全27件 (27件中 1-27件目)
1
生活困難をかかえる若年女性を支援する団体の「コラボ」を、事実無根のSNS投稿で名誉を毀損したとして、自民党川崎市議が訴えられた裁判で、被告の自民党・浅野文直市議が敗訴したことを、14日の「しんぶん赤旗」は、次のように報道している; インターネット動画サイトへの事実に基づかない投稿で名誉を毀損(きそん)されたとして、虐待や性搾取に遭う少女らを支援してきた一般社団法人Colabo(コラボ)が、自民党の浅野文直・川崎市議に330万円の損害賠償などを求めた訴訟の判決が13日、東京地裁であり、和久一彦裁判長は浅野市議に、22万円の支払いを命じました。 コラボ側は「47件の違法性が認められた」「不十分な点もあるが、政治家のデマに対してノーをたたきつけた」と歓迎する一方、「被害に見合わない低い賠償額だ」として「控訴を検討する」と表明しました。浅野市議は出廷しませんでした。 判決によると浅野市議は、コラボへの川崎市と東京都からの委託費について「重複計上か?」などとした動画をネット上に投稿しました。これについて判決は「委託費を重複して受領したと認めることはできない」と判断。投稿が「公金を重複して受領する犯罪行為に及び違法な利益を得ている可能性が高いとの印象を与えるもの」であり、コラボの「社会的評価を低下させ」たとしました。 19本の動画中、47の発言やタイトルを名誉毀損と認定しました。 コラボ弁護団の岸本英嗣弁護士は「公金についての会計がずさんだと騒がれたが、それがないと明確に認定されたのは良かった」と語りました。 神原元・弁護士は「浅野市議は川崎市議選で『疑惑追及』などとデマを宣伝し票を得た。民主主義の過程をゆがめた」と述べました。 コラボの仁藤夢乃代表は、政治家がデマを発信したことにより、殺害予告や支援の現場にも妨害者が来るなど、攻撃が激化したと説明。「浅野市議の尋問が実現せず、立証もしようとしなかった。判決までに時間がかかり、デマがデマのまま広がり続けた」と語りました。2025年11月14日 「しんぶん赤旗」 13ページ 「自民市議に賠償命令」から引用 現職の市議会議員ともなれば、直接市民の負託を受けて議員をしている人物なのだから、普通はウソを正々堂々SNSに投稿するなどという「非常識」な行動を慎むくらいの「常識」は当然もっているという「前提」で市民のみなさんは投票してるはずですが、浅野文直という人物は、そうではなく、平気でウソを投稿するという人物であることを、川崎市民のみなさんにはよく認識していただいて、次の選挙では、間違ってもこういう人物には投票しないように、よく注意してほしいものだと思います。
2025年11月28日
トランプ大統領が来日したときの高市首相の振るまいについて、ジャーナリストの沢木啓三氏は9日の「しんぶん赤旗」コラムに、次のように書いている; 10月28日、高市早苗首相は、来日したトランプ米大統領と日米首脳会談を行いました。迎賓館での会談の後、高市首相は米大統領専用ヘリ「マリーンワン」に同乗してトランプ大統領とともに米軍横須賀基地に移動。同日のNHK「ニュース7」では、政治部記者が「マリーンワンにアメリカ以外の首脳が乗り込むことはまれだということで、政府関係者は強固な日米関係を内外にアピールできたと話していました」と解説していました。 横須賀基地では大統領の隣でこぶしを突き上げて米兵らの歓呼に応え、大統領と腕を組んで歩き親密さを強調。29日の朝日新聞社説は「初顔合わせであり、関係構築を優先したのだろうが、露骨な追従と見られても仕方あるまい」、同日の毎日新聞社説も「際立つのは『米国第一』を優先するトランプ氏に迎合する日本外交の変わらぬ姿である」と、批判的な論調でした。 29日の沖縄タイムスは「安全保障や経済を含め、両国関係全般を網羅した共同声明を作成しなかった。両首脳はそろっての共同記者会見も見送った」と報じています。今年2月に当時の石破茂首相が訪米した際は、日米共同声明を発表してトランプ大統領との共同記者会見も行っていました。 気になるのは、日本が対米追随を強化して防衛費を飛躍的に増加させることです。11月1日のTBS「報道特集」は、アメリカから「爆買い」した戦闘機などをめぐる問題を伝えました。元内閣法制局長官の阪田雅裕弁護士は番組のインタビューで「事実でもって憲法を覆していくというのは法秩序を無視している。プーチンのロシアがやっていることと実はあまり変わりない」と語っていました。 自民党政権はもはや末期的です。暴走する政治にメディアはもっと厳しい監視の目を向ける必要があります。(さわき・けいぞう=ジャーナリスト)2025年11月9・16日 合併号 「しんぶん赤旗」 日曜版 35ページ 「メディアをよむ-末期自民にもっと厳しく」から引用 この記事が示すように、高市政権の登場は客観的に見て自民党が末期症状を見せ始めたことを意味しているのだと私も思います。従って、メディアもこの記事が言うように、自民党の「失政」に対してもっと厳しい批判を展開して、次の政権はどのようにあるべきかを、国民の間で話し合うような機運を盛り上げるべきだと思います。しかし、野党陣営は何故か盛り上がりに欠けており、政権交代は闇の中という状態で、ここに来て目立つのは、今まで自民党の中で活動していた右翼が、自民党を出て、参政党として公に活動を始めたことです。しかもその右翼勢力に対して、私たちの社会は警戒感がないどころか、「新しい勢力」という印象が若い人たちに期待感を持たせているようで、これを放置しておけば、大日本帝国の再来になるという「危険性」を、私たちは意識しなければならに時代になったと言えるのではないでしょうか。
2025年11月27日
首相就任から2週間ほどでトランプ大統領の訪日となったときの高市首相の挙動について、毎日新聞専門編集委員の伊藤智永氏は、8日付け同紙朝刊コラムに、次のように書いている; 化けた。そう表現するのが一番ふさわしい気がする。就任から2週間あまり。高市早苗首相の型破りな外交デビューと自信にあふれる笑顔は、よく知るはずの自民党議員たちをも驚かせた。 どんな首脳会談も冒頭の表情やせりふは、もちろん練られている。河野太郎元外相は、当時の韓国外相が初めに笑顔で握手したら韓国メディアにたたかれたため、その後は事前に携帯電話で「今日どうする? 握手する? 笑う? 握手はするけど仏頂面で」と打ち合わせていたと明かしている。 高市氏と中国・習近平国家主席の初顔合わせも互いの態度は「計算されていたはず」だが、同じ河野氏が、米原子力空母ジョージ・ワシントン艦内で、右手を突き上げながら小躍りした高市氏の振る舞いには「自然に出たんじゃないか」とコメントした。 安倍晋三、石破茂両元首相も米英空母に乗艦したが、仮に同じ挙動を演じたら滑稽(こっけい)なだけだ。 でも、キャップ帽のトランプ米大統領から「この女性が勝者だ」と紹介されて、高市氏は何度も跳びはね、取り囲む米兵や日本の若い世代は「アイドルになっても人気が出そう」と喝采した。 「はしゃいだ、と言われるが、私の知る高市さんってこういうことをされる人じゃない」(田村憲久元厚生労働相)。ベテラン外交官も「まるでロックスターだ」と目を丸くしたという。さればこそとっさの仕草は、秘めていた本性が開花する瞬間を、私たちが目撃したと考えるべきなのだろう。 外交は芸能か。その側面はある。だが、国運や時に人の生死も左右する重い現実が、表層の演技や仕掛けに随伴してくる。パフォーマンスと見える首脳の一挙手一投足には、単なるキャラを超えて、それぞれが背負う国と民の願望や運命が投影されている。 トランプ氏は米国、いや今や世界中から「王様になりたがっている」と憂慮されている。ホワイトハウスは木製基調のクラシックな調度が、独裁者好みの「金ぴかインテリア」に一変した。 そのトランプ氏と黄金時代をうたう日米関係も、往年の同盟とは明らかに変質した。防衛費増額の前倒しを実質強要され、巨額の対米投資先を指図される日本の姿は、体のいい現金自動支払機、理不尽な納品を押し付けられる下請け企業とダブって見える。 自民党総裁選や首相指名選挙まで硬かった高市氏の笑顔は、今や万能感に満ちている。意外な変身も、観客民主主義には好まれやすい。私たちは、また未知の権力者を生みだした。(専門編集委員)2025年11月8日 毎日新聞朝刊 13版 2ページ 「土記-王様とロックスター」から引用 この記事の筆者は高市氏の笑顔が万能感に満ちていると表現しているが、果たして実際のところはどうなのか、気になるところである。毎日新聞の専門編集委員ともなれば、これまで数え切れないほどの政治家を取材して、色々なタイプの政治家がいることは当然の前提で、いろいろ日々評論しているわけだから、そんなに無責任なことも書きはしないだろうと思うが、高市氏や財務相の片山さつき氏等、自民党の女性議員は概して、生活保護制度を利用する人々を「さもしい顔をしている」とか「(制度を利用することを)恥と思うべきだ」などと言う程度にしか、社会福祉の制度に対する認識が貧弱で、おそらくその他の分野に対する認識もその程度なのではないかと想像されます。したがって、数十年前の自民党政権が日中国交正常化を実現するにあたって、どのような「合意事項」があったのか、などに対する認識も非常に希薄で、そのために「台湾有事は日本の有事」などと軽はずみに発言して恥じるところがない。こういう政権は、長く続けるとロクなことがないと思います。
2025年11月26日

財務省が本年9月に発表した「法人企業統計調査」によると、2024年度の労働分配率は51年ぶりの低水準になったことがニュースになった、と日本共産党政策委員会の湯浅和己氏が、2日付け「しんぶん赤旗」コラムに書いている; 大企業による搾取が強まっています。 2012~24年度に大企業の純利益は4・6倍、株主への配当も2・8倍に増やす一方で、従業員の給与は1・1倍。肝心の労働者への賃上げにはほとんどまわさない--あまりにもひどい搾取です。9月に財務省が「法人企業統計調査」結果を発表し、24年度の労働分配率が51年ぶりの低水準となったことがニュースになりました。 いま、この労働分配率という指標に注目が集まっています。労働分配率とは、もともと、生産過程で新たに作り出された付加価値が資本と労働の双方に分配されるという考え方に立ち、資本による労働者の搾取を隠す面がありました。しかし、そのような性格の指標でさえ、株主優先の新自由主義的経営によって、労働者の取り分を大きく減らしている大企業の強欲さを示しています。 法人企業統計調査をもとに企業規模別の労働分配率を調べると、中小企業が75・6%なのに対し、資本金10億円以上の大企業はわずか37・4%です。12年度からの推移をみると、中小企業がほとんど変わらないのに、大企業は53・4%から大幅に減少しており賃上げ余力が十二分にあることを示しています。 労働分配率の大幅減少の原因の一つが低賃金の非正規雇用の増加です。 総務省の「労働力調査」によると、非正規雇用の労働者は1985年の655万人から2024年の2126万人へ3・2倍になり、労働者全体の37%を占めます。 1985年に労働者派遣法が成立して以来、96年に対象業務を拡大、99年に原則自由化、2003年に製造業へ拡大しました。