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桜坂劇場で、フランス製のオリジナル・アニメーション映画「リンダはチキンがたべたい」を字幕版で。水彩画ではないな、クレヨンで描いたような独特のタッチ。キャラクターは一色で、ヒロインのリンダは黄色、ママはオレンジ?だ。リンダが食べたいチキンはフラチキとかではなく、幼い頃にパパが作ってくれたパプリカチキンだ。パパが料理上手でママはダメだったみたいで、パパの死後はレンジチンの食べ物ばかりみたい。そりゃあ、リンダも手料理が食べたくなるよな。そこでママも奮起してパプリカチキンを作ろうとするが、折悪くストライキで肝心の鶏がなかなか買えない。ついに狂った?ママはニワトリを盗み出すが、潰す方法がわからない。そのうちにニワトリが逃げ出して、もうどこまで行くのか、とことんカオスな展開になっていく。警察から何からあらゆる周りの人々を巻き込んでの大騒動に。パプリカを焼いたオーブンが火事になって惨事に発展するかと思いきや、一応、穏便に事態は収束していく。結局、たまたま出会ったトラック運転手が料理上手で、パプリカチキンが完成して、団地の皆でご馳走にありつく。ニワトリ一羽で全員分?あ、鶏は改めて調達したのかな?ま、突っ込んでもしゃーないか。そのトラック運転手はリンダのママに一目惚れ。ちょいとロマンスになっていくあたりがおフランスらしい。やっぱり、恋してないとねって人たちなんでしょう。必ずしも裕福ではない団地の住人たちは人種も様々な感じで、特に子供たちが活き活きと描かれる。時々ミュージカルになるのも面白い。何より何ともアナーキーな展開が、フランス、ヨーロッパの自由さを印象付ける。パプリカチキンってハンガリー料理らしい。このアニメでは野菜のパプリカを使っていたけど、スパイスのパプリカでチキンを煮込むのがハンガリー風のようだ。今度作ってみるかね。
2024年04月27日
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実は漫画の「ゴルゴ13」って、まともに読んだことないのだけど、そのアニメ版が存在したというと、ちょっとそそられる。1971年に放送されたそうだけど、その映像は失われたと思われていたところ見つかって、連載開始55年!を記念しての放送が深夜に。30分枠で5回くらいやったのかな。そのうち、2夜分を録画、視聴。音楽は山下毅雄なので、雰囲気は最初のシーズンの「ルパン三世」風。でも、女性コーラスの入るテーマ曲はメロディが「サンセット77」に酷似している。パッパヤ〜みたいなコーラスは、「ウイークエンダー」風でもある。アニメといっても動いてない。要は止め絵で、カメラが移動したりアップになったり。城達也がナレーターで、ゴルゴの声は新田昌玄。雨森雅司、中田浩二、納谷六朗らが役柄を変えて毎回出演。初回は、狙撃や事件云々よりもセクハラを受けた女性中心のエピソードで、ゴルゴとの絡みもある。冒頭の番組紹介の説明でもある通り、アニメながら、裸はほぼ毎回出てくる。ストイックそうなゴルゴもいただくものはしっかりいただくあたり、007というか、ちょっと眠狂四郎風だ。15分枠だったらしい。前編後編という感じで、2話30分で完結。他のエピソードは、しっかりゴルゴの仕事の話だが、“ブービートラップ”というエピソードは、ストライキ中のパリで、ゴルゴが大勢の殺し屋に狙われるという「ジョン・ウィック」風の話。米ソ冷戦の時代に連載が始まったというゴルゴだけど、このアニメ版は、そこそこリアルな情勢も盛り込みつつも、より娯楽色を持った内容の印象だ。性描写はともかく、暴力描写の方はさほどでもない感じ。しかし、TVアニメ版って、この後もあって、そちらは、ちゃんとした動画で1年放送されたそうな。全然知らなかったな。劇場版やOVAの存在は知ってはいたけど。そういえば、日下武史がナレーションを担当したラジオドラマ版を聞いた記憶がある。いずれにしろ、やっぱり、肝心の漫画の方だよね。これは内容的に図書館には入ってなさそうだから、漫画喫茶かどこかであったら読んでみたいところ。アホータローみたいに口をひんまげながら原作を堪能するかね?
2023年12月14日
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ミシェル・オスロ監督の「古の王子と3つの花」は、一番の期待作であった。ようやく桜坂劇場で公開になったのは結構だが、どうも最近の同劇場は番組の組み方が今一つで、なかなか観たい日や時間に観たい作品が観られなかったりする。同作も夜9時からの上映はどうも気が引け、何とか週末の昼にも上映されるので、そこで観に行ったわけだけど、これが失敗?吹替版とな?字幕版の上映もあるわけだけど、週末はお子ちゃま向けってことで吹替版上映ってことなのか。いやー、どうすっかと迷ったけど、何せ、来週も上映されるかどうかはわからない。なので、とにかく吹替版でも観ておくことにした、う〜ん。まあ、オスロ作品ならではの絵の美しさ、精密さは言語がどうあれ際立っている。今回は3話のオムニバスの形で、なぜかビルの工事現場みたいなところで語り部がストーリーを語る。観客は子供ではなく大人?どういう意図なのかな。最初の“ファラオ”は、スーダンの王子がエジプトを征服してファラオになる話だが、結局、戦闘は一切行われない。実話なの?摂政の娘と結婚するためにクシュ王子はエジプトにいくのだが、神々の支持もあるものの、結局は自らの行いで民を味方につけていく。次の“美しき野生児”は、ロッテ・ライニガーのような影絵で描かれる。厳格な王の下で不自由な生活を送る王子は、仲良くなった囚人を逃したことで、森に追放される。しかし、野生児として生き残った王子は、圧政を行っていた父を悟し、囚人だった侯爵に国を治めさせる。そして、侯爵の娘と結ばれ・・・最後の“バラの王女と揚げ菓子の王子”はモロッコが舞台ということなのかな。モロッコの揚げ菓子って、すっごく甘そうだが。イケメン王子は少しお転婆なバラの女王も虜にするが、ここでも父の王は非情で二人を牢に閉じ込める。脱出してキャラバンに出た二人は盗賊を退治して結ばれる・・・と、いずれも、ある種、不遇の王子が非暴力のうちに国を治め、恋を実らせるという、ハッピーエンドのお伽噺的な内容だ。前作、「ディリリとパリの時間旅行」のような現代に通じるメッセージが込められたものではないという印象だが、非暴力で運命を変えていくというところに、様々な戦果が渦巻く現状へのアンチテーゼが込められているとも言えようか。この吹替版も悪くはなかったけれど、やっぱり、オリジナル言語で聞いたらどうだったかなとは思う。来週も続映なら字幕版を改めて観に行くか?もう、頼むよ、桜坂劇場さあ・・・
2023年10月28日
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結構、評判になっているアニメーション「オオカミの家」、桜坂劇場で公開。これは観ねばと劇場へ。評判の程はわかる作品ではあるが・・・まずは、同じクリストバル・レオンとホアキン・コシーニャの監督による2021年制作の14分の短編「骨」から上映。1901年に制作された世界初のストップモーションアニメが発見されて、レオン&コシーニャが、それを修復した、なんて話を間に受けてしまったけど、これは、勿論、オリジナルなのだった。少女なのかおばさんなのかわからないヒロイン、骨を肉付けしていって人造人間みたいな二人を作り上げる。若い?男の方と結婚式を挙げ、もう一人は神父の役を務めることに。モノクロ映像で、不気味ながらも愛らしさもなくもない。この監督コンビの悪趣味好きは、よくわかる内容だ。で、本番と言える・・・「オオカミの家」、一応、モチーフは赤ずきんのようだ。チリの作品だから言語はスペイン語なわけだけど、なぜか、ドイツ語も度々聞かれる。これも何やら地域のプロモーション映像をレオンとコシーニャが修復した、みたいな嘘の設定が語られる。その冒頭のモノクロ映像からして怪しい。で、狼を逃れて小屋に迷い込んだマリアは、そこにいた2匹の豚の世話をするが、豚たちは姿を変えて子供になっていく。仲良く?暮らし始める3人だが、話はまああって無いような。とにかく、目が離せないのは、その映像と動きだ。ストップモーションのアニメは絶えず動き続ける。壁に描かれた絵が絵の具が流れるように壁づたいに移動し、紙テープのようなものが重なって人間らしき個体が出来上がっていく。かと思えば、それが崩壊していったり。その間、バックにはカサカサとかギーギーとかいう音が鳴り、音楽も流れ続ける。ヤン・シュバイクマイエルやブラザーズ・クエイを思わせる作風だが、その見せ方は彼らとも異なる、独特過ぎるものだ。悪趣味ながらも、観続けざるを得ない異形の映像、そして、音。メタモルフォーセスのように変化し続けるキャラクターや背景が、様々な手法を駆使されて絶え間なく展開される。圧巻の映像、独自の世界観だけども、これ、好きかどうかと言われると・・・すごいっちゃすごいけれど、うーん、アニメーションを見るカタルシスがあるかと言うと・・・情報量が多過ぎるから何度か観た方がいい映像かも知れないけど、何度も観る気にはならんかな。これ、どうやら実在した処刑場のようなドイツ集落にインスパイアされたという。直接的には描いていないけれど、死と悪夢の世界を表現したということだろうか。でも、「骨」同様の、ある種の愛らしさを感じさせる部分もなくはない。まあ、鑑賞後は悪い夢でも見そうだけど・・・観るのは1回だけにしておいた方が無難かも。
2023年10月12日
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CSチャンネルネコで放送の台湾アニメーション「幸福路のチー」'17(日本公開は2019年)を録画視聴。これは劇場で観たかったんだよね。原作ものかと思いきや、監督・脚本のソン・シンインの実体験による内容のよう。台北に実在する幸福路で育った少女チーの成長記。少し時系列がややこしいところがあるけれど、台湾人女性も、やっぱり誰もが経験するような悩みや葛藤を抱えて生きているのだと、当たり前のことに気付かされる内容。少女時代に登場するキャラクターが多彩で、それぞれ成長後の姿も確認できる。チーもアミ族の血が混じり、成長して後、アメリカ人と結婚して子供を産む。クラスメイトでは、米軍人父と台湾人母の間に産まれた金髪青い目のベティがいる。貧しい育ちの劣等生ショーンや、市長の息子のボンボン等も。台湾は今や進んだ中華社会の印象だけど、それは市民が戦って勝ち取ったものだった。チーの従兄も政府の弾圧を逃れる形でアメリカ留学して、ニュースキャスターのなって成功を収める。そのウェンの誘いで、チーは911の後にアメリカに渡り、アメリカ人と結婚するのだが・・・裕福とはいえない生まれなので、両親には医者になることを期待される。周囲には子供はいつ産まれるのかとせっつかれ、諸々を期待される。そんな時に癒してくれるのは祖母だった。祖母の葬式に台湾に戻り、これからのことを思い悩むヒロイン。シングルマザーながら幸せそうに暮らすベティ、年老いていく両親を見ながら、自分を育んだ地へ戻ることを考え始める。ハーシーズのチョコレートや、「ガッチャマン」の歌をクラスメートと一緒に歌った思い出。でも、ノスタルジーに浸ることなく、ほろ苦い現実を描きながら心温まる家族の絆を描く。台湾らしい繊細なタッチが印象に残る1作だ。学校で台湾語を禁止されたり、大きな地震で被害を受けたり、ヒロインが陳水扁デモに参加したり、台湾の近代史も巧みに織り込んでいる。台湾も激動の歴史があったのだなあと改めて思う。加えて、台湾も、今の日本と同じように、必ずしも高齢者が安心して暮らしていける世の中にはなっていないこともわかって切ない。チーの声はグイ・ルンメイが担当。劇中にも流れる主題歌はジョリン・ツァイのもの。アニメーションそのものは日本製の影響が強いのだとか。アニメの製作体制が整っていない台湾で、ソン・シンイン監督自らがプロダクションを興して作った渾身の作品とのこと。その思いは感じられる1作だ。
2023年09月28日
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NFLシーズンも近づいてきて、HDDの容量を確保しておかないといけない時期に来ている。ということで、録画ストックの中から、今日はアニメーション映画「シュンマオ物語 タオタオ」'78を。公開時は「寅さん」と併映ではなかったかな?山田洋次が原案・監修で、スタッフにも山田組の面々が多く名を連ねている。日中合作で、アニメ制作の方に天津市工芸美術設計院が加わっている(中国人スタッフのクレジットはなし)。これは知られざる秀作と言っていい(傑作と言い切るには若干難があるのは後述)。少なくともアニメーションとしては、かなり高品質の1作だ。現在も日本映画界で活躍するプロダクション白組が日本側のアニメ制作、なのでアニメ監督は島村達雄が務めている。リマスターをしたのか、あまり目に触れる機会がなかったためか、画質は極めてクリア。絵的にも動きも現代の作品に比しても遜色ない。CGも使用されているようだし、場面によって実写との合成などもあり、意外なくらいに力の入った作品と思える。脚本の高橋健は「キタキツネ物語」の企画者と同一だろうか。松竹の監督、田中廉義との共同名義だが、動物の描写は高橋、シナリオとしての大枠は田中という配分だろうか。画面構成として、山田組キャメラマンだった高羽哲夫も名を連ね、編集が石井巌、録音が鈴木功と、まんま山田組スタッフだ。音楽だけは、山本直純というわけではなく佐藤勝の担当だが。とりわけ、前半のパンダの故郷の描写が秀抜だ。母親や動物の仲間たちとの平和で幸福な日々。しかし、人間の狩人によって母が殺され、本編の主人公であるタオタオは捕らえられてしまう。連れていかれる動物園はイギリスあたりの設定だろうか。飼育係がメアリーで、獣医がジョージという具合に。パンダ2世を期待されてつがいがあてがわれるが、それがオスだったというお粗末。パンダのジェンダーは見極めづらいのか?雪の日に檻から出されたタオタオは野生の血が蘇り脱走を図る。しかし、辿り着いた先は海、全てを諦めて余生を動物園で過ごす。捕われる過程が描かれていないし、タオタオを逃したメアリーの責任も問われないのは解せないが、ここらは脚本を主導した田中の責任?第二次大戦が始まり、従軍したジョージが戦死するが、特にタオタオには影響がないというのも少し気になる。結局、年を取ったタオタオは、雪の晩に望郷の念を抱きながら死んでいく。子供向けには厳しい内容だが、パンダの愛らしさを描くだけには止まらぬ、山田作品ならではのものと言えよう。声の担当も山田映画縁の面々が名を連ね、主役の大竹しのぶ、倍賞千恵子の他、動物園長にタコ社長・太宰久雄や、タオタオの連れ合いになりかけるリンリンに山田隆夫といった配役も。主題歌の下成佐登子という人は亀田誠治夫人か。技術面は申し分なし。内容・構成面では上述の通り今ひとつのところはあるが、全体として、この作品、もっと多く目に触れる機会があっていい優れたアニメーションだ。高畑勲=宮崎駿の「パンダコパンダ」のカウンターにも成り得る?1作か。
2023年08月16日
