ぼたんの花

ぼたんの花

2007/08/15
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テーマ: 戦争反対(1197)
帝大野球部の名遊撃手として「マルオ」の名は有名だった。

白球を追って とことんくらいついていく

敏腕な守備に定評があった。

しかし、当の丸尾は 将来は絵描きか 哲学者になりたかった。

師とあおいだ 柏亭(はくてい)も鶴三も 丸尾を熱心に指導した。

父上、母上は僕がどっちの道にすすむのを お希み(おのぞみ)ですか、

僕はご両親が よろこぶ顔をみたのです。

応召して北支にわたり 戦地で病にかかってから、


丸尾は両親にそう書いた。


「戦争のために 祖国の 美しい自然が 

どんどん傷められるのが たまらなく悲しい」


それが最後の言葉だった。



丸尾 至さん




今でいうマルチ才能の人だったろう。

図案からポスター、唱歌の作曲から油絵、詩作まで、

彰は何でもやってしまった。

そんな兄を妹や弟が尊敬していたのはもちろん

ことに妹は兄を慕っていた。

彰はとってもやさしく、妹をよく映画に連れていってくれた。

戦地にゆく直前、「オーケストラの少女」を

みに行った思い出を妹は忘れられない。

映画の筋書きはとうに忘れてしまったけれど、


戦争のことを考えながら二人で黙って歩いた夜が

忘れられないんです、と妹さんは涙ぐんだ。



片桐 彰さん





人間が、一生のうちに好きな道にうちこめる月日は

ほんのわずかなものだと久は思う。

府立一中を中途退学したのも、

一日も早く好きな絵を書きたかったからだ。

けれど健康な日本男児であれば戦争だけはこばめない。

戦地に発たねばならない。

出征の日、久は最後まで絵筆を動かしながら


「自分は這いずってでもきっと生きて還ってくる」そうつぶやいた。


その言葉通り、二どの出征からは生還したが、

三度目の応召からは逃げられなかった。

遠いレイテ島で久は三十歳で死んだ。



結城 久さん




「無言館を訪ねて」講談社 1456円+税 より引用


☆   ☆   ☆




母共々、道に迷いつつも伺うことができました。

何千枚かの絵を絵を目にしたような思いがします。

学徒出陣で戦地に赴いた父は病床にありますが

あまり戦地での体験は語りたがりません。。





「優秀な奴らが死んでしまった。あいつらが生きていたら、

日本は、今とはぜんぜん違っていたろうに・・・・・」


とつぶやいた一言が忘れられません。

多くの切ない思い、ご遺族の思いの上に、

今の私があることを あらためて思います。

この「無言館」があること、そしてこの夏の日に伺えたこと

本当に ありがたいです。(女=Y・N)



無言館への来館者の言葉より




☆   ☆   ☆  


あなたを知らない


遠い見知らぬ異国で死んだ 画学生よ

私は あなたを知らない

知っているのは あなたが遺したたった一枚の絵だ




それは人の身体を流れる血ではなく

あなたが別れた祖国の あのふるさとの夕灼け色

あなたの胸にそめている 父や母の色だ


どうか恨まないでほしい

どうか咽かないでほしい




今ようやく 五十年も経ってたどりついたことを



どうか許してほしい

五十年を生きた私たちのだれもが

これまで一度として

あなたの絵のせつない叫びに耳を傾けなかったことを


遠い見知らぬ異国で死んだ 画学生よ

私はあなたを知らない

知っているのは あなたが遺したたった一枚の絵だ

その絵に刻まれた かけがいのないあなたの命の時間だけだ



無言館館主 窪島誠一郎



☆  ☆  ☆


「優秀な奴らが死んでしまった。あいつらが生きていたら、

日本は、今とはぜんぜん違っていたろうに・・・・・」












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Last updated  2007/08/15 10:51:18 PM
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