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2005/03/14
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カテゴリ: 記憶の断片。




私が最後に通っていた学校は、

御茶ノ水にあるちいさな美術学校でした。






駅近くに、街路樹の生い茂る狭い路地があり、その坂を上がっていくと

風景にとけこんだ蔦だらけの古い建物がひっそりと建っていて、

そこが、私の学校でした。







建物は、もう随分と昔に建てられた物で、

とても古く、

余りに趣があるのでよくドラマの撮影や雑誌に使われたりも

してたのですが、








その向こうにある中庭の

光がたくさんあたる暖かい場所が

私は大好きでした。







先生は、

大体どこかの凄い美術大学で教授をしている方とか

芸術活動をされている方とか

そんな方がうちの学校を好きで来てくれて

のんびり授業をやってくれていました。







仲良く中庭でジュースを飲んでおしゃべりした

見知らぬ先生が

後から調べるとすごい経歴の持ち主だったりとかで、



みな子供のような無邪気ないい先生ばかりでした。








とても小さな学校だったので(一学年50人くらい)

大体はすぐに顔見知りになってしまい

中庭で堂々とサボってみたり

そのまま近くの錦華公園へ行ってみたり













私は、なぜか学生時代を思い出す時必ず、







蔦だらけの古いアーチの入り口

その向こうに覗く光がいっぱいの中庭

古いけど毎日ピカピカに磨かれた教室の取っ手の金メッキや、

ひんやりとした階段や、





そこにいた優しい先生や、

油絵具の匂い。







御茶ノ水の街の、

楽器屋街や、本屋街。









それらが一気にうわっと押し寄せてきて、

何か心が苦しく、愛おしくなります。









特に、BUMPのインディーズ時代の曲を聴くと、

一緒にあの頃が蘇ってきて、

過ぎ去った日っていったいどこに消えていくんだろう?

なんて思ったりするのです。









ばか、やってました

今もやってます、でも

あの頃はもっとばかでした。











鹿児島から出てきたばかりの

一人の娘と仲良くなって、九州話で盛り上がり、







昼から公園に繰り出して、

缶ビール飲んで

ベンチに座りながら

二人大声で椎名林檎をアルバム一枚分歌った事もありました。








お金が無いので、飲み会などの二次会は決まって

その公園に缶ビール持って行って

終電まで騒ぐのが当たり前でした。










皆、何年後かには

きっとこんな日々も過ぎ去って行って

将来の憂鬱とか不安とかを迎える日がくる事も

わかっていたのでしょうが、








それをそれぞれ胸の中にしまって

ばかみたいに騒いでた私達はちょっと格好いいなと今更思いました。

(いや何も考えてなかった人もそりゃいると思うけど)








素朴に、基礎のデッサンや油絵ばかり続ける

とても古い方針の学校でしたが

私はそれがとても好きでした。



憧れの美術大学でよくやっている、集団新鋭アートの世界が

私には高尚過ぎてなんとなくダメでした。

(皆で何かやろう的なのもダメだったから)








そして、

ちょっとキレている人が多かったので、







帽子屋になった人や、

ミュージシャンになった人や、

写真家になった人、

出会い系のサクラをやっている人、

フラれて故郷に帰って行った人、

ジャンキーになった人、







様々です。

一貫して、とても極端な進路を進んでいるようです。










過ぎ去っていく日々や、

それを思う日々。







懐かしい記憶の断片や、

それらを蘇らせる匂いや、










あるようで無い、今と過去の狭間。














ああ。

やばい、無情の世界、図書室から借りっぱだった。

うわ。何年経っちゃったんだよ。まったく。












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Last updated  2005/03/30 01:23:25 PM
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