全31件 (31件中 1-31件目)
1
多くの週刊誌が戦後70年にちなんだ特集を組んだことについて、弁護士の上田月子氏は、18日の「しんぶん赤旗」コラムに次のように書いている; 戦後70年、週刊誌も年頭からさまざまな特集を組んでいます。 「あの頃、エライ人がよく、『国のために死ねるのは若者の特権だ』と訓話をやっていました。若者たちは、まるで全国民におどかされて死に赴いているようだった」 こう言うのはラバウルの戦闘で片腕を失った漫画家の水木しげるさん。成人の写真といえば、軍服姿で撮ったものだけとのことです。(週刊文春15日号) 愛知県に住む板津忠正さんは、特攻隊員でしたが、エンジントラブルや悪天候のため、生き残りました。終戦後、悲劇を繰り返さないために正確な記録を後世に残したいと、遺族のもとを訪ね歩き、手紙や遺影を集めました。(週刊ポスト16、23日合併号) その結果、知覧特攻平和会館(鹿児島県)には、陸軍特攻隊1036人全員の遺影が掲示され、その下には、家族・知人に残した遺書・手紙・辞世・絶筆等が展示されています。 まだ10代の長谷川三郎少尉(19)は、母に「三ちゃん」という一人称で遺書を。先立つ不孝を詫び、遺書の最後は「母上様御身体に注意してください」と締めくくっています。 ファシズム体制を批判する遺書も。上原良司大尉(22)は、敗れたイタリアやドイツに触れ、「今や権力主義国家は、土台石の壊れた建築物のごとく次から次へと滅亡しつつあります」。 サンデー毎日は、戦中は「敵性語」だからと「週刊毎日」の題字になっていました。玉音放送の日に新聞社を辞したむのたけじ氏は、戦時中、「新聞自身が『見ざる聞かざる言わざる』の姿勢に陥り、それが今なお克服できていない」と指摘します。(18日号) 安倍政権は集団的自衛権の行使を容認して若者たちを再び死地に送ろうとしています。しかし、それは国家による殺人であり、断固阻止すべきです。そのために、事実に基づき戦争の悲惨さを伝え続けることをメディアに求めます。(うえだ・つきこ=弁護士)2015年1月18日 「しんぶん赤旗」日曜版 35ページ「メディアをよむ-戦後70年振り返る週刊誌」から引用 この記事が言うように、戦争というのは国家による殺人であり、断固阻止するべきです。俳優の美輪明宏氏は「軍隊なんて言えば立派そうに聞こえるけど、その本質は殺人集団です。陸軍とか海軍とか恰好つけてないで、殺し屋集団と呼んでやればいいんです。戦争なんて言うからみんな勘違いするけど、野蛮な殺し合いなんですから、やってはいけない、これが常識でしょう」と、ある雑誌のインタビュー記事で述べていました。わが国憲法が戦争を放棄し、軍備を持つことを禁止している所以です。
2015年01月31日
年末年始のテレビ番組について、仲築間卓蔵氏は11日の「しんぶん赤旗」コラムに次のような感想を書いている; 総選挙での日本共産党の大躍進。新しい政治がすぐそこにきている気配です。そんな空気は、年末年始の番組にも。「紅白歌合戦」でサザンオールスターズのサプライズ出演が話題を集めました。桑田佳祐さんが、ちょぴひげをつけて登場。独裁者ヒトラーのように見えます。 歌は「ピースとハイライト」。知っておくべき現代史を教科書で教えてもらえないことへの疑問が吐露されました。「解釈改憲」への抗議ともとれる歌詞に目をみはった人は多いでしょう。琉球大学の高嶋伸欣(のぶよし)名誉教授はインターネットのブログで「サザンの今回の行動は、私たち”ゆでガエル”になりかかっている者への警鐘でもあるように思えます」と。 NHKアーカイブスは「戦後70年 吉永小百合の祈り」でスタートしました。焦点をあてたのは、吉永さんが30年近く続けてきた原爆詩の朗読です。吉永さんは、東京大空襲の3日後に誕生。インタビューで「生まれてすぐに防空壕(ごう)に入ったというのを母から繰り返し聞かされました。ずっと戦後であってほしい」と切々と語る姿が感動的でした。 NHKスペシャルのシリーズ「戦後70年ニッポンの肖像」のプロローグも、見ごたえがありました。戦後70年の歩みを映像でたどりながら、タモリ、堺雅人、中園ミホ、半藤一利の各氏がコメント。新憲法公布を祝賀運動会で歓迎する国民の映像に、当時の空気が伝わってきます。 注目したのは番組終盤のNHK世論調査。「今後、日本が最も大切にすべき社会は?」の問いで最も多かった答えは「戦争のない平和な社会」でした。2位を大きく引き離しています。この結果がシリーズの基調となることを期待したい。 今年は戦後70年の節目の年。何かと批判の多いNHKですが、どんな番組を見せてくれるか注目です。(なかつくま・たくぞう=元ワイドショープロデューサー)2015年1月11日 「しんぶん赤旗」日曜版 35ページ「メディアをよむ-ちょびひげサザンの警鐘」から引用 「紅白」に出演したサザンオールスターズのパフォーマンスは多くの視聴者に「安倍政権批判」のように見えたようで、年が明けてからは桑田氏の事務所に右翼の街宣車が押しかける騒ぎになったらしいが、桑田氏が「ピースとハイライト」を作曲したのは安倍政権がスタートする前であり、安倍政権批判の意図など全く無いと本人が釈明したのは印象的だった。ご本人がどのような意図で作った作品かという事実関係よりも、その作品に触れて「政権批判」を連想せざるを得ない世情であることが問題だと思います。報道機関のトップにあるまじき発言をして物議を醸した人物を会長に戴きながら、NHK職員もがんばっているんだなと思いました。
2015年01月30日
先の戦争時に日本軍によって強制的に慰安婦にさせられた海南島の女性が、日本政府に謝罪と賠償を求めた裁判で、原告の精神鑑定を行なった関西学院大学の野田正彰元教授は、1月11日の「しんぶん赤旗」で、当時の慰安婦の実態と問題解決の道について、次のように語っている; 戦後70年-。日本軍「慰安婦」問題で安倍晋三首相は、軍の強制性を否定し、「性奴隷はいわれなき中傷」と開き直っています。しかし性奴隷とされた女性は、戦後も重い精神的後遺症に苦しんできました。その実態を中国・海南島の被害者らを精神鑑定してきた関西学院大学の野田正彰元教授(精神医学)に聞きました。 本吉首罵記者 野田さんは2007年3月と6月に海南島を訪れ、生存者6人の精神鑑定を行いました。6人は海南島裁判(別項)の原告です。 「最悪の精神状態にあった」と野田さんがいう譚亜洞(たん・あどう)さん(1925年7月生まれ、2010年9月死去)。16歳のころ日本軍に徴用され、駐屯地で働かされ、性暴力を受け続けました。譚さんの体験は…。 -兵士の相手をするのを嫌がると谷へ突き落とされ、左の骨盤を骨折。戦後も腰は大きく左へ曲がったまま。 -四つ足の牛のような姿勢をとる拷問を受け、姿勢が崩れるたびにこん棒で打ちのめされた。 -軍慰安所で逃走に失敗した少女の虐殺を見せられた。日本兵は妊娠しているその少女の腹を銃剣で切り裂き、胎児を取り出した。 「日本兵は徹底して死の恐怖を植えつけた」と野田さん。「いかなる助けも支えもない時間の継続は、生き残った少女たちの精神を変えた」と指摘します。終戦後、日本が復興に向かう一方で、被害者には耐え難い戦後が始まりました。 譚さんは野田さんにこう証言しました。 「昼間突然、拷問や強かんの場面が浮かぶ。そんな日は夜も悪夢にうなされる。道端の木が何か叫んでいるように見える。腹を裂かれて殺された少女の夢をよく見る。悪夢で叫んで跳び起きると、冷や汗がべっとりと出ている。…いまの娘たちと同じように私も歌ったり、おしゃべりをして生きたかった」◆人格の変化 他の被害者も同様の精神的障害がみられました。14歳で日本軍の駐屯地に拉致・監禁され、強かんされた陳亜扁(ちん・あへん)さん(27年12月生まれ)は、次のように語りました。 「夜、突然緊張し、後ろで音がしたりすると、自分を連れ去る人が来ているような気がする。心臓が躍り、食事ができなくなり、そんな夜は寝られない」 野田さんは、6人すべてが重いPTSD(心的外傷後ストレス障害)に苦しみ、うち5人は、ナチス・ドイツの絶滅収容所の生還者にみられる「破局的体験後の持続的人格変化」を伴っていると診断しました。 野田さんはこれらの被害事実を詳細に記した精神鑑定書を東京高裁に提出しました(07年8月)。鑑定書の意義について「慰安婦」問題は過去の問題と主張する日本政府に対し「戦後こんなにも被害が継続していることを証明した」と語ります。◆高裁も認定 東京高裁判決(09年3月)は5人について「『破局的体験後の持続的人格変化』に罹患(りかん)している」と認定しました。 被害者らは戦後、下腹部の病みと炎症にさらされ、周囲に「日本の女」と軽蔑されました。野田さんは「苦しみのなか、やっと生きてきた」といいます。そんな彼女たちをさらに苦しめているのが、日本で繰り返される「慰安婦」の事実否定です。被害者らは「自分が生きてきたことを全否定されるような気持ちになる」と抗議してきました。 野田さんは加害国の政府の責任についてこう訴えます。 「国の責任で調べ、事実を認識し、明らかにする。それを報道し、子どもたちに教える。これこそが真の謝罪です。それがあって初めて、困難を耐え抜いた人生の意味を被害者が追認できるのだと思います」<海南島裁判> 2001年7月、日本政府に謝罪と賠償を求め、被害女性8人が東京地裁に提訴。最高裁まで争いました。10年3月、最高裁で原告の請求は退けられましたが、地裁と高裁で認定された事実は認められました。 高裁判決は「当時14~19歳の女性で・・・軍の力により威圧・脅迫して自己の性欲を満足させるために凌辱(りょうじょく)の限りを尽くした軍人らの加害行為は、極めて卑劣な行為であって厳しい非難を受けるべき」だと断罪。「(深刻な被害が)既に癒やされたとか、償われたとかいうことはできない」としました。2015年1月11日 「しんぶん赤旗」日曜版 10ページ「今も苦しむ軍『慰安婦』たち」から引用 従軍慰安婦の問題について、元慰安婦の女性の証言を引用したりすると、誰も知らない何十年も前の話だから作り話の可能性もあり信用できないというようなコメントが書かれたりするが、この記事に紹介されている「証言」については、それが真実であることをわが国最高裁判所も認定したもので、疑いを差し挟む余地はない。従軍慰安婦の問題は、朝日新聞が吉田証言の虚構を認めたからといって何一つ変わるものではない。その理由は、吉田証言については秦博士が早い段階でその信憑性に疑問があることを指摘し、歴史学会では秦博士の主張が通り、政府が河野談話をまとめる際も吉田証言は史料として採用されなかったのであり、国連人権委員会に提出されたレポートでも、吉田証言が紹介されているとは言え、その信憑性には疑問があるという点も指摘されているくらいだからである。したがって、自民党の国際情報検討委員会も、変な放送局を設立して妙な言説を垂れ流す前に、足元の国内の裁判所がどのような判決を出しているのか、歴史学の研究成果ではどのような評価になっているのか、もう一度よく勉強しなおす必要があるのではないでしょうか。日韓基本条約が締結されていると言っても、元慰安婦の方々に対しては既に償われたなどとは言えないというのがわが国の裁判所の見解です。
2015年01月29日
