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ハナちゃんといっしょ
沖縄旅日記・その2
5月3日、沖縄5日目のその日、私たち7人は特に何も計画がありませんでした。まあ、また1人でぶらぶらしようかな~なんて考えていると、ジェシカとアマンダが私の元へ小走りでやってきました。2人は、マンディ、ポール、ハッサンは首里城へ出かけ、ローラを含む残りの私たち4人は特に計画がないので、ローラが起きる前に3人で出かけようということでした。私たち3人は日ごろからいつもいっしょに休日を過ごすことが多く、気兼ねする仲ではありません。しかしローラは今までのことでちょっとうんざりしていたので、一緒に行動したくなかったのですね…。
とりあえずホステルを出て、マクドナルドで朝ごはんを食べながら、シアトルコーヒーでコーヒーをすすりながら、ガイドブックを見て行く場所を決定!世界遺産のひとつ識名園と、豊見城市の旧海軍壕に行くことにしました。
まず向かった先は識名園(俗にシチナヌウドゥンと呼ばれています)。ここは2百0年にユネスコの世界遺産、国指定特別名勝に指定されています。18世紀の終わりごろに造られ、琉球王家最大の別邸で、国王一家の保養や外国使臣の接待などに使われました。
まずは御殿(うどぅん)の中を見て回りました。御殿の部屋は15もの部屋がありますが、冊封使を迎える一番座から三番座、前(メー)の一番座、二番座に見るたびに、ジェシカとアマンダはなぜかしら受けていました。ジェシカは昔のトイレの写真を撮っていました。珍しいのでしょうね。
御殿の入り口にいたお友だち。(撮影・アマンダ)
識名園の造園形式は、池の周りを歩きながら景色の移り変わりを楽しむことを目的とした「廻遊式庭園」になっています。池に浮かぶ島には、中国風あずまやの六角堂や、大小のアーチ橋が配されています。
六角堂。後ろの方の建物は御殿(うどぅん)。
石橋。
かつては春は東の梅林、夏にはナカシマや泉のほとりにフジ、安岐には池のほとりの桔梗が花を咲かせていたそうです。1941年に国の名勝に指定されましたが、沖縄戦によって壊滅的な破壊を受けました。1975年から整備が進められ、20年の歳月と約8億円をかけて今日のような姿を取り戻しました。
この時期はランタナが咲き誇っていました。
草むらにはこんな立て看板が。
たぶんあまりメジャーな観光地ではないと思います。連休中なのに閑散としていましたから。でも、のんびりと休日を過ごしたい方には、お勧めの場所だと思いました。緑に囲まれていて、本当に素敵でしたよ。
●旧海軍司令壕●
識名園
を離れ、国際通りに戻った私たち3人は、豊見城に向かうバスを探しましたが本数がありません。そこでタクシーを使いました。那覇市内からとても近いし、料金もそんなに高くはありません。向かった先は恒久平和祈念・旧海軍司令部壕でした。
豊見城の丘に立つ平和祈念塔、この地下には、昭和19年(1944年)日本海軍設営隊(山根部隊)によって掘られた防空壕があります。当時は450mあり、カマボコ型に掘り抜いた横穴をコンクリートと坑木で固め、米軍の艦砲射撃に持久戦に持ち込むための地下壕で、4000人の兵士が収容されていました。この兵士たちは、壕の中で戦死、自決をされました。
戦後しばらく放置されていましたが、遺骨収集の後昭和45年(1970年)3月観光開発事業団によって司令官室を中心に275m復元され平和を祈願し公開されました。2400人の方の遺骨が収容されたそうです。
館内に入ると、最初は併設の資料館が見学できます。沖縄戦での被害者の数字等が全て展示されています。また壕内で発見された遺品や写真などの展示があります。
そして、地下25メートル、105段の階段を下っていくと、縦横に張りめぐらされたトンネルに出ます。トンネル内にはいくつもの壕があり、それぞれの役割がありました。司令官室、医務室、発電室などがあります。
トンネル内の様子。
このトンネルは広くて歩きやすいのですが、中には暗くて狭いところもありました。この中で息を潜めるようにして、戦略を立てていたのですね…。
自決の痕の残る幕僚室。
司令官室と壁に書かれた文字。
『滅覆米醜』と書かれています。アメリカ人のジェシカとアマンダが、この字の意味を聞いてきました。う~ん、なんて説明すればいいのやら。でも、2人とも戦争にはとても感心のある子たちだし、過去の歴史のことなので、とりあえず文字通りに訳しました。すると、2人とも苦笑。
