ハナちゃんといっしょ

ハナちゃんといっしょ

長崎3人旅(作成中)



●長崎っていいところ●

旧正月の時期になると、行きたくなるのが長崎市のランターン・フェスティバルです。同じ九州なのになぜか長崎は遠い感じがして、小学校の修学旅行で行っただけの地でした。ただ、とても印象深い町で、小学生の頃のことなのに今でもいろんなことをしっかりと覚えています。当時買った絵はがきもまだたくさんあります。

今から2年前の2月、再び長崎へ行く機会が訪れました。2005年のある冬の日、私は悪友マーティンのところでほかの友人たちとビデオを見ていました。で、長崎ってどんなとこって話になり、私は2月に行けば旧正月を祝うランターン・フェスティバルがあるよ♪と話しました。それから数日後の2月のある日、マーティンとピーターから長崎旅行のお誘いがあり、行くことに決定!日時が決まったのが3日前で、大あせりで宿泊施設などを手配しました。

宿泊施設はなるべく安いところ。最初はユースホステル(YH)に電話をしたのですが、大きなイベントのある週末だし、長崎のYHは収容人数が少なくて予約できず。しかし、YHの方がほかの格安旅館の電話番号を教えてくれました。で、そこに電話したのですが、そこも予約でいっぱいで取れず。またその旅館の方が、ほかの格安旅館を紹介してくれました。そこは無事に予約が取れました。っていうか、長崎の方って親切ですよね~。予約が取れなかったらほかのところを紹介してくれるなんて、初めてに等しかったです。

その日は早朝出発でした。ピーターは朝5時に出ようと言ったらしいのですが、朝の弱い私はそれだけはご勘弁を…と8時にしてもらいました。2人をピックアップし、うちの父の車を借りて長崎へいざ出発。運転手はマーティンくん。熊本経由で、途中モズバーガーによったりなんたりで高速に乗り、一路長崎へ向かいました。

鳥栖ジャンクションまでは早く着いたのですが、長崎って意外に遠くてびっくり。車は走れども走れども、なかなか市内にはたどり着きません。ピーターは後部座席で寝ているし、私はとりあえず運転手さんとしゃべりまくっていました。失敗したのは音楽テープやCDを忘れてしまったこと。ラジオをつけていたのですが、長崎の海を見ながらのドライブのBGMは演歌。もう笑いしかでてきませんでした。

さて長崎市内に入り、ナビの私は地図とにらめっこ。前の晩、旅館周辺の地図をヤフーマップで探してプリントアウトしていました。市内のにぎやかなところを通り抜け、なんとかたどり着きました。うん、最高のロケーション。長崎駅の近くにありました。もちろん、駐車場もあり!小さな旅館でした。

旅館に着き、部屋に通してもらうと、そこは客室というよりもちょっとした下宿のお部屋という雰囲気。テレビの前にはこたつがありました。男性2人、女性1人と事前に伝えていたので、2間ありました。ちょっと安心。いくら私が色気のない女でも、やっぱ雑魚寝は嫌ですからね。

部屋でお茶を飲んだ私たちは、早速観光に繰り出たのでした。

町にはこういう歴史的な物がいたるところに!
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●坂の町を歩く●

旅館に着き、早速長崎散策に繰り出た私たち3人がまず最初に行った場所は、日本二十六聖人殉教地でした。そこは泊まっていた旅館のすぐ近くの丘の上にありました。

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ここでSTUDY!日本二十六聖人殉教地とは…。豊臣秀吉の禁教令により京都や大阪でとらえられた外国人宣教師6人と子供を含む日本人20名は長崎に送られ、慶長元年(1597)2月5日に、長崎西坂の地で処刑されました。外国人宣教師達はキリストが処刑されたゴルゴダの丘にここが似ているため、この地で処刑されることを希望したと言われています。

この事件の話は長崎に滞在していたルイス・フロイス神父によりヨーロッパに伝えられました。この悲しいできごとは広くヨーロッパに知れることとなり、この報告を受けたローマ教皇は涙を流し悲しまれました。そして盛大な祭典をローマで行い、26名の殉教者を聖人に列し「日本二十六聖人」と称せられたのです。昭和36年、列聖百年を記念して26聖人の殉教碑と資料を展示した記念館、記念聖堂が建てられました。