第2次安倍晋三政権は15年、人を入れ替えたり、部署を替えたりすれば、派遣先企業は派遣労働者を無期限に使い続けられる「生涯派遣」の制度にしました。 人件費の抑制は、個別企業ではコスト削減で競争力が強化されるように見えますが、社会全体では消費が減り経済が停滞します。 労働分配率低下のもう一つの原因が、「株主資本主義」です。大企業では、売り上げと設備投資、人件費は伸びないのに、利益と株主への配当は増えるといういびつな状態が続いています。2000年以降、大企業では株主への配当金が顕著に増え、付加価値に占める配当金の比率は、1990年代の3%台から2010年代後半には13%台まで達しています。株価操作を目的に保有している自己株式も、配当と同じようなペースで増えています。これが、労働者全体への「賃下げ圧力」となりました。 日本経済が「空白の30年」と呼ばれる長年の低迷から抜け出せない原因は、過去最高の利益をあげる大企業が、株主配当を優先してさらなるコスト削減で下請けたたきと人件費を抑制するという悪循環にあります。打開の道は、この強欲資本主義の悪循環を脱し、労働者の作り出した富をその手に取り戻し、大幅な賃上げを実現することにこそあります。(ゆあさ・かずみ 日本共産党政策委員会)2025年11月2日 「しんぶん赤旗」 日曜版 24ページ 「経済これって何?-労働分配率の低下」から引用 日本では、60年代から70年代初めの頃までは、民社党系の「同盟」は別として、社会党系の「総評」を中心とした労働組合が、スト権を確立した上で経営者側と真剣な賃上げ交渉をしていましたから、経済の拡大に伴って労働者の賃金も相応に上昇して、一億総中流と言われる状況になったのでしたが、いつの間にか国営企業の民営化や特定の企業に限定されていた「労働者派遣法」が、すべての業種に適用してよいことになったりと、労働者に不利な方向に改悪された結果が、経営者・株主が企業利益を独占し、労働者の賃金は徹底的に低く抑えるという「横暴」がまかり通る社会にしてしまっている。このような不正な社会を正しい方向に向かわせるには、労働者が力を結集して、まやかしの労働運動を排除し、真に労働者のために戦う政党に力を結集して、労働環境の改善を実現しなければならないと思います。
2025年11月25日
高市首相の外交方針について、文筆家の師岡カリーマ氏は、8日付け東京新聞コラムに、次のように書いている; 世界の真ん中で咲き誇る日本外交を取り戻す。高市首相のこの一文が、ずっと頭から離れない。 例えば「取り戻す」。かつてあったが失われたという意味になるが、いつ咲き誇り、いつ枯れたのだろう。安倍政権時代が満開で、その後も続いた自民党政権が枯らし、今また開花したのなら、「咲き誇る」とはトランプ米大統領をおだてて一緒にはしゃぐことのように見えてしまうが、そんな咲き方をしないから美しいのが日本の桜である。 「世界の真ん中」。それはどこだろう。「日本を世界の中心にする」という解釈もあろうが、安倍政権下でも日本は世界の中心ではなかった。ではどこか。私は、人々の心にこそ世界の真ん中はあると思う。日本の技術力と連帯力によって、人生と日常が改善された人々の心の中に。 先月、日本のNGOが民間の寄付でカンボジアに無料診療の小児病院を完成させた。そこで命を救われる子らと家族の心の中で。中村哲医師の団体がアフガニスタンで整備した灌漑設備に救われる人々の心の中で。日本の研究者が開発したインスタントハウスで雨風をしのげる被災者の心の中で・・・日本は常に咲き誇っている。外交の仕事は、世界をよりよい場所にする草の根の協力活動に携わる民間人や団体が、日本から来ているが故に現地の人に信頼され守られる国際関係を堅持することだと思う。(文筆家)2025年11月8日 東京新聞朝刊 11版 21ページ 「本音のコラム-世界の真ん中」から引用 「世界の真ん中で咲き誇る日本外交」という表現は、昔の「生長の家」とか現代の「日本会議」が好んで用いる表現だから、その種の団体から受け取ったパンフに印刷されたスローガンがネタ元だと思います。高市氏の言動を見ていると、あまりものを深く考える人物のようには見えませんし、公の場でうっかり隣国の主権を侵害する発言をしながら謝罪も撤回もしないという態度では、「咲き誇る」どころか、この先には「暗雲が立ちこめている」という認識と注意深さが必要なのではないかと思います。
2025年11月24日
生活困難をかかえる若年女性を支援する団体の「コラボ」を、事実無根のSNS投稿で名誉を毀損したとして、自民党川崎市議が訴えられた裁判で、被告の自民党・浅野文直市議が敗訴したことを、14日の「しんぶん赤旗」は、次のように報道している; インターネット動画サイトへの事実に基づかない投稿で名誉を毀損(きそん)されたとして、虐待や性搾取に遭う少女らを支援してきた一般社団法人Colabo(コラボ)が、自民党の浅野文直・川崎市議に330万円の損害賠償などを求めた訴訟の判決が13日、東京地裁であり、和久一彦裁判長は浅野市議に、22万円の支払いを命じました。 コラボ側は「47件の違法性が認められた」「不十分な点もあるが、政治家のデマに対してノーをたたきつけた」と歓迎する一方、「被害に見合わない低い賠償額だ」として「控訴を検討する」と表明しました。浅野市議は出廷しませんでした。 判決によると浅野市議は、コラボへの川崎市と東京都からの委託費について「重複計上か?」などとした動画をネット上に投稿しました。これについて判決は「委託費を重複して受領したと認めることはできない」と判断。投稿が「公金を重複して受領する犯罪行為に及び違法な利益を得ている可能性が高いとの印象を与えるもの」であり、コラボの「社会的評価を低下させ」たとしました。 19本の動画中、47の発言やタイトルを名誉毀損と認定しました。 コラボ弁護団の岸本英嗣弁護士は「公金についての会計がずさんだと騒がれたが、それがないと明確に認定されたのは良かった」と語りました。 神原元・弁護士は「浅野市議は川崎市議選で『疑惑追及』などとデマを宣伝し票を得た。民主主義の過程をゆがめた」と述べました。 コラボの仁藤夢乃代表は、政治家がデマを発信したことにより、殺害予告や支援の現場にも妨害者が来るなど、攻撃が激化したと説明。「浅野市議の尋問が実現せず、立証もしようとしなかった。判決までに時間がかかり、デマがデマのまま広がり続けた」と語りました。2025年11月14日 「しんぶん赤旗」 13ページ 「自民市議に賠償命令」から引用 現職の市議会議員ともなれば、直接市民の負託を受けて議員をしている人物なのだから、普通はウソを正々堂々SNSに投稿するなどという「非常識」な行動を慎むくらいの「常識」は当然もっているという「前提」で市民のみなさんは投票してるはずですが、浅野文直という人物は、そうではなく、平気でウソを投稿するという人物であることを、川崎市民のみなさんにはよく認識していただいて、次の選挙では、間違ってもこういう人物には投票しないように、よく注意してほしいものだと思います。
2025年11月23日
高市首相の夫君が勲章を受章したことについて、青山学院大学名誉教授の三木義一氏は、6日の東京新聞コラムに、落語の台本風の記事を書いている; 「ひえ~、誰これ? 八っつぁんや、山本拓さんて、知っている?」。 「いえ、何の話で」 「今度の旭日大綬章の受章者の一人だ」 「竹中平藏が受章したと騒がれているあの勲章ですかい」 「そう。この方は、畏れ多くも、首相高市さまを支えた糟糠(そうこう)の夫様だ」 「てへ、勲章ってのが、政権の都合でどうにでもなるってことですね。ご隠居、庶民はとっくにわかってますよ」 「やる方ももらう方も幼稚だね。幼稚といえば、維新の藤田共同代表が火曜日にやった反論と赤旗記者憎しの対応(名前等を哂(さら)す)も呆(あき)れるね。公金を自分の秘書が代表の会社を通じて還流させること自体が浅ましいが、同社のサイトによるとこの秘書ってのが、五つもの会社に関わっているそうで、本当に秘書業務ができたのかいな?」 「スーパーマン?」 「2017年フランスで最有力大統領候補だったフィヨン氏が家族を架空の議員秘書にして公金を使ったのがバレた。本人は適法だと強調したが国民の嘲笑を買い政治生命を失うことになった。藤田氏の行為も似てる」 「外国厳し~~!」 「北欧はもっと厳しい。日本は少し政治家に甘すぎる。裏金議員はあの行為で、一生政治活動には戻れないのが公金を扱う政治家という仕事だよ。その覚悟を身をもって示せ、維新」(青学大名誉教授)2025年11月6日 東京新聞朝刊 11版 17ページ 「本音のコラム-幼稚な政治ごっこ?」から引用 この台本では、公金を不正に使ってフランスの有力な大統領候補が政治声明を失う事態になったことについて、登場人物の八っつぁんは、「外国厳し~~!」と言ってる。これが、現代日本の民主政治のレベルを示しているように思います。日本では、政治資金を使ってポスターを印刷するのに、印刷業務をしていない身内の会社を通して、実際の印刷会社に発注し、支払いをする。これは明らかな「不正行為」だから、フランスでは政治家がそのような不正をすれば政治生命が立たれる。しかし、日本は、上の記事では「日本は政治家に甘い」と言ってるが、甘い辛いの話ではなくて、そもそもそのような行為が不正であるという認識がないのだと思います。政治家のやることに対して「それは不正ではないのか」という目を向けること自体が、「お上をそのような目で見るものではない」という観念が、江戸時代の昔から現代まで、まだ人々のアタマの中に存在しているのが実態なのではないかと思います。
2025年11月22日