「醜いアメリカ人ねぇ…」
とつぶやいていました。
どこの国の人でも、戦争に関する資料を見ると無口でしんみりなってしまいます。今はどんな考えなのかわかりませんが、当時はブッシュ大統領支持派で、イラクへの攻撃は正当だと主張していたジェシカ、それとは正反対の考えのアマンダでも。平和を祈らずにはいられない場所でした。
●パイナップル・ツアーズ●
5月4日、沖縄旅行6日目。私たち7人の沖縄滞在期間は7泊8日。しかも、ずっと那覇泊まりです。那覇も毎日いてもおもしろくて飽きないのですが、やっぱり遠くに行ってみたいと思っていました。そこでレンタカーを借りて、本島を北上することにしました。
借りた車は普通車と軽の2台。普通車は危険ドライバーのジェシカが運転(みんな嫌がっていたけど…)。軽はポールが運転で、ハッサンとローラが乗っていました。しかし、ポールの体調が思わしくなく、途中で私が運転交代。私の隣は大嫌いなハッサン。後部座席ではローラが鼻歌を歌っていました。しかし、ここでハプニング発生。前を走っていたジェシカが急に車線を変え、あせった私も変えようとしたら後ろからものすごいスピードで車がやってきました。もう少しで衝突でした。怖かった…。
ローラとハッサンの行きたいのは本部にある水族館。私も水族館は好きですが、この2人と行動するのはまっぴらごめん。普通車に乗り換え、5人で名護にあるナゴパイナップルパークに向かいました。これはジェシカのリクエストでした。
パイナップルパークに着くと、まずはゲートに並んでカート「パイナップル号」に乗り、アナナスガーデンを見て回ります。
かわいい?パイナップル号。
ポールが運転席へ。このカートにはハンドルがついていますが無用の長物、操作しなくても勝手に進路に動いていくれます。
乗り心地はいかが?
そして色鮮やかなアナナスガーデンへ。
アナナスはパイナップル香の植物で、ほとんどが中南米が原産です。ここでは約500種のアナナスが見られるだとか。でも、アナナスってフランス語でパイナップルっていう意味じゃなかったかしら、確か。
美しいアナナスの花畑を抜けると、パイナップル畑が広がります。でも、ほとんど実はついていませんでした。収穫された後かな?
巨大なパイナップルの像。(撮影・マンディ)
カートを降りると、今度はパイナップルワイン飲み放題&パイナップル食べ放題です。運転じゃないからワインをしっかりいただきました。しかし、甘いお酒は好みじゃないので微妙。パイナップルは昼食分もしっかり食べました。甘くておいしいです。パイナップルにかんするお菓子などのお土産物も豊富でしたが、何も買っておりません。
観賞用?(撮影・アマンダ←現在本物のカメラマン!)
そして次は、たまたま通りかかった場所に寄るのですが、世にもおぞましいものを見ることになるのでした…。
●ハブ VS マングース●
パイナップルをたらふく食べ、パイナップル園をあとにした私たち5人は次の目的地に向かいました。その途中、ハブの館なるものを発見!寄ってみることにしました。
一応料金チェックをすると、無料だというので入りました。なんだか、小さな劇場のようなところに案内されました。前のステージが終わって中に入ると、演台にバンダナを巻いたおじさんがいました。おじさんは英語がとても上手で、友人たちに席の案内をしていました。
人がたくさん入るとショー(?)の始まり。おじさんはでっかいハブを取り出しました。いや~、初めてハブを見たけど、長くて大きいものなんですね。私はマムシのように小さなヘビを想像していました。私はヘビ類は見るのは平気なのですが、アマンダなんか顔を真っ青にしていました。
おじさんとハブ。
おじさんはハブの生態や猛毒性なんかについて話してくれました。ハブはおとなしく、まるでペットのようでした。でも、見ていておじさんが噛まれやしないかとハラハラドキドキです。
それから、ハブの天敵のマングース。
マングースって意外にかわいいんですね~。「のだめカンタービレ」というマンガで、猛毒に困った沖縄の人々がハブと戦うマングースを島に放ったものの、ハブとは戦わずにアマミノクロウサギを食べ、爆発的に繁殖したと書いてありました。で、マングースを捕まえて役所に持っていくと、2000円くれるのだとか。本当でしょうか?
