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4月21日 ラナウェイ・キャット、ワンダラーの続き。おばあの姉弟猫の弟の方、だらー君は家出してまだ戻って来ない。その後、役所の人の手を借りて捕獲作戦を展開するも、また逃げられたらしい。草むらから出てきて、おばあが餌を与えようとしたところで、役所の人が捕まえようとして、取り逃がしたとか。“何日も食べてないのだから餌をあげたかったのに!”とおばあがキレて、もういいですと断ったそうだ。そして、だらーは、アパート隣の空家に逃げ込んだらしい。その方が、捜すのは却って厄介だぞ。この数日は僕も捕獲への協力は出来ず終いだった。おばあは、件の空家を単身で捜索すると言っていたが、階段を登るだけで息が切れてしまうような状態故に、そんなことをしたら倒れて救急車を呼ばないといけなくなるよと反対したが、決意は堅かった。で、捜索の結果、やはり、見つからなかったと。だらーは、どこか見えないところに潜んでうずくまっているのか、或いは・・・?正直、もう餌を食べないまま二週間くらい経っているから生存の可能性は低いと思う。それでも、尚、だらーは、なぜ飼い主の元に戻らず“家出”したのか?薬を飲まされるのがよほど嫌だったというのもあろうが。ある時、おばあが姉弟に説教をしたのだとか。あまりに言うことを聞かないから、他のところに譲るぞとか何とか。しかし、それを猫が理解できるとは思えない。ただ。おばあ曰く、姉のみーみーに較べ、だらーは非常に賢い猫で、小学生並の知能があるとか。だから、言葉を理解したのではないかと。うーん?僕が思うに、だらーは自死を試みたのではないのかと。持病の口内炎は一生の病気で、痛いと餌がろくに食べられない。言われてみれば、少しずつ痩せてきていたようにも思える。前にも書いた通り、そもそもおばあ自身が、自分の身の回りの世話さえきつい状態になってきている。おばあよりも猫の方が長生きしそうなのは明らかだ。どうするのかな?と思っていたけど、同様のことを、だらーも考えていたとか?だらーは、時折、調子の悪そうなおばあをじーっと見つめることがあったという。姉のみーみーの方は半野良みたいなスタンスだから、おばあでなくともアパートの誰かが餌をやれば生き永らえるかも知れない。しかし、持病を抱えるだらーは通院も必要だし、引取り手を探すのも難しい。そんな状況を自らも自覚していた?そして、自ら身を引く決心をしたのではないか。決して、おばあを嫌いになったわけではない、おばあを思うからこそ、負担にならぬよう、おばあの元を離れ、覚悟の上で一人・・・階段から階下のおばあの部屋を覗くと、いつでも猫が入って来られるようにか、ドアは開けっ放しだ。まるで、“岸壁の母”状態なのが、何とも忍び無い。僕自身もどうも気が済まないので、運動帰りのシャワーを浴びる前に、隣の空家を捜索してみた。しかし、隠れられるような場所はなかった。ゴミが積まれる周囲にもいそうにない。結局、見つけることは出来なかった。こんなことなら、僕の部屋に入って来ようとした時、迎え入れてやればよかったなと・・・とりあえず、おばあ共々、やることはやった。おばあは、だらーは空家を出て近所で誰かに保護されたのではないかと希望的観測を語っていたが、正直、その可能性は低いと思う。心配で飯も喉を通らない状態というのは、とても理解出来る。傷心で体を壊さなければいいが。しかし、だらーがいなくなったことで、これでおばあは少し肩の荷が降りて、介護施設に入るなりを選択出来る状態になったのでは。僕もそれを薦めているのだけど、おばあは食べ物にうるさい人で、病院に入院した際も病院食には手をつけなかったのだとか。介護施設の飯なんて食えたものではないと。しかし、現実問題、そんなことは言ってられないだろう。僕の猫がいなくなって1年、更に、最近は少し馴れてきてもいた、だらー君も不在に。以前は、猫たちで溢れていたアパートも、今や半野良のみーみーを残すのみ。明日以降の不在の間に、何か変化はあるだろうか?ないだろうなあ・・・
2024年05月01日
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先週来、アパートの階下のおばあの猫が“家出”して戻って来ないという話は聞いていた。おばあが飼っている姉弟猫の弟の方、口内炎の持病があって、いつも舌をぺろっと出した状態でよだれを垂らしたりするので、“だらー”という名前。口内炎は薬で痛みは緩和されるものの、一生治らないのだそうだ。その薬を、だらーがなかなか飲んでくれないそう。餌やらちゅーるに混ぜて食べさせようとすると、餌やちゅーるそのものを食べなくなってしまうという。そういえば折悪く年末年始、おばあが緊急で入院することになって、猫たちが数日部屋に入れない状態になったことがあった。姉の“みーみー”は、半分野良みたいな猫なので、餌を食べる時だけおばあの部屋に戻ってくるけど、弟のだらーの方は、比較的おとなしいインドアの猫という印象があったので可哀そうに思ったのだが。最近、薬をめぐっておばあに怒られたりすると、時折、僕の部屋にやってくるようになった。気づかぬうちに部屋に入っていたことも数度。でも、お供え用に買ってある、ちゅーるとかを供してやっても食べやしないし、僕の部屋に来る目的が不明なのだった。これも拗ねて家出の前兆だったのか。だらーが数日部屋に戻って来ないという。僕が何気にアパートの前の駐車場あたりを眺めていたら、近くにある介護施設の建物の草地のところに入っていくのが見えたので、それをおばあに告げ、見に行ってみると、草の中にうずくまって寝ている。何せ、餌はもう1週間以上食べておらず水しか飲んでないそうなので力が入らないみたいだ。おばあが呼びかけると、エアコンの室外機の上に飛び乗ろうとするが、こけてしまう。弱ってきているようで、これはまずいなと。ということで捕獲作戦に乗り出すことになったが、肝心のおばあは、階段登るのも息が切れてしまうような有様で、捕獲の手助けは全く期待できない。僕が草っ原の植え込み部分に降りて猫を掴むが、想像以上に暴れて抵抗されたもんだから、手を離してしまった。何だよ、元気あるじゃん!アパートの隣の空き家に入り込んでしまって出て来ないので、これは戻ってくるかどうか少し様子を見ようということになった。少し近くには来たわけだからね。その日は結局、おばあの部屋の手前までは戻ってきた。で、部屋のドアが閉まったので、どうにか確保できたのだろうと。ところが、しばらくして、また逃げられちまったらしい、やれやれ。だらーは、よっぽど薬が嫌らしい。コザ泊まりから部屋に戻ったが、未だにだらーは戻らず、また草っ原の中に隠れてしまったらしい。何せ、猫が隠れるには絶好みたいな場所なのだ。一度捕まえようとしたもんだから、見えるところにいても、僕が近づくと草がぼーぼーの奥の方に入ってしまう。そうなると、人間が入っていくのが難しい。大体、今日は暑いし、草っ原には虫もいるし。100均で虫取り網を買ってきたけど、二人いないと捕まえるのは難しそうだ。一人が追い立てて一人が捕まえると。何せ、おばあには無理なので助っ人が必要だ。そもそも、おばあは、猫を飼うどころか、アパートでの一人暮らしがもう無理だろうって段階に来てる感じなのだから。猫との攻防戦はまだ続きそうだ。明日からは雨が続くらしいし、これ一体どうなるやら・・・力尽きた猫が草の中から発見なんてことにならなければいいが。しかし、こんな事例に遭遇して、つくづく、自分が飼っていた猫は本当にいい子だったよなあと改めて思い起こすのだった・・・
2024年04月21日
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そして、迎えた猫の一周忌。もう1年というか、まだ1年というか。正直、猫は、もうずっとずっと遠くへ行ってしまっている印象だ。那覇の部屋ではにわかごしらえの仏壇に、毎朝、お線香を焚き、水を換え、都度、お供えをしたりしているけれど、部屋に猫がいた頃の面影は消えてしまって久しい。ナイチ帰宅する前日に、久々に夕方に屋上に出てビールを飲みながら、しばし時を過ごした。猫がいた頃には、朝夕、その屋上で(晴れていれば)過ごしたものだった。猫は星になったのかなと夜空を眺めてみるが、最近は、那覇ではあまり星が見えない。わずか1年なのに、猫の存在は、もう本当に薄れつつある。僕自身は、猫がいようがいまいが、果敢に前に進んでいくというタイプではないので、ペットロスを抱えたままでいたって特段問題はないのだけど。まあ、それでも、この1年、猫なしで、よく生きてきたなとか思う。よく堪えてこれたもんだなと。昨晩は鯵の開きを二尾買ってきて焼き、一尾は、まずは室内の仏壇(これは親とかと一緒)に供え、今朝、それを庭の猫の墓にお供えした。蟻や蠅が来たりしそうだから、すぐにラップをして。猫は焼魚、特に鯵が好きだったと思うので。もっと、食べさせてあげればと思うも遅し。一尾は、勿論、自分で食べたけど、お供えは那覇に持ち帰って、今度は部屋の仏壇に供える。その後は、一応、食べる予定だけど、大丈夫かね?当初、埼玉は雨予報だったけど、どうにか保った。しかし、向かう那覇の方も雨予報で、那覇空港に着いたところ、実際、降っていた。ゆいレールで一路部屋へではなく、壺川で途中下車して、ペットの葬儀場へ向かう、そこでもお線香を。一周忌ということで塔婆が立ててあるのかなと思いきや、名前が書かれているだけだった。猫はここで骨になって葬られた。室内では相変わらず、ひたすらエンヤが流れていた。幸いというか小雨で、さして濡れずに済んだ。猫が配慮してくれたかな。昨日一昨日の埼玉はとても寒かったけど、那覇はようやく暑くなってきた。昨年の今日は、少し寒かったような記憶があるのだけれど。那覇の部屋の仏壇にも鯵を供え、お線香をあげて、これで一周忌は一通り。しかし、猫の魂は今一体どこにいるのだろう?1年くらいは那覇の部屋にいるのかなと、少なくとも、その間は留まろうと思っていたけど、今日を境にということがあるならと、この部屋、沖縄を離れることを考えていたのだが・・・現実的に、この時期の、埼玉のあの寒さでは、やはり通念過ごすのは難しいかもと思えた。移住計画が一旦白紙になった今となっては、すぐに沖縄を離れることは現実的ではない。結局、もうしばらくは沖縄に留まることになりそうだ。猫も許してくれるかな、多分。お互い寒いのは苦手だもんね。猫を失った喪失感が埋めようもないことは1年経っても変わらない。ナイチに行ったり沖縄に行ったり、このどっちつかずみたいな状態が猫にストレスを与えたかも知れない。そんな不憫さ故かどうか、今回は満開の桜を見ても何ら感興を抱くことはなかった。この喪失感を抱えながら、変わらず生きていくしかないのだろう、幸せだった思い出を胸に。改めて、さようなら、安らかに。いつか、また夢の中で、天国で・・・
2024年04月07日
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愛猫がいなくなって以降、毎回、涙しながら見てしまうBS「世界ネコ歩き」、今回は“パラオ”だ。パラオは独立国だけど、民族はフィリピン系。位置的にもフィリピン諸島の一部という感じだ。ここも第二次大戦時は日本の統治下にあり、日本の影響もあるという。ひょっとして国旗も?色違い日の丸の如しだ。フィリピンというと、どうしても先日のセブ島との比較をしてしまう。少なくとも、この島は交通量ガンガンの落ち着かない感じではなく、ゆったりのんびり。村にある商店のいる猫は、もろ腹見せてリラックスムードそのもの。ちゃんと飼われている感じで痩せてもいない。そして、皆に可愛がられている。勿論、僕はセブ島の一部しか訪れていないわけだけど、少なくとも中心部では、あんな猫の様子を見ることはなかった。パラオもカトリックのようだけど、さすがに教会には猫は入れてもらえない。そして、この番組のよくあるパターン、職人が猫と共に暮らしていて、仕事場で飼い主の仕事ぶりを見つめる猫。あれが、ある種理想的な猫との関係だね。ちゃんと猫には名前が付けられ首輪も。自然豊かな環境で、のびのび過ごす猫たち。普通に雑種っぽいのは、これも日本の影響?学校の教室も猫は出入り自由。生き物を大切にすることを教えるために、敢えてそうしているのだそうだ。ここでも腹を見せて寝る猫。何かもうセブ島とはえらい違いだな。あちらの方がネズミ退治の役割で、もう少し猫が大切にされていてもおかしくなさそうなのに。浅瀬のマングローブを行く猫も、南洋の島ならでは。カニを捕まえようと奮闘する。いい光景だね。パラオも観光で食ってる島のようなので、物価は高いらしい。ということは住人も、そこそこ豊かなのであろうか。そこがセブやフィリピンとの違いかな。結局、人間が、動物を養える余裕があるかどうかということだろう。NHKの4月の番組改編で、「世界ふれあい街歩き」は、従来の1時間枠に戻るようだ。一方、この「ネコ歩き」は、変わらず1時間半で月いち放送のようだ。再放送ありでいいから、かつての金曜夜1時間に戻ってほしいものだけどな。でも、それだと毎週泣くようか(爆)。だから、むしろ月いちの放送でいいのかな?
