《櫻井ジャーナル》

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2023.08.16
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カテゴリ: カテゴリ未分類

 ウラジーミル・ゼレンスキー政権が6月4日に始めた「反転攻勢」が失敗したことをアメリカの有力紙も認めざるをえなくなっている。例えば​ ワシントン・ポスト紙は自分たちが宣伝していた「反転攻勢」で進展はないことを認めた ​。

 アメリカ/NATOの命令でウクライナ軍は無謀な突撃を繰り返す「玉砕戦法」を繰返し、ロシア軍を疲弊させようとした。その上で温存していた「精鋭部隊」を投入するつもりだったようだが、そうした状況を作れないまま「精鋭部隊」を使わざるを得なくなっているとも言われている。その精鋭部隊もすでに殲滅された。

 ウクライナの戦乱はバラク・オバマ政権がネオ・ナチを使い、2013年11月から14年2月にかけて行ったクーデターから始まる。そのクーデターで排除されたビクトル・ヤヌコビッチ大統領を支持していた東部や南部の住民はクーデターを拒否、クリミアはロシアと一体化し、ドンバス(ドネツクやルガンスク)では内戦が始まったのである。

 クーデター後、ネオ・ナチ体制を嫌ったウクライナ軍の将兵や治安組織の隊員は少なくない。約7割が組織から離脱し、一部は反クーデター軍に合流したと言われている。

 残った将兵の戦闘能力は低く、西側諸国が特殊部隊や情報機関員、あるいは傭兵を送り込んでもドンバスで勝利することは難しい状況。そこで内務省にネオ・ナチを中心とする親衛隊を組織、傭兵を集め、年少者に対する軍事訓練を開始、要塞線も作り始めた。そうした準備のために8年間が必要だった。

 その時間稼ぎに使われたのがミンスク合意だということを仲介役を務めたドイツの​ アンゲラ・メルケル ​(当時の首相)は昨年12月7日、ツァイトのインタビューでミンスク合意は軍事力を強化するための時間稼ぎだったと認めている。その直後に​ フランソワ・オランド ​(当時の仏大統領)はメルケルの発言を事実だと語った。

 オバマ政権で副大統領を務めたジョー・バイデンは2021年1月に大統領となり、ロシアに対する軍事的な圧力、挑発を強め、22年に入るとドンバス周辺へ部隊を集結させた。少なからぬ人はドンバスへの大規模な攻勢が近いと考えた。

 ドンバスの反クーデター派もそう推測、ロシアに支援を要請し、女性や子どもをロシアへ避難させた。それを国際刑事裁判所は強制移住だと主張、アメリカ下院の外交委員会でも反ロシア宣伝が繰り広げられたわけだ。

 のちにロシア軍が回収した文書によると昨年3月にウクライナ軍は本格的な軍事侵攻を始める予定だったが、その直前、2月24日にロシア軍がドンバスで軍事作戦を開始、ミサイルでドンバス周辺に集まっていたウクライナ軍を一気に叩いた。その際、ウクライナ各地の軍事施設や生物兵器の研究開発施設を破壊している。

 しかし、ロシア軍は大規模な地上部隊を送り込むことはなかった。地上部隊の中心は現地軍、チェチェン軍、あるいはワグナー・グループ。ロシアの正規軍は多くなかった。戦力を比較するとドンバス側はキエフ側の数分の1だったと言われている。

 ロシア軍が攻撃を始めて間もなく、ウクライナ政府はロシア政府と停戦交渉を開始した。停戦交渉を仲介したひとりは​ イスラエルの首相だったナフタリ・ベネット ​。彼によると、話し合いで双方は妥協に応じ、停戦は実現しそうに見えた。

 3月5日にベネットはモスクワでウラジミル・プーチン露大統領と数時間にわたって話し合い、ゼレンスキーを殺害しないという約束をとりつけ、その足でベネットはドイツへ向かってオラフ・シュルツ首相と会っている。​ ゼレンスキー政権の交渉チームに加わっていたデニス・キリーエフがウクライナの治安機関SBUのメンバーに射殺されたのはその3月5日 ​だ。

 停戦交渉はトルコ政府の仲介でも行われた。アフリカ各国のリーダーで構成される代表団がロシアのサンクトペテルブルクを訪問、ウラジミル・プーチン大統領と今年6月17日に会談しているが、その際、​ プーチン大統領は「ウクライナの永世中立性と安全保障に関する条約」と題する草案を示している ​。その文書にはウクライナ代表団の署名があった。つまりウクライナ政府も停戦に合意していたのだ。

 停戦交渉の進展でロシア軍はウクライナ政府との約束通りにキエフ周辺から撤退を開始、2022年3月30日にはブチャから撤退を完了した。31日にはブチャのアナトリー・フェドルク市長がフェイスブックで喜びを伝えているが、虐殺の話は出ていないが、その後、西側の有力メディアはロシア軍が住民を虐殺したとする宣伝を開始、停戦交渉を壊した。実際に住民を殺したのはウクライナ内務省の親衛隊だったと見られている。ロシアに寛容だと判断させた人びとが殺されている。

 ワシントン・ポスト紙はウクライナ軍がキエフ、ハリコフ、ヘルソンで勝利したとしているが、キエフ近くからの撤退は停戦合意に基づくものであり、ハリコフやヘルソンからの撤退は戦力不足で包囲されることを避けるためだった。この当時、ロシア軍の地上部隊はウクライナ軍の数分の1だったと言われている。

 ロシア軍の撤退を受け、ウクライナ軍がそこへ入るが、その地域はステップ(大草原)。ロシア軍は航空兵力やミサイルでウクライナ軍部隊を攻撃、壊滅的な打撃を与えた。ロシア軍の撤退はトラップだったという見方もある。

 この状況でアメリカ/NATOはウクライナをどうするつもりか?






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最終更新日  2023.08.16 02:40:11


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