おじさんは、さもこれからハブとマングースの戦いが始まります~!なんていうふうに話していたけど、確か動物愛護法か何かで今は禁止されているはず。会場が真っ暗になると、ハブとマングースの戦いのビデオ上映が始まりました…。友人たち、苦笑。まあ、無意味に戦わせるのを見世物にするのは、私もあまり好きではないのですけどね。
ビデオ上映の後は、滋養強壮にハブの粉やら飴やらなんやらのハブ製品の宣伝が始まりました。高いので、もちろん買ってはいません。ハブキャンディーを1個だけいただきました。味は普通です。
そして帰り際にハブに触れるということで前のほうへ。お客さんは手でハブを触ってみたりしていました。私も軽くタッチ。すると、おじさんはマンディにハブを首にかけてごらんと聞くと、マンディは了承。
ハブとマンディ。
すごい勇気です、マンディ。私にはとてもできませんもの。アマンダなんてますます真っ青でした。さすが、ガラガラヘビのいるアリゾナ州出身←あまり関係ない?どうでもいいけど、マンディって夏川りみに似ていませんか?
ここを離れ今帰仁に向かっていると、なんと車の前を野生化したマングースが横切っていきました。イタチのようにすばしっこくて一瞬しか見ていませんが、みんな大興奮でした。
●世界遺産・今帰仁城跡●
沖縄を旅行する前にいちばん見てみたかったのが、今帰仁村にある世界遺産・琉球王国のグスクおよび関連遺跡群のひとつである、今帰仁城跡でした。なぜって?まず、「今帰仁」がなぜ「なきじん」というのか、その言葉がたまらなく気になったこと(いまだにわかりませんが)、それからガイドブックで見た今帰仁城の正門の写真がすばらしく立派で、気になっていたのです。
ここは私のリクエストで行くことになり、他の4人が気に入らなかったらどうしましょうとやや心配な私。しかし、目的地に近づくにつれて美しい海が目の前に広がるし、マングースは車の前を横切るわでテンションは上がっていきました。そして到着。
料金所の受付で猫ちゃんがお休み中。
今帰仁城(別名北山城)は、いつ誰によって築かれたかは不明です。発掘調査の結果で、13世紀始めには城造りが始められたことがわかっています。歴史に登場するのは14世紀の中国の史書で、この北山の地域は奄美大島を支配下において中国と貿易をしていました。しかし、中山の尚氏に滅ぼされ、北山としての歴史を閉じます。1422年以後は北部地域の監守の居城となりますが、1602年の薩摩軍の琉球侵攻により炎上しました。監守が住まなくなってからは御嶽として参拝者が訪れるようになったそうです。世界遺産に登録されたのは2000年12月です。
そして、憧れの正門へ。
これが見たかったんです、この平郎門が。ただ、現存するものは昭和37年に復元されたものです。両脇には門番が見張りをするための見張り穴がありました。
門をくぐって城跡に行くと、目の前には城壁と美しい海が広がっていました。
城壁は全て石(たぶん石灰岩)を積み上げられてできているんですね。重機のない時代によくこんなものを造ったな~と、遺跡を見るたびに感心します。私は中国へ入ったことがないけど、日本版ミニ万里の長城みたいだなって思いました。
周りには白いユリの花がたくさん咲いていました。気になる友人たちの反応ですが、気に入ってくれたようです。城壁と海だけでも絵になるし、ユリや石畳も風情があって絶好の撮影スポットですからね。ここはまた、梅の咲くころに来てみたいなって思いました。12月中旬以降でしょうか。
資料館も見学したかったのですが、みんな興味がなさそうだし、時間もなかったので引き返すことにしました。今帰仁城跡を出た途端、激しい雨と雷になりました。那覇への帰り道は、有名な観光スポットに寄って帰りました。
●景勝地・万座毛●