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「アキラ」'88は、一応、観ていたのだ、試写で。しかし、よみうりホールで観たそれは、後半が完成しておらず、点とか線とかばかりで、音声だけはドドドドで、さっぱり訳がわからなかった。いや、よくまあこれで観せるよなと呆れたけれど、結局、それ以来、完成版は現在に至るまで観たことがなかった。数年前にリマスター版が公開されたからか、CSムービープラスで放送あり。試写以来、35年ぶりに、ついに完成版をという次第だ。冒頭のバイクチェイス、ここがある種ハイライトだ。後の様々な作品にも影響を与えたであろう、ネオ・トーキョーをバックにしたアクション描写。本来は、東京五輪の開会式で演出を手掛けるはずだったミキコ先生は、このチェイスをイメージしたオープニングを想定していたそうで、それは実現していれば、かなりのインパクトがあったことだろう。そのくらいに、この作品は、日本以上に海外でクラシックとして認知されているようだから。奇しくも、この作品の時代設定は2019年で、翌年に五輪開催を控えているというもので・・・確かに、当時としては相当に先端のアニメーションだったと思う。今ならCGでこれ以上のことはいくらでも出来るだろうけれど、今見ても新鮮で色褪せていない絵と動きが堪能できる。「マッドマックス」のようでもあり、「ブレードランナー」のようでもあるけれど、この東京の描き方は、アメコミチックではあるけれど、日本人である大友克洋ならではのもの。新宿西口のような光景も出てくるけれど、そこは、この作品の音楽を担当した芸能山城組がケチャまつりを行っていた場所だ。今年、久々に復活するらしいけれど。その山城組の音楽も新鮮で、作品の疾走感を加速させている。SF的な構想は勿論、とりわけ、鉄雄が傍聴していく機械と肉体が融合したようなヴィジュアルイメージも見事だ。塚本晋也の「鉄男」は、これが元ネタなんだろうと思いきや、そうではないらしいけど、結構まんまだ。物語の鍵を握る老人子供たちの存在感も強烈。大友が“アキラ”に込めた隠喩は何だったのだろう。タイトルは、“テツオ”でもよかったような印象だけど。「マトリックス」は明らかに、この作品の影響を受けているだろう。その意味では、スタジオジブリ作品なんかに比すれば、この作品、日本では過小評価に思えてしまう。カルトを超えた1作として、もっと観られる機会が増えたらいいと思う。
2023年07月22日
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昨日だけれど、松本零士の訃報にも触れておこう。死亡記事では、専らSFの人という論調だったけれど・・・確かに、「宇宙戦艦ヤマト」や「銀河鉄道999」でSFアニメブームを巻き起こしたのが人気のピーク。勿論、そこらも嫌いじゃない。今となってはアナクロな「ヤマト」はともかく、「999」の特に劇場版は名作だと思う。ゴダイゴのテーマは些か軽めだったけど、青木望による劇伴、そして城達也のナレーションが耳に残っている。でも、個人的には松本といえば、宇宙以上に四畳半なのだ。「男おいどん」は繰り返し読んだもの。ラーメンライスというメニューに興味を持ち、僕もパンツにキノコを生やしてみたいものだなどとも思った、さすがに実行はしなかったけども。初めての一人暮らしの際に、敢えて風呂なし四畳半に住むことを選択したのも「おいどん」の影響だったかも知れない。面白うて、やがて悲しき、あの松本漫画の独特のペーソス感は、宇宙空間に題材を移しても健在だった。SFでも、「999」のようなファンタジー、男の生き様を描いた「キャプテン・ハーロック」といった作品が、松本の真骨頂であったろう。だから、割と晩年に、「ヤマト」の著作権を巡って訴訟沙汰になったことは些か意外だった。あれは、あくまでプロデューサーの西崎某の世界であって、松本の持ち味とは言い難く、著作権に固執する必要はなかろうと思えたのだけど。訃報に際して使用されていた画像で、愛猫と一緒に写る松本の姿もあった。その猫が、どこにでもいるキジトラの猫で、うちの猫にも似ていたんだな。松本もよく漫画で描いていたミーメとかみーちゃんも、決して、お高そうな外来種ではないところも、あの人らしかったのではないか。亡くなったと言っても、まさに、星になって銀河の彼方へ旅立っていったかのように思えるのは、これも松本ならではだろう。合掌。
2023年02月21日
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「午前十時の映画祭12」、去年は「ライト・スタッフ」くらいしか観てないけど、残りの上映作品は何本か観る予定。新年最初の劇場鑑賞は、「ウォレスとグルミット」だ。このアニメって、そもそも劇場公開の短編作品だったんだね。その最初の3本が今回の上映作。まずは、1989年の”チーズ・ホリデイ”、これがいきなりの1作目?ウォレスが発明家もどきということを踏まえて見ないと。いきなり、ホリデイが月旅行だからね。家のガラクタをかき集めて宇宙船を製作、月はチーズで出来ているからと?出発前に肝心のクラッカーを忘れてヒヤヒヤ。クラッカーにチーズがイギリスのティータイムの定番ってことで。そのためにわざわざ月に行くか。才気はあるけど、おっとりのウォレスに、しっかり者働き者のグルミットのコンビ。月には、何だかコインを入れると動くロボットがいて、なぜかスキーに取り憑かれてしまう。ウォレスたちの環境破壊?の行動に憤るが、宇宙船の残骸でスキーを作って月で堪能、ご機嫌となる・・・1992年の”ペンギンに気をつけろ”は、どこかで観ているな。大泥棒のペンギンが、テクノズボンとウォレスと使ってルパンばりのダイヤ泥棒を試みる。ペンギンが、なぜウォレスたちに目をつけたのかとか細かいことは言いっこなし。とにかく、家での室内チェイスが大迫力。超速で線路を組み立てるグルミットの大活躍、これは大傑作!コマ撮りでここまでやるかのお見事さ、感服させられる。1995年の”危機一髪”の原題は”クロース・シェイヴ”(深剃り)。ひつじのショーンはここで登場したんだね。後の大胆不敵なショーンとは違い、ここではちょっとビビりキャラだ。窓拭きサービスで訪れた毛糸屋でウォレスが見初めた女主人、父も発明家で共感するかと思いきやチーズ嫌いが致命的。チーズ好きのウォレスとしては、さすがに受け入れ難かった。ここでもロボットが暗躍。ショーンを始めとする羊たちが誘拐されるが、大チェイスの挙句に救出。そういえば羊のショーンの映画新作も昨年末公開されたらしいけど・・・真に傑作揃いの3本だ。長編の「野菜畑で大ピンチ」は観たと思うけど、何より新作が観て見たいね。ウォレスの声を担当していたピーター・サリスが亡くなって制作が途絶えていたそうだけど、来年新作が公開予定とのこと。「ショーン」のTVアニメもEテレでの再放映を期待。
2023年01月08日
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「ルパン三世 PART6」は、BS日テレで放送された際にチラチラ見ていて、そのうち追っ付かなくなって、一通り録画したはずだけど未見のまま。それが今日からCSファミリー劇場で放送開始。毎週金曜夜ってことで、なら、これで改めて見るとするか。肝心なのは、“エピソード0 時代”だ。BS日テレ放送時は、番組の放送開始を後で知って、この0を見逃してしまったのだ。小林清志が、次元大介を演じた最後のエピソード。小林は7月に亡くなってしまい、まさにこれが遺作となった。それは、まさしく小林の有終の美を飾るために作られた1話だったようだ。長年、ルパンの相棒を務めてきた次元、何だか倦怠期の如し。よりによってドローンの襲撃で、ルパン、次元、五右衞門は敢えなく逮捕されてしまう。地元警察の、3Dプリンタ作成?のプラスチックガンとはまともに張り合う気も起きず、次元も牢屋で過ごすことになる。時代は変わったとぼやきまくる次元、何やら家業から足を洗うような発言に、ルパンも動揺する。しかし、難なく牢屋から脱出して峰不二子と落ち合った一向。ルパンはとっておきの酒を出し、結局、次元はうまい酒とタバコでご機嫌に振舞うのだが・・・そんな次元の心境を見透かした銭形警部が、酒場で出会った次元を敢えて見逃す。だが、一向が集まったアジトにドローンを伴っての包囲。そこで、次元は本領を発揮しての撃退。結局は元の鞘に?この次元を主役にした、シリーズ初回にして番外編を持って小林が次元役を卒業。さすがに年齢故に声にハリがなく音量も低め。でも、本人は、この時点でも次元を演じる気は満々だったらしいから、その役者魂たるや。放送は2021年10月で、収録はその数ヶ月前?約1年後に小林は還らぬ人となったわけだ。続いて放送の、これがシリーズ本格スタートの“エピソード1 シャーロック・ホームズ登場”。ホームズは青年っぽいが、娘(ワトスンの?)を育てていて、その養育費のために浮気調査なんかの仕事も受けている。ホームズの宿のハドスン夫人は、おばさんではなく若い淑女だ。何だか青年風のホームズに違和感を覚えてリアルタイム視聴をやめてしまったようなところもあったのだけど、HDの録画ストック整理のためにも、なるべくこのCS放送で見てしまうようにしたい。このエピソードから次元を演じる大塚明夫の本格的な出番は次回以降のようで、ここではアアとかウウくらいのセリフしか聞けなかった。ともあれ、エピソード0が見られてよかった。改めて、小林清志に合掌。
2022年11月25日
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CS時代劇専門チャンネルで深夜に放送の「忍風カムイ外伝」、全26話のうちの残り6話を一気に録画視聴した。なぜ一気見したかというと・・・“女左衛門”から始まる最終回までの6話は、あの「カムイ外伝」第二部の“スガルの島”なのだった。ここで疑問が。第二部は、80年代になって書かれたもので、このアニメシーリーズの放送は1969年だから、ずっと後ということになる。あの劇画朝バリバリになってからのエピソードで、非情な上に、かなりえげつない内容で、これを子供向けアニメとして放送というのは、なかなかのもの。実際、内容そのものは漫画と同じなのだ。さすがに原作のように裸、裸ってわけにはいかないが。実は、このエピソードは、白土三平のアイディアに基づいてはいるそうだが、アニメのオリジナルだったらしい。第二部連載にあたって、改めて漫画として描き出されたのだと。「カムイ外伝」の中でも、とりわけインパクトの強いエピソードなので、アニメ版の再編集で劇場映画にもなっているし、松竹で実写映画化された「カムイ外伝」も、このスガルのエピソードだそう。驚いたね。驚いたといえば、とにかく、この内容で、日曜の夜18時半という時間帯で放送されていたのが驚きだ。しかも、「カムイ」の後番組は、あの「サザエさん」。現在に至るまで同じ枠で放送の続く、あの国民的アニメの前がこれだったってんだから。スタート当初は甘めであった「カムイ」も、このスガルのエピソードに至っては、忍びの世界の非情さを描いて余すところない。子供でも動物でも容赦無く殺してしまう、このシリーズが堂々と放送されていたというのは、今からすれば隔世の感、昔の方が自由だったんだなと思わざるを得ない。このシリーズは、声優陣がテアトル・エコー所属の人中心だったが、主にカムイを追う忍者たちの役を、加藤精三、大塚周夫、寺嶋幹夫、小林清志、家弓家正、立壁和也、水鳥鉄夫らが、役を替えながらも毎回の如く出演していた。更に、納谷悟朗、森山周一郎、山田康雄、富山敬らも1エピソードに登場。今から思えば、なかなか贅沢な演技陣であった。スガルの声は、初代・峰不二子の二階堂有希子が演じていた。何よりも、カムイの中田浩二とナレーターの城達也の渋さが際立っていた。ウィキに書かれていたけど、そういえば、オープニングのナレーションが、今回の放送版では微妙に違っていた。僕は昔、再放送で見たわけだけど、その再放送時には、オープニングのナレーションに”今日もまた太陽は昇り、川は流れる”といった一文が加えられていたそうだ。言われてみれば、そっちの方を覚えているな。わざわざ再放映時に城が収録したのかね。そんな具合に、色々と興味深かった今回の放送。こうなると、評判は良くなかったようだけど、崔洋一による実写版映画も見てみたいね。それと、白土三平ではないけれど、時代劇専門チャンネルでは、以前、「佐武と市捕物控」のアニメも放送されていたそうで、そっちもまた放送してくれないものかな。
2022年10月26日
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「サスケ」に続いて始まったCS時代劇専門チャンネルでの「忍風カムイ外伝」、早速、4話目までを録画視聴。子供の頃に再放送で見て以来だ。東芝提供で、まずは、“光る光る東芝”のテーマが流れ、そこからいきなりカムイの映像に。明るい東芝をバックに、オープニングから人殺しまくり、血糊出まくりはよかったのかね?記憶にあるオープニングは、「サスケ」同様にインストのテーマ曲をバックにナレーションが流れるものだけど、その最後に再び、“東芝がカラーで提供する・・・”とか出てきて、おいおいなんだよね。ナレーションが何たって城達也だからね。しかし、終盤、かなりハードな展開を見せていた「サスケ」に比して、「カムイ」の出だしはそれほどでもない。勿論、人は死ぬし、血糊もあるけれど、まだ子供とのやり取りなんかもあって、殺伐とした一歩手前でとどまる。白土三平は「シートン動物記」の漫画版なんかも書いていた人だから、忍者ものでも動物の描写はよく出てくる。原作の「カムイ」でも、狼のカムイの物語が並行して描かれていたくらいだけど、このアニメでは、とにかく、よく動物が殺される。目障りだ、何つって猫が殺されちゃったりするからね。カムイが飼っていた鷹のハヤテも早々に殺されてしまう。白土の作品世界の再現という意味では、終盤の「サスケ」の方が秀れていた印象だ。しかしまあ、この「カムイ」も、城達也が“回を追うごとに”と宣っていた通りに、次第に確立されて行ったのだろうと思われる。そして、何より、エンディング、水原弘による“忍びのテーマ”が渋い。バックの女性コーラスが、ちょっと上ずり気味なのも却っていい?まさに、“死の伴奏”の如し。ともあれ、回を追っていくのが楽しみだぞ。
2022年10月11日
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白土三平の「カムイ伝」および「カムイ外伝」を一通り読み終わったところで、CS時代劇専門チャンネルで「忍風カムイ外伝」が放送されることを、たまたま知った。 見たいなと思っていたのでナイス・タイミング、というか、白土の没から1年の追悼企画なのだった。「カムイ」は、7日深夜からの放送だが、既に「サスケ」が放送されていた。なので、早速録画視聴、16話から。「サスケ」は当時、平日の19時枠からの放送で、前の番組は、ITCの「キャプテン・スカーレット」。まあ、いわば子供番組枠だったわけだけど、改めて見ても、「サスケ」は子供番組を超えた内容・描写で驚かされる。勿論、白土の原作に沿った内容故だが、当時は、現代のように妙な忖度なく、ずっと表現も自由だった感じがする。アニメーション場組としても「サスケ」は異色だ。まずオープニングが歌ものじゃない。これは今も覚えていたけど、“光あるところに影がある”で始まるナレーションをバックにインストのテーマが流れる。エンドテーマが歌もので、“来るぞ来るぞ来るぞ”ってやつだね。見始めたエピソードは、サスケが父の大猿と行動を共にしている。しかし、父は途中で姿を消してしまうのだが・・・それもサスケの成長のためということだ。雷門ケン坊が声を担当するサスケは、まんま子供なのだけど、術は相当な腕前で、時に大人を感嘆させる思慮深さも備えている。純粋な子供の感覚で、農民たちや保守的な部落の人間たちに疑問をぶつける。子供番組では、到底収まらない苛烈なエピソードの連続だ。僕自身は再放送で見ているけれど、あまり子供の頃に見るとトラウマものになりかねない刺激の強さである。当時のリミテッドアニメーション故、サスケの目の動きとか、極めて限られた動きが目立つけれど、忍者の素早い動きを表現するには、むしろ適していたのかも知れない。オープニングも担当の勝田久のクールなナレーション、そして、田中正史による琵琶をフィーチャーした音楽も異色、かつ秀抜だ。このアニメーションの方では、お話的には途中で終わっていたようで、原作に描かれた結末までは描かれない。6日深夜までの放送で、翌日から「カムイ」ということになる。何と53年前のアニメーションだけど、今はもうこんな作品が作られるのは不可能のように思える。残りのエピソードもきっちり見るとしよう。
