【2001~2002・人とジブンと】



●2…チチからのメール「失恋とはなんぞや?」体験記(2001年12月)

●3…失恋させた側の困惑・混沌・願い(2002年7月)

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★★★★若輩ブタは思う(2001年10月更新)★★★★★★★

好きとか、つきあうとか、合う合わないとか、やっぱりよくわからない…。
私の場合、好きだから嫉妬するのか、嫉妬するから好きって事なのか?も、不明。
鶏が先か、卵が先か。所詮、不毛という事(笑)?

「つきあう」というのも、定義があるわけではないのに、
多くの人らが、TVドラマをなぞるような恋愛をしなきゃ嫌?ってのも疑問。
クリスマスだなんだの行事に構わず、いや、惑わされず、
その二人だけの、オリジナリティー溢れるつきあいをしたらいい(笑)。

世の中、ちゃんとした疑問を持たない人がちょっと多過ぎやしないだろうか?
(恋愛で言えば、複数とのつきあいや不倫、同性同士、年齢差についてとか…。
 その他例えば、契約書をろくに読まずに自分で契約しておいて、
 後から文句言うとか、皆が入れてるから…と投票するとか)

「結婚」も、場所や時代が変われば全くカタチが違うのに、
自分の周囲の、ほんの何百kmか、前後数十年の「こうあるべき」
みたいな流れに振り回されてしまう事が多い。
長年培われた「べき」は簡単には崩れず、差別だの戦争だのを
押し進める要因になっていると私は思う。もちろん良い点も多々あるのだが。

こんな事を言うと、(活動家になるなら別だが)
大きな流れにいちいちイチャモンつけて生きるより、
自分の目の前にあるモンダイをしっかり乗り越えて、
充実して生きていった方がいいのではないか?と言われる。
自力をわきまえろ、寿命が足りん、という事かもしれない。
確かに。

しかし、と思う。
戦争や環境の話と、自分の恋愛や結婚のモンダイを
一緒に語るのはおかしいだろうか?

例えば、親から続く今の食生活や生活環境から、
個人の思想や恋愛や趣味に関わる性質・性格が備わってきたのだし、
ひいては現在、戦争につながる社会が形成されてきてしまったと
言えなくはないじゃないだろうか??

好きな人とつきあっていく為に、戦争に反対したり、
楽しく趣味を持ちながら生きる為に、地球の事を考えたり。
同レベルの問題だと思うのだが…。
「1本の小枝に全宇宙を見る、または全宇宙を1本の小枝に凝縮する」
生け花の話、共通してると思う(笑)。

初めの話につなげると、戦争や地球について自分なりにきちんと考えていないと、
ちゃんと恋愛してないのではないか?…と思うのだ。
本当にそのパートナーを「好き」な行動を、自分は取れているか?と。
同じ理由で子どもが欲しい、等とはとうてい言えない。
自分なりにでも納得いく行動が取れたら、考えてもいいかな(笑)。


「そのコドモと一緒に環境問題に取り組んで行けるかもしれないじゃん」
と、その友人は言った。
「そのチャンスを摘んでしまうかもしれないよ?」

最近の私のハナシを聞いてもらった時、
「だって人生、シアワセに楽しく生きたいじゃん」と言ったら
「小学生か?お前は!?」と返された。
もちろん、苦しいと思える自分や、課せられた仕事にも、充実はある。
…が、
わざわざ棘の道を選ぶ程、修行好きじゃない(笑)。
ただ、どうしても行きたい方向にマキビシが転がってたら仕方ない。
踏んで痛くて戻るのも自由。
時間かけて避けて進むのも可。
拾って、売って儲けるのも有り?と思う。

若輩は若輩なりに、広ーいシアワセの探求をしているのだ。


★★★★★★チチからのメール(2001年12月23日追加)★★★★★★★★★★★★

北関東在住の親父殿から届いたメール。
わけのわかりにくい、とばっちりを受けるようなモノもあるが(笑)
やはり長年共にした環境もあり、共通する部分も見受けられる。
私からのメールの返事のひとつを、ピックアップしてみた。

■この度は、観劇出来ず誠に申し訳ありませんでした。
お疲れ様でした。出来は如何でしたか?

> なぜ芝居をやっているのか?根本的な所が見えなくなって…

お答えは見つかりましたか?

> ま、本番を終えたら時間も出来るので、我が道を探して行きたいと…

「我が道」は見つかった?

