Potatos Diary

名前は大刀号

名前は大刀と申します

 病室を訪れた時、父は少し苦しげな表情で眠っていました。痴呆が進み、前のように暴れたりすることは少なく静かです。
 「お父さん、ダイオウってお名前じゃないですよね」と看護師さんが笑いながら、そう私に言いました。
 「そう聞こえるのですけれど、違ってますよね~」と、可笑しそうになおも笑っています。
 えっ!それって、もしかしてダイトウ号・・・? 私の胸に熱いものがぐっと込み上げてきました。

 脳血管の障害で入院した患者さんは、「お名前は?」「生年月日は?」「ここは、どこか分かりますか?」とか、「今日は何月何日ですか?」「1足す1は幾つ?」などと、毎日、いや1日に何回も訊かれる事があります。
 意識に欠けたところがないか調べられるのですが、まともな病人にとっては、小バカにされているようで、はなはだ面白くないものでしょう。

 7年前、最初の脳梗塞発作時は、視神経の障害で目が見えなくなっただけの父は、毎日繰り返されるこの質問にイヤ気がさし、むっとして口をつぐんで答えようとしないことが何回かありました。
 しつこく「お名前は?」と、何度も訊かれた時に、父はイライラして、「ダイトウ!」と答えました。
「もう一度お名前を全部言って下さい」と言われると、きっぱりと「○○(自分の苗字)ダイトウです!」と答えた為、看護師さんが、お父さんの雅号ですか?と私に訊いたことがありました。

 「ダイトウ」というのは、「大刀号」という馬の名前です。
 寡黙な父が、たまに少しのお酒が入ったりすると、思い出話をポツポツしてくれました。軍隊時代の話の中に、騎兵として父が長く乗った馬の大刀号はよく登場します。
 大刀号は、父にとって生涯忘れられない馬でした。

 騎兵になって間もない新参者の父に対して、大刀号は、10歳になる百戦錬磨の軍馬でした。
 最初は将校が使っていましたが、年老いて払い下げられ、新兵の父に与えられたのです。
 父は子供の頃から、農家の手伝いで、馬を乗り回していて、その扱いには自信がありましたが、大刀号は新参者の父を馬鹿にしたようです。
 訓練の時も、父の命令に従わず、勝手な行動を取るので、遅れをとり、上官からはひどく叩かれ、皆からはバカにされました。
 朝の集合の時、馬に腹帯(はらおび)をきつく巻いて鞍など付けるのですが、慣れているはずの父がきっちり巻いて、鞍を付けてあぶみに足をかけて乗ろうとすると、何故か腹帯がズルッとゆるみ、鞍が滑ります。
 何度もやり直す為に時間がかかり、遅れては上官にこっぴどく叩かれることになりました。 頭に血が昇った様に必死に鞍を付ける毎日でした。
 そんな日が続いたある朝、鞍付けの時に視線を感じ、見ると大刀号が首を後ろに向けてニヤリとしているとのこと。(馬ほど表情が豊かな動物はいないと父は言う)
 腹帯を締めている間は前を向き、帯がゆるんで鞍が落ちる時、振り向いてみています。この時父は、この馬にバカにされているのがはっきり分かり、悔し涙がこぼれました。

 ある時、父はじっと馬を観察しながら腹帯を締めました。
 腹帯を巻こうとすると、大刀号は前を向き、すーっと息を吸い込んでいます。締め終わるとふぅっと息を吐き、うしろを振り向いて、父が落ちるのを見ているのです。

 「チキショウ!コイツわざと、ハラをふくらましていやがったのか!」
 父は、腹帯を締め直し始めました。慌てて大刀号は前を向き、すーっ・・と息を吸う。
 父はじっと我慢して締め続けます。 と、ついに大刀号は息が続かなくなって、ふぅっと吐き始めました。

 「よし、今だ!」父はグングン締めました。きっちり締まった腹帯の上の鞍も、あぶみも今度は、ずれてきませんでした。
大刀号と、18歳の父


 「よし!オレの勝ちだ!」

 翌日も、はやる気持を抑え、父は同じようにしました。
 3日目、何と大刀は、ハラをふくらませるのを止め、振り返りもせず、じっとおとなしく鞍を付けさせました。

 以後、そのようなことはなく、それどころか、訓練の時は父が手綱(たづな)で操作する前に、号令や次の命令を全部知っていて、どの馬より早くきちんとやってのけました。
(ただ、トシなので長い距離を走るのは遅れることもあったそうです)
 約1ヶ月間の大刀号との父の闘いは終わり、後は信頼関係が築かれました。


 軍隊では、兵隊より大事にされたのは、馬や鉄砲などです。

 手入れの仕方が良くないと、銃や馬に向かってひざまずいて謝らせられたといいます。
 走った後も、水を飲むのはまず馬が先、人間は後でした。
 そんなきまりにも増して、父はこの年とった大刀号を愛し、手入れは誰にもヒケはとりませんでした。
 たまに支給されるわずかな甘味品、ようかんなどは大刀号と分けて食べたそうです。

 「馬が、羊羹なんて食べるの?」と驚く私に、父は言いました。
 「ポケットに入れて持っているとなぁ、ちゃんと分かって甘えてオレの顔に頬を寄せてくるんだぞ。わざと知らんぷりしてじらすと、鼻ずらで肩や頭を小突くんだ!」
 「馬は甘いものが大好きさ!」と、大の甘党の父は目を細めていました。

 満州の冬の荒野で行われた訓練で、今日中に兵舎に戻ると言う時、吹雪で視界がきかず、帰る方角を見失ったまま夜になってしまった時、諦めて手綱をゆるめ大刀号にまかせたそうです。
 疲れと寒さで、馬上でほとんど眠ってしまった父を乗せて大刀は、6時間後に兵舎にたどり着きました。
 (ちなみに、その時は半分以上の兵隊が翌日になってやっと戻ってきたそうです。)


 そんな大刀号の名を、今また言うとは・・・

 もう、ほとんど意識が朦朧として、夢の中にいる父が発する言葉は、まわらぬ口で「痛いよ~」「コワイよ~」(注北海道弁で、苦しいの意味)くらいで、後は、「アア」とか「ウウ」のみである。
 その父が名前を訊かれてちいさく「ラァイオ~」といいます。ダイトウです!

 きっと、父は夢の中で大刀号に乗り、山野を駆けているのかも?。
 いつかいつかは・・・、考えたくないけれど、時がきたらその時は、はばたくペガサスのように大刀号は、天から父を迎えに来てくれるに違いない。


 (注)この日記は、高熱を出し入院後、命が危ぶまれていた時の日記です。


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