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2009.10.31
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カテゴリ: 音楽
今日は、京都まで、プレヴィンがNHK交響楽団を連れて、モーツァルトをやってくれるというので、行ってきました。
例によって、チケットは6月頃から発売されてたらしいのですが、気付いたのは9月、、、なので、残った席から選ばざるをえませんでしたが、残っていただけありがたかったです。

京都コンサートホールは気付くと、大分、ひさしぶりでした。10年近いかな、、、前、コープマンがやはりモーツァルトのレクィエムを演奏したのを聴いて以来かも。
席は、このところの兵庫県立芸術センターの1階席の後ろのほうで聴いて、横からの雑音がヒドすぎるのに辟易してるので、避けた結果、舞台に向かって右手のソデの席の2階という、ティンパニの後ろあたりの席です。もっとも前から3列目なので、眼の前がティンパニということはなく、それなりに全体が見渡せますが。

実際にホールに行ってみると、兵庫県立とちがって、両サイドの席は、1階席ではなく2階席にしているので、たぶん、1階席にありとあらゆる雑音が集まる、、、というようなことはなさそうです。考えたら、レクィエムのときも、大丈夫やったもんなあ、、、、

そんな席なので、音としてかならずしも有利、、とはいえませんが、ちょっとだけ、オケの団員の気分とまでは言わないまでも、舞台上の音、、、が聴けました。
また、心配した、トランペットやティンパニなどの音が、客席の最後部に反射して、「こだま」になるようなこともなく(サントリーホールは、コレが起こります、、、)、快適に聴くことができました。なにより、プレヴィンの指揮がすべて見えます。表情も、見えるので、たとえば、ハイドンっぽく、ホルンを強奏するところで、ちょっと、いたずらっこっぽくほほえんだり、また、とにかく、ムダな動きがないのが、みてとれます。(といっても、やっぱり、聴くのなら、ふつうの席がいいかな、、、)
80歳を超えたというのに、テンポが弛緩することもなく、、、というか、ところどころ、オケが実際に弾いているよりも、もうちょっと、速めにしたそうにしてたように思える部分もありました。

さすがに、若いころのプレヴィンだったら、乱れなかっただろうな、、、と思うような部分もあるにはあり、また、ちょっとだけ「お見合い」してしまうようなところも、立ちあがりのところではあったようにも思いましたが、さすが、N響!!全体に、とても機敏に、また、まるで「ひとつの生き物」のように、音楽の織物をつづっていきました。



あと、音楽のつくりの特徴として、フレーズのかたまり、、、、「段落」を意識して、オケに伝えていたようです。もちろん、「区切り」のみならず、その「かたまり」の中での「放物線」というか「アーチ」というか、「息」というか、そんなもの。。。。

そして、それらが、また、見事に音になっていくのです。
そして、それらが、相互に、紡ぎ合って、また、大きな単位の音楽になっていきます。

モーツァルトだけのプログラム、、、といえば、どちらかといえば、やや、地味で瀟洒でオシャレ、、、みたいなイメージになりがちですが、
そして、演奏が決して、感情表現を激しくしたようなものでも、「ロマンティック」なものでもなかったにもかかわらず、
3曲聴いたら、「おなかいっぱい」な感覚に満たされました。
そして、
個人的には、「モーツァルトのオペラ」を聴いたような感覚にもとらわれました。

これは、フレーズ、「息」そうしたものが、またそれぞれに交わし合い、つみあがっていき、流れていく、、、ということが、まさにオペラであるからかもしれませんし、交響曲の作曲家としてよりもまず、モーツァルトは、オペラの作曲家であり、生粋の「劇場人」であったことを、明らかにもしてくれる演奏であったようにも思いました。

とにかく、これほどのモーツァルトの演奏が、関西で、、日本のオケで聴かせてもらえるとは、夢にも思いませんでした。
本当に、ありがたいことです。




ジャズ・ピアニストとしても、というか、ジャズ界ではフツウにジャズピアニストとして認識されており(ただしここ40年ほどは主にクラシックで活躍しているので、「往年の」という感じではあるけども)、また、同じく若いころは、名アレンジャーとして、映画音楽も手掛け、あの、マイフェアレディの映画も、プレヴィンのアレンジ、、、そして、クラシックの作曲家としても、数々の歌曲や協奏曲に、オペラも2曲、、という、文字通り「マルチタレント」な指揮者ですが、
クラシックの指揮者としては、若いころは、「中庸な」指揮者というイメージがあったのも事実です。
今聴き返してみると、どうも、プレヴィンが主に録音していたEMIレーベルの録音の性格にもよるところが大きいようです(フォーカスの甘い、かつ、やや歪みの多い音質を、残響でボカしたような録音・・もしかしたら、4チャンネル録音とかのせいかもしれませんが)。

ただ、たしかに、特別に速い演奏とか、遅い演奏とか、また、急に、ド演歌っぽく、テンポを変えたり、オケのバランスを崩壊させることで「ド迫力」を演出したり、、、というようなことは一切しない人なので、録音がたとえばフルトヴェングラーのもの並みに悪かったり、ラジオから、、、聴いたりする場合には、「特徴が無い」ように聴こえるのもムリのないことかもしれません。