> シツレンの一件でも、自分の弱点を思い知り…

誰でもシツレンは痛い。でも相手が去っても、自分の心の中で
『いつまでも相手を想い続けられれば、失恋つまり恋を失うことはありません』
判るかな?本当のシツレンは
『相手が去ると同時に、自分の心の中でも相手が嫌いになった』時です。
しかし、それは本当の恋ではなったのかもしれません。真実の愛は、例え
『相手が去っても、それで相手が幸せになれるのなら、それを喜びとする』
という崇高なものと、チチは後年悟った事を思い出しました。

> 自分は得意分野は何なのか?長所を生かして行ける場はどこか?
 それを考えたい。下手な努力をせずとも、充実して行ける場(笑)。

そうそう!誰でも人生で
『それを捜し続けて、遅かれ早かれ、それを見付け、そこに安住するのです』
それは希望の職場だったり、結婚だったり、人それぞれ、多種多様ですが・・・
早くその安住の地を見付けて、一日も早く安定して下さい。

チチ


★★★★★★★★★★失恋させた側の困惑・混沌・願い(2002年7月)★★★★★★★★★★★

いままでより、ちょっと会う回数が減るだけだよ。
泣く事じゃないよ。

僕は、君を嫌いになってない。むしろ好きだよ。今でも。これからも。
一緒に過ごした時間は、とても大切で、一生の思い出だよ。
(思い出、という言葉がアナタを傷つけるかもしれないけど、 今の僕にはこういう言葉になってしまう)

これからも、仲の良いトモダチでいこうよ。
初めから、そのつもりだよ。君も、わかってくれると思ってたけど…。

どうして?…どうしてかな。
うん。他のコともつきあってみたかった。それもある。
僕は、いままで実際深いつきあいをしたのは、アナタしか知らない。
他のコと出掛けたり、告白したりされたりしたコトもなかった。

気になったヒトは過去にもいたけれど、行動に移したのは、アナタが初めてだった。
アナタしか見えない時期があった。それは、本当だよ。
(それは、恋する自分に夢中になってただけじゃないの、なんて僕にはわからないから聞かないで)

■■■
初めて手をつないだ時、すごくドキドキした。
冬。多摩川沿いの道。
バスがなかなかこなくて、時刻表見て「次の停留所まで歩こうか」って言って。
元旦。
遊びにいける所がどこもやってなくて、次の年も、その次の年も、同じ所へ出掛けたね。

君が、僕のハーフ丈のダウン・ジャケットの裾をつまんできた。
「手が寒い」と、ポケットに手を入れてきた。
「歩きにくいよ」と、アナタの手を取った。

…三つくらいの停留所を、そのまま歩いた。

曇り空の元旦、人通りもなく、やってるのはコンビニとファミレス。
通った教習所の話、共通の職場の話、専門学校の友達のこと、将来の夢。

「うちの父親が若い頃、毎日のように何時間もかけて母親の元へやってきた。
 埼玉から世田谷へ通って、車を一台駄目にした、と言っていた。
 僕も、今同じなんだなぁ~」
(今は僕自身忘れているかも知れないけど、あの話だって、本当だった)

■■■
初デートも覚えてるよ。
職場で映画の券をもらえる機会があったけど、今迄一緒に行く人がいなかった。
とうとう、って正直嬉しかった。
あの時やってたのは、ゴジラかなんかと、スペクタクル物と、あと数本。
内容なんか、なんでも良かったんだ。

「アナタの好きな方でいいよ」と、僕。
「あなたが映画見たいんでしょ?」と、君は苦笑していた。

仕事が終わって、同僚たちの目を盗むように離れて歩いて、映画館の前で合流。
でも、まだ危険。知り合いがいる可能性が多い場所。
中に入って一安心。
サンフランシスコの街なかで、突然噴火が起きる物語。

帰りの電車内で感想を言い合うのも、楽しかった。
「主人公、死ななすぎ~」
「いいオジサンが飛び降りるシーン、泣けたね」
一緒に見たものの感想を言い合えるのって、嬉しいものだね。

■■■
順番が遡るけど、初めて一緒に帰ったのも、よく覚えてる。
新宿の東口。
仕事帰りのアナタからポケベルに連絡をもらって合流。
お気に入りのオフロード・バイクで「送るよ」と言った…思い切って。
でも、そのつもりで後輩のメット勝手に借りてきてたんだ。
こんなとこで知り合いに会うとお互いに困るね、と言いながら、
なかなか乗ろうとしてくれない君。

