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20年前に想像していた自分になるべくチャレンジしてきたのだろうか愛した人に胸を張って生きていけるのだろうか頑張っているのか、頑張っているような気になっているのか分からない自分のまま日々が過ぎ、年月が経つ原点に戻って見つめ直したい
2022年04月06日
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寝る前に気分転換にドラマを一本観ることにしている。この春ドラマでいちばんは「家族ゲーム」。優しさなのか恐さなのか、ヒューマンドラマなのかサスペンスなのかもさっぱり分からない。ありきたりではなく、どこかドキドキさせる何か。どういった展開になるのかついつい次回観てみようと思ってしまうのがおもしろいと思う。
2013年05月06日
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人を動かすとはどういうことかについて勉強になった。優しそうな顔立ちと物言いをするリンカーンが、側近や奥さんから弱音を吐かれたときにだけ大きな声で怒りではなく、自らの考えを述べて相手に考えさせるというもの。しかし、人を動かす立場の人間は非常な程に孤独なんだと思う。
2013年05月05日
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もう浮遊するのをやめる。正直に、自然に生きたい。でなければ生きたくない。でも自信がない。また寂しくなりそう。人を幸せにしたい。つまらない人間で終わりたくない。終わったほうが相当楽だよ。酔いが醒めたらまた新しい明日は来るのかな。そうじゃないと進めないけどそんな明日が来てはほしくない。なるようになれ!状況がどうであれ、向き合うよ。
2010年10月18日
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極限を求めるほど、生きてる実感が湧き、何かを失っていくように思う。充たそうとするほど、オアシスは幻になり、傷付いた静けさだけが残る。誰か一人でも幸せにしたい。
2010年09月08日
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その人がもつ"風"はいつになっても変わらないように思う。きっと誰にも変えることができない。その人自身だって。ぬくもり、優しさ、穏やかさ、和やかさ、厳しさ、冷たさ。変わるものはなんだろ。していること。 考えていること。 見た目。 愛以外の心。今日、駅の階段で二人の若い男が殴りあいになっていた。階段で肩が当たっていたのを、私は手すりの向こうからなんとなく見ていた。無表情の若い男は、うつむいて何事もなかったかのように通り過ぎようとする若い別の男の肩を掴んで殴りかかった。全てが静寂の中にあった。まわりの人間たちは当たり前の日常が、突如非日常になったことを即座に理解できずに、凍り付いていた。ただひとつ、そばにいた年老いた男が放った大声がプラットホームに響いた。「やめろ!!」殴りかかった若い男は、表情を変えることなく、すっと背を向け階段をのぼって人ごみの中へ消えた。殴りかかられた若い男は、興奮さめやらぬ顔で棒立ちになっていた。そこにも変わるものがひとつあった。そこにも変わらないものがひとつあった。変わるもの、この国にこれから増えていく危険。変わらないもの、そんな日本に必要なもの。そんなこの国の"風"を感じた。
2005年12月14日
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たいてい地獄は地下にあると思われているが、ひとつだけ、今いる場所が急に地獄に変わってしまうことがあるという。それが孤独地獄だそうだ。芥川龍之介もこの地獄に随分と悩まされたようだ。この地獄に付きまとわれてしまうと、最後は死ぬしかないようなことが、この作品には触れられていた。そして芥川龍之介も亡くなったのだろうか。孤独地獄の恐ろしいところは、たった独りでいるときも、大勢の中にいるときも、人と仲良く幸せなときも、どんなときでもポカンとあいた穴に嵌ってしまうかのように、どんなところでも突然やってくる。孤独地獄の住人は、些細なことで、疎外感をもち、傷つきやすくなり、虚無感をもち、自己嫌悪に陥りやすくなる。「安心」を執拗に求めるばかりに、何もできないか、余計なことをしてしまい、自分を傷つけ、人を傷つけ、不安というチェーンにぐるぐる巻きになる。私自身も破滅するなら、この孤独地獄だろうと思う。そのなる前に何かをしておきたいと思う。
2005年12月13日
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知り合いが好きだということで、読んでみた。屍の幽体という「わたし」が書く小説はおもしろかった。死ぬとそういう見方をするのかなという想像。死は、生きることと死ぬことを合わせたものなのか。残酷さと美しさの境。花火という平和で華やかなイベントと、花火という暗闇と鼓動と浴衣という性的であり、さらに深い欲望を呼ぶイベント。淡々とした殺人。さりげない愛。
2005年08月26日
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暖かい炎に 包まれて炎はやがて 消えていく暗がりに 独り明日こそはと 毎夜思うだろう同じところに 戻らないためにいつまでも 声の出ない叫び 壁に乱反射させないために眠れない夜もある誰かに会いたいときもある独りが恐いときもある明日が来なくてもよくても 明け方には鳥が鳴くなにもしなくても 何かしてもやってくる闇にくすぶる残り火に 小枝を当て 炎を灯す暖かい炎は 一時の慰めにやがて夜が戻る
2005年02月27日
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監督: 行定勲原作: 金城一紀撮影: 柳島克己 窪塚洋介柴咲コウ単一民族ではない日本がいままでずっと持ってきて、これからもますます複雑化していくだろう問題。「これは彼女との話」という主人公。しかし前置きでは、喧嘩ややんちゃな生活が長く続く。この前置きはやや非現実的に描写されているが、主人公のおかれいる状況がインパクトのある形で残った。派手にドロップキックを手当たりしだいまわりの人間にしたり、せまる地下鉄の前を駆けていく肝試しなど、もしかしたら主人公の現実ではなく、精神状態を表しているのかもしれないと思った。少子高齢化になり、労働力補充のために、外国から徐々に人が今よりも増して入ってくる時代になっていく。今までの問題をひきずったままに。
2005年02月24日
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監督・脚本・主演 Nanni Moretti ナンニ・モレッティ家族愛の話。死が家族にどんな重い鉛を残すか。ジョギングするシーンが目立つ。なぜジョギングか。死に対して、生きる象徴か。息子が死んだあと、主人公がジョギングする姿はなくなった。息子と父親がジョギングに行っていれば、息子は死ななくてすんだかもしれないと、父親は思う。監督のもつ世界はアートで、彼は芸術家だなぁと思った。挿入歌で、車の中で家族が歌う歌が思い出に残る。
2005年02月23日
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監督: Marc Forster マーク・フォスター2001年テーマが明快だ。チョコレートアイスクリームが好きな主人公。主人公は悲しみを共有できる相手をみつけ、その彼女は肌がチョコレートの色をしている。今まで軽蔑してきた人種。それが、チョコレートを一緒に食べるシーンによって、まとめられている。人を愛する気持ちに人種の壁なんてないことをこの映画は強烈なメッセージを送っている。どこか、主人公に『アメリカン・ビューティ』が持つ哀愁を感じさせる映画でもあった。テーマは全然違うけれど。
2005年02月22日
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監督: Pedro Almod var ペドロ・アルモドヴァルJavier Camara ハヴィエル・カマラLeonor Watling レオノール・ワトリングスペイン映画 2002はじめは何についての映画かよく分からない。女闘牛士は迫力があり、彼女に関心を持つジャーナリストはどこか薄い。二人は恋に落ちるが、どうも心の交流が見られない。現代舞踊のシーンが2度ほどあり、やたらに長いのが印象的。台詞や仕草では伝えられない悲しみなどがそこにはあるのだろう。でも長かった。いい映画だなぁと思うのだけど、ずっとそばに置いておきたい映画ではなかった。登場人物それぞれが不協和音というのか、通じ合ってないというのか、ばらばらというのか、そんな感じがしたからだ。テーマは孤独ということだから、その点では、すべての登場人物にべつべつの孤独を背負わせて、見ている自分にそう感じさせるのだから、すごい。だからいい映画だなぁと思うが、見たあと、孤独な人は幸せな気持ちにはなれない映画だと思う。
2005年02月21日
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製作・監督・音楽: クリント・イーストウッド出演 :ショーン・ペンティム・ロビンスケビン・ベーコンローレンス・フィッシュバーン2003年 アメリカ映画館で見たけれども、DVDでもう一度見た。DVDに入っている、ティム・ロビンスとケビン・ベーコンの解説(映画全部を見ながら、同時進行で)を聞いていたらなかなかおもしろかった。ティム・ロビンスが冗談でタイトルを「ミスティック・ピザ」というが、これは、ジュリアロバーツ主演のコメディ、邦題『ミスティック・ピザ』(1988)原題『A Slice of Heaven』に出てくるピザ屋の名前を言ったものだろう。映画中の、デイブは真実を一度しか言わなかったという。それは、車で連れ去られるとき、他の2人の子どもはうそをとっさについて、家はこの近くだと言ったのに対し、デイブだけ正直に家が離れていることをいい、そして誘拐された。それからデイブは自然と嘘ばかりをつくようになってしまう。自分を守るために。その嘘によって、また新たな苦しみがやってくる。それぞれが誘拐事件のショックを背負って生きている。あと、解説でよく出ていたのは、監督の姿勢。1,2カットしか撮らないらしい。そうすることでの緊張感とプロ意識を大事にしているとか。そんなことがあったのかぁ、そういう見方があるのかぁと解説を聞くのはおもしろかった。映画自体は、シンプルで見ごたえがあった。演技がみんなうまいなぁと思いました。
2005年02月20日
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山田洋次 監督藤沢周平 原作長沼六男 撮影真田広之 宮沢りえ日本人としての美しい生き方を見せられた。男として、女として、母親として、父親として、子として。山田洋次監督のはじめての時代劇作品ということだけど、たまに現代風だなぁというシーンや台詞などがあるだけで、とても初作品には思えなかった。構想10年、時代考証1年以上というだけあるのだろう。さて、自分の身のことになるが、これから美しく生きていけるだろうか。最近は、同僚たちの活躍がよく耳に入る。紙面を飾る同僚も多くなってきている。駅のポスターをみると、あるイベントの記者会見で同席した同世代の彼が、数年見ないうちにある団体の代表になり、講演会のパネリストとして、名を連ねていた。ほかには、500万とも1000万近くともいう月給をもらうともいわれる会社に卒業後入り、都内に自分で一等地のマンションを借りて一生懸命働いている友人の話も聞いた。彼ら、彼女らの状態がうらやましくないというとうそになる。では、自分は地位や名誉などがほしいのか、それだけなのか。そう考え込んでいくと、根本的に自分自身に欠けている部分が浮き彫りになる。その状態まで辿り着いた努力。その状態のままいること、また、それ以上の状態に持っていく努力。二つの努力が、ひたすら輝いてみえる。さらには、地位や名誉をどこかで掴みたいと思っている自分が去年から今年になって徐々に出てきていることを感じる。愚かだ。社会や大衆が動かす浅はかな潮流に身体を投げ出し、流れを作る側にいるのかもしれない。両岸で静観するごく一部の尊敬すべき方々の声が心まで今の自分に響かないのはどうしてか。この、たそがれ清兵衛のメッセージが自分のものにならないのはどうしてか。夢がないからか。独りだからか。不幸せではなく、幸せだ。でも、このままではやっていけない。先が見えなさすぎる。夢さえあれば、地位や名誉に目もくれず、それに向かう努力、その傍にある笑顔と愛。家族と友人。そんな美しい生き方が待っているのだろうか。焦りが日々増大していく。以下は、映画の結末について。余吾善右衛門が死んだとき、「目が見えない」と言った。これはどうしてか? 毒薬か?とも思った。はじめから死ぬつもりで自分で毒を盛って、清兵衛と戦っていたのだろうか。それとも、単に無理がたたったのか。結末の解釈を人はどう感じるのだろう?