2024年03月28日
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さて、12年ぶりに猫のいない年末年始を過ごしたわけだけど、どれほど虚しいものかと思っていたけれど、過ごしたのが那覇ではなく埼玉の家の方だったので、実は思った程ではなかったのだ。猫が死んでしまって以来、昨年は5回帰っていたから、家の方では猫がいないのが当たり前という感じだったためかも知れない。或いは、やっぱり、猫との思い出は那覇の部屋の方に多いからということだろうか。いずれにせよ、猫には申し訳ないのだけど(震災の被災者の人にも然り)、案外楽しめることもあった年末年始を過ごした。一方、猫といえば気になっていたのが、年末に那覇のアパートの階下のおばあが入院してしまい、当然、部屋の鍵は締めていったので、半野良状態で飼われている猫2匹が部屋には入れず、外で過ごさねばならない状況になったことだ。昨年の日記でも書いた通り、外に餌は置かれていたけども、沖縄とて、この時期はそこそこ寒いから猫たちは無事でいられるだろうかと。僕にはあまり懐いていない猫たちだが、少し愛嬌のある弟猫の方にちゃおちゅーるを差し出したら、しっかりなめた。すると、それまでは僕が来ると逃げるくらいのスタンスだったくせに、急に懐いてくっついてくる始末。部屋に入ろうとするが、何せ、次の日からは部屋にいないのだから、ここで優しくしてしまうと却って厄介なことになる。なので、ニャアニャア鳴くのを尻目に、後は構わずにいて、翌日部屋を後にしたわけだけど、後ろ髪は大いに惹かれた。警戒心の強い姉の猫の方は、ついぞ姿を見かけなかった。おばあの方も胆嚢の手術ということで、かなり痛みもあるようだから、年末年始の間は特に連絡は取らず、帰ってからと考えていた。もし、まだ戻っていないようだったら・・・昨晩アパートに戻ったところ、おばあの部屋は電気が点き、ドアが少し開いていた(猫の出入り用)。電話すると、痛みはあって医者にも止められたけれど、猫が気になって無理やり?退院したという。相変わらず姉猫は見当たらなかったけど、弟猫の方は無事、部屋の中でくつろいでいる様子だった。よかったにゃん。大したことはしていないのだけど、おばあには感謝され、姪が栽培しているという島バナナをお礼にもらった。しかし、ただでさえ高齢で外出も覚束無くなっているおばあが、術後の痛みも抱えての一人暮らしは不便この上ないだろうな。何かあれば声をかけてとは言ってあるが、さすがに気は使っているようだ。それにしても、こういう人が、もし被災したら一体どういうことになるのだろうかと、この時期には考えざるを得ない。本土である能登半島が、あの有様だから、政府には蔑ろにされ、本土の連中にはヘイトを受ける沖縄は、災害があっても見捨てられるであろうことは想像に難くない。とりわけ、こんなおばあおじいらは、どうやって身を守っていけばいいのか。昨日の日記の続きのようになってしまうけれど、やっぱり、明るい展望を見出せない新年なのだ。かくいう自分も数ヶ月で今の場所を離れるかも知れず、おばあを気にかける人間も一人減ることになる。おばあよりも長生きするであろう猫たちの事も気になる。希望なき新年だけど、せめても、沖縄と猫たちに無病息災をと願うよりない。
2024年01月06日
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在宅勤務の、ちょうど休憩の時間、何か下でガタガタしているので見ると、3階の部屋のおばあが救急車で運ばれる様子が。意識はあるようだけど、高齢だから、どこか痛めたか。おばあは猫を二匹飼っている。結構べったりな、その猫たちは・・・夕方おばあから電話があった。胆嚢?手術になるそうな。となると、4、5日は帰って来られないのではないか。猫の餌を置いてきたから足りなくなったら足してくれと。それはいいけど、部屋は締切で猫は入れない。おばあが不在の間、外で過ごさねばならない。まあ、半野良みたいな猫だけど、一応、沖縄も冬でそこそこの寒さだし、この数日は雨模様だ。加えて、自分は明後日からナイチ帰宅で不在になる。そうなると・・・猫たちは、僕にはほとんど懐いていない。警戒心の強い姉の方なんか、いちいち逃げるくらいだ。だから、おばあの部屋の前に、タオルを敷いたビールケースとか段ボールを置いたけど、僕の匂いがしたら入らないだろう。むしろ、アパートの2階のバーの姉御の方には懐いているらしい。なので、声をかける。不在時に猫をケアしてもらうよう頼む。おばあに電話してみるとも言っていた。しかし、年末年始まで店を開けるのかな?猫の弟の方は、おばあの帰りを待って階段の辺りにじっとしている。まるで忠猫ダラ公(いつも舌を出しているので“だらー”という名)といったところ。姉の“みーみー”の方はどこへ行ってるやら、見当たらない。今回の年末年始の帰宅、この6年目で初めて猫不在で、改めて猫の供養の意味合いもある。しかし、また別の猫の件で懸念事項が。でも、どうしようもないよな、おばあが無事に早く戻ることを祈るしかない。久々の海外ロケの「世界ネコ歩き」を見ながら、人の猫の心配をする羽目に。猫も人も幸せな年末年始を過ごせるように。ハヴ・マーシー・オン・キャッツ・・・
2023年12月28日
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猫の月命日、8回目、つまり、8ヶ月が経過ということだ。このところ勝手に忙しく、しばし忘れていたような感じもあったけど、部屋に落ち着いて、この日を迎えると、やはり、喪失感が蘇る。とはいえ、猫が部屋の中で鳴いたり動いていた様子は、早、忘れつつあるのだけど・・・今週の夕食は鯖を買ってきて焼魚だ。焼魚は煙も出るし臭いもついて色々面倒臭いから、あまりやらなかったけど、やはり、猫が一番喜んで食べたのは焼魚で、近所から臭いが漂ってきただけで大騒ぎだった。もっと食べさせてやればよかったと今更思うけれども、後の祭り。だから、せめても月命日にはお供えしてあげようと。そういうわけで、今週の夕食は毎日鯖、そして沖縄っぽい具沢山味噌汁、昼は味噌汁とご飯だけというメニュー。埼玉の家であればグリルがあるので、焼魚は容易だ。生の秋刀魚とかでもいい具合に焼きあがる。今年の正月は鯛の焼魚をあげて、その際は元気にもりもり食べていたのだけど・・・かくして、いよいよ年の瀬になってきた。猫のいないクリスマス、そして、年末年始を迎えるのは、この10数年なかったわけで、一体どうしたらいいものか。年末が近づくにつれ、気分は憂鬱になってきている。今回もナイチ帰宅するけれども、年末年始は、正真正銘、一人で過ごす。未だかつてない虚しい侘しい年末年始になることだろう。やれることは、お墓のケアをするくらい。向こうでも何かお供えをするか。ただ、今回の年末は魚ではなく肉を食べようと思っているのだけど・・・せめても、あんまりキンキンに寒くならないことを願う、心は充分に寒いのだから。
2023年12月07日
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ナイチより帰宅した翌日、アニコム損害保険からの届け物。造花なのかな?“こころはいつでもそばに”などと記載がある。いや、こんなお花よりも金をくれと思ったのだけど・・・口座を確認したら、あれ?増えてるな。保険料の払戻金が先月末に振り込まれていたのに気づいてなかった。前にも書いた通り、アニコムって保険料の戻りがあることを当初認識していなかったのだけど、ネット上で死亡解約の申請を出していたにも拘らず、更新の案内が届いて立腹していたのだった。でも、結局、猫の火葬の領収書コピーを送付して死亡日が認識され、遡って保険料は差引金額が支払われたということらしい。3万円ちょいの返金。まあ、よかった。これで終わったなという感じ。アニコムとの契約は、猫と過ごした12年間。年々、保険料が5,000円単位で高騰していたのでたまらんなとは思っていたけど、とりわけ、癌が発覚して以降の今年の数ヶ月は、保険なしではにっちもさっちも行かなくなっていたことだろう。保険料は高いけれど、本来はアニコムに、かなり感謝しなければいけないところ。しかし、前記の通りのネット上の申請の不具合があったお陰で歯切れの悪いものがあった。とはいえ、これで一通り済んだ。なので、サポート窓口に、若干のクレームと、こちら側の非礼への詫び、そして、曲がりなりにも12年間のつきあいの感謝の念を認めてメールした。返信は不要と書いたが、返信が来て、お互いの扶養関係を確認した。勿論、そこそこの金額の保険料を払ってきたのだから、当然のことなのだけど、やはり、保険には助けられた。12年前、まだペット保険が珍しかった頃で、アニコムくらいしか選択肢がなかった気がする。その後は、大手損保会社もペット保険に参入し、今は若い年齢の動物なら安い保険料設定の会社もある。それでも、老舗と言えるアニコムの体制は、やはり一日の長と言える部分はあった。保険の解約、契約の終了で、猫の喪失感が新たになった感じだ。間も無く猫の死から半年。生活は以前の通り続いてはいるけれど、折に触れて猫のことが思い出される。もう、あんな猫には一生出会えないかも知れないな。その喪失感は、やはり埋め難い。それでも、猫はいなくなっても人生は続いていく。悲しみと虚しさを抱え続けながらも・・・
2023年10月02日
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猫の保険、具体的にはアニコム損保、12年契約していたんだな。まさに、猫との付き合いの年月だ。猫が死んでしまったので、当然、解約だが、約款を読んでも、解約して返金があるとかは書いてない?戻ってくる金額なんてないのかと思っていた。ところが、さにあらず。そもそもネットで解約できるとはわかってなくて、猫が死んで、しばらく経った5月にネット上で解約を。ワンクリックで、何だか明確に解約とか出ないので、これでいいのかなと思えて、その後も2、3回クリックしていた。その度に、既に解約は受理されてますといった表示が出ていたので、もう解約は出来ているのだろうと思っていた。契約の更新時期に何か書類が届くのかなとか思いつ。しかし、届いたのは契約更新のお知らせで、放っといたら来年も更新されてしまう。おいおい、解約申請通ってないじゃん。すわ、コールセンターに電話だあ〜アニコムから委託されたコールセンターの会社のバイトさんが出ていることは承知ながらも、何で解約されてないんだー!と怒る。前記の通り、アニコムは12年の付き合いで、特に猫の晩年は、かなり支払い面では助けてもらったとは思うけど、保険料だって、そこそこ高いのだから、ちゃんと、死亡日に遡って戻りがないと納得いかない。そう、保険の約款らしく極めてわかりにくいのだけど、保険料の戻りがあるのだった。しかし、解約申請が遅れたら、戻りだって減るわけではないか。結局、コールセンターとの話で、書類を送るから、それに証明書を付けて死亡日を記載すれば遡って死亡解約が認められると。だからまあ、そんなに怒らなくてもと、後で自分でも思ったけれども、ただでさえ、猫を失って心の潤いが失われている状態なので、頭に血が昇ってしまった形だ。加えて、証明書となる火葬の領収書を引っ張り出して、あの悲しい一日が思い出されて、また虚しい気分になってきた。喪失感を埋めることは出来ないけれど、このところ、猫の闘病や、最後の方の哀れな様子ばかりが蘇ってきてしまって、一層やり切れない心境だ。猫との楽しかった日々だけが思い浮かべられるようになるのは、いつの日だろうか。とにかく、早く、この保険の件を済ませてしまいたい。世話にはなったけれども、同時に罪にゃあ、アニコムさんよ。
2023年09月11日
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猫が死んでしまって4ヶ月余が過ぎた。出かけたり旅の計画を練ったり“次の段階”?に進みつつはあるけれど、やっぱり、仕事終わりや、週末を迎えると、そこはかとない虚しさを覚える。つまり、以前なら、最も幸福と安堵を感じた時に猫の不在が強く感じられるのだ。この喪失感は、やはり、容易く埋められるものではない。最近は、部屋にいる時はイライラすることが多く、何だか落ち着かない。心の安定を保っていた存在が失われてしまった故であろうか。“夢で逢えたら”と、大瀧詠一の歌では無いけど、常に思っていた。すると、今朝の夢見はちょっと面白かった。本当に久々に、猫が部屋の中を動いて、その感触も感じられた。数ヶ月経って、猫がいた時の感覚を忘れつつあるのだけど、今日の夢では、確かに、猫が存命だった時の感覚が蘇った。勿論、夢であることは認識しているのだけど、夢だけども嬉しい。そう思って涙している自分、という、そんな夢を見た。ドリーム・オブ・ドリームだね。そのことをツイッターならぬXにあげたところ、“初盆だね”と言われた。そうか、お盆といえば、沖縄だから旧盆ばかり思っていたけど、世間的には、今週が新盆だったのだ。霊が帰って来る日、猫の霊も部屋に降りてきてくれたのだろうか。今、部屋には一時的にしろ、猫の魂が戻ってきている。そう考えると、これまでのイライラを忘れ、少し穏やかな気分になった。かくも猫の存在は大きかったのだ。久々に長いお線香を焚いて弔い、もう少しいてねと祈った。尤も、沖縄は、やっぱり、旧盆だから今月末も、再度戻って切れくれるんじゃないかな。やっぱり、この部屋には、少なくとも来年の4月、猫の命日までは住み続けなければと、改めて思った。そもそも、10年余の猫との思い出が詰まった部屋だからね。色々と問題はあるけれど、何とか踏ん張っていきたい。そして、一方、また早く、家の猫の墓参りに戻りたいな。来月末、まだまだ先だけどね。
2023年08月18日
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というわけで、やっとどうにか猫の墓を作って遺灰を埋めてきた。これで、一区切りがつくのかというと・・・墓を作ったは作ったで、その後のメンテが気になる。昨日は埼玉も相当な暑さで、最高気温が38度だの。墓の台座にした御影石は表面が結構熱くなっていて、上に載っている墓石が溶けたりせんかなとか。中国製の安めのやつだったからね。雑草も気になるし、雨が強く降ったらどうなるだろうかとか、色々と心配になる。次に帰るのは9月末だから、その頃にどんな具合になっているか。周囲に配した猫草はちゃんと生えていればいいなとか。そして、那覇の部屋に戻っての祝日。区切りどころか、ちょっと放心状態なのである。やるべこことはやった。でも、他に猫にしてやれることは何かあるのだろうか?もう、無いような気がしてしまう。部屋の俄か作りの仏壇で、毎日お線香を焚くくらいしか。それでいいのだろうか、もっと何かしてやれることはないのだろうか?強いていえば、その仏壇の設えか。お香を焚くのはジャムの空き瓶を使用していて、帰った後は、猫の生前からあった猫草が、とうとう枯れていたので、その草植えを使用。でも、ちゃんとした香炉を用意するか?それ以上に、おりんが欲しいなとは思っていた。線香を焚く前に、あのチーンってやつが欲しい。猫用の仏具を物色したいなとは考えていたのだけど。南風原まで行けばペット用の仏具を売っている店があるそうだけど、とりあえず、近所の仏壇通りの店とかで物色してみるとする。最終的には通販買いになるのかな。とにかく、何かしないことにはと思う。後は、また猫の泣き言を話せる相手は・・今も放浪中なのかどうかのNさんが沖縄に来ないか、或いは、アパートの2階のバーに飛び込んで姉御に話すか。100日を過ぎて、墓を作っても、何か落ち着かない。そうこうしても猫が戻ってくることはない。那覇のクソ暑い部屋で、相変わらず、周囲の連中の無遠慮、かつ無神経な喧騒に晒され、ますます猫亡き世界は、まさに“狂えるワールド”だと感じている。どうやって生きていけばいいのか、まだ模索中、先は見えぬばかりだ。
2023年07月17日
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さて、猫の100日(昨日だったのだけど)、いよいよお墓作りだ。しかし、2ヶ月ぶりに家に帰って、相変わらずの雑草天国ぶりに辟易した。周囲にますます空き地が増えていて、刈ってもむしっても種が飛んでくるもんだから始末におけない。とにかく、墓の予定地周辺だけでもきれいにしないと。例の、猫がいつも登っていた木の根元に遺灰を埋めるわけだけど、改めて東側に埋めることを検討。しかし、やはり、根っこやら石やらがあって無理だと判明、前にも少し穴を掘っていた西側に埋めることに決定した。土が少し足りないので、東側を掘り、その土を使う。巣があったようでアリどもがウジャウジャいたりする。猫の遺灰にでも侵入されたらたまらんからアリ殺しの薬を買ってこないと。改めて掘り返して、遺灰の入ったガラスケースは植木鉢に入れ、その上に蓋を載せて土を被せる。めでたく午前中にゆうパックが届いた、先週の月曜に書いたあれね。御影石のタイルを載っけて、そこに、買っておいた墓石を接着剤で固定。周囲には除草剤を撒き、花の代わりに猫草を埋めた。そのうち生えてくるだろう、猫には花よりも草かなと思って。とりあえず、墓は出来た。けど、何となく物足りない感じがする。タイルで雑草除けにはなるだろうけど、その周囲にもぐじゃぐじゃ生えてきそう。ということで、朝いちにホームセンターに行って軽石10kgをひと袋買ってきた。アリ除けの薬も周囲に撒き、土が足りない分も含め、軽石を撒いて、何となく見栄えも良くなったかな?今度こそ完成である。自分が寝ている部屋から見えるし、二階のベランダからも見える。一方、今日のように日差しの強い日、御影石の表面は結構暑くなるし、墓石は大丈夫かなと。台風や大雨でもどうなるやら。墓は作ったものの、今後のメンテも気になるところ。次に帰るのは9月下旬だからね、その際にどうなっていることか。これで猫は安らかに眠れるのかどうか。でも、今回も旅を共にした分骨入りの人形は、再び那覇の部屋に持ち帰る。これからは、墓で線香を焚き、家の仏壇でも線香を焚き、更に、那覇の部屋の仮仏壇でも線香を焚く。猫の魂は、結局、一体どこにあるのやら。自分の心の中にあるのだと思いたいけど・・・どうか、安らかに。
2023年07月16日