2022年10月05日
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5月に新宿でやっていたカレル・ゼマンの特集上映、遅ればせで桜坂劇場でも上映。前回観た「鳥の島の財宝」以外の作品はみな観ているのだけど、おそらく久々ということもあり、昨日からの恐竜繋がりもあって、「前世紀探検」'55を再見。4人の少年がボートで先史時代を辿る。洞窟を抜けると、そこは前世紀だったという、「ドラえもん」的な展開。突然、行ってしまったというよりは、そこそこ準備をしていて、行くべくしての探検だ。少年たち、みな賢くて、未知の体験にも慌てふためず冷静に対処する。一番年下のイルカという少年が、やややんちゃなのだけど、彼とて賢明な部類。一人が足を引っ張るようなウザさがないのがいい。古生物、恐竜等色々登場するが、ゼマンらしいのは、ストップモーションアニメのみならず、実写や切り絵等、様々な手法を駆使して、それなりに見せるのがすごい。川を遡り、霧が出ると、前の時代へという流れで、これは一種の教育映画的に作られたのだろうな。各時代の様子を詳細に伝え、少年たちが好奇心を満たしながらも、無茶は極力避け、観察者、探求者に徹する。主人公の少年は日記を詳細につけ、後生大事に保管する。「ジュラシック」よろしく、恐竜バトルも展開される。死んだステゴサウルスを、少年たちはきっちりと観察、記録。そして、ついに、イルカが見たかった三葉虫を発見して、彼らは元の世界に戻る。どう戻ったのかとか野暮なことは問わず、目眩く彼らの冒険談を堪能すればよい1作。続けて「悪魔の発明」'58も観た。これぞゼマンの代表作。劇場の入口にプリントが積まれていて、今回の特集上映は、結構フィルム上映だったことを知ったけど、これはデジタル上映だったよう。音も映像もレストアされたらしく、極めてクリアだった。エッチング調の美術をバックに、場合によっては人物の動きもストップモーションアニメで描かれ、実写との合成や切り替えも行われる。以前、この映画のメイキングを見たことがあったけど、本当にありとあらゆる手法が駆使され、ゼマンならではの世界が構築されている。とりわけ、海底の場面のイマジネーション豊かな映像が見ものだ。ノスタルジックな画調で、どこかユーモラスながら、科学の暴走に警鐘を与える、ジュール・ヴェルヌ作品の映像化。帆船、潜水艦等のデザインもユニークで、後世に様々影響を与えたであろうことが窺い知れる。ファンタスティックとは、まさにこれ。”幻想の魔術師”の称号も宜なるかなだ。
2022年08月06日
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昨年の9月の日記でも書いたけれど、35年の歴史があった広島国際アニメーションフェスティバルが終わってしまい、それに代わるアニメフェスが開催されるという話は聞いていた。その、ひろしまアニメーションシーズン2022が、いよいよ来月開催という情報が飛び込んできた(というか、今更知った)。既にプログラムも発表、これはチェックしておかないと。なぜ、ASIFA後援の由緒あるフェスを引き継がずに、全く別の形でフェスを立ち上げることになったのか、広島市が、そちらを全面的に支援に至った経緯は、どうも分かりづらいのだけど、今回のプロデューサーである、土居伸彰という人が主導権を完全に握りたかったが故なのだろうか。それでも広島国際アニメフェスのディレクターだった木下小夜子との話し合いの余地はなかったのかなとか、色々と疑問はあるのだけれど、プログラムそのものは、以前のフェスに見劣りはしないスケールと物量が揃ってはいる。8月17日から5日間に渡って行われる、メイン会場は以前のフェスと同じアステールプラザだ。加えて、広島映像文化ライブラリーや市内のミニシアターでも上映が行われる。全プログラム鑑賞のチケットは8,000円程だから、かなりお得。僕も以前、全プログラムチケットを買って1週間アニメ漬けだったことがあるけど、あの時のチケ代は如何程だったか?コンペティションは環太平洋アジアと、ワールドの2つに分かれている。それ故に、相当な上映本数になる。加えて、中国のアニメ作家たちの作品が多くフィーチャーされている。勿論、プログラム・ディレクターでもある山村浩二の作品を中心とした日本国内の作品の上映も多々。加えて、東映動画あり政岡憲三ありジブリありカートゥーンサルーンありカレル・ゼマンあり。よりどりみどりで、まさにアニメ漬けに浸れる物量で、これはちょっと行ってみたくはなるなあ・・・企画としての差異がどの位あるのかはわからない。あちこちで無料上映もあるので、子供たちがテレビアニメ以外の質の高いアニメに触れる機会にはなろう。でも、これはこれまでのフェスでも行われていたレベルのことだと思う。今ひとつ釈然としないものは残るのだけど、やはり、ちょっと魅力的な企画ではある。コロナ禍でどの位人を集められるかという問題はあろうが。毎年開催か隔年なのかの明快な記載がないけれど、今後も続くのであれば、いずれは一度と思わないこともない・・・
2022年07月26日
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デンマーク他合作の「フリー」と言うアニメーションは、ドキュメンタリーでもある。アフガニスタン難民である主人公アミンの実名、本人を晒すのが差し障りがあるのでアニメでの制作になったとのこと。カブールで暮らすアミンの少年時代、いきなり“テイク・オン・ミー”が流れる。イスラム原理主義ではない時代は、こういう欧米の音楽も普通に聞ける状況で、アミンはそういった音楽を聞いて育ったようだ。しかし、紛争の時代を迎え、父は連行されて戻らず、兄もいつ徴兵に取られるかわからないという状況。家族は海外への脱出を目指す。観光ヴィザをくれた国は、よりによってソ連だ。社会主義政策を支持するソ連と、反共ゲリラ、ムジャヒディーンを支持するアメリカによる代理戦争の様相、でも、ソ連がアフガン難民を歓待してくれるわけではなく、あくまでも不法移民の扱い。腐敗した警察の酷さは、僕自身もロシアで体験したからわかるけど、アフガン難民に対するそれは、もはや比ではないだろう。モスクワでのマクドナルドのオープンを目撃した主人公兄弟、あのマックは、つい最近閉まってしまったわけだが。劣悪な状況と知りながらも、家族はアフガンから、ソ連からの脱出を度々試みる。どうにか、単身、コペンハーゲンまで辿り着いたアミンだが、彼にはもう一つの悩みがあった。少年時代はジャン・クロード・ヴァンダムに恋していたそうだ。アフガニスタンでは、今もゲイは認められていないのではないか。再び家族と一緒になれたとしても、アミンには、家族には言えない疎外感があった。しかし、マッチョな長兄は意外にも懐が深かった。アミンの悩みを知って、兄は彼をゲイクラブに連れて行ったのだ。でも、よく知ってたよなあ。アミンは大学に入り研究者として国際的に知られる存在となる。こういう、本来なら優秀な人というのが戦時下の国でも存在するのだろう。でも、研究者として知られた存在なら、今更、素性を隠す必要があったのかな?と思えないでもないけど。アミンはデンマーク人男性と結婚するわけだけど、彼にも、その素性は明かした上でだったのだろうし。ちょっと腑に落ちないところはあったけれど、それは、こちらの認識不足故だろう。ソ連にとってのヴェトナム戦争と呼ばれたアフガン紛争は、その後はアメリカのせいでタリバンの台頭を招いた。痛手を受けたはずのロシアは、懲りずにウクライナに侵攻、そんなことをいつまで繰り返すのだろう。
2022年07月23日
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録画ストックの中から、CSムービーチャンネルでの放送の「プレイモービル マーラとチャーリーの大冒険」'19を。何やらヨーロッパのアニメらしいので録画したのだけど、プレイモービルってのは、ドイツ製で50年近く親しまれている幼児玩具のシリーズだそうな。その世界をアニメ映画化したってことのよう。製作国としては、ドイツに加え、フランス、イギリス、中国、アメリカ合作ということになってる。冒頭は実写だ。如何にもアメリカンの姉弟が両親を事故で失うらしい。まだ幼い姉弟二人で希望もなく生活に追われるのだけど、弟チャーリーが嫌気が差して家出し、オモチャ店に紛れ込むと、そのプレイモービルの世界に姉マーラと共に入ってしまう。まあ、どうして?ってのは、この際深く考える必要は無さそうだ。プレイモービルの世界で、弟はヴァイキングみたいなかっこになり、姉の方は丸っこいおばさんと化す。弟が何者かに拐われてしまい、姉が出会ったキャラに色々助けられながら、弟を捜すという冒険譚。勿論、登場するのはみんな丸っこい人形ばかり。弟チャーリーを捕らえる皇帝がアダム・ランバート、何だか妖精みたいなのがミーガン・トレイナー、そして、ジェームズ・ボンド風スパイ、レックス・ダッシャーがダニエル・ラドクリフが声を担当。時々、ミュージカルになるのだけど、見たのは日本語吹替版。だから、ランバートの熱唱も聞けるわけではない。舞台は中世なのかと思うと現代、いや西部と、子供向けとはいえ、何だか無茶苦茶でよくわからない。お話としても、ありがちな勇気を出してとか思い切って挑戦してみたいな調子だけど、特段、感興があるわけではない。CGなんだろうけど、プレイモービルで構築された色々な世界で、主人公二人が活躍するのが楽しいでしょう?って作り。ハイライトは競技場でのTレックスとの戦いということになる。ところが、これさすがに大人には不評で、不入だったのは、子供にも受けなかったってことか。可哀想なのはブランドイメージを大いに傷つけられてしまったプレイモービルではないか。ディズニーの「トイ・ストーリー」とかとは、また違ったテイストを目指したのかも知れないけれど、お話の構築に欠陥がありありだった。日本の大ヒット・ゲームも映画にして成功した試しないもんな。でも、プレイモービルの箱庭的世界って、ちょっと面白そう。「スター・トレック」のやつなんか欲しいなと思ったら、目が飛び出そうな金額だった・・・
2022年06月29日
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これは昨日観たのだけど、ネタ的には今日に。チェコのアニメ作家カレル・ゼマンの特集上映、度々行われているけれど、今回、新宿ケイズシネマでの長編一挙上映の中で、多分、未見だった長編デビュー作の上映があるので、神保町から、一度、新宿に出て映画1000円の日に見ておくとする。結構、観客は入っていた。1952年の「鳥の島の財宝」だ。舞台はアラブというかペルシャなのだろう。後の代表作は実写との合成が多いゼマンだけれど、これは純然たる人形アニメーションだ。海鳥が毎年訪れる島の人々の微妙な変化、それは海賊がもたらした財宝によるものだった。お話は、教訓話。勤勉に働いて平和に生活を送っていた人々が、欲に目が眩んで道に迷う。しかし、最後は、やはり、本来の生活に戻るという内容。お話はシンプルだけど、人形たちの生き生きとした動き、広大な風景を描く表現力はゼマンならでは。カレル・ゼマンといえば、忘れがたい話があり、それは、まだ始まったばかりくらいの広島国際アニメーションフェスティバルで。審査委員長として訪れていたゼマン、既にその頃はファンだったようで、すかさずサインを求めに行った。大きな体に大きな手で、割と無愛想にフェスのパンフにサインを施してくれたのだが・・・合間に書店に寄ってチェコ語の辞書を捲り、同国語の”ありがとう”を調べておいた。サインをいただいて、チェコ語で”ジャクイエム”と告げたところ、これが通じたようで、御大は俄に笑顔になり、先方から大きな温かい手で握手を求めてきて、日本語で“アリガトウ”と仰ってくれた。まさに、これは生涯忘れ得ない経験だ。ゼマンは、その2年後、1989年に亡くなった、享年79歳。「鳥の島の財宝」はよかった。観られてよかった。本当なら全長編作品を改めて全部観返したいところだったけれど。チェコの巨匠は、幻想を追い、理想も追い求めた人だった、改めてジャクイエム。
2022年05月02日
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今年最後に劇場で観る映画は、「午前十時の映画祭」の「ナイトメア・ビフォー・クリスマス」。公開は1994年?多分。初公開時以来観ていないと思うから27年ぶりか。サントラ盤CDとか持ってるけどね。この作品の原型といえる、ティム・バートンの短編「ヴィンセント」は、これよりも後に観たかな。そういえば、バートンって、元々はディズニーのアニメーターだったんだな。だからこれもディズニー制作になってる。やっぱり、オープニングが圧巻。その情報量の多さ、精緻さ。ジャックの歌は、音楽担当のダニー・エルフマン自らが歌ってる。声の方はクリス・サランドン、最近は聞かない名だけど。数年前にオーケストラ演奏付きでこの作品の上映があったはず。確か、エルフマンも来日して生で歌ったとか、それは貴重だったね。何せ、劇中のジャック、結構歌いっぱなしだから。一方のサリーの声の担当は、キャサリン・オハラ、あの「ホーム・アローン」のママだね。こちらは歌も担当したのかな。毎年のハロウィン企画に飽きて新機軸を求めたジャックが行き着いたのはクリスマス。本人は悪気はなかったけれど、結果的にハロウィンがクリスマスを乗っ取る形になる。これは、最終的にはジャックは反省する。もっと邪悪な心持ちなのかと思いきや、ここらは、ある種子供向けというか、それは悪い意味ではなく、子供にも理解できるお話になっている。それでも、多分にグロテスク、程々に悪趣味な描写が痛快。でも、今見ると大人しいもので、ロアルド・ダールの児童文学に通じる世界を感じさせる。でもこれ、バートンのオリジナルなんだね。その点も秀抜なのだけど、最後は愛が全てを救うというのは、ちょっと「マトリックス」にも通じる。結局、ジャックは寂しかったのかな。監督のヘンリー・セリックは、レイ・ハリーハウゼンが好きだった人らしい。バートンの怪奇趣味にハリーハウゼン的ファンタジーが融合された愛らしい1作。最早クラシックと呼べる作品だなと再認識。そういえば、ジャックのゴム人形持ってたのだけど、あれ、どこいったかなあ?
