ぼたんの花

ぼたんの花

2007/10/18
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テーマ: 戦争反対(1197)
カテゴリ: 沖縄
沖縄には三十八というたいへんな数の米軍基地があって、どこへ行っても基地から
逃れることができない。ここでは、政治的にも倫理的にも、東アジアで米軍を
受け入れているほかの国々には見られない激しさで問題が噴出している。
1995年、世論を大きく動かしたレイプ事件のあった年には、
沖縄には二万七千六百七十六人の米軍関係者がいた。


これに対し、日本のほかの地域の米軍は、全て合わせても一万六千二0九人だ。
さらに沖縄には米軍に雇われているアメリカ軍に雇われているアメリカ人軍属が
二千百五十人、扶養家族数千人、さらに米軍人が沖縄女性に子供を産ませて
見捨てた子供が二万人ぐらいいるものと思われる。
アメリカ人と沖縄の人たちの間に生まれる子供は毎年200人強で、
これは少なく見積もっても軍人100人に一人の計算になる。


子供を作ったあと『アメリカ軍人は養育費を払わずに島を後にしてしまい、
また日本とアメリカとの間にはそうした子供の養育を支援する法的措置は、
何らとられていない』。イギリスとドイツはアメリカなどの政府と交渉し、
NATOの軍人が任地に残していった家族を養わせる協定をしている。


1945年から今日まで沖縄は、アメリカの軍事植民地である。
1945年春の沖縄戦から1952年の講和条約まで、琉球諸島は戒厳令によって米軍に
直接支配された。講和条約から沖縄は除外され、1952年から72年まで、
アメリカは特権的に沖縄を所有し続けた。見かけ上は日本に、
曖昧で実態のない「残余主権」付与して事実上の法的地位を誤魔化していた。



民主主義を求め、1947年に施行された日本国憲法を沖縄にも適用することを
求める運動を阻止するために、アメリカは沖縄に傀儡政権を置くこととした。
その琉球政府はアメリカの琉球行政府代表のたびかさなる拒否権発動に
いちいち従わなければならない存在だった。
そして行政府代表をつとめたのは、常にアメリカ陸軍中将である。




『帝国アメリカと日本  武力依存の構造』チャルンマーズ・ジョンソン著

集英社新書 660円+税 より引用




1961年には、沖縄の即時本土復帰を公約にした元教員の屋良朝苗が圧倒的多数で当選。
アメリカ国内でも広がったベトナム戦争反対、そして沖縄でも軍への反発が大きくなると
沖縄を日本へ返還することになるが、この時の返還条件は殆ど公表されない。


この時、日米での裏取引があったことは、だいたいわかっていた。
最近、少しは表面化されてきたけれど、あくまでも沖縄の米軍基地は、そのまま。


核兵器を持ち込む場合は、事前協議とする、となっていたけれど、日本政府は
事前には、協議しないこと、日本政府は米政府に事前協議を求めない、という
非公開で合意、日本政府は、日本国民・沖縄県民を騙した。


そしてこの時の首相、佐藤栄作首相。

佐藤首相はノーベル平和賞を受賞する。





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Last updated  2007/10/18 01:28:39 PM
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