高市内閣が始動した今月初め、新聞各紙はどのように論評したか、弁護士の白神優理子氏は、2日の「しんぶん赤旗」に、次のように書いている; 自民と維新が連立を組んだ高市早苗内閣が始動しました。メディアの論調には濃淡がありつつ、社説の大半は「懸念」や「危惧」を表明します。 「朝日」(10月22日付)は「外交・安全保障や憲法改正、外国人政策などで夕力派色の強い政策が並んだ」「『身を切る改革』は維新の看板だが、自民にとっては企業・団体献金の見直しこそ、それにあたる」「(衆院定数削減は)論点のすり替えというほかない」と批判します。 「毎日」(同)も、「外国人規制の強化は排外主義を助長しかねず、スパイ防止法制定は人権の抑圧につながる恐れがある。選択的夫婦別姓制度の導入を拒み、旧姓使用拡大を法制化することは、女性の選択肢を狭める」「(物価高対策は)バラマキ色が強く、財源の裏付けは乏しい」と指摘します。「日経」(23日付)もアベノミクスの継承を批判し「排外主義でイノベーションを起こせるのか」と疑います。 地方紙はさらに踏み込みます。「政治改革を強調するのなら・・・企業・団体献金を禁止し信頼回復の一歩とすべきだ」(北海道新聞、22日付)、「この3ヵ月間で見せられたのは、有権者の信頼を失った最大の要因である『政治とカネ』の問題を棚上げし、数合わせに狂騒する姿だった」(神奈川新聞、同)・・・。 信濃毎日新聞(23日付)は「扇動の国家主義を危ぶむ」との論説を掲載。「日本は、国民を国家に尽くさせて、おびただしい犠牲を生んだ戦前、戦中の失敗を経て、今の憲法を得た。国民は個人として最大限尊重される。本来国家は個人のために存在するのであって、個人に従属を求めてはならない」「高市氏の発言や政治信条は・・・国家と個人の関係を過去へ戻してゆくような色合いが強い」と国家観の誤りを指摘します。 この憲法の原点に立ち、新政権の逆立ちぶりを暴くことがメディアに求められています。(しらが・ゆりこ=弁護士)2025年11月2日 「しんぶん赤旗」 日曜版 31ページ 「メディアをよむ-憲法の視点で新政権暴け」から引用 高市内閣がスタートしてすぐの時は、朝日も毎日も、また信濃毎日も、高市内閣の本質を見抜いて適切に問題点を指摘しています。しかし、それはあくまでもスタート時点でそのように行動したという「アリバイ作り」であったかのように、その後は当たり障りの無い論評になってしまっている点が、実に残念だと思います。高市首相は、以前からの持論だったのかも知れませんが、靖国神社を「平和のお社」などと言いましたが、この発言も歴史の事実を糊塗する表現で、国民を欺く言葉です。国家権力が靖国神社に祀った死者は、国策を誤った政府と軍の命令で無謀な戦争の地に送り込まれて死ぬほかなかった哀れな被害者であり、右翼と右翼政治家は、その国家責任をごまかす手段として、「名誉の戦死」を演出して国家責任を無かったことにしようという魂胆なのですから、私たちはそのようなレトリックに誤魔化されてはなりません。靖国神社には、軍人として戦地で死亡した者だけを祀って、民間人で戦地で死亡したり国内で空襲や原爆投下で死亡した者は祀られていないという点でも、侵略戦争を反省しない政府の姿勢は、批判されなければならないと思います。
2025年11月21日
衆参両院で少数与党と化した自公政権が崩壊して新たに自維政権が出来た一連の経緯について、東京大学教授の宇野重規氏は、2日付け東京新聞コラムに、次のように書いている; この稿において「奇妙な夏」と書いたことがある。2025年7月の参院選で与党が敗北して以来、日本政治の中枢において不思議な「思考停止」とでも呼ぶべき時間が生じていたことを指す。昨年の衆院選に続いて敗北した石破茂前首相の政権はレームダックに陥り、かといって次の政権の骨格もなかなか見えてこない。そのような状態も自民党総裁選をへて、ようやく高市早苗首相の新政権発足により終わりを告げた。 結果は、ある意味で思いがけないものであった。自民党総裁選では、一時は優勢を伝えられた小泉進次郎氏ではなく、国会議員レベルでは必ずしも多数の支持を得ていないとされた高市氏が逆転勝利を収めた。とはいえ、与党は衆参両院で過半数を得ておらず、自民党総裁が直ちに首相になるとは限らない。可能な連立の組み合わせが論じられ、あるいは野党主導の政権の可能性も取り沙汰された。 しかしながら、意外にも、1999年以来、09年からの野党時代を挟み、およそ四半世紀にわたって続いた自民党と公明党の連立は終焉を迎えることになった。各選挙区における提携が深まり、相互の存在抜きに選挙は考えられないとも言われた両党はついに袂を分かち、自民党と閣外協力の日本維新の会による新政権を発足させたのである。 当初は高市氏の公明党への対応が問題視されたが、変化の根底にはより深刻な政治の地殻変動があるのかもしれない。 ◇ ◆ ◇ 平成は、ある意味で「連立政権の時代」であった。その組み合わせはしばしば変更したが、中でも自民党と公明党の連携は飛び抜けて安定していた。そのメリットを最大限に生かしたのが安倍晋三元首相である。自民党組織を掌握した安倍元首相は自公連立により安定した選挙戦を繰り広げ、さらに自らの政治姿勢によって右派に支持層を拡大した。低投票率もあり、中道から右派まで広い支持を確立したことが、長期政権の原因であっだ。 これに対し、それ以降の政権、特に岸田、石破政権は右派の支持を固めきれず、自民党の政治資金問題もあって支持率は低迷した。物価が高騰し、生活苦が広まる中、「手取りを増やす」を掲げた国民民主党が躍進したのみならず、参政党のような右派政党も国政における確固たる基盤を築いた。右派の支持層を奪われた自公政権は次第に行き詰まりを深め、少数与党へと転落していった。 ◇ ◆ ◇ このような流れを確認すれば、今回の高市政権の発足と、連立政権の組み替えはある種の必然であることがわかる。自民党は右派の支持喪失に耐えきれず、中道の公明党との連携を切ってでも、新たな多数派形成に動いた。その結果がどう出るかはわからないが、自民党がついに国民政党を断念し、完全な右派政党へと志向を転換したとも言える。 逆に今後の日本政治のもう一つのポイントは、高市政権に対抗する中道左派連合の形成にかかっている。にわかに立憲民主党、国民民主党、あるいは公明党の連携が深まるようには思えないが、例えば選択的夫婦別姓政策などで共闘する可能性はあるし、それに共感を示す自民党勢力もあるかもしれない。そうだとすれば、多党化の進んだ政治状況に新たな対抗軸が生まれる可能性もある。日本政治の大きな転換点である。2025年11月2日 東京新聞朝刊 11版 4ページ 「時代を読む-新たな左右政治への転換」から引用 この記事は事実を正確に記述しているので読みやすく分かりやすいが、事実をもっと本質的に見れば、自民党は公明党と組んだ中道政治から維新と組んだ右翼政治に舵を切ったのだということを、私は世間に訴えるべきではないかと思います。そして、そうならざるを得ない切っ掛けを作ったのが安倍政権であったことも指摘して、自民党の来し方行く末を論じるべきではないかと思います。やがてそのような論考が掲載される日が来ると思っております。
2025年11月20日
極右に近い高市首相に対する批判が散見される日本のメディアに比べて、アメリカでは政治家としての能力評価は別にして、とにかく女性が首相になったという「事実」が、日本の社会に大きな変化をもたらす始まりを告げているという前向きの評価があることについて、雑誌編集者の篠田博之氏は、2日付け東京新聞コラムに、次のように書いている; アメリカないしアメリカ人の見方を知るために参考になるのが『ニューズウィーク日本版』だ。同誌11月4・11日号は「高市早苗研究」という大特集。強調されているのはやはり、彼女が初の女性首相ということだ。 コラムニストのグレン・カール氏は「女性首相が変える日本の常識」の記事でこう書いている。 「高市早苗の歴史的な業績は、既におおむね成し遂げられた。日本の憲政史上初の女性首相という事実が、彼女の具体的な政策が日本のフェミニズムの課題と相いれないものであっても、首相として失敗あるいは短命に終わったとしても、日本の社会における女性の役割について長期的な意識の変化をもたらすのだ」 日本のフェミニストの間では、高市氏を初の女性首相と強調するのには懐疑的な見方が多いようだ。『週刊金曜日』10月31日号の巻頭で田中優子氏がこう書いている。 「自民党総裁が決まった時点で、多くの人たちが海図のない航海に出たと思ったであろう。それほど、高市早苗氏の自民党総裁決定は、日本の暗雲を予測させた」。女性週刊誌では『週刊女性』11月11・18日号が「高市早苗新総理は女性の味方か否か」という特集記事を掲げている。 その高市内閣の人事で話題になったのは、小野田紀美経済安保担当大臣だ。『週刊新潮』11月6日号は「小野田紀美経済安保担当大臣は何者か」という記事を掲げている。そもそも当初は史上最多となる女性閣僚を誕生させると言っていたのに実際は2人だったという政治記者の証言を紹介した後、彼女を起用した高市氏の狙いをこう書いている。「彼女がかねて外国人政策に言及してきた、若手の保守系議員ということがあります」「経済安保相のほか新設された外国人共生担当相も任すことで、政権が外国人政策の厳格化に本気で取り組むという強烈な意思表明になりました」 同記事によると、小野田氏は、アイリッシュアメリカンの父と日本人の母の間に生まれ、少女時代に「ガイジンと言われ石を投げられた」とも語っているという。日本で外国人排斥が広がっていると言われるこの時期にどんな政策を推進するのか。気になるところだ。(月刊『創』編集長・篠田博之)2025年11月2日 東京新聞朝刊 11版 17ページ 「週刊誌を読む-『初の女性首相』分かれる評価」から引用 この記事は、うっかり読むとアメリカと日本では高市首相に対する評価が分かれているかのように感じられるが、考えてみれば、アメリカに取っては「対岸の火事」を眺めるような「視点」で物を語るのに比べ、日本では、より身近であるだけに、細かい事象でも大変気になるという「感じ方の違い」が存在するように思います。それにしても小野田議員は、少女時代に「ガイジンと言われて石を投げられた」体験がありながら、外国人労働者に優しく対応しようというのではなく、外国人規制を厳しくしようという主旨の発言が目立つのは、誰しもが気になることろだと思います。
2025年11月19日
山口県宇部市の沖合には、戦時中に水没事故を起こした海底炭鉱があり、事故当時日本人労働者数十人と朝鮮半島出身の労働者183人が作業中で、全員が犠牲となったまま今日に至っているが、地元では30年前から市民団体が犠牲者の遺骨収容と返還を目指して活動している。朝日新聞記者の高絢実氏は、その様子を4日付け同紙夕刊コラムに、次のように報告している; 83年前、山口県宇部市の海底炭鉱「長生炭鉱」で水没事故が発生した。朝鮮半島出身の人を含む183人が亡くなり、海底に残った遺骨はそのままだ。 厚生労働省の記者クラブで、戦没者の遺骨収容を扱う「社会・援護局」の取材を担当している。長生炭鉱問題について取材を始めると、所管するのは、戦後補償が専門ではない「職業安定局」だった。「長生炭鉱の労働者は戦没者にあたらない」というのが理由だ。 2016年に成立した戦没者遺骨収集推進法は、先の大戦での戦闘行為で亡くなった人を対象に、遺骨の収容を「国の責務」とする。このため、国籍にかかわらず長生炭鉱の事故犠牲者には当てはまらない。 一方、日本は05年、韓国政府と朝鮮半島出身の労働者の遺骨問題に取り組むことで合意。この担当部署が職業安定局の人道調査室だ。ただ、合意後も遺骨の収容・返還は進まない。日本人労働者の遺骨については、窓口すら設置されていない。 制度からこぼれ落ちた犠牲者たち。市民らでつくる「長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会(刻む会)」は、30年以上、遺骨の収容に向けて取り組んできた。国に支援を求めている。 答えはいつも「NO」。理由は主に、「炭鉱内の安全性が確保できていない」ため。民間のダイバーが命をかけて潜り、遺骨を探している。その安全性を少しでも高めようと、国に財政支援を求めているのに。 今年8月、市民たちの手によって骨が見つかった。今度は、骨のDNA型鑑定について、日本と韓国のどちらが行うのかが決まらない。韓国側は刻む会に協力的な姿勢を見せている。一方の日本側は、「韓国政府と意思疎通をはかっている」と繰り返すのみだ。 「あなたたちに任せて放っておいたら、遺族はみんな死んでしまう。遺骨だって、ダイバーが命がけで収容してくるんだ」。刻む会と国の交渉で、事務局長の上田慶司さんは語気を強めた。遺族の高齢化も進む。 刻む会の30年以上の取り組みによって、遺骨が残された場所も特定された。ダイバーが撮影した水中の映像には、服をまとったまま横たわる遺骨の様子が映し出されていた。 水没事故から83年。軍人・軍属ではなかったとはいえ、国は、民間の人々に任せきりにするのではなく、遺骨の収容に関与すべきではないか。今も多くの人たちが、冷たい海の底に取り残されている。(くらし科学医療部) *<こう・あやみ> 1992年生まれ。さいたま総局、名古屋報道センターを経て、くらし科学医療部で厚生労働省を取材。戦後補償のほか、生活保護や年金の取材も担当する。在日外国人の問題にも関心があり、取材を続ける。2025年11月4日 朝日新聞夕刊 4版 9ページ 「取材考記-長生炭鉱の遺骨、国も関与を」から引用 宇部市の長生炭鉱調査は近年になって海岸そばの森林の草むらの中に、海底炭鉱への入り口があることが判明し、今年の夏はプロのダイバーの協力で、海底の坑道で遺骨の一部も発見されたことが報道された。発見場所からもっと先へ進めば、さらに多くの遺骨発見の可能性があるのだが、十分な安全を確保するには多大な費用が掛かるため、市民団体は国の支援を求めているわけで、80数年前の事故とは言え、市民の力でここまでこぎ着けたからには、国が本格的に支援に乗り出すことが、戦前からの「負の遺産」を少しでも解消し、平和な未来へ進むための大きな一歩となるのだと思います。