2021年12月18日
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50年間、次元大介の声を演じてきた小林清志の降板が話題となった「ルパン三世パート6」、日テレでの放送始まったのは知っていたけど、沖縄では見られんからあと思っていたら、週遅れなのか、BS日テレでも放送が始まっていた。気づいて見始めた今日は2話目。2話と言っても0話が最初だったそうだけど、既に3話目ということ。肝心なところを見逃しているではないか。その0話だけ小林が次元を演じて、次から大塚明夫が担当という趣向だったそう。だから、慌てて見た2話目は既に大塚の声だった。小林に華を持たせる意味で最初だけだったのだろうが、どういう切り替え方だったのか。そこらはわからぬまま、とりあえず2話目を視聴。今回はシャーロック・ホームズとの対決だそうだ。ホームズと言っても、ルパン同様に3代目くらいということらしい。モーリス・ルブランの筆で「ルパン対ホームズ」というのはあったけど、それを下敷きかどうかはわからないが、双方の知恵比べが展開されるよう。ホームズのルックスは、イギリス人というよりも、俳優の長谷川博己風で、何やら子供を抱えている。一方、肝心のルパン・ファミリーは、これまた初期のテレビシリーズのキャラに近い。峰不二子は勿論、石川五右エ衛門も何だか饒舌だ。まだわからないけど、前作「パート5」よりは出来が良さそうな印象。脚本が辻真先!小林は88歳で降板となったけど、辻は89歳とのこと、未だ現役ってすごいな。次回は押井守の担当らしいけども。話題性のみならず、作者モンキー・パンチ死後、初めてのシリーズということもあってか、それなりに力は入っているようだ。それにしても、肝心の前のエピソードが見られないのかな。配信は色々あるけど、ギャオをチェックしたら2話目からで、最初のエピソードの配信は既に終了?それじゃ意味ないだろ。まあ、探せば無料で見られる配信があるのかもしれない。とりあえず、月曜夜の放送の続きは忘れないように。
2021年11月01日
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広島国際アニメーションフェスティバルは、第2回目の1987年と第13回の2010年の2回訪れている。アヌシー、オタワ、ザグレブと並ぶ世界の4大アニメフェスと呼ばれていて、隔年開催とはいえ、35年に及ぶ歴史があった。しかし、昨年はコロナ禍で選考のみが行われたようだった。10年前以来訪れる機会はないものの、その様子はサイトでいつもチェックしていた。今回も、さて次回はということで見たところ、「2021年3月31日をもって広島国際アニメーションフェスティバル開催実行委員会は解散しました。」という表記があって愕然とした。つまり、広島アニメフェスは“終わった”ってこと?コロナ禍が続いて運営が困難になったということなのだろうか。それにしても前記の通り、歴史あるフェスが、突如終了してしまうなんて。それからしばらくして、こんな発表を見つけた。2022年に「ひろしま国際平和文化祭」が開催され、その一環として「ひろしまアニメーションシーズン」も行われる。ああ、広島フェスが引き継がれる形で残るのか、よかった、と思いきや・・・同イベントは、広島アニメフェスを引き継ぐものではない、のだそうだ。プロデューサーの土居伸彰という人は初めて聞く名だが、新千歳空港国際アニメーション映画祭(も初めて知った)を立ち上げた人だそう。ディレクターが山村浩二で、この人は広島フェスの受賞者であると同時に理事も務めていた。会場も広島フェスが行われていたアステールプラザでの開催とのこと。だから、てっきり、この企画は広島アニメフェスの発展的なものと思い込んだのだけど、違うのだという指摘をツイッターで受けて確認してみた。確かに、解せないところはある。土居氏が、“アニメーション映画祭がこれまで長い期間開催されてきたのに、関係者の知名度に比べて地元の人に知られていなかったり、自分たちとはあまり関係ないものであるという雰囲気もありました。”ので、より、市民に魅力を届ける内容にしたいとのこと。でもなあ、アニメフェスというのは世界に向けてのものでもあって、市民密着的なスタンスというと、子供たちのワークショップとかそのくらいで、それなら広島アニメフェスでも行われていたこと。どういう差異が出せるのか?歴史ある広島フェスを踏まえてのアニメ企画には違いないのだろうが、敢えて広島フェスを引き継がないという。国際アニメーションフィルム協会(ASIFA)も、この企画は後継とは認めていないとのこと。広島フェスが18回で、ある種の区切りをつけたとかいうならわかるが、ASIFAジャパン側はやめるつもりはなかったようだ。広島市から一方的に通告された形で、その理由についても納得がいくものではないと。広島市側としては、より収益重視の方向を目指しているとも考えられるが、山村氏らが関わるのであれば、ある程度アート志向の路線ではあるだろうから、正直、広島フェスとの大きな違いは考えづらい。ジブリでも絡むなら話が別だろうけど。ASIFAジャパンとしては広島市以外の場所での開催と継続を目指すといったことになろうか。となると、広島のこのイベントはどう捉えるべきなのか、今一つ広島市の意図が掴めない。何よりも、歴史があり、個人的な思い入れもある広島フェスが、このような形で終了してしまうのは残念ではある。色々わからないところはあるけれど、ASIFA側、広島市側、それぞれの今後の動向には注目していきたいと思う。
2021年09月12日
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千葉真一、チャーリー・ワッツ、リー・ペリー等と、このところの訃報は大物ばかりでショックが続いたが、ここに来てまた一人、フランスの国民的スター、ジャン・ポール・ベルモンドの訃報。いや〜、ベルモンドみたいな人も死んじゃうんだね。フランスで今一番のスターって誰なんだ?ちょっと前まではジェラール・ドパルデューとかジャン・レノとか。でも、ベルモンドはジャン・ギャバンとかにも匹敵するフランス映画史を代表する大スター。勿論、あの、アラン・ドロンだって目じゃない。フランスは、もうこの話題で持ちきり、皆が悲しんでいることだろう。と書きつ、実はベルモンドの映画って、そう多く観ているわけではなくて、むしろ、最近、特集上映があったので、それを観ることを楽しみにしていた。ところが、折悪く、緊急事態宣言で、映画館が土日休業になったお陰でベルモンド特集は全く観られなかった。「リオの男」とか観たかったのだけどねえ。なので、あまりベルモンドの追悼を詳細に書くことは出来ないので、ここではまた別のトピックを。ベルモンド作品の日本放映時に、吹替は山田康雄も何作か担当していた。山田といえば「ルパン三世」、そして、その中の次元大介の声といえば小林清志。亡くなった山田を始め、他のキャストは既に代わっていたけど、次元だけはずっと小林が担当し続けていた。偶然にもベルモンドと同じ88歳!その小林の降板がついに発表された。新作のテレビシリーズが今秋に放送されるそうだけど、その最初の1話をもって小林が担当をおり、以後は大塚明夫にバトンタッチするという。大塚といえば、父の大塚周夫が初代・石川五右衛門の声の担当という縁があった。さすがに88歳の小林の声は些かハリがなかったが、今回の降板は本人からの申し入れではなさそうで、当の本人は90歳まで続けたかった感じだ。体力的な問題もあって、周囲から促された形なのか。当人のコメントからは、ちょっと名残惜しさも感じられたが、“あばよ”とか言いつつも。その、ルパンの新作は、当然、日テレでの放送だから、またBSとかに降りてこない限り見られないのが残念。それにしても、ベルモンドは追悼で、特集上映のアンコールがないものかな。アデュー、ムッシュ・ベベル。
2021年09月07日
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劇場で映画観るのが1ヶ月ぶり、ずっと土日休館で、今日はたまたま18時過ぎから上映があったから何とか観られた。「ファンタスティック・プラネット」'73、ビデオの時代に見ているはずだけど、ほとんど記憶に残ってなかったなあ(以下、ネタバレあり)。桜坂劇場ホールAにて。青白く目だけは赤い海坊主みたいなドラーグ人。対して人間は虫のように小さく、まさに虫けらのように扱われる。ドラーグ人がやたらに瞑想に精を出すのは訳があり、それが後半のストーリーの鍵となる。ドラーグ人の知識を身につけた人間の子供テールが反乱。そして、増え続ける人間とドラーグ人の間に戦いが勃発する。ドラーグ人による人間抹殺のあの手この手が怖い。人間の女はなぜか片乳晒す半原始人のようなコスチューム。彼ら以外にも惑星イガムには、さり気なく色々な生物が住み着いていて、この造形が実にユニーク。これまで見たこともないようなクリーチャーが続々登場。監督ルネ・ラルーとデザインのローラン・トポルのイマジネーションが爆発している感じ。原題の“野性の惑星”は、イガムの未開エリアを指しているよう。何もない砂漠のようなところに巨大な首無しの男女の像があって、ここにドラーグ人の瞑想の魂?が頭になって生殖的な行為を行う。この辺りの設定も斬新だ。人間に弱みを握られたドラーグ人は和平の道を探る。この結末の付け方もある意味驚き。切り絵アニメの独特の味も相まって、とにかく、唯一無二と言っていい世界を築き上げていて、見事だ。ポップで少しサイケな音楽もいい味だった。人間独立の気運を作ったテールに因んで、新しい惑星の名はテラ(地球)か。惑星テラはファンタスティックな星になったのかな?
2021年09月02日
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正直、見るべきか迷ったのだけど、CS日本映画専門チャンネルで「火垂るの墓」'88の放送あり。何せ、このアニメ、“見て落ち込む映画”の6位に入ってるそうだ。洋邦合わせてのランキングらしいけど、これよりもっと落ち込む作品ってあるの?高畑勲のアニメ演出としては最高峰の1作だろう。だけど、何せ、ずっしり重いので気軽に見るのは気が引ける。劇場公開時に初見して以来の再見だ。冒頭のセリフが“昭和20年9月21日夜、僕は死んだ”だ。物語は幽霊の回想であろうか。戦時下における兵庫エリア、14歳と4歳の子を残し、出かけた母親は包帯巻きでその姿を現す。学校の臨時収容所で蛆と蝿に塗れながら、あっさり母親は死んでしまい焼却に運び出される。海軍兵の息子で気丈とはいえ、10代前半で母を亡くしてしまう衝撃。以下は、幼い兄妹のサヴァイヴァルの物語だ。戦時下で頼るように言われていた西宮の叔母の家に身を寄せるも肩身は狭い。人情厚そうに見える関西人だけど、ああいうおばちゃんはおるな。上沼恵美子なんか、まさにあんな感じかも。日本での女の立場の低さ故に、戦時下で忠誠を示すことで鬱憤を晴らそうという心理が女性たちにもあったのではないかと言われている。その不自由さに辟易した兄妹は、自由を求めて山沿の湖?の側の防火壕で暮らすようになる。食料を請うた農家では、詫びを入れて元の家に戻るように諭される。しかし、当初は、二人だけの自由な生活には楽しささえ感じられた。でも、何分、14歳と4歳である。“うまくやる”には幼過ぎた。次第に妹が栄養失調で衰弱していく。意を決した兄は貯金を全ておろして食料を調達する。だが、時既に遅し。妹は目を覚ますことはなかった。ならば、もっと早い段階で貯金をおろしておけば、その辺の判断力も幼い故なのだろう。器用には生きられなかった、それ故の悲劇。また、知恵を使えば、どうにかなるかも知れない、物に溢れた現代のホームレス生活とも異なる。あくまで、戦時下、そして戦争直後の物資と人情が欠乏した時代の物語なのだ。妹の遺体を燃やした兄は、その骨を入れたサクマドロップスの缶だけを持って、希望も失って駅での垂れ死ぬのが冒頭だ。高畑は、これは反戦を主張する作品ではないと語っていたそうだ。確かに幼い兄妹が戦時下でどう生きて、死んだかという物語。しかし、当然、兄妹がこのような運命を辿らざるを得なかったのは、戦時下であったという状況故だ。最近のツイートで、“悲惨さだけを見せられても反戦には繋がらない”といったつぶやきを見かけたけど、いい歳をした成人が、そんなつぶやきを平然と上げられるのが、今の日本、なのだろう。与えられる情報の方が問題で、それをどう見るかという、己の想像力の決定的な欠如には思い至らない。教育の問題なのか、単に、その人個人の問題か。細部のリアリズムに徹した描写は、間違いなく「この世界の片隅に」に受け継がれたというか、この作品が無ければ、あの作品もなかったろう。作画スタッフには、庵野秀明の名もある。ラストで、現代の繁栄を山の上から眺める兄妹の姿があった。こういう高畑らしい描写は、この作品を“完全”とは言えないものにしている気はするけど、何分、この作品全体の描写と表現は圧倒的に迫ってくる。33年を経て見ても、この作品は、やはり、重かった。何となくサクマドロップを買ってみたくなったけど、いや、やめておこう。
2021年08月26日
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「不思議惑星キン・ザ・ザ」'86は、日本でもよく上映されているカルト映画だが、監督のゲオルギー・ダネリヤは、ジョージア出身ながら、ロシアで「キン・ザ・ザ」以上にヒットした作品が何本もある著名な人だそう。その監督の遺作となったのは、「キン・ザ・ザ」のアニメ版ということで、自身でも愛着はあったのだろう。ということで、「クー!キン・ザ・ザ」'13を桜坂劇場で。実写版の方、観てはいるのだけど、細部はあまり覚えてない。シュールな上にあまりハッピーとは言えない展開だった記憶があるけど、今回は監督自身による新解釈版になっているとのこと。敢えてかも知れないが、特撮面のチープさも実写版の魅力ではあったわけだけど、アニメ版はCG主体で、映像表現も細かさとスケールを増している。一方、シュールさは引き継ぎながらもお話がわかりやすくなっている印象だ。ソ連ないしはロシアの国家体制を皮肉った感じの惑星プリュクの社会構造がそこそこわかるようになっている。“クー”以外のセリフも結構出てくるし、“カツェ”がマッチ棒だとかといった言語のまとめも出てきたりする。地球人の二人のキャラも変更されていて、おじさんが有名なチェロ奏者、若者が貧乏なDJとなっている。一応、親戚関係で、二人ともそう悪いやつではなく、窮地を脱するために、そこそこ助け合う関係だ。彼ら二人が、独特な社会体制のプリュクにあって、如何に賢く生き残るかが焦点。とりわけ、環境に柔軟に適応する若者トリクの存在がキー。監督がセルフリメイクで描きたかったことも何となく伝わる。あの終わり方は実写版に較べて、どうだったのかな?一応、ハッピーエンドという感じで、気位高めのチェロ奏者チジョフも、より人に優しくなっていきそうに思えた。実写版見てなくても、こっちだけでも充分面白く観られる1作だと思う。
2021年07月31日
