It's me cheonya

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第九回★悪口2(成り立ち仮説編)



       第九回★悪口2(成り立ち仮説編)

    第八回で、韓国にはわるぐちがたくさんあるけれども、日本語にはそれほどないという話をちらっと出しました。

    それに関して、僕の韓国人の友達が理由を説明してくれました。

    「韓国人は昔から、なにか問題があったときや、腹立つようなことがあった場合には、まず口げんかから始まった。
    しかし、日本では、口で言い争うよりも、刀で勝負したり、切り捨てたりしていたがために、日本語には悪口が少ない」。
    といっていました。

    でも、僕は、それは違うのではないかと思います。

    確かに、言葉なく刀で勝負をするということが影響のひとつであるとは思いますが、
    実際、刀を持っている人しかいなかったわけではありません。  
    士のほかに、農、工、商がいて、彼らは一般的に刀を持っていなかったのですから。

    そこで仮説を立てました。
    1、日本人の「静」への美徳
    2、日本人の高コンテキスト文化
    3、日本人の言語の表現力

    1は、よく知られたとおり、日本人は自分の喜怒哀楽などの感情を表に出すことを良しとしません。
    剣幕を立てて悪い言葉を連発するというのは、基本的に日本人の美徳、道徳に反します。

    「負け犬の遠吠え」という言葉が示すように、吠えては負けという考えがあるのです。


    2の高コンテキスト文化というのは、はっきり物事を言わず、前後の文脈(コンテキスト)に依存して、
    相手に意見を伝えるということです。
    「○○だから○○してくれる?」といって頼むのではなく、「○○で、○○なんだよねー」と、遠まわしに要求を伝えることです。

    つまり、相手の欠点を指摘するときなども、その点をはっきり言わずに遠まわしに言葉を選択するということ。
    まぁ、皮肉や嫌味を言うほうに長けているということかな、、


    3は、日本人の言語能力が低いというわけではありません。
    表現能力は低いかもしれませんが。

    日本人は、昔から、歌(和歌)や詩を作ることが好きで、それが
    もてるかもてないかの違いである時代もあった。

    何かを言いたい場合でも、はっきりと単語ひとつで言うよりは、
    それを説明するようなすこし長めの文を作ってきたという文化がある。
    だってそうしないと5・7・5が埋まらないんだもの。


    結論を言えば、刀の文化ではなく、日本人の持つ言葉に対する美徳と寡黙であることの美徳と、
    言葉の作られてきた歴史によって、韓国語との差異が大きく生まれたと、、

    ぼくはこういいたいのですよ。勝手な理論ですが^^;


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