2005年02月15日
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人にどう思われているかがとても気になるみたいで困る。自分のひとつひとつの発言がきつくなかったか、傷つけていないか、相手を困らせていないか、自分は空気を読めているか、でしゃばりすぎてないか、場を壊していないか、そういったひとつひとつが気になると、困る。知人は本当は嫌がっていないか、いつか知人が自分を離れていきはしないか、そういうことが気になると、困る。気にしすぎだといわれる。と、言われている自分が気になるのだ。情けなさと、自責が続く。あー、どうしよ。
2005年02月08日
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幸せは砂の器のように 風に吹かれる掌ですくおうにも 指と指の間から風に吹かれて そこになかったかのようにそのあまりに悲しい幸せ こころに宿る命となり幸せとはいえなくても 忘れられないぬくもりの想い出へと千住明 ピアノ協奏曲「宿命」聴きたくなって、CDをかけた
2005年02月01日
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当時の音楽家で、ニコロ・パガニーニの演奏を聴いて影響を受けなかったもの一人もいない、と言っても過言ではない。(志鳥栄八郎) 音楽家になろうか迷っていたシューマンは、パガニーニの演奏を聴いて決心したという。フランツ・リストも影響を受けた一人だった。「自分はピアノでパガニーニなるか、気が狂って死ぬかだ」と、言ったと伝えられる。その言葉の通り、リストは、ピアノのヴィルトゥオーゾ(名手)になり、リスト以降リスト以上のピアニストは出ていないといわれるほどになった。彼の作曲した曲は、もっとも弾くのが難しいともいわれる。リストは、パガニーニの曲をピアノのために編曲した。「ヴァイオリン協奏曲第二番第三楽章 La Campanella =鐘=」からの編曲は、日本では特にフジ子・ヘミングの演奏が有名である。川の浅いところでたくさんの小石の間をするすると抜けて流れていく秋の落ち葉のような曲だ。パガニーニの24のカプリース、第24番イ短調をもとにした「パガニーニによる超絶技巧練習曲集 第6番 イ短調」は、一台のピアノとは思えないくらいの豪華な曲。ラフマニノフなども編曲している。愛の夢 第三番変イ長調「おお、愛しうる限り愛せ」は、ショパンのノクターンに影響を受けたとされる。上の二つとは性格が違い、おとなしい。
2005年01月31日
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中国は1985年ごろからの「愛国教育」により、抗日精神が今の若い世代に浸透しているという。スポーツの世界で、日の丸を焼いたり、公使の乗っている車の窓ガラスを割ったり、国歌斉唱の際にブーイングをするという行為が昨日見られた。非難すべきことではあるが、同時に彼らには同情する。私の知る中国人は、勤勉で、賢く、優しい人たちが多いのになぜあのようなことになるのか。教育によって、彼らはあのような行動を取るようマインドコントロールされ、その結果、世界のに中国という国家の印象を「民意が低い」と思わせていることにも気づけない人々にされてしまったからであると私は見ている。確かに、日本は中国での虐殺や従軍慰安婦の問題は当時あっただろうと思う。それが事実だということは私は否定しない。日本政府として、補償をし、謝罪すべきだ。そのことに対しては、過去に、形では日本政府はやってきた。日本からは今もなお多額のODAが中国に渡っている。相互の経済協力も活発である。最近では、ヨーロッパなどにならい、東アジアの自由貿易圏を目指して政府間では話が進んでいる。世界の中では、WTO加盟や、北京オリンピック開催など、表舞台に立つような国家になりつつある。なのになぜまだ戦後60年経つ今もなお、あのような態度なのか。経済は政治は変わってきていても、教育は変わっていないからではないか。国家をまとめるためか、理由はよくわからないが、中国政府は、今回に見られる多くの中国人が育つような「愛国教育」という姿勢で、日本侵略の事実を教えてきた結果である。もちろん靖国神社参拝や、領土問題などで日本に不満を持つ気持ちはあるだろう。今の日本政府のあり方も考えものだ。だが、他の国家へのそこまでの憎しみは、何を生むのだろう。個人への憎しみは理解できるが、相手は国家である。その当時の当事者でない若い世代がお互いに過去にいつまでも根に持っていてどうなるのだろう。そのことが国益につながるのだろうか。しかも、昨日は、相手は日本人のサッカープレイヤーやサポーターであって、日本政府ではない。政府関係者は大使などはいたが、何人かにすぎない。政治と個人レベルの交流とを混合する人々を育てた教育。たかが一人の日本人ではあるが、心配だ。今の中国の教育は今後の中国の発展に少なからずの足かせにもなるのではないかと危惧する。中国は、このままでいくと何十年後には、世界をリードする国家になるだろうと言われており、恐らくそうなるだろう。超大国になる中国がもしこのままだと、世界はどうなるのだろう。今のアメリカは利己主義だとか、奢りを感じると言われているが、中国が今のアメリカのような力を世界で持つことになれば、一種の脅威である。中国が今のままのような教育を続けると、昨日スタジアムで他国を殺すとまで叫んでいた、赤い群衆の中に、次なる戦争の火花が見えてきてならない。今後、中国の教育が見直されることを強く期待する。日本としては、教育による植え付けられた中国人の今の感情を充分理解し、彼らの気持ちを逆撫でしない政治を行うことを切に願う。有事法案うんぬん以上に、中国とうまくやっていく政治を行うことが平和づくりに深く結びついているように思う。
2004年08月08日
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「さとうきび畑の唄」を見た。アフガンかイラク攻撃のときだったか、広島に一人で行ったことがあった。自分の進む道がまったく分からなくなっていた時期。広島駅から帰る前、駅から原爆ドームまで歩いた。そこで、平和を願う子どもたちのメッセージが添えられた千羽鶴がたくさんあった。何ヶ月か前、ここで千羽鶴が何物かによって燃やされた。そして、目の前の平和の千羽鶴はガードがされていた。涙が込み上げてきた。原爆で死んだ人たちの気持ちやその家族や知り合いのことを思うと、自分は他人事すぎる。自分のもっている虚無感や悩みなど、無慈悲な爆弾の中にもまれた彼らになんてことはない。平和ぼけな自分にさらにむなしくなっていた。少し歩くと、「二度と繰り返しませぬ」の石碑。彼らの命の声が残る石碑を見つめながら、戦争がアジアで起ころうとしている現実を思うと、広い公園にあるその石碑の前で、一人、悔しさに頬が濡れた。そのときの感情が、今日のドラマで思い出さされた。アフガンやイラクは依然平和とは言えず、世界各地では内戦が続く。中国でのアジアカップでは、反日感情から、日本国歌斉唱にブーイングの嵐。今の世界平和の均衡が崩れるとき、またも戦争の時代が来るだろう。遠い未来ではないかもしれない。そのとき、自分はどこにいますか?なにをしていますか?人は殺せますか?もしかしたら、戦争に行っているかもしれない。もしかしたら、断固反対しているかもしれない。未来の日本は自分たちにかかっている。ただ、自分は何をしたらいいか分かっていない。未来の自分は自分にかかっている。ただ、自分は何をしたらいいか分かっていない。どこに進めばいいのか、方向が分からない日々がまだ続く。
2004年08月04日
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友人が亡くなったという知らせが先週入った。バイタリティがあり、ひとつひとつのことを自由に楽しんでいた姿とのギャップがそのままショックとなり、第一報には意気消沈した。携帯に残ったその人の電話番号を見るたび、悲しくなった。そして昨日。戦場ジャーナリストが二人イラクで殺害されたというニュースを知った。一人は、逃げたところを気づかれて、その後連れ去られて、みけんに銃を当てられて打ち抜かれたという。今日、電車が人身事故で全線のダイヤが乱れた。いつもならそんなに混まない夜の電車は、朝のラッシュよりも人がひしめき合った。もしかしたら事故で一人死んだかもしれない。助かったかもしれない。しかし、電車の中には、そんなことを気にする雰囲気はなかった。誰が悪いというわけでなく、そういうものなのだろうと思った。死は急に訪れることがあるらしい。それによって自分はある部分で、安心している。安心していていいのだろうか。そんな軽いものなのだろうか。この日記をつけはじめたときから、もうかなりの時間がたった。そして今もなお、自分が分からない。もやもやした、目の前の目標はあるのに、全体として自分が、どこに向かっているのか分からない、ぐじゃぐじゃに支配される時間は、今もなお容赦なく襲ってくる。自信喪失、自己嫌悪、焦燥感、充実した日々の中の虚無感、誰かにすがりたいでもすがりたくない気持ち、叫びたい気持ち、そして、その苦しみから解放されたい気持ち、その苦しみは実は大した事ないのに自分は愚かだと思う気持ち、寂しく、切なく、哀しい気持ち、生きることへの強烈な意識。旅に出たらどうにかなるか、と、小学6年生のときに北海道から静岡まで一人で旅を夏休みにした。余計に自分が分からなくなった。他の旅のときでもそうだ。組織にどっぷり浸かればどうか、と、去年からしてみた。安心できる部分は確かに増えた。が、まだ日暮れの孤独にうちひしがれる日は続いた。小学生のときは、まさか自分が歳が大人になっても、同じ思いに悩まされているとは思ってもなかったように思う。それが今、あまり変わってない。ということは、これは一生ついてまわるのだろうか。となると、生きることは死ぬことよりも本人にとってもは、悲しいことなのかもしれない。自分の中での葛藤、人の死による悲しみ、死への恐怖(これはないと自分では思っているが、思い込みかもしれない。目の前に死があるときにしか分からないだろう)背負って、生きていく。と書いたが、上に羅列した気持ちがある一方、逆の気持ちに浸っていることもある。だから、なんとかその波の中でやっていける。だから、今日も寝る。