「後にヒト載せたの、初めてかも。あ、こないだ終電無くなった先輩乗せたな」
ぎゅっと捕まって、でもあまり怖がらないでいる君。
「つまんない(笑)」と、僕。
後日、あの時は本当はおっかなかった、と話してくれたけどね。

40分程でアナタの家の前の駐車場へ着いた。
「左から3番目がうちだよ」「じゃ、行こうか」とさりげなく言ったけど、
「早く帰りなさい」あっさり拒否されてしまった。
まぁ、夜も遅いし、つきあってるわけでもないしな…と、その場でだらだら雑談しだす。

そのうち「トイレ行きたくなった」と僕。
狙っていたと思っても思わなくてもいい、トイレに行きたくなったのは、本当なんだから。
うだうだ言いながら、結局自分もトイレに行きたくなってて、部屋へ通してくれた。
「あー眠い。おやすみ」まるで我が家のように、寝てしまった。
こんなにリラックスしてていいのかな?と思うくらい、お互いの緊張度が低かったね。

だから、その後たびたび「あなたは、つきあう相手とは違う」と言われるのも、
悔しいけど、ちょっとわかる。「兄弟みたいで」と。
でも、僕は引かなかった「それでもいいよ」。
「いつも修学旅行や合宿に行くと、気を使って寝られなかった。
 でもなぜかアナタの所は、最初からとても楽で、ぐっすり寝てしまった」

…それが、だんだんワガママになって「暑い」「寒い」「布団が固い」なんて言ってしまうんだけど。

■■■
初めて、別れよう、と言われたケンカもあったね。
初めて、というのもおかしいけれど。
夜。下北沢の路地。
お互いに「自分を好きなら、自分の事を考えて欲しい」という気持ちから、糸がこんがらがってしまった。

どうして僕の気持ちを考えてくれないのか、いろいろ言われても理解できない。
僕は君みたいに頭が良くない。
ただ、君を好きで、わかって欲しくて、わかってあげたいと思っているのに。

とっくに閉まっている皮膚科か耳鼻科の前の階段で、座って泣いた。
アナタも泣いている。
アナタを泣かす僕は悪い。悲しくなった。
「もう、やめよう?お互いに大事に出来ない関係なら、やめよう」
アナタはそう言った。
「なんでそうなるの」よくわからないけど、違う、と思ったのだ。

「…聞いてもいい?…
 一緒にいると、とっても楽な人とつきあうのと、
 好きだなぁと思うけど、一緒にいてあんまり楽じゃないっていうか…
 合わせたい、頑張りたい、っていう人とつきあうの、
 どっちがいいのかな?」
僕は、僕のわかる言葉で、君にそう質問した。
難しい言葉でいろいろ責められても、わからなくなる一方だったから。

「その人の事が、自分でとても好きなら、頑張りたいし、頑張っちゃうと思うけど…
 私は、一緒にいて気を使わない人がいいな」
アナタはこんな風に答えた。
「少しでも無理して、自分が頑張っちゃうような人とは、疲れちゃう時があるから」
自分の前のつきあい方を思い出して、反省しているようだった。

しばらく経って、君に専門学校時代の仲間の話をしたね。
「一緒に川へキャンプやバーベキューに行く仲間達がいて、
 その中の一人が、ちょっと好きだけど一緒にいると緊張しちゃうコなんだ。
 一緒にいて、すごく楽なのが、アナタだったのよ」

■■■
その別れ話が、4月下旬。
あの、新宿から帰って初めてうちへ入らせてもらってから半年程。
アナタは勝手に「別れた」と決めた。
僕は「勝手にアナタが言ってるだけでしょ」と言いながら、連絡を取り合って、家へも行った。
一緒に寝もした。もちろん、ただ素直に横に寝ていただけ(笑)。なにしろ狭い部屋だから。
職場への通勤路にあり、自分の家に帰るより便利だったしね。
(なんて言うと、怒られそうだけど…環境が良かったのは本当~)
それくらい、慣れ親しんでいた。つきあってようが、つきあってなかろうが関係ない気がした。

それでも、会う回数は少しずつ減ってきて、アナタから
「次の人とつきあう事なりそう」と告白されて、さすがに家へ寄るのも激減した。


…そして、事故。
ブレーキがちょっと故障していた自慢のオフロード・バイクで、
赤になった直後の246の交差点を、そのまま通過…と、
青で横から直進してきたオートバイと派手に接触。
通りかかったタクシーの運ちゃんが、救急車を呼んでくれたらしい。