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アニメーター・大塚康生の訃報。この人、自分にとっては、ある意味、日本のアニメーターの頂点と認識している人だ。享年89歳。東映動画の長編作品の代表作群に関わり、シンエイ動画、東京ムービー新社に移籍して後は、劇場、テレビ双方で、数々の名作に関与。ただ、この人は、あくまで、原画や作画の担当で、演出を手掛けた作品というのは、あまりない。だから、指導にあたった後進である宮崎駿や高畑勲程には取り上げられることは少ない。しかし、数々の名作のエッセンスは、この人によって生み出され築かれた。間違いなく日本のアニメ史に残る偉大なるアニメーターの一人と言える。この人が描く、親しみやすく、でも、情熱的なキャラクターたちは、お話や内容は違えど共通項があると思う。日本人的なさらっとした顔立ちだが、様々な困難の直面した時の、ユニークで個性的な表情。そんな、この人の描くキャラの顔が好きだった。「ルパン三世」シリーズは元より、テレビ作品の「ガンバの冒険」、「侍ジャイアンツ」、「未来少年コナン」等々。宮崎が演出した「パンダ・コパンダ」や「名探偵ホームズ」のキャラも、如何にもこの人が描いた顔立ちだ。メカへの造詣は人一倍だったようだ。「ルパン三世」シリーズの躍動するカーチェイスやアクション場面は、まさに、この人ならでは。大塚がいてこその宮崎作品であったのだ。この人が指導した人材を挙げれば、それが、そのまま日本アニメーションの歴史となる。“頂点”と位置付けるのは、その意味もある。朝ドラの「なつぞら」には、大塚をモデルとする人物も登場したようだ。ドラマは全く見ていないけど、興味深くはある。近年の日本のアニメは、あまり見ないけれど、宮崎を始めとする後進に、大塚のDNAは受け継がれているのかな。葬儀の参列者の顔ぶれを見れば、現在の日本アニメ界の状況がわかるのではないか。合掌。
2021年03月15日
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桜坂劇場でアニメーション「フナン」。フナンとは“扶南”だ。カンボジアが舞台で、クメール・ルージュ支配下の時代の庶民の物語。これは、やはり、なかなか見ているのが辛い内容だ(以下、ネタバレあり)。冒頭はカンボジアのポップソングが流れて好調だが、言語はフランス語だ。監督がカンボジア系のフランス人で、ヨーロッパ資本での制作だから止む無しか。アニメーションとしては、すごく斬新というわけではなく、割とオーソドックスなタッチの作画だ。クメール・ルージュによる革命は、まさに中国の文革と同じような内容で、首都プノンペンの民衆が、強制的に田舎に移動させられ農作業に従事させられる。洗脳された兵士達の支配下で、食料の量も兵士達次第。かつての隣人が兵士になっていて運命を左右されたりする。日本の戦時下の隣組にも通じる感覚だ。移動時に逸れてしまった息子の行方がつかぬまま、大家族は一人、また一人と命を落としていく。革命派の監視下の農村でのやりとりは、描けばキリがないほどに、様々なエピソードがあったことだろう。200万人に及ぶ民衆が粛清されたということだから、ちょっと想像が及ばないスケールだ。プノンペンには骸骨が積み上げられた塔が築かれていて、ちょっと悪趣味に思えたけど、あの悪趣味さが、ある種の真実ではあったのだろう。カンボジアにしろ中国にしろ、何よりシリア、そして、今の日本でも、なぜ、為政者が自国民を殺そうとするのかが理解できない。統治のためには、少数であれ意に沿う国民だけ残せばいいということなのかも知れないが、これは経済原理や国の発展の観点からもわからない。ある種の思想的ヒステリー、狂気としか解釈できない。妻には、息子を見つけられず“手をこまねいている”と非難され続けた夫、最後は、妻と子を守ために自らが犠牲となる。ようやく見つかった息子は洗脳されていなかったのかなと、見ていて少し不安を感じたが、杞憂だったようだ。多くの犠牲を経て、母と子だけが、かろうじて生き残る。息子と一緒にいた老母はどうなったろうか。また、彼と一緒にいた少女、そして逃亡した弟は。89分では語り得なかったろう困難のエピソードが、現実では溢れかえっているだろう。それは、このアニメをきっかけに、また知る機会を得ればとは思う。20年以上前に訪れたプノンペンは、まだまだこの時代の負の遺産を引きずっている印象だった。現在のカンボジアは発展の時を迎えているようだけど、かつての時代の記憶を残したままか、或いは、忘却の彼方になっていても、それはそれでいいのかなとも思う。
2021年03月14日
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ラトビア産の「アウェイ」というアニメーション映画、予告篇を観て非常に惹きつけられた。ギンツ・ジルバロディスという25歳のアニメーターが一人で3年半かけて作り上げたという81分の長編。予告篇のときめきを裏切らぬ画期的な1作だった(以下、ネタバレあり)。パラシュートで木に引っかかっていた少年は、飛行機事故で生き延びたということらしい。そこに徐にやってくる、ロボットのような黒い巨大な物体。危うく飲み込まれそうになるが何とか逃れる。この黒い影のようなモンスターは、生物を囲むようにして、その生気を取り込む?歩みは遅く暴力的ではないのだけど、実に不気味な物体だ。洞窟に逃れた少年は、うまく飛べない小鳥と仲良くなる。しかし、黒い影は洞窟の入口で待ち構え、たまたまいた小鳥を取り込もうとする。少年は、その中に飛び込んで小鳥を救う。瀕死だった小鳥は何とか生き延びる。やはり、黒い影に追い詰められたらしい先人の荷物やバイクがあり、その中に地図を見出す。少年は、その地図に可能性を賭け、小鳥と共にバイクで黒い影を出し抜いて脱出する。巨大な木製の橋を渡った後で、黒い影が橋を渡っているところで橋の破壊に成功、黒い影は渓谷に落ちていく。一路、地図に記された港を目指す少年は、砂漠の中のオアシスのような場所へ。アンコールワットみたいな遺跡に囲まれた場所では、間欠泉のような水が吹き出す井戸があり、水が出ると、周囲に住む狐のような小動物がきれいに列を為して水を飲む。少年もその水を飲むと、すぐ眠りにつく。ドリーム・ウェルと名づけられた井戸の水は、生物を眠りに誘い、少年は動物たちと共に眠りに落ち、夢を見る。飛べなかった小鳥は飛べるようになり、仲間の鳥たちと共に飛び立っていった。しかし、黒い影はまだ存在していて、執拗に少年を追う。港へ辿り着く前の高山で、雪の中、少年は意識を失う。そこに、黒い影が追いつく。救ったのは黄色い小鳥だった。黒い影は払われ、少年は人影が見える場所に辿り着く。黒い影が意味するのは?少年が唯一人生き延びた事故で失われた多くの人の魂であったのか。或いは、ラトビアという旧共産圏故に、何某かの隠喩があるのか。いずれにせよ、様々な場面で見る者に解釈を委ねる豊かさが、この作品にはある。絵の美しさは言うまでもない。明るくクリアな画像だけど、それ故に黒い影の存在が不気味さを増す。広大だけど温かみのある大自然の光景、そして、バイクで疾走するスピード感。燃料は切れないの?なんて問うのはここでは野暮だろう。セリフは一切なく、重厚な音楽や動物たちの鳴き声だけが響く、ある種の静寂。"アウェイ"の対義語は"ホーム"であろうから、少年は最後にホームに辿り着いたのであろうか?静かな緊張感を醸し、寂寥感の中に温もりを感じさせる映像の素晴らしさ。しばしの余韻に浸りたい結末なのだが・・・"日本公開版エンディング"なるクレジットが出て、え?海外版はエンディングが違うの?とか勘違いしかけたが、要は、日本版独自のエンディングが追加されていたようなのだ。ノリのいい日本語のロックが流れ本編のダイジェストが流れる。ピロウズなるバンドの曲だ。曲そのものは悪くはないのだけど、明らかに作品のテイストとは異なる。せっかく、作品の余韻に浸ろうと思うと、何だか別の世界に強引に連れて行かれてしまうかのようだ。配給がキングレコードなので、所属のバンドの曲を使ったらしい。これはねえ・・・これから見る人にお勧めしたい。ピロウズには悪いけど、"日本公開版エンディング"というクレジットが出たら、すぐに席を立って出口に向かうべきだ。それで、このアニメーションの素晴らしさは頭の中でキープできるだろう。都会の映画館の喧騒の中に出たら却ってマイナス?かも知れないな。何とかして欲しいな、このエンディング。
2021年02月07日
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アイルランドのカートゥーン・サルーン制作のアニメーション映画は、ケルト三部作の2本「ブレンダンとケルズの秘密」と「ソング・オブ・ザ・シー」は、アニメ、実写を超えて素晴らしい作品として印象に残ってる。その、ケルト三部作の完結編というのが「ウルフウォーカー」。今回もアイルランド、キルケニーを舞台に、イギリス人故の孤独を抱えた少女が不思議な体験をする(以下、ネタバレあり)。キャラの造形は、前作「ブレッドウィナー」(未見)に近いのかな、ちょっと今までで最もマンガっぽい感じなのと、ヒロインのロビンが、とことん父の言う事を聞かず、自らトラブルを招き寄せる点も気にはなった。それでも、ウルフウォーカーが登場する中盤以降は、やはり、その森や自然の描写と、ハラハラさせる展開に引き込まれた。キルケニーは城壁に囲まれた街で、子供に限らず、その外に出ることを許されず、市民は籠の鳥状態にある。狼等の自然の脅威を克服し得ていないからというのかも知れないが、狼ハンターの父を持つロビンは、ウルフウォーカーと知り合って自然との共生を志すようになる。そして、ふとしたことでウルフウォーカーに噛まれたことで、自らもウルフウォーカーに・・・噛まれたらなってしまうというと、何だかゾンビみたいだけど、ロビンは日中は人間で、眠ると狼に変わるようになる。あの、ルトガー・ハウアー主演の「レディホーク」は、この辺の伝説が下敷きなのかな?と思わせる。ロビンの父も狼に噛まれたことで、やはりウルフウォーカーと化す。狼、自然にとっての脅威であった護国卿は、狼になったロビンの父によって倒される。結局、ロビンも父も、籠の鳥から抜け出して、狼たちとの自由な生活を選ぶ。これは、ヒロインが人魚になって海に帰る「ソング・オブ・ザ・シー」にも共通する展開。人間としての暮らしよりも、そちらの方が幸福なのだと言わんばかりに。父の声はショーン・ビーンが担当していた。音楽は前2作に続いて、ブリュノ・クレとキーラが担当。ノルウェーのオーロラという人がハイライトの場面で流れる“ランニング・ザ・ウルヴズ”を歌うが、これは既成曲なのだそうな。これまでの作品に較べて、サスペンス、アクション的な部分にも力を入れていて、その分、神秘性や格調高さは薄れたけれど、これはこれで、やはり、崇高なテーマと丁寧な造形に溢れた1作ではあった。カートゥーン・サルーン作品の一挙上映があってもいいね。キーラの生演奏付き上映なんかもいいかも。
2021年01月10日
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「おそ松さん」、ここんとこの放送はどうなってるのだろう?一時期はブーム的に盛り上がっていたけど、矢継ぎ早に次を出さないのは戦略なのか?でも、映画版が昨年公開されていて、それがCSアニマックスだかで放送あり、録画視聴。「えいがのおそ松さん」は、2時間近い長尺に加え、これは放送用に作られた?前説みたいなのがあって、2時間半の放送枠だ。その前説では、なぜ松竹の配給かといえば、松野家との松が共通してるから、バカじゃない?みたいにコケにしていた。やるね。目標興収800億とか何とか言ってたけど、実際どんなもんだったのだろうかね?主題歌は、テレビ版のアイドルグループA応Pとかではなく、トト子役の遠藤綾が歌ってるみたい。冒頭で意味ありげな場面、一応、伏線なのである。お話としては、高校の同窓会での六つ子から始まる。高校生の時はまだまともだった?のに、なぜ、卒業後は皆こうなってしまったのか?こう、とは、ニートで童貞である。で、過去に戻るのだけど、六つ子のうちの誰かが高校時代に非常に後悔を抱えていて、その思い出の中に戻るという設定だ。ちょっと、「うる星やつら」風というか押井守風というか、この後は、完全にSF的なお話が展開する(以下、ネタバレあり)。思い出の世界の中だから、知っている人物、デカパンやチビ太やトト子ちゃんはそのまんまだけど、それ以外の人の顔はへのへのもへじだったりする。イヤミだけはなぜか骨組みたいな感じ。テレビ版に通じるはちゃめちゃな展開は引き継ぎつつ、ここは映画ってことでスタッフが気張ったか、ちょっと一筋縄ではいかないお話に展開していく。六つ子の後悔は、高橋のぞみというクラスメートのラブレター?を無くしてしまったことに起因する。トト子やチビ太が巨大化したり、思い出の世界崩壊の危機を乗り越え、六つ子は、高橋さんに直接会う機会を得る。恋とか何とか以上に、高橋さんは、六つ子の仲の良さに惹かれたようだ。しかし、遠くへ行ってしまうということで手紙を書いたのだと。最後に記念撮影をして、高橋さんも満足、六つ子も謎が解け、晴れて元の世界へ戻ることができる。その、高橋さんの“遠く”というのが、冒頭の場面。どうやら病床に就いたということらしい。そんなこととはつゆ知らぬ六つ子は、また元の世界で元の通りの生活に・・・という結末だが、これはまあ、如何にもな、感動狙いの作りだよなあ。あざといとまでは言わないけど、まあ、アニメ系の人がやりそうな展開だ。六つ子を思い出の世界に誘う黒猫の存在。あれは、高橋さんの分身だったのだという解釈を書いている人がいたけど、そうなんだろう。まあ、テレビ版からして、完全に赤塚不二夫の「おそ松くん」とはかけ離れた作りだったから、この映画に関しても何をか言わんやだけど、これにのれるかどうかは、日本独特のアニメカルチャーに馴染んでいるかどうかで決まるかな。自分は馴染めていない口だけど・・・で、テレビ版「おそ松さん」、3シーズン目がまたテレビ東京で放送されるらしい。BSとかで見られるなら見るよ、何だかんだ。
2020年10月01日
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「ジュディ」でもって再注目のジュディ・ガーランド。偉大な歌手であるのは勿論だけど、原点はやはり「オズの魔法使い」。「風と共に去りぬ」と同時期位の作品ながら特撮もそこそこで、ファンタジー映画としても傑出していて、個人的に生涯のベスト10クラスに好きな1作でもある。そんな「オズの魔法使い」+「トムとジェリー」という企画がそういえばあったっけ。昔録画したHDDの整理で、Eテレで放送された「トムとジェリー オズの魔法使い」という60分の録画が残っていた。これはテレビ作品なのかも知れないけど、日本では劇場公開もされていた。何となく見てみる。当然、ハンナ・バーベラ・プロダクションの製作だ。でも、「オズの魔法使い」でもある。ちゃんとミュージカル仕立てで、ドロシーの“虹の彼方に”歌唱もある。一応、「オズ」のストーリーを辿りながら、そこに助っ人的にトムとジェリーが加わるという内容。いつも喧嘩の二匹も今回は協力してドロシーを助ける。当然、オズのキャラのカカシだのライオンだのブリキ男だのも出てくる。でも、活躍を見せるのはトム&ジェリーともう一匹のネズミキャラだ。それでも、きちんと「オズ」のストーリーには沿った展開。魔女との戦い部分でトム&ジェリー&ネズミが大奮闘。無理なくストーリーに絡ませているのは、案外、脚本がうまいのかな。トムジェリの声を肝付兼太、堀絢子という大ベテランが担当。但し、セリフはなし、ぎゃーとかあーだけ、ある意味贅沢な使い方だ。いつものテレビのトムジェリよりは、絵の作りもしっかりしていて、アニメとしても見ていられる。お馴染みのミュージカルナンバーもキッチリ再現されているし、これは案外拾い物という印象だ。一応、好評だったのか、「すくえ!魔法の国オズ」という続編も作られたそうな。また、トムジェリはこういうお馴染みの物語に加わるエピソードが色々他にも作られているよう。まあ、そんなこんなでジュディ・ガーランドに戻る。ベスト盤は買ったけど、カーネギーホールでのライヴ盤も購入してしまった。在宅で宅配便が受け取れるうちに買っておくべく。
2020年06月08日