2004年05月29日
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帰りの電車は、寝ていないと、ひどい不安感や脱力感がきてしまう。ひとつひとつのことをしている瞬間は楽しいのに、一日という単位で振り返ると、なにもおもしろくないと思ってしまうこの頃。やりたいことは挑戦できている環境は幸せなのだけど、安らぎがない環境で動きつづけると、こういう毎日になるのだろうか。二年前に、過去のこの日記にも書いているけど、大学入試の質問をしに言ったときに、1時間半も話をしてくれた教授の授業を今年から受けている。教授の部屋へ二年ぶりに訪問した。同じ部屋らしいけど、よく覚えていない。しかし、棚に並ぶ本には見覚えがあった。緒方貞子の本があって、その人の話をしたことを覚えている。あのときは自分からぺらぺらと思いついたことをいろいろ話しすぎた。二年ぶりに見た本棚には、専門書が目に入った。大学に入ってから図書館でいつも参考になっている本が勢ぞろいしていた。あぁ、こういう本が並んでいたんだ・・・と、二年前の自分が目についたものとの大きな違い。環境の違いに、この二年間を振り返った。訪問したわけは、先生の訳書を購入しにいったのだが、先生は他の本をプレゼントしてくれた。「出会いを記念して」とサインまでしてくださった。環境問題をなぜするのかの理由を新入生たちに話していたときに、同学年の隣の学科の知り合いもその場に来ていた。自分ではたいしたこと言ったつもりはなかったのだけど、そのあと、その人に呼ばれ、「ぜひ君と話がしなければと思った」と言って、企画段階のある事業計画書を見せられた。見せるつもりはなかったのだけど、今日の話を聞いて、できたら一緒にやりたい、と思った、と。教職課程の授業で、最後の30分を残すところで、別に用事もあったので、だらだら続く授業からおさらばしようと、「先生には悪いけど、もう帰るわ」と、今思えばヘンなことを僕は言った。すると、隣にいた同じ学科の友人が、「悪いと思うなら、いればいいやん」と、言った。その通りだ。こんなことを言ってくれる友人がいることは嬉しかった。おかしいものはおかしい、違うものは違う、と、そういうことを言い合える関係になるのは、稀。みんなそんなことしてたら、疲れるし、めんどくさいから。だから、適当に流したり、心の中でヘンなの、って思ってすませることが多い。僕も相手が自分にとってそれほどの人でなかったり、状況が状況でなかったり、譲れない部分でなかったりしない限りは、人が妙なことを言ってても、放っておく。前は、よく思うことをバシバシ言ってたけど、よくもわるくもこの頃は言わなくなった。そのほうがスムーズにいくし、摩擦も少ない。けど、その中で、友達は、きちんと指摘をしてくれたことが嬉しかった。いいことは毎日ある。ただ、どこかものすごく不安定。安らぎがない。 のだろうか。
2004年04月14日
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ラジオを聞いてたら、毎日の仕事をこう振り返ろうとお坊さんが言ってた。約束は守ったか、仕事を楽しんだか、落ち着いて仕事をしたか。今日の自分はどうだろう。時間に遅れた。今度のイベントで手伝ってもらう人に明石から梅田の喫茶店まで出てきてもらった。そこで伝えなければいけないことは伝えた。また、大学に戻り、研究室をまわってしなければいけない頼まれていた仕事もできる分はした。それらの大部分を楽しんでしていた。中には軽くあしらわれて辛い部分もあった。教員の中には「会議があるから・・・」と話もできない人もいた。落ち着いてしたか。これは50点くらいか。緊張していると、口をきちんとあけて話さなかったり、早口になったり、いらないことまで話してる。とはいっても、研究室のたくさんの人たちはあたたかく話を受け入れてくれて協力的だった。しかし、上記の3点からすると、反省点の残る一日だった。その瞬間瞬間に自分がどれだけ忠実で楽しんでいて落ち着いているか、明日はもっと意識しておきたい。CarpediemやSieze the Dayの意味は今を生きる、ということだと解釈している。これは無計画や過去や未来はどうでもいいということではない。瞬間を大切にするからこそ、必然的に過去や未来も大切にしている。そして厳しい。そんなふうに思っている。都会の桜は咲くのが早いように思う。やはり人の数や排気ガスやコンクリートなどが影響しているのだろうか。桜が咲くまでに、3つを自然に意識できるように。
2004年03月10日
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今日、そう言われた。いつも楽しそうらしい。外にいるときはねぇ 笑という反応をしておいた。そう言われて、悪い気はしない。 いつもハッピーに思われているのは悪くない。 ほんとにそうなら、きっとそう思われたくないだろうけど、実際は、正反対なときが多ければ、そう思ってもらえてるなんて、悪くない。そういう質問をしてきた人も、同じところ持ってるのを感じるからきっと、こういうことも気づいているはずだろう。大勢いるときに、ハッピーになれなくて、人に不快感を与えていた時期があって、これじゃだめだって思ったのはいつだったか。人から楽しそうといわれるのは悪くない。きっとその瞬間はほんとうに楽しいのだろうから。そんな時間をそう言ってくれている人たちに作ってもらっているわけだから。本当の自分を分かって、なんて野暮なことは言いたくない。どれも本当の自分。だから、いつも楽しそうな人っていうのも、悪くない。
2003年11月27日
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寒くなると布団から出づらくなるんだけど、そこをエイヤって起き上がって、その勢いで着替えて、顔洗ってしまうと割と楽。にしても、眠かったので、電車では寝た。でも、ほとんど寝れず、気分がよくないまま、フランス語の時間。教師にいつがいいかって聞かれて、気にしませんと答えた。テストが一週間のびた。線形代数はあまり授業を熱心に聞く気がしなかった。あいかわらず元気のいい教師だ。最後らへんは、学科のBBSに携帯から書き込みをしたり、ノートを取ることに専念してたり、どうでもいいことを考えていたりして、はぁ。。。と空腹感も出てきた。有機化学は、まぁ言ってることは分かると思って聞いていると、昼ご飯のあともあるのか、気がぬけているのか、単調な口調にいい気分になったのか、うとうとしてた。油断大敵。結局2,3頁しか進まなく、なんだよ、という印象。30分前くらいに教師は「今日はここまで」と言って、個人的な用事でもあるのだろうか、そそくさと出ていった。そのあとは、普段は学会が行われるホールで、胚をいじったり、脱核の操作のビデオとか、神経細胞に異常のあるマウスを、バイオテクで次世代のマウスを正常にする、なんか実験動物研究所かどこかが作ったビデオやら、霊長類研究やオウムやハト、アシカの思考能力のビデオを見さされた。なかなか興味深かった。「他の動物にこんだけ思考力があるってこと知って驚いてるなんて、いまさら分かってることが問題なんじゃない。。。 人間が自分がいちばん賢いって思ってきたり、霊長だなんて、 自分らで呼んでいるのからも、“いちばん賢いって勝手に 思っているだけの、愚かな動物”が人間な気がするわぁ」 なんて、友達に言うと、あまり反応はよくなかった。 まいっか。 最後は、ニューラルネットワークについて。 どういう思考をするかあらかじめプログラムして入出力 する今までのプログラミングと違い、学習能力を持たせた もので、「生き物」のようだから、ニューロらしい。 内容はホット。 帰りの電車は友達と話して、一人になったら、寝た。 帰宅後、もう一度夜遅くにミーティングで喫茶店にいって、 話し合ったあと、今度こそ寝るべ。 話し合ってた相手は、今日は、水球部の朝練のあと、3コマ まで授業で、そんで、喫茶店でのバイトと、深夜まで家庭教師 だって。 それでこの話し合い。 ものすごいなぁって思った。 テレビでは、世界一大きな岩を登る男とそれを撮影する男の話が。見ていても、ドキドキした。自分の一日をふりかえると、とても本気で生きてはないよなぁ。
2003年11月26日
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今日は無難に良かった。いつもと較べて安定していた。やることやることそんなにも気にならず、焦らず、力まず。少しだけ風のようになれた。人と出会い、話をして、人と再会して、話をして、おなかが減り、おいしいものを食べ、学びたい勉強ができ、関わりたい活動に加われ、帰る家があり、そこには人がいて、外が寒ければ、内は暖かく、旧友からメールが届けば、返事ができて、遊ぶ約束をすれば、スケジュール帳にひとつ予定が増え、眠たくなれば、布団をひく。これを「よかった」と言わずにはいられない。こんな珍しい日はそうそうないから。だから、今日はよかった。明日もいい日になればいいな。明日もいい日にしよう。