2025年11月18日
先月末は米中首脳会談に続いて日中首脳会談も開かれて、就任早々の高市首相も無難に予定をクリアしたことで、元文科官僚の前川喜平氏は、2日付け東京新聞コラムに、次のように書いたのであった; 10月30日の米中首脳会談。トランプ大統領は事前に「台湾の話もする」と言っていたが、結局何も言わなかった。米国インド太平洋軍司令官が「6年以内に中国が台湾を侵攻する可能性」に言及してから4年半。そんな緊張感は全くない。 31日の日中首脳会談。高市早苗首相と習近平国家主席は「戦略的互恵関係の推進」と「建設的で安定的な関係の構築」で一致した。「台湾海峡の平和」は付け足し程度に触れただけ。「台湾有事は日本有事」と言ってきた高市氏にしてはずいぶん弱腰だ。日米首脳とも、本気で台湾有事を心配してはいないのだ。 防衛費の増額に邁進する政府は、2013年の国家安全保障戦略以来一貫して「我が国を取り巻く安全保障環境は厳しさを増している」と言い続けてきた。12年も厳しさが増し続けたのなら、今ごろは一触即発の危機になっているはずだ。つまり「厳しさを増す安全保障環境」は防衛費増額の口実に過ぎないのだ。 24日の所信表明で高市首相は、防衛費の対GDP比2%水準を今年度中に前倒しすると表明。28日の日米首脳会談でも防衛費の増額を約束した。3・5%(21兆円)に引き上げる密約もありそうだ。こんな途方もない大軍拡が犠牲にするのは庶民の生活だ。 その目的は何なのか? 日米の軍事産業を儲けさせること以外ない。(現代教育行政研究会代表)2025年11月2日 東京新聞朝刊 11版 17ページ 「本音のコラム-厳しさを増す安全保障環境?」から引用 日中首脳会談では、多分、高市首相は官僚が書いた作文通りに行動したから、さして問題になるような事象は起きなかったので、前川氏も「普段言ってることに比べれば、ずいぶん弱腰だ」などと冷やかしているのだが、高市氏が普通の神経をもったまともな大人であれば、そういう冷やかしも冗談で通るのだが、彼女の場合は、普通ではないようだから、野党議員に「台湾有事」などと少し挑発されると、すぐに「日本の有事」と条件反射してしまうのが「致命的弱点」である。こういう人物は、早めに引きずり落とすほうが、長い目で見て「国益に資する」というものだと思います。
2025年11月17日
国会で自民党と維新の会の野合によって高市早苗議員を首相に選任したことについて、法政大学名誉教授の田中優子氏は10月31日発行の「週刊金曜日」コラムに、次のように書いている;「設計図も海図もない中、これまで隠されてきた日本政治のさまざまな問題点を白日の下にさらし、解決策を模索する時です。それは国会議員や政治家だけでなく、国民全体の課題です」――これは10月16日付『朝日新聞』のインタビューに、御厨貴(みくりやたかし)氏が答えた言葉の一部である。私はこれを読んで、いよいよ海図のない航海に、日本人全員が船出したのだと実感した。首相が決まる前の発言だが、自民党総裁が決まった時点で、多くの人たちが海図のない航海に出たと思ったであろう。それほど、高市早苗氏の自民党総裁決定は、日本の暗雲を予測させた。 高市氏の「ワーク・ライフ・バランスを捨てる」発言について、加藤陽子氏は「これは軍隊の中隊長レベルの発想です。それも、負けている軍隊」だと断言した。「身を捨てる覚悟」を見せることでしか隊の統率をはかれないからだと、15日付『朝日新聞』の鼎談で語っている。すでに負けている。それは自民党の敗北だけでなく、これから負けていく日本を予想させる。実に不吉だが、これも高市氏が首相になる前の予感である。同じ鼎談で杉田敦氏は「もしも一部野党との連立などで高市政権となれば、持続不可能な経済政策に加えて、この間の産業や学術の軍事化の流れが一層強まる心配があります」と述べた。この日、自民と日本維新の会が連立を前提に会談し、連立が決まった。 この鼎談とインタビューは、他にも読みどころが多くある。このような危機の時は、発言する人の根本的な考えがよくわかる。政局しか語らない人の予想屋のような意見は、こういう変動期には意味がない。耳を傾けるべきなのは「来し方」つまり歴史を知って「行く末」を語る人の言葉である。 石破茂前首相の「戦後80年所感」はまさにそういう内容を持った所感だった。戦前日本の問題を「戦争を回避できなかった政治」の問題として分析し、今後起こるかもしれない事態を前提にした上で、国会とメディアは歯止めにならねばならない、と釘を剌した。しかし欠けていることが二つあった。アジアへの侵略の歴史と、「防衛」の名目が招く戦争の可能性である。 高市氏は靖国神社を「平和のお社(やしろ)」と言った。加藤陽子氏は「国際的にはまったく通用しません」「日中共同声明や日中平和友好条約締結に向けて、靖国神社というトゲを抜くのに両国がどれほど苦労したか、外交交渉の蓄積への敬意と理解がないですね」と一刀両断。外交も暗雲が立ち込める。2925年10月31日 「週刊金曜日」 3ページ 「風速計-海図のない航海」から引用 自民党と維新の会が高市議員を首相に選任したことについて、「日本の暗雲」を感じた国民は多いと思います。しかし、メディアはそのような国民の気分は無視して、何時の時代も誰が選任されようと、ご祝儀相場を盛り上げるようなゴマすり記事を掲載することを習性としておりが、その悪癖は何時まで経っても改善されず、今回も同じ報道姿勢が繰り返されました。高市氏の「ライフ・ワーク・バランスを捨てる」発言について、気の利いたコメントを言う能力を欠いたリーダーが何故こんな愚かなことを言うのか、それは「身を捨てる覚悟」を見せることでしか全体の統率をはかれないからだ、という加藤陽子氏の指摘は実に歴史家らしい、真実を言い当てたコメントだと思います。そして、田中優子氏が「日本の暗雲」を感じて一ヶ月もしないうちに、高市首相はあの安倍晋三氏も在任中は発言を控えた「台湾有事は日本の有事」をうっかり公の場で発言して中国政府の猛反発を受けているのに、撤回することを拒否し続けている。このような危ない人物は、早めに首相の座から引きずり下ろすのが、国益のためだと思います。
2025年11月16日
先月末の米中首脳会談に因んで、10月31日の朝日新聞「天声人語」は次のように書いている; 米国はチェスを戦い、中国は囲碁を戦っている――。広く知られる、キッシンジャー氏による比喩である。米中国交正常化の立役者である元国務長官は、二つの大国の戦略性の違いについて、自らの回想録でじっくりと分析している。 チェスと囲碁はどう違うのか。いわく、前者は短期戦を好み、後者は長期戦を辞さない。一騎打ちでコマをとっていくのが前者なら、後者は相手の石を打つ空間を奪っていく。チェスの目指す勝ち負けは常に分かりやすく、囲碁の勝敗は一見では定かでない。 トランプ大統領の登場により、米国はチェスでなく、ポーカーをしているのではないか。そんな声も聞く。名前がトランプだからカードゲームということではない。はったりや脅しばかりだとの揶揄(やゆ)らしい。 きのう米中首脳が韓国で会談した。トランプ政権2期目の米中対立は、米国の関税カード攻勢に対し、中国が切り札のレアアースで反撃した。これが効いたのだろう。ともに矛を収め、ひとまず手打ちということか。会談後、2人は小さく笑顔で、握手した。 それでも対立の構図が消えたわけではない。日本はどうするか。米国一辺倒で、敵と味方を明確に分ける冷戦思考では危うい。オセロゲームは世界の分断をまねく。同盟国と巨大な隣国の間で、いかに柔軟にバランスをとっていくか。 チェス、囲碁、ポーカー、オセロ。ちょっと比喩が過ぎたか。ちなみに筆者が好きなのは、とったコマを再び使え、歩がと金に化ける、将棋である。2025年10月31日 朝日新聞朝刊 14版 1ページ 「天声人語」から引用 米国務長官だったキッシンジャー氏が初めて訪中したのは1971年で、あの時は世界が驚いたという印象だったが、正式に米中国交正常化が実現したのは1979年であった。しかし、あの時の日本は田中内閣で、アメリカと連絡を取りながらであったかも知れないが、73年には日中国交正常化を実現したのは、当時の日本政府がしっかりと自主性を発揮していた証左ではないかと思います。それ以外にも、田中角栄首相はアメリカから再三、世界の紛争地に自衛隊の派遣を要請され、その度に「憲法9条があるので、自衛隊の海外派遣は出来ない」とはっきり断る首相だったため、米国証券取引委員会に誤配達された手紙に「ロッキード社が日本の田中総理に不正な金、5億円を送り、彼はそれを受領した」というような内容が世界に暴露される結果となり、田中氏は裁判の被告となったのであったが、あれは田中氏を疎ましく思った米国政府が仕組んだ陰謀だったのではないか、という説が取り沙汰されたものであった。それ以来、日本の政治家はことのほかアメリカに神経を使うように見えて、トランプ氏の一言で財源も無いのに使いもしない高額な武器購入を約束するなど、国民は政権の一挙手一投足を厳しく見守る必要があるのではないかと思う今日この頃です。
2025年11月15日