フランスの週刊誌「シャルリ・エブド」に対するテロに関連して、イスラム教を風刺することが言論の自由に値することなのかと、疑問視する投書が17日の東京新聞に掲載された; フランスの風刺週刊紙銃撃テロなど一連の事件で多くの人命が失われたことは大変痛ましいことだ。同国や世界各国でテロに反対する動きが出たのもうなずける。気になるのは全体が言論の自由を主張する姿で染まっているところだ。そもそも、特定宗教の指導者を風刺することが言論の自由に値するだろうか。 権力に対し言論や表現の自由は当然だが、多くの人々が信ずる事物に対してはどうなのか。今回はイスラム教の預言者が風刺されたことに端を発しているが、何を訴えるためにそれが必要だったのか。仮に「イスラム国」を指弾するためならば、その指導者を風刺すれば足りるのであって、イスラム教全体の預言者である必要はない。これでは言論の自由を盾に取り、誰が何を言っても許されるということになる。2015年1月17日 東京新聞朝刊 11版S 5ページ「発言-預言者の風刺、必要だったか」から引用 一般論として風刺と言えば、江戸の庶民が武士や幕府を皮肉った川柳とか、ソ連共産党の圧制を皮肉ったモスクワ市民のジョーク等を挙げることができるが、フランス国内でイスラム教徒がフランス人を圧迫するような社会的地位にあるとは考えられませんから、上の投書のような疑問が出てくるのは当然で、テロが断罪されるべきなのはもちろんとしても、私は「シャルリ・エブド」は調子に乗り過ぎだと思います。
2015年01月28日
馬鹿がそろった自民党のある委員会は、「反日宣伝」に対抗して「正しい情報」を発信する新しい(?)放送局を設立するという、抱腹絶倒、吉本興業も真っ青のギャグのような提案をしたと、17日の東京新聞が報道している; 自民党の国際情報検討委員会は14日、政府主導の新型「国際放送」の設立を検討する必要性を示した。旧日本軍慰安婦などをめぐる「反日宣伝」に対抗し、「正しい情報」を積極的に発信するためだという。だが、放送内容は政治色が濃くなりそう。視聴した世界の人々は、日本側の主張を受け入れてくれるようになるのか-。 (榊原崇仁)◆自民党「攻めの国際放送」新設検討 検討委などの合同会議で「国際情報戦略『攻めの情報発信』へ」と題した文書が配布された。「日本の内政外交に対し中国、韓国などの反日宣伝とも思える情報があふれている」と強調し、「主権や国益を守り抜くためには、単なる『中立』、『防御』の姿勢から積極的に攻める『情報発信』や『情報戦略』に転ずることが必要である」と明記されている。 新型「国際放送」を使い、慰安婦や日本海の呼称、靖国問題などで、政府の意図する「特定のメッセージ」を積極的に伝える構想らしい。 だが、既にNHKワールドTVやNHKワールド・ラジオ日本などの国際放送がある。「わが国の重要な政策及び国際問題に対する公的見解並びにわが国の世論の動向を正しく伝える」ことを編集基準に盛り込んでおり、新型「国際放送」は必要ないようだが・・・。 自民の検討委はそう考えないようだ。文書にはこう理由が記されている。「従来のNHKワールド等の枠内では報道の自由など基本的な制約が多いため、今日の事態に十分対応できない。全く新しい発想が必要」 放送法の規定により、総務相はNHKに対し、「放送区域、放送事項その他必要な事項」を指定して国際放送をするよう要請できるものの制約がある。 以前は命令できた。菅義偉官房長官は総務相だった2006年11月、NHKに対し、北朝鮮による拉致問題に特に留意して国際放送をするように命令した。ただし、具体的な内容に踏み込んだ命令は異例で、表現の自由を損なう恐れがあると批判を浴び、法改正のきっかけの一つとなった。「報道の自由など基本的な制約」とは、この事例を指しているのかもしれない。 国際放送の新設には巨額の費用がかかりそうだが、うまくいくのか。専修大の岩崎貞明特任教授(放送学)は「政治が強く干渉するような放送が信用されるのか」と首をかしげる。「海外でも、右傾化する安倍政権はよく知られるところだ。その点から、『偏った国際放送』と受け止められる可能性が高い」 外国ではどうなのか。新型「国際放送」に似たものはあるのか。 国際放送で有名な英国の「BBCワールドニュース」。岩崎氏は「BBCはフォークランド紛争の報道で、『わが軍』ではなく『英国軍』と呼び、当時のサッチャー政権の怒りを買っても姿勢を変えなかった。客観報道で国際的な評価を得ている。自民内部で検討される国際放送とは正反対だ」と語る。 米国政府が資金を提供する国際放送「ボイス・オブ・アメリカ(VOA)」はどうか。第二次世界大戦中、ナチスのプロパガンダに対抗するために設立された経緯もあり、政府の宣伝機関という色合いが濃いという。 岩崎氏は「自民の検討委が想定する国際放送はVOAに近いように思える」と指摘した。そのうえで、こんな危供をする。「VOAは軍事用の放送だ。自民党は近隣国と事を構えることを念頭に置いているのか。世界からそう受け止められかねない」2015年1月17日 東京新聞朝刊 12版 24ページ「NHKじゃタメなの?」から引用「攻めの国際放送」などという馬鹿げた提案をしたのは自民党国際情報検討委員会で、委員長は福岡5区選出の原田義昭である。日本軍慰安婦の問題に関する国際社会の認識は、日本の歴史研究者が発表している研究成果に照らしても、史実と相異するものではなく、「反日的」と判断する根拠は皆無である。それにも関わらず、新設する「国際放送」で「慰安婦問題は濡れ衣だ」とか「あれは公娼だった」とか言い出せば、単に国際社会の笑い者になるだけで、日本に対する国際社会の評価はますます悪化するだけである。そもそも、この自民党の検討委員会は報道機関としての「国際放送」の意味を理解していないのではないか。その証拠に、現在のNHKの国際放送では「報道の自由」が邪魔になって自分たちが意図した放送ができない、などと言っている。要するに、取材した真実ではなくて自分たちに都合の良い話を勝手にでっちあげて放送したいというわけだ。そんな放送に国の予算を使うというのは、民主主義を標榜する国家として如何なものか。やり方としては、インターネットで暗躍している「桜チャンネル」を買い取って国営放送にするという手段もあるかも知れないが、これ以上国際社会に恥をさらすような真似は止めてもらいたいものだ。
2015年01月27日
法政大学教授の竹田茂夫氏は、オバマ政権の経済政策について、15日の東京新聞コラムに次のように書いている; オバマ米政権の親ビジネス路線には批判が多い。バブルの責任追及ではウォール街の大物を訴追できず、金融規制強化への抵抗には妥協する。民主党内の反対論を尻目に太平洋圏と大西洋圏の自由貿易協定を推進する。 政権の要、ガイトナー元財務長官やフロマン米国通商代表などのメンター(相談役)はロバート・ルービン氏だ。ウォール街ですご腕をふるって投資銀行トップに上りつめ、クリントン政権では金融の規制緩和を進めつつ財務長官などの重責を果たし、ついに巨大銀行経営者に舞い降りたという経歴だ。今でも人脈と金脈の両面で民主党に影響力を持つ。 この人物、一筋縄では理解できない。なぜ政界に身を転じたのか、大富豪なのになぜ民主党なのか。答えは市場へのスタンスにある。ビジネスでは割り切ってカネもうけに徹し、社会正義への満たされぬ思いは政界進出や慈善行為で果たす。金融や市場経済は機会平等の透明な制度、公正な競技場であり、結果に問題があれば政治的に手直しをすればよい。政治哲学再興の書、ジョン・ロールズ『正義論』も同じ前提に立つ。 だが思い違いだ。カネは価値中立的であるどころか、人の心を単色に染め上げる。競争の結果を左右する市場ルールは強者に有利で、カネは政治に介入し政治権力に姿を変える。(法政大教授)2015年1月15日 東京新聞朝刊 11版S 27ページ「本音のコラム-ウォール街リベラル」から引用 ビジネスでは割り切ってカネ儲けに徹し、社会正義への満たされぬ思いは政界進出や慈善行為で果たすというロバート・ルービン氏の行動は象徴的である。端的に言えば、資本主義制度下の経済活動は社会正義とは相容れないという話である。したがって、金融や市場経済は機会平等の透明な制度であるというのは、金持ちが貧乏人に不平不満を言わせないための「おまじない」に過ぎず、虚構である。資本家も労働者も、同じ人間には違いないが、一度資本を手にした人間は「資本の論理」に支配されて行動するようになり、労働者への利益の還元などには目もくれず、己の利益のためにテキトーな理由をつけては労働者の権利を取り上げていこうとする昨今の労働政策が、これを証明している。このような労働者階級の没落にブレーキを掛けて社会の平穏を保って行こうというのが、日本共産党の「経済活動への民主的規制」論であるが、政府と財界がこれに対して適切な配慮を怠れば、やがて労働者は困窮し、己の命以外に失うものが無い状況まで追い詰められれば、再度、階級闘争に立ち上がる時が来ないとも限らない。
2015年01月26日
正月早々、フランスで起きたテロ事件に関連して「言論の自由」という表現に疑問を呈する投書が、15日の東京新聞に掲載された; 1月7日、風刺漫画で知られるフランスの新聞社が武装した男たちに襲撃され、死傷者が出るという悲しい事件が起こった。 報道によると、男たちが「預言者の復讐(ふくしゅう)だ」と叫んでいたとの情報がある。同紙はこれまでにイスラム教の預言者のヌード姿などを掲載しており、最近も「フランスではいまだに襲撃が全くない」という挑発的な風刺も掲載していた。 偶像崇拝が厳しく禁止されているイスラム教に対しての一連の風刺は、市民を痛めつける権力者へのエスプリの効いた皮肉ではなく、侮辱として映っていたことは多くのイスラム組織によるこれまでの批判と抗議、訴訟がそれを表している。 この風刺問題については、常に「言論の自由」ということが謳(うた)われてきた。しかし、その風刺、いや侮辱を苦にする人々の声を無視し、無差別にイスラム教徒を侮辱し続ける権利を誰が持つのだろうか。一連の風刺に、イスラム教への偏見や悪意は交じっていなかったのだろうか。 イスラム教も言論の自由も、それを信じる、あるいは唱えるのは同じ人間であり、よく知られているようにこの地球上には多くの異なった意見、考え方を持った人たちが共存している。 日本で生まれているヘイトスピーチのように、相手への侮辱をはらむ「言論の自由」という暴力が生まれるとき、私たちの持つ制度、そして社会はそれにどのように対応していくべきなのか。 「言論の自由」という聖域に対して、私たちは話し始めるべき時が来たのではないだろうか。2015年1月15日 東京新聞朝刊 11版S 5ページ「ミラー-言論の自由考えよう」から引用 テロ行為は弁解の余地の無い犯罪行為で法の裁きを受けるのが当然ですが、今回のテロ事件に対してフランス大統領が「言論の自由」を持ち出してイスラム批判を行ない、フランス市民が「わたしはシャルリ」と書いたプラカードを手にデモを行なったことには大きな違和感を覚えました。テロの被害にあった人々への同情なら理解できますが、フランス人にイスラム教を侮辱する権利は無いはずです。そもそも「言論の自由」とは、統治者が非統治者の言論を権力を持って抑圧する事態に対抗する思想として世の中にでてきたものであって、強い者が弱い者をいじめる手段ではありません。したがって、「シャルリ・エブド」が風刺のつもりで描いた漫画は「言論の自由」の正当な結果ではなく、「言論の自由」を装った弱い者いじめなのであって、それが行き過ぎたから今回のような悲劇を招いたのだと思います。フランス人がイスラム教徒に対して「言論の自由」を主張できるのは、イスラム教徒がフランス政府の要職を占めて、フランス国内の言論をイスラム教の教義で統一しようなどという事態になって初めて言えるのであって、今ではないでしょう。