2003年11月25日
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母校で記念行事があり、訪れた。中学生達。本気で自分を見つめたり、世界を見たり、自然を見たり。。。本気な人間たちがいたように思った。大人になると、常識やルールを知り、要領を得て、基本的な生活はなんでもないものになっていくように思う。そのかわり違う悩みは増えてるのだろうけど。例えば、ここに書いているような「考え」や「思い」なんて、はっきり言って、飾りに過ぎない。実際に、何をしているのか、何をしてきたのか、「経験」がその人の「雰囲気」を作って、それが相応の相手なら伝わる。どんな経験もすればいい。どんな苦労もすればいい。ひとつなにかを永遠に続ければいい。自分の小ささを知れば知るほど、その人は大きくなる。それがいまだもってできていないのが、この自分。こんなこと書いても、なんにもならない。むしろ、理屈っぽくなるだけ。繰り返しに近い毎日をこなしていたこの頃。無我夢中になっていない自分。無我夢中になっている中学生。中学生たちの姿に教わった。帰りの車で話した世界を旅してきた男の人も、本気で生きていた。何気ない一言に重みがある。彼はきっと、こんな文章を書く前に何かを「行動」であらわしてきているのだろう。目が全てを語り、一言が全てを教えてくれる。それが、ばかでかいエネルギーをもっている雰囲気をつくる。そんな人たちに尊敬。そんな人たちが町にあふれ、より多くの人たちが、哀しみや歓びを分かり合おうとし、相手に希望を持ち、互いに認め、愛をもって手を取り合う日が来ますように。
2003年11月23日
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夏休みに島でのんびりしていた。雨の日は、外で働かず、部屋でじっとしているので、小説の世界で、日を過ごす。見慣れない本棚の前にたつと、ハーゲンダッツの店でどれとどれをダブルにするか品定めをしている以上に、ワクワク度が高まる。その本棚があったその部屋の主は、海を越えた町で暮らしているので、僕がその部屋に泊まらせてもらってる。好きな本を手にとって読んでいい。好きなCDをかけて聴いていい。と、言われていたので、遠慮なくそうした。海の遠くを見ながら、木で編んだ弾力のある深い椅子に体を埋め、CDはときにクラシック、ときにジャズ、ロック、イージーリスニング。窓から窓にぬけるそよ風が気持ちいい。贅沢なかっこうは疲れるもので、そうなると、寝転んで横になりながらページをめくる。あの日、手にとったのは、『友情』だった。あとで自宅に帰ると、本棚に同じのがあった。なので、帰郷していた兄にこれはけっこう良い、と、手渡しておいた。描写に感動し、文章の流れや選ばれた言葉に感嘆した兄は、先輩に勧めて貸したという。細かいことはおいておいて、この本を通し、同じような感動と感嘆をした人間が他にも無数にいることだろう。優れた作品の持つ不思議なパワー。漢方薬のように体に良さそうな本だった。
2003年09月30日
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今日、何かが変わったと思った。うーん、何かを変えるんだ、と今までよりも強く思った日だったのかな。インドから帰ってきて、がたがただった。この日記をつけなくなったころからも、ずっと気力がなく、だるく、ひたすらもがく毎日で、インド行くとどうかなるかと思ったけど、楽しんでいた反面、熱が出たり腹痛だったり。その上、連れていった子どもたちもほとんどが病気になってしまうという事態や、雰囲気を盛り上げて、元気良く振舞えなかった自分という未熟者に、ずいぶんと自信をなくした。帰ってきてからは、さらに崩れた。帰ってきたその日はよかった。友人が来ているということで、会って話をして、とても楽しかった。しかし、次の日から自分の中での自分の存在が日に日に薄れてゆき、とうとう消えてしまいたいというぐらいに、まるで平たい螺旋階段を上に行っているのか下に向かっているのかと悩み焦りながら進んでいるような、無色でピンぼけした生活を送っていた。今日は何が起きたのか。いちばん大きいのは、この期間でいちばん自分に対し、素直になることができた。心を信じられた。悩まなくてもいい瞬間がもてた。漠然とした自分の根源にあるような大きな悩みはなかなか人に気軽に話したり、相談できない。すればいいんだけど、できない。自分で考えようとするか、自分を騙し騙し暮らすか、本や映画などにヒントを求めてしまう。ここずっとずっと、ほんとにずっとぶちあたってる悩みは、自分がどこに向かっているのか分からない、生きてていいのか?変わりたいのに変われない。変わろうとしても続かない、気力がない、自分は何にも集中できなく、ぞっこんになれず、また、何に対しても愛をもって接することができなかったり、愛があってもそれが外に出てこないのではないか、生きていてもしかたがないのでは。。。といったものだった。そんなもの、とにかくやればいいことであったり、分からなくてもいいものであったり、ただ、逃げてるだけであったりするはずだ。だから、その程度のことで、どうしよう。。。と立ち往生してしまっていたり、ときには、溺れてしまっていたり、起きることができなくなっていたりしている自分があまりに情けなく、ますます落ち込んでた。ばかだなぁと思う。今日、流れで、話をした。誰に話しても無駄だ、と思ってたのに、そうじゃなかった。話している間、悔しいけど、涙が止まらなかった。嬉しくも、その流れた分だけ、すっきりした。「自分は誰も、何も、家族でさえ、大切なものでさえ、”愛する”ことができないのじゃないか。。。もしそうなら、生きててどうするのだ。。。人に迷惑をかけるだけ、気を悪くさせるだけ。。。」そんなふうに思うだけで、勝手に、哀しい感情が洪水のように襲ってきた。でも、話すことできてよかった。おかげで、今日の残りの時間は、ほんとに久しぶりにそのときの自分を好きになれていた。馬鹿みたいだけど、家族のどんな話を聞いても、どんなことを言われても、そこに悲しみ、喜び、笑いを感じ、オーバーでなく、一言一言に涙ぐみそうになり、やばいやばいとこらえた。ほんの少し、自分の中に、ほんのりと、優しさ、らしきものが見えた。ほんの少しでも見れた自分が嬉しかった。明日起きるときっとそんな自分は消えてしまっているようでこわい。また、前のような自分に逆戻りしていて、そんな毎日で時間と力を非効率的に費やすのではないか、と。相変わらず、誰が自分か見えず、気持ちと言動が分離していて、どこに向かっているのか、そんな場所や時間は全く分からないままだろう。ただ、そうなっても、ちょっとでいいから、分厚い雲の切れ目からほんの少しだけ見えた月のように感じた、優しさそれを、どこかにずっと変わらず暖めていたい。それで死んだとしても、一言、ありがとう、と言って、きっと幸せになれるように思う。そんな平穏な気分になれた今日。
2003年09月29日
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荘子の内篇 斉物論で出会った。ありふれたことであっても、いや、ありふれたことだからこそ、聞きたいときがくる。偉い人間なんていなく、馬鹿な人間もいない。そもそも、いるもいないも、どうでもいいことで、混沌の中に現れているかに見える肉体と魂。虚空だからこそ、こうしていられる。なにもしていなくても、こうしていられる。宇宙の向こうは、有りもしなく、無くもない。人間は知ることができない。そうじゃないか?いつもやんちゃな兄が小学5年生のときに、母と小学3年の私を前にして、その話をある夜、真剣に食卓でしていたという。私はというと、その日のことや学校のことや自分のことで精一杯だっただろう。まるで今のように。ようやくここ数年で、まだまだだけど、分かりはじめてきた気がします。なんとも言えないものをいつまでも胸の内に。
2003年07月12日
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朝、蝉の声を聞いた。「あ・・この夏はじめてだ…」そうして電車に乗っていると、遠くの駅から乗ってきたおじさんらが、今日蝉が鳴いてたなぁ、だって。蝉は何を知ってるんだろ。同じときに鳴くなんて。
2003年07月11日
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線は点の集まり。点は質量を持たない位置。原点。何かに迷ったら、姿形もない、確かにあるが感じることしかできない、そんな原点に還ればきっと次の一歩が踏み出せる。資質からの奥深い光は届くところにはもう届いている。石や木は強く生き続け、川やがて海につながる。梅雨の季節。列車を降りると、雨がばちばちと大きな音を立ててアスファルトを打っていた。自転車にまたがり、覚悟を決めると、一気に加速した。河が増水していた。轟轟とうなる濁流は、我先にと慌てるように下流へと流れていた。道路には行き場所をなくした水が溜まり、次々に通り過ぎる車が来るたびに、タイヤに巻かれてあたりいっぱいに飛沫を上げ、散らされていた。救急車が真横を追い越していった。大雨のせいで視界が悪いのか、やけにスピードは遅いくせに、サイレンだけはばかにでかい。次の曲がり角で止まったその場所は病院だった。一日が終わろうとしているこんな時間に、誰かが倒れたのだろうか、ケガをしたのか、いや、産気づいたのか。その人にとって今日はどんな日だったのだろうかとぼんやり考えてた。大雨は雑音をかき消してくれ、その中で物を考えることが好きだ。自転車のスピードを落とし、ゆっくりと大雨に打たれる傘の音やしぶきをあげる水に楽しんだ。これでもかこれでもかと狂ったように勢いを増す雨には、なにかほっとさせられるものがある。ただ何を考えなくてすむ時間を惜しみながら、やがて家に着いた。ひたすらがんばるときがあっていい。決断したらよそ見しなくていいときもあっていい。狂っていると言われようが、なにしようが、進めるときに進めばいい。意志と気は強く生き続け、変わらずに生み続ける力へとつながる。最大の敵は自分なのだろうか。打ち勝つには相当の試練がまっている。原点を見つめ、見極めたら、あとは容赦なく降りそそぐ大雨になれ。光はどこかに届いてる。姿形もない、確かにあるが感じることしかできないどこかに。
