小春日和

小春日和

看護師のお仕事をして、思ったこと


病院ですから、そこにいらっしゃるみなさんは程度の差こそあれ、病気を抱えてる方ばかりです。内視鏡によるポリープ切除ための短期入院の人、原因がわからず、検査入院の人。末期がんで痛み、恐怖と戦っている人、痴呆があり、寝たきりで自分の不調を自分で訴えてくることができない人・・・。
ところで、看護は観察に始まる、という言葉を、ナースのみなさんなら、何度も耳にした言葉だと思います。ワタシ自身、学生時代より何度も耳にし、また、自分自身でも、観察する力をつけようと努力してきました。そして、就職し、まさにその言葉は看護の真髄を表す言葉であると、強く実感しているのです。そして、痴呆、寝たきり患者の多いワタシの病棟では、まさに観察力を必要とする場が多くあります。
その日、ワタシは誤嚥性肺炎を起こし、状態のよくない痴呆、寝たきりの患者さんと、食道からの出血を起こし、回復過程にあった患者さんを受け持っていました。
二人とも、朝の状態では、そこそこに落ち着いていました。肺炎の患者さんも、酸素飽和度は低いながらも、吸引、体位変換でそこそこ合格といえる数値を保っていましたし、出血の患者さんも、明日からは食事が開始となることが決まっていました。
変化がおきたのは、午後からです。出血の患者さんが再出血。500ミリリットルほどの吐血、そして下血。意識は保っているものの、血圧は測るごとに下がっていきますし、冷や汗も恐ろしいほど吹き出していました。運のいいことに主治医が秒棟に来ていたため、すぐに連絡がつき、止血処置を施すこととなりました。この時点で、ワタシはもう出血したことで頭がいっぱいいっぱいで肺炎の患者さんを思い出す余裕がありませんでした。少しの合間を縫って、患者さんのもとへ行けていたら、あるいは、誰か他のスタッフに様子を見てくれるよう頼んでいたら。今でも悔やみます。
幸いなことに、出血の患者さんは止血が無事にすみ、いつ急変するか分からない状態ではありつつも、バイタルサインは落ち着いており、一命はとりとめました。そして、病棟に戻ってくると、肺炎の患者さんが、モニターと酸素マスクをつけ、HCUに収容されていました。なんでも、他のスタッフが無呼吸に気づいたのだそうです。午前には無かった?そう聞かれても答えられますせんでした。ワタシはモニターの数値のみを見て、呼吸状態にまで気が回っていなかったんです。観察は五感をフルに生かして行うもの。そんな基本すら、ワタシは出来ていなかった・・・。
結局、その患者さんはその日の夕方、永眠されました。状態が悪く、いつ・・・という状態だったことは十分理解しています。それが、その患者さんにとっての天寿だったとも思うんです。けれど、体調が悪いのに、ナースが誰も見にこない、かといって、自分でも訴えられない。苦しかったろうな、淋しかったろうな、もし、ワタシに知識と技術があったなら、彼が亡くなるのは今日じゃなかったんだろうか。無駄な考えとも思いつつ、ワタシは今でもその思いをとめることができずにいます。大好きな患者さんだったんです。本当にいろんなことを教えてもらったと思っています。
この恐怖はナースを続ける限り、消えないでしょう、でも、けして忘れてはいけない気持ちだとも思うのです。


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