2015年01月25日
自分の政策に反対の意見を持っている知事には面会しないという安倍首相の幼稚な態度をこきおろす投書が、15日の東京新聞に掲載された; 9日付3面に「沖縄振興予算の審査 知事招かず自民冷遇」とあった。自民党は、沖縄振興予算を審査する会合に翁長雄志(おながたけし)沖縄県知事を招かなかった。同日の本音のコラムで佐藤優氏は「翁長氏を冷遇することは沖縄県民を冷遇するという意味を持つ」と述べている。 日本社会では「同類を持って集まる」といわれるように、「異」を「邪」として排除するところに成り立つ「和」があるように思う。しかし、「異論」を「邪」として退けるところに民主主義は育たない。各人の異なった主張や意見を互いに認め合い、尊重するのが民主主義だ。 自分たちの主張に「異」を唱える翁長氏とは話し合いたくないとは、なんと幼稚な人たちなのか。こんな人たちに国の将来を委ねてよいのか。2015年1月15日 東京新聞朝刊 11版S 5ページ「発言-翁長氏を排除、なんとも幼稚」から引用 政府の政策に反対であるとは言え、それは沖縄の民意を代表しているのであるから、その民意に支えられて当選した知事に面会しないというのは、民主主義を奉じる国の首相としていかがなものかと思います。また、「和を持って尊しとなす」とは聖徳太子以来のわが国の善き伝統であると教えられたものであったが、これが実は「異質」を排除するという民主主義とは相容れない思想に基づいているとは知らなかった。
2015年01月24日
安倍首相の沖縄に関する言行不一致について、15日の東京新聞コラムは次のように批判している; 「粛々」とは、どんな意味なのか。念のため手元の辞書を引いてみる。三省堂の『新明解国語辞典』には<(緊張して)静かに行動する様子>とあり、小学館の『日本国語大辞典』では<つつしみうやまうさま>などと説明されている。 11月の沖縄県知事選で、普天間飛行場の辺野古移設に反対する翁長雄志(おながたけし)さんが当選した時、菅官房長官は「法治国家として(移設を)粛々と進めていく」と言っていたのだが、この「粛々」とはどんな意味だったのだろう。 翁長知事は就任以来、沖縄の今後を政権幹部と話し合おうと、上京を重ねている。しかし、安倍首相や官房長官は面会に応じようとしない。きのう知事は官邸まで足を運んだが、応対したのは官房副長官だった。 国の安全保障のために沖縄の米軍基地は欠かせないと言い、その負担を求めながら、当の沖縄県知事には会おうともしないのが、<つつしみうやまうさま>なのだろうか。 安倍首相はかつて「沖縄の人々が耐え、忍ばざるを得なかった戦中戦後のご苦労に対し、通り一遍の言葉は意味をなしません。私は、若い世代の人々に特に呼びかけつつ、沖縄が経てきた辛苦に、ただ深く思いを寄せる努力をなすべきだということを訴えようと思います」と語った。 それこそ粛々とした言葉に聞こえたが、知事に通り一遍のあいさつすらしないのは、どうしたことなのか。2015年1月15日 東京新聞朝刊 12版 1ページ「筆洗」から引用 政府が米軍と相談して決めた新しい基地について、地元の住民は「ノー」という答えを出したのであるから、政府は米軍に事情を説明し次善の策を探るべきである。米国政府でさえ、地元の意向を無視して基地を建設することには否定的な見解をもっている。翁長知事は、今は先ず日本政府に働きかけているが、これが話にならないということになれば、次は独自に外交権を確立して米国政府と直接交渉することになる可能性があり、さらには国連を通じて広く国際社会に救済を訴えることになるかもしれない。そのような事態になる前に、安倍首相は翁長知事と話し合いをするべきだ。
2015年01月23日
気鋭の憲法学者で首都大学東京准教授の木村草太氏は、国政選挙の一票の格差をどう解決するべきかという問題について、12月18日の朝日新聞で次のように述べている;■地方の声くむ制度整備を 木村草太さん(憲法学者) 最高裁はこれまで、「一票の格差」の訴訟の判決では、大きな原理原則を述べるだけで、具体的にどうすべきか述べないことが多かった。 今回の判決は、都道府県単位の仕組みを維持しながら投票価値の平等を実現するのは限界に達していると指摘したうえで、「合区でやれ」という強いメッセージを出したという点が最大の特徴でしょう。 最高裁がそこまで踏み込んだ背景には、衆院と参院の選挙制度が似通ってきているという問題があると思います。 本来、参院は衆院とは別の形で民意を反映するようにしなければなりません。そうしていれば、仮に衆院が都道府県に全くこだわらない選挙制度なら、参院が都道府県にこだわるという説明も可能でした。 しかし実際には、衆院も都道府県の枠の中で選挙区の区割りをしています。それなら参院は都道府県という枠から離れてもいいのではないかという議論は、説得力があると思います。 ただし、判決が投票価値の平等を実現する方法として、合区しか示していないのには違和感があります。論理的には、合区以外にも、人口の多い大都市部の定数を増やす方法もあるからです。 今のような財政状況で、議員の定数を増やすのは政治的に難しいかもしれません。しかし、私は合区より、定数を増やす形で一票の格差をなくし、歳出削減の要請に対しては、歳費など議員1人当たりの経費を削減することで対応した方が合理的だと思います。 なぜなら、あまりに議員数を減らし過ぎると、少数ではあっても重要性のある意見が切り捨てられ、国民の多様な意思を議会に反映させることが困難になってしまうからです。 合区によって、人口の少ない地方の定数を削減しようとすると、当然ながらその地方からの反発が予想されます。これに対しては、地方の意見を聞いてそれを国政に採り入れる仕組みをパッケージとして提示することが必要になります。 国の成り立ちが日本とは異なりますが、例えばドイツの連邦参議院は、各州政府の閣僚が議員になっています。フランスの場合、地方自治体の首長が国会議員を兼任することができるようになっています。 日本の参院も地方自治体の首長や議員が意見を述べる場を定期的に作ったり、一定周期で地方を巡回する会期を作ったりして、地方の意見を採り入れる仕組みを整えるなどして、地方の声を聞く院として衆院に対する独自性を持たせることは可能でしょう。ただしその場合でも、議員の選挙における投票価値の平等はあくまで維持されなければならないと思います。(聞き手・山口栄二) * きむらそうた 80年生まれ。東京大学法学部助手を経て、06年から首都大学東京准教授。著書に「キヨミズ准教授の法学入門」「憲法の創造力」「テレビが伝えない憲法の話」など。2014年12月18日 朝日新聞朝刊 12版 15ページ「どうする 一票の格差」から一部を引用 一票の格差は有権者の声を反映させる効果に格差を生じるのですから、これは放置せずに改善する努力が求められます。基本的に有権者の数が増えたなら議員の定数を増やす、これが常識というもので、有権者数が減ったら定数も減らすのが当然です。その結果、議員を出せない地方が出てきた場合は、近隣の選挙区と合併して統一の代表を選出するというのは、極めて理にかなった方法と言えます。また、国会議員に支払う報酬や政党助成金などの負担を軽減するためには、国民が一致協力して共産党に投票し、共産党議員を増やすという案があると思います。自民党や民主党議員が増えると、国はそれだけ政党助成金を増額しなければなりませんが、共産党は政党助成金を受け取りませんから、そういう議員が増えれば、国はそれだけ負担が軽減されます。
2015年01月22日
十分な国会審議もせずに強行採決でなんでも決める安倍政権のやり方に不安を訴える投書が、12月18日の朝日新聞に掲載された; 天声人語は11日、次のように伝えた。1972年の沖縄返還をめぐる日米密約の存在について元外務省アメリカ局長の吉野文六さんは「国会で何度もウソを言っていた」と語った。検事総長だった松尾邦弘さんは、10日の本紙で「国家権力は、場合によっては、国民はもちろん、司法に対しても積極的に嘘(うそ)を言う」と話した。 特定秘密保護法が10日に施行された。政府はホームページで「国民の知る権利が侵害されませんか」との質問を設定し、こう回答している。「皆様に伝えるべき情報が特定秘密に指定されることはありません」 一方で、不正な秘密指定のチェック役の管理監が要求しても、大臣が「安全保障に著しい支障を及ぼす」と考えれば、「資料提出を拒める」と報じられている。 歴代の自民党政権は、沖縄返還という国家的な重大事でさえ嘘を重ねてきた。その自民党政権を、どうやって信じろというのか。安倍政権は特定秘密保護法を成立させ、集団的自衛権の行使を容認した。衆院選で自民党が勝利したことで、安倍晋三総裁の悲願であろう憲法改正が現実化するのではないか。心配でならない。2014年12月18日 朝日新聞朝刊 12版 14ページ「声-憲法改正の現実化を心配する」から引用 沖縄が本土に復帰する際に日米両国政府の間に密約があったことは米国政府が公開した公文書によって明らかになっているにも関わらず、日本政府は「密約はなかった」と証拠を突きつけられても尚、認めようとせず、民主党政権になってようやく密約を認めたものの、結局はなぜそのようなやり方が必要だったのか、検証することもなく責任追及もされずにうやむやになっている。特定秘密保護法についても、国民の知る権利が侵害されないかとの質問に対し、国民に伝えるべき情報が特定秘密に指定されることはない、という回答はまったく答えになっていない。どのような情報を秘密にするのか、何年後に公開するのか、そのような判断基準は存在せずすべては政府の一存でやりたい方題になっている。こういうことを言う政府を信用しろというのが無理な話だ。心配でならないというのは、もっともなことだ。
2015年01月21日
自民党に投票はしたが「アベノミクス」を支持しているわけではないという投書が、12月18日の朝日新聞に掲載された; 衆院選で自民党に一票を投じた。「アベノミクス」を支持したからではない。逆に不信感を持っているが、結果には責任を持ってもらおうという意味の一票である。 我が生活を振り返ると、年金が減り、自衛策は出費を抑えるしかなく、昨春から私は頭を自宅で剃(そ)り散髪代なし。毎晩だった飲酒は年数回程度に減らした。今年4月からの消費税8%は、家計に大打撃だ。同居の次男の勤務先は輸入食品販売業のため円安で収益が悪化。夏冬のボーナスはそれぞれ給与1カ月分を切った。 今後、国家財政の改善と景気回復はできるのか。少子高齢化や社会インフラ劣化にも対応できるのか。いずれも至難の業だ。大阪とはいえ郊外にある我が町でも高齢化率は35%を超え、水道管破裂などのインフラ劣化が目だつ。国も町も個人も苦しいのだ。 私はそれを自覚し、政治に文句を言うだけでなく、つましい生活で自助努力しながら「アベノミクス」が砂上の楼閣にならないよう、厳しく見守りたい。2017年4月の10%への消費税再増税までに結果が見えるだろう。2014年12月18日 朝日新聞朝刊 12版 14ページ「声-自民に一票、我慢して見守る」から引用 アベノミクスには不信感を持っているが、結果には責任を持ってもらうために一票を入れたという言い草は、まるで雲をつかむような話で、自己の矛盾した行動の言い訳としてもかなり無責任な印象を否定できません。第二次安倍政権が発足してしばらくの間、アベノミクス・3本の矢という合言葉が新聞を賑わして、「大胆な金融政策」と「機動的な財政政策」の2本の矢を放てば民間企業もその気になって「活発な投資活動」という3本目の矢が出てくるはずだったのに、シナリオ通りには行っていません。そんなことは選挙前から判っていたのに、見たくないものからは視線を外して、もしかしたらうまく行くかも知れないという淡い期待で自民党に投票する、そういう行動原理では世の中を変える力にはなり得ません。国も町も個人も苦しい、それは今までの政治が「富の再分配」に失敗してきたからです。その事実をしっかり認識した上で、共産党が言うような具体的な再建策を考えるべきです。