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誠につまらないネタで申し訳ないのだけど、今日は荷物を発送しましたって話(爆)。1ヶ月前くらいから梱包準備をしておいた荷物を、やっと送ることが出来た。何を送ったか?まずは、御影石のタイル、これ、大理石と勘違いして購入したのだ。直径30cm以上のでかいやつで、結構重い。こんなのを何で買ったかというと、この時期の、猫の暑さを、せめても軽減させるためにと、ヒヤッとしたタイルの上で寝そべってもらえればと意図したのだけど、御影石はちっともヒヤッとしていなかった。だから、猫も全然寝てはくれず、無用の長物と化していたのだった。これを埼玉の家に送らんと、何用かというと猫の墓用だ。墓石は別に買ったのだけど、案外小さいものなので、まずは遺灰を埋めた上にこのタイルを載せる。そうすれば雑草除けにもなるだろうし、その上に墓石を載せればという算段だ。寝そべってはくれなかったけど、少しでも猫の役に立ってくれればと。後は古いBSアンテナと折り畳み式の卓袱台。前者、映らなくなって新しいのを買って交換したけど、多分、それはコードが原因で、アンテナそのものは、まだ使えるのではと。おそらく30年くらい使っていると思われる、家のBSアンテナがいつ映らなくなってもおかしくないので、予備を置いておいた方がいいと思って。卓袱台は、以前は那覇の部屋で使っていたものだ。今は、もう少し大きいテーブルを使っていて不要になった。何分、部屋が狭いので、こういった不要の品は極力撤去したい。これを機に一気に送ってしまおうと考えたのだ。結構でかい梱包で、そこそこの重量。ゆいレールで壺川の郵便局まで運ぶつもりでいたが、自転車でも行けるかな?と思って積んでみる。大丈夫でせう、よし、出発進行!タイルはウレタンマットで包み、PCモニタの大きな箱にそれらを詰めてガムテープでぐるぐる巻きに。崩れやせんかと不安ではあるけど、とにかく、郵便局に持ち込んで、ゆうパック送付を依頼、送料は2,050円と思ったよりは安かった。ああ、スッキリ。15日土曜日の午前に着日指定した。無事、土曜に届いて、何よりは、まず猫の墓作りがスムーズに行けば。もう、自分が猫にやってあげられることは、それしかないのだ。どうにか、今回は台風もなく、無事に帰還が出来そうだ。4年ぶりの親戚宅への訪問も含め、計画通りにいくことを切に願う。昨年は散々だったからね。帰りはシェーキーズでピザ買って帰った。何で、今日にしたのかというと、このピザの持ち帰り半額の日だったからなんだよね(笑)。
2023年07月10日
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猫が死んで2ヶ月だ。喪失感はあって、時々思い出すけれども、猫がいた時の、あの感覚が薄れつつある。もう、猫など前から部屋にはいなかったかのように・・・前にも書いたけど、思い出す時は、病気になってからの弱った猫の姿であることが多い。その、気の毒な姿にしんみりくる。でも、本当に思い浮かべたいのは、元気だった頃の猫の溌剌とした様子。しかし、それがあまり浮かばない。画像はいっぱいあるのだけど、自分は動画を撮るという習慣が無いもので、猫も鳴き声や動いている姿を、もう見聞きすることが出来ない。かえすがえすも後悔している。部屋に猫がいた痕跡はあらかた無くなり、引き取ってもらえるものは、ほぼ譲った。今残っているのはオムツくらい、ちょうど半分ほど使ったところだった。猫のための慣習というのも次第に無くしつつある。例えば、風呂場の窓から、いつも外を眺めていたので、常に風呂場の扉は開けっぱなし。バスタブをひっくり返して、その上にウレタンを敷いていた。それが1mの高さの窓に跳ぶ時のジャンプ台だった。風を入れるために風呂場の窓と扉は今も開けてあるが、バスタブは立てていて、ウレタンはもうない。押し入れは猫の寝床だったので、こちらも常に開けっぱなし。布団は仕舞えないから、いつも出しっ放し。容量の問題で布団は今も出しっぱなしだが、押し入れの扉は閉めるようになった。玄関の扉は、猫が出ないように、あまり大きくは開けられず、ネットは張ってあるけれど、大きく開ける時は段ボールで塞いでペットボトルを並べた。今はもう大きく開けても問題ない。ゴキブリは入ってくるかも知れないけれど。一つだけ、猫用の草は今もまだ、少しだけど生え残っている。これは毎日水をやっている。仏壇のようなものに、毎日、水を替え、お線香を焚いてはいる。夜寝る時は、遺灰の入った小さな猫の人形を枕元に置いている。でも、猫がいた、あの感覚が蘇るわけではない。あの、触った時の感触はまだ覚えているのだけど、やはり、実体が欠けていることは決定的だ。ちょっとぬいぐるみでも買ってこようかと真面目に考えている。12年もつきあった猫のことを、わずか2ヶ月で忘れてしまう自分というのもどんなものなのかと、後ろめたさに苛まれる。やはり、49日という、ある種の節目を境に、死も少しずつ記憶の中の中心からは外れていくのだろうか。悲しいことだけれど、こちらは結局生き続けなければならない。いいのかよくないのかわからないけれども、これも現実だ。少しずつ外にも出ようかという気にもなっている。旅の計画なぞも思い浮かぶ。それでも、猫のことは、やっぱり忘れたくはない。代え難い存在あることには違いないのだから。少し色が薄かったコンビニプリントの猫の画像、もう1回別のとこでプリントし直そうと思ってる。
2023年06月07日
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猫の四十九日だ。前にも書いた通り、猫に仏教はどうなんだろうとも思いつつ、火葬の際に曲がりなりにも仏教的な葬儀があったので、以後は、ちょっとした仏壇を部屋に設けたりして、仏教的な慣習に従っている。それでいくと、猫は本日をもって極楽浄土へ行くということか。ここいら、もっとまともに仏教というものを学ばないといけないなと思ってはいるけど。とにかく、今日は一つの区切りの日ということになる。仕事が終わったところで、急ぎ買い物へ。一旦捨てかけた焼き網をもう一度取り出して、今日は焼魚をする。多分、一番好きだった鯵を求めてスーパーへ2件。何とか買えて、網で焼く。思えば、猫が死んでしまう直前も魚を焼いたのだけど、最早、食べられる状態ではなかった。焼き上がった鯵のいいところをお供えする。生きているうちに、もっと腹一杯食べさせてあげたかったなぞと思っても後の祭だ。焼魚って煙も出るし、臭いもつくから、なかなかねえ・・・そして、久々に買ってきたドイツの猫ワインを開けて、すっかり月に一度の放送になってしまったBS「世界ネコ歩き」を見る。白ワインの産地、山梨での撮影だ。元気な猫たちの映像を見て、思わず度々落涙。ワインや猫歩きは、あまり猫とは関係ないかも知れないけれど、区切りの日にふさわしい感じにはなってきた。尤も、これで心理的な区切りがつくかというと・・・やっぱり、墓をちゃんと作らないとな。しかし、猫が部屋に存在した、あの感覚を少しずつ忘れてきているのは事実だ。まるで、前から猫なぞ部屋にいなかったかのように。でも、それでは12年もつきあってきた猫が浮かばれまい。もう、あらかた猫がいた痕跡は部屋から無くなっているのだけど、猫のいない生活が当たり前に思えてきているのが、これはまた悲しい。明日は久々に仕事の飲み会があるのだけど、忌明けながらも、心理的には忌中が続くので、僕は参加は辞退した。正直、さすがにワイワイと飲む心境には、まだなれないのだ。忘れることで人は前に進んでいくものかも知れないけれど、今の自分は、別に無理に前に進んでいこうとは考えていない。猫の存在の記憶は少しずつ消えていくかも知れないけれど、喪失感が残るなら、それはそれで構わない。悲しいのは、思い出すのが死んでしまう前1ヶ月ほどの衰えた姿ばかりであること。もう少し日が経てば、元気だった頃の猫が心の中で思い浮かぶようになるのだろうか。その時こそが、待ち遠しい。次は、ちょうどナイチ帰宅する百日を待とう。今度こそ、墓を完成させねば。
2023年05月25日
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さて、猫のお墓作り。まずは庭の木の周辺の草むしり。何せ、周囲の空き地から種が飛んで来るもんだから、草をむしってもむしっても毎回雑草地獄と化してしまう繰り返しだ。庭全体も、ある程度除草し、特に遺灰を埋める予定の木の周辺は、念入りに除草剤を撒く。そして、木の枝の剪定、かなり無駄な枝が多いので、バシバシ刈ったら、ちょっと刈り過ぎた?最上部の枝だけを残す形になった。これでも登れるかなというギリギリの線だけ残した。これでよかったのかどうか。そして、穴を掘る。当初は、灰をそのまま撒こうと思っていたけど、場所を変えたりの可能性もあるので、ケースに入ったまま埋めることに。プランタをまず埋めて、その中に。そのために少し深めに穴を掘り、プランタ入れて、その中に収めようかと。その位置だと家の中からでも見えるのだけど、しかしなあ、日当たりがいい場所の方がいいんじゃない?と思えてきて。当初、考えていたのとは反対側に埋めようかと考え直す。駐車場に面した方が東側で、朝日があたる感じなので。ところが、そちら側を掘ってみると、木の根っこが強固に張られていて難しい。下手のに根を傷つけると、木そのものが枯れてしまったりという可能性があるので、やはり墓を作るのは、当初の位置に戻すとする。無事に墓石は届いた。悪くはないが、これが思ったよりも小さい。これだけを置いても埋没してしまう可能性もあるので、当初考えていた御影石のタイルを、やっぱり置こうかなと考える。夏の暑い時期に、猫に少しでも涼をとってもらうべく、大理石のタイルを通販購入した。面積でいうと、20cmx20cmくらいかな。ところが、これが大理石ではなく御影石で、あまり表面はヒヤッとはしていない。結局、猫がタイルの上に寝そべることはなく、無目的に部屋に転がっていたのだ。これを家に送って使おうかとは考えないでもなかったが、その必要は無いかなと思って、一旦やめたのだ。でも、やっぱり、あれを敷くのは悪く無いかなと。雑草対策にもなるし、小さい墓石をカバーもできそう。では、本格的に墓を築くのは、次回7月の帰宅時ということになるかな。そもそも仏教的に言えば、まだ49日を過ぎていないかなら、本来、この時期に墓に入れるのは・・・焦らずに、出来ればいいものを作ってやりた。結局、遺灰は仏壇に備えて置いていくけれど、分骨人形は持ち帰る。これを家に置くのはいつのことになるだろうな・・・
2023年05月03日
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今回のGWのナイチ帰宅、猫を連れて帰るのは、多分、無理だろうとは思っていたから、変更可能な便を取った。もしもの時は、変更して自分だけ数日帰宅、それも無理そうなら中止だったけれども、結果的に予定通りに帰ることになった。いつも、猫を入れて運んでいた籠は持っていく、空の状態で。部屋に置いておいても何なので持ち帰るのだ。魂も運べるかなとか思って。ペット預かりではなく単なる貨物になってしまうのは何だか忍びないが。空港の荷物チェックでも、籠の中にペットが入っているもんだと勘違いされて、それはそれで悲しかった。そして、今回の帰宅は、猫のお墓を作るのが大きな目的となった。前にもちょっと書いたと思うけど、猫は、埼玉の家周辺の生まれだ。多分、向かいの家の大工のおっさんの作業場あたりで生まれたのではないかと思う。親猫は、よくうちの庭あたりをウロウロしていたけど、二匹の子供もうちに来るようになったよう。猫の姉妹にありがちだけど、一匹は警戒心強くて人に懐かず、もう一匹は逆に、やたら人懐こい。それがうちの猫なのだった。大工のおっさんは結構な変人で、飼っていた犬を車で轢き殺してしまっても平然としているという輩だった。だから、猫の世話なんかロクにするわけもない。親は何とかやってるようだけど、子たちは餌ももらえず腹減らしていたらしい。それで、うちの親が餌をやってしまって家に来るようになった。ここいらは後で聞いた話で、その頃の僕は、家は寝に帰るだけだったので、猫のことなんて全く気にしていなかった。次第に、親は子猫たちを家に入れるようになった。と言っても、人懐こい妹の方。いつの間にか、茶の間のソファーで寝ていたり。当時は、僕は、猫を家に入れることには反対だった。当時、親は室内犬も飼っていたからね。衛生的な問題もあるし、騒がしくなるのはゴメンだったから。詳しくはわからないが、懐かない姉の方は死んでしまったらしい。親猫も時々家にやって来て、僕の部屋に入って来たこともあった。勿論、ふざけんなと追い出したけど。で、人懐こい妹猫は、何と、庭の木を登って二階に上がり、ベランダまで来ては、部屋に入れてくれとばかりに毎晩ニャアニャア鳴くようになった。それで、オヤジは夜に部屋に入れてやるようになった。しかし、オヤジは癌になり入退院を繰り返すようになった。すると、その猫は今度は僕の部屋の方に来るようになった。何せ、毎晩来るもんだから、根負けして部屋に入れてやるように。そのうち、寝床にまで潜り込んで来るように。おいおい、ノミもついてるんじゃん?とはいえ、そうなると、次第に情がわいて来てしまう。犬がいたもんだから、母は猫を見ると外に追い出してしまうことがあった。だから、母が寝静まったのを確認して、猫を風呂場に連れて行き、足や体を洗ってから寝床に。で、朝の出勤時に外に出してやり、夜になると、また部屋へという、そういう毎日になった。これが、我が猫との“馴れ初め”なのであった。これ、まさに、あの震災の年の話。松の木なのかな?よくまあ、毎晩登って来たもんだと思う。だから、猫の遺灰は、その木の根元に埋めてやるのがいいだろうと思ったのだ。家の近くにはペットの霊園もあるのだけど、いやあ、庭がいいでしょう、生地だし。というわけで、遺灰と分骨の方も携えて帰宅した。分骨の方は一度持って帰るだろうけど、明日には墓石も届くはずだから、それまでに庭を整備しないと。しかし、家に着いて庭を見たら唖然とした。3月はさほどでもなかったのに、またぞろ、庭は雑草ジャングルになっているではないか。まいったなあ・・・長くなったので、続きは明日に。
2023年05月02日
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旅立ちの前日、BSで3月29日に放送された「ネコの島で生きる」を録画視聴。シリーズ化予定?大分県佐伯という地区の離島・深島は、人口が13人に猫が80匹余という猫の島。ここも知る人ぞ知る存在らしくて、夏場は観光客が訪れるらしい。しかし、普段は過疎の島であることには変わりない。そこに、島生まれの夫と大分本島生まれの妻が永住の決意をし、子育てを始め、様々な島の活性化を志す。猫が云々というよりは、その若い夫婦と、高齢化の問題を抱える島の状況を描く内容だ。島の猫はリサーチして一匹ずつ名前をつけられたそう。猫の生活ぶりは、あまり描かれず、専ら島民たちの生活や子供達の生き生きとした様子が。さすがに島育ちの子たちはワイルドだな。ほおずきに死者の魂が宿るということで、お盆には海に流される。御馳走は具沢山の茶碗蒸しと伊勢海老の味噌汁。若夫婦の生業は特産の味噌づくりと食堂経営だ。それに、島の老人たちの世話と子育てもあるから、何気に大忙しであろう。更には、ホテル建設さえ。ちょっとやり過ぎ?釣り好きで移住した大阪人、ちゃむという高齢の猫を世話してきたけど、もう餌を食べなくなってきた。ここで、もう自分の猫が思い起こされてうるうる。肺気腫を患った大阪人は島を去ったが、ちゃむは死んでしまったのだろうか。そこまでは描かれないが。さて、明日からはナイチ帰宅だ。猫の魂を空の籠に載せて?これまで、あまり無かったのだけど、今夜は何だか無性に泣けてしまうのは、なぜだろう・・・
2023年05月01日
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ゴールデンウイークが近づいてきた、そろそろ予定をフィクスさせねば。猫を連れて、連休に“別荘”で過ごすようになったのは2017年頃からだったよう。年末年始も猫連れで帰るようになったのは、この4年くらいなので、GWは、ある意味一番楽しみだったかも知れない。しかし、今年は・・・猫を連れては行けないだろうことは予想していた。だから、変更可能な便にして、通常なら29日から休んじゃうところを、敢えて5月2日からにした。猫の状況次第では、日程を短縮して自分だけ数日、或いは、渡航そのものを中止かと。で、結局、予定通りの帰宅と相なった。いつも猫を入れて運んでいた籠は携えて。一応、魂を運んでという感じ。遺灰も持って帰る。四十九日前ではあるけれど、家の庭に墓を作るつもりで。コロナも概ねってところで、旧知の友人たちと会う予定。生憎、都合が合わず、90歳になる伯母とはまた会えないが、4人ほどと会う約束をする。顔ぶれは去年と同じかな。まずは、少し天然な勤人時代のお仕事仲間。もういい年の人なのだけど、この人は約束した後に変更なんて可能性もあるので、まずはこの人の日にちをフィクス。変更はなしでねと釘を刺して。昨年に続いて神保町にて一献予定。去年は、閉館する岩波ホールで映画を観たんだよね。翌日の昼は、やはり奥さんを亡くしているIさんと。こういった人たちは、今の自分の気分を共有してもらえるかなと。夜は最後の勤務先同僚と。そいつも優しい男なので猫の泣き言きいてもらえるかな。いつもはフーターズで盛り上がってた仲なのだけど(苦笑)。そして、年始にも会った長年の友人、彼も飼っていた猫を数年前に亡くしているので。要は、猫の話をしたいから会ってもらう感じだ。話すことが癒しになると思うから。何よりも帰った翌日は、猫の墓を作ることが重要な使命だ。中国からの墓石は3日に届くはずだから、よく猫が登っていた松の木の根元に遺灰を埋めて。分骨入れもお供に連れて行く。そして、家の猫の諸々も片付けか。それにしても、これほど虚しいGWの帰宅は初めてかも知れない。更に、連休明けて部屋に帰って来た時の虚しさは・・・救いはないだろうか、あるだろうか・・・
2023年04月29日
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今日は「世界ネコ歩き」がないんだねえ、と猫に語りかけた、あれから3週間。4月の番組の改編期の影響か、番組は続くようだけど、なかなか放送がなかったが、ようやく新作の放送。BSの紀行番組の流れで90分枠、どうやら今後も90分になるみたい。そんな無理しなくてもねえ、60分でちょうどいいのに。ともあれ、新作は岡山での撮影だ。倉敷にジーンズストリートというのがあるのだ。国産ジーンズ発祥の地というのは、あの、ビッグジョンがここで創業したからだそう(悪いけど、ビッグジョンのジーンズって履いたことない気がするけど)。そこにいる猫も、デニムの首輪をしていた。ジーンズ店の主人に抱っこされる猫、あんなに可愛がったら別れの時はさぞ辛いだろうなあなんてことを、今日日は考えてしまう。うちの猫に柄の似た猫が出てくると、やはりグッとくる。六島という離島は、人口に匹敵する猫が住む猫の島だ。その猫たちを統括するボスの名はプリン。穏やかそうだが毅然とした佇まいが、瀬戸内海の光景に映える。長いもんだから、時々うつらうつらしながら見ていたけど、やはり、気持ちは癒される。ここで登場する猫たちは、概ね、半野良で外を自由に歩き回っている。改めて、狭い部屋に閉じ込めていた自分の猫への後悔の念が募ってくる。猫にとっての本当の幸せとは何なのだろう。この10年間、それは考え続けて模索はしていた。さて、これからは・・・また、しばらく番組の放送は無いらしい。次回はまた90分枠で5月末。このまま月いち放送になるのかな。それも何だか悲しい。人生に、もっと猫を。やっぱり、猫はかすがい、だ。
2023年04月27日