上の写真を見てわかるとおり(小さすぎて見えんわ!)、真ん中のほうに背の低い子どもの像があります。12~14歳の子どもが3人この中にいたそうです。この近くには記念館とまるでスペインの教会のような聖フィリポ教会がありましたが、残念ながら見ていません。

それからいざ、ランターン・フェスティバルのある中華街へ向かいました。駅から中華街までは路面電車が走っていますが、地図を見てもそんなに遠くないし、ちょうちんに灯りがともるには明るすぎます。若い2人と歩き好きの私は、長崎の町をぶらぶらしながら歩いて向かうことにしました。

長崎は日本一自転車の台数が少ない町です。それもそのはず!坂道が多いのです。私たちは比較的平たんな市街地を歩いたのですが、それでもこの坂は…っていうような坂道もいくつかありました。私は坂が多くて海の見える町が大好きなんです。広島の尾道も、アメリカのシアトルもとても好きな町です。

次にたどり着いた先は有名な眼鏡橋です。

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ここは外国人の2人とも何気に見たかったようです。ここで紹介するまでもないほど有名な、日本最古の石造アーチ橋です。1634年に興福寺唐僧子禅師(とうそうもくしぜんし)によって架設されました。川面に写るその姿から「めがね橋」と親しまれてきた橋です。1960年に国の重要文化財に指定されました。

ご存知の方も多いかもしれませんが、約20年ほど前の九州の集中豪雨の際に、この橋は一度濁流に飲まれて消えてしまいましたが、その後再建されました。この眼鏡橋の架かる中島川にはたくさんの石橋がかかっています。長崎の石橋のなかで本物の石橋はこの橋と桃渓橋と袋橋のみなのだそうです。

眼鏡橋の近くにアイスクリームのスタンドが!
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このアイスをよく見てください。かわいらしい花の形をしています。いつもの私ならアイスに食らいつくのですが、この日は腹の調子が悪くて…残念!アイスを持ってはしゃぐマーティンを、うらめしく眺めるだけなのでした…。

●皇帝パレード●

眼鏡橋からしばらく歩いて行くにつれて、イベントの飾りもだんだん増えてきました。ちょっと大きな橋の上には、猿をかたどった大きな提灯がありました。人の背丈の2倍以上はあったと思います。その提灯の写真を撮りに行くと、向こう側の商店街のアーケードにはいたるところにたくさんの飾り提灯があるのを発見!それを見て回ろうと、私たち3人はアーケードの中に入って行きました。

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さて歩いて回ろうとすると、なんだか人が増えてくるし、ロープは張られているし、警備員がたくさんやってきて人の整理を始めるし、ここで私はピーンときました。何かイベントが始まると…。

はい、予感は的中!アーケードの中を見回すと、上のほうの広告に「皇帝パレード」書かれた文字を発見しました。2人にそのことを告げると、まあ見てみようかということに。私はいちばん前を陣取りました。2人が私がチビだからと気をまわして前に出してくれました。うれしいような、悲しいような…。

人はどんどん増え、警備員も下がれだなんだと拡声器を持って叫び始めました。パレードの開始まであと数分でした。ふと後ろを見ると、マーティンはいるものの、ピーターがいません。ピーターはどこに行ったのか聞くと、マーティンは
「知らない。彼はいつも突然いなくなるんだよ。僕は彼のそこんとこがいちばん嫌いだ」
ということ。私は当時、普段マーティンとはよく遊んでいたけど、ピーターはみんなと一緒のときにしか遊ばないって感じだったので、ふ~んって感じでした。しかし、そんな彼の行動はこの2日間で度々。私は気にならないんだけど…。