指揮者は、自分で楽器を鳴らすわけではなく、また、いつも同じオケで演奏するワケでもないので、「この人のみの音色」というものは、なかなか、出すのが難しいものです。


しかし、
このアンドレ・プレヴィン、、、、先の古い録音は正直、かなりの「脳内復元」を要しますが、ある程度の条件で聴くと、たとえば、BSのTVで聴く、N響のライブなどでも、明らかに、オケの音色が、他の指揮者と異なります。
ちなみにふつうに日本で暮らしてると、世界中と日本中のオケの中で、N響ほど、聴く機会に恵まれたオケはありません。すべての定期演奏会を放送してくれますから。。。
そして、すべての定期演奏会が聴ける、、ということは、1つのオケが、ありとあらゆる指揮者によっと指揮される音楽を聴く機会になる、、、、ということになります。

ちなみに、N響といえば、もう何十年も前から、日本のオケの中で見渡せば、図抜けて巧いオケではありましたが、放送で聴くと、これももしかしたら、録音のせいもあるのでしょうが、どうも大柄で、響きに艶がなく、表情が硬い、、、というイメージが長いことあった気がします。これはどの指揮者が振っても、、、、
もちろん、ナマで聴いたら、当時でもスゴかったので、当時がダメやった、、、とかではないのですが、、、

それが、「テレビで聴いても判る」ほど、、、というのは、このプレヴィンと、他には、デュトワくらいでしょうか。もっとも、デュトワが音楽監督を務めたくらいの頃以降は、N響は、これまた録音技術の進歩のせいもあるのかもしれませんが、TVやFMで聴いても、もう、「日本のオケ」といちいち思わなくてもいいほどの技量と音色を獲得してきたようには思います。
それでも、やっぱり、
さっと聴いて、明らかに「音色」が違う、、というのは、この二人が群を抜いているように思います。

プレヴィンの音色は、とにかく、艶やかで(極彩色という意味ではない)、必要な肌理を、音楽の表情にあわせて、都度都度、選んでいく、、というような「パレット」の豊富さと適確さがあるように思います。
また、音の形や、音量の変化、、、もちろん、それらは、複数のパートが動きながらおこるので、その相互のバランス(音色・和音)も保たれないといけないのですが、それらが、まったく、アタリマエのように行われる、、、という安心感・安定感があります。
安心感・安定感といっても、それは、音楽が退屈とかいう意味ではなく、むしろ、音楽に没入するために、「演奏家の事情」や「難易度」はたまた「労働条件、、、」などの「いたわり」を考えずに聴ける、、、ということでもあります。

しかし、これらが行えるオケというのは、やはり、相当の技量を備えていないといけませんし、また、それだけでなく、「言われたことと、言われたとおりにヤル」という「学習塾の優等生」みたいなのではダメで、「イメージを具体的に共有し、その実現について、具体的な方策をとれる」というプロフェッショナルな集団である必要があります。

日本のオケは、ほとんどクラシックを聴かない人たちからも「技術的には一流かもしれないが、自発的な音楽がつくれない」というイメージで語られたり、とくにN響などは、バックがNHKで東京の老舗ということもあって、ちょうど、橋下知事が「民間と違って、、、、」みたいなことを「公務員」について語るのと同じようなことを言われたりすることがありますが、
実際には、技量そのものが以前は、世界レベルとはハッキリありましたし、ここ十数年の国内外のオケのレベルの向上は、すごいものがあり、かつ、それらはハッキリとプロとしての演奏能力(もちろん「自発的な」演奏も含む)に現れてきているように思います。

ちなみに、オケの自発性、、、というもの、、、これは仕事のチームにもある程度あてはまりますが、、要は、各自が、それぞれ、自分のベストと思うことをやっていては、崩壊する、、、ということになります。
各々の「色」を見せるところはもちろんいろいろありますが、あくまでも、「全体でひとつの大きな音楽」をつくっていくことが、オケの使命です。
そして、その「ひとつの大きな音楽」をいかに、しっかりと、大勢が共有できて、かつ力が発揮できるような具体的イメージを、指揮者が持って、かつ、それを、具体的に伝えることができるか、、、、、それが、優れた指揮者としての不可欠かつ絶対条件になります。
(ちなみに、オケに好かれる指揮者は、世界中決まっていて、「練習時間の短い指揮者」です、、、これは労働時間が短い、、、というだけではなく、ダメ出しが少ないということでもあります。ダメ出し=一流の音楽家たるオケの奏者がベストと思って行った仕事を否定し変更を迫る、、、ということですから、、、、)

今日のプレヴィンとN響の演奏は、両者が、そうしたプロとしての最良の仕事をした、、、ということが、音からしっかりと伝わってくる演奏でした。
これほどのモーツァルトが演奏できるコンビは、世界中でも、正直、そうは無い、、、と本当に思います。
これはもちろん、最近は、いわゆるピリオド奏法が主流になりつつある、、、、という事情もありますが。

そう考えると、本当に、貴重な、稀有の機会に恵まれた、、、と改めて思います。





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Last updated  2009.11.03 12:22:59
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