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先週の日曜の話だけど、部屋に花束が届いた。送ってくれたのは、この半年以上通っていた動物病院で、猫へのお悔やみのメッセージが添えられていた。ありがたくはあるのだけど、花束もらって、どうしたらいいのかがよくわからず、花束のまんま放置していたのだけど・・・前にも書いた通り、勿論、喪失感は抱えながらも、そこそこ普通に生活は出来ている。しかし、猫が死んだ翌日に動物病院に挨拶に行って、恥ずかしいくらいボロ泣きしてしまった件も書いたかな。さすがに。それで気の毒に思われたのだろう。“こいつはペットロス間違いなしだな”と思われたか、それでお花だったのかなと。一応、電話して、先生によろしくお伝えくださいとお礼を申し上げた。で、数日、花束だって、本来は、束を解いて、花は花瓶に挿すなりすべきだったけれど、そのまんま猫の仏壇らしき前に飾っておいた。そりゃあ、枯れてくるさ。慌ててというか、遅まきながら束を解いて、花を2、3輪ずつ、玄関前に並べてある、水を入れた酒瓶類に挿す。何で、玄関前に酒瓶を並べているのか、隣人たちにも訝しく思われていたろうけど、本来はこういう用途を意図はしていたのだ。防火用水の意味合いもあったけれど。ドイツ製の猫型ボトルワイン、グスタフ アドルフ シュミット GAS ラインヘッセンRI とか、猫ラベルのG.A. シュミット ツェラー・シュワルツ・カッツ・プリカッツ Q.b.A. (しかし長いね)、それに南大東島のラム酒コルコル、与那国の長命草酒、多良川の元気の酒、ヒラミ8リキュール等々。割と珍しい酒瓶を並べていたのだけど、それらに花を挿した。まあ、それほど枯れてないうちは、多少きれいかなと・・・でも、時既に遅し、束のまま1週間放置していたのだから枯れるわ、バカだね。しかし、考えてみれば、あの病院には相当お金は落としているのだ。昨年来の猫の医療費、9月からの診療費を計算したら、25万5千円ほどであった(うち、7万6千は浦添の方の病院)。これは保険適用後の金額で、保険適用前の金額の合計は37万3千円ほど。月平均でも3万円以上払っているわけで、そりゃあ、月々赤字にはなるわ。11月なんかは10万以上支払ったし。当然、ここ数ヶ月は毎月赤字で蓄えも崩し始めていた。一方、餌もひと袋6,000円なんていう輸入品を買っていた。そう考えると、猫に出来る限りのことはしたのかなとも思えるし、病院から花束くらい送ってもらっても然るべきなのかな、なんて思えてきた。それでも猫にはもう少し生きてほしかった。萎れてしまった花を眺めて、また悲しくなってきた。枯れた花はゴミ出しの日に捨てちゃうだろうけど、せっかくの酒瓶オールスターズ、また花でもいけるべく、何か買ってこようかな?一応、猫の供養も兼ねてね。
2023年04月23日
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猫の初七日だ。一応、仏壇のようなものを設て、朝にお線香は焚いているけど、これはこれでいいのかなと、些か虚しくある。とはいえ、何となく過ぎた1週間だけど、実は猫が死んじゃう日には映画を観に行こうかと、当初考えていたのだ。さすがにやめたのだけど。その時は、やめておいて正解だったけれども、映画そのものは、やっぱり、観たいのだ。それは、「生きる リヴィング」。黒澤明の「生きる」のイギリス版リメイクで、日本出身のカズオ・イシグロが、ビル・ナイに志村喬の役を演じさせたいということで実現した企画で、自ら脚本も担当。日本文学にはあまり影響を受けていないイシグロだけど、黒澤や小津安二郎等の日本映画には影響を受けているという。猫には、悪いけど、これは、やっぱり、今日観に行くとする。「世界ネコ歩き」の放送も、また無いしね。さんざ猫のかごを乗せて漕いで登った新都心への坂を自転車で。夕食は済ませていたので、何も買わずに映画に集中、シネマQのシアターへ。しかし、上映開始時間になっても、なかなか始まらない。数分の間があったろうか。やっと始まったけど、何ともクラシックなオープニングに、現代の映画には思えず、これ上映作品間違ってない?などと思っていたが・・・本編が始まるも字幕が出ないね。誰かが席を立って出て行ったので、言いに行ったのかなと思って、そのまま観ていた。字幕なしでもいけるかと思ったが、情けないけどダメだな。ビル・ナイは小声でボソボソ話すので、何言ってるかが明瞭ではない。あのイギリス人特有の気取ったというか、感情を表に出さない語り口のキャラクターたちなので、意味を読み取るには、自分の英語力では事足りないようだ。そうこうするうちに・・・今日は(というかいつもだけど)暇なので、別に上映し直しで遅くなっても構わないと思っていたけど、字幕が出ない原因がわからず、上映中止、払い戻しとなってしまった。エディ払いしたけど現金で戻ってきたので、そこはお得?でも、観たかったなあ。どうも、猫の恨みを買ったか?是が非でもこの映画は観せてやらにゃいぞという意図なのかも知れない。でも、頼むよ〜、これ観たいんだから。明日のお供えは美味しいものあげるからさあ、明日はお願いにゃ〜。
2023年04月13日
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一昨日の日記で、“それなりに日常生活を送れている”とは書いたけど、もちろん、ペットロスがないわけではない。何せ10年以上一緒にいたのだから、単なるペットを超えて子供か女房的な存在だったわけで。猫のお陰で精神の安定が保たれていたというところがある。キレて大声を上げたいところでも、猫が怖がるから止めとこうとか。或いは、ついつい飲んで帰りたいななんて時に、部屋で猫が待っているから、やっぱり早く帰ろうとか。何せ、一生面倒を見なければいけない子供みたいなもんだから、もしも自分が入院でもしてしまったらエラいことになる。だから、健康にも留意して無茶はしないように心がけていた。これらのタガが外れてしまったら、自分はキレやすく、生活は荒れ、不健康な日々を送ることになりかねない。エルヴィス・コステロのアルバムで「グッバイ・クルール・ワールド」'84 というのがあった(日本語表記は“クルエル”。近年、同名の日本映画もあったよう)。猫がいなくなった途端、何だか、自分の身の回りは殺伐とした世界、まさに“クルール・ワールド”に思えてきた。猫がいたから少し優しくなれていたのだけど、それがなくなると、自分は敵や、悪意のある存在にばかり囲まれているような気がしてきたのだ。卑近なところでは、自分の住むアパートのまわり、毎度、向かいのおかんは生涯一洗濯と咳払いみたいな調子で、窓を閉めていても聞こえてくる音量の咳払いに、くっさい洗濯物を大量に干しまくっている。一方、隣のアパートのバカップルのコロナ女は、コロナの後遺症なのか、死にそうなくらいの咳を日がな放っていて、この数ヶ月は、その咳で朝目が覚めることもしばしば。これから、暑くなる時期もこの調子が続くのか。前にも書いたけど、今更部屋にエアコンをつけることも考えていたけど、それは猫がいてこそであって、猫がいなくなった今は、もうその気は失せた。そうなると、また部屋中の窓をガラガラ開けて、周囲の物音に悩まされることになる。これまでのおかんに加え、コロナ女の咳。この調子ではいつかキレるのではないか。そうなることが目に見えていたから旅にでも出ようと思っていたけど、結局、今の仕事は継続の見通しだし、そもそも仏教的に言えば、猫の魂は部屋に残っているはずで、少なくとも49日を過ぎるまでは部屋に留まった方がいいのだろう。いや、少なくとも1年はいるべきか。何よりも、やっぱり、10年近くを一緒に過ごした、この部屋には猫との思い出がつまっているから。とりあえずは、あと2週間ちょいを我慢してGWを待つよりないか。少し早いけど、猫の遺灰を持ち帰り家の庭に墓を作る。分骨の人形の方は、ちょうど100日を迎える7月に持ち帰って仏壇に飾る。部屋の方に何もないと寂しいから写真を持ち帰るか、写りのいいかわいいやつを。暑くなってきた。猫は、あの暑さを味あわずに済んで、その点はよかったと思うけれど、半年近く続く、厳しい季節をどう生きていくか。バイバイ、スイートキャット。ハロー、クルール・ワールド、ロング・ホット・サマー・・・
2023年04月12日
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猫が死んだ時に、ツイッターに“この世の終わり”とつぶやいた。10年余一緒に暮らしてきた猫の死は、自分にとってはそれ程大きな出来事であり、もうペットロスなどというレベルにはとどまらない。このブログのプロフィールにもある通り、大体、自分の人生は10年周期で動きがある。今年は、沖縄に移り住んで、ちょうど10年目。図らずも、変化の有り得る年、その年に猫が逝ってしまったのだ。今年の年賀状にも、そんな予告めいたことを書きもした。猫が逝った後のことは色々と考えていた。まず仕事は間違いなく辞める。最近は不満も募っているし、そもそも仕事どころではなくなるだろうし。現在の契約期間である6月まで、或いは、それを待たずに5月いっぱいでと考えていた。その後は?とりあえず、旅に出る。まず猫の思い出のつまった部屋にいるのは辛い。だから、それを忘れる旅にどこかへ。当初は沖縄暮らしを終えることも考えていたけど、やはり、沖縄にはもう少しいようかと思うに至った。となると、離島も含む沖縄旅ではなく、別のところ、前々から行きたかった香港行きを考えている。この数ヶ月の猫の医療費で、毎月の赤字、そして、蓄えも大いに減らすに至った。現実的なことを考えれば今仕事を辞めるべきではないだろうが、もう、そういう問題ではない。辞めた後、どうするかも白紙、そこまで考えが至らない。何よりも、これまで猫のお陰で保たれてきた精神の安定が失われれば、自分がどういう風になるか。キレやすくなるし生活も荒れるだろう。だからこそ、気分の転換が必要不可欠。これまでの周期と同様に、10年目のリセットが求められると思えた。周囲からも心配された。ペットロスで食事も喉を通らなくなる人もいるというし、セラピーなどもある。思い出しては涙し、みたいな状態が続いて、仕事は勿論、日常生活が送れなくなるというケースも。しかして、自分はどうだったか。猫が死んで3日経過、実際のところ・・・食欲は普通にある、ビールも飲んでいる。葬儀の金曜日は冷たい雨に濡れたのと睡眠不足だったせいか、ちょっと風邪気味だ。でも、日記で参照の通り、翌日も翌々日も、バスケの中継を見て、映画も観に行っている。さすがに土曜日は、映画を観てもバスケを見ても集中が保てなかったが、昨日はまずまず楽しむことさえ出来た。猫の元々の世話役であった父親が死んだ際、このブログは、例外的に2週間くらいのブランクがあった。勿論、人間の死は様々な手続を伴う故、その忙しさでということもあったけれど、当然、精神的な問題もあった。しかし、ご覧の通り、猫の死の後も日記は書き続けられている。確かに喪失感はあるけれど、自分でも意外なくらい普通に日常生活が送れているのだ。そして、今日からは仕事にも復帰した。部屋を出て戻ると、いつも迎えてくれるか、どこかにいる猫がいなくて、あれ?と思う。寝床に就く時には必ず寄ってきたけれど、来ないのはなぜ?などと思ったりもするが、そのうち眠りには就く。何だか、いなければいないで、それなりにやっていけていたりするのだ。10年余に及んだ自分と猫とのつきあいは、そんなものなのか。うしろめたさというか罪悪感というか、猫に対して、むしろ、申し訳ないという気がしている。元々、空気のような存在であったということはあろう。部屋をあらかた片付けてしまって、猫の痕跡が見当たらないせいもあろうか。一応、俄かの仏壇的なものを設てお線香をあげたりはしているが、これもあくまで人間的な慣習であって、猫にはどうなのかという違和感もなくはない。でも、何かしないといられないというところはある。何せ、上記の通り、猫への不憫な思いと後悔の念は、やっぱり、あるからだ。ところが、だ。土曜日にこの半年通ったペットクリニックに挨拶に行った。前に通っていた近くの獣医は、猫が下痢をしていても、“下痢の原因は色々あるから”と、特に何かを調べようとはせず、対症療法というか薬をくれるだけだった。下痢は一昨年からあったから何か病気なのではと、その頃から考えていた。そこだ埒が明かないので新都心の獣医に通うにようになった。そこの院長先生は、この歳の猫で数ヶ月も下痢が続いているのではということで、色々検査をして、結果、リンパ腫という診断を導いた。原因がわかったことで、こちらも覚悟が出来たと言える。その意味では院長先生に感謝しているのだ。癌の治療にあたったのは、その息子さんの方で、お二人にこれまでの礼をと出向いたわけだが、二人と顔を合わせるなり感情が込み上げてきて、恥ずかしいくらいにボロ泣きしてしまったのだ。一人でいたりする時は大丈夫なのだけど、なぜか、人に猫の死を告げるという段になると込み上げる。これは、正直、猫のことを思ってというよりは、自己憐憫の感情故なのではないかと思うが。埋めようのない喪失感があることは間違いない。あの猫は自分にとって代え難い存在であったと思うから、別の猫を飼う気も毛頭ない。少なくとも、もう家猫的な猫の飼い方はしたいと思わない。それは、やはり、猫本来の生き方ではないと思うからだ。自分の猫は行きがかり状こういう飼い方をしてしまったけれど、それが却って猫にストレスを与えて寿命を短くした可能性だってあろう。でも、実際、何が正しいのかはわからない。仕事をどうするかは手探りではある。でも、辞めたからといって他にすることがあるわけでもない。ひょっとしたら、もう少し?なんて思わないでもない。でも、それで猫にとって申し訳が立つのかみたいな気持ちはある。かくして、今日も飯をくらいビールを飲み、テレビを見たりしながらも1日が終わる。猫がいなくなっても、人生は、生活は続いていく。喪失感と後悔の念と不憫な思いを抱えながらも・・・
2023年04月10日
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朝方は晴れていた。猫を連れ出した屋上で、壺川の葬儀場に電話をかけてみる。勿論、個別の火葬を希望だが、午前中は11時が空いているという。それはいくら何でもちょっと早いかなと迷う。午後は13時、14時も可とのこと。一方で、自分が心配する程に早く遺体の腐乱が始まるわけではなく、今晩一晩くらいなら大丈夫とのこと。でも、既に動かなくなってしまった猫を今晩一晩部屋に置いておいても、なす術がない。考え方であろうけれど、僕自身は、本日中に火葬する事には迷いはなかった。結局、3時ちょいに息を引き取って以降、ずっと猫の側にいて眺めたりしていたので、お別れの時間は充分あったと思う。仕事は当然休むけれど、電話がかけられるのは9時近く。その間、一緒にいたわけだからね。それどころか、既に片付けも始めてさえいた。便を拭いた紙や雑巾を捨て、猫のトイレの砂も取り、洗って消毒薬で拭き外に出して乾かした。まだ猫のお尻が臭うので、多少残った便が漏れているのかも。人間の葬儀社と違い、遺体はこちらがある程度整えていかないといけないようなので、お尻の穴や鼻の穴には綿を詰めた方がいいとか。部屋にはないので、ドンキホーテが開く時間を待って出る。職場には“不幸があったので欠勤”の旨伝える、人間がとは言ってないけど。ドンキに行く途中で、いつも自分がナイチ帰宅の際に猫をお願いしていたHさんがやっている店がある。開店準備をしていたHさんに猫が永眠したことを伝える。先月のお守りで、猫の痩せ細った姿は見ていたので、そうだよな、あれじゃあと声をかけられる。お守り役としてHさんは3代目くらいなのだけど、これまでお世話になったことを感謝して頭を下げる。猫の死を目の当たりにしても涙は出なかったのだけど、なぜか、そのことを人に伝えようとすると感情が込み上げてくる。ドンキに収穫はなかったけれど、Hさんに伝えることが出来たので、出かけた甲斐はあった。当たり前だけど、部屋に戻っても猫は横たわったままだ。悪いけど、お尻は改めてシャワーで洗ってやる。乾かさねばならないが、部屋にはドライヤーがない。そこで、階下のおばあに連絡を取って借りに行き、ついでに、おばあにも猫の死を伝える。このおばあも猫を2匹世話しているのだけど、自分の猫への入れ込みぶりは、よく知っているので、ペットロスを大いに心配される。しかし、ここで、おばあに見せるために猫の遺体を下に持って行ったのが失敗だった。その最中に露骨にノミが飛び移るのが見えたのだ。払ったけれども食らってしまったっぽい。遺体にまでノミは食らいついてくるのか。例年、この時期はノミ取りの薬をつけていて、今回はその前にと思いきや・・・結局、火葬は14時からということした。濡れた猫のお尻をドライヤーで乾かして改めて整えた。落ち込んではいるのだけど、食欲が皆無というわけではなく、最早、動かなくなった猫の側で、昨日焼いた鯖の残りで昼飯を済ませる。ホント、バカだよな。部屋の隅にあったキャットタワーは、先のおばあにもらったのだが、もう使わないなら返してくれと言われ、これも片付けを始める。加えて、このところは、最早、使われることのなかったおもちゃのようなものや、爪研ぎも等も。さすがに押入の中の猫のベッドだけは、そのままにしたが。でも、それもいずれは捨てるだろうな。何せ、この1ヶ月くらいでベッドやらクッションやらは、猫の漏らした便で、みな汚れていたから。昼頃になって雨が降り始めた。やっぱり、うちの猫は雨猫だったのだ。朝や夕方に外に出すと、直後によく雨が降ってきたものだった。猫を横たわらせたキャリーケースを閉じ、ビニール袋をかけて、さて、葬儀場に向かうとする。結局、寝たのは1時間弱くらいなので遺体は充分に眺め尽くしたし。部屋は大きなホテルの向かいにあるのでタクシーは拾いやすい。900円ほどで壺川の葬儀場に着いた。ワンニャン・メモリアルは、葬儀場でもあり、供養の場等も一通り備えた施設だ。事前相談で、個別火葬に加え、遺骨のパウダー化、粉にした骨は、骨壷ではなくケースに入れてもらう。これは持ち帰って自分で墓に埋めるつもりだから。一方で仏壇にも供えられるよう、人形のようなミニ分骨入れも。それら締めて35,200円也、支払いは現金のみ。高いのかどうかわからないけれど、もう猫にかかる出費というのもこれが最後だから(更に墓石を買う費用もかかることに後で気づいたけど)。まずは小さなセレモニールームでお別れの儀式。猫はお花に包まれて横たわっていた。一緒に焼くものとして首輪と毛取りブラシだけ、本当はこういう時に食べ物も添えた方が良かったわけだけど、そこは思い浮かばなかった。生憎、ブラシは焼けないとのことで引き取る。ちょっと寂しいお供えだったかな。一応、読経が流され焼香をする。僕一人だけというのも寂しくて、階下のおばあにも来てもらえばよかったかな。儀式の始まる前に5分程のお別れタイムだが、もう今日は既にずっと一緒に過ごしていたからね、未練はなかった。とはいえ、いざ火葬ということで、その場を離れる際には、やはり、名残惜しい気持ちが込み上げたけど・・・火葬が済むのは2時間後ということで、一旦、部屋に戻るとする、帰りはゆいレールで。雨が強くなって、しかも、気温も下がって、この上なく冷たい雨に思えた。1時間程度しか寝てないはずだから眠気はあるのだけど、部屋で横たわっても目が冴えて眠れない。飯は食えても、さすがにここらはメンタル面にきていたようだ。そして、再び葬儀場へ、おろした現金も携えて。いきなり粉になって出てきたら何だなと思いきや、しっかり、遺骨を拾うという過程もあるのだった。そう、猫はもう骨になっていた。これを見た時は、やはり衝撃だった。箸で骨を拾って壺に納めていく、勿論、僕一人だけでだ。細かい骨も刷毛で集めて全てを納めた。そして、粉にしてもらう間に支払いを済ませる。このメモリアルは、出入りが自由で、好きな時にいつでもお参りが出来るという。毎週、奥武山公園に運動に来るから、その際に寄ってみるといいかなと思った。尤も、遺骨は持ち帰るわけだから、この場に残るのは塔婆だけなのだけど。粉になった猫を部屋に持ち帰った。もう、部屋は猫のいた痕跡がわからないくらいに片付けてしまっていた。それでも、猫は押入か何処かから出て来そうな気がした。正直、化けてでもいいから出てきて欲しいと思った。猫の遺骨を側に置いて、テレビで「世界ネコ歩き」の録画をひたすら見ていた。これも喪に服していることになるのかなと。遺骨はGWに埼玉の家に持ち帰って、庭の松の木の根元に埋めて墓を作ろうと思う。若かった頃の猫は、毎日その松の木を登って、二階のベランダに来て、家に入れてくれとにゃあにゃあ鳴いていたのだった。それが猫とのつきあいの始まりだった。猫は最後までいい子だったと思う。なぜなら、死んでしまうタイミングまで、自分のことを考えてくれたかのようで。金曜の未明に息を引き取ったから、夜が明けるまでの間に時間が取れたし、金曜のうちに一通りのことを終えることが出来た。そして、土日が挟まるので気持ちの整理も、ある程度つくだろう。月曜に出勤するかどうかはわからないが不可能ではないだろう。気持ち的に、出勤してしまっていいのかというのはあるけれど。猫は腸年齢で15歳とのことだった。これは人間で言えば76歳になるという。奇しくも、自分の父が死んだのも76歳。そもそも、この猫は父が面倒を見ていたのを自分が引き継いだ形だった。父も胃癌で苦しんで死んでいった。そして、猫も。何という因縁だろうか。終わってしまった、何もかも。早めに床に就くが、いつもなら寝床に寄ってくる猫は、もういない。そして、どういうわけか、昨日、猫が息を引き取ったのと、ほぼ同じ時間、3時半頃に目が覚めて、そのまま翌朝まで起きていた。さようなら、自分は起きているけれど、キロちゃん(猫の名前)はもうゆっくりお休み。