2015年01月20日
わが国憲法制定のいきさつを学び、これからもこの憲法を守っていくべきであると主張する投書が、12月17日の朝日新聞に掲載された; 来年は、先の大戦から70年の節目の年になります。衆院選の結果、近く発足する第3次安倍政権がどんなメッセージを世界に発するのか。隣国だけでなく、世界が注目していると思います。 第2次世界大戦では枢軸国側が敗れて国際連合が発足し、世界人権宣言が生まれました。日本国憲法も、こうした流れのひとつだったと思います。 最近、政治家だけではなく一般市民にも、憲法をあしざまに非難したり、外国人の権利を否定したりするヘイトスピーチが見られます。 しかし、こうした言説は本人の意図を超えて国益を損ないます。「日本は過去の負の遺産と決別した平和志向の国」という70年近くかけて私たちが築き上げてきた評価を傷つけてしまうからです。 安全保障の環境が厳しさを増しているのは否定できません。しかし日本国憲法を守り、狭量なナショナリズムに陥ることなく自らを律するべきです。 自国が人権と正義という普遍的価値に照らして恥じるところがないことを明らかにし、外交による平和的解決を冷静に探っていきましょう。それが新政権を含め、日本国民の歩むべき道ではないでしょうか。2014年12月17日 朝日新聞朝刊 12版 14ページ「声-『平和国家』が日本の歩む道」から引用 この投書が訴えるように、私たちは戦前の負の遺産と決別して戦後の70年間、平和国家として歩んできたという事実を、私たちは忘れてはならないと思います。私たちの現在の憲法は、人権と正義という普遍的な価値を基本にしているのに対し、自民党の改憲草案では「人権は公共の利益の範囲内」に限定されることになり、戦後レジュームを脱却して戦前の日本を取り戻すなどという安倍政権の方針は、歴史の歯車を逆転させる話で、とても賛同出来るものではありません。
2015年01月19日
選挙の期間中は集団的自衛権や憲法問題が争点化することを極力避けておきながら、安定多数を確保したとたんに憲法改正を言い出した安倍首相の卑怯な態度を批判する投書が、12月16日の朝日新聞に掲載された; 衆院選の結果、安倍政権の継続が決まりました。早速、安倍晋三首相は憲法改正への意欲を表明しました。でも、ちょっと待ってください。安倍首相は選挙期間中、改憲についてはあまり触れなかったのではないですか。目の前の経済問題を争点の中心に据えていながら、終わった途端に持論を持ち出すのは、国民を欺くことにはならないでしょうか。 憲法改正は、国民の基本的人権が関係する重要な事柄です。どのように改正するか国民に説明し、国民の意見をくみ取る必要があります。例えば自民党が2012年4月に発表した「憲法改正草案」には「国防軍」の創設が明記されていますが、それ一つとっても大きな議論になります。 世界の歴史は、国民が政治家たちの言葉にごまかされ、操られ、真相が分からないまま戦争に突入したことを教えています。私たちはその教訓を学び、政治家の言葉を聞き分けなければなりません。しかし同時に、政治家も真実を語るべきです。安倍首相は改憲が悲願なら、正々堂々と持論を国民に問いかけるべきです。今回の表明の仕方には不信が募ります。 衆院選で安倍自民党は勝利しましたが、多くの国民は憲法改正まで委ねたわけではないのです。2014年12月16日 朝日新聞朝刊 13版 14ページ「声-憲法改正まで委ねていない」から引用 選挙中はアベノミクス一点張りで押し通しておきながら、選挙が終わると憲法改正を言い出すというのは政治家として如何なものかと思います。それは確かに自民党の選挙公約には「憲法改正」と、よく探さなければ分からないような位置に小さな文字で目立たないように書いてあったかも知れませんが、そんなものは誰も読みはしませんから、選挙演説やテレビ出演のときに繰り返して視聴者に訴えるようにしなければ、よもや自民党が憲法改正などするわけがないと思うのが一般的な認識でしょう。それに、12日のスレッドに引用した宮子あずさ氏の記事のように、自民党に投票したといっても自民党の主張を全部支持しているわけでもないというのも実情ですから、憲法改正という重大事には慎重な姿勢が必要というものでしょう。その上、今回の安倍首相の衆議院解散・総選挙というやり方に対し、国民の二人に一人は「無視」という姿勢で対応したという事実も、安倍政権に対する国民の支持はその程度だということであり、見落としてはいけないポイントです。
2015年01月18日
新任の翁長知事が沖縄県から上京して面会を求めたのに、これを拒絶した安倍首相の対応を批判する投書が、10日の東京新聞に掲載された; 沖縄県の翁長雄志(おながたけし)知事が昨年12月26日、就任あいさつと2015年度予算編成で国に要望するため、安倍普三首相らに面会を求めたが、首相には会えなかったことを翌日の朝刊の記事で知った。 国の重要課題である米軍普天間飛行場移設問題を抱える県知事が面会を求めてきたのに、首相が会わなかったとは信じ難い。たとえ考え方が違っていても、顔と顔を合わせて意見を交換できる絶好のチャンスだったのではないか。 一方で、首相はマスコミ各社の要人と会食を繰り返したり、国の各種諮問機関の委員等に自分の考えに近い人物を選定していると報じられている。えり好みで政治を行う姿は一国の首相としての資質を有しているのか、と疑ってしまう。2015年1月10日 東京新聞朝刊 5ページ「発言-首相は知事となぜ会わない」から引用 自分と考えが異なる人物とは面会もしないとは、呆れた対応だ。たまたまその時が忙しい時期だったというのであれば、わざわざ前もって面会の申し入れがあった時点でお互い都合の良い時間を打ち合わせするものであるが、それもしないで代理の者に面会させるというのは沖縄県民を軽視していることを意味する。安倍首相にとっては憲法よりも大事な日米安保条約の根幹となっている米軍基地であるが、その75%を引き受けている沖縄県に対して、このような失礼な態度をとるというのは、同じ本土の住人として許し難い。
2015年01月17日
日本在住の中国人作家、楊逸(ヤンイー)氏は、中国で人気の「知日」という雑誌に関連して、10日の東京新聞コラムに次のように書いている; 私にとってのお正月は読書週間である。この新年に読んだ中に『知日なぜ中国人は、日本が好きなのか!』があった。「日本を知る」意味のそのタイトルは、日中関係が悪化しつつあった2011年1月に北京で創刊された雑誌の名前に由来する。漫画や猫のような「一般受けしやすい」ことから、日本禅や明治維新など歴史や価値観をのぞかせる分野まで、毎回テーマに沿って写真や漫画を用いて中国人に今の日本の「ありのままの姿」を紹介するこの雑誌、中国の若者の間で大ヒットしているそうだ。 政治に操られる「日中関係」は、いつに始まったのだろうか。隣国なのに、いや隣国だからこそ、互いに「ののしり合っている」。心痛むもなすすべはない。日本で暮らす中国人として日本の人にもっともよくされる質問は「中国とどう向き合えばよいのか」である。ゆえに、今の私は「中国とどう向き合えばよいのかアレルギー」にもかかってしまった。 よく考えれば、先の質問をする人の大半は中国のことをあまり知らずに、メディアの報道で「嫌中」感情を抱くようになった。「どう向き合うか」を悩む前に、どんな小さなことでも、まず興味を持ち、自らの目で見て、身をもって体験することだ。「知」と「日」とを合わせれば「智(ちえ)」になる。「智」もまた、「知」がなくして生まれやしないのだ。(作家)2015年1月10日 東京新聞朝刊 11版S 25ページ「本音のコラム-知日」から引用 この記事は中々示唆に富んでいる。楊逸氏に「中国とどう向き合えばいいのか」と質問してくる人が、実はあまり中国のことを知らない。これはどうも中国に限った話ではなく、不当なヘイトスピーチを繰り返す在特会のメンバーも、インタビューしたところ、彼らは日本になぜ在日と呼ばれる人々がいるのか、行政がなぜ彼らを支援する政策を実施せざるを得なかったのか、その辺の知識は皆無で、巷に氾濫するヘイト本を鵜呑みにしているだけだという報告もある。そのような付和雷同はつつしみ、自分の目で見て確かな情報を得ることが大切です。
2015年01月16日
昨年暮れの総選挙が公示される直前に自民党がテレビ各局に「公正中立」を求めるような装いで不当な圧力をかけたとき、危機を感じたジャーナリストやメディア研究者のグループがテレビ各局に対して不当な圧力に屈することのないように求める声明を発表したのであった。12月12日の朝日新聞は、次のように報道した; 自民党がNHKと在京民放5社に衆院選報道における「公平」を求める文書を送った問題で、原寿雄・元共同通信編集主幹らジャーナリストやメディア研究者7人が発起人となり、「放送による表現の自由や、放送が健全な民主主義の発達に資することが危機に瀕(ひん)している」とする声明を11日発表した。 声明では、自民党の文書は、放送法の精神や過去の政府見解に反するとした上で、「放送局は、言論報道機関の原点に立ち戻り、『表現の自由』を謳(うた)う放送法を尊重して自らを律し、民主主義を貫く選挙報道をすべきだ」とした。 また「政治家も、『錯誤』に満ちた要望書を放送局に送るような愚行は慎み、放送が伝える人びとの声に耳を傾け、放送を通じて堂々と政策を議論すべきだ」としている。2014年12月12日 朝日新聞朝刊 14版 35ページ「公平要請文書、『慎むべきだ』 ジャーナリストら声明」から引用 この記事によれば、自民党の文書は放送法の精神に反するというわけであるが、それは放送法が「言論報道の自由」を前提に成り立っている法律であるのに対し、自民党の文書は上辺は「公正中立」といいながら実際は「わが党に不利にならないように」と要求しているからで、街の声の取り上げ方まで仔細に介入している点にその意図が明らかである。また、声明は自民党の文書が過去の政府見解に反するとも指摘しているが、これは自民党が意図した「椿事件」なるものが実は「事件」とよぶほどの「違法な」事案ではなかったことが、過去の政府見解で明らかになっているという意味であり、「椿事件」が事件として立件されなかったのは、一部のコメンテーター氏が言うような「テレビ朝日が反省したから」ではなくて、散々あら捜しをしても違法行為は発見できなかったというのが真相である。そもそも、明らかな違法行為が存在するのであれば、反省するしないとは関係なく粛々と立件するのが警察の仕事であり、反省十分につき立件は見送り、などということが法治国家にあっていいわけがない。大岡越前の時代じゃあるまいし。