2003年06月24日
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電車に乗り込むと、中が暑かった。Tシャツ一枚になった。細胞生物学という難しいテキストを開けていると眠気が襲ってきた。寝ていると現実から意識はだいたい離れてくれる。現実のくだらない自分とその環境が姿形変えて、脳に今まで蓄積された種種の情報を無作為に取り出し、ひとつの夢の世界を作り出す。目を覚ますとそこは降車駅で、人の波とともに電車を降りて階段をのぼり改札を出る。安らぎを。どこかに安らぎを求めてる。
2003年04月19日
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きれいごとばかりじゃない。汚いことをする人間はうじゃうじゃいる。でも自分は大丈夫。そう思っている人ほど危ない。と聞いていて、ふむふむ。そうかも。。。でも、自分はこれを聞いたから大丈夫だよな。。。と思っていたから、少し危なかった。一枚の葉書が届いた。表は中年まではいかなさそうな男っぽい字の手書きで、裏は若い女性が書いたような丸っこい寺の手書き。文面は、「連絡が取れなかったのでハガキを出しました。。。 至急、お知らせしたい事がありますので、 4月3日(木)、4日(金)の、 PM5:00~PM10:00に、 お手数ですが、下記までTEL下さい! Tel. 03-****-**** TS東京 木村 恵美まで vv 」というもの。出かけるときに急いで見たので、はてな?と思ったまま、かばんに突っ込んでおいた。心当たりないし、差出人住所も書かずにただ、「TS東京」って書かれているのは、なにか関係のある会社だったっけ??と考えてみたら、ひとつ心当たりのある会社を思い出した。親しみやすい文章だし、何かほんとうに急な用事があるのだろうと思い、後日、電話しようと思った。そのあと、ハガキの存在をすっかり忘れていたけれど、帰宅してかばんを整理していて、再びハガキを目にしたとき、なんとなくアレ?と思うことがあった。それは、表の字は確かに手書きで、黒のボールペンで書かれていたが、裏の字は、光の当たり方と紙の凹凸の無さが異様に思えた。 これって、印刷じゃないの???と。よく見るとやっぱり印刷された手書きの文字だった。そこで、あ、これはうさんくさい。と思えた。うさんくささを感じたら、ネットで個人名でも団体名でも、固有名詞を検索するのは、今となっては最低限の個人レベルでする情報収集と自己防衛だと思う。 早速、googleと、msnで「TS東京」と入れて検索にかけた。いろいろ出てきた。同じハガキが送られてきた人、同じ文面がBBSに書き込まれた人、実際に電話をしてみた人、会社のHPのリンクを張っている人、手口を事細かに書く人、防止策とトラブルシューティングなど。。。読んでいて、気持ちを引き締めた。気をつけねば、と。住所や名前、電話番号、生年月日などは、学校の名簿や住民票、カラオケなどでする記入から入手するらしいがそれがほんとかどうかは置いておいて、個人情報がどこかからもれていて、利用したい人はいつでも利用できる、ということは自覚しておく必要があるのだろう。それにどう対処するか。どう構えておくか。そのことが大切なのかもしれない。今回の場合、このTS東京とやらがどんな会社であれ、無視して終わりにしておく。これだけで、悪気のある会社だ、と決め付けるわけにはいかないけど、身元をはっきりさせない相手に自分から歩み寄るのは馬鹿だと、学んだことも過去にあったので、もうしない。ネットでも基本的にそう。よっぽどの相手でない限り、利用されようと、騙されても構わないと思わない限り、信じない。個人情報は教えない。この楽天では何人もの、とってもいい人たちに出会えたことは幸せだけれども、ネットでみんながみんなそうかと言えば、そう思うことはわざわざ言うまでもないが、あまりにも危険すぎる。言葉や文字だけで、人はどうにでも変身できると思っている。とても心配。現実での詐欺は、人が現代社会の中で孤独感を持てば持つほど増えるだろうし、ネット詐欺はそれに比例するように思う。逆に利用してやろうと思って、利用されて騙されたという話も聞いたことがある。この人はいい人だから。。。と思って、話を聞いたり、ついて行くと、気が付いたら。。。という話もよく聞く。一対一になると、相手がいい人だと思うに決まってる。だって、相手は「そう思わすため」に訓練してるんだから。いい人と思わなかったほうが、むしろ逆に安心だと思う。金がからんだ話、儲け話、良心を逆手に取る偽善の話、感情に訴えてくる話、ビジネスの話、悩みを聞いてくれるという話、どれもこれも、体験談なんかを聞いていると気の毒で仕方がない。と、思いながら、今日、買い物をしていて、商品に書かれているキャッチを見ながら、少しばかり辛くなった。いろんなものが、消費者に向けて、「信じてもらおう」「手にとってもらおう」「買ってもらおう」と意図的に考えられたもの。。。というごく当たり前のことが、哀しく思えた。ビジネスってなんて哀しい部分を持っているんだろう。ビジネスだけじゃない。 親戚に、結婚してから態度ががらりと変わった相手を持つ人がいる。は? なんなんだ。。。と思わずにはいられない。騙すつもりで騙す人、騙すつもりはなくて騙す人、いたずらなら笑っておしまいだけど、心に傷をつけたり、相手の進む道を左右させたり、迷惑をかけるのは、どうかなぁ。。。と思う。あぁなんか、嫌だ。なにが嫌かって、そういう人たちがごろごろいる社会もそうだし、自分もその一員、そういう部分を持っているのではないかというところが何よりも嫌だ。もしも、自分が就職した会社がTS東京だったら、同じようなハガキを誰かに送っているのでは??と思うと、放った矢がそのまま自分に返ってくる気持ちだ。こんだけしか生きてない自分でも、騙し騙されてきたのに、これから先、もっともっと小さなことでも、大きなことでもあるんだろうな。なにがどうなっても、へばらず、立ち上がっていこう。今回はどうってことない小さいことだけど、自分よ、これから気をつけるように。そしてみんなもにこにこ笑っていられる日が一日でも多くなりますように。
2003年04月02日
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コンビニやラジオでたまに聴こえてくると、耳がぴくりと反応する。メロディーが好きなのか、歌詞が好きなのか、声が好きなのか、流れていると、この曲が終わるまでその場から離れたくなくなった。Tommy february6je t’aime★je t’aime 長い長い旅をしていた。あっという間で、もっともっと、永遠に続けばと願う気持ちをよそに、朝が来たら夜が来るように過ぎるものは淡々と過ぎた。旅は何を伝えてくれたのか。George Mooreの、繰り返すこの言葉。A man travels the world over in search of what he needs,and returns home to find it. 旅の途中に答えは出ない。しかし旅から戻る、別の旅始まる。答えはいつ出るのだろう。きっと出なくていいんだろう。出るときに出るんだろう。今ある、時の中で、無理に出すこともない。 時の流れは自由自在なのだ。どう感じるか。どう包み込むか。山奥でしんしんと降る純白の雪がやがて積もり、あるものは土に深く染み込み湧水となり、あるものは融けて川のせせらぎの音となり、海に流れていくように。季節の移り変わりのように。人の命のように。愛のように。 流れの中で、失うものなんてない。もしもなにかを失うならばそれは、なにかを得るためであって、みんなみんな丸くやわらかく、ぐるりぐるりとつながりを持ってきた。 どの道にも試練と苦しみが待ち受け、病苦と老いと死が立ちはだかる。過去がなんであれ、未来がなんであれ、今がどうであれ、自然の中で、静けさの中で感じる気持ちはどんなしがらみよりも強固で揺るぎなさを教えてくれた。そこに感じる流れに身を委ねる。 どの道、苦労と葛藤があるのだから。外から見えるもの、形あるもの、いつか壊れる、いつか崩れる。外から見えないもの、形ないもの、いつまでもあり続ける。 余裕をゆとりもって持つことは、そのつながりを感じ、生死の優しさと、生かされている喜びを感じられる世界の窓から差し込む光を浴びさせてくれる。 感謝の気持ちと敬う気持ちと。まわりの人間や物や形ないものにありがとうという気持ちを持つことと、ありがとうと思われているか、思われるように振舞う気持ち。 楽しさや喜び、豊かさや幸せは与えられたもの。どこかで何かが誰かが、いや、あらゆるものが、その瞬間も、昔も未来も時間に関係なく、距離や状況に関係なく、気が付かないところでも、その分の痛みと苦労と身と心を捧げ、犠牲になってる。それあって、私は瞬間を生きていられる。 どんな苦労も、どんな人間も、どんな善も悪も、今の自分のために与えられたもの。つながっているもの。 感謝と敬意。 あなたという存在はその全てものものが凝縮されていて、その全てにつながっています。"Mon amour pour toi" 旅に終わりはないように、自然に終わりがないように、季節に終わりもきっとない。そして愛にも。 終わりのない永遠には、始まりもありません。