2023年04月07日
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“今日はなぜか「世界ネコあるき」の放送がないんだねえ”などと猫に話しかける。“猫と一緒に見てる”なぞと言いつつも、実のところ猫が本当にテレビを見ているわけではないのだけど、毎週木曜の習慣なのだった。すっかり弱ってしまった猫だが、外の空気は吸いたがり、朝は外に出たいと自分から玄関前に進んでいく。オムツを外してお尻を拭いてやり、もうリードはつけずに外に出す。最早逃げ出す体力なんて残っていないからだ。抱き抱えて屋上まで運んで、眺めが良くて風の吹いてくる場所に下ろす。しかし、今日はさすがにぐったりしているのが気になる。痩せ細った猫は、まさに末期癌患者そのもので、天気はいいけれど朝から悲しくなってくる。ひょっとして、今日なのかも?という予感は、この時にあった。仕事の時間なので抱き抱えて部屋に戻り、可哀想だけれど、お尻の毛を少しカット。オムツの中で垂れ流し状態の便がこびりついていて臭うのだ。お尻を拭かれるのは、とても嫌がるのだけど、最早、抵抗する力はない。更に、餌を食べなくなってしまった最終手段として、ペースト状のフードを注射器に入れて口をこじ開けて流し込む。これをやり始めて3日目で、これでもう少し生きてくれるのではないかという期待を込めて。水については自分から飲みに行く。少しためらった様子から徐に舌をつけてピチャピチャと飲み始める、一所懸命に生きようとしているかのように。仕事を始めると、猫は部屋の隅のキャットタワーの下の穴に入って休む。気になるのは、このところ、横になって眠る様子が無く、香箱座りの状態で、常に目は開いているのだ。そして、時々、居眠りのように頭が下がってくる。下に鼻がついてしまうような感じで、そのまま力尽きてしまうのではと気になってしまう。とはいえ、仕事の間は絶えず見ているわけにもいかず、時々チラチラと見遣るくらい。今日は特に気になって、時々、仕事の手は止めたが。まだ歩けることは歩けて、今日は結構よく動く。オムツのせいで歩きにくいのもあるけど、明らかにヨタヨタと、這うように、やっと歩いている感じだ。穴から這い出して、押し入れの中のベッドで寝ようとするも、わずか30cmの段差を登れないので、慌てて介助をしてやる。以前は1m超は余裕でジャンプしていたのに。今日も約1mの高さにあるキャリーケースを目指して飛ぼうとしているのが目についた。ちょうど電話中で動けず、やめてやめてと手を振るが、さすがに諦めたよう。数日前にも飛ぼうとしてこけていたのだ。そして、よれよれ歩いて、風呂場に行くのが見えた。夏場の暑い時に、涼を取るためにトイレの側のタイルの上で寝ることがある。しかし、今日はさほど暑いわけでもないのにと訝しく思うが、これも実は“予兆”であったのだ。ようやく仕事が終わって、軽い外出の後、再び猫の散歩だ。一旦、オムツをはずし屋上、戻って、再び、強制給餌、そして水も数滴。日中は結構動いていたけど、明らかに元気がなくなっている。本当は猫に食べさせようと思って、今週の夕食は毎日、焼魚だ。鯖を焼いたけど、勿論、食べるどころか反応すらない、以前なら大騒ぎだったのに。そんな猫を横目に、自分がバクバク食べて、ビールも飲んだ。我ながらバカみたいだと思いながら。しかし、この数日にも増して元気がない気がする。まさか、まさかなの?不埒にも、今日は映画観に行こうかとか考えていたのだけど、さすがにやめた。ひょっとしてが現実のことになりそうで、目を離すわけにはいくまいと。そして、早めの就寝。猫は、弱ってよれよれしていても、いつも僕が横になると側にやってくる。昨日もそうだった。今日は、もう不安だから、当初、押入の中のベッドを側に出して寝床の側に置いたが、もう自分が寝ている側まで引き寄せて、その状態で電気を点けたまま寝ることにした。毛布やタオルケットはあらかたウンチで汚されてしまったので、布団代わりの寝袋をかけて。それも、あちこちウンチの跡があって臭うのだけど・・・横にはなっているけれど不安なので、電気を点けたまま眠らずにいた。でも、時々、動いたりしているし、今日はまだ大丈夫かなと思えて2時半頃に電気を消すことにした。猫は暗い方が好きだし。そして、自分も、しばしの眠りに・・・3時ちょいか、猫がモゾモゾ動いているので何事かと電気を点けた。あれは、トイレに行こうとしていた?それとも、何か知らせようとしていたのか。正直、ここの記憶が曖昧だ、鳴き声をあげたような気もした。しかし、ハッキリわかったのは、これが、いよいよ最期の時のようだということ。猫がぐったりした、アッと声を上げる間も無く、ブーという音と共に、オムツの中にいっぱいのウンチを漏らした。そして、数秒後に手足がにゅっと伸びた。紛う方なき死の瞬間、自分が生命の果てるのを目の当たりにしたのは、父親の時以来だ。心臓の鼓動とか呼吸がどうこうとか確認するまでもない、明らかな死亡だった。猫が自分に向かってニャンと鳴き、これまでの別れを告げ、こちらも・・・なんて、想像していたような感動的な別れではなかった。とにかく、オムツからはみ出してきている便を拭かないと。古タオルの上にのせてお尻を拭く、死後硬直が始まる前に整えてやらなければいけないはずだ。目は開いたままだが閉められない。口からも少し牙がのぞいている。それでも、毛並は相変わらずふさふさしていて、死んでしまった顔ですら充分かわいい。呆気なく猫は死んでしまった、死亡時間は3時24分というところか。15年生きて、12年余つきあった猫は、ここに永眠したのだった。医者に連れて行ったり飛行機に乗せる時に猫を入れていたキャリーケースに毛布を敷いて、そこに横たわらせた、手足は硬直する前に折りたたんで。突然のことだったので涙が出るわけでもなく、ただただ呆気に取られていた。思ったのは、まだ沖縄は本格的な暑さではないけれど、腐乱したりという恐れもあるので、火葬は早めにした方がいいのではということだ。実を言うと、愛猫といえど、僕は死骸が苦手なのだ。人間でも、亡くなって棺桶に入った人を見たり触ったりというのは、促されても遠慮することが多い。無情なようだけど、ウンチを漏らしたから些か臭うこともあり、このまま遺体を今晩も部屋に置いておいてもと思ったのだ。いつも奥武山公園に運動に行く際に、近くにペットの葬儀場があることを認識はしていた。そこは24時間連絡OKとのこと。とはいえ、まだ明け方なので連絡は少し後に。ようやく朝日が差してきたので、毛布に包んだ猫を屋上に連れて行く。今朝の時点で多少の予感があったとはいえ、本当にこんな事になるとは。長きに亘って、とりわけ沖縄に来てからの自分にとって心の支えであった猫が、あっさり逝ってしまった。この日が来ることはわかってはいたけれど、俄には信じ難いことだった。全てが終わってしまった、この世の終わりだと、ツイッターでつぶやいた・・・その2に続く
2023年04月06日
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猫が餌を食べてくれない。カリカリはもう全く食べなくなった。焼きガツオやちゃおちゅーるといった、おやつで与えていたものは食べるけど、焼きガツオも全部は食べきれず、残したものには、もう口をつけない。食べない代わりに水はいっぱい飲む。猫は水明けでも1週間くらい生きていけるそうだけど、この調子では遠からずのうちに死んでしまうのではないか。先週末に医者に連れいていくべきであった。慌てて、職場に遅刻の旨申し入れて、朝いちの通院。薬を点滴してもらうのだけど、今後の治療について話し合う。どうしても餌を食べない場合は、鼻から管を通して強制的に餌を入れる方法もあると。いやあ、そんな延命措置は取りたくないな。今はもう薬を飲ませるだけでも気が引けるくらいだから。何せ、既に骨皮筋猫状態。ぷにぷにしていたお腹には、もう肉がない。触っても骨の感覚があるだけだ。こんなになってしまうとは、体重は2kgを切った。この調子では今月中さえ持たないかも知れない。もらった缶のウエットフードをやると、最初は結構食べた。しかし、次の日は食べない。では、ちゅーると同じメーカーのウエットをあげると、これも最初は食べたけど、すぐに食べなくなる。自分の夕食用にスーパーで鯵の寿司を買ってきて、そのうちの鯵の具を1枚まるまるあげた。さすがにこれには反応して、細かく割いてあげたら全て平らげた。何とか食べたので、今日は生き延びられるのかなと。最早、日々、減ってないの餌の皿を見ては落ち込むばかり。思えば、この2週間くらいで急速に元気がなくなった。最早、ジャンプ力もないようで、以前は風呂の窓からよく外を眺めていたけど、今はバスタブの上でうずくまっているだけだ。先々週のナイチ帰宅に加え、先週のコザ泊まりがいけなかったか。ロスのストレスのせいもあるのかも知れないと、激しく後悔に襲われる。もう、ナイチ帰宅での不在はおろか、外泊は出来ない。あまり、長い時間部屋にいないことも避けないといけないだろう。ことによると、目を離した間に・・・なんてことになりかねない。果たして、猫は来月持つのだろうか、いや今の状況では今月さえ。せめても、食欲を掻き立てられるように来週こそは、毎日魚を焼こうと思う。それにマグロの刺身も。考えてみれば、今まで我ながらせこかった。もっと、好きな魚をいっぱい食べさせてあげるべきだった。無理なことはしたくはないが、何とか、もう少し。今、別れるのはあまりに辛すぎるからだ・・・
2023年03月27日
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猫の抗がん剤投与開始から1ヶ月。症状の改善を期待したけれど、下痢の方は一向に治まる様子がない。先週の診療でエコー検査をしたところ、腫瘍が縮小しているとかいうこともなく、既に転移は拡がっているようで、そちらも治まる気配はない。血液検査の数値はさほど悪くはなく、副作用が強く出て免疫力への影響は大きくはないようだけど、正直、投薬を始める前に比べて、明らかに猫は元気が無くなっている気がする。前は階段も駆け登っていて、案外、元気あるじゃないかと思わせることが多かったけど、今は一段一段やっと登っている感じだ。以前よりも寝ている時間も多くなった。これは、副作用なのか、病気が進んでいるせいなのか、或いは、年のせいなのか、それは判別がつきにくいけれども。人間のように外科手術で腫瘍を取り除くってことは出来ないものか。先週の診療では転移があるからと否定されたので、ここは無駄かも知れないけれど、セカンドオピニオンを求めてみたい。ということで、昨年、CTスキャンを行った、設備は非常に完備された浦添の病院の診療予約を取って、今日はタクシーで向かう。勿論、籠に入れた猫を連れて。今、通院している医者の診療に対して不満があるということではないけれど、せめてもの可能性を探りたいというところだ。リンパ腫で抗がん剤治療をしていることを話し、現在、投薬している薬の資料等も見せる。やせ細った猫は、体重はかつての半分くらいで2キロちょっとしかない。外科手術に関しては即座に否定された、死んでしまうと。抗がん剤の投与で、症状が劇的に改善されるのではとは、誰もが期待する点。しかし、これは人間でもそうだけど、抗がん剤は、あくまでも現在の状況をキープするためのものなのだと。病気は進んでいくが、その進行を少しでも抑えるものでしかない。結局、猫の下痢は治らないし、人間と同様に、調子のいい日もあれば、そうでない日もある。そうこうするうちに、それでも病気は確実に進行していくのだ。結局、病院では、抗生剤、消炎剤、整腸剤、それに生理食塩水を点滴してもらって、今回は保険を適用せずに支払って、再びタクシーで帰宅した。すると、この2日、ろくに餌も食べてなかった猫は、俄に元気を取り戻し、ご馳走をねだる始末だ。焼きガツオをあげたらきれいに平らげた。ひと安心はしたけれど、やっぱり、猫の病気が治る見込みはないことが、改めてハッキリして、気分はとめどなく落ち込んできた。医者に余命を尋ねたところ、“2、3ヶ月”の返答。まあ、昨年12月に、既に、余命3〜4ヶ月と言われて、それから3ヶ月経過しているわけだから、がんばっている方なのかも知れないけれど。でも、いずれにしろ、猫の命が長くはないことは、悲しいけれども間違いないようだ。来週末に、通院している医者で、再び血液検査やエコーを行う。結果、改善が見られないなら、ひとまず抗がん剤を止めることを考えている。その結果、投与前の元気が少し戻るならとの希望的観測を込めて。GWは猫も連れてのやや長めの帰宅を見込んで飛行機を押さえてあるが、現状では、弱っている猫を飛行機に乗せるのは難しいだろう。抗がん剤ストップで、元気が戻ったら、ひょっとして・・・ダメなら、旅程を変更して、自分だけ数日の帰宅をしてすぐ戻ることになるだろう。となると、年末年始を過ごしたのが、猫にとっては故郷である埼玉の家で過ごした最後ということになる・・・もう、残された日々を大事に一緒に過ごしていくしかないということなのだろう。何度目かの覚悟を決めた形だけど、やっぱり、猫がいなくなった後の自分の生活がどうなるかは考えが及ばない。そも、猫の病状が本格的に悪化した場合、仕事やらはどうするか、判断がつきかねる。いよいよ、今年は生活の分岐点が訪れそうだ。ちょうど、沖縄に移り住んで10年目の年に・・・
2023年03月12日
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いよいよだ。今週は猫に薬をやってなかった。下痢止め、整腸剤、消炎剤、抗生剤の4種を毎日投与してきたけど、嫌がるのを無理やり口に放り込むのもかわいそうで、どうせ次の薬がもうすぐ来るので、薬は切れたけど休んでいいかと。しかし、効いてないようでそうでもないようで、4日間薬を全く飲ませなかったら、やっぱり具合が悪くなってしまった。下痢の頻度は増し、嘔吐、そして、血便、何より食欲が無くなってしまった。こりゃアカンと後悔し、無理言って仕事を遅刻して朝いち新都心の医者へ、点滴をやってもらうために。すると、待っていた抗がん剤が、ようやく到着していた。投与を開始となると、その前に血液検査等を今日行うかと言われたけれど、その日はすぐに仕事に戻らねばならない。なので、下痢止めや吐き止め、抗生剤等を点滴してもらって、一旦戻ることに。で、日曜に再度猫を連れて行って、血液検査やエコーをやって、抗がん剤に耐え得るかを診断してもらう。問題なければ、その日から抗がん剤の投与開始だ。というわけで今日、血液検査とエコーの結果は、まあ問題なしと診断された。輸入ものの抗がん剤は、三重のビニール袋に入れられ、素手では触らぬ要にと手袋を支給された。すごく小さな錠剤だが、1日おきに投与する。副作用が全くないわけではなく、毛が抜けたりはしないけれど、免疫力の低下や吐き気はあるかも知れないとのこと。前にも書いたけれど、当初は抗がん剤治療には懐疑的だった。でも、今の猫の状況からすると、次の一手が必要なのは明らかで、もう一歩踏み出すしかないと判断した。そこそこ食欲はあって元気もあるけれど、とにかく、暇さえあればトイレに行って、ブシュっ。汚い話で申し訳ないけれど、数ヶ月、ほぼ固形の便は見ていない。水状で臭いもキツイやつを、ほぼ3時間おきくらいにする。砂がやたら散るし、こちらもしょっちゅうトイレ掃除をしなければならない。掃除をすると、待ち構えていたかのように、またトイレに来るので、少し掃除の間を空けたり。夜中の排便も常態化していて、音で目が覚めるのですかさず捕まえて尻を拭く。かわいそうだけど、便をたらされたり、毛布やクッションにつけられるとたまらんからだ。この数ヶ月で見るからに痩せてきていて、かつては4kg近くあった体重は、今や2.5kgくらい。昨年12月の時点で、余命3〜4ヶ月と言われたけれど、少しずつ死に近づいているような気配も感じる。でも、何とかこれを止めたい。ひょっとしたら、抗がん剤が効いて寛解、もう数年生き永らえるのではないか。その希望をかけて、嫌な投薬を我慢してもらわないと。費用的には、初回は保険適用で1万円弱。海外の薬は保険対象外らしいから、薬をもらうだけの時は保険は使わないようにして、状況をチェックするのに検査をする時だけ適用するようにするか。でないと、保険を使い切ってしまいかねない。この先、どのくらいかかるかわからないけれど、まだ先は長そうだから。いや、長くなってくれればいいのだけど。部屋に戻って、ちゅーるに浸した小さな錠剤を猫の口に。初回は問題なく飲めたようだけど、確実に飲ませるためには、毎回ちゅーるが必要かも。特に副作用っぽい症状はなく、むしろ、いつもより元気な感じさえ。果たして、どうなるか、1ヶ月くらいは様子を見るようだろう。良くなりますように、何でもモリモリ食べられるように、いつも元気でいられますように。
2023年02月12日
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朝からお線香の香りがする。時々あるのだけど、お隣が焚いてるようだ。そういえば、お隣が飼っていた猫が死んで、そろそろ1年だ。命日、今日だったのかな?僕も覚えていたけど、明日だと思っていた。1年前の日記にも書いているけど、死の報告を受けたのは21日だったので。お隣さん、半野良の猫は放置している印象だったけど、さすがに10年余つきあっていたから、実は僕が考える以上に思い入れがあったようだ。先日、新年の挨拶に伺った際、彼の部屋の入口には、猫の写真が飾られ、ちょっとした、とーとーめ状態。そこで、線香焚いて、りんを鳴らしていたのだ。前にも書いたけど、彼がそこまで猫のことを思っていたとは意外だった。死んでしばらくは、ちょっとペットロスの傾向さえ見られたし。その猫は、部屋の入り口のところに寝床やトイレが設られていたけど、今は、ようやく片付けられて何も無くなっている。尤も、その寝床もトイレも僕が提供したものだったのだけどね。うちの猫の天敵ではあったけど憎めないやつだった。僕自身も、今の部屋に住み始めて9年余、その猫を見続けてきたので、死んだ後は、ちょっとした喪失感があった。でも、今は何より自分の猫だ。うちの猫は、あいつと違ってもっと大事にしてるから、もっともっと長生きするはずだと思っていたのに・・・この数日、うちの猫も調子が良くない。今は輸入物の抗がん剤の到着を待っているところだ。毎日、嫌がる中でも数種の薬を飲ませてはいるけれど、下痢は一向に治らない。しょっちゅうトイレに行く様子が不憫だ。ひょっとしたら。病気は隣のあいつに伝染されたのではと思はなくもないけど、よくわからない。ともあれ、隣の部屋の彼も、なかなかいじらしいというか、気持ちはよくわかる。僕自身は、もしも自分の猫がという事になったらペットロスどころでは済まないだろうけど、とにかく、今日は隣のあいつを悼んでやるとしよう。やつの寝床のところで僕もお線香を焚いた。お前の分まで、うちの猫を長生きさせてやってくれよな。