今帰仁城を出発すると、黒い雨雲が空に広がってきました。夕立がきそうでした。お昼ご飯を食べていなかった私たちは、何か食べようとレストランを探しますがめぼしいお店が見つかりません。私はパイナップルをたらふく食べていたのであまりお腹が空いていませんでした。ようやくパスタの店を山奥に見つけて店に入ると、その途端に雨がザーッと降り始めました。
食事を終える頃には雨も止み、私たちは那覇へ向かって運転していきました。しかし那覇に帰る前に、マンディ、ポール、私はどうしても寄ってみたい場所がありました。それはとても有名な恩納村にある景勝地の万座毛でした。ジェシカとアマンダは以前沖縄へ旅行した際に行ったことがありましたが、付き合ってくれました。
ここでローラとハッサンと落ち合う予定でしたが、2人はまだ到着していませんでした。そこで5人で万座毛周辺を散策することにしました。
隆起サンゴの海岸の先が象の鼻に似ているといわれる万座毛。
万座毛(県指定名勝・天然記念物)は沖縄本島のほぼ中心に位置しています。隆起サンゴの断崖から見える東シナ海は海の色合いを変化させて、雄大な景観を望むことができます。隆起サンゴの台地の上には、天然の芝が広がり、その周りの植物群落は県の天然記念物に指定されています。
「万座毛」の由来は、18世紀前半にここを訪れた琉球王が「万人も座する草原」と言ったからだとか。「毛」とは野原のことだそうです。
この岩穴もきれいでした。
本土復帰前、万座毛一帯には中国、北ベトナム、北朝鮮の放送を受信する米国国務省の放送局基地として使用され、無数のアンテナが立っていたそうです。
万座毛のアダンの木。
このアダンの木、最初は木になるパイナップルかと思っていました。売店のおじさんがアダンだと名前を教えてくれました。食べられるのか聞いてみたら、食べられないこともないけど、カラスぐらいしか食べないとのことでした。
この時は夕暮れの上に曇っていて、海の色はきれいなのですが写真で見たのとはやっぱり違っていました。今度は晴れた時に訪れたいと思いました。売店のおじさんが空を見上げて、
「もうすぐ沖縄は梅雨だよ」
と言いました。
散策を終えた頃、ローラとハッサンが到着しました。もう一度周辺を散策しました。もっとのんびりしたかったけど、レンタカーを返す時間も迫っていたし、万座毛を後にしました。しかし、連休中なのに沖縄の高速道路は空いていること!ジェシカは気持ちよく飛ばして私たちは怖いので居眠りし、ガソリンを満タンにして返す時間の5分前に那覇空港に到着しました。もう、パーフェクト!
パイナップルガーデン、ハブ館、今帰仁城、そして万座毛と盛りだくさんの1日をやっと終えました。
●那覇ハーリー●
5月5日、沖縄旅行7日目。この日の朝は、今まで宿泊していたホステルをチェックアウトしました。最期の一晩だけ、国際通りの端のほうにあるホテルに宿泊できるのです。ホテルへ移動し、チェックインの時間前だったので、私たちは荷物だけを預けて出かけました。ローラ以外の私たち6人はタクシーを拾って相乗り、向かった先は那覇の泊港でした。ここでは年に1度の那覇ハーリーというお祭が開催されていました。
会場に着くとものすごい人。タクシー2台で行ったので、相乗り組みの姿が見えません。なんとか出会って合流し、祭り見学…と思いきや、こやつらは腹が減ったと屋台に向かいました。
それにしても、那覇の屋台料理は豪勢でした。ボリュームがちがいます。私は見ているだけでお腹いっぱいだったので、もったいないけど何も買わずじまい。レースが見たいよ~と思いつつ、彼女らが食べ終わるのを待っていました。会場の一角では、沖縄アクターズスクールの発表会がありました。将来の有名人がここに?な~んて思ってみたり。
おいしいかい?