2003年03月28日
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あすなろは、翌檜と書くみたい。明日こそは、明日こそは、と思っているうちはきっと明日もそのままなのかもしれない。ここでこうして呼吸しているかぎり、ヒノキにはなれない。なにもかもが黒くみえるサングラスを恐がらず外さないかぎり、あるはずの日の光はいつまでも見えない。時間がなくて、やらなくてはいけないことがたくさんあって、義務や責任を感じて、不安にとらわれるけど、今だからできること、今だからできること。そう、これは今だからできること。だからすればいい。もうすぐ春がくる。4月の誕生石はダイヤモンド。この困難や苦しみや苦労は、誰にも自慢できるようなものじゃないけど、誰からもらえるものでもあげられるものでもない、誰にも見えやしないちょっと変わったダイヤの原石。努力と忍耐を忘れるな。そこから逃げるな。
2003年02月23日
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青になるまで動かぬ群集、信号が変わるととたんに動き出し、入り乱れ、赤になるとぴたりと流れが止まる。今度は大量の車が列をなして進みだす。まわりは高層ビルやアスファルトや雑音に囲まれ、誰とすれ違ったか、誰が自分を見ていたか、誰のうしろを歩いているのか、いちいち考えてもいられない。自分の居場所はどこだろう。住み慣れた街のはずなのに、都会は時としてまるで自分は旅をしているような、よそ者のような、存在していないような、そんな気持ちにさせてくることがある。なぜだろう。“言うに言われぬ孤独感と不安が私たちの心の奥底にしっかりと寝をおろしつつある”環境文化研究家・名本光男(「ぐうたらの勧め」/望星 2003年3月号/東海教育研究所)を読みながら思った。この頃、子どもの居場所についてのシンポジウムに参加したことがあった。そこでは、やっぱりみんなもそう思うのか。。ということが言われていた。『居場所とは、他者とのかかわりの中に作っていくもの。 物理的な場所や形になるものよりも、本当に必要なのは、 見えないつながりの部分での居場所。 決してそれは、「作られる」ものでなく、自分が「作る」 もの。 居場所とは、自分の存在を認めてくれるところ。』具体的には、家族であったり、友達であったり、組織やコミュニティーであったり、敵・異種・違いというものとのかかわりである場合もあるのだろう。都会で一度居場所を失うと、とたんに孤独になり、今まであった安心感が崩れ去る。大通りの歩道で立ち止まってつったっていたら、誰がどうしたのか?と尋ねてくれるだろう。自分の存在を認めてくれるだろう。通勤電車で終点まで乗って、また戻ってきたら、誰がなにがあったのだ?と気づいてくれるだろう。自分の存在を認めてくれるだろう。コミュニティーは強い。認められると、居場所がそこにずっとできる。一人は弱い。誰かに認められても、居場所がなくなる不安が付きまとう。地域社会づくりの復興。やはりこれなのか。名本さんの記事を読んでもそう思った。多少の自由を犠牲にしても、ここからなにかはじまる気がこの頃してきている。教育、福祉、労働、文化にいたるまで。
2003年02月22日
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苦しみの中から立ち上がった人は、落ち着いたぬくもりをもっていた。とげとげしていたとしても、中に「他のものは壊されても、これだけは壊せない」ずっと守りつづけてきたガラス玉抱えている。苦しみの中から立ち上がった人は、足がどっかりと地についていた。ひょうきんなことしても、思案にくれていても、「これが自分なのだ」と揺るぎない土台をもっている。苦しみの中から立ち上がった人は、幸せについて考えた。「今幸せなのだ」目線は誰かに向いていた、目線はまわりの自然に向いていた。厳しい目にうつる、あたたかい目。生死を考え、家族を考え、なくしたものを考える。壊されたものを背負い、壊したものを噛み締め、壊れ行くものを見届ける。苦しみの中にいた人からは、「哀れを知った」香りした。それはどんな香水よりも香り高い。果てしない可能性の存在にたどり着いたときに湧き出た水の香り。メッキで綺麗に塗られた像は、小突くとはがれてた。苦しみから逃げてきて、苦しみからいつも救ってもらってた。自信のなさが匂ってくる。いいように見せようとしてる匂い漂う。哀れさに気づいたとき、その像はなんのために今まで立っていたのか狼狽することだろう。しかしそのときもう遅かった。 朽ちてゆく躰との苦悩。岐路に立つ。像を叩き壊すか、そんな像でもまだかわいいか。苦しみはなぜあるのか。よくもわるくも、影のごとくつきまとう苦しみ。 今、苦しいですか。
2003年02月11日
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何を今まで経験したか、何を知っているか、そこに自分の存在がある。。。夕飯のときに、ぼんやり考えてた。今までの自分の中に、今持っているひとつの考えかたや行動の起源をたどる。振り返ってみると気づくことがある。それは、自分の経験なんて微々たるもので、いろいろ知ってるつもりになっていても、何もまだ知らないにほぼ等しいということ。経験がなくても、感性から「知っている」と言えることも確かにあり、また、遺伝子の中に蓄積された経験、つまり「生まれつき」もあり、「知る」とは全てが今のある自分が経験したことだけとは言い切れないとは思う。しかし、感性や生まれつきということがない場合、経験なしで持っている考えかたや起こしてきた行動は、どこか薄っぺらくて、スースーと音が出ている。口からは言えていても、どこかで自分にほんとうか?と言ってる自分が別にいる。そういう経験なしで「知ってる」つもりになってることはとても多い。経験していても、本当に分かっているのか、知っているのかまだ疑わしいときもあるのに、「知ってる」つもりはとてもこわい。それは、知らないことよりも危険なときがありそうだから、なお、こわい。頭だけで考えて、「知ってる」つもりになると危険だということはある教育者が「理想は捨てて子どもに接しなさい」と教え子に言っていたのにも共通する。実践を。ついつい理想先行であったり、思いが先走りであったりする、こんな自分に言い聞かせることにしている。ものごとを知るため。実践から「知る」ことが自分の存在でもあるならば、自分の存在はとても小さい。しかし、小さいくせに、毎日がこんなにもたくさんのことで満ち溢れている。そこから感じるものは、存在はどれだけ小さくても、小さくはならない存在の尊さ。蟻の命と、星の命。作られた存在は違えど、どちらも同じように尊い存在。経験、知る、が自分を作っているとしても、存在そのものの大きさは変わらないということか。
2003年02月10日
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千葉で高校受験のために電車に乗っていた子どもが途中で乗り違いに気づいた。うろたえていたところを、まわりの乗客が話を聞き、満員電車の中を掻き分けて車掌室まで連れていってあげ、話を聞いた車掌が千葉支社に連絡をとり、「若者の将来がかかっているのだから」という理由で、特例の臨時停車を認め、一人その子のために快速通勤電車を普段は止めない駅で止めた、という出来事。読んでいて、こういうことも都会であってくれるんだなぁと嬉しかった。古い体質が抜けきれていないと言われているJRだけど、こういう例外を認めて、しかも、混乱を避けるために、全車両のドアは開けずに、車掌室からその子を降ろして、ダイヤへの影響もなかったということなので、人にそれほど迷惑をかけないような判断をした関係者に、おぉと思う。ただ、「若者の将来がかかっている」という部分は受験で人生変わると思ってる、また思わせる社会はどんなものかと疑問を感じるが。それはともかく、いいニュースだった。そういうときは臨時停車していいマニュアルになっていたのだろうか。もしマニュアルにないことだったとしたら、臨機応変。いいなぁー。
2003年02月05日