2023年01月19日
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年が改まっても気分一新とか、何か年始に期するとか、そういうことが全然ない人間だ。新年の抱負なんてものは、ほとんど掲げたことがない。でも、今年は、新年早々、最大の決断を下した。猫の抗がん剤治療を行うことにしたのだ。当初はネガティヴだった。抗がん剤治療というのは、副作用に堪えながらの無理な延命のように思えて。しかし、医師の説明を受けて、少し抵抗が和らいだ。何よりも猫の症状だ。ナイチ帰宅で飛行機に乗せて、家に着いたところ、まずまず元気で安定はしていた。しかし、正月三日になって嘔吐、血便が。免疫力の低下によるのか、時々、症状が悪化する。今朝もまた吐いてしまった。下痢の方は相変わらず、しょっちゅうトイレに行くような状態だ。無理な延命は望まないけれど、とにかく、この症状を少しでも改善、和らげてあげられればという一心だ。午後に動物病院に行き、先生に治療を行う意志を伝えた。経口の抗がん剤は海外からの取り寄せになるので到着は数週間先となる。薬が届いたら血液検査等を行なった上で投与を開始する。今月下旬から来月が目処だろうか。とりあえずは現状飲ませている薬を二週間分もらってきた。保険は昨年末に更新されたけど、この先、どうなるかわからないので薬代には保険は適用しなかった。もっと、高価な医療費になった時に適用する分を残しておかないと。“闘病”なんてのはピンとこないけど、果たして猫が、より快適な日々を送れるようになるかどうかだ。現実問題、先は長くないということは承知だけど、せめて苦痛なく気持ちのいい生活ができるように。こちらも覚悟は決めた、この心境が猫にも伝わればいいのだけど。
2023年01月07日
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クリスマスイヴで、夜はらしく楽しみたいところだけど、まずは猫を医者に連れて行かねば。年末年始用の薬ももらってくるようだし、一応、診察をということで、久々に猫をカゴに入れて自転車で坂を登ってペットクリニックへ。抗がん剤を使った治療については、院長先生の息子らしい先生から説明を受ける。毎週猫を連れてきて点滴のようなので薬を注入する人間の抗がん剤のようなのと、経口で与えるのと二通りあるという。前者は副作用等もありそうだが、曲がりなりにも、そこそこ元気なうちの猫については、後者の、比較的副作用も少なそうな治療を薦められる。いちいち病院に連れてくるストレスもないし、費用も抑えられるし。当初は抗がん剤での延命を行う気はなかった。しかし、この数日は、寒いせいもあってか、猫の調子があまり良くない。薬を飲ませても一向に治らない下痢、何とか少しでも症状が緩和できないかということは、考えざるを得ない。今の薬で効果が無いなら、経口の抗がん剤治療も考慮の余地があるのではと思えてきた。無理な延命ということではなく、猫が少しでも心地よく日々を送れるようにするために。今日は点滴してもらって10日分の薬をもらい、そこそこの医療費だったので保険適用。多分、これが最後の1回だろう。そして、明日には保険が更新される。仮に抗がん剤治療をするにしても、年明け、猫の状態の様子を身がてらになる。まずは、来週金曜日に飛行機に乗せるまで、調子良くいけるかどうかだ。グルーヴでのローリー・ロール・バンドのクリスマス・ライヴ、友人から誘われた、しこたま食べられるクリスマス・パーティ、いずれもスルーして、調子いま一つの猫に寄り添って部屋にとどまることにした。ミニマムなクリスマスイヴはいつものことだから気にならない。こういう日は、これからも増えるだろう。でも何より、猫の生活が第一だからね。来年は、何かと節目の年になりそうだ。
2022年12月24日
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正直、予想はしていたが、事実を目の当たりにすると、やはり、衝撃だった。このところ猫に毎日与えている下痢止め等の薬が切れたので、猫は連れずに薬だけもらいに、いつものペットクリニックへ。先月末の内視鏡検査の結果は、もう少し先に出るはずだったから。ところが検査結果が既に出ていて、院長先生から話があるという。なので、指定時間に自転車で坂を登って赴く。CTスキャンを行った時点で、猫の小腸と大腸の間に何か腫瘍のようなものがある可能性は指摘されていた。それが原因で、食べ物の消化がうまく出来ず、未消化の下痢便になってしまうという診断だった。で、内視鏡検査の結果は、リンパ腫という診断。つまり、癌、だ。何が原因かはわからない。猫エイズとか、そういった病気への感染もあったのかどうか。この10年余り、室内飼いで大事にしてきたつもりだったのに、癌になってしまうなんて。そして、余命宣告をされた。治療しなければ、3〜4ヶ月、抗がん剤治療をやって1年と。抗がん剤やっても1年?それじゃあ・・・このことろの猫、下痢は常態化しているけれど、割と元気だ。もう14歳くらいらしいから、以前のように飛んだり跳ねたりではないにしても、窓のところに飛び移ったり、朝晩の屋上散歩も積極的に行きたがる。食欲も旺盛で、いつものカリカリ(かなり高価な療養食に切り替えている)に加え、ノンオイルのツナとか焼きがつおとか、そういったものは喜んで食べる。だから、正直ピンとは来ないのだけど・・・次第に弱って食欲も元気も無くなって伏せっていくようになるのか。実際、下痢が続いてるので痩せては来ている。ひどい時には一日複数回のトイレ往復で水状の便を繰り返し嘔吐も複数回。でも、このところは比較的落ち着いていて、1日2回くらいのトイレ往復で済んでいる。だから、年末も予定通り、飛行機に乗せてナイチ帰宅のつもりだけれども。宣告を受けてから、しばらく経って、目の前の現実に悄然としてきた。院長先生には抗がん剤治療を勧められ、息子さんが詳しいようで、出張中の、その先生の帰還を待って詳しい説明があるという。でも、前にも書いた通り、抗がん剤治療をやるつもりはない。曲がりなりにも元気な猫が、抗がん剤の副作用で元気や食欲を失って弱っていく様は見たくない。例え、余命3〜4ヶ月でも苦しめるようなことはなく、自然に任せるしかないのではないか。緩和ケア的な治療は受けさせるとしても。今、投薬している程度の下痢止めや消炎剤等で。自分の身の回りの出来事以上に、迷い悩ましい事態だ。一体、どうしたらいいのか。何より、この10年余り生活を共にしてきた存在がいなくなった時、どうなるのか、どうすればいいのか。ぼんやりと、猫と親がいなくなれば自分は天涯孤独だからと、その後のことを考えないでもなかったけれど、それは数年後の話のつもりだった。こんなに早く、その時が訪れてしまうなんて全く想定していなかった。かつて、ナイチ帰宅の不在時に猫の世話を頼んでいた猫友がたまたま近所に来ていた。早速、会って意見を聞く。そうしないといられなかったのだ。猫飼育経験の豊富な彼女も、癌を患った猫の世話をしたことはないそうだが、やはり、抗がん剤治療には懐疑的、否定的だった。大体、自分が癌にかかったとしても抗がん剤治療なぞする気は毛頭ないのだから。人に話すことで、目の前の否定し難い事実に対して少し冷静に向き合い、心が落ち着いた感じはした。けれども、悩みは尽きない。果たして、猫の状況がますます悪化した時に、どういう心境になるか。とにかく、今は残された猫との時間を大事に過ごすよりない。しかし、こんな時に仕事が出勤が続くのが何とも痛い。年末年始は、猫と過ごせる最後の正月を迎えるのだろうか。その先のことは一体?自らの病気を知ってか知らずか、猫は健気に時を過ごしている。この世はつくづく無情だな、憂いの日々は続く・・・
2022年12月05日
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先週金曜日、ナイチ帰宅で埼玉の家にいた時に、どういうわけか見逃してしまったNHK「ドキュメント72時間」。お題は“福井 “ねこ寺”に招かれて”だもんなあ。遅れて録画視聴。福井県越前市って全然わからないけど、その名も御誕生寺という寺は、先代の住職が猫好きで、保護猫を引き取るうちに“ねこ寺”と化したそうな。寺の前の大きな仏像にも猫がいるくらい。その猫を目当てに多くの人がやってくる。16匹の猫の中にはアイドル猫もいれば元ボス猫やはぐれ猫もいる。毎日通う常連さんたちは、そんな猫たちの人間ならぬ猫模様も見ていて・・・訪れる人の中には、何か心の問題を抱えた人というのも多いよう。パワハラや過労で休職をした人、鬱を覚えた人、飼い猫を失った人・・・それぞれが、この寺を訪れて思い思いに過ごす猫たちに触れて、まさに心が癒されている。本当に、猫ほど人の心を癒す動物はいないのではないか。そんな猫たちの中にも、人間社会にいた関係がある。権力争いがあったり人気のあるなしもあり、また群れから離れて暮らす猫も。そんな猫たちの、それぞれの個性に自らを投影して見つめる人々。自由気ままそうに見える猫たちも、実は集団生活は楽ではないのかもと。飼い猫といえば、何度か書いているけれども、うちの猫は相変わらず下痢が続いている。金曜日には内視鏡検査を受ける予定で、昼休憩に中抜けして猫を病院に預け、仕事が終わった18時過ぎに迎えに行く。よりによってこんな時に、在宅勤務が終了して?出勤になることになったが、その都合があるので、僕は来週からということになった。しかし、金曜はまたぞろ雨予報で・・・僕自身も猫は癒しというか、生活に欠かせない存在になって久しい。この猫がいなくなったら自分は廃人同然だろう。とりあえず、金曜の検査が不安、問題はその結果が出たところで、どういう治療が有効なのかだ。果たして、年末年始、飛行機に乗せて一緒に帰ることが出来るだろうか。症状が悪化しないことを祈るのみだ。
2022年11月22日
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明日からはナイチ帰宅だ。本当は9月にも帰る予定だったけれど、あちらの気候が悪そうなのと、猫の調子があまりに悪かったのと、そもそもの目的が果たせないことでキャンセルしてしまった。だから、帰るのは4ヶ月ぶり、家をこれだけ放ったらかしにしたのも久々だ。雑草は枯れるシーズンとはいえ、庭はどうなっていることか。だから、今回は行かねばならない。問題は猫だ。戻ってから数日後には、今度は内視鏡検査が控えているが、とりあえず下痢止め等の薬をもらって様子見の状況。でも、先週土曜のCTスキャンの後は、割と落ち着いているのだ(以下、ご不浄ゴメン)。うんちは軟便ではあるけれど、先週までのように水便がじゅるじゅるという程ではない。前は、トイレに行き始めると、5回も6回も往復して尻に便をつけたまま歩いていたりしたけど、この数日はそこまでいかない。2、3回はトイレに行くけど、それでひとまず落ち着く。餌を食べ始めれば排泄は完了のサインだ。元気はあるような、ないような。それでも、朝晩の屋上散歩には積極的に行こうとするし、時々ジャンプもする。嘔吐が無いのが何よりだ。何となく、今日はやけに甘えてくるような気がする。カバンとか出しているから、明日からの不在を察しているのかも知れない。今回も3日間の滞在で、日曜の夜には戻ってくる。部屋に一匹で置くのも、コザ泊まり以来1ヶ月ぶりだ。あの時は、戻った後が最悪だったけど・・・夜になって、再びトイレ往復が始まる。やはり、不安定な状況ではある。不在時は勿論、薬も飲ませられないわけだから、どうなることか。でも、とりあえず、この状況なら今回は行くことができそうだ。可哀想だけれども仕方がない。親の顔は半年見てないしね。家の郵便物なんかも気になるところだ。年末年始の帰還に備えての冬支度も必要だ。ごめんね、我慢してにゃ。お正月は、無事、一緒にこたつに入れますように。
2022年11月17日
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とにかく、猫なのだ、このところ。とうとう土曜日にCTスキャンを受けた。浦添の病院、バスで行けないかなと思ったけれど、時間に間に合わせるには、やはり、タクシー。よりによって、こんな時に、今日仕事を始めたばかりという新米ドライヴァーにあたって、道がわからないという。それじゃ、タクシー乗る意味ないだろ!それでもどうにか浦添の病院には1,400円ほどで時間通りに着いた。待つことしばし。スキャンの前に全身麻酔を受けるのだけど、そのリスクについて説明を受ける。体力が無ければ、麻酔から目覚めない可能性もあると。なので、念の為、最初に血液検査。ホント、うちの猫、最近、注射針刺されてばっかりだね。結果、元気はありそうだということで麻酔使用、そして、いよいよスキャンだけど、こちらはひたすら控え室で待つ、30分余。で、スキャンの結果を脳から説明受ける。肝心の腸の部分なのだけど、胃と大腸までは問題なく、食べたものは通るけど、問題は、大腸から小腸に至るところで炎症が起きていて、そこでうまく食べ物を消化出来ていないと。では、どこを治療すればいいかというと、結局、スキャンでもハッキリしないという結論。腫瘍でもあるのかどうか。そこをハッキリさせるには更なる検査が必要って、え〜・・・CTスキャンは保険適用でも7万円ちょいかかった。帰りは、少し雨が降っていたけど、バス停がすぐ側で時間も合うのでバス帰還。時間はかかったけど、とにかく、医療費嵩みまくっているからねえ、せめてでも。5分間の全身麻酔から覚めた猫は、まずまず元気。久しぶりにカリカリの餌を少しあげて、今日は投薬はなし。で、翌日、通っている医者に連絡して検査結果を持っていく。猫は連れて行かなくてもいいということなので、自分だけ自転車で行く。結局、スキャンでも問題箇所がハッキリしなかったので、更に、内視鏡検査をってな話になる。仮に、そこで腫瘍でも見つかれば抗がん剤治療?いやあ、そりゃあ勘弁だ。自分だって、癌になっても抗がん剤治療はやらないつもりだもん。あんなの苦しむだけで治りゃあしない。猫にそんな苦しみを与えるつもりはない。では、どうするか?まあ、とにかく内視鏡検査を受けることに。費用は、また、7〜8万円?マジか、そもそも、スキャンの前に内視鏡ではわからんですかね?って言ったのにさあ。もう、いよいよ蓄えを崩す段階になってきた。でも、仮に内視鏡で結果が分かったとしても、どう治療するかは、もう医者でも迷っているフシがあって、ことによると、更に別の病院での治療を考えないとならないかも。もう、とことん行くしかないか。とにかく、薬は1週間分もらって帰る。猫は、食欲は旺盛でカリカリ餌をバクバク食べてる。このカリカリも、高い療養食で、円安の影響で、前に買った時から1.5倍の価格になっていた。いやあ、もう底なしの治療費出費、保険も、あと1、2回で切れるだろうし。とにかく、年末年始は、また一緒にナイチ帰宅して家のこたつに入りたいものだが、その前に、今週末の自分のナイチ帰宅が今度こそ行けるかどうか。ひとまず、今週いっぱいは問題なく保ってほしいのだが・・・
2022年11月14日
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3週間ほど前に猫の状態悪化を書いたけれど、再びだ。一連の通院が一段落して、薬も切れて1週間経過。何せ、薬飲んで症状が改善しているわけではないから継続してもどうなのかなと思わざるを得なかった。ところが・・・猫の下痢は、最初はほぼ軟便。数分後に再度トイレに行くと、更に柔らかそうな便、数分後に行くといよいよ水便。辛そうなフヤンフヤンという鳴き声をあげる。しかし、次第に軟便どころか、ほぼほぼ水便ばかり出るようになってきた。下手すると5、6回トイレ往復を繰り返す。その度に、尻に弁がついているので、嫌がるけれども尻を拭く。垂らしたりクッションにつけたりするからね。今日はとりわけひどかった。もう明け方からトイレ往復を繰り返し、午前中までに10数回、おまけに嘔吐が3回も。これじゃ、このまま死んじゃうのではないかと思えたほど。当初、仕事が終わったら薬だけもらいに動物病院に行くつもりだったけど、慌てて、猫をかごに押し込んで、自転車に乗せて病院へ連れていった。この日は院長先生不在だったけど、息子らしい医師に点滴をやってもらう。薬そのものは錠剤で飲ませているのと同じなのだろうけど、やっぱり、点滴はダイレクトに入るので効き目がある。もう、保険の利用できる回数がマックスに近づいているので保険は使わないつもりでいたけど、8千円と来たら保険使わざるを得ず。あと、3回くらいじゃないかなあ・・・そして、とうとうCTスキャンをやることになった。通っている病院ではなく浦添の設備が揃った病院で。費用は10万円!?でも、レントゲンやエコーでは大体の悪い場所はわかるけど、どこがどう悪いかはわからないというのだ。CTスキャンの結果、膵炎であることがハッキリするのか、或いは腫瘍でも見つかるのか・・・あくまでも検査であって、結果が出たところで、では、どう治療するかということになる。それは、また今の病院でということになるのか。ま、とにかくやってみるしかない。点滴でとりあえず元気を取り戻した猫だが、餌はいつものカリカリをやると、また怖いので、療養食の缶詰を。これはあまり食べないんだよね。ガチマヤーではない、うちの猫はそれでもうるさく餌をせがんだりしない。それがまた不憫なんだよなあ。とにかく、何とか下痢を止められないものか。また、マグロの刺身とか海老の尻尾とか好きなものを色々食べさせてやりたい。蓄え崩してでもと腹をくくりつつある。まだ、たかだか14歳(多分)、20歳くらいまで元気で生きながらえてくれないものか。もう祈るような気持ちだ・・・
2022年11月08日
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BS「世界ネコ歩き」、新作なのかな、“大阪”篇だ。のっけに法善寺横丁、猫には居心地がよさそうな場所だな。人は多いだろうけど車通らないし、水飲み場も多いし、道は狭めで屋根があって細かい道もが主だし。飲食店が多いからネズミもいるだろう。そして、何より大阪の人情厚き世界故に。おじさん語りは四代目中村鴈治郎、四代目坂田藤十郎の息子で、母親はあの扇千景だね。そして、出ました、新世界。日中のあそこらは人が多くて、あまり猫を気にしたことがないけど、裏通りの朝晩には、やっぱり猫が。60年続くという中華料理店・香港、入ったことはないけど見覚えあるな、少し外れの方にある店かな。その店前に猫がたむろする。猫が暮らすには路地がいいね。大阪は猫に暮らしやすい場所が多そうだな。堺市のボクシングジムで暮らす猫は、リングロープで綱渡り。岸和田市のだんじり彫刻の工房で暮らす猫ともども、緊張感溢れる現場での、束の間の癒し的存在のようだ。富田林市といえばPL学園のイメージだけど、かなり古い木造建築が残る京都みたいな街並みが見られるんだな。これまた猫の住環境にピッタリだ。大阪東部の大東市、野崎観音は、歌舞伎の演目でも知られるお染め久松の舞台になったところ。かなり高所にあるので、静かでのどかな場所だ。鴈治郎は、お染も久松も両方演じたそうだ。お寺の灯籠の中で寝る猫、高さもあるし狭いし理想的な環境かな。最後は再び法善寺、あそこらは雨が降っても大丈夫。冬の寒さが凌げればね。やっぱり、大阪はいいね、猫にとっても。晩年は大阪のどこかで猫と一緒に住めたらななんて考えないでもないな。それまでに、クソの維新とかはどっかに行っちゃってくれればな。