来日したトランプ大統領が首脳会談の後、横須賀に停泊中の原子力空母を日米両首脳が訪問した日の横須賀市内の様子を、10月29日の東京新聞は、次のように報道している; トランプ米大統領と高市早苗首相が、米軍横須賀基地(神奈川県横須賀市)に寄港中の米原子力空母「ジョージ・ワシントン」を訪問した28日、軍事一体化を懸念する市民らが基地近くの公園で抗議活動を行い、「軍事同盟よりも憲法を生かそう」などと訴えた。 米巡航ミサイル・トマホークの自衛隊配備に反対する「トマホークアクション2025」の呼びかけに応じた8団体の会員らが、ジョージ・ワシントンの艦橋が見える「ヴェルニー公園」に集まった。あいさつに立った市内の岸牧子さん(69)は「米空母上での軍事一体化のアピールを市民は望んでいない。戦争はいらないとの声を大きくしていこう」と語った。 午後3時半過ぎ、日米首脳が乗ったとみられるヘリ「マリーンワン」が上空に現れると、市民らは「横須賀を戦争の拠点にするな」などと声を上げた。ヘリ着陸後、市民でつくる「横須賀平和委員会」の田中隆雄事務局長(65)は「抑止力よりも周辺国との話し合いを重視してもらいたい」と注文した。 洋上では市民団体「ヨコスカ平和船団」のメンバーらがヨットとボートに分乗し、英語で「日米の軍事統合に反対」と書いた横断幕を掲げた。(篠ケ瀬祐司)2025年10月29日 東京新聞朝刊 12版 2ページ 「軍事同盟より憲法尊重を」から引用 ロシアに共産党政権があった頃は、当時のソ連共産党は隣接する国々に影響力を及ぼして、所謂「共産圏」を拡大する方針をとっていたため、隣国である日本も武力侵攻に対抗できる「実力」を装備する必要があって、国内の要所要所に米軍基地を置いたのであったが、今はそのような「心配」はなくなったのであるし、トランプ政権も日本を防衛するために余分な出費は避けたいという「方針」なのだから、わが国はこの際、トランプ大統領の意向を慮って、国内の米軍基地を総じて撤去してもらうのが、日米お互いの利益になると思います。ウクライナ戦争は、ゼレンスキー政権が国内に米軍基地を建設する方針を示したから、存立基盤の危機を感じたロシアが侵攻したものであり、朝鮮民主主義人民共和国が核武装するのは、アメリカが同国を経済封鎖していることが原因であり、不当な「制裁」を止めれば、無理な核武装などする必要はなくなるのである。無駄な武力紛争を起こすよりも、平和共存の下で円滑な経済活動を実現するのが、お互いが繁栄するための「近道」であることを、政治家の皆さんには自覚してほしいものです。
2025年11月14日
ある日の朝日新聞投書欄に、物価高を嘆く次のような投書が掲載された;<blockquote> 10月に入り、値上げラッシュが報じられる中で、ここ数年の物価高について、経済評論家から「長年のデフレ不況から脱却し、『値上げ、収益アップ、賃金上昇、消費拡大』の好循環が生じるので好ましい」とのコメントを聞くことがある。私はこの考えに、すんなり受け入れがたいものを感じている。 そもそも昨今の値上げの原因の多くは、原油価格の上昇や、円安による原材料費の高騰、輸送コストの増加であり、さらに今年は、猛暑禍や鳥インフルエンザなどの疫病といった要因が重なっている。このような状況の中で、値上げで得られた増収分が、果たしてどれだけ「賃上げ」に回せるのか。報道では、今夏のボーナスの平均が上昇したことが報じられていたが、ごく一部の恵まれた大企業の話であろう。 また、最近の傾向として、値上げ幅が近年にはないほど大きくなっている。生活への影響は半端ではなく「庶民虐待」とすら感じる。現在の「賃金上昇が伴わない値上げ」では負担のみが増えるだけだ。物価高は「悪」と捉え、その解消のための対策に、国を挙げて取り組む必要があるのではないだろうか。</blockquote>2025年10月27日 朝日新聞朝刊 13版S 8ページ 「声-物価高、やはり『悪』なのでは」から引用 この投書が訴えるように、ここ数年の物価高を「収益アップ、消費拡大の好循環を生じるので好ましい」などと発言する経済評論家の考えは、完全に間違いだと思います。第一に、物価が高くなって一部企業の収益がアップしても、その儲かった企業は従業員の賃金を上げるかというと、『いつまた景気が悪化するかも分からないから、取りあえず増収分は会社の金庫に収める』などと言って、従業員の賃金は据え置きになるのが普通で、従って企業経営者と株主以外はこれまで通りの質素な生活を強いられているのが現状で、「賃金上昇、消費拡大」は絵に描いた餅になっているのが現状です。元々、「企業の収益がアップすれば賃金が上昇する」というのが虚構であり、実際のところは、製品の販売価格を上げて、その結果、収益が増収となったのであれば、その「増収分」を株主・経営者と労働者の間で、どのように配分するか、民主的な「労使交渉」を行って決めるべきであるが、「連合」に支配された多くの労働組合は「労使協調路線」などというインチキを強要されて、どこの労働組合も経営者と対等な立場に立つことを不可能にされているのが現状であり、十分な収益があるのに、労働者の賃金は上がらないという矛盾した状態に閉じ込められている。そんな窮状を我慢していないで、労働者には「労働の対価」を要求する権利があるのだ、という労働者教育を行い、経営者と対等な立場で自らの権利を行使する労働者を育てていかなければ、この国の未来は危ういと思います。
2025年11月13日
村井嘉浩氏が5期連続で県知事を務めてきた宮城県で、6期目も村井氏圧勝と思われていたところ、参政党の神谷宗幣代表が何度も自民党候補の応援で仙台市に駆けつけているうちに自民党候補票が急速に集まり始めて大接戦になったことについて、文芸評論家の斎藤美奈子氏は、10月29日の東京新聞コラムに、次のように書いている; 26日投開票の宮城県知事選で、現職の村井嘉浩氏が6選を果たした。しかし無風に近かったこれまでの選挙戦とは異なり、次点の和田政宗氏との差はわずか1万6千票。仙台市内では和田氏が村井氏を制した。 この選挙の特徴は自民党所属の和田氏を参政党が全面支援したことだ。同党の神谷宗幣代表は何度も仙台入りして街頭演説をかまし、ネット上にも仙台市は水道事業を外資に売った(実際に運営権を売却したのは国内の民間業者)、村井知事はメガソーラーを推進している(実際は反対と明言)、知事は外国人を念頭に土葬墓地を肯定している(実際は撤回)などのデマがあふれた。 事実に基づかない情報が有権者の感情をゆさぶり、結果を左右する。反エリート主義と排外主義が結びついた右派ポピュリズム的手法が自治体の首長選で行われたらどうなるかを、宮城県知事選は疑似体験させた。 首長の権限は強大だ。参政党の側からいえば、独自候補を擁立するまでもなく、支持母体の弱い右派的な新人候補と組んで「選挙ハック」を実行すれば、現職を破って地方から「日本人ファースト」を実現させることも不可能ではない。多選批判は彼らの追い風となろう。2026年には、福島、新潟、京都、沖縄など多くの府県で知事選が予定されている。今からハック対策を、と訴えておきたい。(文芸評論家)2025年10月29日 東京新聞朝刊 11版② 21ページ 「本音のコラム-選挙ハックの脅威」から引用 この記事は、参政党の選挙運動がデマを駆使して浮動票をまとめる「選挙ハック」を得意技とする集団であることに注意して、来年予定されている選挙について、今から「対策」を考えておくべきだと訴えている。参政党は、国民主権を否定し天皇を国の最高権力者のするべきだという、明治時代の亡霊が言い出しそうなアイデアを活動目標にしている団体で、こういう民主主義を否定する団体に投票することは避けるのが、民主主義の社会に暮らす人間のまっとうな生き方というものであるが、先ず第一に考えるべき「対策」は、参政党につけ込まれるような「弱点」をなくすことだと思います。例えば、「多選批判」などをされないように、候補者の選定に注意することが必要です。また、選挙運動中にデマを流した場合には処罰できるように、公選法を改正することも考えるべきではないでしょうか。
2025年11月12日
「政治とカネの問題」にまったく関心を示さない高市首相に対し、もうこれ以上付き合ってはいられないとばかりに公明党が連立政権を離脱すると、その穴埋めとして維新の会と連立することになった状況について、ジャーナリストの沢木啓三氏は、10月26日の「しんぶん赤旗」コラムに、次のように書いている; 公明党の連立政権離脱で、政局が一気に流動化。自民党と日本維新の会は急速に距離を狭めて、連立政権づくりに向けた基本合意に至りました。 しかし、維新の会は自公政権との対立姿勢を強調していたはずです。1年前、昨年10月25日付毎日新聞によると、当時の日本維新の会の馬場伸幸代表が「政治とカネ」問題への自民の姿勢について批判。「今の状況では一緒にやっていくことは不可能だ」として連立政権入りを否定していました。 維新の会の吉村洋文代表は16日、テレビ朝日「報道ステーション」など各局のニュース番組に生出演しましたが、維新の会の態度変節について説明は聞かれませんでした。メディア側も追及不足の感がありました。 連立協議で維新側か突如「譲れない条件」として持ち出したのが国会議員定数の1割削減です。自民党が選挙で大敗したのは裏金問題が要因で、企業・団体献金の禁止が最大の政治課題だったはずです。公明の連立離脱も、この問題で自民党が難色を示したからでした。維新の会は当初、企業・団体献金禁止を優先政策に挙げていましたが、ここでも変節ぶりを見せました。 これについて、18日のTBS「報道特集」では、政治ジャーナリストの後藤謙次氏が「論点のすり替え」と批判。同日の東京新聞も「連立合意に向けたハードルを下げる思惑が透けて見える」と分析していました。 19日のTBS「サンデーモーニング」でコメンテーターの谷口真由美氏は、「日本の国会議員は多いわけではない」「定数削減で割を食うのは地方」「ものすごく危ない話」と、議員定数削減が大きな問題をはらんでいることを強調していました。 権力者たちの「数合わせ」に振り回されるのではなく、庶民の目線から政策を厳しくチェックすることが、メディアに期待されている役割です。(さわき・けいぞう=ジャーナリスト)2025年10月26日 「しんぶん赤旗」 日曜版」 31ページ 「メディアを読む-維新”変節”に厳しい目線」から引用 自民党と維新の会の連立合意という「問題」は、複数の「問題」が絡み合った複雑な問題だと思いますが、その一つに、維新の会の「変節」問題があります。これは端的に言えば、維新の会の「政治とカネ」に対する問題意識は、単に上辺のことに過ぎず、「民主主義実現のためにはこの問題は避けて通れない」というような「覚悟」はまったく存在せず、単に「野党としての格好を付ける」手段として、如何にも「私たちは、こういう問題意識を持っています」というアピールのためのスローガンに過ぎず、もっと言えば、自分たちが企業献金にありつく可能性がないから、「まあ、反対と言っておけば有権者には受けるだろう」といった程度のスローガンだったわけで、そんなものを覆すなど、政権与党になる機会を目前にした場合、覆すことなど簡単なことだったのだと思います。そういう観点からの批判的報道があっても良かったのではないかと思いますが、権力に対しては甘いのが日本のメディアの特徴というものではないでしょうか。
2025年11月11日
