かつての自民党の重鎮ですので、当ブログのコメンテーター諸氏も「アジア女性基金」のホームページの記載内容には、信用をおけるものと思います。
2013年01月07日
共産党の月刊誌「前衛」12月号に掲載された小松公生氏の論文は、昨年夏の大阪市・橋下市長の暴言を、次のように分析し批判しています;(1)日本軍「慰安婦」問題の本質は、軍による女性の性奴隷化にこそあった《軍の慰安所の存在は否定しない橋下氏》 橋下氏の発言のポイントは、次の3点に集約されます。 - 慰安婦を強制的に連行したという確たる証拠はない - 慰安所はあったかもしれないが、それは日本固有の問題なのか。世界にもそういう制度はあったのではないか。当時の時代背景としてどういうものだったか議論しないといけない - 93年の河野談話と2007年の政府答弁書(【資料3】、以下政府答弁書または単に答弁書)とは、強制性の評価が異なっている。政府答弁書は閣議決定だが、河野談話は閣議決定ではなく官房長官の談話だ。どちらが重いかと言えば、閣議決定に決まっている。河野談話を見直す必要があるのではないか ここでの主張の最大の問題は、「慰安婦」問題の本質が、あたかも”婦女子を強制的に「慰安婦」にかりたてたのかどうか”にあるように描いていることです。 一方で、「慰安所はあったかもわからないけれども」とのべて、日本軍が「慰安婦」を”囲っていた”事実については争おうとしていません。それどころか、日本軍「慰安婦」の問題を公娼(こうしょう)制度一般と同列祝して、「日本固有の問題なのか」「世界にもそういう制度はあったのでは」「時代背景としてどういうものだったか議論しないといけない」とのべ、日本軍の「慰安婦」制度が特別問題ではないかのように描き出そうとしています。以上のことから、「慰安婦」問題について、橋下氏がどういう結論に導こうとしているかが浮かび上がります。それは、結局、「慰安婦」が強制的に連行されたということでなければ、当時としては問題はなかったということです。 しかし、これほど日本軍「慰安婦」の問題をゆがめる議論はありません。日本軍「慰安婦」の本質的問題は、これから詳しく述べるように、旧日本軍が警察や行政組織と一体となって、多くの女性を軍の慰安所に閉じ込め、”軍人の性欲処理の道具”として性的奴隷状態においていたところにあります。 強制連行の問題はあとで詳諭しますが、「強制の有無」だけをことさら強調する橋下氏らの主張は、このもっとも忌むべき本質問題から目をそらさせることによって、「慰安婦」問題そのものがあたかも存在しないかのように描こうとするものです。 本論に入る前に、まず、橋下氏の認識の誤りについて、2点ほど指摘しておきます。 第一は、河野談話と政府答弁書は、ともに政府の公式見解であり、互いに矛盾・対立する関係の文書ではないということです。たしかに、答弁書では「軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった」という表現を使っています。一方、河野談話では「甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、さらに、官憲等が直接これに加担したこともあった」として、事実上の”強制性”があったことを認めています。しかし、当時、「慰安婦」調査の事務方の責任者を務めた石原信雄・官房副長官自身が、強制的な連行を示す直接的な証拠は確認できなかったことを認めています。 「結局、私どもは、通達とか指令とかという文書的なもの、強制性を立証できるような物的証拠は見つけられなかった……」(「アジア女性基金」オーラルヒストリー・プロジェクトによるインタビュー、同基金ホームページから) つまり、河野談話も政府答弁書も、同じ認識にあるのです。違いは、河野談話で、”物的証拠はないが、「本人たちの意に反して集められた事例が数多くあった」”ことを明確に認めたところにあります。答弁書は、それを明言せず、逆に言わずもがなのことを述べているだけにすぎません。