時間が過ぎても皇帝パレードはなかなか始まりません。私の後ろではマーティンが1人でうるさかったです。
「いつパレードは始まるんだ?なぜ彼らはこないんだ?なぜ警備員はあんなにうるさいんだ?なぜこんなに人がいるんだ?」
そんな質問にいちいち答えていたのですが、
「なぜ僕らは待ってるんだ?なぜピーターはいないんだ?なぜ君はこんなにチビなんだ?」
はい、最後の質問には私も
「うるせー!!!!!」
と日本語で怒鳴っていました。こいつはそういうヤツ。最後は私がキレてギャンギャン言うのを楽しんでいるようなヤツです。

そしてや~っとパレードの開始(振りが長いって?)。鮮やかな色とりどりの中国服を着た一団が、ゆっくりとアーケードの中を歩いていきます。皇帝や皇后役らしき役柄の人は輿に乗っていました。小さな子がメイクをしてわけもわからず歩いている姿がとてもかわいらしかったです。ほんの10~15分ほどのパレードで、最後のほうは九州各県の「ミス○○」と書かれたたすきを着用した女性たちも歩いていました。もちろん、大分の方もいましたよ。

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気がつけばピーターも帰って来ていました。どこかでパレードの写真を撮っていたようでした。2人ともパレードはちょっとつまらなかったようで、
「僕らはなんでこんな長い時間、あんなのを見るために待ってたんだ?」
なんて言っておりました。風情のないヤツらめ~。

それからアーケード内の飾り付けをゆっくりと見て、メイン会場の中華街に向かったのでした。

●中華街と中国雑技団●

そしてついに中華街に到着しました。駅周辺からなのでけっこう歩きましたが、若い2人と元気な私は平気です。体力、ありあまってますから(笑)

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それにしてもすごい人でした。長崎の中華街は面積が狭いって聞いていたのに、自分たちを含めていったいどこから人が?ってくらいあふれかえっていました。街のいたるところはたくさんの色とりどりの提灯であふれかえっていて、本当にきれいでした。いろんなお店などを見て回っていると、やっぱり時々行方不明になるピーターにマーティンはちょっとイラついていましたけど…。

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お腹がすいてお昼ご飯を食べたいのだけど、どこの店も人でいっぱいでした。そこで、屋台で買って食べながら歩くことに。私は角煮まんを食べたのですが、これがとてもおいしい!豚肉はあまり好きではないのだけど、じっくり煮込んでいるので脂っこくなく、とろけるような食感に大満足でした。揚げたての海老せんべいも買って、ビールを片手に食べましたが、これはちょっと油が多かったかな。胃にもたれちゃいました。

でも、やっぱり狭いもので、ここでマーティン&ピーターの友人とその連れの4人のご一行様に遭遇。彼らもいっしょにメイン会場にいました。ここは干支や人をかたどった大きな提灯がたくさん飾られていました。豚の頭なんかもあって、そこは人でたくさんで写真が撮れませんでした。しばらくすると、皇帝パレードもメイン会場へ帰ってきました。

2人の友人グループと別れ、私たち3人は中国雑技団の催されている会場へ向かいました。そこもものすごい人だかり。前のほうはもう人でいっぱいです。2人とも183cmもある大男ですけど、私は155cm足らずのチビ。アナウンスしか聞こえず、何が起こっているのかまったく見えません。背伸びをしたり、ジャンプをしたのだけど、まったく見えず…。

そこで、やっと見えたのが空中で大きな壷がくるくる回っている様子でした。
「ねえ、何で壷が回っているの?」
と2人に聞くと、2人は腹を抱えてゲラゲラ笑い出しました。そんな質問をする私がとてつもなくアホっぽかったようです。失敬な!何でも、女の子が仰向けに寝て、足を高く上げて回していたのだそうです。優しいピーターは、デジカメでその様子を撮って見せてくれました。意地悪男のほうは、近くにいたおばあちゃんを見て、
「ほら、君より小さい人がいるよ」
なんて言いやがりました。後半は少しは見られたのですが、首が疲れたわ…。あ、そうそう、ここでは鯨のカツの屋台があったけど、長崎名物なのかしら?欧米人の2人は顔をしかめていましたけどね。

この会場の飾り。
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その後、2人の友人たちと合流し、夜の長崎へ繰り出たのでした。


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