2015年01月15日

文芸評論家の斎藤美奈子氏は、暴走する安倍政権への懸念について、7日の東京新聞コラムに次のように書いている; なんとなく憂鬱(ゆううつ)な2015年が幕を明けた。 安倍普三首相はあいかわらずやる気満々だ。年頭所感でも「今年は、さらに大胆に、さらにスピード感を持って、改革を推し進める」「私たちが目指す国の姿を、この機会に、世界に向けて発信し、新たな国づくりへの力強いスタートを切る」などと威勢がいい。 ついつい横やりを入れたくなる。「それ以上のスピード感はいらないから」「力強いスタートも切らんでよろし」 理由は単純。首相がハンドルを握るバスはもっか高速道路を逆走しているからである。大企業と富裕層の優遇に偏った経済政策。武器輸出を解禁し、集団的自衛権の行使に向かう安全保障政策。原発の再稼働と原発輸出への意欲。すべて暴走というより逆走だ。 高速道路会社各社の調査によると、逆走事案でもっとも多いのはインターチェンジやジャンクションでの進路の選択ミスらしい。ミスに気づかず走行を続けるドライバーもかなりいるみたい。 あと、このバスは年中アクセルとブレーキを踏み間違える。交通ルールの解釈も平気で変える。誤りをただすナビゲーター役の野党は居眠りしているし、メディアは後部座席で遊んでいる。このぶんじゃ、早晩、交通事故は免れまい。せめて対向車との正面衝突だけは避けたい。いかに被害を最小限に抑えるか考えないと。 (文芸評論家)2015年1月7日 東京新聞朝刊 11版S 25ページ「本音のコラム-逆走にご注意」から引用 やはり、この、年中アクセルとブレーキを踏み間違えていては、国民は安心できません。憲法解釈は閣議決定で変更するし、立憲主義について質すと「王権時代が・・・」などと言い出すし、漢字を書かせると下の写真のような有様ですから、どうしてこういう人物を首相にしたのか、憂うつになるのも無理ありません。
2015年01月14日
7日の東京新聞社説は、近代立憲主義と矛盾する自民党の改憲草案について、次のように論証している; 安倍晋三首相の悲願は憲法改正です。衆院では与党が3分の2超の勢力を確保しました。戦後日本の軌道を変えるのか、まさに正念場になります。 大阪大学の一千もの一般教養科目の中で、日本国憲法の講義が過去4度、学生の投票で「共通教育賞」を受けています。いわば”ベストティーチャー賞”です。教えているのは、大阪国際大の谷口真由美准教授(39)です。 わかりやすいのが、授業の特徴です。谷口さんは先月、「日本国憲法 大阪おばちゃん語訳」(文芸春秋)を出版しました。条文を大阪弁で言い表した内容です。◆まず「知憲」が出発点 「護憲とか改憲とかいう前に、『知憲』でっせと声を大にしていうてます」-。これが谷口さんのスタンスです。学生が憲法を知らない現実があるからです。 「『知ってる』とみんな手を挙げても、『何条あるか』と聞くと、学生の手はほとんど挙がりません。ええも悪いも知らないでいては、同じ素地に立って議論できませんやん」 おばちゃん語訳の憲法前文は、例えばこんな具合です。 <もう戦争はしやしまへんってきっぱり決めましてん。(中略)他のお国のお人たちも同じように平和が好きちゃうかって信じてますねん。そう信じることで、世界の中で私らの安全と生存を確保しようと決めましてん> 集団的自衛権の行使容認は「ヤンキーのけんか」に例えます。 「仲良しのツレがやられて、ツレの方がいじめてる側やのにとか関係なく、『ツレやから』という理由でケンカに行くようなもんですわ。ツレが悪い奴(やつ)やったらというのは、すっ飛ばすんですな」 憲法9条は「永久」の戦争放棄を宣言しています。でも、自民党の憲法改正草案からは「永久」の文字が消え、交戦権の否認などの条項も削除されています。◆権力を縛る立憲主義 永久とは永久です。戦後70年、その年月で世界に向けた平和の宣言を取り消しては、先人たちの決意に背きます。理想主義的と言われますが、この9条で戦後日本が戦争に巻き込まれなかったことは厳然たる事実です。 「永久」の文字が付いた条文は他にもあります。基本的人権は「侵すことのできない永久の権利」と定めています。「人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」とも記しています。 人類の努力の一つにフランスの人権宣言があります。16条は「権利の保障が確保されず、権力の分立が規定されないすべての社会は、憲法をもつものでない」と記しています。ですから、基本的人権は多数決では決められない価値といえます。 先人たちが未来をも拘束する原理を憲法に埋め込んでいるわけです。もちろん憲法とは、他の法律と決定的に性格が異なり、国家権力に向けて書かれています。 「憲法擁護義務を負うのは国務大臣や国会議員、公務員らと定めてます。国民とは書いてないですね。憲法に則(のっと)った政治こそ立憲主義であり、権力を縛る手段なんですわ」(谷口さん) この立憲主義の考え方は先進諸国はどこも同じです。人権を守るために政府に権限を持たせる一方、これだけは守りなさいと権力に約束させたのが憲法です。 でも、安倍首相は立憲主義について「王権が絶対権力を持っていた時代の主流的考えだ」と述べました。珍妙な答弁です。王権が絶対なら縛られてはいません。 自民党の憲法改正草案は、立憲主義を見失っています。驚くべきことに、人類普遍の原理である天賦人権説についても、自民党は「改める必要がある」と公言しています。自由と権利については「責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない」と国民に命令しています。これでは権力を縛る憲法の役目になりません。 安倍首相は総選挙に大勝し、「公約でも憲法改正に取り組むことを明記している。歴史的チャレンジと言っていい」と述べました。やはり目指すは改憲です。 しかし、「知憲」は、本当に大丈夫でしょうか。谷口さんは「権力が自由にしたいように勝手な解釈をして、国家のために国民に義務を果たさせるように変えられないやろか」と心配しています。◆「あっさり奪われる」 自由と権利を憲法は「国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない」と記します。 「人権を守るには『不断の努力』と『普段の努力』が必要ですねん。そうせえへんかったら、あっさり人権なんか奪われていくことを自覚せなあきまへんな」 憲法の危機には「普段の努力」が欠かせません。2015年1月7日 東京新聞朝刊 11版S 5ページ「社説-『普段の努力』で守る」から引用 この社説が紹介するように、フランスの人権宣言は近代民主主義の出発点となったもので、その16条には「権利の保障がない社会は憲法を持たないのと同じだ」という意味が宣言されている。したがって、戦前の日本は確かに「憲法」と名のつくものがあるにはあったが、基本的人権を保障したものではなかったので、実質的には憲法はなかったということである。また、自民党の改憲草案も、この基本的人権を法律の制約の下に置くものであるから、本質的には民主的な憲法を捨てて国民を国家に奉仕する立場にしようとするもので、民主主義の立場からは容認できるシロモノではない。
2015年01月13日
看護師でエッセイストの宮子あずさ氏は自民党を支持する団体に所属しながら、しかし憲法を守るのが今年の抱負であると、5日の東京新聞コラムに書いている; 今年の抱負は何よりも護憲。まずは、「『女の平和』1・17国会ヒューマンチェーン」への参加から始めることにした。今月17日午後1時から3時まで、赤いものを身につけた女性が4回にわたって、国会議事堂を包囲する。 改憲の動きがいよいよ明らかになり、今きちんと平和憲法を守る闘いをしなければ、絶対に悔いが残ると思う。社会情勢が複雑化し、平和の実現はますます困難に見える。しかし私はこんな今だからこそ、妥協せず、平和憲法を世界に広める訴えが必要だと考える。 私は自民党に投票する女性に向けても、メッセージを発したい。自民党は改憲を目指す党と安倍晋三首相は言うが、どこまでそれが浸透しているかは疑問である。例えば、看護師は看護連盟という政治団体をつくっている。基本は自民党支持の団体。しかし、改憲には首をかしげる人も多い。何しろ私も、管理職時代は会員だったのだ。 自民党支持者=改憲賛成にあらず。自民党が両院で3分の2議席をとっても私は諦めない。改憲の発議がなされても、国民投票で改憲反対が上回ればいいのだから。 広く支持を集めるには、一部の過激な人が動いているように見えてほしくない。私は楽しく行動に参加します。男性の応援団も大歓迎。一人でも多くの方に会場でお目にかかれますように。 (看護師)2015年1月5日 東京新聞朝刊 11版 23ページ「本音のコラム-『女の平和』に参加しよう!」から引用 自民党支持者が必ずしも改憲支持者ではないという指摘はもっともなことで、自民党で改憲に熱心な議員は全国の商工会議所が自民党支持になっているので、これを組織的に活用して改憲運動を進める作戦のようであるが、やはり自民党指示は必ずしも改憲支持とは限らないので、護憲派も全国の商工会議所に働きかけて、全国の「九条の会」と連携して平和憲法を守る意識を高めていきたいものです。
2015年01月12日
元外務官僚で作家の佐藤優氏は、わが国政界にはびこる反知性主義の弊害とその克服について、12月26日の東京新聞コラムに次のように書いている; この一年を振り返って痛感するのが、政治エリートの間に反知性主義が蔓延(まんえん)したことだ。反知性主義とは、「客観性、実証性を軽視もしくは無視して、自分が望むような形で世界を理解する態度」のことで、高等教育を受けた者が反知性主義のわなに足をすくわれることもまれでない。 反知性主義者は、あのひどい負け戦を美化することや、沖縄県民の反対を押し切って辺野古(沖縄県名護市)に米軍のための巨大基地建設を強行しようとしている。その結果生じる日本の国際的孤立、沖縄における分離傾向の加速が反知性主義者の視界に入らない。 日本の政治はポピュリズムが基調なので勇ましいことを言う反知性主義者にとりあえず票が集まる。こうして当選した政治家は、反知性主義にナルシシズム(自己陶酔)を併せ持つようになる。そして永田町でグロテスクな政治劇が行われる。 反知性主義者が反知性主義を、ナルシシストがナルシシズムを脱構築することはできない。かなり強力な刺激を外部から注入することによってしか、反知性主義とナルシシズムが生み出す悪を除去することはできないと筆者は考える。反知性主義を崩し広範な人々の腹に入る適切な言葉を小説家、ノンフィクション作家、劇作家などの表現者が見いだすことができれば事態は改善する。表現者の責任は重い。(作家・元外務省主任分析官)2014年12月26日 東京新聞朝刊 11版 25ページ「本音のコラム-表現者の責任」から引用 反知性主義がはびこるのは困ったものです。東大法学部卒の優秀な官僚であっても「立憲主義なんて知らない」などと言い放って基本的人権を法律で規制できるとする自民党改憲草案などを作ったりしている。戦後の日本は民主主義と人権尊重という欧米と共通の価値観のもとに進んできたものを、ここで自民党が提唱するような憲法に切り替えたのでは、国家元首を三代に渡って世襲している何処かの国と同じ政治体制になってしまう危険があります。私たちは自民党改憲草案に明確な「ノー」を突きつけるべきです。