以上のことから明らかなように、河野談話と政府答弁書のあいだには、橋下氏が主張するような見直しを必要とする原則的な”違い”は存在しません。だからこそ、安倍内閣の答弁書でも、わざわざ河野談話の「継承」を宣言しているのです。さらに言えば、河野談話の「継承」を閣議決定しているのですから、実質的に河野談話が閣議決定と同じ意味をもっていることは明白です。 第二は、閣議決定した政府答弁書と河野談話の関係です。橋下氏は、閣議決定した政府答弁書のほうが河野談話よりも政府文書として格上だと指摘していますが、これも氏一流の一方的な思い込みと独断でしかありません。関係当事者の証言をご覧いただきましょう。 「いまあの河野談話について、慰安婦問題にそもそも反対する人たちが、とんでもない談話を出した、けしからんと言って、だれがどうしたというようなことを言うのですが、あの表現は官邸のなかでみなで相談して、最終的に決めたものなのです。当然外務省、厚生省、労働省など、関係する省庁には全部連絡して決めたわけですから、あれは内閣の意思でして、特定の人の意見ではない。内閣の責任で出した談話だということは間違いありません」(前出の石原信雄氏) 「私が発表した談話は、日韓だけでなく米国の国立公文書館などの資料も慎重に検討し、宮沢内閣の責任で決めた『内閣の意思』です。閣議決定はしていませんが、その後の全ての自民党政権も民主党政権も踏襲してきた」(河野洋平氏、「読売」2012年10月8日付) 以上の諸点を踏まえたうえで、ここからは日本軍と「慰安婦」とのかかわりがどのようなものだったかを見ることにします。月刊「前衛」2012年12月号 「『強制はなかった』という主張で問われるもの」から50~52ページを引用 橋下市長の、2007年安倍内閣の政府答弁書をもって1993年河野談話を否定できるかのような主張は、引用した論文が指摘するように、詭弁であり、政府答弁書を決定した直後の安倍首相自身、河野談話を継承すると明言していることが、それを証明しているわけです。ところが、漏れ聞こえてくるところによると、その安倍首相自身が「河野談話よりも2007年政府答弁書が優先する」と発言しているそうで、慰安婦問題を「そんなに大した問題ではなかったんだ」という印象に作り変えようとする姑息で悪質な魂胆が垣間見えるようで、安倍首相の世界観には重大は疑問を覚えます。
2013年01月06日
暮れの総選挙の前、日本共産党の月刊誌「前衛」12月号は、共産党政策委員会・小松公生(こまつきみお)氏の論文を掲載し、安倍晋三・橋下徹の「強制連行の証拠はない」という虚偽言説を徹底批判した。論文の冒頭では、次のように述べている; 旧日本軍「慰安婦」問題が、ふたたび国内で物議を醸し国際的に波紋を広げています。ことの発端は、国政への本格的な進出をはかろうという橋下徹・大阪市長(日本維新の会代表)が、8月の会見で、日本軍の「慰安婦」問題について、”強制連行を示す証拠はなかった”と述べ【資料1】、「従軍慰安婦」問題についての河野洋平官房長官談話(以下、河野談話。【資料2】)の見直しを求めたことにありました。河野談話は、「慰安婦」制度についての日本軍の関与だけでなく、募集にあたっての強制性も認め、日本政府として「心からお詫びと反省の気持ち」を表明したものです。橋下氏のこの暴言にたいし、国内はもとより、韓国をはじめとするアジア諸国から強い反発と批判があがりました。ところが、橋下氏につづいて元首相の安倍晋三氏が、河野談話だけでなく、日本の侵略と植民地支配を謝罪した戦後50年の「村山富市首相談話」なども「見直す」と主張(8月28日付「産経」)、自民党総裁選では「私たちの子孫にこの不名誉を背負わせるわけにはいかない。国内、国外に対し、〔河野談話に代わる〕新たな談話を出すべきだ」などと言い始めます(9月14日)。 橋下氏が市長を務める大阪市は西日本最大の都市であるだけでなく、中国・上海の姉妹都市(1974年4月18日から)であり、韓国・釜山広域市の友好協力都市(2008年5月21日から)です。橋下氏はいまだに -しだいに、その本質が明らかになりつつあるとはいえ -一部のメディアなどから「次期首相候補」などと持ち上げられてもいます。