2006年10月25日
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葬式とは死者の周囲の人々が、
その人の死を受容するための儀式である

と常々思っている。

かつて葬儀が密葬となり出席できなかった友の死を
未だに実感できない自分がいる。

この齢になると友人、親族含め
常日頃、接するという関係性が少なくなる。

昨年亡くなった父とは
死の一ヶ月ほど前に会ったのを除いては


そんな私が父の死を受容しているのは
やはり葬儀を経て、火葬にまで立ち会ったからなのだと思う。

また一人、友人が亡くなった。
ここ数年では数回しか会っていない。

死の知らせを受けて全く実感がわかない。
在りし日の彼の姿しか思い浮かばない。

事務所の扉を開けて振り返る後姿。
酒に酔った姿。

かつて捕まり、隔離されたとき
彼は必要がないのに、俺と共にその場に留まり、
横に立ち、声を合わせて抗議した。


葬儀に行くことのできない私は
今、こうして彼を思い、筆を進めることで
少しずつ実感をわかせている。

ただ、それは決して完全な受容とはならないことも
悲しい経験のうえで認識している。



酒が良く似合っていた。
そして、死の際まで酒と共に居た。

願わくば、今一度杯を交わそう
ただ、それはかなわぬ願い

だから今、彼の最期に捧げよう

乾杯

安らかに

乾杯





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最終更新日  2006年10月26日 00時05分43秒
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Re:死を受容する(10/25)  
rann さん
おばあちゃんがね、「出会いは別れの始めなり」っていつまでも別れ際に泣いている私に教えてくれたんだ。人は一人で生まれて、死んでいくから必ず出会いがあったら別れが訪れる。
おばあちゃんも亡くなっちゃったけど、今でもよくお祖母ちゃんを偲んでるよ。
貴方の杯を友達と交わす時間が、優しい時間でありますように。 (2006年10月26日 21時30分45秒)

Re[1]:死を受容する(10/25)  
雪月桜  さん
>rannさん

別れは必ず訪れる。
いないということにおいては出会う前と変わらないのだけれど、
自分にその人が刻まれていて、確かにここには存在している。
だから決していなくなりはしないのかもね。

ありがとう。僕は優しさに囲まれてます。
ありがとう。 (2006年10月27日 01時16分09秒)

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