★ つれづれなるままに ★

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おいしいものから



■ 瀬戸内海の校長先生 ━━━━━━━━━━━━━

太平洋戦争も終わりに近くなってきたころのこと、広島尾道の瀬戸内海を見下ろすある小学校でのはなし。

食べ物の不足している時期で、子供のおやつといえば、どの家でも決まって炒り豆だった。 おかあさんがフライパンで炒ったものをお皿にのせてくれる。 ふっくらうまく炒られたの、火から遠かったため半生のままのやつ、かと思うと黒く焦げたのやらある。

校長先生が朝のお話のなかで、生徒にこんな質問をした。 

「みなさんは おやつの炒り豆を、おいしそうなのから食べますか? それともまずそうなのを先に食べますか?」 
 この時期 子供達はいつも 『いい子』であることを求められていた。 そして多くの場合 『いい子』とは本音を隠して建前で言動できる子のことだった。

「おいしそうなものから食べるなんて言ったら、いやしい子なんて思われかねない」 と多くの子どもは思っていた。
 しかし、ある少年は、ハーイ と手を挙げると正直に答えた。 
「おいしそうな豆から先に食べます」

他の生徒はみな、「これは校長先生にしかられるぞ。。 まずそうな豆から食べるって言わなくちゃだめじゃないか。。」 
と思った。 

 ところが、この校長先生は 「そのほうがいいね、先生もそうするよ」 といった。

なぜなら、と続けて 
「だって、まずそうなのから、と考えながら食べていると、いつまでもまずそうなのばかり皿の中から探すことになるものね。反対に、おいしそうなものからと思っていれば、いつもおいしそうなのを見つけて食べることになる。 だから最後までおいしいし、豆も喜ぶね」 といいました。


■ いいものから見つけていくという視点 ━━━━━━━━━━━━━

この話から、多くの示唆・教訓を得ることができると思う。 戦争終盤の時期、この校長先生の生徒に対する接し方がすばらしい。 そこには、校長先生の勇気と、子供の素直な成長を願う愛情が感じられる。

■ 大人の期待する 『いい子』を子供に強要していないか
■ 自分の考えていることを、素直に表現することの勇気と大切さ
■ 「まずそうなもの」 より 「おいしそうなもの」 から見つけていけば最後までおいしい
■ おいしそうなものから選べば、「豆も喜ぶ」 という視点   

など。。

特に、「おいしそうなものから見つけていく」 という視点は、ともすれば減点主義に走りがちな教育体制のなかで、「子供それぞれの、長所に目を向けて伸ばしていく」という志向につながっていくのでは、と思う。 そうした子供達が増え、成長し大人になったときに、お互いの良さを認めあう、もっと良い社会に変わっていくかもしれない。

★BB 倶楽部通信 より




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