安倍氏についても、民主党政権の体たらくのもとで、「首相再降臨か」などと騒がれはじめています。こういう面々が、近隣諸国はもちろん、「友好国」からさえまともに相手にされないような歴史認識をもっていることは、きわめて由々しい事態といわなければなりません。この問題では、すでに本誌10月号で最小限の批判をしておきましたが(※)、あらためてまとまった論考が必要と考えて執筆したのがこの小論です。日本軍「慰安婦」にかかわる橋下氏や安倍氏の主張の暴論・妄言ぶりとその本質を明らかにすることで、このような「歴史修正主義(※※)」を信奉する政治家には、国政はもとより国の将来も子どもたちの未来も託せないことを明らかにします。※ 『前衛』10月号の「橋下『維新の会』を撃つ」85ページの「補注 旧日本軍『慰安婦』問題にみる橋下氏の『歴史認識』」。なお、同誌で指摘した大阪市の「公務員の政治的行為制限条例」についての補注も、本論の末尾に付記しています。※※ 「歴史修正主義」とは侵略戦争や植民地支配、自国軍隊による組織的な残虐行為を無視・軽視、ないしは否定する歴史観のことをさします。代表的なものは、「ナチス・ドイツによる大量虐殺(ホロコースト)はなかった」などとする主張。日本でいえば、「大東亜戦争は、侵略戦争ではなくアジア解放の戦争だった」などとする議論のことをさします。月刊「前衛」2012年12月号 48ページ「『強制はなかった』という主張で問われるもの」から引用 この記事に続いて49ページには【資料1】橋下市長・暴言の全容、【資料2】93年河野談話、の詳細が掲載されています。興味がある方には「前衛」12月号の一読をお勧めします。過日、李明博大統領が来日して当時の野田首相と会談した際に、李大統領が従軍慰安婦問題について野田首相に歴史的経緯を縷々説明したとき、李大統領は歴史の事実について詳細をよく知っていたのに対し、こちらの野田首相はあまりよく知らず、相手の説明をただ聞くほかはなかったそうですが、それもそのはず、韓国や中国では戦前の日本軍がやったことを仔細に学習するのに対し、日本政府はかつての日本軍が何をやったか、なるべく教科書にはあまりかかないような指導をしてきたという問題があります。従軍慰安婦の問題なども、一時は歴史の事実として中学・高校の歴史教科書に記述されたこともあったのですが、右翼が出版社に圧力をかけて記述をやめさせたり、それを「書かれなくなってよかった」などと発言する自民党政治家などがいたりして、わが国の歴史教育は捻じ曲げられて今日に至っているというのが実情です。したがって、これから未来志向の新しい日韓関係、日中関係を築いていくために必要な作業としては、日韓・日中の首脳同士で共通の歴史観を持つために、日本の首脳に欠落している歴史認識を、韓国や中国の首脳から補ってもらうというような協力を得る必要があるのではないかと、私は思います。
2013年01月05日
朝鮮がロケット実験をするたびに、世界の中でもわが国メディアだけが「ミサイル発射」と偏向報道しているのだが、これを批判する投書が、12月21日の東京新聞に掲載された; 「北朝鮮が人工衛星と称する長距離弾道ミサイルを発射」との表現が気になる。「事実上のミサイル」よりさらに非科学的になった。同国が打ち上げた物体が人工衛星であることは米戦略軍が公式に認め、衛星名も国際識別番号も付与された。 科学者らもその前提で議論している。専門家によれば、弾頭を積んでいなければミサイルとは言わないし、人工衛星打ち上げと弾道ミサイルでは描く軌道も異なるそうだ。それならば海外メディアのように「ロケット」と表記したうえでさまざまな議論を併記するのが、冷静かつ客観的な報道であろう。 衛星打ち上げとミサイルの技術が重なることは事実だが、それなら日本など各国の衛星打ち上げも、「事実上のミサイル」と呼ばなければ筋が通らない。いたずらに「ミサイル危機」をあおる報道は慎むべきだ。2012年12月21日 東京新聞朝刊 11版S 5ページ「発言-北ミサイル、呼称攻めて」から引用 本来、報道というものは「真実」を報道するのが使命である。