2015年01月11日
法政大学教授の竹田茂夫氏は、有権者の過半数が支持していないのに過半数の議席を得たからと言って、選挙戦でもほとんど議論を避けた政策をゴリ押しする与党を、元旦の東京新聞コラムで次のように批判している; 政党は権力を握ると公約違反をしたり、国民に不人気の政策を強行したりすることがよくある。 民主党政権の消費税増税やTPP(環太平洋連携協定)への参加表明、現政権の原発再稼働や憲法9条改正の方針などがその例だ。国民の願望や意見は選挙で集計されて政権という鏡に映るはずだが、今回の選挙ではその姿の半ばは消し去られ、半ばは大きく歪(ゆが)んでいる。この歪みを熟議や市民運動が補正するのが理想だが、国民が大勢に順応し、日々の生活に埋没する中で、現政権は強権手法で歪みをさらに増幅させつつある。 金融市場も無数の投資家の思惑や売買から市場価格を見いだす一種の集計装置だが、成立した価格が今度は投資家の予想や行動を突き動かし、価格と売買がらせん状に拡大することがある。 周知のバブルの原理だ。現政権は日銀総裁に大見えを切らせて、市場の期待を喚起し、政策バブルの株高で国民の支持を繋(つな)ぎとめる間に、別のアジェンダに沿って進む方針のように見える。 国民と政権は互いに歪んだ姿を映し合う2枚の鏡なのだ。国民の大多数には政権の素顔、危険な国家主義が隠されている。現政権には株で小ガネを稼ぐ一方で、子孫に原発汚染を残し、非正規層を差別し、沖縄を犠牲にして顧みない、われわれ日本人の顔がデフォルメされて映し出されている。 (法政大教授)2015年1月1日 東京新聞朝刊 11版 29ページ「本音のコラム-権力の顔」から引用 選挙の結果では確かに自民党議員が多く当選したが、沖縄県の小選挙区だけは自民党が全廃であった。したがって、沖縄県の民意ははっきりしている。この地元の民意を無視して政府が勝手な政策を進めるのは、民主主義の主旨に照らして大いに疑問である。普天間基地の使用は出来るだけ早く止めてもらうべきだし、辺野古に建設を予定している滑走路は関西空港に持ってくるか、海外に移転してもらうか、政府は速やかに米国政府と交渉するべきである。
2015年01月10日
中国では日本人の社会や生活文化を紹介した月刊誌「知日」が若者の間で人気を博しており、この度はその日本語版が刊行されたと、元旦の東京新聞が紹介している; 中国で日本の現代文化を紹介する月刊誌「知日」の掲載内容をまとめて和訳した「知日 なぜ中国人は、日本が好きなのか!」が刊行された。中国人向けの雑誌を日本で発行する意図を、同誌主筆で作家の毛丹青(マオタンチン)・神戸国際大教授(都市環境・観光学)は「日本の若者へのメッセージです」と語った。 (三沢典丈) 毛さんは北京大卒業後、中国社会科学院哲学研究所などを経て1987年に来日。魚介販売や商社勤務などを経験した後、日中両国で作家活動を開始し、日本を旅して出合った出来事を題材にしたエッセー集「にっぽん虫の眼紀行」で注目を浴びた。 「知日」は2011年1月に創刊した。尖閣諸島沖で10年9月、中国漁船衝突事件が起き、日中の関係が悪化する最中だった。 きっかけは08年、毛さんが北京に講演に訪れた際、日本文化に興味を持つ編集者・蘇静(スジン)さんと出会った。蘇さんが毛さんに「日本文化に関心のある若者は多い」と「知日」の企画を持ち掛けて意気投合した。 日本在住の毛さんと中国在住の蘇さんが話し合って毎回一つのテーマを決め、中国人スタッフが来日して取材、執筆する。取り上げたテーマは現代美術家の奈良美智、漫画、禅といった定番ものから、制服、猫、暴走族まで多岐にわたる。写真やイラストを多用して分かりやすく解説しっつ、「漫画」号では、巻末に日本の代表的な出版社と各社の関係まで紹介した。 テーマは軟らかいが、編集方針は硬派だ。内容の真実性を高めるためスボンサーを求めず、広告は一切なし。価格は35元(約700円)と、一般的な月刊誌よりも高いが、毎号10万部前後を売る。日中友好など関係なく、「あくまでもビジネス。ターゲットは18~35歳」という。同誌は24号を発行し、部数はさらに伸びている。 では、なぜ今回、日本語版を発行することになったのか。毛さんは「現代の日本を知る中国人は今後、どんどん増えていく。一方、日本人は国家関係が悪化しているからと、中国への旅行客は減り、今の中国を勉強しようという人も少ない」と日中の「知のアンバランス」を指摘する。 現在の日中関係は米国に学ぶ日本を米国が軽視し、60年代以降に高度成長を遂げた日本が米国を脅かす存在となったケースとよく似ているという。「このまま10~20年たてば、日本は確実に中国に置いていかれる。いずれひどい目に遭うのでは」と懸念する。 そのうえで、毛さんは「『知日』はビジネスモデルとして成功した。日本の若者にも中国を知る『知中』に挑戦してもらいたい。そのお手伝いをする用意はある」と語る。表面的な友好ではなく、ビジネスを通じて「知」の交流を図ることが結果的に日中両国に益する。「政治も文化の一部。お互いの文化を知り、栄養をもらい合いながら、知のステージを築き上げていかないと、国家の関係も決してよくならない」 日中でお互いに「知日」「知中」の関係が構築できれば、アジア各国とも同様の知の交流を図りたいという。「これは壮大な実験の第一歩なのです」 「知日 なぜ中国人は、日本が好きなのか!」には毛さんと思想家で武道家の内田樹さんの対談も収録している。刊行記念に20日、東京都内で「中国はいま、反日でも親日でもなく、『知日』!」と題して蘇さんらが記者会見を開く。毛さんは「日本の若者を挑発したい」と意気込む。2015年1月1日 東京新聞朝刊 11版 28ページ「『知の交流を』若者に訴え」から引用 古来より百聞は一見にしかずという諺が教えるように、日本人も実際に中国に行ってみて、現実の中国人が何を考えてどのような生活をしているのか、つぶさに体験してみることが大切と思います。反日教育をしているとか反日活動があるとか、いい加減なテレビが伝える現実離れした情報だけが真実と思っていると、やがては「現実」に置いていかれる心配はかなり大きいと思います。
2015年01月09日

政治学者で法政大学教授の杉田敦氏は、12月7日の朝日新聞に朴裕河著『帝国の慰安婦 植民地支配と記憶の闘い』について、次のように書評を書いている;◇根源は家父長制・国民国家体制 いわゆる従軍慰安婦問題をめぐっては、日本軍の関与を強調し、政府の責任を追及する立場と、それを単なる売春であったと見なし、政府の責任を否定する立場とが厳しく対立し、外交関係にまで影を落としている。 本書で著者は、政治的な争いの中で、肝心の当事者である女性たちが置き去りにされがちなことを問題とし、韓国の運動団体側の資料からも引用しつつ、女性たちの生の声に耳を傾けようとする。 著者によれば、無垢(むく)な少女たちの一方的受難というイメージは一面を伝えるにすぎず、植民地構造の中で、女性たちが軍の協力者としてもふるまうよう追い込まれたことこそが、むしろ深刻なのである。兵士たちも、意に反して動員されたという意味では被害者の面ももつとされる。 戦地への移動手段等を提供した日本政府に構造的な責任があることは決して否定できないが、募集や運営を直接手がけた、朝鮮人を含む業者の責任も問うべきだという。 こうした内容を含む本書の韓国語版は運動団体から告訴され、著者は韓国で攻撃の的となっている。ナチス高官の弁明をも受けとめ、一部のユダヤ人によるナチス協力にさえ言及したハンナ・アーレントが、ユダヤ人社会で孤立した経緯が思い出される。 そもそも日本の植民地支配がなければ女性たちが戦地に赴くこともなかったろうし、彼女たちの運命は、支配の記憶と重ねられてきた。しかし、欧米や韓国が日本だけを責めたために、女性差別的な家父長制や、利益のために戦争を行う国民国家体制に問題の根源があることが見失われてしまったと著者はいう。 責任を広くとらえすぎて、責任追及を困難にするとの批判もあろう。しかし、苦境の中で、複雑な問題に極力公平に向き合おうとした努力は特筆に値する。この問題提起に、日本側がどう応えていくかが問われている。 評・杉田敦(政治学者・法政大学教授) * 朝日新聞出版・2268円/パク・ユハ 57年生まれ。韓国・世宗大学校教授。『和解のために』で大佛次郎論壇賞。2014年12月7日 朝日新聞朝刊 13版 12ページ「書評-帝国の慰安婦」から引用 従軍慰安婦の問題について、日本政府の責任の有無だけを議論するのでは本当の問題解決にはならないという朴裕河氏の指摘は傾聴に値します。慰安婦にする女性を戦地に移動する手段を提供した日本政府の責任は当然ながら、女性を募集した業者の中には朝鮮人もいたわけで、あたかもアメリカの奴隷貿易が盛んだったころ白人の奴隷商人の手先になって協力したアフリカ人も存在したことによく似た現象です。そのような様々な歴史の実相を把握した上で、その根底にあったのが「利益のために戦争をする国家体制」であったわけで、このような過ちを二度と繰り返さないためにも、国の交戦権を認めない憲法9条は大変重要であることが判ります。
2015年01月08日
自民党が総選挙を前にしてテレビ各局に圧力をかけた問題は、公示直前の党首討論の場でも問題になった。12月2日の朝日新聞は、次のように報道した; 党首討論では、安倍首相のメディアに対する姿勢も議論になった。 自民党はNHKや在京テレビキー局に対して11月20日付で、出演者の発言回数や時間などは公平を期す▽街頭インタビュー、資料映像などでも一方的な意見に偏らない――などを「お願い」する文書を送った。これについて、会場の記者から「きめ細かく注文が付いている。政権政党が圧力とも捉えられることをすべきなのか」と質問されると、首相は「当然、公平公正にやっていけば全然問題ない」と反論した。 文書は、首相がTBSのニュース番組の街頭インタビューについて「街の声ですから、選んでおられると思いますよ」などと発言した後に出された。首相自身の指示かと問われると、首相は「いちいちそんな指示はしない。党としてそういう考え方でやったのだろう」と述べた。 さらに、1993年の衆院選の後の民放連の会合で、テレビ朝日の報道局長(当時)が「自民党政権の存続を絶対に阻止して、反自民の連立政権を成立させる手助けになるような報道をしようという考え方を局内で話した」という趣旨の発言をしたとされる問題に言及。「ああいう問題が起こってはならない」と語気を強めた。 ただ、テレビ朝日は当時の放送内容について社外有識者を含めて検証し、「不公平または不公正な報道は行われていない」との報告をまとめ、当時の郵政省も「(放送の不偏不党を定めた)放送法違反はない」としている。 首相が情報発信に利用しているフェイスブック(FB)についても、「一国の首相がいちいち社会現象について(発言を)やることなのか、根本的な疑問がある」と問われると、「時代の変化だ。私の生の声がFBを通して市井の皆さんに届く。批判も受け止めながら活用したい」と述べた。 首相は11月25日のFBで、大学生が小学生と称して解散への疑問をネット上で公開したことについて「批判されにくい子供になりすます最も卑劣な行為だ」と厳しく指摘。ネット上では、首相の書き込みを疑問視する声が出た。その後、これを削除し、26日に「過ちを犯してしまったら、行動を改めればよい」と改めて書き込んだ。2014年12月2日 朝日新聞朝刊 14版 2ページ「メディア対応『圧力』批判に反論」から引用 党首討論の会場で質問した記者は、自民党の申し入れが「政権政党が圧力とも捉えられることをすべきか」と質問している。これが世間の常識というもので、議席の少ない野党が申し入れするのとは意味合いが異なるのであるから当然である。それに応える安倍首相も「申し入れをしたのは自民党だけではなく、共産党もやっている」などとは一言も言っていない。つまり、安倍首相も一定レベルの常識は持っていることが、これでうかがわれる。したがって、選挙報道に関するテレビ局への申し入れについて自民党と共産党を同列に論じることが如何にナンセンスであるか、この記事からも明らかである。ただし、安倍首相は細川政権が発足することとなった総選挙の時に起きた「椿事件」について「ああいう問題が起こってはならない」と語気を強めたそうであるが、この記事が示すように、あの事件はなんら法律に触れるものではなかったのであって「起ってはならない」とまでは言い過ぎというものである。また、ロックのコンサートに出かけたりフェイスブックで発言したり、小学生に成りすました大学生がいたからと言って「最も卑劣な行為」などと大げさに騒いで見せたり、相変わらずの幼児性は、やはり一国の首相の適格性という面で問題である。