2022年10月20日
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コザでそこそこ楽しんで帰って来た日曜日、心配していた猫の便は、さほどでもなかった。軟便っぽいけど1回だけで、トイレも部屋も荒れてはいなかった。念の為、新聞を敷いていったけど、退けられていたのは猫がやったのかね。だが、ほっとしたのも束の間・・・今のとこの餌は動物病院から支給された缶詰の療養食だけだ。チキン風味のペースト状のもの。最初はまあ食べていたのだけど、段々食べなくなってきた。先週、つい、弁当の食べ残しの焼き鯖の鰭の部分を残しておいたら、それを見つけて食らいついたくらいに食欲はあって腹は減っているみたいだ。でも、頑なに食べようとしない。そもそも、うちの猫って、お育ちが良い?のか、あまりがっついていないのだけど。しかし、問題は寝静まった後だった。夜中に砂をかく音で目が覚めた。そして、猫はしんどそうなフニャンという鳴き声をあげつつトイレへ。ここからが下痢便タイムの始まり。最初は軟便、やや固形だが、少し間を置いた後、二度三度とトイレ行きを繰り返し、次第に水便になっていく、尿のようなジョーという音。尻から少し垂らしながら歩き、眠い目をこすりつ捕まえて尻を拭く。おまけに吐いてしまった。久しく吐いてはいなかったのだけどな。この嵐は第一次なのであった。一旦、落ち着いて、猫も自分も寝床に戻った。ところが、明け方、再度猫はトイレに。再び、出たり入ったりを繰り返す。さすがに電灯をつけて確認すると、いよいよ便に血が混じっている感じだ。更に、二度目の嘔吐。これは、やばいぞ、ここまで酷いのは久しぶりだ。猫の次の通院は週末を考えていた。しかし、こりゃあ仕事が終わり次第連れて行くか。いや、夕方は雨が降る予報だし、これはもう朝いち連れて行かざるを得ないな。ということで、急遽、職場には私用のため遅刻を伝える。用が澄み次第の出勤ってことに。これまでは部屋から近い動物病院に通っていたけど、先月来の下痢は、そちらでは埒が明かないので、新都心のおもろ動物クリニックに行くようになった。ここは、加入しているペット保険と提携して腸内検査をしてくれたところで、セカンドオピニオンで訪れたことは以前にもあった。院長先生の娘さんらしき女医さんは、今回の下痢の診断で、ストレス性と言っていたけど、それはないだろう。今回は、院長先生による受診。先の病院にしろ、女医さんにしろ、根本的な病気のようなものは疑ってなかったようだ。しかし、院長先生は、14歳(多分)で下痢が1ヶ月以上続いているということで、エコー、レントゲン等の処置を。結果、十二指腸周辺に炎症が出来ているという。断定は出来ないけれど膵炎の可能性ありと。いよいよ、恐れていたことが現実に・・・これまでのお医者さんは、対処療法に始終するばかりで、根本的な原因を突き止めようとはしてなかったが、この院長先生は、少なくともそれをやってくれる。治療代はバカにならないけれども、やっぱり、昨年来、下痢の症状が出ているのだから、何かの病気に感染している可能性はあったろう。ということで、この新都心の病院への通院が始まった。猫をカゴに入れて自転車に積んで、新都心への坂を登っていくのだけど、生憎、昨日も今日も夕方は雨ときて、さすがにタクシー利用だ。部屋の前がホテルなので行きはすぐにタクシーが拾えるのだけど、帰りが問題だ。タクシー代は片道1,000円程度なのでまだしもであるが、今日は、帰りのタクシーが拾えず難渋した。無線タクシーの電話番号を聞いておいたのだけど、二社とも配車出来ず。結局、病院が呼んでくれて何とかなったけど、沖縄のタクシー状況に慣れないとやばいな。院長先生からCTスキャンをして場合によっては手術という提案もあったけど、スキャンは10万円?加えて、手術ってリスキーじゃないの?さすがにそれよりも、注射投薬を選んだ。ただ、5日連続で毎日注射を打つというもの。ということで、雨の日も風の日も今週は新都心に通うのだ。木曜は休診のはずだけど、17時台なら可ということなので、そこはこちらが早退して合わせることにした。かくして、猫は夕方になるとカゴに詰め込まれて病院に連れていかれ、見知らぬ環境と人たちに囲まれ、押さえつけられて注射やら点滴やらを毎日受ける。更に、部屋に帰った後も、無理やり口をこじ開けられて薬を一日2回3〜4錠飲まされる。まさに、拷問のような日々が続くわけだ。一方の飼い主も、保健適用ながら、毎回、高い時は1、2万、安くても3、4千円の支払いで、カード決済も今月は相当なもの。何より、保健適用は20回だかまでなので、後何回保険が適用できるか。限度を超えてしまったら全額負担となって、一体いくら支払わねばならぬことか・・・それにしても先月の自分のコロナ感染といい、この猫の惨状といい、何の因果か不運が続く秋である。とにかく、猫の下痢が治って、健康で長生きをして欲しいと願うばかり。暑かった夏は、今思えば平和だったんだなと、しみじみ思うのだった。
2022年10月17日
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先週の水曜の晩、昨年来、下痢をすることが多い猫が、またぞろ何度もトイレを往復して軟便を垂れ始めた。ところが、その晩は、これまでとは異なり、より深刻な状況だった。何と血便が出たのだ。衝撃的な出来事に呆然となった。翌朝、職場には遅刻の旨を連絡し、急ぎ、猫を近所の動物病院に連れて行った。去年の10月以来、下痢をすることが多くなっている猫は、時折、嘔吐もあるので、何某かの病気ではあろう。ウィルス性のものなのか、小腸の異常か。しかし、動物病院は常に対処療法だ。下痢すれば下痢止め、くしゃみが出れば風邪薬といった具合に。もう少し、何か根本的に病気を治すという診断ないしは治療ができないものなのか。結局、この日も下痢止めの処方だが、加えて便を取っての検査も申し込んだ。実は検便は最近もやったのだけど、さしたる異常は認められなかった。腸の年齢から、どうやらうちの猫は14歳は超えているらしいことがわかったという程度。しかし、今回の検査は、人間のコロナ並にPCR検査のようなもの。保険対象にしても8,000円くらいする高額なものだった。それを申し込んだことは、後でちと後悔した。なぜなら、ペット保険の会社の特典で無料の血液検査を受けられる病院に週末に行こうとしていたからだ。そこで、下痢の方も診療してもらってセカンドオピニオンを得ようと考えていた。血液検査だけなら無料なわけだけど、ここはもう検便、更にはエコーの検査も受けることに。先の検便は、ナイチに送るようなので高額だったが、こちらはその場でのチェック。特に異常はなしとの所見。エコーの方も然り。哀れ、我が猫は獣医さんに、お尻に指を入れられてギャアと悲鳴をあげたようだ(噛みついた?)。結局、深刻な病状は見当たらず、あとは血液検査の結果を待つということになった。では、なぜ血便が?餌のせい?餌、色々替えても下痢は変わらないんだよなあ。昨年来、2kgで4000円とかの高い餌をあげているけれど、それだけだと何なので、もう少し安めの餌も少し混ぜている。それでも、以前の2kg500円とかいう、どこでも買えるようなのとは違って、まずまずのクオリティのものだ。一時、グレインフリーをあげたのだけど、ちょっと便秘気味になったので、また餌を替えた。でも、今思えば、下痢するくらいなら、多少便秘になったグレインフリーの方がマシだったかも知れない。やっぱり、あれに戻そうかなと考えている。して、今日は相次いで検査結果が出た。検便の方では、クリストリジウムなる菌があったのが、強いて異常といえば異常。ただ、どの猫も多少は宿しているレベルの菌らしい。一応、治療としては、これまでの下痢止めに加えて抗生剤を混ぜて飲ませると。哀れ、我が猫は、また嫌がる粉薬を1日2回飲まされることになる、しかも10日間だ。粉薬は水に溶かして、弁当とかについている、魚型の醤油入に入れて、猫の口に無理やり流し込んでいる。一方の血液検査では、やはり特に異常はなし。ただ、歳も歳なので、免疫力の具合によって腸の好不調が発生する可能性はあると。結局、どちらの医者も対処療法しかないという感じ。まあ、特に内視鏡で見てみる程の深刻な病気が見つかっているわけではないので、そういう治療にとどまるということのようだ。つまり、この先も、下痢がひどくなったりとかなることが、しばしばあったりするのかも知れない。それを根本から治せないのかなあ。まあ、猫は食欲はあるし、そこそこ元気でもある。やはり、歳だから、以前のように飛んだり跳ねたりということはないけれど、痩せたり体重が減ったりとかもない。とはいえ、心配だなあ。基本、室内猫として大事に育ててきたはずなのに、どうして病気になるのやら。やっぱり、1月に死んだ隣の部屋の猫に何か伝染されたか。そういえば、今年は大丈夫かと思われたノミも、やっぱり食らって、ちょうど先週、下痢と共にダブルパンチだった。そちらも薬で落ち着いたけど、うちの猫、どんどん薬漬けになっていってるような・・・何とか、もう4〜5年、元気で過ごしてもらえないものか。そして、せめて、また年末年始は一緒にナイチの家に帰ってコタツに入りたいものだ・・・
2022年05月29日
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3月はまだ寒かったから、さほどでもなかったが(今回も夜は寒かったけど)、今回は案の定、家の庭が草ぼーぼーで、まずはとにかく草むしりをせにゃということになった。なるべく空き家感を出さないようにしたいからね。それに庭をきれいにして猫を出してやりたいから。向かいの家は年寄りの一人暮らしで、そちらも裏庭が手付かずの荒れ放題ながら、うちの木の枝が。その向かいの敷地に浸食してしまっていて、これは地元のシルバー人材センターに頼んで伐採してもらうことにした。そこそこ費用はかかるようだけれど。ともあれ、着いた翌日、草むしりは自分でやって、これまた案の定、腰を痛め疲れ切ったけれど、天気の良い日は、なるべく猫を散歩させてやりいので。ただ、ご機嫌かと思えばさにあらず、他の猫の臭いがするようで、始終ウーウーと唸っていることもあった。それもそのはず、前回や年末年始にも見かけた、タヌキみたいなでかいのが今回も現れたのだ。柄も似ているし、何分でかいから当初は本当にタヌキか(実際いるのだ)、タヌキと猫のミックスではないかとも思ったけど、よりによって猫の散歩中に現れたそいつは、確かに猫だった。うちの猫ともバッチリ遭遇し、2mくらいの距離のところで対峙したのだけど、さすがに奴には敵わないと悟ったうちの猫、威嚇するでもなく家に入っていこうと退散。画像を見れば賢明な判断だとは思うけど、さすがにタヌキほどにはでかくなかった。その猫、家に入った後に、また庭に現れて、しばしウロウロしていった。よほど気に入ったというか、完全に縄張りと定めているのだろうな。と、思いきや、次の日は、何やら裏の方で猫が威嚇し合う鳴き声が聞こえた。そして、しばらくして庭を見ると、タヌキとは別の野良猫?が日向ぼっこしていた。茶色の、顔つきからして雄猫だろうか。その猫を見つけた、うちの猫、室内とあってウーウー怒り心頭。もう、うちの庭、色々な猫の縄張りになってしまっているようだ、残念ながら。今日は再びタヌキの方が現れた。少し離れた斜向かいの家の屋根には、柄が同じような猫が寝ていたので、或いは、タヌキの兄弟なのかも知れない。縄張りを侵されてしまって、うちの猫には気の毒だけれど、個人的には、家の庭に色々な猫が出入りしているのを見るのは久々で、ちょっと楽しさも感じたりしている。次回、猫抜きで、一人で帰宅する際は、ちょっと連中におやつでもやってみようかなどと不埒なことを考えている。さて、明日は、猫は再びカゴに入れられて、7〜8時間の長旅に付き合わされる。そうとはつゆ知らず、コタツの中で寝入っているのだけど。しかし、ナイチは寒いよねえ・・・
2022年05月04日
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いつぞやも書いたけど、沖縄に越してきて以来、9年間つきあった隣の部屋の猫が死んで、早、3ヶ月。その猫をそれほど可愛がっていたようにも思えなかった隣の人は、未だに朝はお線香をたいているようだし、僕が作ってやった猫の寝床やトイレもそのまんま。そして、49日くらいまでかと思った、謎の餌やりを今も続けている。部屋の前に置いていく餌、確かに食べられているのだ。食べている現場をおさえていないので、どの猫なのかがハッキリしなかっただけど、どうやら近くのカレー屋前でよく見かける、黒白の野良猫(多分、メス)と思しい。元々は、両隣のアパート周辺にいたのだけど、近所の猫の勢力図も少し変わって、今はその場所はボスっぽい猫に取られてしまったらしい。それで、黒白猫は、もう少し道路寄りの辺りにたむろするようになって、近くのゲイバー・エリアの常連客が、時折、餌をあげていたようだ。でも、そういった人たちは気まぐれだから常にケアしているわけではなさそうで・・・それで、黒白猫は、餌が置いてある、うちのアパートに目をつけたらしい。これまではトラブルもなく、静かに気づかれずに餌にありついていたようだけど、何せ、アパートの階下には、おばあが世話している姉弟猫がいる。これまでは衝突する様子がなかったのだけど、このところ、黒白猫と、階下の姉猫が喧嘩することが何度かあった。今まで遭遇を避けられていたのかも知れないけど、タイミングが悪かったのかも。その猫が屋上から降りてくる時に、トイレに入っていて目があった。屋上に行ってみると、植え込みにフンがある。黒白ちゃん、ここらを拠点に定めつつあるようだ。そのフンは、未だに置きっぱなしの隣室の猫トイレに埋めてやった。用を足すなら、そこでしておくれと。しかし、隣の彼も、結構、餌を置いていたり置かなかったり、どこか中途半端なのだ。餌を食べている主が特定できると、これはまた餌が食べられたかどうかが気になってしまう。黒白ちゃん、慣れてはいないけど、案外、可愛い猫なので。隣の彼が餌を置いていかなかった先日は、こっそり別の場所に、うちの余った餌を置いておいた。すると、しっかり平らげられていた。いやあ、こんな具合に、また飼い猫以外の猫のことが気になっていくのかな。隣の彼の行動は不可解だけど、黒白ちゃんが餌にありつけるなら、意味不明の餌やりも。ちゃんと継続してほしい。当初は、ノミとか落としていきそうで困ると思っていたけど、幸い、今期はうちの猫もノミは食らっていない。やっぱり、隣の猫によるところが大きかったのだろう。連休の不在中はどうなることか。とにかく、うちのも含めて、猫はあまねくすべからく幸せであってほしいのだ。
2022年04月25日
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震災から早11年か。原発で汚染された福島の町は、少しずつ帰還が進んでいるらしいけど、本当に帰還させていい状況なのかは怪しい。そして、福島以外の周辺の東北の地域も復興が真に進んでいるのかどうか。僕自身は、一度も東北を訪れたりしていないので、その実態の程はわからない。この日を迎えて思い起こすのは、やっぱり、猫のこと。いや、その猫は、今でも沖縄の部屋に一緒にいるわけだけど、11年前のこの日の時点では、今のようにベッタリってわけではなかった。元々、隣の家の猫の子供だった我が猫は、隣の家でろくに餌をもらっていなかったようで、親が、つい餌を与えてしまった結果、我が家に入り浸るようになっていた。時々、家に入れたりもしていたけれど、その時点では、まだ半野良猫であった。当時、まだ1〜2歳だったはず。その後、隣の家に断りを入れて、うちの親が面倒を見るようになり、正式にうちの猫になった。そして、親亡き後は僕が面倒を見ざるを得なかった。11年前のこの日も、僕は勤務先で一夜を明かしつつ、猫がどうしているかは気にはなっていた。翌日、家に帰り着いたが、真っ先に猫を確認したわけではなかった。家は被害はほとんどなかったのだけど、あの頃は、いくつか問題があったし、間接的に震災による影響も避けられなかった。まあでも、猫は無事で、あれ以降、関係が密接になっていったと思う。ある意味、11年前の震災の日は、猫との関係の本格的な始まりの日でもあるのだ。そして、あれから11年、猫も結構ないい年なわけだけど、今も元気で毛並もふさふさ。最早、僕自身が生きていくのに欠かせないパートナーで、その存在感は当時よりも遥かに大きくなっている。あの時点では、こんな関係になるとは思ってもいなかったけど。猫はあの日のことなんて覚えちゃいないだろうな、最初に面倒を見てもらった親のことだって忘れているだろう。それでも、あの日から11年を問題なく過ごせてきたのは何よりだ、猫も、また自分も。被災地や日本の、その後の11年は決して順風ではなかったけれども。とまれ、11年前の記憶は風化しては困るけれど、11年間を生き抜いてきた猫には、もう数年、幸福に生き長らえてもらいたい。ようやく春の訪れを感じられるようになった今日この頃だ。
2022年03月11日
