☆       ぼくの部屋      ☆

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大阪八尾市の事件に思う



 ニュースが流れれば、
どうしてもこの話題を家族で議論することになる。
父親、母親、兄が、真剣に、
時には怒りを露わに話をしていれば、
二男も気になるのだろう。。。

「何の話?何が起きたの?」
「僕にも聞かせて。解るように話して。」
と言ってきた。

「あのね、障害を持っている人が、小さい子に大怪我させたの。」
「その子 死んだの?」
「なんとか助かったんだけど重体なんだって。」
。。。。。。

「僕は悪いことしたりしない。」
二男は毅然と言ったけれど・・・・

障害イコール危険と言う図式は昔からあり、
今回の事件でますます、その風潮が広まっただろう。

我が家の周辺は山の中のせいか、
障害者施設は多い。
だからといって、優しい街かといえば、
「ああいう人たちが歩いていると
恐くて小さい子を外で遊ばせられないわ!!」
と平気で言い放たれる。
「外に出さないでほしいわよねぇ。」
との声も少なくない。

だからといって、差別だとか、弱者に酷いとか、
言う気はない。
自分たちは、二男のおかげで障害というものに向き合えたけれど
もし二男に障害がなかったら???
間違いなく、アチラ側の人間で、「コワイねぇ~」
と言っていたのだろう。。。

 今回の事件で、いろいろな報道がなされ、
わけもワカラン専門家が、的外れな発言を繰り返したり、
憤りもたくさんある。。。。
今の日本、「美しい国」を掲げながら、
ますます弱者を排斥しそうな勢いだ。
たけど・・・・「ヒドイ!!」と叫んでいるだけでは何も始まらない。

起こった事件、障害を持った人間が幼い命を脅かした事実は、
歴然とそこに在るのです!!

事件を起こした男性の母親が「いっしょに死のうとなんども思った。」
と、悲痛に言っていました。
今よりも、障害というものを隠さなければならなかった時代の子育て・・・
本当に孤独で辛かった事でしょう・・・・
しかし。。。。
私たちは、「この子は障害があるのだから。。。」を言い訳に、
子どもを育ててはいけないのです。
健常児より、何倍も躾けていくのは大変でも、
事の善悪、社会のルール・・・・
そして、生きていく限り続く偏見と差別。。。。それに打ち勝つ心を
教えていかなければなりません。

親は、子を庇護する者だけであってはならない。
最後の最後まで、子を見捨てず、諦めず、
生きていく術を身に付けさせる責任があるのです。
それは、決して「障害児」の親としてでだけでなく、
健常児の親としても同じなのだと思います。
障害を持たなくとも、真っ当な躾け、教育を受けなかったがために、
とんでもなく残虐な事件を引き起こした事例はいくらでもあるのだから・・・

「今時の若い子」「今時の母」「今時の先生」「今時の社会」「今時の。。。」
驚くべき事件が起きる度、犯人像をひとくくりにして、
「自分の家庭、学校はだいじょうぶ。」と安心し、
当てはまるひとくくりの人物像を弾叫する。。。。
それではなにも変わらないし、
いつなんどき、事件の当事者になるか解らない世の中。
強くなりましょう!!!
時代を嘆く前に、
運命を嘆く前に、
甘えることなく、卑屈にならず、そして希望を持って
子どもたちの将来のため、幸せのため。。。

「障害」だからではありません、
どんな社会でも、人間が生きていく世の中から、
偏見と差別はなくならないのです。
それが、人間なのですから。。。。。



 「変な目で見られたり、
酷い事言われたり、たくさん嫌な事あっても、
自分が悪いことしてなければ堂々としてていいんだよ。」
二男にそう言って学校に送りだした。
「キモ~イ!」「こいつら生きてる価値ね~じゃん!」
平気でこんな言葉を吐く子供達のいる社会。
でも、自分で偏見を跳ね飛ばさなければね。


 まだまだ感情が先だって、冷静な思考にはなりませんが、
自分への戒めのため、思うまま書き綴ってみました。。。。。



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