2015年01月07日
人権意識の高い欧米では、過去の拉致・拷問の問題について責任者を刑事訴追するべきだという声が上がっている。その一方で、日本では過去の拷問虐殺事件について誰も何も言わないことについて、法政大学教授の竹田茂夫氏は、12月25日の東京新聞コラムで次のように述べている; 今月9日、米国議会上院委員会は中央情報局(CIA)の拷問に関する報告書要約版を発表した。アブグレイブ監獄の流出写真から周知の事実だが、拷問は情報取得には無用であるとの委員会の糾弾の姿勢が明確だ。 その翌日、ブラジルでかつての軍事独裁政権の人権抑圧(反対派の拉致・拷問・虐殺)の報告書が公表され、記者会見でルセフ大統領は涙を見せた。彼女自身が拷問を受けたからだ。当時、南米では軍事政権が次々に成立し、現在のチリとウルグアイの大統領も拷問された経験を持つ。 2つの報告書には深い関連がある。CIAは冷戦の経験から、1960年代のベトナム戦争で捕虜の心身両面の人格崩壊を狙った尋問マニュアルを作ったが、それを南米独裁政権の支援やテロとの闘いにも応用したのだ(A・マッコイ『拷問問題』未訳)。拷問は極秘扱いだが、米国のリアルポリティークの一環だった。 米国の一流紙が、拷問を合法化したブッシュ政権元幹部の刑事訴追を社説で主張している。ナチスの秘密警察という暗い過去を持ち、今回は自国民がCIAに拉致・拷問されたドイツでも同じ動きがある。 日本の憲兵隊や特高の拷問は小林多喜二の作品などで知られているが、戦後誰がどう責任をとるべきだったか、日本人は無関心と沈黙を守っている。 (法政大教授)2014年12月25日 東京新聞朝刊 11版S 27ページ「本音のコラム-拷問の責任」から引用 アメリカのブッシュ政権がイラクを侵略する口実は、イラクが大量破壊兵器を隠し持っているからだというものであったが、攻め込んでみるとそれが全くのウソであることが判明した。その時点でジョージ・ブッシュは重大な責任を問われるべきであった。アメリカのイラク侵略のせいで、イラクの政情不安は今も続いているのであるから、責任は重大である。アブグレイブ監獄の拷問はそれ以前の問題であるが、これも本来はアメリカでは拷問は違法であったものを、わざわざ合法化した、その責任は重大であり、責任者が処罰されるのは当然である。小林多喜二の虐殺事件についても検証が必要だ。
2015年01月06日
米国・外交問題評議会上級研究員のシーラ・スミス氏は、安倍政権の内政と外交の姿勢について、12月20日の東京新聞に寄稿して次のように述べている; 安倍首相は精力的に外遊して、日本がステージの中央に戻ってきた、と世界に印象付けることに成功しました。「ジャパン・イズ・バック」と。これは評価できる功績です。一方で要注意の面もあります。私たちが本当に心配していることなのですが、中国や韓国から高まる圧力を安倍氏がうまくさばいていけるかどうか、という点です。 周恩来氏や郵小平氏といった中国のかつての指導者は、日本の政府開発援助(ODA)が中国の発展に資することを理解していました。彼らの時代にも靖国参拝問題や教科書検定問題はありました。それでも彼らは中国と日本には共通の利益があり、対日関係は中国にも有益だと見なしていました。 ところが、今の指導層は自力で成長し成功したと思っています。私は日中の経済は相互依存関係にあると考えていますが、彼らの考えは違います。日本を頼る必要はないと思っており、従来とは全く異なる対日関係を求めています。日中はより複雑で難しい関係になりました。 韓国も同じです。今の若者は親の世代とは違う対日観を持っています。それに、旧宗主国とその植民地だった国との関係は、一種独特なものがあります。日本はそれを理解しないといけません。植民地だった国との和解には、大変な努力がいると思います。 安倍首相の靖国神社参拝は高くつきました。間違ったリスクを冒しました。小泉純一郎氏も靖国参拝をしましたが、少なくとも中国と対話をしようとしました。安倍首相がその努力をしているとは思えないのです。 米国と日本の政府はあらゆる国際問題を日々、議論しています。日米同盟はとても強固です。「イスラム国」(イスラム教スンニ派の過激派組織)といったグローバルな問題での両国の協力は心配ありません。切れ目なく調整を続けています。2国間の防衛協力の指針(ガイドライン)見直しでも、両国政府の方向性は同じです。 日本の若者は先行きに不安を持っています。彼らが展望を開けて希望が持てるよう、職を提供すべきです。夢を描ける社会を日本に形成するとともに、中国や韓国がそんな社会を建設する手助けもする-。安倍首相には、これが次世代に残す遺産になります。中韓両国とは、そういう関係を築いてほしいと思います。 (聞き手・青木睦) シーラ・スミス:コロンビア大で博士号。専門は日本の内政、外交政策。アジア太平洋地域の国際関係にも精通し、東京大などで客員研究員も務めた。2007年から現職。同評議会は非営利のシンクタンク。2014年12月20日 東京新聞朝刊 4ページ「中韓の変化 意識を」から引用 小泉首相が靖国神社参拝を繰り返した時代と現代では状況が変わってきているとの指摘は大変重要だと思います。また、安倍首相が歴史に名を残すためには、集団的自衛権云々よりも、若者が将来に希望を持てるような環境を作ることのほうがより大切ですから、一部の大企業だけ優遇しておけばよいという安易な政策ではなく、積極的な富の再配分を意図した政策に切り替えていくべきだと思います。
2015年01月05日
歴史家で中国社会科学院近代史研究所長の歩平氏は、日本で行政を担当する場合の政治家の心得について、12月20日の東京新聞に次のように書いている; 中日両国がお互いを理解し、打ち解けるには日本の戦争責任を避けて通ることはできません。村山富市元首相や河野洋平元衆議院議長の談話が東アジアの各国関係を良くしたように、逆の対応で緊張させることもあるのです。 靖国神社は複雑な問題で、中国側が単純にA級戦犯ばかり強調するのは理性的ではありません。ただ、日本の政治家は参拝すれば外交関係に影響を与えるということを認識すべきです。靖国神社は戦争と密接に関係がある場所なのになぜ行かなければいけないのか。ここに政治家の歴史観が表れます。南京大虐殺にしても慰安婦にしても死者の数や政府がどこまで関与したか、学術的に議論するのは構いません。しかし政治家のスタンスは明確であるべきです。死者数を挙げる必要はありませんが(虐殺の)事実は認めなければなりません。 歴史認識で問題がある政治家の多くは、歴史をよく学んでいません。日本の学者と交流していて意見が食い違うことがあっても、基本的な認識は一致しています。政治家は彼らの視点を学べばよいのです。しかし残念ながらそうでなく、彼らの歴史観は自己の願望であり、何の戦争責任もないという人までいます。例えば安倍首相はかつて「戦争の歴史的評価は歴史家に任せるべきだ」と言いました。しかし実際の安倍さんはそうしていません。 釣魚島(尖闇諸島)の問題についてですが、安倍さんと国有化を決めた野田佳彦前首相とで対応に違いがあります。野田さんは民間人が所有していたら問題がさらに複雑になるので国がコントロールできるように国有化しました。野田さんは(事実上)領有権争いがあることを認めていたからです。しかし安倍さんは領有権争いは存在しないから話し合う必要はないという。これでは話になりません。 ドイツ国内にも、かつてのナチスに近い意見もありますが、ドイツの政治家は率直に歴史問題を反省し、多くの問題に対応しています。ドイツは欧州に対する戦争を認め、ナチスの虐殺や責任を認めているので、外交関係は緩和され、具体的な問題を話し合うことができます。日本の政治家はドイツのようにもっと大局的に対応する原則を学ぶべきです。小さな問題にこだわってはいけません。 (聞き手・新貝憲弘) ほ・へい1976年、ハルビン師範大卒。2004年7月に政府系のシンクタンクである中国社会科学院近代史研究所に入り、同年10月から現職。専門は日中関係史や抗日戦争史。2014年12月20日 東京新聞朝刊 4ページ「歴史家の視点学べ」から引用 きのう引用した韓国の学者は「安倍首相の言葉にウソはないと思う」と言っていたが、中国の学者はずばり、安倍さんの言行不一致を指摘している。安倍首相は口では「戦争の歴史的評価は歴史家に任せるべきだ」といいながら靖国神社に参拝するというのは、本人自身が「日本の首相としてはあるまじき歴史観、戦争観を持っている」という自覚があるからだ。南京大虐殺が起きたことは、これまでの歴史研究の結果、もはや否定することは不可能であり、まだ確定できていない犠牲者数という問題は、事件全体に占める重要性という点では小さな問題である。したがって、歩平氏が言うように虐殺事件があったことは認め、犠牲者数の問題は専門の歴史家に任せるというのが、政治家としては正しい態度と言える。ところが、当の安倍首相の場合は、おそらくそのような常識は理解してはいるが、そのような史実を認めることは日本という国の尊厳を損なうことになるという妙な価値観が優先しているために、なんとかして南京大虐殺は無かったことにしたい、そのためには盲点となっている「犠牲者数」の問題を針小棒大にとりあげて「分かっていないんだぞ」と騒げば、全体として「南京大虐殺はあったかなかったか、はっきりは判っていないんだ」という印象をでっち上げることができる、という魂胆です。正に一国の首相としてはあるまじきセコイ根性というものでしょう。 尖閣諸島の問題でも、安倍政権の姿勢は「わが国固有の領土であって、領有権問題は存在しない。この問題を棚上げするなどということは、わが国政府は過去に一度も発言していない」というものであるが、これは実は虚構であって、つい最近、サッチャー首相と会談した鈴木首相(当時)が「尖閣諸島の領有権問題は当分の間、棚上げすることになった」と説明したとする記事が発見されたと、つい最近報道された。果たして安倍晋三という政治家が、世界でも屈指の経済大国の首相の座に相応しい人物なのかどうか、国民は真剣に考えるべきである。