ところが、わが国の報道は明治の昔から、読者に迎合して、弾頭を積んでもいないものを「ミサイル」と称して恥じない。負けている戦争を「勝っている」と報道したあの醜態に対する反省がまったくできていないということだ。さらにそれに輪をかけて馬鹿げているのが、朝鮮のロケット実験のたびに無駄に不安を煽って、役にもたたないPAC3だの迎撃システムだのを引っ張りまわす自衛隊である。部品が落ちてくるかもしれない頻度は韓国のロケットも同じであるが、こちらは人工衛星打ち上げだから、何の部品も落ちてくる心配は無いという判断は、まったく根拠に欠けており、猿芝居も甚だしい。いつまで、こういうバカ騒ぎを繰り返すつもりなのか。
2013年01月04日
憲法を改悪して国防軍を創設するという軍国主義丸出しの自民党が政権を握ったことについて、12月20日の東京新聞コラムは、次のように論評している; 明治憲法が制定される際、枢密院議長の伊藤博文と文相の森有礼(ありのり)の間で論争があった。草案にある臣民の「権利」を「分際(責任)」と改めるべきだとの修正案に伊藤は「そもそも憲法創設するの精神は、第1君権を制限し、第2臣民の権利を保護するにあり」と反論した。 臣民の責任を列挙するなら制定の必要はない。主権者である天皇の権力を制限し、国民の権利を守ることが憲法創設の精神であると明言したのだ。 憲法の役割は、国家権力に歯止めをかけることである、という立憲主義の精神を、明治憲法の起草者が正確に理解していたことは新鮮な驚きだった。 衆院選で圧勝した自民党の安倍普三総裁は、改憲の手続きを定めた憲法96条を日本維新の会などと連携して見直す考えだ。強い反対が予想される9条を後回しにして発議の条件である「3分の2条項」から手をつける戦術のようだ。 自民党がかねて主張してきた96条改正案を、憲法学者の小林節慶応大教授は「何をするか分からないのに危険なピストルを渡せるだろうか?」と自著『「憲法」改正と改憲』で批判しているが同感だ。 国防軍ばかりが注目された自民党の憲法改正草案は、基本的人権を守る姿勢が大きく後退し、憲法が国家権力を縛る道具であることをまるで理解していないと思わせる条文が並ぶ。明治時代に戻って勉強し直してほしい。2012年12月20日 東京新聞朝刊 12版 1ページ「筆洗」から引用 私の記憶に間違いが無ければ、慶応大学の小林先生は元々「憲法は変えたほうがいい」という意見の先生だったが、招かれて自民党の憲法問題を議論する会合に出席したところ、どのメンバーも立憲主義の意味を理解せず、明治の憲法を復活させるような議論ばかりだったことに驚がくして、こういう政党に憲法問題を任せるわけにはいかないと言い出した人物である。上に引用した記事によれば、明治の元勲・伊藤博文でさえ立憲主義を理解していたのであるから、今の自民党は江戸時代レベルだといって間違いないであろう。安部内閣も参院選までは「安全運転」でいくらしいから、こっちは今のうちに、世間に安倍内閣の危険性をアピールしていきたいものである。
2013年01月03日
自民党・安倍内閣にこのまま政権を任せておけば、日本はどうなるか。法政大学教授の竹田茂夫氏は、次のように予言している; 次期安倍政権の経済政策は旧保守(旧来の自民党的手法)と新保守(新自由主義)の間を揺れ動く矛盾に満ちたポリシー・ミックスになるはずだ。 国土強靭(きょうじん)化とは公共事業による財政拡張そのもので、デフレ脱却に効果のないことは1990年代に実証済みだ。しかも、そのための国債増発は国債価格急落と銀行破綻のリスクを伴う。日銀に押し付けようとしているインフレ目標も具体的政策というより、皆がそう信じれば、インフレになるだろうといった、念力経済学だ。 他方、成長戦略を議論する諮問会議や再生会議は、小泉改革の悪名高き「民間委員」流の新自由主義に支配されるだろう。こちらは社会保障切り詰めの財政緊縮路線だ。医療・保険の規制緩和や労働市場「改革」は、格差や非正規雇用の拡大、低賃金、労働者の一層の従属化を生むだけでデフレ脱却に効果がないだけでなく、逆に国民の購買力を奪ってデフレを深刻化させる。 