そしてようやくボートレース見物。那覇ハーリー(爬竜船競争)は海の神様に感謝し、安全を祈願することから始まり、沖縄県各地で開催されます。那覇のものは沖縄では最大規模で、毎年大型連休の3~5日に開催されるのだそう。かつては廃藩置県で禁止になったものの、1975年に復活したのだそうです。
5日の前半は職域ハーリーで、中学生から一般の人が参加でき、女性だけのチームもあるのだそう。後半は祭りの本番の本ハーリーです。
これは職域ハーリー。
私はゆっくりと本ハーリーまで見たかったのですが、やつらは「はい、見た!」とばかりに会場を去ろうとします。いつもの私ならここで一人行動に出るのですが、みんなと楽しく過ごせるのもこれが最後の日、まあいいかと祭りの場を去りました。
私は見たことがないんですけど、香港でもドラゴンボートレースってありますよね。香港の友人が、香港の離島で行われたドラゴンボートフェスティバルの写真を見せてくれたことがあります。那覇ハーリーも派手だけど、香港のは子どもが民族衣装を着てきれいにお化粧していたり、かなり派手だった印象があります。
少しの時間だったけど、なかなか見ることのできない祭りを見学できました。
●旧沖縄県立博物館●
那覇ハーリーの会場を後にした私たちはいったんホテルに戻りました。ここでハッサンは別行動。いつもの5人となりました。那覇で過ごせる最後の午後、何をするか話しました。大体見たいものは見たし(私はまだ見たいものがあったけど…)、買い物は翌日の午前中にできるし…。そこで、まだ私以外の4人の行っていない沖縄県立博物館へ行くことになりました。
博物館の前のシーサー。
この博物館は、1人で那覇を散策したときに行きました。規模もそんなに大きくはないし、ゆっくり見たとしてもそんなに時間は要しません。でも、まあ博物館は大好きだし(学芸員の資格保持者!)、まあいいかと思って付き合いました。入場のとき、受付でなぜか私も英語のパンフレットをいただきました。
沖縄県立博物館は古い2階建てで5、つの大きな展示室に分かれていました。民俗展示室、企画展示室、自然史展示室、美術工芸展示室、歴史展示室です。
民俗展示室では、沖縄の島々によって異なる農耕魚撈などの生活用具をはじめ、衣食住、信仰と祭り、遊びや芸能などが展示されています。私はこの民俗の展示がとても興味深かったです。中でも沖縄の棺おけの形。もちろん古いものですが、本土と全く違っていました。何とかこの場で見せられないかといろいろ検索してみましたが、見つかりませんでした。
それから歴史展示室もなかなかおもしろかったです。琉球列島の形成、先史時代、グスク時代、琉球王国の誕生、島津氏侵攻、王国末期、琉球処分、沖縄戦、アメリカ統治の時代…。まるで日本であって日本でない歴史です。そりゃ、かつては日本ではなかったのだから、独自の歴史があるのでしょうから。日本史の中で初めて登場するのは外国としての琉球王国でしたものね。
歴史を少しでも頭に入れておくと、美術工芸展示も楽しめました。琉球王国時代は中国、日本、東南アジア諸国と外国交流があり、各国から積極的に諸技術を導入し、沖縄の気候風土にあった独自の文化が形成されたそうです。織物や染物の鮮やかさ、以前紹介した独特の焼物、沖縄独特でありながら他の文化の香りもします。シーサーは日本でいえば狛犬?ベトナム人の友人が、ベトナムにもシーサーのような架空の動物の像があると言っていました。
ただ、ここの博物館は確か展示物の英語の説明がないんですね。日本語の流暢なポールはともかく、他の3人の日本語のレベルでは到底理解不可能。だから、ほかのメンバーは自然史の展示がいちばんおもしろかったようです。動物や植物は住んでいる環境ごとに展示されているので、わかりやすいし、展示物の背景は沖縄の自然を描いたり造られたりしています。イリオモテヤマネコは意外に小さかったです。
日本の博物館は写真撮影が許可されていないところが多いので、文章だけの説明ではちょっとわかりにくいですね。小さいけれど、日頃目にすることのできない沖縄に関する展示を興味深く鑑賞しました。
ただ、この博物館はもう閉館されているのだそうです。記事を書こうとネットで調べたところ、現在新しい博物館(美術館も併設)を建築中で、展示品もそちらに移されているそうです。オープンの日はちょっとわかりませんが、次回那覇を訪れる機会があれば、ぜひ立ち寄ってみたいと思います。
これも古い?博物館の近くにありました。
●世界遺産・玉陵●
さて、博物館のあとは私のリクエストで世界遺産の一つであり(2000年12月指定)、国重要文化財・国指定史跡の玉陵(たまうどぅん)まで歩いて行きました。玉うどんではありませんので…。ここは首里城のすぐ近くにあります。
玉陵に着くと、まず受付で料金を払い、陵墓の中に収められていた棺や副葬品などの展示を見ることができます。また尚氏の系譜、戦前の玉陵の写真などが展示されていました。陵墓の中には入ることができないので、こうやって見せているのですね。まあ、世界遺産といっても人のお墓の中にずかずか入っていくのは私もどうもいい気持ちではありません。
建物を出て、少し歩いていくと玉陵が見えてきます。想像以上に大きな石造建築物でした。ちょっとびっくり。
門の外から。
玉陵とは代々の琉球王のお墓です。1501年に3代目の尚真王が父尚円王の遺骨を改装するために築かれ、以後第二尚氏王統の陵墓となりました。全体のつくりは、当時の板葺き屋根の宮殿を表した石造建築物になっています。墓域はなんと、2442平方メートルの広さです。
墓室は3つに分かれ、中室は洗骨前の遺骸を安置する部屋、創建当初の東室は洗骨後の王と王妃、西室には、墓前の庭の玉陵碑に記されている限られた家族が葬られました。実は、洗骨は初めて聞いた言葉でした。火葬された骨が洗われることって、それは琉球の王家だけなのでしょうか?それとも沖縄全土?まさか本土も???