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スーパー猫の日だそうな。これが意外なくらい盛り上がっていて、ツイッター上では在日米軍までそんなつぶやきを上げたりしている。チャンネルネコとかBSテレ東はともかく、BSプレミアムまで日がな猫関連の番組を放送とか。そもそも、今日は「世界ネコ歩き」の新作も放送される日だ。BSの日中の放送で、「劇場版 岩合光昭の世界ネコ歩き あるがままに、水と大地のネコ家族」の放送が。劇場版の1作目は観ているが、こちらは昨年1月公開ながら沖縄では上映されず見逃していた。夜になって録画視聴。舞台は、北海道とミャンマーだ。北海道の牧場、具体的にどこという説明はないが、牛舎が2つあって子牛の牛舎と親牛の牛舎にそれぞれ猫が暮らしている。子牛の牛舎の方には猫が20匹程いて、藁を寝床に自分の子であるかそうでないかに拘らず共同保育の状態。特に避妊は行っておらず、餌は与え、ミルクのおこぼれにあずかるのも自由。子牛と猫も仲良しで、理想的な環境に思えるのだが・・・少し離れた親牛の牛舎にも猫たちが。双方の行き来はないけれど、時折、縄張りに立ち入る猫がいると、それは当然の争いの種になる。ボス猫のゴッドマザーと、母離れ出来ない雄猫がいる。本来、雄猫は成長すると親の元を離れ、自分の居場所を求めて行動範囲を拡げていくはずだが、カーショという猫は母のヒメに甘え続けている。そのヒメが、しばし行方をくらます。他の猫と争って足を怪我したが、姿を見せないうちに足を治して数日後に戻ってくる。母は強しなのだ。もう一つの舞台はミャンマー、インレー湖は標高900mの高地にあって、水上住宅に暮らす人々がいる。そこに漁で生計を立てる家族と共に暮らす猫の親子がいた。ちゃんと父母、二匹の子の4匹家族なのだ。水上住宅だから、子猫が水中に落ちてしまうこともある。しかし、ここの猫たちにとって水との共生は必要なもので、成長するにつれ、むしろ水には親しんでいく。親猫たちは自ら湖の飛び込んで泳いだりする。更に、怯えていた子猫までも。猫の環境適応能力に驚かされる。猫かきで泳ぎ疲れた後は、飼い主家族と一緒に猫たちもお昼寝。まるで、そこはお伽噺の世界の如き、静かで穏やかな情景。迷い込んできた親猫を、少年が必死に介護をしてやって以来だという。撮影は2020年頃なのだろうけど、首都や各地では軍と民衆との戦いが渦巻いていたミャンマーとは思えぬ平和そのものの光景に、心洗われる思いだ。あんな環境で猫と暮らしてみたいなと思わせる。再び北海道、穏やかに見えた猫たちの暮らしだが、冬の環境は過酷だ。マイナス10度の雪が積もる中でも猫たちは元気そうで、ここでも適応能力を垣間みれるのだが・・・牛舎内で猫風が流行。子猫たちはあっという間に減っていく。強いものしか生き残れない、厳しい世界だ。場所はあくまで牛舎で、牛の世話をするところ。猫を医者に見せたりする暇はないのだろう。あくまで猫たち次第、そして、季節はまた巡る。春が来て、北海道の猫たちの旅立ちの季節が。マザコンのカーショも自分の居場所を求めてヒメの元を去っていく。一方、子牛牛舎に暮らしていたボス猫の子供は、新しい猫たちに追われて居場所を失う。暖かい場所も食べ物も失い、別の自分の居場所を求めて去っていく。そんな厳しさも猫の世界にはある。ただ、親牛牛舎のカーショは、結局、母ヒメの元に戻ってくる。そんな生き方もあるのだ。いつものレギュラー放送のシリーズと違い、この劇場版は、猫たちの暮らしの過酷さも描かれていて、ちょっと感動を覚えた。猫たちの世界は想像以上に厳しい、でも、やっぱり、猫たちはかわいい、愛おしい。話変わって、スーパー猫の日ということで、約1ヶ月前に死んだ隣の部屋の猫のことを。隣の人は、今も猫の寝床(作ったのは僕)をそのままにしていて、毎朝線香を焚いている。そればかりか、毎朝、外に餌を置いていくのだ。それはお供えの意味なのかどうか、とにかく、どこからか野良が来て食べているようだ。目撃はしてないのだけど、下の階でおばあが面倒を見ている2匹の猫の親の、ボスっぽい大きな茶色の猫なのではないかと思う。隣人としては、単に餌が余ってるから供出しているのか、或いは、野良を手なづけて別の猫をまた飼おうとしているのか。ただ、これからの季節、暖かくなると野良はノミを落としていくので、正直、ここらをあまりうろついてほしくない。毎年、うちの猫がノミを食らって苦労しているからね。10年以上面倒を見てきた猫を失って隣人も寂しいのだろうという気持ちはわかる。でも、一方で、それなら、もっと猫に構ってあげたらよかったのではとも思う。いずれにせよ、本人に聞いていないので、その意図するところは不明だ。本当は、劇場版に続けて、レギュラー放送の「ネコ歩き」も見るつもりだったけど、さすがにお腹いっぱいになってしまった。何も猫の日でなくたって、自分はいつも猫と共にあり、常に愛おしく思っている。なので、今夜も寒いので早めに寝床に就くとする、猫と一緒にね。
2022年02月22日
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猫を連れて沖縄・那覇にやってきたのが9年前。ペット可のボロアパートに住み始めて、今も同じところに住んでいる。猫の存在が周囲に迷惑をかけないか不安だったが、幸い、隣の部屋の人も猫を飼っていた。ま、飼っているというよりは、勝手に転がり込まれて仕方なく世話をしているというスタンスではあったが。その猫のことは、まさに9年間、ほぼ毎日見続けてきた。その猫がとうとう死んでしまった。元々は野良猫だから、人懐こそうに見えて、奥底で警戒心は強かった。腹を出してゴロゴロしているので触ろうとすると引っ掻かれたりした。うちの猫の天敵でもあり、何回かうちのが引っ掻かれたりして、逃げてしまったり騒動も起こされた。おまけに、よく隣の家の屋上に行っては戻れなくなって、朝から晩までミャアミャア鳴き続けてとかがしょっちゅうあった。その隣の家に頼んで救ってやったこともあった、飼い主じゃなくて僕がね。実はアイツ、ぴょんと飛んで戻ってこれたりしたのだけど。飼い主から、あまり相手にされてなくて、拗ねてそんな行動を取っていたのかも知れない。隣の人は仕事中心の人で、部屋に住み続けてはいるけれど、1日の部屋の滞在時間が短い人だ。朝出て、夕方帰って、しばらくした後また出かけて0時くらいに帰ってくる。それでも、彼が部屋を数日空けたりとかいうことは、ほとんどない。一応、猫には餌と水をやり、寒い冬には部屋の中にも入れてやっていた。そんな飼い主ながらも、猫は、こちらが嫉妬するくらいに懐いていて、遅く帰ってきたご主人を歓迎して周りを走り回ったりしていた。そんなところが健気で、色々世話を焼かせるし、うちの猫に危害を加えたりもしたけれど、どこか憎めなかった。実際、愛嬌のある顔つきで、毛並みもふさふさしていた。若い頃は一帯のボスでもあり、姉御的存在でもあった。娘がいたけど、母同様に喧嘩っ早く、幼くして死んでしまったようだ。娘が死んでからは避妊もしていたので、ずっと一匹。歳を取った近年は、あまりアパートの下に降りることもなく、4階の部屋周辺でうろうろしたり寝たりしていた。飼い主にあまり相手にされてないのが少し不憫で、トイレを提供してやったり寝床を作ってやったりした。うちの猫が食べ残した魚や水をやったり、掃除した時のトイレの砂の残りを足してやったり。飼い主さんは、あまり手が回らず、トイレ掃除は週いち位。そういうこともあってか、この数年は病気っぽくて、咳をよくしていたしカリカリを食べてはしょっちゅう吐いていた。まあ、長くはないのかなとは思っていたけれど。別れは突然だった。この冬は、沖縄に来てこの方、最も寒い冬だと思う。さすがに部屋に入れてもらったみたいで、数日、猫の姿を見ることはなかった。前にもそういうことはあったから、ある種の冬眠状態なのかなと。ところが、今朝、ドアをノックする音が。仕事中だったもので慌ただしく対応したが、隣の彼が猫の死を知らせてくれた。布に包まれた猫を火葬場に連れていくという。死んだのは昨日か一昨日だったのか。それでも、彼がわざわざ知らせに来てくれたのはありがたかった。仕事の合間だったので、礼を告げただけで戻ったけど、あの時、亡骸を一目見せて貰えばよかったな。何せ9年間見続けてきた存在がいなくなってしまったのだ。心にポッカリと穴が開いてしまった感じだ。病気の猫を医者に連れて行ったりしたいという気持ちはあったけれど、あくまでそれは飼い主の選択。それでも、彼は10年以上面倒を見てやったわけだし、最期は仕事を休んで看取ってやったみたいだから偉かったと思う。自分も、自分の猫は何とか最期まで看取ってやりたい。飼い主の愛を求め続けてきたアイツも、最期は幸せだったのではないか。こちらが勝手に設えたアイツの寝床、片付けますと言ったら、彼はしばらく残しておきたいと。やっぱり、彼だって寂しいのだ。そりゃあそうだろう、この長いつきあいだったから。年末年始のナイチ帰宅の後、数日はアイツの姿が見られてよかったかな。化けて出たりしないで星になってくれ。充分にいい歳で、大好きな飼い主さんに看取られて生涯を全うしたのだから。さようなら、忘れないよ、お前のこと。
2022年01月21日
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年末年始のナイチ帰宅、そしてお正月も今日が最後、明日はまた沖縄に帰る。最後の晩を飾るにはふさわしいのは、やっぱり猫と一緒に「世界ネコ歩き」だ。新年の新作は“長崎”だ。最初は平和公園、あそこに猫いるの?シロちゃんは平和祈念像と同じようなポーズで毛繕い。長崎は猫が多い街だけど、野良というか地域猫が多い。尻尾が折れ曲がってる“尾曲がりさん”と番組では伝えられていたけど、むしろ、尻尾がほとんどない丸尻尾の猫が街中には多かったと思う。でも、長崎の人たちは、概して猫たちに優しいという印象だ。勿論、猫にだけではないだろうが。グラバー通りや大浦天主堂といった観光エリアにも猫たちが。でも、観光客が多くなると、猫たちはひっそり姿を消すのだ。どうりで、自分は、あの辺りでは、ほとんど猫を見かけなかった気がする。むしろ、観光地ではない街中の細い坂道の方に猫を見かけた。グラバー園付近で、見事なばかりの尾曲がりさんが。尻尾の先だけ鍵のように90度曲がっていて、その尻尾が幸せを引っ掛けてくるという。雲仙地獄にも尾曲がりさんが。早朝の温泉の湯気が噴き出す、その暖を取りに硫黄の臭いも物ともせず猫たちが集まる。天然のスチームバス、地獄どころか、まさに極楽だろうね。でも、この猫たちって捨て猫じゃないのかなあ?唐人屋敷跡あたりでは猫をチラホラ見かけたかな。実に味わいのある街並みに猫。静かな佇まいが猫の住まいにふさわしい。いい街だったな、長崎。心配されたうちの猫だったけど、どうにか飛行機の移動を乗り切って、家に着いたら元気いっぱい。寒いのにも拘らず、沖縄の狭い部屋よりものびのびしていた感じだ。帰りも何とか無事で。さて、あっという間にお正月も終わり。また、沖縄での元の生活に戻る時だ。
2022年01月04日
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一日遅れで録画視聴したBS「世界ネコ歩き」、今月最初の週の放送なので新撮らしい。“山形”篇だけど、語りが初めて聞く声で、ヤケにアニメ声だ。誰かと思いきや、何と、パフュームのかしゆかだ。萌え(死語)!猫好きで知られる、かしゆか、自ら名乗りを上げたのかどうか。かしゆかが、こういうソロ活動というか、パフォーマンス以外で登場すること自体が珍しいし、何よりも「ネコ歩き」である。これはアガるよなあ。山形はラフランスなんかも獲れるんだね。農場、街中、そしてお寺の猫たち。寒い地域の猫たちは生きていくのも厳しいだろうけど、周囲の人たちの優しさで、何とか生き残っていけるのかな。とはいえ、今回は声ばかり気になって、肝心の内容が頭に入らなかった感じだけど(苦笑)。農場だったかな、トラという猫ががいて、バックに、もろ「男はつらいよ」を模したようなメロディが流れた。そこも今回はツボだった。そもそも猫と一緒に「ネコ歩き」を見るのは、1週間でも最も幸せな時間である。とりわけ、今回は至福の時間だったなあ。うちの猫に関しては、このところ、健康状態が一進一退。年末の飛行機搭乗に備えて体調を整えていきたいけど、どうなることか。ちょうど、再び療養食のような高い餌が通販で届いたばかり。次の「ネコ歩き」新撮は正月に家でかな。猫と共に健康で幸福な新年を迎えられますように。
2021年12月08日
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その後の猫だけど、まあ、軟便気味なのは相変わらずだけど、元気も食欲もあって、まあまあ小康状態が続いていた。少し油断してというか、療養食のフード以外にも、ぼちぼち焼きガツオとかちゅーるといった“ご馳走”を上げるようになってもいた。で、今週は久々に晩飯は魚を焼く。大ぶりのサバの切り身を買ってきて網で焼き、これはもう当然、猫にもお裾分けは必須。まだ便が不安なので、昨晩はごく少量をあげて、そりゃもう喜んで平らげた。そのせいだったのかどうか、また下痢が復活してしまった。この2ヶ月程は、軟便が常態で、最近はウンチする度に尻をチェック、べちょっとついているようなら尻を拭いてというのが日課になっていて、明け方の便の気配で起こされることもしばしば。お願いだからウンチは日中にしてよ〜と言っても通じるわけがない・・・先週のナイチ帰宅での不在時も、トイレには明らかに下痢と思われる便が残っていた。これは番を頼んだおじさんが、間違えて療養食ではなくフツーの餌をやってしまったのが原因だと思っていた。でも、正直、療養食をやるようになってからも、便は完全に回復していた訳ではなかった。どの餌をやれば効果的なのかは、猫友の意見も聞きながら模索しているところだ。今回は、また何回もトイレに行って少量のビチビチを繰り返すのみならず、餌を食べなくなって元気がなくなってきた。これはちょっとまずい状況だ。慌てて職場に連絡を入れて遅刻の申請、勿論、ペットが原因とは言ってないけど。ただ、前に処方してもらって、そこそこ効果があったように思えた薬を処方してもおうと考えたので、猫は連れていかず、自分だけ朝いちに住所へ。一応、コロナ対応が続いているので、患者である猫を連れていかなくても保険適用にはなった。ステロイド剤は副作用もあるということだけど、今回も1週間程度なので、これで様子を見るよりないかと。一旦、症状が落ち着いた今月頭には、同じペットクリニックで、遅ればせながら3種ワクチンを打ってきた。正直、うちの猫は既に猫風邪とかを患っているのではないかと思っているのだけど、後からでもワクチン打てば多少は症状を抑える効果がないものかと考えて。でも、コロナ感染した後でワクチン打っても、それが治るわけではないのと同じだよな。一応、軟便以外の症状はその後は出ていない。薬が効いたのかどうか、猫は再び元気を取り戻し、餌も食べるようにはなった。便はやや軟便だ。しかし、いつまた調子が悪くなるか、その可能性はあるかも知れない。うちの猫も結構高齢なので、人間同様にある程度の年になれば、常に体が変調を来たす可能性というのがあるのだと意識しながら、都度対処していくしかないだろうか。何とか、あと4〜5年は、元気に共に過ごしてもらえないものか。こっちの勝手な都合に過ぎないかも知れないが、漠然とそんな風にも考えていたので、今もし猫に何かあっても心の準備が出来ないことだろう。多分、14〜5歳のうちの猫、これまではほぼ問題なく過ごしてきたので、この状態がずっと続くと考えていたが、それは少し甘かった。人間、自分の体と同様に、これからは一層の注意を払って過ごしていかないといけないと思っている。
2021年11月24日
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約2週間前に野良母猫が死んでしまったのが、何か不幸の始まりだったかのよう。部屋の猫が、先月来、ずっと軟便が続いている。時に、下痢状態にもなって、トレイに何回も入って何度も軟便を垂れる。お尻にはウンチがついているので、そのまま布団や畳に座られると困るので、その度に尻を拭いてやることになる。嫌がるけれども仕方ない。これ、何かの病気に感染してるのではないか。一応、元気で、餌もよく食べてはいる。しかし、軟便はなかなか治らない。よせばいいのに、ついマグロの刺身をあげてしまったら、ひどい下痢になってしまった。猫に時折ご馳走をあげるのは、飼い主にとっても猫にとっても喜びのはずなのだが、その喜びを共有できないのは、誠に悲しい。今日はトイレで吐いてしまった。これは病気でしょう。獣医には連れていったが、先生は、どこまでも腸の状態として投薬治療にとどまる。下痢止めや整腸剤を服用だが、先週はよりによって粉薬で、飲ますのに難渋した。そのままでは飲まないので、水に溶かしてあげるのだが、スポイトでちょいちょいでは却ってストレスが溜まるようなので、使ったのは、崎陽軒のシウマイの醤油入れ。お魚の形の小さなビニールの容器に溶かした薬を入れ、猫の口をこじ開けて一気に流し込む。これでどうにか飲ませたはきたが、効果が現れているとは思えない。ところが、獣医で試供品でもらった餌をあげたところ、普通のウンチが出た。スウェーデン製だかの高いエサ、評判では、謎の下痢が治ったとか。慌てて、その餌をアマゾンで注文した。500gで1500円と高価だが薬だと思って2袋注文。早いとこ、届いてくれないものか。隣の部屋の猫が、明らかに猫風邪か何かの病気だから、去年はワクチンを打ったのだけど、今年は打たなかった。アレルギー反応が出ることもあるし、3年に1回とかで充分と思ってたから。でも、やはり、売っておくべきだったか。猫のストレスにはなるけれど、また、今週末は医者に連れて行かないといけないか。猫が不調だと、こちらの気分も晴れず、何をやっても楽しくない。自分にとって一番大切な存在である猫、既に高齢ではあるけれど、何とか、元気で、もう何年かを送らせてあげたいものだ、切に。
2021年10月18日
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仕事終わって、たまたま自転車で買い物に行こうとしたら、道路の路肩で馴染みの猫が突っ伏している。寝ている感じではなく近づいて見てみると、明らかに死んでいる。轢かれて潰された感じではなく体はきれいだが、ひっくり返すと口から血を流して息絶えていた。この猫、野良で、決して自分に慣れていたわけではないけど、何せ、毎日顔を見ていたから、突然の死にはショックを受けた。小ぶりな白地の雌猫。自分が住むアパート周辺でウロウロしていたが、体小さいくせに、やたらに子供を産む。避妊をしなきゃどうしようもないのだけど、常に子育て中みたいな有り様なので、連れて行くタイミングが難しい。相手の雄も取っ替えで?20匹近く産んだのではないか。隣に空き家があるもんで、そこが拠点だったけど、大半の子猫は死んでしまったようだ。唯一残った2匹を、階下のおばあが面倒見るようになった。保護団体の手筈で、ようやく避妊手術を受けたが、その母猫は、時々アパートにも出入りしておばあのところ他、数カ所で餌をもらっていたようだ。小さいけれど喧嘩っ早く、隣の部屋の猫ともよく争っていた。何というか、奔放な猫で、住処は時々替えて、人の元にいつくことはなく、気ままに周囲をウロウロしていた。ちょっと沖縄娘にもいるタイプというか、小さいけれど男好きがして、子供みたいだけど子供いっぱい連れて歩いているみたいな。そんな生命力溢れる猫だったけど、呆気なく逝ってしまった。道路を渡ろうとはしなかったし、車に撥ねられた感じではないので、想像するに路肩に突っ込んできたバイクの車輪に頭がぶつかった。或いは、停車していたタクシーの下にでもいて、車が発進して避けきれずにぶつかった、そんな感じだろうか。死後硬直はしていなかったので、そう長い時間は経ってなかったと思われる。たまたま、あの方向に行ったから見つけたけれども、しばらく放置されていたようだ。上記の通り、状況はよくわからないけれど、改めて車社会の沖縄への怒りが湧いてきた。僕が沖縄で最も嫌いなところ、それはバカみたいに車が多くて、かつ、車優先社会である点だ。ナイチに比べての大きな違いは、車は横断歩道では、ほぼ停まらない。信号が赤になっても突っ走ったりするのは当たり前。特に、高年齢層は車優先の意識が高く、歩行者なんぞ顧みない。どんな細い道でも必ず車は通る、ホント、猫も杓子も車に乗ってるのだ。そして、ガサツな運転するドライヴァーも多い。轢かれている猫の死体も何度見かけたことか。猫を轢いて放置していった主は気にも留めていないのだろう。でも、これまで毎日の如く見かけていた顔が、もう見られないという喪失感は大きい。それが自分の猫でなくても、慣れていなくても。今は、車に依存するウチナーンチュの、猫を轢いたドライヴァーが、ひたすら恨めしい。階下のおばあと共に遺体を回収し、箱に入れてアパートの2階のスペースに雨に濡れないように仮置き、明朝、役所に連絡して引き取ってもらうしかないだろう。線香でも上げてやりたかったけど、僕のところにはない。あばよ、子沢山の奔放なママよ。これからも子供たちのことは気に留めておくよ。
2021年10月05日
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