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Que sera seraWhatever will be will beThe future’s not ours to seeQue sera sera What will be. will be初めてこの曲を聴いたのは、高校の授業で映画「知りすぎていた男」を見たとき。印象深かった。海外一年目ということもあり、不安が多く、この先どうなるのか心配だったときだった。「なるようになるさ」この言葉は、気持ちを落ち着かせてくれた。今でも、この曲を思い出すと、ほっとするときがある。秋元康さん作詞の「川の流れのように」に通じるものを感じる。「川の流れのように」は、読んでいて落ち着く詩だ。人の詩を自分の日記に書くのはいいのかなぁと思うが、というか、ほんとは載せてはいけないよね。でも、とても気分の安らぐ詩なので、引用という形で載せたい。許してください。--川の流れのように-秋元康作詞・見岳章作曲-知らず知らず 歩いてきた細く長い この道振り返れば 遥か遠く故郷 が見えるでこぼこ道や 曲がりくねった道地図さえない それもまた人生ああ 川の流れのように ゆるやかにいくつも 時代は過ぎてああ 川の流れのように とめどなく空が黄昏に 染まるだけ生きることは 旅すること終わりのない この道愛する人 そばに連れて夢 探しながら雨に降られて ぬかるんだ道でもいつかは また 晴れる日が来るからああ 川の流れのように おだやかにこの身を まかせていたいああ 川の流れのように 移り行く季節 雪どけを待ちながらああ 川の流れのように おだやかにこの身を まかせていたいああ 川の流れのように いつまでも青いせせらぎを 聞きながら--いつだったか、母親が言ってた。「ほんとのほんとにしたいことっていうのは、考えなくてもいつの間にかしてるものよ」と。確かにそうなのかもしれないと思った。したい、と思っていてもできないことというのは、どこかで他にもっと強く止めるものがあったり、守りたいものがあったりするからなのだろう。言葉だけなら言いたいときに言える。いつかこの日記にも書いたかもしれないけど、行動はなにかしらの願望がなければ起こらないのではないか?と思っている。突き詰めていくと、いつも「~したい」からはじまるんじゃないかと思う。それが理性であっても、本能であっても。その「~したい」が他よりもどうしても勝るとき、自分は何も考えずにそれをしているのだと思う。となると、どういうことかというと、今の自分は実は、今いちばんありたい自分なのかもしれないかも、なにかに向かって進んでいる最中とかなのかも。これは自分がある程度自由な場合なのだろうな。。。束縛や決められた人生があると、よっぽどのことがない限り、自分の望むものを手に入れられないかもしれないから。でも、そういうしがらみがあっても、自分の「~したい」に正直になって、自由になれる度胸を持つ人がいることも確かだけれど。Que sera sera。次の瞬間なにが起こるか分からないし、明日の自分はどうかも分からないのに、どうして未来の自分のことを知ることができるのだろう。自分で変えたければ変わるだろう。どこかで変えたくなければ、変えられない大切な理由があれば、変えないだろう。実際、去年の今ごろ、今の自分がこうであるとは思ってもいなかった。 やるときにはやるだろうし、やらないときにはやらない。無理したいときはするだろうし、しないときはしない。求めるときには求めるし、求めないときには求めない。生きたいときには生きてるだろうし、そうでないときにはきっと死んでいるのだろう。笑うときは笑い、怒るときは怒り、哀しいときは哀しい。みんなはどうか知らないけど、自分自身はきっとそんなふうに生きているのだろうと思う。Que sera seraと思いながら、川の流れのように日々を過ごせるなら、本望。気まぐれではあるけれど、そんなんでもいいんちゃうかと思う。なってみなきゃ分かんないんだし、やってみなきゃ分かんない。なってみてから考えたらいい。やってみてから考えたらいい。いつか、振り返って「あぁ、川の流れのようだったな。よかった。」て思っちゃる。
2003年02月04日
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朝青龍の土俵入り。昨年末にはスケート、安藤美姫さんが史上初の4回転(女子)をハーグで成功させたとのこと。3月1日に芥川賞候補になった島本里生さんの「リトル・バイ・リトル」が講談社から発行される。父の急死で畳屋を継ぐことになったある男の子。店は休業し、その間に職人になるための学校に通い出した。夢は近所で父が手がけた畳を引き継いで編んでいくこと。みんなそれぞれ、顔に一生懸命さといきいきさが表れ、堂々とした雰囲気を持っていた。そして研ぎ澄まされた心技体を感じさせるそんな姿に心打たれる。努力。 -- 3、4人家族で、食費を1ヶ月9千円台に抑える。水道代を実質1ヶ月500円以下にする。そうでないと生活ができない。母親もしくは父親一人で二人の男の子を育てている・・・そんな話をテレビで見た。番組の演出には相変わらずうっとおしさを感じたが、出てくる家族ら、母親、父親、子どもの表情や目や言葉には熱く伝わってくるものを感じた。苦しみを努力でなんとかしようとするひたむきさや、家族で笑い合えるぬくもり、生きることに対する誠実さ、お金や地位や名誉がなくても、こんなにきれいなものをもつことができる。。。美しかった。お金や地位や名誉があるからこそもてる感動や幸福もあるのだろうが、それらがないときにしか感じられないものもたくさんあるんだろうな。。思う。将来、生活は貧しくないほうが安心ではあるが、例えそうなっても、そのことを不幸とは思いたくない。高くておいしいものを食べて、いい服を着て、ゆとりのある家に住むことがあっても、それが求めている幸せと思うようなそんな人間にはなりたくない。今悲しくもそんな部分を自分のどこかにまだ感じる。情けない。社会的なステータスや、どれだけ社会に貢献したか、外見や見栄に振り回されてしまう部分。今の自分を鏡に映すと惨めだ。そんな部分の自分を膨らましたくない。それは、このままだといままでのように、きっとどこかに虚しさをもっているだけの毎日になるように思うから。どんなふうになっても、心が豊かな家族を持てるよう、今は自分自身の心技体を鍛えたい。努力。--
2003年01月31日
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昨日は、24日。今日は25日。時がそのまま止まればいいのにと思うこともたまにある。もう二月やん。おいおい。でも、嬉しくもある。眠たいとさっき書いておきながら、眠たくなくなったので、布団でごろごろしたあと、起きてきた。九時間寝たあとよりも、すっきり寝た気がする。いつ頃だったかな。。 去年の春ごろか、冬ごろか、夏か、秋。。。 眠れない日が多かった。 理由は、自分自身に不安になって、将来のこと、存在、そんなこと考えていてどうしょうもなくなったから。はじめは、ラジオ聴くとかCD聴いてたけど、余計に虚しくなるだけで、小説を読んだり、楽しい本を読むようにした。でもそれも効かないときは、哲学や仏教やキリスト教の本をぱらぱらめくってた。そういえば、聖書で「迷っている人へ」というところだったかを引いて、どうにかしてほっとしたかったときもあった。そのときは、ほっとはできなかった。座禅を組んで、背筋をのばして、30分程度だけど呼吸を整えてみたこともあった。これはよかった。気持ちよかった。あまりに気持ちが乱れるときは、適当に知っている念仏みたいなのをこれでもかというくらいぶつぶつ言ってみてた。無我夢中だった。焦ってた。恐かった。かなり壊れていた。身体の中はごちゃまぜになってた。そんな自分は誰にも言えなかったし、言いたくなかった。この楽天があってよかった。書いてると少しすっきりしてた。書けないときは、来てほしくもない、でも来ないと不安な朝をただ待ってた。よく、なんで自分が寝ることにそんなに必死にならないといけないのか分からなくなってた。起きていてもたいしたことをしてなく、寝るにも寝られず、生産性のない自分はいてもいなくてもいい存在。 気持ちをぶつけるにも誰も悪くないし、おかしいのは自分なだけ。気持ちのもって行きようがなかった。もうないかなぁとは思うけど、またいつか来るかもしれん。そうなると、しゃあないな。。まぁ、なんとかなる。転機は、人との出会いだ。人との出会いは転機を生む。そんな言葉をそのころ誰からか聞いていた。今思うと、確かにそうだった。今の自分はそのころと変わってない部分も多いけど、そのころまさか今の自分がこうあるとは思ってもいなかった。やっぱり生きてみるもんだと思う。どんなに苦しくても、悲しくても。生きる意味は、生きてこそ分かり、生きること自体に意味があるのかもしれない。そしていつか生きる喜びを感じ、人に伝えられると、なんていいんだろう。未来なんて分からない。分からないから、生きられる。明日なにが起こるか分からない。だから幸せなんだ、これもそのこと聞いて、はっとした。そう思えることは、自分が自由な環境にいる証拠で、それが、豊かな生活なのだろう。将来の自分がどうしているか分からないことは、自分が自由に生きられているということだろうから、分かっているより、毎日が決まっているより、見えてしまってるより、しばられているより、もういやだと思うことがあっても、自由なほうが結局好き。明日命がないかもしれない。あるかもしれない。それも同じ。さだめは欠伸がでるほど、つまらない。意外性や、変なこと、寄り道、反れ道、人をあっと言わせること、アホちゃうん?と思わせること、なんで?と不思議がらせること、どれもこれもやってると苦しくても、終わってみると楽しかったりする。真面目な人生、しばられた人生、分かってる人生は、きっと退屈しちゃう。間違った人生なんてなさそうだから、固くならずに大いに愉しむのだ。ヘンなら、とことんヘンになったらいい。これ、中学のとき登山家教師から学んだこと。教科書には載ってなかったけど、ずっと忘れたくなかったこと。明日はなにが起こるのかな。いいこともわるいことも、なんでもどんと来なはれ。
2003年01月25日
