~2000.12.10~


まず、一人でも参加できるツアーを予約し、スポーツクラブに申込をしに行きました。
スポーツクラブではフルマラソンを走るためのメニューを組んで貰いましたが、とても3ヶ月後にフル走るを走るとは言えず、来年走りますということで軽めのメニューを組んで貰いました。

とりあえずは週に2~3回のスポーツクラブ通いと週末のランニングを1ヶ月やってみようと思いました。
最初は運動をしていないこともあり軽めのメニューとは言え、正直かなりキツかったです。
但し、回数を重ねるにつれ、自分の体力、持久力がついているのを実感出来るようになると、練習するのが楽しくなってきました。
その間11月のつくばマラソンのことを知り10kmにエントリーしました。
理由としては
1.大会の雰囲気を味わう。
2.2時間の制限時中に完走する。
3.日中どれだけ走れるのかの検証。
が主な理由でした。
実はこのエントリー時にはホノルルマラソン走りたい!という気持ちに突き動かされていただけで完走できる自信はありませんでした。

11月位になると10kmも1時間切るか切らないかで走れる位になり体力、持久力も付いてきたので、最悪歩いてでも絶対ゴールすると思うようになりました。
しかし、所詮10km。フルマラソンはその約4倍の距離。
10km以上を走ったことがなかったのでその未知の世界がどんな過酷なものなのかはこの時にはまったく分かっていませんでした。

順調にトレーニングを積み、つくばマラソンの日を迎えます。
その日は友人と一緒に参加したのですが、結果は1時間3分代でのゴールでした。最初に掲げた制限時間内でのゴールは余裕でクリアでしたが、この時は10kmを1時間以内で走りたい!と思っていたのでとても悔しかったのを覚えています。
でも日中の温度の高い中でのこの実績は
1.ホノルルには絶対行く。
2.なにがあっても絶対ゴールする。
と自分の中で決めるには十分なことでした。

ワクワク、ドキドキ、少しの不安の中でホノルルマラソンのツアーに出かけることになります。
ハワイ自体は何度も行ったことがあるのですが、今回はちょっと緊張感がありました。一人で参加というのも正直、心細いというのもありました。

スタートは午前5時。
前日は殆ど寝ることが出来ず当日の朝を迎えます。
こんな睡眠不足でいいのか?と思いましたがそれがかえって緊張していた変な力みを無くしたような気がしました。

そしていよいよスタート。
まだ真っ暗なアラモアナ公園からスタートして、ダウンタウン、ホテルロードと通過して行きます。
体力がないのは十分承知していたので日が昇る前に距離を稼ごうと思い、少しオーバーペース気味で10kn、15kmと通過します。

その間、実はいくつかのシンクロが起こります。
10km過ぎでネットでマラソンのことを色々教えて貰っていた女の子に遭遇します。実はその子とは会ったこともなければ、写真を見たことない。
では何故の子と気付いたか。
その子はホノルルで挙式を上げて今回のマラソンに参加。
自作のウェディングドレスをモチーフにした姿で走っていたのです。
しかし、周りをみると他にもそういう人はいたのですが、何故か絶対そうだと感じて走りながら声を掛けました。
向こうも私がネットで話しをしていた相手だと分かるとビックリしていました。
15km~20km位のところでもう一人ネットでお世話になっていた方と遭遇します。その方とはハーフ過ぎまで併走させて頂きました。

しかし15km過ぎ位から身体に異変が生じます。
膝は大丈夫なのですが足の裏(特に土踏まずの辺り)に痛みが走ります。
多少は覚悟していましたがハーフ手前で痛みだしたので少し不安が走りました。
でもハーフもだいぶ早い時間で通過したのでペースを落してがんばろうと思いました。

最初はスプレーをしたり、シップをしたりして走っていましたが25km過ぎ位になると、走るのはおろか、歩くのがやっとの状態となります。
給水所でピニールの袋2つに目一杯の氷を入れて貰い、冷やしながらゆっくり歩きます。
日がだんだん高くなり、ただ立ってるだけでも体力が消耗する状態。
その上足の裏の激痛で『なんでこんなことしてるんだろ?』と考えるようになります。

すると、そういう気持ちが滅入る時に限って沿道のハワイヤンの人に励まされたり、ボランティアでお水やお菓子を配っている人に励まされたりしました。
30km過ぎで『こんなんで日没迄にゴールできるんだろうか?』と思った時に一人の白人のおじいちゃんランナーに出会います。
フツーに考えたら歩いてる方が絶対早いと思うスピードのおじいちゃん。
でもその時のあたしにはそのおじいちゃんに追いつく体力はありませんでした。
その時にきっとこのおじいちゃんは最初からこのスピードで走られているんだと思いました。
私を含め若い人は過信してオーバーペース気味で走るのでどうしても後半ガタっと来てしまうのです。
おじいちゃんに抜かれて、リタイヤしようかと一瞬頭をよぎったマイナスの感情が吹っ飛びました。
何も会話はなかったけど最後までがんばりや!と言われているような気がして、少しウルッと来たのを覚えています。

しかし、そうは言っても激痛は続きます。
ここまで来ると記録はどうでもよくなって意地でもゴールはしたいと思うようになります。
やっとカハラの高級住宅街迄戻って来てあともう少し。
40km過ぎの最後の給水所を迎えます。

すでに日も暮れかかり、片付けを始めていました。
つたない英語で氷が欲しいと頼んだところ、すでに片付けていてないとのこと。
今のあたしには氷がないとゴールが不可な状態。
そのときにタスキを書けた白人の男の子を見つけます。
日本人の参加者が1万人位いることもあり、日本語を話せる方は
『日本語でどうぞ!』のタスキをかけているのです。
事情を話すと、氷を出して来てくれました。また、靴抜いて足を見せてと。
日本の大学に留学していたこともあるその白人の男の子は
『こんなに腫れててら痛くて歩くのもやっとでしょ?少しマッサージしてあげるからゴール迄がんばって!ゴール後はゆっくり休めば痛み引くからね』
と励まして、マッサージ迄してくれました。
この時涙が出る程感激し、励ましてくれた人達の為にも絶対ゴールしようと思いました。

あと2kmの看板が見えてからがまた長かった。
やっとゴールのカピオラニ公園に入ったもののゴールは反対側の端。
でもいわゆるビクトリーロードに入ってくると、すでにゴールしている人が拍手で迎えてくれました。
絶対泣かないって思っていたけど、溢れる涙を止めることは出来ませんでした。
足を引き摺りながらのゴール。
ゴールした瞬間ホントに『自分で自分を誉めたい』と素直に思いました。
そして私がゴール出来たのは『自分が諦めなかった』ってことと
『応援してくれたたくさんの人がいた』ってことなんだと思いました。

帰国後、この話しを面白、おかしく、話をしているといろんな反応がありました。
その時の話に共感して走りたいという人も出てきました。

よく『諦めなければかなう』『思えば実現する』と言いますが、ホノルルマラソンはそれを実体験できるいい機会だと思います。
自分がいかに既成概念で縛られたのかもよく判ったので私にとってはとても貴重な体験でした。


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