背中に背負ったアディダスのリュックに詰めたゲーセンのぬいぐるみ達が
僕を救ってくれた。とはいえ、右腕にチタンを埋め込み、足の小指も複雑骨折。
腕が命の職場に復帰するには、半年以上かかると言われた。
相手も死なずに済んだが、歯を折る等の大怪我だったらしい。

…アナタに伝えようも無かった。
昨夜の職場からの帰宅途中の事故、自分もパニックに陥っていた。
家族の優しい対応に救われて、なんとか意識を保っている状態。

心ここにあらずと、大きな病院の一人部屋に寝ていると、
部屋の電話が鳴った。
「お電話です」???
さっき家族は帰ったし、誰かと思った。そのまま、君に言ったね。
「どうして、病院、わかったの?」
「仕事場で、あなたの先輩から、アナタが昨日事故ったって聞いて…。
 104の番号案内で、二つ病院の電話番号を調べてもらって…
 受付で、昨夜バイクの事故で運ばれた人を聞いたの」
「びっくりした」
「びっくりしたのは、こっちだよ」

そのすぐ週末に、アナタが病院にきてくれたね。
アナタは、おつきあい候補氏からの誘いを断って、ここへきてくれた。
元の恋人である自分の見舞いに行くアナタを、その人は泣きながら見送っていたらしいけど。
…そんな事は、知らない。

病院で、うちの父親と初めて挨拶。「職場でお世話になってます」。
そうか、そうだったっけ…(笑)…なんだか忘れていたよ。

アナタは、職場で唯一僕達の事を打ち明けているカップルの彼女に、こう言った。
「あの人と、今つきあってなくて良かった。
 もしつきあっていたら、今、気が気じゃないし、のんびりしてられない(笑)」
僕にも直接、言われた気もするなぁ。
そして僕も同じように「今、つきあってなくて良かった」と、思った気がする。
だって、いままでのように会いに行けないし、つきあえないし、心配ばかりかける。
つきあってないから、距離を置いても寂しくないし、勝手に自分で思えるから。


■■■
降って湧いた、人生のロングバケーション。家族にも甘えっぱなし。
手術、車椅子、数週間の入院後に退院し、自宅療養。職場復帰は数ヶ月先、とのコト。

時々、ポケベルに連絡をもらって、公衆電話から電話。
ゲームボーイでゲームしてる。体重測定で何キロ痩せた。車椅子で暴走した。給食が何だった。
そして、やっと歩けるようになって、初めて電車でアナタの家へ行った。

「無理しないでよ~」
他に行く所もなかった。行く所、迎えてくれる所があるのが嬉しかった。
久し振りにきた部屋、相変わらず暑いけど、懐かしい。
実際、つきあってない期間。でも、充実していた気がする。
「リハビリ、リハビリ」
そう言って、今は閉園してしまった遊園地へ出掛けた。
たいして面白くない旧式のアトラクションの周りを、だた歩く。
足もまだ全然本調子じゃないし、ゆっくりと…。

■■■
「新しいバイクが届いたんだ。
 アナタの好きな黄色が良かったんだけど、気に入った逆輸入車は、ゴールドしかなくて。 
 早く乗りたくて、またがってるよ。大型免許取ってから、ずっと大型が欲しかったの」
アナタは飽きれていたかも(笑)。
あんな大事故を起こして、死ぬかも知れなかったのに懲りない僕に。

秋の初め、職場へ復活。でも体力的に自信がなかった。もともとハードな勤務。
それに、また半年後に入院し右腕の鉄板を取り出す手術が必要な状態だったのだから。

アナタから、次の人とちゃんとつきあい出した事を告げられた。
本当に、職場以外ではたまにしか会わなくなっていたけど、
仕事も忙しく、そのカタチで落ち着いてきていたような気がする。

■■■
秋の終わり頃、アナタはふられてしまった。
ふにゃふにゃだった。
僕の居場所は、少しずつ復活してきたみたい(笑)。
アナタといると、本当に自然だ。アナタを、自然に好きだ。
一緒にいたいなー。アナタもそうでしょ?きっと、そうだよね?

