安らぎのクレヨン画

安らぎのクレヨン画

2007/01/15
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カテゴリ: エッセイ
おばあさんの四分の一

おばあさんが亡くなった。

正月の五日だった。僕が沖縄にまた戻ることを決めて、引っ越しをする前日だった。
僕にとって最後の祖父母だったから、死に目に会えて良かった。もう米寿、八十八になっていたしここ二、三年は介護が必要でホームに入っていたから、そろそろお迎えが来てもいい時期ではあった。

四月に僕達の初めての子供が出来る予定なので、おばあさんにとっては初曾孫になるはずだった。それを見せられなかったのが残念だった。

僕の母の兄が喪主となって、お通夜と葬儀が行われた。もちろんおばあさんが亡くなったのは悲しいけど、僕は涙が出なかった。おばあさんがホームから病院に運ばれたと聞いて母と僕の妹共に駆けつけて、もう意識ははっきりしていなかったけどちゃんとお別れが出来たからだ。その時にさんざん泣いて、なんだかすっかりおばあさんが天国に行く見送りをすました気持ちになっていた。

葬儀場で葬式を済ませ火葬場に出棺するという時、もう棺のふたを閉めるからこれで顔が見れなくなる、と言われた。

すっかりドライアイスで冷たくされていたおばあさん。僕としてはこのおばあさんの体には魂が入っていなくて、魂とは一日半前にお別れの挨拶をした、と思っていたのに、もうこの顔も見ることが出来ないと思うと涙がこぼれて来た。

ホームでほぼ寝たきりの生活を送っていたおばあさん。叔父さん夫婦や母は週に一度会いに来るが、やはり寂しかったと思う。三ヶ月前、僕の妹がしゃべったり歌ったりする子供の形をしたぬいぐるみの人形をプレゼントしていた。おばあさんはそれとよく会話をしていた。その人形は、本当に人の話を聞いて反応しているわけではないけど、手や顔などにセンサーが付いていてそれっぽく会話している気分になれるのだ。



「ありがとう!」

おばあさん、ありがとう。ぼくはそう思った。

母が産まれてすぐに旦那さんが徴兵されて軍艦に乗って南の島で沈んでしまい、それからずっと女手一つで叔父と僕の母を育ててくれたおばあさん。

僕が産まれたら、共働きの僕の両親のためにこれまで住んでいた淡路島から大阪に育児を手伝うために出て来てくれたおばあさん。

ありがとう。本当にありがとう。

その人形は、僕らの気持ちを代弁してくれた気がした。

「もうおばあさんとは会えないんだな」

火葬が済んでお坊さんがお経を唱えてくれていた時、僕はそう思いながらふと前の席を見た。そこには叔父さん夫婦の子供、つまりぼくのいとこである姉弟が座っていた。

僕の隣には妹がいる。

「…あ。おばあさんはもういないけど、ここにおばあさんの一部がそろってるじゃないか」

いとこ姉弟と僕と妹の四人。おばあさんの四分の一ずつは、確かにここにいる。



そう思うと、自分でなるほど、と納得した。

僕は、このおばあさんの四分の一。そしてその旦那さんの四分の一も入ってる。それから父方の祖父母の四分の一ずつも入っている。その四分の一が四つあって、僕が作られているんだ。

そういう感じが、しっくりきて、ぼくはなんだか自分の存在が確かに思えた。

そして、僕と妻の半分ずつ、おばあさん達の八分の一で僕らの子供も生まれてくるんだ。







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Last updated  2007/01/15 09:38:29 PM
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