オリーブの木がある家

May 3, 2012
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カテゴリ: 大切な家族のこと

ばーど.gif

つづき

父は声を失いました

人口声帯の機械を準備して

のどの振動をバイブレーターに感じさせ音を出す練習も

しようとしましたが

あまりやる気になってもらえませんでした

白板を準備して

伝えたいことを書いてもらおうとしたけど

どんどん伝わらないイライラが募りました

それから

気管切開をしたため

口から食事がとれず

腸ろうの日々が続きました

ずっと刺激のない病院生活のためか

認知症の症状も。。

ずっと一緒に病院にいました

帰ろうとすると怒られました

声が出なくても

すごい形相と態度で。。

これは全く本人の意思とは関係のないものです

病気がそうさせていました

認知症の本を読んだりして

頭で理解しても

実際すごく怖い顔で怒られたり

何度も同じことを繰り返す父に

だいぶ精神的に参っていました

介護度は5と判定されました

いつも一緒にいる私に

一番当たりが強かったです

まわりの人は

一番信頼しているからと言いましたが

もうそんな言葉さえも受け入れられませんでした

介護疲れでの悲しい結末の事件を

他人事に思えなかった頃です

父が待ちに待っていた退院が決まりました

私は不安で仕方がなかったのですが

親身になってくださるケアマネージャーさんに出会い

ひとりで歩くこともままならなかったので

お風呂もお願いすることにし

週に3回ディサービスに通う準備をしました

退院した父は

ほんとに家に帰りたかったんだなぁと実感できるくらいに

病院にいた時とは別人で

天使のようでした

私がすること一つ一つに手を合わせて

「ありがとう ありがとう」・・と

家では吸痰をし

腸ろうの時は栄養剤の補給

お腹から出ている管部分の消毒

食事ができるようになったときは

ご飯を食べさせてあげたり

下のお世話

・・・

体力的にはとても大変でしたが

精神的な負担は

それはそれはなかったです

家族みんなの絆も一気に深まったと思います

娘も

自分が県外に進学したらお母さんが大変になると

考えてくれていました

天使の父は家族の気持ちもあったかくしてくれました

ですが

また入院が必要となり1か月

そろそろ退院の話も出たころ

肺炎で亡くなりました

こんなにもショックを受けるものかと不思議なくらい

ずっと悲しくて悲しくて

自分が思っていた以上の悲しみで

なかなか心の中から消えませんでした

もっとこうしてあげればよかった

ああしてあげればよかったと後悔の念ばかり

その時は出来ることを精一杯していたはずですが

後悔の日々が続きました

2年たった今も

まだ考えてしまいます。。

父にはほんとに感謝しています

この家に嫁として招き入れてくれたこと

あったかい家族にさせてくたこと

チョット涙が出てきました

明日の3回忌法要・・

心を込めてお参りして

少しだけ心に区切りをつけたいと思います

tomozou.jpg

娘が幼稚園の頃

ママ友が

うちの父のことを

ともぞうと呼んでいました(笑)






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Last updated  May 3, 2012 08:10:54 AM
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