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「ひつじのショーン」の新シリーズがEテレで放送開始となったけど、アードマンは「ショーン」の映画版第2弾の前にも別の劇場長編を制作していたのだね。「アーリーマン」は、2018年に日本でも公開されていたようだけど、全く未チェックだった。CSムービープラス放送の録画視聴。サッカーの起源は石器時代からという、イギリスらしい奇想天外な内容。壁画に残されたサッカーの様子をアーリーマンたちは、あまり理解せずに眺めていたが、その意味を青銅器文明との遭遇で知る。石器時代の人たちと青銅器時代の人たちは時代的に共存するところがあったのかね?といった史実的な部分はさておき、ウサギのみを狩猟して暮らすアーリーマンたちは、文明の利器を操る青銅器人たちにタジタジ。お話の展開は、アーミール・カーンの「ラガーン」を彷彿とさせる。サッカーで勝負して、住処を取り戻そうと。このアニメの特徴は、いつもはセリフがなくて、”アーアーウーウー”だけで始終するアードマン作品だが、しっかりセリフを喋ってるようで、エディ・レッドメイン、トム・ヒドルストン、ティモシー・スポール等が吹替を担当。その、日本語吹替版での放送だった。強者による弾圧化にあっても、スポーツの勝敗は公正だ。最後は言わずもがなのハッピーエンド。相変わらず小動物しか捕らえずに暮らす石器人、夢想的なファンタジーと言える。アードマンの最高傑作ではないけれど、という評価は的を得ている。それでも、あの動きの妙と独特のユーモアは健在だ。ニック・パーク自身が監督ながら、イギリス流の悪ノリが若干マイナスだったかな。
2020年02月27日
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「ひつじのショーン」の映画は前作をテレビで見て、とても面白かった。映画2作目の「ひつじのショーン・UFOフィーバー」は劇場で観ようと。地元近いユナイテッドシネマの会員割引にて、こちらでは少し遅れて新年からの上映。家族連れに交じってのご鑑賞。吹替版かなとか思いきや、このアニメ、そもそもセリフがないというか、明確に語られないじゃないか。元々、映像で勝負の作品なのだ、バカだね。今回はもう完全にSF。ところどころに「未知との遭遇」だったり「Xファイル」だったりといった音楽もチラホラ。ショーンが出会う宇宙人は子供(それも女の子だったらしい)で、好奇心いっぱいでジャンクフード好き。たまたま親の車(宇宙船)をイタズラしていて地球に来てしまったらしい。俄かにUFOフィーバーに沸く田舎町で、牧場主がトラクター買うために便乗商売を企む。UFOを追う一人MIBのようなウーマン、エージェントレッド。子供の頃に宇宙人を目撃したが誰にも信じてもらえなかったトラウマで、宇宙人捕獲に躍起になっている。レッドの配下のマッドネスみたいな黄色い防護服の工作員たち。ショーンと宇宙人ルーラは逃亡の折にスーパーマーケットをぐちゃぐちゃにしてしまったり大騒動。後半は「E.T.」の如き展開。故郷の星に帰りたいルーラをショーンたちが手助け。エージェントレッドはモビルスーツみたいので追ってくるが、羊仲間たちが撃退。それをショーとして見せた牧場主は大儲け。めでたくトラクター購入費用が貯まるが・・・両親が迎えに来て、ルーラも故郷の星へ。その最後はなかなかホロリとさせられるものがある。コマ撮りアニメで、その技術もすごいのだけど、それを感じさせず、とにかくお話の展開に引き込まれる。バックを彩るブリティッシュ・ポップ・ナンバーもいい選曲だ。場内、親子連れで賑わっていた。Eテレでの放送は終わって久しいけど、再放送やればいいのにね。
2020年01月05日
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クリスマスに毎年必ず放送されているのが、人形アニメの「ルドルフ・赤鼻のトナカイ」だ。近年、日本ではCSカートゥーンネットワークで放送されているけれど、番組としては”カートゥーン・クリスマス”と一括りで3時間位放送されるうちの1時間。どこで放送されるかはわからない。なので、3時間をまるまる録画して、その中から探して見るのだ。僕もこれは大体毎年見ているけれど、昨年は見逃した。今回はイヴではなく25日の放送、プログラムの1時間目位での放送。冒頭、記録的吹雪の実写、クリスマスも悪天候だと中止になる?少なくともサンタクロースのプレゼント配りが中止になってしまう。それは、主に視界不良が原因ということだ。だから、歌の文句そのままに、赤鼻のトナカイの”お前の鼻が役に立つ”のだった。当初、ルドルフはあからさまな差別を受ける。実の父親にさえ疎まれる。それでも、そんなルドルフを庇ってくれる存在はいて、それが彼の支えとなる。一方で、オモチャ作りが好きでなく歯医者になりたいという変わり者の妖精ハーミーも皆から仲間外。でも、事を成し遂げられるのは、こういう変人(いや、トナカイと妖精)、自分を持っているものなのだ。ユーコン・コーネリアスというのは、このアニメ及び原作の童話のオリジナルキャラなのだろうか。彼も天涯孤独のような冒険家、ルドルフとハーミーを助け、雪男も手懐けてしまう。最後にはサンタも考えを改め、皆もルドルフやハーミーのようなはみ出し者を受け入れる。再びの嵐のクリスマスとなるが、ルドルフがトップランナーに抜擢され、もらい手のなかったオモチャたちが子供たちに配られる。これは何度見てもハッピーで、よく出来たアニメーションだ。バール・アイブスによる歌と語り(日本語吹替だったが)もいい味だ。数年前に国立フィルムアーカイブで回顧展も開催された持永只仁、長島喜三らが制作の主要スタッフとして名を連ねる。彼らの名も毎年誰かが目にしている。この先もずっとクリスマスに放送され続けてほしい1作だ。
2019年12月25日
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先月放送されたものだけど、Eテレ「日曜美術館」での”アニメーション映画の開拓者・高畑勲”を今頃録画視聴。その時期に東京国立近代美術館で高畑勲展が開催されていた事で、この番組で取り上げられるという”抜擢”となったようだ。高畑がアニメ制作を志したきっかけは「やぶにらみの暴君」。アニメで思想を表すことが出来ると確信したそうだ。絵は描けない人と聞いていたけど、絵コンテは描いている。テレビ番組でありがちだけど、書斎初公開で秘蔵の?資料がお目見えする。遺作となった「かぐや姫の物語」の構想は50年前のメモにあったのだと。主に取り上げられる作品としては、まず「アルプスの少女ハイジ」。制作にあたり、高畑、宮崎駿、そして、ドラマ「なつぞら」のヒロインの夫であった小田部羊一がスイスにロケハンに赴いた。そこでの日常生活の透察が、例えば、あの、とろけるチーズの場面といった日常のリアリティ描写に結実していると。番組には登場しなかったけど、「赤毛のアン」の時も、当然、プリンスエドワーズ島にロケハンに行ったのだろうな。そして、「火垂るの墓」。岡山で空襲を体験した高畑の実感が活かされている。確かに、あのリアリティ描写は、番組のゲストで登場した片渕須直の「この世界の片隅に」に受け継がれている。そして、遺作となった「かぐや姫」、手書きの線をそのまま活かしたアニメーション作りが、如何に手間のかかるものかはよくわかった。そんな、無茶振りも高畑の特徴ではあった。生憎、高畑の作品には、ある時点で興味を失い、晩年の作品は見ていないのがもどかしい。これは前にも書いたけど、確かに傑作級の作品もものしてはいるが、限界を感じさせる作品もあった。先日観た傑作「ディリリとパリの時間旅行」のミシェル・オスロも称賛している「かぐや姫」はちゃんと見てみたいところだ。「赤毛のアン」はWOWOWで放送中らしいな、そっちも見てみたいけれど・・・
2019年11月13日
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2日前の話なのだけど、夜のタミクレスト公演までの時間つぶしに観た「ディリリとパリの時間旅行」は、実に見事な傑作であった。これは書いておかないとね。長編アニメで定評のあるミシェル・オスロの作品は、実はこれが観るのは初めてだったかも。20世紀初頭の華やかなりしパリ、アフリカ移民らしいディリリはアフリカ人の展示品的仕事をこなしてはいるけど、しっかりした教育を受けた淑女だ。彼女を受け入れるイケメンフレンチのオレルも寛容なキャラだ。作者は、この時代のパリは極めて進歩的な場所であったと主張しているようだ。真偽の程はともかく、日本に限らず狭量な今の世を鑑みると、この時代のパリは素晴らしい世界だったように思える。一方で背後に暗躍するレイシスト集団、その名も”男性支配団”。女たちの権利主張や移民を嫌い、老若を問わず女性を捕らえては”椅子”として教育していく。ディリリを助ける(実在の)オペラ歌手エマ・カルヴェの運転手も組織に入りかけるが、囚われたディリリを救うことに尽力するようになる。今の日本のN国あたりを、すごく想起させる内容と展開なのだ。ディリリを取り巻く人物として、当時パリにいた文化人たちが総登場。パスツール、ピカソ、マティス、プルースト、アンドレ・ジッド、サティ、ロートレック、サラ・ベルナール、イギリスのエドワード皇太子等々。勿論、ムーランルージュも登場するし、塔を設計したギュスタブ・エッフェルその人や、飛行船を開発したアルベルト・サントス・デュモンは、物語のハイライトに深く関わる。まさにキラ星の如きパリの名士たちが次々現れる様が楽しい。勿論、お話だけでなく絵の方も素晴らしい。オフィシャルサイトにはテクニカルな部分の解説が皆無なのだけど、これはCGだろうけど、背景には結構実写が合成されている場面がある。アニメの背景部分でも、その細密さは目を見張るものがあり、当時のパリの光景も見事に再現されている。とりわけクライマックスの飛行船の美しさは特筆ものだ。美術面でも、思想面でも、このアニメーションは、実に理想的な出来栄えを示している。エンタテイメントとしても十二分に楽しめる内容であることは言うまでもない。得てして、ちょっと合間に観たなんて作品に限って、大きな当たりがあったりするものだ。生憎、現在のフランス、パリが、かつての輝きを有しているかと言えば些か疑問だ。それはパリに限らない。最初に書いた通り、今の世の中の状況を思えば思う程、このアニメーションの美しさは一層際立つ。「主戦場」あたりを好んで観た観客にも、この作品をこそ観てもらいたい。きっと共感を得られることだろう。
2019年10月04日
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ロシア製アニメなんてーと、好きなんですよ、「チェブラーシカ」みたいな可愛いのじゃなくても、ノルシュテインみたいなアートなのでも。その、どちらの作品も手がけたモスクワのアニメスタジオ、ソユーズムリトスタジオ制作となれば尚更だ。「ホフマニアダ」は、この春に東京都写真美術館等で上映されたのだそうな。それが徐に桜坂劇場で上映。勇んで観には行ったのだけど・・・オペラ、バレエで有名な「ホフマン物語」のホフマンその人を扱った人形アニメ。無知で何ですが、ドイツのE・T・A・ホフマンは、あの「くるみ割り人形」の原作者でもあるんだね。このアニメは、そのホフマンの若き日の回想の物語のようなのだけど、とにかく、現実?から幻想への飛躍が凄すぎて、始まって10分もしないうちに、もうついていけなくなってしまった(汗)。回想場面には、作家ホフマン作品のキャラクターたちが色々登場しているらしいけど、その辺は基礎知識に欠けるものだからサッパリ。もう、チミモーリョーな展開で、オツムの中がショート・・・そうなってしまうと、もう、動きがどうこうキャラがどうこうどころではなくなってしまう。正直、動きはそれほど精緻な感じしなかったのだけどな。とにかく人形の数は夥しい程で、15年かけたという制作が相当なものであったことは窺い知れる(エンディングでちょいとメイキングが)。でも、とにかく訳が分からず、観ているのがしんどくなるばかり。この手の作品でこういう思いになることは珍しい、基本は好きなジャンルだからね。何より、ホフマンを始めとするキャラが皆ピノキオみたいな鼻なのに、根本的についていけない。もう、この造形だけでも作品世界に入り込んでいけなかいのには充分であった。72分の作品が、こんなに長く感じられるとは。ある種ロシア的な深さが自分の手に負えなかった感じかな。この作品の前に、日本制作の「マイ・リトル・ゴート」という短編の上映もあったのだけど、これもまた訳がわからなかったのだ。いきなり狼の腹を割いてのみ込まれた子羊たちを取り出す母羊。消化されてしまった?子羊の代わりに人間の子供を連れてくるというお話は、怖いのか何なのか?「ホフマン」ともども、いやあ、まいった。「ホフマン物語」といえば、1951年のバレエ映画の方も併せて最近上映されたらしいけど、そっちの方を観てみたいな。「赤い靴」は好きなので、そちらは楽しめるのではないか、このアニメとは違って。桜坂劇場で、そっちやって、是非そっちを。
2019年08月03日
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4月に没したモンキー・パンチの追悼として、「ルパン三世」の劇場映画第6作「ルパン三世・デッド・オア・アライヴ」'96がBS日テレで放送。モンキー・パンチ自身による監督作品。これは全くの初見だ(ネタバレあり)。ヨーロッパというよりは南米あたりの架空の小国が舞台。お宝を求めてやってきたルパン一行が、国の政争に巻き込まれるというか、絡んでいく。いわば軍事政権が握っている国で、かつての王や王子は始末されてしまったと。財宝は、奇妙な生命のようなシステムが島を張り巡らし守っていて、この解除には、かつての王たちが鍵を握っているらしい。そこで、王もルパンたちも、その鍵を解くべく暗躍するのだが。当然、そこにはルパンを追う銭形警部や峰不二子も絡んでくる。国の女性秘密工作員とルパンとの恋と言いたいところだが、工作員が追うのは、あくまで元王子の幻影だ。死んだかと思えた王子は、実はルパンの変装であったことが明かされるが、王子らの意思を継ぐレジスタンスが軍事政権の転覆を計る。モンキー・パンチ自身による唯一の監督作故に、キャラクターは最も原作に近いという触れ込みだが、そうだろうか?ルパンの義賊的なスタンスは「カリオストロの城」を受け継いでいる感じだし、不二子も案外大人しい。政権等も偽るためにルパンが元王子になりすますのは、何かフェアじゃない気がする。そして、ある種のウリである、お宝の島のナノシステム、ちょっと「バイオハザード」あたりを想起させるが、登場はほぼ同時期か。新しものに目敏かったらしいモンキー・パンチは、案外、意識していたのかも知れない。絵的にはまあまあかな。正直、劇場の1、2作とかに比して、特別優れた出来とは思わなかった。ただ、劇場版だけあって、声優陣はそこそこ豪華で、野沢那智、古谷徹、高山みなみらが出演。声といえば、山田康雄を引き継いだ栗田貫一にとっての初めての劇場版であり、劇場版はこの後も製作されたが、次元大介の小林清志を除く他のレギュラー陣は、これが最後の出演になったとのこと。でも、何となく見ていて違和感があったのだけど、それは音楽が大野雄二ではなかったからか。「ルパン三世」というのは、ある意味不思議な作品で、確かに原作はモンキー・パンチだけど、ある時点で原作者を離れて一人歩きした感がある。この映画も、原作者が監督とはいえ、モンキー・パンチ自身が創作したオリジナル・ルパンというよりは、その後の一人歩きしたルパンのイメージに沿って作られた作品という感じがした。やっぱり、一番オリジナルに近かったのは、テレビシリーズ1作目だったように思う。でも、モンキー・パンチという人は、そういう風に、寛容というか、自作の一人歩きを楽しんでいたのではないか。原作者のエゴ以上に、ルパンは、すでにみんなの存在になっていたのだと。改めて合掌だ。