安倍政治の継承を標榜する高市首相は、かつて新人議員の頃、戦後50年談話を発表する準備を進めていた村山富市首相(当時)と、過去の植民地支配や侵略に関する「反省」や「おわび」について議論したことについて、毎日新聞専門編集委員の伊藤智永氏は、10月25日付け同紙朝刊コラムに、次のように書いている; 自分から首相になりたい、なろうと思ったことは一度もなかった村山富市元首相が亡くなった。 「何が何でもなってやる」と宣言してなった高市早苗首相は、初当選の頃(33歳。当時の所属は自由改革連合)、村山首相(70歳)に、1994年10月の衆院予算委員会で論戦を挑んだ。 昨日の朝刊連載でも紹介されているが、翌年8月15日、植民地支配と侵略への反省とおわびを表明した「戦後50年村山談話」をあらかじめけん制するためである。 「大戦当時は首相も一応若者だったと思うが、国民として侵略行為への参加の自覚があったか」 「首相は50年前の政権の決定を断罪し、その決定による戦争を支え、尊い命をささげられた人々のしたことを過ちと決める権利があるのか。謝る権利があるのか」 記事は、「ハト派」の村山氏、「保守」の高市氏と表現している。これは「保守」なのか。若気の至りと呼ぶべきだろう。 歴史認識とは、現在の観点から過去の意味を問い続ける営みである。当時の時代感覚をなぞったり、追認したりすることではない。 高市氏が称賛する「戦後70年安倍晋三首相談話」にも、植民地支配と侵略、反省とおわびが、文言としては入っている。 違いは、安倍談話が支配と侵略を日本のしたことと明言せず、世界の潮流や不戦の決意の文脈に紛れ込ませてごまかした点。 反省とおわびも、50年談話や60年談話(小泉純一郎首相)の引用にとどめ、安倍氏自身は反省もおわびも述べていないこと。 むしろ「日本では戦後生まれの世代が、今や人口の8割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」と宣言した。 高市氏はそこを高く評価し、自分は戦争の当事者ではないので、反省なんかしないし、反省を求められるいわれもないと言う。 高市氏支持の20~40代に広く共有されている本音ではないか。 しかし、これは歴史との断絶に他ならない。高市氏は意図的に、若気の至りにこびている。 過去と今とのつながりを大切にし、絶えず伝統から現在への知恵と教訓をくみ取り、子や孫へじっくり受け継いでいこうとする保守本来の態度とは相いれない。 「安倍談話で完結した」という主張は、冷戦後に流行した「歴史の終わり」を想起させる。安倍談話は、完璧でも何でもない。21世紀初めの巧妙な外交戦略文書の一つにすぎない。(専門編集委員)2025年10月25日 毎日新聞朝刊 13版 2ページ 「土記-戦後70年安倍談話批判」から引用 この記事が紹介している高市早苗氏の「首相は50年前の政権の決定を断罪し、その決定による戦争を支え、尊い命をささげられた人々のしたことを過ちと決める権利があるのか。謝る権利があるのか」との発言は、議論として幼稚であると、私は思います。かつての日中戦争と太平洋戦争については、80年前の8月15日に、当時天皇であった裕仁氏がNHKのラジオ放送を通じて「この度は国策を誤った結果、敗戦を認めざるを得ない事態となってしまったが、ここは一つ耐え難きを耐え、忍び難きを忍んで、頑張っていこう」と全国放送を行ったのであって、80年前に既に「国策の誤り」であることが、当時の政府のトップが言明しており、その「国策の誤り」の結果、朝鮮半島から中国、東南アジア諸国に多大な被害が及んだのも歴史的事実として疑問の余地がないのですから、我々子孫は侵略戦争の当事者ではないにしても、子孫として過去の「国策の誤り」については、節目を迎えるごとに「いましめ」として振り返り、二度と過ちを繰り返さない決意を内外に鮮明にすることは、善隣友好のために有意義なことと思います。
2025年11月10日
村山富市氏が首相だった時、文部大臣秘書官だった前川喜平氏は、村山氏の訃報に接して次のような思い出話を10月19日の東京新聞コラムに書いている;<blockquote> 村山富市元首相の訃報に接して思い出したのは1994年10月12日の出来事だ。衆院予算委で日本新党(当時)の山田宏議員が「学習指導要領で国旗国歌の指導が義務づけられたという認識があるか」と質問した。 与謝野馨文部大臣は「義務づけております」と答弁したが、村山首相は「指導を受ける側の生徒については、これは心の問題ですから、強制してやるようなものではない」と答弁した。山田議員は納得せず、「文部大臣の答弁と総理の答弁はかけ離れている。一つにまとめていただきたい」と要求して審議が中断した。委員長は政府が統一見解を出すよう求めた。 その夜、与謝野大臣と文部省の幹部が総理執務室に集まり、村山首相を囲んで政府統一見解をまとめた。大臣秘書官だった僕もその場にいた。 <b>統一見解では、校長・教員は学習指導要領に基づいて指導するが「このことは、児童生徒の内心にまで立ち入って強制しようとする趣旨のものではなく、あくまでも教育指導上の課題として指導する」とされた。言い換えれば、児童生徒には君が代斉唱や日の丸への敬礼を拒否する自由がある。教師がそれを児童生徒に教えても問題はない。</b> 村山内閣の統一見解は現在も生きている。阿部俊子文部科学大臣も最近の記者会見で同じ内容の発言をしていた。(現代教育行政研究会代表)</blockquote>2025年10月19日 東京新聞朝刊 11版 21ページ 「本音のコラム-村山首相の国旗国歌答弁」から引用 大日本帝国の再建を目論む参政党は、党の政策として刑法に「国旗損壊罪」を追加し、故意に日の丸を破ったり焼いたりした者を刑事処分出来るように画策しているらしいが、そういう愚かな集団が政党を立ち上げる世の中で、上記のような記事は国民の判断が変な方向にねじ曲げられないように注意する上で役に立つと思います。国旗国歌法は、国民が国旗国歌を敬う態度を身につけさせる目的で制定されたのもではなく、単に日の丸が国旗であり君が代が国歌であることに法的根拠があったほうがいいだろうという理由で制定された法律であり、殊更「日の丸・君が代を敬いなさい」などと国民に対して特別な配慮を求めるものではありません。従って、学校教員には「これが国歌で、これが国旗です」と生徒に教える義務はあっても、「だから、しっかり歌いなさい」と命令することは出来ず、歌う歌わないは生徒が自分で判断するもので、教員や親から「歌え」とか「歌うな」とか言われる筋合いではない。考えてみれば、至極当たり前な話ですが、戦後80年経っても大日本帝国の気分がまだ抜けない日本人にとっては、上の記事は実に示唆に富むエピソードだと思います。
2025年11月07日
2025年11月07日
建設現場の従事者の高齢化と若手労働者のなり手不足について、埼玉土建一般労働組合書記長の島野義人氏は、10月19日の「しんぶん赤旗」コラムに、次のように書いている; 建設業は、日本の全産業就業者数の約1割を占める基幹産業として、住民の暮らしに最重要な社会資本整備を担い、災害時には自衛隊より早く現場対応にあたるなど、地域経済や社会の発展に不可欠な存在です。 しかし建設従事者の高齢化、若者離れによる人手不足は深刻です。全国の建設就業者数は、ピークだった1997年の685万人から、2024年の477万人へと208万人減っています。大工工事従事者数はピーク時の80年から68%減少し現在29万8千人です。定年制度のない建設業では、60歳以上が43%、30歳未満は7%です。10代の大工は計算上1自治体に1人か2人しかいません。住宅建設を担う職人が将来いなくなる危機が現実味を帯びています。 ◆ ◇ ◆ 人手不足、労働環境悪化の要因は、世界を見ても特異な日本の重層下請け構造です。建設企業は、発注者から直接工事を受注し施工を総合的に管理・監督する「元請け企業」と、労働者を使用し施工に直接携わる「下請け企業」に機能分離されています。 80年代前後、多くのゼネコン(総合建設企業)が統括管理機能に特化し、自社による施工部隊を切り離しました。1次下請けに現場施工の管理機能などを、2次下請けに建設機械と労務による施工機能の多くを移行し、現在の建設生産システムとなりました。この仕組みがゼネコンの過去最高益の更新、内部留保増加の要因です。中抜きによるピンハネが常態化し、結果、全産業の労働者と比べて賃金は15%安く、労働時間は3・1%長く、完全週休2日制の導入率は30%低いのが現状です。 諸外国との大きな違いは、米国、英国、ドイツ、フランスなど労働組合、使用者団体(業界団体)による交渉機構(団体交渉機構)、労働協約が確立していることです。米国は全国規模で労組が組織化(約100万人)され、各州に支部があり、原則土日の就業は禁止です。英国、ドイツも同様で、フランスは憲法で公務員も含め、個人にストライキ権を保障しています。しかし日本は労使の対等な関係が未成熟で、現場も4週8閉所(休み)も完全実施に至っていません。 ◆ ◇ ◆ 「公契約条例」制定は、公共事業の従事者の労働環境の改善だけでなく、公務・民間職場のすべての働く仲間の労働環境、賃金の引き上げにも波及します。 米国でも、連邦政府の補助金が投入される2千ドル以上の公共工事で、受注会社が地域の基準賃金を下回ってはならないという「デービス・ベーコン法」が1931年に作られ、現在も適用されています。同法は、ILO(国際労働機関)第94号条約(公契約における労働条項に関する条約)の前身といわれています。この連邦の法律に先行したのが19世紀後半のカンザス州の「州法」です。 先進的な地方自治体の取り組みが国を動かしてきた実績として、日本でも老人医療費無料化制度などがあります。自治体で公契約条例制定を広げる運動が、国の法制定につながります。<しまの・よしひと> 埼玉土建一般労働組合書記長2025年10月19日 「しんぶん赤旗」 日曜版 24ページ 「経済これって何?-建設業界の若者離れ」から引用 この記事によれば、80年代の日本では大手のゼネコンがビルの建設を「受注」し、実際に現場に労働者を派遣して施工管理をするのは下請けの中小企業というシステムが出来上がり、面倒な建設用機材の管理などは下請け企業が担い、工事が竣工すると発注者から工事を「受注」したゼネコンに巨額の契約金が支払われても、下請けにはゼネコンからわずかな「賃金」しか支払われず、きつい労働の割には少ない収入とことで、若い人は寄りつかなくなった、ということのようで、その結果、大企業ゼネコンの金庫にはうなるほどの現金が貯まる一方で、現場で働く労働者を雇用しなければならない下請け企業では、労働者が高齢化し若手は集まらないという「苦難」を抱えており、このままではやがて日本の建設業は立ちゆかなくなる可能性が大きいわけで、本来であれば、現場の労働者が不利にならないように、政府が「最低賃金制度」を使って建設労働者を守るとか、何かしら対策を練るものであるが、自民党政府の場合はゼネコンから多額の政治献金を受け取っている事情があるため、うっかり「最低賃金を上げる」とも言えず、建設業界の「困難」を放置するしか能がないという、これではこの国の先行きは「お先真っ暗」であることを、メディアは強く警鐘を鳴らすべきだと思います。
2025年11月06日
