大人になるとお人形で遊ばなくなります。いつまでも 遊んでいたら おかしいとか自立できないとか。
でも 実際は どうなのかと言いますと 私はイメージトレーニングとして必要だと思います。 イメージで運をつかむという発想は 学者の方も研究していて 成果があると 発表させ 話題の本もありますね。けれども 普段イメージといっても悪い方向へは 右脳の働きで原因と過程と結果を予想し 対処するという働きから 自然にできますが 良いイメージの方は 至難の業でしょう
どうして そんな事になったのでしょう。私達が一般に育ってきた過程を考えれば 良い想像など出来なくても当たり前といわざるをえません。 空想や想像は嘘だと言われ 狭い意味で親やもしくは周りの大人の見聞できた範囲の事しか この広い宇宙の中で ありえないことに されて来ました。 それよりもいつも 警戒しろとビクビクしていなければ ならないふうに 大体は 何事もしないほうが良いことになり しても良いのは 義務ばかりで それは何かといいますと 支配する側が 統率されやすい人間であれ 自分に都合良くあれと いう意識に他なりません。 家庭においては 両親兄弟 あたかも 心優しい人は バカだといわんばかりに 幸運の元 つまりは 本能の欲求が 潰されてしまいます。
本筋に戻りますが よくよく考えて 少し暗示をといてみればです。さて お人形で遊んだり 想像で遊ぶという事が なんの弊害を生むでしょうか
めったに産まないでしょう。
よく事件がおきたとき 現実と虚構の区別がつかなかったんでしょうね なんて コメントが入りますが んなわきゃ ないんです。たとえば 引きこもりです。家族が責めないわけがないですよね。怖くて嫌な事を毎日しろしろ 言われる 行きたくない場所へ いけいけといわれる 本人だって なぜいけないのか わからないのに この現実です。
現実の厳しい面 不安な事 悲しい事ばかり 突きつけられて 虚構と区別んがつかない訳はないわけで
社会からドロップアウトをしたら 駄目人間というように 異質な眼でみる それは 家族もなので すくいようがないのです。 それこそ 野生の動物ならば 群れについていけないという事は 死かもしれないですが 人は理性があるから人なんて いうのでしたら 理性で考えて 物を言えばよいのですが そんなところは 矛盾だらけです
で さて そんなこんなで 良いイメージは とても難しいのですが ここで お人形という媒介は とても役にたちます。実際 難病の子供たちの闘病にテディベアを贈るボランティア組織がございまして 成果をあげています
自分の中で 何物もなく自分に向き合うのは 大変ですね 私は良く 自分自身を二つにわけて考えてくださいと言いますが 一人は 母としての自分 もう一人は 子供の自分 子供である自分を育てるために なにが必要か 母である自分が その必要な事を自分にあたえなさいと いう考え方です。
ですが これはこれで もう 母の立場の人 また 独身で あるいは お子様がなくて それが 心のひっかかりになっていらっしゃる どうしてもムキになったり意地になったりして 否定したいという場合の方だと なかなか難しいのです。
で ペットも良いですが ペットの場合 動物としての習性があり こちらで 自由に 想像を押し付けることは できません ですが ドールの場合は 人として キャラをたてることができます。
もともと 人のミニチュアである人形の発想はシュミレーションにあるわけですから 今だに のこっていて しかも 世界中どこでもあるというのは 優れたものである証拠です。
子供の頃なら できたイメージの世界 バカらしくて やれないわって思うのは 今 とても楽しい事があるのではなくて実は その逆で 現実が厳しいからでは ないでしょうか
幸運の流れが悪くなっていて とにかく 人の事にばかり眼がいっていて ずっと警戒警報が 鳴り響き かたときも 安心できずに 不安であるのではないでしょうか
陰陽道では お人形を良く使います この場合は 紙や木で作ったカタシロですが 身代わりですね。災難を軽くしてくれる働きが 結構大きいものなのですよ
人形より動物が大事 動物より人が大事って いうふうな発想に ならないためにも 物であるお人形に命を感じる事 それは 全てを大切にしようと思う事への はじめのステップです
イギリスでは 生まれる前から その子のためのテディを用意し 生涯 大切にします 男性も女性も関係なく結婚しても 出産してもです。
日本人は 人のものを平気でないがしろにしますね 物だから 良いだろうという考えは 強いです
とくに子供が物を壊したり 人の物に手を出して 粗末にする事を許すのが当たり前って ところがありますね 子供だからこそ 自分にとって 大切なものがあるように 人にもそれがあり だからこそ 尊重しなければならないという考えを 早くに定着させなければ なりません が 子供を育てる大人が そもそも その考えを持っていなくて 自分の考えだけで 人のものでもそんなもの扱いです これでは 動物 植物にたいしても そして 他人という同じ人間たいしてもそんなものと片付けて 痛みを知ろうとしなくなります
いろいろな能力が 扱い方しだいで 生まれてくる不思議な物 それがお人形で 可愛がっていれば 顔や表情が違ったりも解ります 私が特殊だからではなく 入れ込み方 真剣さや 愛情や 馴染むまでの 年月だと思いますが 結構 助けてくれるものなのですよ