玉陵が何かも知らずにいっしょに来た友人たちも、とても興味を持っていました。珍しい建築物を目の前に、じっくり見たり写真に収めたりしていました。
金城の石畳にも連れて行こうかと思いましたが、辺りは薄暗くなり始めていたので国際通りに戻りました。5人でぶらぶらと歩いてアイスクリームを食べたり、風船なんかもらったりして、沖縄最後の夕暮れどきを楽しみました。
疲れ果てたマンディと私はホテルに戻り、のんびり。晩ご飯もコンビニおむすびで済ませました。元気な人は那覇の夜を楽しんでいました。
●また来るね、沖縄●
5月6日、沖縄旅行8日目。楽しかった沖縄の旅もこの日がいよいよ最後となりました。すごく楽しかったし、朝起きたときはなんだか寂しい気持ちになりました。帰りの飛行機は午後の便、ホテルのチェックアウトは11時だったので、それまでは最後の国際通り散策となりました。本当、毎日歩いたよ、国際通り。
私はマンディといっしょに歩きました。母に琉球ガラスでできた花を買ったり、マンディと2人で空手道場のお土産を買ったり、最後の沖縄のアイスクリームの食べ納めもしました。いや~、本当においしかったわ、沖縄の食べ物。それから沖縄限定ハイチュウのパイナップル味も買い込みました。これがおいしいんです。大分市の沖縄専門店でも売っているけど、やっぱりちょっと割高なんですよね。輸入物じゃないんだから同じ値段にしろっていうの!なんて思っちゃいます。
そしてチェックアウトの時間。6人そろってモノレールに乗り、空港に向かいました。私たちは7人で沖縄へ来たはず。でも、ポールだけあと3泊するので残りました。なんでも親戚のおじさんが県北に住んでいるので会いに行くということでした。ポールは台湾出身なので、親戚が日本や北米各地に移住しているわけなんですね。そういう彼もカナダ移住組です。
空港に着いて時間がたくさんあったので、マンディ、ジェシカ、アマンダとお茶をしました。実は沖縄へ来る以前は、私はアマンダがとても苦手でした。グループでいつもいっしょに過ごしていたけど、そんなに仲良くなかったんです。でも、この旅を通して彼女と仲良くなれたことがいちばんうれしかったです。まだ時間があったので、インターネットで福岡に着いてから熊本経由でバスで帰るので、予約なんかをしていました。すると、下の方からにぎやかな音楽が…。
伝統芸能が行われていました。
たくさんのお客さんが見ていて、ショーが終わると記念撮影のサービスまでやっていました。たぶん無料ですよね。壁に、『搭乗時間に注意しましょう』ってなことが書いてあって、ショーに夢中で時間を忘れてしまう人がいるんでしょうね。それにしても那覇空港は大きいです。福岡よりも大きいなっていう印象がありました。
そしていよいよお別れ。飛行機の私の隣はハッサンとマンディ。うわ~、旅の終わりがハッサンかい?きれいな景色を見ながらお別れ…って行きたかったけど、空は曇っていました。この日、沖縄はその年の入梅を迎えたのでした。
7泊8日の沖縄の旅、グループ旅行が苦手な私には窮屈なこと、それからトラブルもあったけど、楽しいことのほうが数倍もあったとても素敵な旅行となりました。その後、ポール以外はそれぞれの国に帰ってしまいましたが、いい仲間とこんな風に旅行できたことは、一生の思い出です。
最後の晩に。
おわり♪
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