TPP反対の農村票と脱原発世論の取り込みを狙った自民党の玉虫色の選挙公約は、TPP・原発推進の財界の要請で早速反故(ほご)にされるのは明らかだ。TPPも大企業のアジア進出には便利でも、内需と国内雇用への効果は疑わしい。有望なのは新エネルギー産業だが、原発依存ではこれにも本腰は入らない。 (法政大教授)2012年12月20日 東京新聞朝刊 11版 29ページ「本音のコラム-ポリシー・ミックス」から引用 自民党・安倍内閣には、新しい未来を開く展望も戦略も何も無く、やろうとしているのは、その昔公共事業にカネをばら撒いて景気が良かった時代があったので、それをまたやれば再度景気が回復するんじゃないかという安易で貧弱な発想だけである。しかし、その路線は一度つまずいて国庫に大きな赤字を残したという過去があるにも関わらず、これを無視して、やろうとしているのだから、そのまま実行すれば長期金利が高騰して大手銀行がばたばた倒れる危険性は否定できない。さらに、経済再生などと称して小泉内閣時代の悪名高い竹中平蔵なみの経済学者の委員会では、社会保障の切り詰めや労働賃金の切り下げなど、やることは目に見えており、デフレをより深刻なものにするだけである。また、脱原発の世論を取り込むために選挙期間中だけの「公約」には、当ブログコメンテーターの中にも「自民党だって、将来的には脱原発依存なんだ」などと、すっかり騙されてる者もいたが、既にこの「公約」は反故になりつつある。安倍政権が、この国民騙し路線を夏の参院選まで継続できるか、その前に国民が気付くか、ここが勝負の分かれ目かも知れない。
2013年01月02日
今日の日本国民の課題は、極右政権の暴走を如何にしてコントロールするかという点にあるのではないでしょうか。12月20日の朝日新聞には、右傾化する日本を憂慮する投書が掲載されました; 素人の私でも、今この時期に総選挙をすれば、民主党の大敗は火を見るより明らかと思っていた。 振り返ると2年前の参議院議員選挙で、当時の菅直人首相が消費税の増税を掲げて、参院の単独過半数を割ってから国会運営に支障をきたした。 次の野田佳彦首相が消費税増税関連法に政治生命をかけると明言した。何一つ民主党にとって有利な材料がないのに、多くの離党者を出した中であの「近いうち解散」発言。 野党だった自民党の安倍普三総裁との討論で解散に打って出た。そして惨敗。この責任をどう取るのだろう。党代表を辞任すればそれで済むことなのか。 民主党は大反省をして党の立て直しに頑張ってほしい。これからの政治の右傾化に、今後の日本はどう進むのか心配の限りだ。2012年12月20日 東京新聞朝刊 12版S 5ペ-ジ「発言-右傾化日本、進路いかに」から引用 野田政権が発足して間もない頃、当時まだ民主党だった小沢一郎氏が「一体、どのような政治感覚をお持ちなのか、まったく理解できない」とつぶやいたことがありましたが、私もまったく同感でした。そんなことをやれば民主党支持層が減るということが分かっていても、平気でどんどん推し進めてきたのも、まったく何を考えているのか、という感じでした。ご本人に政治感覚がないためにやってしまった失敗だったのか、それとも自分の方針について来れない者を振り落として「民主党を純化」しようとしたのか、真相は10年後くらにならないと分からないと思いますが、もし純化路線だったとすれば、その行き着く先は「第二自民党」という姿になるわけで、これは有権者の望むところではなかったはずです。また、このタイミングで衆院を解散した彼の価値観というのは、おそらく自民党の安倍総裁と似たり寄ったりで、このタイミングでの解散はマズイという国民の危機感とは相当かけ離れていたのではないかと疑われます。このような状況で、米軍と財界のいいなりの自民党政治から国民の手に政治を取り戻すには、自民・維新を除いた勢力をどう束ねるかという問題になるのではないでしょうか。
2013年01月01日
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