「復縁、復縁」
年が明ける前に、1年前と同じようにカタチに戻った。
「一度離れたから、お互いにいろいろわかるようになったよね」
こんな、大人な発言をする自分も嬉しかった。

2月の連休、初めて僕のうちへ。
入院先にきてくれた時、父親は帰りに駅まで送って行ったから面識がある。
母親は初めて。すっかり、同じ年か年下かと思われていたけど(笑)。
僕の部屋は引越後片付けていないから、と客間に布団を敷いてもらった。
パジャマも、母親が自分のものを出してくれた。

そして次の日、勢いに乗って、アナタの実家へ。
「バイク乗るのに、いざ事故った時、親に「聞いてない!」と言われないように(笑)」
片道数時間の電車の旅は、キツカッタ~!腰が痛くなる。
普段乗らないから、電車は苦手なんだよね。

やっとついたら、酔った父上にナント、豆撒きをさせられた!
「声が小さ~い!」
「ハイ、鬼は~外~!!」
いや、びっくりびっくり。対応しちゃう自分も、いいでしょ。

■■■
その後予定通り、手術の為の入院。数ヶ月の休職届。厳しい職場で、復活も危うい。
でも、仕方ない。そうなったらそうなった、だ。

アナタは、入院先に何回かきてくれた。
うちの母親とタクシーで家まで一緒に帰って、
入院中の僕を差し置いて「うな重」を家族で食べたんだっけ!

人つきあいが良く、おしゃべりが止まらない元気な、お母さん。
「あ、お帰り~。もうウチのコだからな、お客さんじゃないから(笑)」
アナタがうちに来る度にそういうようになった、お父さん。
「あぁ、どうも」父母以外にはあまり会話しない、兄ちゃん。
お見合いがまとまりそうな母の妹の、叔母さんとも仲良くなった。
他に、たまに顔を見せる、母の弟三人の叔父さんたちもいたけど。
それから猫4匹、犬1匹。

■■■
喧嘩も、たまにした。
喧嘩なのか、よくわからないけど。
たいていは、バイクで目的地が見つからず、イライラしてる時。
「アナタがこっちだって言ったのに」「アナタが決めてよ」
「アナタに任せるよ」「知らないよ」「だから言ったのに」

僕は、頼りない奴だ。自分でワガママ言う時もあるけど、決めて欲しいのだ。
アナタは、僕にも意見を求める。ハッキリしない時もある。
アナタの好きなようにしたい、というのが僕の意志…じゃ駄目?
もちろん、それがスムーズに行かなかった時、僕は腹を立ててしまう。

アナタに対して、ではなく、こういう上手く行かない状況にイライラしてしまう。
それが、時々アナタを悲しませるのだが、
お互い、結構さっぱりと忘れてしまえる性格が備わっていたみたいで。
それとも、しっかり好きあっていたから、戻れたのかな~?(笑)

■■■
一緒に行った所は、それこそたくさんあるね。
芝居も、コントも、ミュージカルも、アナタの繋がりで観た。
一度だけ、一人でアナタの芝居を観に行ったっけ。復縁する少し前。
アナタはきっと僕と復活するって、そもそも別れたって感じてなかったからね。
実際、半年くらい、離れていたけれど。

■■■
二回目の退院後、すっかり体が鈍ってしまった。
腕の調子も良くない。あんなハードな職場に復帰できる自信はナイ。
ましてブランクがあったから、後輩達がとっくに自分を追い越してしまっているのだ。
医師からのストップもあったけど、自ら仕事に戻る気力が失せている。

しぶしぶ1年後の秋の初めに復職、辞令が出て、勤務場所が変更され、
レベルや内容が酷さに失望、実際に腕や腰の具合も悪く、退職を決めた。

その後、家でゴロゴロ職探しの日々。
「遊びに行こう」と言うと「今、そんな状態じゃないじゃん」と言われた。
それでも、ちょっとは出掛けたと思うけど(笑)。

アナタは、うちの親に会う前から
「うちのコをたぶらかしてる奴がいる、と思われるから早く帰りなさい」とか
「あのコのせいで…と思われるから、ちゃんとして」とか言う。

そりゃあ、僕は正直にこう言ったよ。母親が、
「あなたはあのコの所へ行くんだから、うちの財産は全てお兄ちゃんにあげるわ」
と、言ってたコトとか、父親が
「もうちょっと可愛いコがいいなぁ」と言ってたとかね。

それから「もしあなたと結婚したら、何かあった時に、あなたは自分の両親を中心にすると思う。
私は、結局あなたにとって、あなたのお父さんやお母さんにはかなわないと思う」と、言った。

■■■
よくわからなかった。僕は、結婚したかった。子供が欲しかった。
確かにそれは、アナタだから、ではなく、好きになった人と、という事で。
一番最初につきあい出した時から、ずっとその話はしてたでしょ?