2019年06月03日
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録画ストックの中から今日もアニメ、これも評価の高かった「うる星やつら2ビューティフルドリーマー」'84を。しかし、「うる星やつら」のアニメって全然見たことがなくて、基礎的な知識もないのです、実は。同じ高橋留美子の「めぞん一刻」と区別が付いてないくらいに。舞台は高校で、学園祭前日のドタバタが繰り返される。純喫茶第三帝国ってヤバくないか?主人公の当たるとやらが夜食を買いに行った際に遭遇する、のっぺらぼうのちんどん屋さん。ここからが夢の入口になる。なぜか、いつもの登場人物以外は消えて時空が無茶苦茶な世界へ。飛行機に乗って上空に飛べば、これまでいた世界は巨大な亀の背中に乗って動いていた。押井守らしいシュールなSF世界が展開する。これはどう見ても夢オチなわけだけど、その夢オチが二重三重に繰り出されるのが終盤の展開。まあ、あの人らしいというか、好きな人ならついていけるだろいうという世界。あたるがフランケンになったり、夢オチから目覚めるのは起床ラッパだったり、後は好き放題な展開。結局、ラムの夢を夢邪鬼なる妖怪が利用して繰り出された世界ということで、この夢邪鬼はアダムとイヴの時から人に夢を見せて来たと、壮大なお話ではある。この夢邪鬼を関西弁丸出しで藤岡琢也が熱演。実質の主役とも言えるフィーチャーぶりだ。一方、狂言回しみたいな白い帽子の少女が、声が島本須美だったあたり、どうしても「カリオストロの城」のクラリスを思い起こさせたりも。押井の理屈っぽさみたいなのは、まあ、個人的には感心半分、猜疑心半分。オタクカルチャーと相容れない自分としては、そういったフィールドで自説を展開する押井のスタンスが、そもそも今ひとつ理解できない。この映画版はまずまず面白くは見られるけど、細かいところを掘り下げてみたいという程にはノレない。とにかく、よくまあ、こういうのを作ったなというのが正直なところだ。余談ながら、連休中に都内で「アキラ」が上映されていて、ちょっと惹かれたのだけど、(初めて)観たダチは、”すごくつまらなかった”とのこと。そう言われても観てはみたいな。あれもどこかのCSチャンネルで放映されないかしらん。
2019年05月16日
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ワーナー・ブラザーズ製の「アイアン・ジャイアント」'99は評価の高いアニメーション映画と聞いていた。スペシャル版みたいなのが劇場公開のはずだったけど、なぜかブルーレイ発売共々中止になってしまった。その、ちょっとした幻の作品が何気にCSディズニーチャンネルで放送。昨年12月の放送を録画視聴(ネタバレあり)。後にディズニー作品でオスカーを受賞するブラッド・バードの初監督作品。2016年に公開予定だったのは”完全版”だったらしいけど、こちらは86分の通常公開ヴァージョンのようだ。舞台は1957年のアメリカの片田舎。アイアンジャイアントは誰に作られ、どこからやって来たのかもわからない。しかし、ある程度の感情を持ち、言葉も話し、何よりも自己再生能力がある。ぶっ壊れても自分で直してしまうのだ。鉄を食料として腹が減ると腹が鳴る。正直、あまり科学的ではない設定だ。屑鉄を集めてアート作品を作るという変わり者がいて、ジャイアントのいい住処となる。食べ物にも事欠かないから。しかし、お役人が存在を嗅ぎつけてやって来る。ジャイアントを匿う少年につきまとったりするが、まだ甘い方かな。軍隊を呼んでジャイアントを攻撃すると、ジャイアントも反撃に出る。実は戦闘ロボットだったのだ。戦闘ロボットなのに感情があるというのは大いなる矛盾とは思うが、少年に銃や生命を奪うことの愚かさを教えられたジャイアントは、再び心を取り戻す。でも、人は殺してないものの、既に色々破壊した後だから、簡単には始末がつかない。町に向かって飛んできたミサイルと正面衝突という最後は免れ得ないのだった。当時としては、まずアニメーションとしてもよく出来ているとは思う。リストアされたのかどうか、画質も非常に良かった。あの時代はまだCGではなかったろうけど。でも、設定は色々無理があるわな。僕自身は、そこまで評価していなくて、まあ、あくまで当時としてはのレベルかなと思えた。吹替版放送だったけど、オリジナルではジャイアントの声をヴィン・ディーゼルがあてていたらしい(大したセリフはないが)。更に、ハリー・コニック.Jrなども。しかし、何より?なのは、製作総指揮ピート・タウンゼントって、あのピート?彼が何で?これが一番の謎なのであった。音楽を担当していたわけでもないし(マイケル・ケイメンの担当)。そもそも、この物語の原作者はイギリスの詩人のテッド・ヒューズという人で、タウンゼントは、そのヒューズの原作を「アイアンマン」としてコンセプトアルバムに仕上げ、舞台でも上演。それが、このアニメとなったのだそうな。まあ、かなりアメリカナイズされた形ではあるのだろうけど。生憎、「アイアンマン」は未聴だしタイトルを知ってるのみだった。こうなるとアルバムを聴いてみたくなるね。しかし、自己再生能力があるって、わずか部品一つからでも、また元に戻っちゃうって恐ろしくないか?永遠に破壊出来ない。ラストシーンにホラー映画のような戦慄を覚えたのは僕だけかね?あと、あれ、ブルーレイ出てるんじゃん。
2019年05月15日
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モンキー・パンチの訃報。何たって「ルパン三世」の人だけど、多くの人と同様、原作の漫画はあまり読んだことがない。専らアニメの方で知る。原作は青年向け劇画であったから、アニメで知られる以上にエロも悪も濃いめではあった。「ルパン三世」もゴジラのようなものか。元々は破壊王であったのが次第に正義の味方、子供の味方に。ルパン三世も、女好きのキャラだけは残しつつ、殺しや悪事は働かぬ義賊になっていく。まだ、テレビシリーズ1作目は漫画の味が残っていた。しかし、その後シリーズを重ねる毎にルパンはキャラクターの作画も鋭角的な部分が減っていく。決定的になったのは、やはり、アニメの中では最高傑作と言われる「カリオストロの城」であろう。最早、ルパンはモンキー・パンチのものではなく宮崎駿のものになってしまう。以後、映画版やテレビシリーズでも、少しオリジナルに近いものに軌道修正されたこともあった。しかし、最早国民的キャラクターになってしまったので、そう悪の香りを放つわけにもいかない。峰不二子も脱がなくなって久しい。或いは、歳を取ったから?ところで、「ルパン三世」のテレビアニメといえば、専ら日本テレビでの放送だから、日テレ系が放送されてない沖縄では馴染みが薄いのではないか。久々のテレビシリーズであった前作は、BS日テレでも放送されたから僕も見たけど、年に1回放送の特番とかはほとんど見られていないのではないか(レンタルには出てるのだろうけど)。ともあれ、その人気故に、作者を超えて一人歩きしていったキャラクターを、生みの親はどう見ていたのだろうか。「ドラえもん」然り、「ちびまる子ちゃん」然り、「クレヨンしんちゃん」然り。人気キャラは作者の死を経ても、尚生き永らえていくのだろう。とにかく、オリジネーターには敬意を表しつ、合掌。
2019年04月17日
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毎週土曜は「ウイークエンドサンシャイン」を聞き終えると寝床から出て朝食、Eテレの「ひつじのショーン」を見ながらというのがパターンだ。ところが今朝は「ショーン」の放送がなかった。終わった?というわけではないらしい。サイトを見たら、7,8月は放送がないと、何それ?だからというわけでもないのだけど、先週CSディズニー・チャンネルで放送された映画版「ひつじのショーン バック・トゥ・ザ・ホーム」を見るとする。「およげ!たいやきくん」(古い)じゃないけど、ショーンたちの生活も、毎日判で押したようなワンパターンなもの。ショーンはどういうわけか英語が読めるようで、牧場前に停まったバスの”たまにはお休みを”を目にして、牧場主にいたずらを施す。それはシリーズでも毎回繰り返されてはいるのだけど、今回は映画だけあって深刻な事態に発展する。牧場主を載せたトレーラーがずんずん進んでイギリスの街中にまで行ってしまうのだ。しかも牧場主は頭を打って記憶喪失?律儀な番犬ピッツァーは飼い主を街まで追っていく。記憶喪失とあって病院に収容された飼い主の面会を目論むが、犬だから入れてはもらえない。一方ショーンたちもバスに忍び込んで街へ。何せ牧場主がいないとロクに餌も食べられないのだから。そこで遭遇する動物収容センターの捕獲人トランパー、彼は公務員?まるで賞金稼ぎのように執拗に野良の動物を追う。ショーンたちは服を着込んで人間を装って街を捜索。その頃、記憶プッツンの牧場主はカリスマ美容師になっていて・・・若き日の牧場主は、赤毛でちょっとパンクな風貌。何となくポーグスのシェーンのような。まだ幼かったピッツァー、ショーンとの画像も微笑ましい。疎ましくは思っていても、やっぱり仲間。羊たちが牧場主を見つけようと悪戦苦闘する様が何とも涙ぐましい。バッチイ野良犬のスキップも加わっての珍騒動。捕まったら殺処分必至の動物たちの悲哀。動物愛護先進国のイギリスとて、やはり現実は厳しい。音楽がいいです。オープニングはいかにもイギリス王道ポップで、既成曲かと思いきや、音楽のアイラン・エシュケリが手がけ、ティム・ウィーラーが歌うオリジナルなのだとか(”フィールズ・ライク・サマー”。そして、エンディングに流れるのは、ロンドン訛りが耳に心地よいマッドネス。このアニメ、実にイギリスライクな作りなのも好ましい。サントラ盤が欲しくなってきたな。勿論、最後はいつもの日常に戻ってめでたしめでたし。ショーンもささやかな幸福を再確認する。「ウォレスとグルミット」を始め、アードマン作品にハズレなし。新作「アーリーマン」も観たいのだけど、沖縄では北谷のみの公開。来週帰ったらどこかで観られないものかな?
2018年07月21日
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えー、ネタは「妖怪ウォッチ」であります。本編?の衝撃の終了から3ヶ月、後続番組である「妖怪ウォッチシャドウサイド」がBSジャパンで放送されていることを知り、今更ながら視聴に及んだ。今回で3回目かな。沖縄ではRBCで「妖怪ウォッチ」の残りの放送が日曜早朝に継続中で、「シャドウサイド」は、土曜朝の放送だから朝飯がてらに見るのにちょうどいいのだ(さすがに録画でだけど)。して、主人公はケータの子供世代とな。息子ケースケというのが一応主役だけど、声はケータと同じ声優が担当している。でも、どちらかというと姉のナツメの方が主役っぽい。他に、デブとクールな男二人と合わせて妖怪探偵団を結成して、みな妖怪ウォッチを所有している。この辺の発端は初回を見てないから詳細不明。一方、ウイスパーは容姿を変えて健在、声も同じ。一方でジバニャンは男の声なのだ。何となく富田耕生が演じたドラえもんを思い出す(超古い)。ジバニャンの声を演じた声優も、何やらこまいキャラで続投である。売れっ子の遠藤綾がいなくなった以外は前のから揃ってる感じだ。コマさんも男声なのかな?まだ自分が見た回では登場してない。今回の妖怪は、前と違い人間が成仏し切れなかった妖怪が主らしい。その辺の重さはあって、怪談噺めいたエピソードが展開される。前作のような副エピソード数話ではなく、1エピソードで30分だから作りはいくらか楽だろうか。しかし、何話目か知らない今回の放送では、切り裂きジョーカーとやらを倒すために召喚された、妖怪が相当にえげつない奴で、これは子供番組どころか、放送規定的にヤバイんではないかというレベルのもの。昔のテレ東の深夜のエロバラエティ並のヤバさだった(妖怪の名前忘れたが、チ◯ポ系、爆)。まあ、確かに“シャドウサイド”にふさわしいな。暗部ならぬ陰部まで登場するのだから。このシリーズ、間違いなく長くは続かないな。キャラグッズでは、やはり前作のものが人気根強いよう。こっちはターゲットを少し上にしたのかどうか知らないが、「妖怪ウォッチ」ブランドは遠からず途切れることになるだろう。エンドテーマはキングクリームソーダ続投で、まあ、あの電通も案外義理堅いとこもあるんだなと思ったが・・・
2018年06月16日
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またまた始まったお邪魔企画?沖縄国際映画祭。例年、唯一と言っていいお楽しみである大型スクリーンでのオープンエアシアターは、今回とうとうなくなったようだ。じゃあ、観たいのないじゃん。先日の「海燕ジョーの奇跡」に続く沖縄ロケ映画「沖縄やくざ戦争」は昨日の上映だったし。あのバッチイ首里劇場で有料では観たくないし(失礼)なあ。それでも本日、若干興味をそそられる2本が。桜坂劇場での昼間のタイ製ムエタイ・アニメと夜のロシア製アニメ。では、どうせ無料だし、アニメ2本立てでと思いきや、タイの方は直前になって上映中止になってしまった。それで結局、ロシア製だけは観ることに。「3人のヒーローとエジプトの王女さま」なる昨年公開の新作。これ、何とプーシキン原作だそうだけど、シリーズもので、これは8作目にあたるとか。シリーズはロシア国内で大ヒットしているそうで、いわば、ロシア版「ハリポタ」アニメ版的存在か。ちょっと興味深いので、例によって吉本芸人たちによる意味無しな舞台挨拶をしばし我慢してつきあうことに(字幕版上映)。プーシキン原作のアニメといえば、名作「雪の女王」が思い起こされるが、これはああいう格調高さとは無縁、子供向けと言っていい娯楽色が強い内容で、絵柄もあまり面白みがない。フルCGではないようだけど、動きもテレビアニメっぽい。とはいえ、内容的には風変わりでそこそこ楽しめるものだ。冒頭はエジプトのピラミッド前で、なぜかそこにサンタクロースみたいなのがいるが、これがロシア風にジェド・マロースと呼ばれ、衣装は赤ではなく青なのだ。でも、トナカイが引くソリに乗ってプレゼントを配るという意味ではサンタとイコールだ。ジェド・マロースは月を司る神様でもある。その弟子筋の予備の月の13月が反乱し、ジェド・マロースの杖とソリを奪って逃亡。13月を認めさせるには、なぜかエジプトのパワーが必要ということでピラミッドに赴く。そのピラミッドを持ち上げる!ために必要ということで、3人のヒーロー(ボガティリ)が巻き込まれる。この3人がシリーズの主役なのだろう。アメリカでいえばポール・バニヤン的バカ力の持ち主なのだが、3人とも愛妻家だったりする。一方でキエフの王子だかが馬にそそのかされて?エジプト旅行で一行と遭遇する。この人たちはシリーズのコメディリリーフなのだろうか。本筋をかき乱す役どころである。寝ていた?エジプト王女から鍵を奪って挙句は折ってしまったりする。そこにジェド・マロースも加わっての三つ巴のピラミッド内騒動。些かエジプト文明をコケにしている感が無きにしもあらずだけど、波乱万丈の展開ではある。見ものなのは、ピラミッド内の死者たちの様子。ガイコツたちが陽気に踊るミュージカル的場面があり、ハリーハウゼンも彷彿させる一方、大昔のディズニーアニメのようでもある。包帯巻の子供たちがサッカーに興じていたり、さり気なくシュールな見せ方だ。結局、ボガティリたちの活躍でエジプトの暑さが元通りに。13月はかろうじてジェド・マロースの許しを得て、閏年の2月29日を与えられるという結末。ふ〜ん。あくまで商業アニメだから、かつて見たロシアのアートアニメのような芸術性はないものの、割と楽しめた。今作のみで今回の映画祭絡みは終了。ロシアアニメといえば、まだ製作途上であったユーリ・ノルシュテインの新作は完成したのかな?
