成人式の日の読売新聞一面編集手帳に、
今年の100歳の方に大正生まれの方が入ってくるとありました。言われて見ればそのとおりでして、西暦と元号が平行して存在する、
我が国ならではの見方・受け止め方でして得した気分です。
~明治は遠くなりにけりという一節もありましたが、
個人的には100歳が近くなった想いがしますし、
当たり前ですが15年後には昭和生まれの100歳誕生となるわけです。
西暦(グレゴリオ暦)では100年後との世紀の区切りが支配的で、
私などは元号で色を付けると昭和と平成しか生きていませんが、近代日本の黎明期を数字ではなく、大正や明治、と呼ぶ事で
出来事や人物・パワーバランスなど時代を元号で掴んで想いをめぐらせます。
元号が変る事でその度に元年が存在しうる訳で、
都合よく響きの良い呼び方をチョイス出来る文化国なのでして、
文化たらしめている根幹は漢字の存在に他なりません。
漢字二文字で日本限定で時代の幕開けを宣言し親しむ事が可能なのです。
かなり昔ですが昭和15年が紀元節で言う所の皇紀2600年でして、
この年に三菱が作った飛行機を零戦と呼びゼロ戦として今でも語り継がれます。
戦後の自衛隊では西暦の下二桁を正式名称にしていますので、
このあたりの時代前後の飛ばし方も国民性だとも言えます。西暦の流れとは別の共通の価値観のタイムテーブルで楽しむ事が出来て、
数字が好きな几帳面な国民性と大雑把な面とが共存する民族なのが見て取れます。
平成は戦争のない年号ですのでこの先もそうありたいと考えます。
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