アナタは自分の趣味が強くあって、
さらに僕との結婚はなかなか考えられない、といつも返事していた。
アナタはしっかりしている部分があって、僕はそういう所も好きだったけど、
結婚の話はかわされた。だからあまり話題にしなくなった。

■■■
半年の無職期間を終え、今度は自分の家から非常に近い職場へ勤める事が決まった。
リハビリも兼ねて、いままでのようなハードな現場ではなさそうな所。
母親とアナタは一緒に喜んでくれたね。「続きそうで良かったですね」「転職、初めてだし」

最初は、馴染めなかった。そのうち、自分の本領が発揮出来るようになって、職場の友人も増えた。
キツイおばちゃん、理解ある上司、仲良くしてくれる同僚、一緒に出掛けるようになった仲間。
以前の激しい職場での勤務からは、レベルが低いような気もしたが、その分自分を尊敬してくれたり
頼りにしてくれたり、また逆に敵対されたりするようになった。

■■■
新しい職場にすっかり馴染んできたけど、問題も多く自分の将来を考えると再転職の可能性もある。
そんな話をしながら迎えた、3年目に入った春。

…それが、去年の春。
アナタのアパートが更新になるので、一緒に住もうかという話をした。
職場の位置を考えると、お互い正反対。僕の今の職場は、実家から10分なのだ。
間を取って半端な位置へ部屋を借りるのも、何か無駄な気もする。

「たまに部屋に来て、いつもは実家から職場に通う」「たまにくるのに、そんなにお金出せないよ」
「一緒に住むからには、ちゃんと二部屋欲しい」僕のワガママを並べる。
「でも、辞めるかも知れないんでしょ?」アナタは、そう言いつつも部屋を探してた。

結局、いつの間にか更新の日が過ぎていた。
「あなたがハッキリしないんだもの」…そう。
自分は今、心が職場に向いていて、あまり積極的になってなかった。

新しい出会いや仕事に、機が熟し出していた。
新鮮な生き方を知り、自分が培ってきた関係を保ち、そして、自分の可能性をたくさん発見した。
職場には不満も多いけど、楽しいコトや嬉しいコトもあるのだ。
本当に、僕は、いままで、狭かった。

僕を必要としてくれる人が、何人も現れた。
僕を頼りにしてくれる人も、何人もいる。
グチを聞いてあげられて、僕の話も共感を持って聞いてくれる人もいる。
僕が、幸せにしてあげられるんじゃないか、と思う人がいる。
一緒にお酒が飲めて、一緒に同じ会社内の話が出来て、一緒に遊びに行きたい人が、何人もいる。
つきあってなくても、二人で出掛けるようなコがいる。
つきあって、と言われたコもいる。
僕は、そのコとつきあいたい。だから、アナタと別れる事になってしまう。

決して、嫌いになったワケじゃない。
でも、僕はアナタを幸せに出来ないと思う。
楽しませる事はできると思う。これからも。
でも、幸せにしてあげられるかというと、自信がない。
…勝手で、ごめん。

これが、僕の考えたお別れの言葉。

■■■
全部、全部、大切な思い出なんだよ。
楽しかったし、幸せだったし、よくしてもらったし。
これからも仲良くしたい。
助けてもらったし、大人にしてもらったし、嬉しかったし。

でも、今、恋人とは見られなくなった。
他にもいろんな人や、生き方や、道がたくさんある事を考えるようになった。
勝手でごめん。
自分のこれからの人生、結婚や、仕事を考えて、僕も悩んだ。
君は、これからも君の道を行きたい人だと思うし、そうして行って欲しいと思う。

車を買ったら、どこか出掛けようね。
今迄バイクだったから、行けなかった所も。

…なんか、きっと言い訳みたいなコトも言ってるね。
自分を悪者にしたくないのかも知れない。
いや、本当に、悪いと思ってない所があるんだ。
悲しませた事は、悪かったと思うけど。

「信じていたのに」と、アナタは言った。
「そんな言い方、裏切ったみたいじゃん?」と、僕は答えた。

裏切ったつもりなんて、全然ない。

いつも嘘なんかつけない。
いい加減な返事は、する事があるけど。
自分の早さで、自分の言葉で、ゆっくり話している時は、いつも本当だから。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

…そして、どんどん変化していく。言葉使いが、表情が、どんどん変わっていく。

そう思ったけど、なぁんだ、全然変わって無いじゃん、と思い直す。

そしてまた、ああ、やっぱり変わってしまった!と思う。変わってしまった。
…コノヒトハ、ワタシヲ、スイテクレタ、アノヒトジャナイ。

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