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遠くに見える丘にVISIONを紙飛行機にして飛ばした。昼の太陽の光をきらりと反射するその白い機体は、ゆき先を知っていた。時間をかけながらでもスムーズに迷うことなく、どんな風が吹いても強く、しなやかなカーブを切りながら翔んでいた。やりたいことをすることにした。やりたいことがないときは、なんでもいいからできることをすることにした。悩んだ、考えた、笑った、泣いた、転んだ、起きた、進んだ。歩いていくうちに、いつかきっと遠くの丘に着く。そのときに、飛ばしたVISION、通り道にきっと見つかる。道中、どんな小さなチャンスでも、どんなに大きすぎるチャンスでも与えられたら、ひとつひとつ拾っていってみた。自分の好きなことをした。好きなことをしていたら、ちょっとくらい嫌なこともできるようになった。ずっと尻込みして、不安や危惧を胸にしているくらいなら、何も考えずにぶつかってみるか、いっそのこと逃げたほうがましだ。自分の中に流れる自然の流れに身を任せて。何度挫けても、倒れても、騙されても、裏切られても、なにもかも失っても、自分の中に宿る、誠実さ、それだけを失わずにいれば。晴れた日に、気持ちよく、VISIONを飛ばそう。 いつの日かそんなふうに言える日が来るように、今日を生きる。
2003年01月24日
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これを書いているのは24日。今、ラヂオから松任谷由美の「春よ来い」が流れている。この曲をはじめて聞いたのはいつだったか。聞くだけで春を待ってるあたたかい気持ちになったのを覚えている。今年の春は来るのかな。新しい環境で、新しい人々と、新しい毎日が。去年の春がそうだったように。哀しい過去は思い出に。辛い思い出は箱に入れて春を待つ。二度目のハンバーグ。今度は、煮込みハンバーグ。肉を叩かずに焼いてみた。壊れた。崩れた。割れた。叩いて焼いてみた。まとまり、丸く収まった。壊れたとき、がっかりした。なぜ? いやだ。 壊れないで。と思う。壊すことは楽なのに。壊しても哀しくないのに。壊れることは拒む。壊されることは望まない。守りたいもの、なくせないもの。毎日の生活を壊すことはできても、毎日の生活は壊せない。毎日の生活が壊れることには恐怖がつきまとう。強い思い、勇気、自信があったなら、どんなに大きな変化も、なんでもない。春からの生活に近づいてる。今の生活を思い出すことがあっても、元に戻れないこともある。新しい自分を愛し、環境を愛し、ただ生きているそのことを愛せますように。
2003年01月23日
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今晩の京都は昨晩よりもましだけど、寒いことは寒い。不思議なことに、こうしてパソコンに向かっていると、寒さを感じない。キッチンに行くと寒い。寝るとこに行くと寒い。パソコンは一応なんかあったかい空気出してるけど、そのためなのかな。よく知らないけど、眠気もここに来るとなくなる。目がぱちぃっと開く。こうしてなにかどうでもいいことを書くのが好きなのかも。あ、あかん、寝なくては。。--今日はしあわせ。いやなことは考えないようにしているだけかもしれない。それでもいい。出来事ひとつひとつが、人の一言一言が、刹那ではあってもしあわせを運んでくれる。そんなしあわせは一度積もり出すと、どんどん重なっていった。このしあわせは今だけのものかもしれない。夜にきらきらと降る雪が朝になると解けてなくなってしまっているときのように、明日には消えうせているものかもしれない。それでもいい。嫌なことは時とともに薄れていくこともあるだろうけど、この気持ちはいつまでも胸の中にぬくもりを残してくれるはず。このしあわせに未練はない。明日消えていてもいい。それでもいい。--靖国神社参拝について。早く国立の代替施設を作ってほしい。近隣諸国の政治家がなんと言おうと構わないけれど、周辺国の国民がどう思うかについては、「正月ですから」というなんだか分からない説明でなんとかなると考えるのではなく、もう少し気配りをする思慮深さが必要なのではないか。
2003年01月16日
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京都に雪が積もった。こんな雪が舞っているこの町を歩いたのは何年ぶりだろう。雪って作られてから地に着くまでどれくらいの間浮遊していられるのだろう。雪は落ちているものだと思ったけど、宇宙から眺めると地球に吸い寄せられているように見えるのだろう。人が墜ちるのも、そう思えると。雪は積もり、融けて、水となって旅が続く。地から離れては近づく。また離れて近づく。新しいサイクルがはじまるということもなくおわるということもなく、ただ淡々と旅が続く。
2003年01月15日
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光を感じる方向に向かって伸びていく。だから向日葵と書くのか。。大学に行くと自分はどうなるのかなと考えるようになった。きっと変わらないまま。でも変わらないと持たなさそう。徐々に変わっていくのかな。2時間半かけて通学することになりそう。友達のいるサークルに誘われて、うん、と言った。関わっているNGOのほうの活動も、落ち着いたら活動の量を増やすということにしていた。アルバイト・・・増える習い事・・・自分はどこかおかしいかもしれない。なんでわざとこんなことをしてるんだろ。ぼーっとしてる時間、一人でいる時間、こういう自分勝手なことを書く時間、そういうのがないと息苦しいのは分かってるのに。息苦しくない自分が理想で、その理想が叶うと信じてる。忙しすぎることはいいことじゃないのに。自分を過信している。これでは2年前と同じ。いけない。いけない。のびのび、しなやかに、ゆっくりと、ぐんぐん光を吸収する、無理なく、怠けることない、自然体で。太くしっかりした茎と根の上、広く分厚い花を持つ。そんな元気でいきいきした明るい向日葵に、そんな自分に今年の夏なっていたい。あ、今年こそ、生まれて初めてのサーフィンってものを試してみたい。あぁいうのってどこで教えてもらえるのだろう?いい場所あるかなぁ。
2003年01月07日
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お寺の貫主さんから年賀状のお返事をいただいた。「謙虚に 自信をもって。期待しています」ひとつひとつが重い言葉。なぜこんな何もできずにぐずぐずしてるだけの自分にこんなにもいい言葉を書いてくださるのでしょうか?この一年半を過ごし、荒んだすえに失うものもなくなり、すっかりおちこぼれたこんな自分に声を掛けてくださる方、手を差し伸べてくださる方、手を取ってくださる方々。。。なにもでかいことはできないけれど、せめてその方々に恥ずかしくない人間性をもった一人の小さな人間になります。私の心の中だけを見てくれているという方もいるということの幸せ。自分にはあまりにももったいなさすぎる瞬間が続く日々。劫を経たとしても、ひとりひとりからいただく言葉を心の中に。
2003年01月06日
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自転車に乗っていて、なにか顔に当たると思ったら雪だった。舞ってた。積もることのない雪だけど、地面に着くぎりぎりまで止まろうともせず、早まろうともせず。ついつい考えることなく言ってしまった一言、客観的に自分を見たときにおかしく思う行動、自分がされたら不快なのに自分はしてしまった態度、してしまったことに気づくのはイタイけど、気づけたことにはあぁよかったと思う。人を知ることは、自分を知ることなのかなぁ。逆に、人のことを知ろうとしない人は、自分のことも知ってないということになるか。他のものがあってこそ、自分がある、そんなこととつながっているのかもしれない。人のことを知ろうとしないことは知らず知らずに自分の存在を分かりにくくしているということなのだろうか。いや、そうでもない。人のことを考えずに自己満足へと走り、自分の存在を感じられるというのや、人がどう思おうと、その反応を見ることで、自分がどんな場所にいるか、どう思われているかを知ろうとすることの二つがあるのかも。そうはいっても、やはり自分を知るということは、誰か、何か別のものを知ろうとしない限り、虚構の世界に陥ってしまう危険性があるように思う。人や、物、自然、自分でないもの、当たり前でないもの、そんなものに目を向けることから自分が見えてくるというのであれば、なんて楽しい世界なんだろう。閉じこもってちゃだめなんだ。塞ぎこんでちゃだめなんだ。外に出る!!と、特に今日はそんなことも深く考えてた一日ではなかったのだけど、音楽を聴きながら雪の降る中を走っていてそんなふうなことをふと思った。知人の義理の息子が京都を訪れているのだけど、小さなトラブルがあったので、今日訪問して話をした。たいしたことではなく、よかった。スイスのチューリッヒで建築を勉強して、これから建築や都市計画に関わってくかかわっていくという人だった。大学に入ってもう20年以上はたっているみたいだった。でも、焦ってないし、むしろ楽しそうに話してた。そんな人もいる。スイス人だから自分とは違う、ということではなく、そんな彼から学びたいところはあった。一人の人をもっと深く知ろうとして、もっとたくさんの人を広く知ろうとする。ひとつのことをもっと深く知ろうとして、もっとたくさんの人を広く知ろうとする。でも、知るってなに?知ることはいいことなのかな?あぁわからん。あほだからすぐに混乱してしまいます。今日はおしまい。
2003年01月05日
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