26年間、自公政権の一翼を担ってきた公明党が連立政権を離脱したことを、メディアはどのように報道したか。ジャーナリズム研究者の丸山重威氏は、10月19日の「しんぶん赤旗」コラムに、次のように書いている; 自民党総裁選で4日、高市早苗氏が新総裁に就任、世論調査でも「期待する」が66%(4、5日、JNN=TBS調査)でした。しかし、10日、与党・公明党の斉藤鉄夫代表は「政治とカネ」の問題を挙げ、これでは首相指名で「高市早苗と書くことはできない」と連立からの離脱を表明しました。 各紙11日付の社説は「『裏金』が招いた転換点」(「東京」)、「限界露呈したもたれ合い」(毎日)などと言及。「日経」も「26年間の自公政権」に触れ、「政治の再設計」を求めています。しかし問題は26年間の自公連立政権の「安定」で何が行われてきたかです。近年でも日本が海外の戦争に参加するための安保法制の強行、消費税率の連続引き上げ、アベノミクスのもとでの貧困と格差の拡大・・・。それを進めたのが自公政権です。 公明党には「『プレーキ役』去り・・・」(「朝日」政治部長論評)という指摘がありますが、実態は違うのではないでしょうか。地方紙も「連立維持を優先し、特定秘密保護法や、集団的自衛権の一部行使を容認する憲法解釈の変更、安全保障法制など、譲歩を重ね、独自色をなかなか発揮できなかった」(「宮崎日日新聞」)と指摘。「安全保障関連法の成立、・・・安保関連3文書の閣議決定など・・・戦後日本の防衛政策の大転換は連立政権下で進められた。この政治判断は正しかったのか。『平和の党』を標ぼうしてきた公明は、連立政権の功罪について国民に説明する必要がある」(「琉球新報」)と書きます。 「しんぶん赤旗」は「公明党も道を踏み外したんだよな」「自公連立は公明党や日本政治にとってどういうことだったのか・・・総括してもらわないといけない」との二見伸明元副委員長の談話を紹介。これこそ一般メディアが指摘すべきことではないでしょうか。(まるやま・しげたけ=ジャーナリズム研究者)2025年10月19日 「しんぶん赤旗」 日曜版 31ページ 「メディアをよむ-連立26年をとらえる視点」から引用 自公連立政権の26年間、メディアは公明党を自民党の暴走を抑える「ブレーキ役」であるという論調で報道してきましたから、私なども「公明党はブレーキなんだ」と思い込んでいたわけですが、考えてみれば、上の記事が指摘するように、従来の「集団的自衛権の行使は違憲」であったものを、国会で論議することもなく勝手に閣議決定のみで「集団的自衛権行使も合憲」と解釈変更しても、公明党は反対意見を表明したわけでもなく、黙認する結果となったのが「現在」なのですから、このようになってしまったことについての片棒を担いだ「責任」をはっきりさせて、「このような失敗は二度としない」と決意表明するとか、「今後の指針とする」とか、公明党として何か意思表示しないことには、支持者の間の不信感を払拭できないのではないかと思います。
2025年11月05日
先月投票が行われた川崎市長選挙には6選を目指す現職の福田紀彦氏の他、5人が立候補したのであったが、その中にレイシストとして有名(?)な宮部某という人物が混ざっていることについて、10月19日の神奈川新聞は、次のように報道したのであった; 川崎市長選に立候補しているレイシスト、宮部龍彦氏(46)のデマに基づく差別扇動に批判が高まっている。被差別部落出身者への差別を長年続ける偏執ぶりで知られるそのやり口は、差別されている側に問題があるかのようにねじ曲げた上で、特定の地名や団体を「叩いてもよい対象」としてインターネット上にさらすという悪辣(あくらつ)なもの。18日は在日コリアン集住地区の川崎区桜本に「皆様が期待する場所に行きます」と告知して街頭演説を行い、差別者たちの攻撃を狡猾(こうかつ)に煽(あお)る卑劣な手口が市民の抗議を浴びた。 宮部氏は部落差別は存存しないという虚偽を前提にして、差別を訴えることを「利権」とおとしめる被害者攻撃を20年ほど続ける。2016年、同和地区の地名をネットで拡散させた差別事件を巡っては、被差別部落出身者約230人から栽判を起こされた。「学術研究の自由」「地名公表しないことが差別を助長する」などと事実を無視した道理に合わない理屈を並べ立てたが、「差別されない権利」を侵害したと認定した宮部氏敗訴の判決が最高裁で確定している。 市長選で宮部氏が執拗に攻撃しているのが桜本にある市ふれあい館。1988年、地域に根強かった主に在日コリアンヘの差別をなくすために市が設置した公的施設で、人権尊重と平和のための社会教育事業が行われている。 2019年にはあらゆる差別を禁じる市条例も市議会の全会一致で制定され、差別の解消と多文化共生の推進はまちづくりの中心に据えられる。宮部氏はしかし、それを偏っていると歪曲。前提事実をたがえた上で「中立化する」と言ってさも良いことをする体を取り、差別をなくす取り組みに難癖をつけ、ひいては差別にさらされているマイノリティーを攻撃している。 この日、桜本商店街の入り口で演説した宮部氏は、地元の小学校に通っていた住民から自身に届いたというメールを「偏った教育」の証拠のように読み上げたが、内容が事実かどうか詳細を確かめたのかについて問うた神奈川新聞社の取材に、確認はしていない旨を説明した。宮部氏は市内各地の選挙演説で「政治的に偏向した講演が行われていた」とも吹聴しているが、いつ誰がどのような講演をしたのかという質問に対しては答えられなかった。 ふれあい館の運営は「ふれあいを推進し、互いの歴史、文化などを理解し、もって基本的人権尊重の精神に基づいたともに生きる地域社会の創造に寄与する」と明記する条例に基づいており、市教育委員会の担当者も取材に「多様な視点から語られる人権・平和教育は正誤や優劣があるものではなく、市教委が館の指定管理者に委託した事業が偏っているという認識はない」と説明している。 桜本での演説を終えた宮部氏は「ふれあい館を廃止する」と口走り、抗議に駆け付けた川崎市民は「表向きは『中立化』とふわっとした言い方をしているが、差別をしたいという本音がよく分かった。とても攻撃的で恐ろしい」と話した。 ふれあい館の人権尊重教育講座を何度も聴講している横浜市民の高畠修さんも子どもたちが多様なルーツを隠すことなく民族名で呼び合うふれあい館は人権と平和を守る地域の拠点だ。それをつぶすなんて人権や平和の破壊者に他ならず、市長選に出る資格からしてない」と断じた。(石橋学)2025年10月19日 神奈川新聞朝刊 24ページ 「時代の正体・差別禁止法を求めて-卑劣な瀬別扇動に批判」から引用 川崎市の市長選挙は、現職が圧倒的に強く、25万票ほど集めて当選し、次点の候補に20万票ほどの差をつけたのであったが、しかし、問題は上の記事が取り上げているレイシストが3万8千票を得て3位につけていることである。6選を果たした福田氏は若くして市長に初当選し、以来手堅く市政運営を行い、レイシストがのさばっていたJR川崎駅の問題などで市民の陳情を受けると早速専門家会議を設置して議論を重ね、日本でも初の「刑事罰つきのヘイトスピーチ禁止条例」を制定するなど、正義感の強い点などが市民の好評を得ているポイントだと思います。このように、誰が見ても「現職有利」の選挙だったせいか、投票率も辛うじて30%に届いた程度という有様で、それが少数のレイシスト票でも3位に入ることになった要因なのかも知れません。
2025年11月04日
石破前首相が先月、退任直前に発表した戦後80年「所感」について、歴史家で学習院大学教授の井上寿一氏は、10月18日付け毎日新聞コラムに、次のように書いている; 公明党の連立政権からの離脱に関するニュースが駆け巡る喧噪(けんそう)の一方で、10月10日、石破茂首相は、戦後80年「所感」を発表した。ネットでライブ中継されたメディア側との質疑応答では、石破首相の知的な謙虚さ・誠実さが印象に残った。 翌日の新聞各紙は公明党の連立離脱のニュースが1面の多くを占めた。「所感」の全文を掲げる新聞は少なく、扱いも大きくなかった。閣議決定を経たのでもない首相の個人的な見解は、短時日のうちに、このまま埋もれていくのだろうか。「所感」の作成に当たり、意見聴取を受けたひとりとして、考えを記す。 この「所感」は、これまでの首相談話を継承しながら、新たに別の異なる問題関心に基づいて、首相の個人的な歴史観を展開している。過去の三つの首相談話は、国際社会(なかでも近隣諸国)に対するメッセージであり、国内政治状況とのバランスから、「侵略」や「植民地統治」にふれながら、どのように「おわびと反省」を表現するかが大きな争点だった。さらに「未来志向」が強調されている。 対するこの「所感」はこれらすべてを継承しつつ、日本国民に向けて、内省を促すメッセージである(国内向けであることは、記者会見での石破首相の発言から確認できる)。 屋上屋を架すのではなく、上書きするのでもなく、この「所感」は論点をひとつに限定して、約6000字の制約のなかで、議論を展開している。論点は先の大戦に至った経緯を振り返りながら、そこから得られる歴史的な教訓は何かである。 戦争の責任を追及するのではなく、戦争の過誤を繰り返さないためにはどうすべきか。このような問題関心は、敗戦直後に幣原喜重郎内閣が設置した戦争調査会の目的に類似する。石破「所感」は首相ひとりで進めた国家的なプロジェクト=戦争調査会の報告書の趣がある。 読書家で知られる首相にふさわしく、日米開戦をめぐって、総力戦研究所だけでなく、秋丸機関にも言及するこの「所感」は、最新の研究動向を反映している。元老の政治的な機能を論じる際にわざわざ丸山真男を引用するのは、衒学(げんがく)的と誤解されかねないものの、目くじらを立てるほどのことでもない。 石破「所感」は戦争回避に失敗した原因を五つの観点(憲法・政府・議会・メディア・情報)から「国内政治システム」の機能不全に求めている。文民統制の重要性を確認する一方、国民の生命・財産の保全こそ「実力組織」(戦前の軍隊、戦後の自衛隊)の本務だと強調しているのは、防衛庁長官・防衛相を歴任した首相にふさわしい。 その他の観点も今日的な問題である。これらの教訓をどのように生かすのかが問われている。 植民地放棄論の石橋湛山や「反軍演説」の斎藤隆夫へのリスペクトは、石破首相が自由主義的保守主義者を自任しているからだろう。石破首相は現実主義的な安全保障観に基づく軍事合理主義者でもある。このような保守主義の思想が失われようとしているのであれば、これからの日本の針路は危うい。 石破「所感」の歴史解釈は、さまざまな批判を受ける可能性がある。たとえば今日の研究水準からすれば、斎藤隆夫の「反軍演説」は「反軍」=軍部批判とはいいがたいことがわかっている。 斎藤にとって戦争とは、国家による利益追求の生存競争だった。日中戦争は利益をもたらさないから止めなければならなかった。対する陸軍は、斎藤の戦争観を領土や賠償を求めない「聖戦の本義」に反すると批判したのである。 あるいは帝国憲法体制が崩壊に向かう過程で、天皇が立憲君主の矩(のり)を越えそうになったことはどう解釈すべきか。 さらに言論統制下にあっても、なぜ自発的な民衆の戦争支持(「草の根のファシズム」)が起きたのか。 論点はほかにもある。しかし「所感」に答えがないと批判するのは筋違いだろう。「所感」は「戦後80年の節目に、国民の皆様とともに考えたいと思います」と前置きして本論を展開する。 私はこの呼びかけに応答したいと思う。たとえ「所感」の歴史解釈に不十分なところがあるとしても、あるいは発表のタイミングや形式、発表の政治的な意図・効果・影響などをめぐって、批判すべき点が多くあるとしても、それでもこの1点において、「戦後80年」の今年、石破「所感」を発表したことは、大きな意義があったと考える。 「戦後80年」が過ぎてしまえば、歴史認識をめぐって、無関心に覆われた荒涼たる社会の風景を目にすることになるかもしれない。 そうならないためにも、日本国民の一人ひとりがこの「所感」のテキスト批評をとおして、自律的な歴史観を確立するように願う。(学習院大教授)2025年10月18日 毎日新聞朝刊 13版 4ページ 「近代史の扉-過ち繰り返さぬための呼びかけ」から引用 この記事は歴史の専門家の目から見た「石破所感」に対する評価で、すべての国民にとって一読の価値があると私は思うのであるが、しかし世の中のメディアの「石破所感」に対する反応は冷ややかで、一応報道はしたが、それっきり、というのでは、いささか寂しい気分である。メディアにとっては、退任した首相の「所感」などよりは、始動したばかりの高市政権の動向について「祭り囃子」のようにもてはやすのが「本来の仕事」とでも言うような「姿勢」は、まるで中国大陸を侵略して回る日本軍に付き従って「また勝った」というような報道ばかりしていたあの時代と、あまり変わっていないのではないかという「不信感」を拭えません。