2018年04月21日
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ちょい旧聞だけど、5日に亡くなった高畑勲監督について。そのことに意味があるかわからないが、宮崎駿と比較すると、あの人の哲学を感じさせるような作風の深みには欠ける。しかし、作品によっては宮崎のものを遥かに凌駕する。そういう振り幅は結構大きい人だったと思う。劇場作品の代表作は誰もが認める「火垂るの墓」であることに異論はない。正直、観るのはなかなか辛い1作だから、初公開時の劇場でしか観ていない。これを機に追悼上映、放送等があれば再見してみたいとも思う。一方で「平成狸合戦ぽんぽこ」、「おもひでぽろぽろ」といった作品は、都会=悪、田舎=善といった単純な二分法も見られ、ある意味、作家としてのこの人の限界を感じたのも事実。この人はオリジナル作品を手掛けるよりは、確固とした原作ものを独自の表現技法で描く時にこそ真価が発揮されると。しかし、絵は書かない人だったのだそうな。おや、となると、実験的ともいえた「ホーホケキョとなりの山田くん」や、未見だが遺作となった「かぐや姫の物語」は?アニメーターではなく、あくまで“監督”であったのか。その点では劇場作品としては、ジブリより遥か以前「太陽の王子ホルスの大冒険」のダークサイドの描写は鮮烈であった。そしてテレビ作品。東京新聞の追悼記事でも書かれていたけれど、僕も「アルプスの少女ハイジ」のとろけるチーズは今でも印象に残っている。ああいう質感をアニメーションの“監督”としては、アニメーターにどう伝え求めたのだろうか?この人の最高傑作は、やはりテレビ作品「赤毛のアン」だと思っている。何より、プリンスエドワーズ島の自然描写の素晴らしさが記憶に残った。そして、登場人物の心情を豊かに表現する画面、絵づくりは原作をも超える濃密さであった。テレビアニメ史上に残る永遠の名作と言っていい。「パンダ・コパンダ」2作を始めとする宮崎とのコラボで、後に宮崎を大成させた点でも評価に値するだろう。生憎、追悼放送があるとすると、日テレでのジブリ作品放送だろうから沖縄では見られそうにない。テレビ作品も含めた本格的回顧上映があって然るべきかも知れない。亡くならなかったとしても、そういう時期には来ていたのだ。直接、影響があるのかは定かではないが、高畑的作風は「この世界の片隅に」の片渕須直に受け継がれている気がする。一方の宮崎も、結局、また長編を制作しているらしいから、高畑の死がどう作品に影響を及ぼすだろうか。次は宮崎作品も久々に観てみてもいいかなと思ってる。
2018年04月09日
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まさに、もんげー!にゃん。あの、「妖怪ウォッチ」の放送が終わってしまったのだそうな。何気に”最終回です”なんてサイトに出てたけど、本当に終わっちゃったのかね?まあ元々はゲームとかで、そっちでは続くのかも知れないけど、テレビアニメの放送が終わってしまったら、もういずれこの世から消えちゃう?本当に妖怪になってしまうなんてシャレにならないね。「ドラえもん」並にずーっと続くのかと思っていたけど。声優陣も一生ものの仕事と思ってたのではないかな?確かに一時期に比しての人気凋落は伝わってきていた。今年はマクドナルドのカレンダーもなかったし、映画版はヤケクソ?の実写とかダークサイドとか悪あがき的な迷走ぶりだった。時期的に言えば、あのイナホとウサピョンが出てきたあたりから、もう頭打ち気味だった印象だ。売り方に失敗したというか、ブームを煽り過ぎて寿命を縮めたと言われているけれど、それでも子供たちのファンは今も多いはずだ。個人的にも、週末はこれを見ながら朝食を取るのが習慣であったので、ちょいとしたショックだ(録画視聴、沖縄では日曜早朝5時台の放送なので)。僕としては何と言ってもジバニャンなのだ。いや、多くのファンがそうだろう。まあ、脇だし、実はそう出番も多くないのだけど、やはり、その存在感は大きい。トラックに轢かれて死んでしまった猫の悲哀を世と子に知らしめたのは大きかったと思う。最近見かけなかったけど、もうチョコボーも売られなくなるのだろうか?何で今日このネタなのかと言えば、前記の通り、沖縄では日曜朝の放送で、今日も録画見ながら朝飯だったから。沖縄での放送は10回は遅れているので、もう2,3ヶ月は放送が続く形だろうが。まあ、内容的には確かに最近はメタメタな感じだけど、これはもう習慣だから、それはそれでというところだ。そーいや、イナホなんかもう全然出て来なくなったな。専らジバニャンとコマさんだよ、それでよかったのでしょう。まあ、4月は色々と変化の時期だ。NHKの「あさイチ」も放送開始以来、司会を務めてきた二人が、やはり30日の放送をもって降板。これも録画して後から見たけど、何だか有働アナは声が出ないわ、同様に降板する柳澤秀夫は、”ロス、ではなくニューヨークで”なんてボケをかましてイノッチが大袈裟に怒ってみせたり、何だかハチャメチャのうちにアッサリと終了した。高校野球中継で8時台だけの放送だったし。しかし、司会陣が変わったら、もう今までのように沖縄ネタを取り上げたりといったことがなくなるのではないか?篠山輝信とかも、もう出ないのかな?沖縄のローカル番組もチラホラ変化があるようだし、いつも聞いているラジオ番組は大丈夫だろうか?4月は春らんまんながら、実は悲喜こもごもの月でもあるのだった。しかし、「妖怪ウォッチ」が終わって、その映画版に登場した 「ゲゲゲの鬼太郎」の方が復活するそうな。やはり、妖怪としての年季と貫禄が違ったか・・・
2018年04月01日
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桜坂劇場でフランス製のストップモーションアニメ「ぼくの名前はズッキーニ」を。昨年のアカデミー賞長編アニメ賞候補作。フランス語版日本語字幕版で。誇張されてはいるけど、一応人間の子供のキャラクターが主役だ。主人公の少年の名はイカールだが、母親から”ズッキーニ”と呼ばれていたので、そう呼ばれることを望む。夫に逃げられた母親に顧みられないのだが、不可抗力で母を殺してしまう。それでも母親への愛着は強い。フランス語で”コルジェット”らしい、ズッキーニの名を尊重する保護する警官のレイモンの対応が大人である。物語の主軸は、ズッキーニが施設に入れられてから。施設の子供たちはそれぞれに重い背景を持っている。ヤク中の両親の子、強制出国させられた移民の子、父親に性的虐待を受けた子等々。キャラクターは可愛いが、なかなかにテーマはシリアス。一方で対応する大人たちの、類型的でない対応も印象に残る。一癖ある子供たちの立場を理解し、施設内の恋愛もある。アルプスあたりなのか、子供たちを連れての雪山合宿なども行われる。そこで引率者は山小屋でDJプレイ。子供たちも嬉々として踊る。さすがフレンチの子供はませているのだ。ズッキーニは確固とした自己主張の持ち主カミーユに恋をする。10歳でチューというのも、さすがにフランス男だ。そもそも原作が大人向けのものではあるのだけど、内容にしろ子供たちの扱いについても、人格と個性を認め、上から目線ではない点に感心させられる。最終的にズッキーニとカミーユは、レイモンに養子として引き取られていくのだけど、おそらく二人が男女の関係になっていくことが想起されて、その点はちょっと不安に思えたりもする。とにかく、何かとススんでいるのだ。日本で子供を描き、アニメーションだったら、こういう描き方には間違ってもならないだろう。何やかやおフランスの意識は日本の数歩先をいっているように思える。正直、アニメとしては暗めで躍動感に欠ける点が今ひとつではあったけれど、現代社会が抱える問題意識の取り入れ方といい、興味深い点は多かった。スイスの歌姫ソフィー・ハンガーの歌うエンドテーマもクールだった。
2018年03月21日
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またぞろもうすぐ公開の映画版「妖怪ウォッチ」。今回は「ゲゲゲの鬼太郎」まで登場する劇画版?のようだけど、昨年公開の3作目「妖怪ウォッチ 空飛ぶクジラとダブル世界の大冒険だニャン!」がCSキッズステーションで放送。ついついというか、早速視聴。「妖怪ウォッチ」は他のアニメ・シリーズに較べると息切れ感が早いのか、この3作目にして早くも奇策を打ってきた。それは実写版。と言ってもアニメと実写部分が目まぐるしく切り替わる複雑な?構成だ。アニメキャラたちにとっては、実写の”毛穴世界”は異常な世界で非日常。本来の世界であるアニメに戻すべくケータたちが奮闘するというのが主たる内容だ。コアラの鼻を押す度にアニメ世界と実写世界が切り替わるから何とも落ち着かない。実写世界では妖怪たちは当然CGで、ケータらは役者が演じる。若干キャラが強調されるようで、フミちゃんはヤケに色っぽかったりクマはおっさん臭かったり。最もジバニャンが衝撃を受けるのは、エミちゃんが犬好きであることだ。妖怪たちも、この”不自由な”実写世界から早く戻りたいと願う。チョコ棒を売っていた駄菓子屋さんもなくなってるわけだから。でも、ケータは案外”毛穴世界”も悪くないなと思っている。実写版のケータはアニメ版よりも幼く思えるけど、小学生だから実際はあんなもんか。ママ役でチラッと登場するのは三津谷葉子で、もう母親を演じるような年齢なのか。武井咲は妖怪を演じるわけではなくバレエの先生役で普通の芝居だ。話題の遠藤憲一の人面犬はワンカットだけ。でも、最後になぜかウイスパーになったりもするのだけど。要はバレリーナを目指しながら怪我で夢を断念せざるを得なかった娘の怨念?が実写世界を引き寄せたみたいな話なのだけど、子供たち的に見どころは、妖怪総登場で”くじらまん”を倒そうとする戦闘シーンなのだけど、巨大怪獣とドンパチするような描き方ではなく、妖怪の特性を活かしたユーモラスかつ柔らかい戦いをお膳立て出来ないものか。といったようなことは前作の際にも書いたような気はするけど。最終的には、チラッとだけ登場した実写版イナホが作った謎の薬が一行を勝利に導くのだが。エンディングで久々に”妖怪体操第一”(キング・クリームソーダ版)が聞けたのはちょっと良かった。やたら歌は替わるのだけど、やっぱりあれでしょう。して、映画第4弾、劇場で観るつもりはないので、また来年。
2017年12月04日
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去年だったか、長編(総集編)アニメ版を見た際に書いたと思うけど、テレビアニメ「ガンバの冒険」は屈指の名作として記憶に残っている。勿論、原作である「冒険者たち ガンバと15ひきの仲間」も読んでいて、そちらもそもそも児童文学の名作だ。故に「ガンバ」が再アニメ化というのもわかるのではあるけど、正直、なぜ今の時期に?という感じはあった。2015年にCGで製作された「ガンバと仲間たち」は、「オールウェイズ」等で名を上げた白組が制作、そこそこ豪華な布陣で取り組まれたようだけど、やはりというか全く話題にならず、興行的にも成功とは程遠いものだったようだ。CSアニマックスで放送されたのを録画視聴。これ、出来はなかなか悪くない。「ガンバ」のテレビシリーズが、原作の15匹を半分の設定にしたものだったけど、この新劇場版も、基本的にテレビの設定に近い。ただ、原作でガンバの相棒であるマンプクが登場し、ボーボは原作のキャラ設定。一方でシジンは登場しない。7匹枠にこだわったせいかどうか。テレビ版の丸っこいキャラクターデザインと異なり、如何にもネズミ然としたガンバたちの風貌に、最初は違和感も覚えたけれど、動きも悪くないしアニメそのものの質もいい(重さの表現等)ので、見ているうちに慣れてくる。映画の尺状、島に着いてからの話が中心だが、その背景美術等も、ある程度テレビ版のものが踏襲されている気がした。テレビアニメ史上最強最凶の悪役という印象の白イタチ・ノロイは、野村萬斎がオネエ言葉で演じるせいもあってテレビ版程の怖さはない。そのテレビ版で声を演じた大塚周夫の息子・大塚明夫がヨイショを演じる。また、テレビでガンバ役の野沢雅子は、オオミズナギドリのツブリ役で出演。やはり、テレビ版を踏まえた作りは随所に見られる。ガクシャ(声は池田秀一)が村に伝わる古謡から、年に一度の潮の引けを察して隣の島への脱出を試みるのがクライマックス。そこからノロイとガンバらの死闘が続く終盤は、CGといえどもテレビ版の迫力には及ばなかったように思う。それでも、この劇場版は想像以上に上質の出来だった。もう少し世に放つ時期を考えるべきで、ちょっと勿体無かったなと思う。
2017年10月04日
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まあ沖縄にいればオリオンビールを飲むわけだけど、この数ヶ月は10月に行われる招待制のイベントのチケットを当てるために、オリオン製品の6パックばかり買って飲んでいた。めでたく16口くらい貯めて応募したけど、果たして当たるやら。一方、スーパーに買い物に行ったら、今度はサントリーの飲料でジバニャンのランタンが当たるキャンペーンのハガキが。火つけるようなものではないだろうから電気式なのかな?スピーカー付きとかいうから”百烈肉球!”とかしゃべるのかな?ともあれ、これも欲しいなと思って、これまではさんぴん茶ばかり買ってたけどサントリーのペットボトルを買い始めた。でも、サントリーのって今イチだな。お茶は伊右衛門とかでくびれボトルでお得感がなく飲みごたえがない。沖縄は暑くて水分補給が肝心だから、気取ってる場合じゃないんだよ。ぐびぐび飲めないと。後はダカラだのシーシーレモンだの甘そうなやつが多い。なので、専ら量の多い麦茶か南アルプスの天然水だ。沖縄製の自動販売機で売ってるやつの方が安いんだけどね。応募は4口から。とりあえず来月いっぱいまではサントリーかなあ。今は500mボトルを1日でほぼ飲み切るけど、そろそろ2日で1本くらいの気候になってくるかな。猫ともども、沖縄の短い”秋”を待望してる・・・
2017年09月27日
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