2015年01月04日
韓国・世宗(セジョン)大学教授の朴裕河氏は、日本と韓国の間の歴史問題はどのように解決されるべきかというテーマについて、12月20日の東京新聞に寄稿して具体的で示唆に富む提言をしている; 旧日本軍慰安婦問題に「心を痛めている」との安倍首相の言葉にうそはないと思います。しかし「慰安婦は売春婦だった」と主張する人たちに支えられていることに問題を感じます。慰安婦問題などをめぐる国民感情や日韓間の政治的対立も、2年前の第2次安倍政権の誕生に影響したのではないでしょうか。 河野洋平官房長官談話の作成過程を検証した日本政府の報告書は、韓国社会では全面的に否定されました。しかし私は安倍政権が「河野談話の継承」を表明したことを評価します。重要なのは問題解決に向け、安倍政権をどう動かすかでしょう。 安倍首相は慰安婦問題を認識し、発言もしてきた。この問題に最も否定的な人たちに支持される政権だからこそ、私は逆に安倍首相の役割は大きいと思うし、期待もしています。 日韓両政府は外務省局長級協議で解決策を模索していますが密室議論のため、両国民には中身が分かりません。日韓の国民の大半がある程度の知識を持ったので、政府だけで決められる段階は超えたと思います。安倍首相には、問題解決を前提に第三者を交えた協議体を立ち上げる決断をしてほしいです。何が問題なのかを公開しつつ、両国民の了解を得ながらの解決でなければ、両国間のわだかまりは解消されないでしょう。 慰安婦問題は、私は植民地支配の問題だと考えています。重要なことは、形が強制であれ自発的であれ、大日本帝国が必要としたために「動員された存在」だったという点です。 研究者たちは、誘拐や甘言などの手段で女性たちが連れてこられた事実を日本軍が知っていたと考え、それゆえに不法で法的責任を問うべきだと主張しています。一方で軍は(就労に関する)契約書を確認したり、女性がだまされたことが分かったりした場合は、その女性を別の仕事に就かせた例もあったので「知っていて法を犯した」とみるのは難しい。私は日本政府に法的責任を問うのは難しいとの立場です。 安倍政権は過去の植民地支配が引き起こした問題を正面から謝罪する国会決議の採択を実現すべきです。戦争への反省が中心だった95年の国会決議は不十分でした。帝国主義への批判と植民地支配への謝罪を決議することが、「戦後日本」ならぬ「帝国後日本」の完成になると思います。(聞き手・中村清) パク・ユハ1957年、ソウル生まれ。早稲田大大学院修了。日本文学と日韓歴史問題の研究に取り組む。2010年から現職。近著に『帝国の慰安婦・植民地支配と記憶の闘い』など。2014年12月20日 東京新聞朝刊 4ページ「和解へ公開議論を」から引用 私は、安倍首相の「慰安婦問題については心を痛めている」という発言は、単なる外交辞令であって、本音は彼の支持者らが主張するように「慰安婦問題については日本政府は一切責任がない」とものであろうと思います。しかし、せっかく彼が真摯な姿勢で発言しているのであるから、それを正面から受け止めて、それを足がかりに解決策を探るという姿勢は大変前向きで、そのさきにこそ真の解決の道があるのかも知れないと思いました。安倍首相には、是非、朴教授の提言に応えてほしいと思います。また、今年は終戦から70年という節目の年にも当たりますから、日本が起こした植民地支配の問題に対し正面から謝罪する国会決議の採択を実現するべきです。
2015年01月03日
先月の総選挙が戦後最低の投票率に終わった背景には、選挙前に自民党がテレビ各局に「公正中立の報道を」と申し入れを行い、これが圧力となって選挙報道の時間が極端に減少した問題があると、12月20日の東京新聞が報道している; 戦後最低の投票率(小選挙区で52・66%)を記録した今回の衆院選。背景には、テレビ各局が扱った選挙関連の話題が激減したこともある。自民党が公示前に、NHKと在京民放5社に「公平な報道を求める」という文書を送り、出演者の選定などにまで細かく口を出したことが影響したともいわれる。民放の番組担当者は「選挙前にテレビ局にくぎを刺し、選挙への興味や関心をそいだ。安倍政権の思うつぼだった」と振り返る。 (藤浪繁雄、中村信也) ◆3分の2 テレビ番組の放送内容を調査・分析しているエム・データ(東京都港区)がNHKとEテレ、在京民放キー局5社の政見放送を除く全番組を対象に調べた衆院選関連の話堰の放送時間は、公示日から1週間(2~8日)分の総計で24時間17分56秒。前回2012年衆院選の同時期(12月4~10日)の37時間11分45秒に比べて約13時間減り、ほぼ3分の2になっていた。 民放キー局の情報番組スタッフは「前回の衆院選はテレビで人気がある維新の橋下徹氏や元東京都知事の石原慎太郎氏らスター性のある人がいて、彼らによる『第三極』の動きを取り上げれば視聴率が上がった。今回、橋下氏は結局、選挙に出ず、肩透かしだった」と話す。ジャーナリストの田原総一朗氏は自民党文書に関する記者会見の席で「テレビの選挙報道が減っているのは、視聴率が取れないからだ」と指摘した。 立教大の服部孝章教授(メディア法)は「放送時間数の減少も、低投票率の原因になったのだろう。テレビは総じて引いてしまい、政権の広報メディアのように感じた」と話す。 ◆情熱放棄 投票終了直後に放送された民放の選挙特番。安倍晋三首相がキャスターの質問を遮るかのようにイヤホンを外し、一方的にしゃべり続ける場面があった。元日テレディレクターの水島宏明法政大教授(テレビ報道論)は「生放送の面白さはここにある。本来、このような討論は選挙(投票)の前にやるのが本来のテレビ報道なのに」と残念がる。 水島教授は、公示後に施行された特定秘密保護法の伝え方にも疑問を呈する。「施行のニュースとしては扱ったが、選挙の争点に結び付けた報道は私の知る限りなかった。この問題を長く取り上げれば与党批判になり、公平性からまずいという判断だろう」。原発再稼働や集団的自衛権の行使容認などの政策を掘り下げた番組はほとんどないまま終わった。「選挙報道がつまらないのは、テレビが本来持つ『面白くしよう』『少しでも分かりやすく』という情熱を制作側が放棄してしまっているからだ」と話す。 ◆割り切り テレビ局は、放送法や公選法で制約された選挙報道に神経質になっている。そこに来た自民党の要請文書。民放各社は「報道は萎縮しない」とコメントしているが、ある民放局員は「会議でお達しがあった。結果的に、番組での選挙の扱いは激減した」と証言する。 「出演者の発言回数や時間などの『公平性』を追求すれば生放送はできない。『この人は自民寄り』などと、ゲストを色分けもはっきりできない。要請に応じようとすると、街頭インタビューはできない、知識人のゲストは駄目、となる」と水島教授。「余計なことをすると面倒だと、テレビ局は機械的に各政党を同じ時間にした”割り切り報道”になる。これでは争点をきちんと伝えられない」という。 来年4月には統一地方選が控える。服部教授は「地域の課題をデータで提示したり、取材で追及したりすべきだ。選挙の時こそ遠慮せず、争点や課題をえぐり出してほしい」と訴える。2014年12月20日 東京新聞朝刊 12版 3ページ「衆院選 テレビ報道激減」から引用 原発再稼働や集団的自衛権、秘密保護法などについて、長い時間をかけて分析して報道していくとどうしても与党批判になるというのは、与党のやり方に問題があったからなのであって、そのような問題があったのだということを国民の前に明らかにしたのでは与党が不利になるからマズイという判断は「公正中立」な判断と言えるのか。そのような判断で本来伝えるべき問題を国民の目から隠すのでは、戦前の翼賛体制の報道機関と同じである。つまり、自民党がいう「公正中立」とは、自分たちに不利になる報道は止めてくれという申し入れなのだから、これは「真実の報道」に対る挑戦であり「言論・報道の自由」に対する弾圧であり、このような与党の行動に国民はもっと神経を尖らせるべきである。 それにしても、さすがは天下の新聞だけあって、当ブログの常連コメンテーター諸氏のように「共産党も同じような申し入れをしている」などとは一言も書いていない。主旨が異なるのであるから当然である。あの産経新聞だって、そこまでアホなことは書かない。
2015年01月02日
わが国憲法が国民に保障する基本的人権とは如何なるものであるか、12月25日の東京新聞コラムは次のように述べている; 96。去年のこどもの日、安倍首相はそんな背番号のついたユニホーム姿で、プロ野球の始球式に登場した。ご本人の弁によれば「96代首相だから」らしいが、なかなか意味深な背番号ではないかと話題になった。 2年前の総選挙で政権の座についた時、安倍さんが狙いを定めていたのが、憲法96条。改憲を国民投票にかけるには、まず衆参両院の「3分の2以上」の賛成が必要だとこの条文は定めているが、それを「過半数」に緩めようと意欲満々だったのだ。 だがそもそもなぜ、改憲の条件は一般の法律の改正に比べ厳しくされているのか。その答えの一端が次の97条に書いてある。<この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである> 基本的人権とは、先人が辛苦を重ね、ようやく手にした人類共通の遺産のようなもの。それをきちんと守り磨き、次世代に渡していかなくてはならない。そんな権利を謳(うた)う憲法は、厳しい手続きで守らねばならない-という歴史の知恵だ。 安倍さんはきのう、第97代の首相に選ばれた。背番号「97」は97条に、どう向き合うか。自民党の「憲法改正草案」では、97条が削除されているのだが。2014年12月25日 東京新聞朝刊 12版 1ページ「筆洗」から引用 この記事が述べるように、憲法に保障された基本的人権とは、わが国固有のものではなく広く人類共通の遺産のようなもので、これを確立するためには我々の祖先の長い歴史上の戦いがありました。一国の憲法とは、そのような幅広い価値観に基づいて制定されるもので、個別の国々の伝統だの文化だのという価値に依存する必要はまったくありません。したがって、近年のカンボジアや冷戦後の東欧諸国の独立に際しては、それぞれの国の憲法を制定する会議には欧米や日本からも多くの憲法学者が招聘されて、より良い憲法を作成する作業に参加しました。このように、憲法というものは国の内外の英知を集めて作成されるもので、わが国憲法もそのような手法で制定されたと考えることができます。安倍首相の支持団体である日本会議が主張するような、日本の憲法は日本人が作るべきだというのは、単なるアナクロニズムに過ぎず、まして自民党改憲草案のように、基本的人権は侵されてはならない国民の永久の権利であるとの条項を削除するのでは、これは基本的人権を法律の範囲内に閉じ込めた戦前の日本を復活させるもので、断じて許されることではありません。
2015年01月01日
全31件 (31件中 1-31件目)
1


![]()