2025年11月03日
アメリカの傍若無人なトランプ政権によって、今やアメリカは暴力の時代へと進みつつあると、順天堂大学特任教授の藤原帰一氏が、10月16日の朝日新聞夕刊コラムに、次のように書いている; アメリカ・ファーストを訴える第2期トランプ政権は国際関係の安定を揺るがしている。だが高関税政策よりも私が衝撃を受けるのは、トランプ政権の下における人種・民族による差別と迫害である。 第一にあげるべきは「不法移民」の国外退去だ。トランプ政権は、憲法で保障されたはずの出生地主義を排除し、「不法移民」の子であれば米国で生まれた場合でも「不法移民」にされてしまった。 さらに移民税関捜査局(ICE)は、重大な犯罪歴のない住民ばかりか、在留資格を持つ人に対しても拘束と強制送還を繰り返している。「不法」であるか否かを問わず捕まえられ、国外に追い出されるのである。 政府への抗議行動が広がるなか、シカゴやポートランドなどでは、州知事の反対を押し切って、海兵隊や他の州の州兵も送り込まれた。法にのっとる警察力の行使は法を顧みない権力行使に変わってしまった。 米国に居住する法的資格のない住民の国外退去だけならこれまでの米国政治と違いはない。住民の拘束と退去の手続きが適法である限り、強制送還が法の支配に反するともいえない。 しかし、「不法移民」の排除は既に米国在留資格を持つ移民一般の排除に広がり、排除される移民のほとんどが白人ではない。トランプ政権の「不法移民」排除は、法の支配に反するばかりでなく、白人ではない米国国民の排斥であり、人種・民族による差別と迫害であると考えるほかはない。 いまに始まったことではない、制度的人種差別は米国政治の特徴だとお考えになるだろうか。この問いに対する私の答えは少し微妙なものだ。 * 親の仕事のために米国に住んだ1960年代の初め、私は日本人であるために小学校でいじめられた。イタリアから来た英語の不自由な生徒も、ユダヤ系の生徒もいじめられた。アフリカ系やヒスパニックの生徒はごく少なかったが、知る限り学校でただ一人のアフリカ系の生徒もいじめられた。 大学院に留学した80年代には国籍や肌の色を意識するようなことが少なかった。それでも小学生の経験のため、米国が人種差別を克服したと思うことはなかった。 90年代中頃、米国に家族で住んだとき、子どもたちがいじめや差別を受けているように見えなかった。私の目に見えないところで何が起こっているのかわからないという恐れはあったものの、米国は変わったかもしれないと思ったのはその時だ。バラク・オバマが大統領に当選したときにはここまで変わったのかと驚いた。だが、ほんとうに変わったのか、差別は続いているのではないかという小さな疑問も胸の中に残っていた。 いま振り返ると、オバマ政権の誕生は人種・民族による差別が米国で拡大するきっかけを与えた。大統領となる前のトランプがオバマはケニア人だと主張し続けたことはよく知られている。このまま移民を受け入れれば国民の多数派が白人から非白人に置き換えられてしまうのではないか。この「置き換え」理論、あるいは「置き換え」の恐怖が、「不法移民」排除を支えていった。 * 人種、性別、民族、宗教の違いを乗り越えた社会の表現として「多様性・公平性・包摂性」、頭文字を取ってDEIと呼ばれる規範原則があるが、トランプ政権の下ではDEIは排除すべきものとなった。連邦政府人員削減の過程でもDEIに基づいて雇用されたと見なされた職員がターゲットとされた。 DEI排除は、人種・性別・民族・宗教の多様性の排除であり、白人の男性の持つ力の復活にほかならない。オバマ政権誕生から16年を経て、米国は白人優位と男性優位を公然と認める社会に変わった。 ケネディ政権のころの63年、アフリカ系の作家ジェームズ・ボールドウィンはその著書「次は火だ」で、人種対立の放置は暴力を招くと訴えた。ボールドウィンの表現を公民権運動の急進化、アフリカ系国民による白人に対する暴力という意味にとってはならない。公民権運動の活動家メドガー・エバーズ、マルコムX、そしてキング牧師が殺されたことからわかるように、60年代後半の米国では公民権拡大を排除する白人の暴力が公民権運動の急進化と同時に展開した。 多様性、公平性、包摂性は空疎なかけ声ではない。社会における多様性を排除すれば法の支配の後退と政治の暴力化が避けられないからだ。現在の米国は、ちょうど歴史を逆回しにするように、60年代後半の暴力と荒廃に向かっている。トランプ政権の下で、米国は自分の首を絞めようとしている。(順天堂大学特任教授・国際政治)2025年10月15日 朝日新聞夕刊 4版 2ページ 「時事小言-暴力の時代へ向かう米」 トランプ政権は国内の生活困難を抱えたラストベルトの労働者たちを救済するようなことを言って票を集めて大統領になったのに、労働者救済よりも貿易赤字の解消の方が先とばかりに、アメリカに物資を輸出してくる世界中の国々に法外な高関税を課したために、アメリカが輸入する食料品が軒並み値上がりし、そうでなくても困窮した生活をしていた労働者たちは、ますます生活苦に追い込まれる羽目になっている。一年前にトランプに投票したアメリカ人の中には、間違った投票行動を悔いている人もいるかも知れないが、今のところその数はあまり多そうには見えない。トランプ氏の横暴な態度に「王はいらない」とのスローガンで全米のあちこちで「反トランプ」集会が開かれたというニュースもあったが、トランプ氏は「次のそんな集会があったら、州兵を出動させる」などと物騒な発言もしており、呆れた時代になったものである。しかし、「移民を認めない」などと言っても、もともとアメリカ大陸にはインディアンと(これも白人が勝手につけた呼び名)言われる人たちが住んでいたのであり、トランプ氏も4代か5代遡れば自分たち一族も、パスポートも持たずにやってきたれっきとした「移民」だったのであり、今さら、後から来たというだけの理由で「違法だ」などというのは、人間として甚だ僭越な態度と言わざるを得ません。
2025年11月02日
元首相・村山富市氏の訃報が報道された翌日の東京新聞は、村山氏が現役の時に発表した戦後50年の「村山談話」を、全文再掲載したのであった; 先の大戦が終わりを告げてから、50年の歳月が流れました。今、あらためて、あの戦争によって犠牲となられた内外の多くの人々に思いを馳(は)せるとき、万感胸に迫るものがあります。 敗戦後、日本は、あの焼け野原から、幾多の困難を乗りこえて、今日の平和と繁栄を築いてまいりました。このことは私たちの誇りであり、そのために注がれた国民の皆様1人1人の英知とたゆみない努力に、私は心から敬意の念を表わすものであります。ここに至るまで、米国をはじめ、世界の国々から寄せられた支援と協力に対し、あらためて深甚な謝意を表明いたします。また、アジア太平洋近隣諸国、米国、さらには欧州諸国との間に今日のような友好関係を築き上げるに至ったことを、心から喜びたいと思います。 平和で豊かな日本となった今日、私たちはややもすればこの平和の尊さ、有難(ありがた)さを忘れがちになります。私たちは過去のあやまちを2度と繰り返すことのないよう、戦争の悲惨さを若い世代に語り伝えていかなければなりません。とくに近隣諸国の人々と手を携えて、アジア太平洋地域ひいては世界の平和を確かなものとしていくためには、なによりも、これらの諸国との間に深い理解と信頼にもとづいた関係を培っていくことが不可欠と考えます。政府は、この考えにもとづき、特に近現代における日本と近隣アジア諸国との関係にかかわる歴史研究を支援し、各国との交流の飛躍的な拡大をはかるために、この2つを柱とした平和友好交流事業を展開しております。また、現在取り組んでいる戦後処理問題についても、わが国とこれらの国々との信頼関係を一層強化するため、私は、ひき続き誠実に対応してまいります。 いま、戦後50周年の節目に当たり、われわれが銘記すべきことは、来し方を訪ねて歴史の教訓に学び、未来を望んで、人類社会の平和と繁栄への道を誤らないことであります。 わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無(な)からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫(わ)びの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧(ささ)げます。 敗戦の日から50周年を迎えた今日、わが国は、深い反省に立ち、独善的なナショナリズムを排し、責任ある国際社会の一員として国際協調を促進し、それを通じて、平和の理念と民主主義とを押し広めていかなければなりません。同時に、わが国は、唯一の被爆国としての体験を踏まえて、核兵器の究極の廃絶を目指し、核不拡散体制の強化など、国際的な軍縮を積極的に推進していくことが肝要であります。これこそ、過去に対するつぐないとなり、犠牲となられた方々の御霊(みたま)を鎮めるゆえんとなると、私は信じておじます。 「杖(よ)るは信に如(し)くは莫(な)し」と申します。この記念すべき時に当たり、信義を施政の根幹とすることを内外に表明し、私の誓いの言葉といたします。2025年10月18日 東京新聞朝刊 12版 4ページ 「歴史に学び、不戦の決意を」から「村山談話 全文」を引用 この「村山談話 全文」を掲載した隣のスペースには、平成最後の終戦記念日に東京新聞記者が村山氏にインタビューした記事も再掲載されており、その記事の中で村山氏は「戦後50年談話」を準備するときに、下書きを橋本龍太郎氏にも見てもらって意見を聞いたところ、橋本氏は「この文章だと『敗戦』と『終戦』と二つの表現が混在している。どっちか一つにしたほうがいいんじゃない?」と言われた。それで「あんたは、どっちがいいと思う?」と聞いたら「『敗戦』がいいと思う」と言うので、「うん、ワシもそう思うな」というような会話があったというエピソードを披露している。30年前の自民党には、社会党員と話が通じる議員がいたのだなあと、つくづく考えてしまいました。
2025年11月01日
全27件 (27件中 1-27件目)
1