家の思い出


小さい頃に住んでいた都会の真ん中の古い家。
かつて海賊が住んでいたらしい。
間取り、謎の空間、あちこちに鍵、いろいろと変わった作り。
大家さんの屋敷や木々に隠れて道路から見えない建ち方。
すごく気味の悪い家だったと、いまだに母が言う。
私としては階段の赤絨毯と2階廊下の壁一面が窓だったことが印象強い。
窓の向こうは森だったので夜になると真っ暗。怖かった。

「病院の寮」「病院」
離婚して母が勤めた総合病院の古びた職員寮。
小学校1年生の頃に住んでいた。
2階建て。お風呂・トイレ・洗面所・洗濯スペースが共同。
ペンキの剥げたコンクリート壁。薄暗くて真夏でもひんやり。
部屋は小さな台所つき明るいワンルーム。
私たち以外の人を見かけた記憶がないのでガラ空きだったのかもしれない。
母が仕事中は病院内の保育所。
就学前の子対象の所を特別に入れてもらったため肩身が狭くて、よく散歩していた。
夜の病院の独特の色合いが好きだった。

「アパート」
親が再婚して最初に住んだ新しいアパート。2階建て4戸の2階。
階段が軽く螺旋。台所兼居間のほかにユニットバスと2部屋。
自分の部屋の窓から見えた景色は玉ねぎ畑。冬は雪野原。
3年ほど住んだ。
1階に生まれて一番最初に大好きになった友達が住んでいて、
隣のアパートには生まれてから二番目に大好きになった友達が住んでいた。

「青い家」
小学校高学年から18才までを過ごした平屋の家。

山奥を拓いて作った新興住宅地(小学校も築10年に満たない新しい校舎だし!)
というふうに親も学校の先生も言ってたので
新しい町に住んでる気でいたけど実際はなんかちょっと違っていた様子。
山奥を拓いて人が住み始めたのは大正時代。
私たちが引っ越したのが1980年なので
一軒家が増え始めたのは1970年頃からだと思う。
内装の感じから、おそらく我が青い家もその頃建てられた。築10年くらい。
が、元が悪いのか手入れが悪かったのか、既にかなりみすぼらしかった。
坂の町だったので道路から階段昇って玄関。勘違い雪対策で階段に青いフード。
まわりの家は階段にフードなんかつけていなかったので変に目立っていた。
家自体も建築基準法的にどうなの?って感じの作り。
雪国仕様になっていないため冬になると窓が雪で埋まって真っ暗。それ以外の季節は壁の隙間などから虫が入りたい放題。
居間は青色の毛のないカーペットと壁一面に正方形に仕切られた白い棚で洋風。
その一角に30センチほど高くなって2畳くらいの襖の小部屋。
台所も片側の壁一面が正方形に仕切られた棚。水回り部分は横に広く何故か洗い場が二か所並んでいた。
私の部屋の窓の向こうは家一軒分ほどの空地を挟んで会館。人が亡くなるとお通夜がいとなわれた。
大家が危ない人だったことが発覚したり不可思議なことがあったりといろんな意味で不気味な家だった。
後にこの場所が元防空壕だったことがわかった。
当時を知る人によると、戦後の数年間、防空壕に家のない人たちが住みついたりしていたらしい。
青い家(現在廃屋)の下にはまだ防空壕があるはずだとのこと。
住んでいた頃、母が自室にしていた和室の畳の一部が水を吸って膨らんでたことがあった。畳をはがしてみるとどこからか風が。たぶんあのあたりだろう。


母は変な家が好きなんだろうか。


© Rakuten Group, Inc.
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: