全546件 (546件中 1-50件目)
最近、あまり日記に書くネタがありません(>_
2006.06.05
その16では、東京から横浜へ引越した時のことを紹介しました。今回のその17では、横浜に住んでた頃のラムの写真を紹介したいと思います。デジカメで撮ったものではなく、一眼レフの方のカメラで撮ったものを紹介します。写りがイイ~んです。かわゆく写ってます♪時代が、少し前後して解り難くなりましたが、すみませんm(__)m*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*この当時、部屋が狭かったので、高いロフト型のベットを使ってました。ラムは、高い所が好きなので、このベットにいつも上がって、ぼーっとしたり、寝てたりしてました。少し眠そうです(笑しかし玄関先で物音がすると、顔を上げて見ます。うわー。ブタですね~。部屋が狭くなると、運動量も減りますので、太りやすくなります。人間が座るところも大好きですよね。こうやって、部屋中が猫の毛だらけになり、私の服も猫の毛だらけでした(笑今思い返すと、これって危険ですよねぇ。プラスチックファイバーなようなものが、懐中電灯の先についてて、電気を点すとファイバーの先が怪しく光るというものでした。これを、ラムは好んで遊んで、噛みまくってました(>_^_^<というかこの頃は、まだ毛割れもあまりありませんね・・・まだ、若かったですね。年は、14か15歳頃でしょう。*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*と、写真だけでした・・・デジカメで写してるものは、結構ありますので、探してまた掲載します。よろしかったら、見て下さいm(__)m
2006.06.01
本日もまた、へいちくへ掃除に行きました。今回は、いつもの掃除の日をずらしての開催だったこともあり、人数が少なかったです。と言っても5人でしたので、車両の掃除だけをすることに関しては、ちょうど良いくらいの人数です。掃除は、今回は202号でした。車庫の中で掃除したり、場所は色々な所で作業させてもらってます。夏は暑いです。まぁ、冬も暑いです。結構汗だくになります(>__
2006.05.27
その15では、東京での二人暮しの時の出来事を紹介しました。今回のその16では、東京から横浜へ引越した時のことを書いて行こうと思います。なお、複雑になって解り難いかも知れませんので、少し説明します。就職してから、すぐに東京支社へ勤務(1年と11ヶ月)になり、その後、茅ヶ崎への勤務(2年と半年)になります。関東に住んで居た期間は、4年と5ヶ月ですが、東京都に住んでたのが1年と9ヶ月、横浜市に住んでのが2年と8ヶ月となっております。*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*会社は週休2日でしたので、休みの日は結構夜遅くまで起きてました。夜中の3時ごろ寝たりというのも、ざらでした。よって、翌日はお昼ごろに起きてたのでした(^^;;そのような1人気ままな生活をしてたある日のことです。夜中の3時頃に、寝ようと思い、電気を消して床に着きました。何気に眠れないなぁと思い、ベランダの方を見てました。 すると・・・ベランダの外を誰かが移動する影が見えたのです。黒い人影が、外の明かりに背後から照らされて、ぼぉ~っと見えるのです。そして、左側から、真ん中へ移動して、停まりました。泥棒だ!と思い、急いで部屋の電気を付けて、そこら辺にある物で大きな物音をしばらく立てました。そして一週間後に、また同じようなことが起こりました。この時も110番はしませんでしたが、翌日に交番へ行きました。この話を会社で何気なくぼろっとすると、上司が聞きつけて不動産屋に取り合ってくれて、その結果引越しをすることになりました。ここで、横浜市に引越しすることが決まりました。部屋のベランダからは、京浜急行が良く見える部屋でした(^^)そして、引越しの時のラムですが・・・東京の家では、引越しの3日前から荷物をまとめました。引越しする時にダンボールに荷物をまとめますが、このダンボールを組み立てて荷物を入れてると、ラムは引越しするということが解るらしく、寂しい雄叫びを上げたりして、とてもナーバスになってました。引越しで、色々と悪い経験をしてるからなのでしょうね・・・。そして引越しの1日前に、ラムを送迎有りのペットホテルに1泊の予定で預けました。ラムをペットホテルに預けてる間に、東京の家から荷物を出し、横浜の家へ荷物を入れました。その後、また東京の家に戻り、引渡しの為の掃除をしました。この掃除してる間に、ペットホテルからラムを連れて来てもらいました。ペットホテルから戻って来たラムは、小さく縮こまってすねてました。ラム自身の体は、ペットホテルとか特有の動物のトイレ臭い匂いがしみついてました。また、頼んでも無かったのにシャンプーされてました。しかし、シャンプーされてたのに、毛はバサバサでした。よっぽど、精神的にストレス感じたのでしょうね・・・しばらく抱っこしてると、序々に普通に戻って来ました。普通に戻ったのも束の間、母が引越しの手伝いに来てくれてたので、母の車(北九州から自分の車でやって来ました)で横浜に向かいました。この車の中で、ラムはまたもや雄叫び上げまくりでした。しかし横浜の新居に着いて、ラムをキャリーケースから出すと、すぐに大人しくなって毛繕いを始めました。そして用意しておいた寝床に、ちゃんと座ってリラックスし始めました。ほんとラムは、家に付く猫ではなくて、人に付く猫でした。犬みたいな猫ですね・・・*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*毎回、毎回、引越しの時には、ラムの移動が大変でした(>_
2006.05.19
会社のお昼休みに、銀行に用事があったので少しお出掛けしました。外に出るから、近所にあるうどん屋さんでお昼を取ろうかなぁと思いながら、歩いてました。銀行の近所に、少し奥に入った喫茶店があるのですが、その店の前に猫が座ってました。お店の看板猫に違いない!と思い、銀行の用事が終わった後、その店に行ってみました。猫と目が合ったので、少し手を出してみると、自分から擦り寄って来ました。 キャー!!カワイー!!!(*^_^*)すると、猫はお店に入れと促すように、扉の前まで案内してくれました。お店に入り、日替わりランチを頂きました。ランチを頂いていると、途中でお客さんが1人やって来ました。この時に猫もスルリと店の中に入って来て、店のカウンターの端の所にちょこんと座ってました。そして、店を出る時に、猫を触り放題のように触って来ました。いわゆる三毛猫で、三毛模様がはっきりと現れてるのではなく、うすらぼんやりと現れてる柄でした。触ってみると、毛がとても柔らかかったです。ラムは、下毛がないタイプだったので、毛が太くてストレートだったので手触りが固め毛並みでした。
2006.05.18
今まで、ずっとPHSを使っていたのですが、周りにPHSを使っている人が居ないため、辞めることにしました。PHSの方が、音質は良いし、電磁波も安心タイプなのでいいのですが・・・仕方ありません。田舎の方では、PHSはあまり電波状態が良くないからでしょうか。使ってる方が、本当に居ないんですよね・・・だから、定額料金プランに入っても、結局は携帯の方にかけてるので、料金が上がるんですよねぇ。ということで、ドコモにするようにしました。ドコモなどの携帯ですと、PHSに比べて機種が色々あり、色々な機能があるんですね。すごいビックリしました。テレビ電話も出来るんですよね。これが、とっても魅力的だったんですよね。しかもファミリー割引にしましたので、料金は安いです。PHSを使ってた頃と、料金があまり変わらないかも知れません。ちなみに携帯の電話番号の一部に「5828」がついているんです。私は、キハ58が好きなので、とってもうれしいです。 アホやなぁ・・・
2006.05.15
その14では、東京での二人暮しの時の出来事を紹介しました。今回のその15でも、懲りずにその14の続きを書いて行こうと思います。*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*東京に転勤になった時、家からパソコンを持って行ってました。パソコンを、どうして仕入れたのか、全く覚えていません。気がついたら、インテリアのように家に飾られてました(笑いつもこのインテリアと化したパソコンを見ては、「邪魔。何か使えないだろうか」と、思い続けていました。当時会社では、画像などのマルチメディア関連のことを扱うグループに所属した為、WEBページを作成する機会がありました。この時のノウハウを活かして?!自分も、プライベートでWEBページを開設しました。確か、1997年9月に開設したと思います。その当時は、まだWEBページを持ってる方も少なかったです。そして、今のようにフリーで貸してくれる掲示板も、なかったと記憶しています。その為、CGI設置OKの所を借りて、自分で掲示板のプログラムを書いたりしてました。懐かしいですね~。それで、この時にWEBページに画像がない為、おもしろくないから、人にイラストを描いてもらいました。こんなのです。モデルはラムなのですが、毛の色がラムではありません。なぜか、架線注意の看板なんかを持ってたりします。イラストを描いてくれたばかりの時は、この看板の所は白地のメッセージボードを持っているような感じにしてくれてました。ここに、私が勝手に架線注意と書き入れたのです。しかしこの絵、不思議ですよね。猫が、帽子かぶって、架線注意の板を下げている・・・ある意味、少しシュールな感じですね。この絵は、WEBページを閉じるまで、ずーっと長く私のWEBページを飾ってくれました。次に復活させる時は、ラムの毛の色に変更して、復活させようかと考えてます。*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*今回は、このくらいで終わらせました。そろそろ、東京に住んでた頃のラムの写真を紹介しようかなと思います。次回までに、写真を用意してみます。
2006.05.01
本日は、平成筑豊鉄道さんで開催される、体験運転へ行って来ました。今回は、満員御礼とのことで、大盛況でした。しかも、グループで参加されてる方が多く、体験運転中も和気藹々としてとても楽しい雰囲気でした。写真は、後で貼り付けますm(__)m私は、先日からの風邪引きさんだったので、キツカッタです(>_
2006.04.29
その13では、東京での二人暮しの時のことを紹介しました。 今回のその14でも、その13の続きを書きたいと思います。と言いますのも、覚えてることは結構多くて、書いてるとかなりの量になりそうなんですよねぇ。どう調整しましょう・・・*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*引越しした先の東京の家は、8畳程度のワンルームでした。部屋を有効利用する為に、高い所に寝床があるロフトタイプのパイプベットを置きました。ベットの下には、文具用品などを入れる引き出し、パソコン、ミニコンポを置くラックに、テレビを置きました。ベットは高い所にあるので、ラムの為の足場をどう確保したら良いか悩みました。ましてやそのベットは、短手方向の両端には柵のような物があり、ベットから降りる際には一段またぐ必要がありました。まず、ベットの横に180センチ程度ある棚を置き、110センチ程度の引き出しを置きました。この頃のラムはまだ若いからか?これでも充分、余裕シャクシャクで上ったり降りたりしてました。寝る時は、やはりラムといつも一緒に寝てました。だから、寝る時はラムを抱えてベットに連れて行くのですが、必ずと言って良いほど、ラムは寝る前の儀式を必ずしてました。その儀式とは、トイレへ行き、ひとしきり暴れ周るというものでした。いつも、ベットでラムを抱えて連れて行くと、ラムは隣の棚へ移動し、下に降ります。それからトイレを始めて、終わると「ウォウォウォー」と言いながら、走ってトイレから出て来て、そのまま部屋の端から端まで走り回って、大きくジャンプしてベットまで上がって来てました。勢いよく上がって来るものだから、私はいつも痛い思いしてました(>__
2006.04.27
私のブログにたまに書き込みして下さり、ラムのお友達でもあった、ぴーちゃんの叔父さんよりスクープ画像を頂きました。な、なんと・・・ご本人さんの、お母様にはよく懐いてる猫ちゃんなのだそうですが、ご本人さんにはあまり懐いていないのだそうです。その懐いてない、近寄っても逃げる、その猫ちゃんが、な、なんと!自分の部屋で寝ていたそうです。 #それの何がスクープやっちゅーねん(つっこみ)あ、なんだか変な声が聞こえて来ましたが、空耳ですよ。空耳です。ハイ(笑この猫ちゃん、「ピーちゃん」というそうです。 #名前にフツー「ちゃん」まで含めるかい?ォィ。あ、また変な声が聞こえて来ましたね。今日は、混線が多いようですね・・・ははは。では、スクープ画像を見て下さいませ。かわいいですね~。見てて、とろけそうです。私も一緒に丸まって寝たいっ!! #というかさ、そのツボなんだよ。そのツボ。ハクション大魔王かい!ゴホンゴホン。混線が多いですね・・・ピーちゃんの柄は、このような柄のようです。キジ猫さんですね。目の周りの輪郭がくっきり黒ぶちで、しっかりアイラインが入ってますね。おしゃれな猫さんです(^^)あ~、猫って、やっぱり可愛いですね。たまらないッス。あ~、また、モフモフしたいっ。ク~(>_
2006.04.26
乳癌が心配された?、犬のハナですが・・・いつも飛び跳ねて元気です。母はいつも、自分が寝る前にハナに、ハナが大好きなクッキーをあげます。だからハナは、母が「クッキーやりババ」に見えるようで、夜中になると母を見てソワソワします。そして、母が寝る時にクッキーを上げると、喜び勇んでもらい、急いで食べます。そしてゆったりと私の元に来て、寝ようと催促してきます。丁度その時に、写真撮ってみました。最近は、手術前に少し痩せたのですが、今はそれを維持してます。今までより、ご飯の栄養吸収が悪くなった気がします。量は今までより少し多く上げてるのですが、体重が増えない気がするのです・・・
2006.04.26
本日は、ラムの100日でした。もう、100日も経ったのですね・・・早いものです。今となっては、タンパク制限とかありませんので、大好きだったモンプチをあげました。しかも、今までだったら食べたかったけどもらえない、1缶まるまるです。いいね~。ラム。しっかり食べるのよ~。おまけに、チクワもつけておくからね。
2006.04.25
モノレール祭りの最中にグロッキーになってから、今朝までひたすら寝てました。 熱は38度も出ず比較的ラクでしたが、鼻水が酷くて、修行かと思うくらいきつかったです。 今は、だいぶんよくなりました。 今年というか、昨年の秋から今年の春にかけて、風邪引いてばかりです(>_
2006.04.25
昨日の風邪がピークに達して、今日はきつくてうなってました。 ずっと寝てばかりでしたが、夜も早めに寝ようと思い、真剣に寝入ろうとした頃でした・・・ 21:30くらいだったと思うのですが・・・ 突然、空襲サイレンが鳴り始めました。(近所の大きな消防所では、火災発生時に鳴らすサイレンが、空襲サイレンみたいな音なんです) このサイレンが鳴り出すと、近所の場合が多いので、窓の外を見てみました。西側にある窓から、崖の下側一帯を見渡してみても、火事らしき物がわかりませんでした。恐らくどこか遠くなのだろうと、思いました。 しかし、空襲サイレンが鳴り響きます。 しかも、消防車の音がとても近くで聞こえるんです。 まぁ、近くを通ってるのだろうと思い、トイレに行きました。 すると、トイレにある窓から、すぐ近くで救急車と消防車が通る音がするんです。 さっき見たのと反対方向だ!と思い、トイレをバタバタ出て、東側の窓から外を見てみました。 6軒先の家が、火事になってるではありませんか。 2階の窓から火が出て、屋根の上辺りまで火柱が登ってます。 「そりゃ、大変。いざとなれば、逃げなくては! しかし、もう消防も来てるし、非難する程まではないだろう。」 と、頭の中で考えながら、着替え、家の外に出て現場に近づいてみました。 家の近所の人が、数人集まってます。 やいのやいのと見てたら、10分もしないうちに、火は沈下しました。 この家の主人は2階から飛び降りたらしいのですが、怪我人は0とのことでした。良かったですね。 しかし家は、柱も壁も立派に残ってますので、半焼にも満たないようですので、保険はほとんど降りないでしょうね。 家財保険に入って居なければ、家の修復はとても大変だと思います。 最近の家は、不燃化対策が施されてますので、火事のもらい火というものが少なくなりました。 不燃化対策が施されるということは、あまり燃えないので、家は水浸しでめちゃめちゃになりますが、火災保険はほとんど降りないので、後処理が大変です。 怪我人がいないことが1番幸せなことなのですが、後のことも考えると、火事は大変な騒動であり損失ですね(>__
2006.04.24
本日は、北九州モノレールの車庫で開催される青空市というお祭りでした。 このお祭りは、春と秋の年に2回開催されます。 春は野菜等の販売がメインで、秋は戦隊物を呼んだり工場見学があったりと春より規模の大きいお祭りです。 このお祭りの度に、知り合いの元にミニSLの興行依頼が来るので、いつもお手伝いに行ってます。 モノレールのお祭りでのミニSLは、お客さんがとても多いので、とても疲れるんです。 それもあって、この時のお手伝いは、最近はミニSLと一緒に開いてる部品販売の方を手伝ってます。 今回は特別に、チョコエッグを改造した列車ストラップや、ブルトレのマークを施した缶バッチを作って販売してみました。 不思議や不思議、全部売れちゃいました。やはり、値段の安さが効いたのでしょうか。 しかし、喜んでたのも午前中の間だけ・・・ 昨夜から少し風邪気味だったのが、ドカンと噴出しまして、昼からはグロッキーでした。 皆さんには申し訳ないのですが、昼からこっそり寝てました。
2006.04.23
本日は土曜日ということで、待ちに待った?、犬のハナちゃんを病院へ連れて行来ました。 ハナが手術を受けた頃は、病院は改装中だったのですが、今日行った時には、キレイに改装が終わってました。 待合室も広くなり、椅子も増えました。汚してもいいように、プラスチックの椅子になってました。 診察室も3室へと1室増えてました。 お昼前の11時頃に連れて行ったのですが、診察室に呼ばれたのは12時過ぎてました。 相変わらず、お客が多いです・・・ 待合室で長い時間順番を待ってる間、隣に座ってる人とお話をしてました。 その人は、目の上に打身と切傷を作ったお年寄りの犬を連れてました。 ビニール袋にトイレシーツを敷き、その中に犬を足の部分だけ入れて抱えてました。 端から見ると、なんでビニール袋????、しかも目の上の傷は????、とも思うのですが・・・ 歳を聞けば、19歳。耳が聞こえず、痴呆の症状も酷く、ぐるぐると同じ所をひたすら回ってるのだそうです。 トイレも我慢出来ない状態で、少しずついつも垂れ流してるような感じで、家ではオムツなのだそうです。 犬自体も、老いぼれており、とてもマルチーズだったとは思えないような感じでした。 この犬って愛されてますよねぇ・・・関心しました。 歳を取ったからと行って、保健所に連れて行く人が多い中、素晴らしい飼い主さんですね。 犬や猫でも、出来る限りの範囲でよいから、最期まで可愛がって欲しいものです・・・。 前置きが長くなりましたが、ハナちゃんの診察結果ですが・・・ 体重は、1.3キロ。レントゲン撮影と、触診の結果、再発は今の所まだしてないようです。 次は2ヵ月後(手術後3ヶ月)に検診です。
2006.04.22
ついに、終わっちゃいました・・・ふるさと銀河線の廃止に関するニュースを、ご覧になりたい方はこちらをどうぞ。Yahoo!ニュースの動画リンクです。http://nsearch.yahoo.co.jp/bin/search?p=%b6%e4%b2%cf%c0%fe&to=0&b=1&c=&st=v全国レベルのニュースとしての扱いは、寂しいものでしたね・・・。夜のニュースでは、21時からあるNHKのニュースだけが中継を交えながら、銀河線のことを紹介してました。
2006.04.20
タイトルの「ふるさと銀河線」ですが、これは北海道にある北海道ちほく高原鉄道という鉄道会社です。国鉄時代に、池北線と呼ばれていたのですが、特定地方交通路線として国鉄から切り離された路線なのです。切り離された後、沿線自治体でお金を出し合って、池北線を第三セクター方式で運営する鉄道会社になりました。この路線は、一度だけ乗ったことあるのですが、なかなか風光明媚な所です。また、路線長が長い長い・・・全線で100キロ以上もあります。しかし色々あってですね、本日を最後に、廃止になります。色々な経緯を乗り越えて、折角ここまで残して走らせて来たのに、残念ですね。へいちくを応援してるので、このような話はなんだか他人事には思えないのですよね・・・。国土交通省北海道運輸局の「ふるさと銀河線」に関してのサイトhttp://www.hkt.mlit.go.jp/tetsudou/gingasen/gingasen.htmlふるさと銀河線の、オフィシャルサイトhttp://www15.plala.or.jp/chihoku/理由を言えばきりがなく、私も沿線利用者ではありませんので、あまりよく解りません。少子化・モーダルシフトということで利用者低迷とか、自治体が要らないと判断したとか、理由をつければ色々あるかと思います。地方の鉄道会社というのは、今の時代とても経営がきびしいです。「利用者が居ないなら、バスに変えてしまえばいい」という意見を多く聞きますが、これは利用しない人の意見だと思うんですよね。バスは、運賃が高くなる、鉄道に比べ定時制が確保出来ない、快適性が劣るなど、マイナス面が多いです。結果、バスへ移行する割合が段々と少なくなり、ついにはバスも路線が廃止となる場合すらあります。なぜかバスへ移管すると、沿線の過疎はますます進み、街全体が衰退してしまいます。また、お金の面で比較してみますと、鉄道からバスに移管する際に必要なお金より、欲張らず極力お金を押えて鉄道を意地する方が、結果的にかかるお金は断然に安いんです。お金をかけず鉄道を維持する方法の1つとして、上下分離方式というのがあります。これは、鉄道の場合で言いますと、線路と信号設備を自治体が負担して、鉄道会社が車両を保有して営業するという方法です。「え~!鉄道にそんなお金かけられない」と思われるでしょうが、バスは上下分離方式なんですよ。最近思うのですが、公共交通を維持するというのは、自分の子孫の為であり、自分の将来の足を守るということにも繋がります。また、自分が利用することで、沿線の若者や年寄りが好きに移動出来ることを支えていると考えると、なんと素晴らしいシステムだと思いませんか?ある意味、究極の思いやりのような気がしてなりません。
2006.04.20
昆虫などの生き物全てにおいて、種としての足が4本より多くあるものって、あまり好きではありません。昆虫は、昆虫というだけで6本足がありますよね。どちらかと言えば得意ではないので、キライです。で、足が沢山ある生き物、これなんか見ただけで失神しそうです。家の中には、絶対に入って来て欲しくありません。足が沢山ある生き物・・・? はて? どんな生き物? と、思われる方が多いと思います。 あれですよ。あれ。 うち、結構出るんですよ。ムカデですよ(>____
2006.04.19
その12では、飛行機に乗せられて羽田に着き、再び二人暮しが始まるまでを紹介しました。 今回のその13では、東京での二人暮し珍道中を、書いてみたいと思います。 *-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*ラムが東京に来てから、また今までのような二人暮しがスタートしました。私が東京に来たばかりの頃は、家に帰る必要性を感じず、家に帰りたくありませんでした。だからと言って、あちこちホッツキ歩いてたのではなく、しぶしぶですが家にはちゃんと帰ってました。しかし、ラムが来てからは、家に待ってる人が居るので、こちらも家に帰るのが楽しみになりました。とりあえず家に帰ると、「ブニャニャニャー、ブニョブニョニョニョー、ブギャギョブニョー!!」と言われました。おそらく、「なんしよったんねー、私お腹すいたんよー、早く頂戴よ!!」と言ってるのだと思います。ぎゃーぎゃーうるさくても、表情豊かなので、ラムとの生活は楽しかったです。今まで一人の時は、まともにご飯も作らなかったのですが、ラムが来てからは家でご飯を作るようになりました。しかしザンネンなことに、家の近くにあるスーパーでは、魚をまともに売ってないんですよね。刺身はまぐろばかり、干物はメザシとかシシャモばかり。その反面、肉は安く沢山売ってるんですよね。それに、台所がミニキッチンで、ガスが使えず1口の電気コンロだったので、魚は焼けないんですよね。だから、野菜中心の食生活で、たまに肉を使う程度でした。といっても、白ご飯とおかず一品でした。ビンボーって嫌ですね。ラムは、醤油味が好きみたいで、じゃがいもを炊くと、「ブニャブニャ」言って欲しがってました。肉じゃがとか、大好きでした(^^;自分もじゃがいもが好きでしたので、じゃがいもだけ使って、出汁でよく煮て薄く砂糖醤油で味付けした物を、よく作ってました。ビンボーですから。ご飯を食べる時は、ラムにも少し上げてました。味があまりしみてない、じゃがいもの中程の所を少し上げてました。ラムも10歳となり、そろそろ食事を考えなくてはならないと思い、カリカリの物を上げるようになりました。このキッカケも、やはりビンボーだから、安くなる方法を考えたらカリカリだったということなんですm(__)mそれまでは、缶詰ばかり上げてまして、魚ばかりの食事でした。猫の食事に関しては、あまり興味もなく、必要なカロリーや栄養素を、ほとんど知りませんでした。そこで、やはり知識がないので、きちんとしたメーカの物を購入するようにしました。始めは、サイエンスダイエット社の物を、与えました。猫のシニア用の物を与え、たまに缶詰を上げるようにしました。そのうち、おからを多く含むカリカリを与えてると、戻すことが多いということを学習し、アイムスに切り替えました。私が会社を休みの週末は、お昼くらいまで寝て、夕方までぼーっとして、掃除洗濯して寝るという生活でした。ラムは平日は必ずご飯を催促するのですが、週末は必ずしも催促はされませんでした。日によって違うのですが、指を噛んだり、顔(鼻)を噛んだり、胸の上に乗ったりして、ご飯を催促されてました。ご飯を催促されない週末は、とても幸せでした。結構あちこち旅行に行きましたけど、週末度にあちこち行ってたわけではありませんので、意外と家でボーっとしてる週末が多かったです。あと住んでた所は、地下鉄東西線の中葛西駅近くでしたので、地下鉄博物館へ行ったり、環七沿いにあるダイエーに行く程度でした。本屋とか行きたかったのですが、家の近所のはつまらない本屋さんでしたので、ほんとあまり出歩きませんでした。ラムが居なかったら、本当につまらない生活だったと思います。*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*書こうと思って思い出してみると、意外に沢山あることに気がつきました。今日は、これくらいにしておきます。しばらく、このシリーズ、長く続きそうです(^_^;)
2006.04.19
その11では、ラムを実家に連れて帰りましたが、遠くへ引越しをせざる得なくなり、ラムを置いて行くことになりました。しかしラムは、とても寂しがったので、私の元に飛行機で送ることになった所まで紹介しました。 今回のその12では、羽田に着いて再び二人暮しが始まるまでを、書いてみたいと思います。 *-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*ラムは、福岡空港から羽田空港まで、飛行機に乗って一人で移動することになりました。この当時、猫を飛行機に乗せるということは、今程容易いことではありませんでした。今ならば、ペットと一緒に移動出来るサービスがあり、このサービスを使えば手荷物扱いとなるため、飛行場に着いてもすぐに渡してもらえます。しかし、ラムを送った当時は、貨物扱いとしてしか輸送出来ず、輸送してくれる会社も飛行機貨物を扱ってる所だけでした。ですので、日本エアシステムの貨物として送りました。まず、荷物である猫のラムは、いつものプラスチックのキャリーケースに入れた状態で、福岡空港の日本エアシステムの貨物取扱所という、飛行場の端の端の方にある営業所へ連れて行かれました。ここで、希望すれば、キャリーケースから出して、犬猫を運ぶ専用の檻に入れて輸送することも出来ます。今回は、キャリーケースに入れた状態で運ぶようにしました。キャリーケースの中を広く取る為に、犬用のトイレマットとタオルを1枚ずつのみ敷きました。この時ラムの体重は4.0kgで、まだスマートでしたので、キャリーケースに入れていても、前向いたり後ろ向いたりと、ぐるぐる動き回ることが出来ました。スペース的には、余裕しゃくしゃくです。恐らく荷物と一緒に、下部分が少し小さくなってる、あの飛行機用のコンテナに入れられて、飛行機の荷物室に入れられたことでしょう。飛行機の場合、荷物室の湿度気温は、人間が居る空間と同じように保たれてるのだそうです。だから、寒くはなかったハズです。そして飛行機が離陸して、着陸して・・・飛行機が到着してから1時間後に手渡し可能ということでしたので、1時間後を目安に羽田空港へ迎えに行きました。羽田空港内にある貨物取扱所は、解りにくい所にありまして、モノレールの駅降りてからしばらく歩きました。そして、やっと貨物取扱所に着き、扉を開けると・・・ ここで感動の対面が・・・ 私:ラム、よく来たね、がんばったね・・・(涙を浮かべて) ラム:(か弱い声で)にゃ~ 私、ラム:(しっかり抱き合う) ・・・ こうなるはずなんです。 多分・・・ しかし・・・お店の人が反応する前に、ラムが「ブニャニャニャーブニョーブニョニョー」と、大きなダミ声で叫び始めました。お店の人は、その反応ですぐ解ったらしく、笑いながらすぐラムを出してくれました。ちょっと、恥ずかしかったです。その後、生きてることを確認して、受領サインをしました。ドラマのような感動の対面ではありませんでしたが、私の足音で解るのでしょうね。扉を開けた瞬間に、鳴き出したのは、ある意味関心しました。やはり、忠猫なのでしょうか。お店を出て、少し行った所で、ラムの顔を見て、労いの声をかけようと思い、キャリーケースの蓋を開けました。そして覗き込むと・・・白い綿のような物が、ぶわーっとケースの中を埋め尽くしてる中に、チョコンとラムが居ました。一瞬、何のことかわからず、呆然としたのですが・・・飛行機が怖かったのでしょうね。ケースの中で、かなり暴れまわったようでした。ケースの中に敷いてた、犬用のトイレマットが、見事に全部バラバラにされて散り散りの粉々になってました。とても、ラムに「よく来たね」とドラマのように言えるシチュエーションではなく、一人で大笑いしてしまいました。その後、雄叫びを上げて「ブニョー」と鳴くラムを連れて、モノレールに乗り、JR、地下鉄と乗り継いで家へ帰宅しました。ラムのような小動物を運ぶ際は、JRでは手荷物料金を払うようなってます。その為、確認してみますと、モノレールは手荷物料金が必要と言われましたが、地下鉄はそのような規則がないらしく無賃でラムは乗れました。電車の中ではちょっと大人しかったのですが、地下鉄降りて家に歩いて帰るまでは、雄叫びを上げまくってました。漸く家に帰り着いて、ケースを開けると、ラムは喜んで出てきました。5分も探検しないうちに、すぐに落ち着き、私の膝元でちょこんとしてました。それからふと、何気にラムの手を見てると、血がついてるんです。ん?と思って、じっくり見てみると、指の爪が1本ほど根元からもげてました(>_
2006.04.18
その10では、ラムとの二人暮しの時に起こった、ハプニングとか思い出を紹介しました。 今回のその11では、学生時代が終って実家へ戻った後のことについて、書いてみたいと思います。 *-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*ラムが7歳の時に、私が大学へ編入したことで2人暮らしが始まりました。しかしその後、私は就職が決まり、ラムが10歳の時に、再び実家へ戻ることになりました。私の就職が決まった先は、実家から通える所に本社がある会社でした。だから実家に帰ることを決めたのですが、実家にはすでに犬のハナが居たので、ラムとハナを一緒の家に住まわせるか?と少し悩みました。まだ給料も頂いてない身分ですので、犬と猫が喧嘩しようがしったこっちゃないということで、とりあえず一緒に住まわせました。家は同じですが、部屋は別々するようにしました。まず、山口から実家へ帰る時のラムの引越しが、とても大変でした。ラムを母親に連れて帰ってもらい、私の荷物より先に、実家の私の部屋へ入りました。そして、翌日に私の荷物が、ラムが居る私の部屋へ入りました。私の荷物は、会社は地元に本社がある会社ですので、洗濯機や冷蔵庫などの家電は要らないだろうということで、引越しする時に処分して身軽?なものでした。そして4月1日、入社式があり、私も晴れて?社会人となりました。社会人になってからのマナーとか、会社に入ってから必要な知識がつまった本等、沢山の物品を会社から支給されました。制服も一緒に支給されたのですが、私だけ違う色の制服だったのです。どうしてだろう?と思ったら、私は配属先が東京支社だから、違う色だったんです。一人暮らし出来ることはうれしかったのですが、てっきり地元勤務だと思ってたので、家電製品を処分してしまったから、また一から揃えなければならないのがショックでした。入社して2日目からは、新人教育が終わるまでの1ヵ月間は、本社勤務でした。その間、ラムは一人で遊びながら、私が会社に行って帰ってくるのを、家で待ってました。東京へ引越しする時、ラムをどうしようかとなったのですが、東京での様子がわからないから、当面は実家に置いておくようにしました。そして5月になり、東京支社へ配属となり、いよいよ引越しの時が来ました。荷物をバタバタ出す所を、ラムは縮こまりながらじーっと見てました。ラムは、ダンボールの箱に荷物を詰めて、その箱を動かすと、引越しをするということが、わかるようでした。少し、ナーバスになってました・・・。引越しも完了し、慣れない東京生活がスタートし、慣れない会社生活もスタートしました。なんとなく会社の雰囲気に馴染めず、東京自体があまり好きではありませんでした。すぐに、慢性蕁麻疹になり、かゆみとの戦いがイヤでした。東京での生活が辛かったことは、自分の考えや態度の甘さも原因なのですが、当時は他を考える余裕もなく、辛くて溜まらないということしか頭にありませんでした。実家では、私が出てから、母とハナとラムの3人の生活がスタートしました。3人となると、割れない人数ということもあり、母とハナはいつも一緒で、ラムはいつも一人ぼっちになってしまいました。ラムは、私が引越してからずーっと、夕方になると玄関の前に座ってたそうです。また、玄関の向こうで足音が聞こえる(アパートでしたから)と、玄関の方へさっと走って行き、しばらく座ってたそうです。ラムは、1月経っても母に甘えることはなく、玄関の前に座ってることが多かったそうです。「ラム」と母が呼べば、「にゃーん」と返事はするらしいのですが、ラム自ら母に甘えることは無かったそうです。いつみても、寂しそうに玄関の前にちょこんと座ってることが多かったそうです。そこで母は、見るに見かねて、ラムを飛行機で東京に送ろうと言い出しました。私の方も、アパートの規約で「小動物飼ってはいけない」とありませんでしたので、受け入れることになりました。東京の獣医さんの事情はよく解らないし、猫を飛行機の荷物として送れる(体力的にもつか?とか)かどうかも解らなかったので、行きつけの獣医さんの所で、歯石取りと健康チェックをしてもらいました。そして、歯石取りや健康チェックも終り、とある6月の終り頃、ラムはついに飛行機の荷物として、福岡空港から羽田空港までのJAS便に乗せられることになりました。飛行機に1匹で乗せられて、はたしてどうなることやら・・・?ちゃんちゃん。*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*今回は、ラムが飛行機に乗るまでを紹介しました。ラムとの思い出 その12では、羽田に到着してからのことを紹介したいと思います。羽田にラムを迎えに行ったら、ラムは大変な状態になってました。これは、私自身とてもびっくりしました!
2006.04.17
本日は、私の誕生日で御座いました・・・。誕生日というのは、心躍るワクワクするものなのですが、今年の誕生日はちょっと最悪?でした。昨日の夜に、誕生日のお祝いということで、食事に行きました。食事は、韓国料理屋さんで、炊き鍋という肉鍋をメインのコース料理を食べました。キムチやチジミもあり、とてもおいしかったです。少し辛かったですが。このお店のコース、これがとてもボリューム満点でして・・・、見事にお腹壊しちゃいました。辛いのが応えたのか、食べ過ぎが応えたのか解りません(>_
2006.04.13
その8では、ラムとの二人暮しスタートのことを書きました。今回のその9では、ちょうどその頃の写真をお披露目致します。 ~・~・~・~・~・~・~・~・~・~私と二人暮しをする前の頃、まだ母と二人暮ししてた頃のものです。ラムが3歳の頃です。私:ラム寝ないの?ラム:お母さんと一緒に寝るの待ってるの母が仕事をしている時は、こうやって寄り添ってることが多かったです。母が仕事で徹夜する時は、ラムも寝らずにじっと起きて母の仕事が終わるのを待ってました。私と二人暮しを始めてからは、私が幾ら起きてても、ラムは時間になったらサッさと寝てました(>_
2006.04.10
本日は、晴天なり。私が所属しております、鉄道友の会の九州支部行事へ参加して来ました。今回の支部行事は、福岡市営地下鉄 七隈線の車庫・工場(橋本駅横にあります)の見学会でした。※全ての写真は、クリックしますと大きい画像が開きます。鉄道友の会と言いますと、俗に「鬼畜の集まり」とか「ネジの外れた連中の集まり」とか言われてまして、変体集団のように思われがちですね。だからだと思うのですが、JRなどの大手の鉄道会社に、見学会を求めてもこちらの要求はあまり聞き入れてくれず、いい加減なものにされがちなんですよね。しかし、今回の見学会は違ってました。もともと七隈線の工場自体が、見学出来ることを前提に作ってあることもあって、見学する受け入れ体制が出来てました。重要部検査をする工場や、台車周りを検査する工場、電車を留置する車両留置所など、大半の部分を見せてくれました。台車周りを検査する工場では、ピット内にも入らせてくれて、下からリニアモーターを間近に見ることが出来ました。工場内の見学後、車両留置所で好き勝手に写真を撮らせてくれました。しかも40分も!17編成あるうちの7編成が外に留置されてたのですが、全編成のライトをつけてくれて、行き先も「天神南」になっており、パンタグラフまで上がってました。素晴らしいです!!!!ここまでしてくれる所、ありません。たかが見学会なのに、ここまでしてくれるとは、素晴らしいです。見学会が入る時は、いつもそうなのか、今回だけ特別なのかは解りません。見学会というと、冷遇される場合が多い中、ここの見学会は本当に内容が良かったです。では、長ったらしくなりますが、写真で細かく紹介させて下さいませm(__)m見学会では、まず地下鉄七隈線の紹介ビデオを見ました。15分程度の物でした。その後、重要部検査の時に使う工場へ案内して下さいました。この工場は、とっても広い所でした。しかも、出来たばかりということもあり、とてもキレイでした。また、工場見学することを前提として作られた工場で、見学するぶんにはとてもおもしろいです。赤い物は、あの上に電車の床下部分を外した上箱を、乗せる為の台です。工場を抜けると、電車を留置する所がありました。広いですね~。七隈線の電車は、こんな電車なんです。ドイツの有名な工業デザイナーが、デザインしたそうです。車体の緑色は、油山の緑。水色は、室見川の水色なのだそうです。ちなみにこの橋本工場の横に、室見川が流れています。今回の見学会では、見事に電車を並べて下さいました。普段から、このようにぴっちりきちんと並べているのかも知れませんが…留置してある電車全ての、前照灯を点けて下さり、パンタグラフも上げて下さり、行き先も天神南にしてくれてました。すごいですよね~。台車の検査場に行ってみました。台車とは、こんな奴です。台車の検査場でも、近代的でとてもキレイで明るい建て屋でした。上の部分が切れてますが、軌陸車です。台車の検査場では、モータの駆動が出来ませんので、この車で押し引きしてます。どうしてモータの駆動が出来ないかと言いますと、この七隈線で使われてる電車はリニアモーター駆動なんですが、このリニアモーターというのはちょっと複雑?な構造でして・・・一般的な電車に使われてるモータは、天井についてるパンタグラフから電気を給電してモータを動かし、それを車輪に伝えてることで動いてます。しかしこのリニアモーターの場合、電気を給電してモータを動かすのではなく、床下の線路の間にある四角い弁当箱のような物と、車輪の下にある四角い弁当箱のような物との間で磁界を変化させることで駆動する力を得てます。では、少し台車部分を見てみましょう。台車の検査場では、ピットの中にも入らせてくださいましたので、ちょっと見てみました。見事、車輪の下には弁当箱がぶらさがってます。この中に、固定磁石が入ってるハズです…では、少し目線を上に上げますと…磁石の入っている弁当箱は、車輪のすぐ下にひっついてました。モータ部分が床下にないから、車高を低くすることが出来ますね。そのこともあり、リニアモータータイプの地下鉄は、地下鉄トンネルの断面を小さく作ることが出来るのですね。東京の方なら、地下鉄大江戸線が、このタイプですね。ミニ地下鉄とか言われてますよね。入換機です。電車の留置場での、電車の入換えをする時に使います。長々と失礼しました。
2006.04.08
その9より、こちらを先に、アップしますm(__)mその9では、ラムとの二人暮しスタートの頃の写真をお披露目しました。今回のその10では、学生時代の、二人暮しの時に起こった、ハプニングとか思い出を書いてみたいと思います。 *-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-ラムは、内弁慶タイプの猫で、飼い主に対してのウチではどえらい強いのに、家の外では縮こまってる気の弱い猫でした。そんなラムは、外に出るのを極端に怖がり、玄関の扉から外へは出ようとはしませんでした。しかし、ベランダへ出るのは大好きでした。洗濯物を干す時に、窓を開けてベランダへ出ると、当然のようにゆっくりベランダに出てきて、ゴロゴロしてました。急に暴れたりすることが無かったので、油断してました。 ベランダの隣の部屋との堺にある防火壁の下部分の隙間!ここから、ラムがサッと隣へ行ってしまいました。「あちゃー」と真っ青になりながら、「ラムー」と呼びましたが返事がありません。しかも、2軒先くらいまで行ってるようなんです。見つかったらヤバイと思いましたので、無い知恵を振り絞って、冷蔵庫から竹輪を取り出し、防火壁の下部隙間から竹輪をユラユラさせて「ラムー」と呼びました。何も反応がありません。何軒か先へ行けば、竹輪の匂いもしないでしょう・・・。しかし、次に「ラムー」と呼んだら、「ウニブニニ」とか言いながら戻って来ました。安心しました。流石、竹輪様サマですね。この日すぐに、ブロックを買いに行き、防火壁の隙間へ置きました。その後、ラムが隣の家へ行くことは、なくなりました。思う存分、ベランダでゴロゴロと出来るようにもなりました。 □ (=^・^=) □ (=^・^=) □ (=^・^=) □ある日、学校の友人知人を数人家へ連れて来ました。その時に、皆が口々に、ラムのことを見て「目がキレイ」とか「目がビー玉みたい」とか、言ってました。確かに、飼い主もそう思ってました。猫の目って、どの猫も皆ビー玉みたいに、透明感溢れるキラキラしたものなのでしょうか? □ (=^・^=) □ (=^・^=) □ (=^・^=) □阪神淡路大震災が起こった日のことです。この日は、学校で講義が無い日でしたので、私は家でゆっくりする予定の日でした。ゆっくり寝ようと思ってたのに、朝方早くに、ラムが私の体の上に乗って来て、私を起こしたんです。時計を見れば、まだとても早い時間です。なんだかなぁと思いながら、また寝ようとしたら、グラグラッとアパートが少し揺れたんです。その頃、山口で地震があるというのは珍しいことでしたので、急いでテレビをつけて見ました。数分すると、速報が流れ、そこには・・・信じられないような、震度が書かれてるではないですか!ラムなんて、家にずっと居るから、野生の第六勘はないと思ってたのですが・・・動物というのは野生に近いからでしょうか、家でゴロゴロしてても、初期微動前の異変をも察知出来るのかも知れませんね。 □ (=^・^=) □ (=^・^=) □ (=^・^=) □冬のある日、雪が沢山降って、僅かながら2センチ程雪が積もりました。夜だったのですが、隣の公園には雪がキレイに積もってました。ここで、フト思いつきました。ラムは、雪を見たことないハズだから、連れて行ってみよう!と。猫用の首輪(リード)を付けて、抱っこして、こっそり連れて行ってみました。そして、雪の上に、こそっとラムを置いてみました。ラムは困惑した顔で、じっとしてました。しかし何秒も経たないうちに、私に飛びついて来ました。やはり冷たいのは、嫌なのでしょうね。*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-次回は就職が決まって、実家へ帰る辺りの頃を書きますね。就職先は、本社が実家から通える所の会社でしたので、ラムと共に実家へ帰ったのですが・・・最初に配属される部署は、東京支社だったのです。「ラムとの思い出 その10」を書いてて思い出したのですが、この頃はまだ、私が立っていても、胸の辺りまでジャンプして飛びついて来てました。若い頃は、まだ運動能力も達者でした。ジャンプして飛びついて来るのはいいのですが、うかつな時に飛びつかれると、背中に飛びつき、そのまま肩の上まで上がって来てたんですよね。それもすごいですよね。しかし、こうやって飛びつく時は、必ず体のどこかに爪を立てられてました。腕とか、肩とか、背中とか・・・痛かったです(>_
2006.04.05
しばらくの間、日記更新のお暇を頂いてました。なんかですねー、例の病気がまた頭を上げて来たのですよ。これが頭を上げてくると厄介でですね。動こうと思っても、頭痛、めまい、吐き気と、動くに動けないんですよね。たまりません。パソコンの電源を入れず、家でゆっくりしてたのですが、少し良くなって来た感じです。ですので、また、日記を更新して行きます。
2006.04.03
ラムが逝ってから、本日が77日です。次の猫を飼いたいと思いつつも、近所のペットショップに居たアビシニアンはどこかに飼われて行き、飼えずじまい。次に入った猫は、ペルシャ猫でした。私は大人しい猫より暴れん坊の猫が良いので、見送ります。余所の猫を見ては、触りたいなぁと思いつつも、結果的にはならずジマイ。北九州市の動物管理センターが、子犬子猫の譲渡会を行っていたりするのですが・・・。あとは、捨て犬捨て猫のシェルター組織で、ボランティアを募集したりしてるので、とても行きたいのですが・・・。なぜか、行ってません・・・。スケジュールが合わないというのではなく、何となく行けない理由をつけて行かないみたいなんです。すぐにでも猫は飼いたいのですが、母親は外猫の猫は子猫でもダメと言います。完全家猫から生まれた猫なら、いろんな虫や菌を持ってないから、良いと言うのです。完全家猫と言われたら、血統書つきのようなナントカという肩書きのついた猫しか、滅多にお目にかかれないですよね。実際、野良猫や、外猫を飼われてる猫を見ても、「あ、ネコ」と思うことはあっても、連れて帰りたいとか、可愛いとか思う気持ちは、無かったりします。また、自分自身が、次の猫をと思う気持ち自体、本当はラムの居ない空しさを埋めたいという、代替品的な意味合いなのかも知れないと、最近思うようになりました。だから、それを自分自身が何となく解って来ているので、母が「外から持ってくる猫は飼うな」という言葉を理由にして、次の猫を飼わないようにしようしてるのかも知れません。未だに思うことがあって、もっと自分が気をつけていればラムはまだ生きれたのではないか?と。腎不全を発症する2年ほど前、血尿が出てこの時に血液検査をしたのですが、この時の値はすでに腎臓が弱り始めてた値でした。この時にもっと気を使っていれば・・・、苦しみは少なかったかも知れない・・・。下手すれば、20歳まで生きたかも知れない・・・。端から見ると、「あんた馬鹿じゃないの?19歳、充分大往生やない」ですよね。獣医さんからも、先日ハナちゃんを癌で連れて行った時に、「ラムの時、もっと早く私が病気の勉強をしていれば…」と話をしたら、「充分色々されたじゃないですか、そんな風に思うことはないですよ」とリップサービスかも知れませんが、充分と言われました。第三者的に見ると、充分なのかも知れません。しかし当事者から見ると、そうは思えません。20歳までは生きて欲しかったのですが、もし20歳まで生きたのなら、もっと生きて欲しいと思っていたでしょう。たとえ、20うん歳で死んでも、同じように思うのだろうと思います。自分より寿命が短いのはしょうがないと頭の中で解っていても、これをきちんと納得出来ると言いますか、受け入れることは難しいですね。死ぬ直前は、色々と手がかかっていたので、居なくなる事をしみじみと考えたことがありませんでした。死んだ後は、「仕方ないのだからう受け入れろ」と、自分に鎧を着せたので、そう辛くはありませんでした。しかし、体は納得してないみたいですね。時が経つと、もろくも崩れて来たようです。今頃になって、何かのきっかけがあると、出てくるのは「何で死んだの?何で私を置いて先に逝ったの?」こればかり・・・。「寿命なんだから、仕方ないじゃん」と、一人で突っ込みを入れてはみるものの、何となくまだ受け入れていないような自分が居ます。ラムを埋めた所に行って見て、埋めたんだよなぁと思ってみるものの、「実はこの下で生きて居るのではないか?」と思い、掘り返したい衝動に駆られる時もしばしばあります。でもきっと、掘り返しても、腐りきってウジ虫がたかってるのだと思います。これじゃぁまるで、黄泉の国に居るイザナミノミコトに、会いに行くようなものですね・・・。実際居なくなってしばらく経つと、悲しいとか切ないとか寂しいとか、そういう気持ちではなく、何とも表現し難いのですが、空しいという感じでしょうか・・・。常に心にあるぽっかり感は、何かに打ち込んで気分転換しようとしても、埋まらないんです。今はもう、ラムが居ない生活が当たり前になりつつあるのに・・・。これが、ペットロス症候群なのかも知れません。単なる、ウツやないの・・・。コレ(ウツ)以前になったことがあり、病院へ通ったりしてたことがあります。しかし自分の場合は、軽症だったこともあり?付き合い方を、修得しました。自分の場合、精神面というより、体調不良に現れるので、はっきりと始まりが見分け難いんですよね。でも、どういう時に、頭をもたげて来るのかも、何となくですが解って来ました。まぁ、ペットロス症候群が、単なるウツ症状なのであれば、またうまく付き合って行けると思います。しかし、多分一生引きずって行くのでしょうね・・・。
2006.04.02
今日、ある所で、知り合いの鉄道趣味人に合いました。でも、彼女連れてました。私、ぱっと見はしらーっとしてたのですが、心中「うそー?まじまじ?」という感じで、心の中で静かに焦ってました。そういえば先日も、ある知り合いの鉄道趣味人が、彼女連れて来て皆に紹介してましたし。やっぱり季節が春となると、人生にも春が来るというものでしょうか(笑
2006.04.02
本日は、福岡(博多)へ行く用事がありましたので、その帰りがけに少し足を伸ばしてみました。前から行きたかった路線へ、行ってみました。福岡市営地下鉄の西陣駅から、そのまま貝塚駅(終点)まで行きました。福岡市営地下鉄は、博多駅から福岡空港駅へ行く時と、天神駅へ行く時くらいしか使いませんので、貝塚駅まで行ったのは初めてでした。地下鉄と聞くと、大都会にある交通機関というイメージが強いので、貝塚駅に降りた時はびっくりしました。単なる住宅街じゃないのという感じです。まぁ、九州大学という元帝大はありますが。そしてこの貝塚駅から、西鉄の宮地岳線へ乗り換えました。ちょいと、津屋崎まで往復します。しかしまたこの路線が、大都会にある交通機関の地下鉄へ続く路線なのか?という感じなんですよ(笑路線の沿線がド田舎というのではなく、車両や設備がスゴイんです。二枚窓の電車が居るんです。釣り掛け電車が走ってるし、しかも中間車改造のような車がいたり、そいつは折妻(俺の妻ではない)だったりしますし・・・新しそうな電車でも昭和39年製。すご。また、架線柱は木のものが残ってたり、スプリングポイントは沢山あるし、沿線の駅(駅員は中年女性!)では切符は手売りだったりするし。すごいじゃん!と関心してしまいました。流石西鉄と言った感じでした。古い物でも大事に使ってます。駅員は中年の女性がほとんどですので、爽やかですし、掃除も行き届いてます(^.^)しかし残念なことに、この路線の新宮~津屋崎を廃止にすると、本日新聞に載ってました。宮地岳線に乗った時に、向かいに座ってた人が読んでた新聞を見て、知りました。
2006.03.29
本日は、記念館へ行きました。部品販売もしていましたので、それのお手伝いをしてみました。部品販売のお手伝いをしてますと、どこかの即売会で見たことある人をよく見かけます。ほんと、部品を集めてる鉄道趣味人な人は、あちこちよく回ってますよね。すごいです。私は、片面が「遠賀川」裏が「小倉」のサボを、仕入れました。部屋の壁に飾っておこうと思います。
2006.03.26
本日へいちくへ、いつものように掃除に行きました。今回は、いつも掃除をする所に、先日掃除したばかりの車両だったので、今回は見送ることにしました。車両のワックス掛けは、水道が使えないと、掃除が出来ないんです。ですので、本日は、糒駅の掃除となりました。糒駅は、桜の木が沢山有りますので、桜の見物が出来るようにと会社側が草刈や枝を落としたりしてたのでした。しかし、人手が足りないので、それだけしか出来なかったそうです。よって私達がその続きをしたのですが、切り落とした枝を会社のゴミ捨て場に運び、駅舎周りに捨ててあるゴミを拾い、駅舎を掃除して草引きという作業までしか出来ませんでした。今回は突然の作業(先週が中止になったので急遽それを振り替えたのです)でしたので、参加者が3.5人でした。なお、いつも掃除に来て下さってた方でMさんという方が居るのですが、東京へ転勤することになったのだそうです。本日で最後の掃除でした。沿線に住んでる人でしたので、とても残念です(;_:)また、来年度から、この活動に保険をかけることにしました。県単位の福祉事務所が行ってるボランティア保険です。1人辺り、1年で300円で賄えるという、掛け捨て保険なんです。作業の行き帰りも保険の対象ですし、対物保障が4億円(列車を転覆して壊してもOK・笑)までですので、入った方が良いですよね。
2006.03.25
本日は、ある方のお仕事の手伝いに行って参りました。会社お休みして行きました・・・ふざけた社員ですみませんm(__)m仕事内容は、ちょっと明かせないので秘密なのですが、疲れました~。肉体労働ですよ。普段は、デスクワークなので、バリバリ筋肉痛です(>_
2006.03.24
その7では、小さい頃の写真を振り返りました。その当時の写真は、まだ1歳の頃のものでした。 しかし、今回のその8では、ぐぐーんと一気に8歳まで飛びます。 それには理由がありまして・・・ 私が中学2年生の時にラムは母の家へ来ました。中学の頃は、父と母の家を行ったり来たりで、あまりラムと一緒には生活しておりませんでしたので、あまり記憶にないのです。 また、高校ですが、高専に行ってまして、しかも寮に入ってましたので、尚一層この当時のラムの様子は解らないのです。 しかし、高専卒業後、大学へ編入しました。この時、一人暮らしとなり、ここでラムとの生活がスタートしました。 では、ラムとの生活スタートの辺りからどうぞ・・・ *-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*- 私もそれなりに成長し、大学へ編入することになりました。 編入する大学は、女子寮がなかったので、一人暮らしを始めました。 4月から一人暮らしを始めてしばらくした頃、突然母がこのようなことを言いました。 「犬を飼いたいから、あんたラム連れてって」 え? 犬を飼いたいから、猫を連れて行けと・・・??? 責任持って最後まで飼えよ! と思ったのですが、私はラムが好きだったので、二つ返事でOKしました。 母と2人で私のアパートまで、ラムを車で北九州から運びました。 車に乗ってる間中、ずーっとラムはギャーギャー言ってました。車に乗るのは、病院へ連れて行く時しか乗せなかったので、車に乗るのがとても嫌なようでした。とにかく乗ったが最後、到着するまでずっと鳴いていました。 ようやく到着し、アパートへは、こそっとラムを連れ込みました。 その当時すでに、ラムは私にも懐いてたからでしょうか、15分ほど部屋を探検したらすぐに落ち着き始めました。 しばらく母も居ましたが、こっそり帰って行きました。 夜になり寝る時間になっても、ラムは「ここは自分の家じゃない」とニャーニャー言うことはありませんでした。 こうやって、ラムとの二人暮しがスタートしたのでした。 母は、ラムをあっさり手放したものの、肝心の犬は当分来ませんでした。漸く来たのが、8月の終り頃でした。しばらくは、一人の生活だったようでしたが、本人曰く寂しかったそうです。 2人で暮らし始めたわけですが、暮らし始めた当初のことは、実はもうあまり覚えていません。 ご飯は、今までと同じように缶詰だけのご飯を上げてたと思います。 猫トイレは、トイレと風呂が一緒になったユニットバスに、置いていました。 普段の生活では、あまりラムの相手はしてなかったように思います。 おもちゃで遊びたい時は、おもちゃを持って来てくれてたので、その時には一緒に遊んでました。 また、遊びの中でも1番好きだったのは、布団の中からこそっと指を出したり引っ込めたりして球を取るのが好きだったようです。 凄まじい勢いで飛んで来ては、バリバリと球を取り、思いっきり布団の上に乗って来ては、私のお腹を蹴っ飛ばしてジャンプしたりしてました。 そんな風に、凄まじい勢いの時は、私も布団から出て、ラムに対して威嚇してました。 両手を挙げて「うわっ」とか言ったり、ラムの方へ両手を滑らせながら「しゃーっ」とか言うと、ラムはすぐ対抗して威嚇してきます。 威嚇する時は、毛を逆立てて、私に対して斜め向きになって、横飛びしながら「ウォウォウォォォ」と低い声で言ってました。 そのラムが威嚇する時の様子がとてもおもしろかったので、何度も何度もしてました(^^;; また、私が学校に行ってる間は、一人でお留守番なのですが、大人しくお留守番してたようでした。 ただ、部屋に出窓があったのですが、一人でお留守番の時は、この出窓で日向ぼっこをしてたようでした。 出窓のガラスにはカーテンを取り付けてあったのですが、そのカーテンをくぐって窓ガラスに引っ付くような感じでよく居たみたいで、この姿を管理人さんや他の方に目撃されてたようでした。 この出窓に立つラムの姿の話は、ある日の子供達の会話から知った話なのです。 出窓がある側は、小さな道を挟んで公園がありました。 この公園は、お昼過ぎてから夕方前までの時間帯で、子供達がよく遊んでいました。 そして私は、この公園を抜け道代わりによく使ってました。 そんなある日のこと、いつものようにこの公園を通り抜けしていたら、子供達が 「あっ見てー、猫」 「あそこ、よく猫が居るよね」 と言ってたので、ふと子供達が見てる方向を見ると・・・ラムが座ってるではありませんか。 マズイなぁ・・・と思いつつも、その家を出るまで、そのままにしておきました。 次回のその9では、この頃のラムの写真をお披露目致します。お楽しみに♪
2006.03.23
おもろない駄洒落ですねぇ。こんなことばっかり言ってるのですが、これでもたまには「わたしゃオッサンか?」と思うことがあります。洒落を言うなら、シャレた感じで、もっと面白いことを言うべきですね。えろう、すんまっせん。 本日の、お題目ですが、洒落ではありません。読んで字の如くです。 犬のハナですが、そろそろ病理検査の結果が出てるのではないかと思い、病院へ電話して聞きました。 すると、診断結果はこうでした。 まず、検査部位ですが、胸のしこり(乳腺部分)と足のイボです。 足のイボは、白でした。 胸のしこりは、黒でした。しかし、幸いなことに?癌細胞と言っても、タイプが3タイプあるらしく?、ハナの場合は1番不活性タイプのものだったそうです。そして、癌細胞の周りの組織は、活発でない組織らしく、癌の部分が全部除去出来ているのであれば、転移や再発の可能性は低いでしょうとのことでした。 母が電話で聞いたのですが、母はあまりよく解ってない場合が多い(あてにならない)ので、来月に入ってからまた診察に行きますので、その時に聞いてこようと思います。
2006.03.22
皆さん、色々な仕事に対する考えや意見をありがとうございますm(__)m なんとなくまとめてみたのですが、要は、始めに何の職業に就くか? で、その人の仕事が決まるのでしょうね・・・。 始めての仕事を長く続けなかったり、すぐに転職した場合は、仕事に着いて2~3年のうちに携わった仕事で決まるのでしょうかね・・・。 私は、職場での肩書きはSE(システムエンジニア!ぷっ。似合わないですね~。)で、プログラムを書き書きしてます。就職する時は、こんな仕事に就きたいとも思わずこの仕事に就いたのですが、いざなってみると、意外にこの仕事嫌いじゃなかったんですよね。一般的な情報システム会社に就職してるプログラマよりレベルはかなり低いのですが、WEBを使ったシステムとか、Visual BasicやVisual C#でプログラムを作成したりとかしてます。 ちなみにイチからプログラムを書くよりも、人の作ったのを改造したり、バグ出しがとてもお得意です。改造するものに限っては、とても早いみたいなので、今のグループでは重宝されてるみたいです。しかーし、設計は、ダメです。抜けが多いみたいで、ダメです。能力の限界を感じます(^^;; 改めて振り返ってみると、就職して満9年になろうとしてます。 就職して1、2年目の時は、上司との折り合いが悪くて、何度も転職を考えました。 7年目の時は、思いっきり体調を崩しまして、辞めなければならないかな?とも思いましたし。 本社に帰って来てからは、今でもそうですが環境に馴染めず、仲良い人が居ません。会社で友人なんて、居ませんし。だから、会社で誰とも口を利かない日さえあるんです。あと同期の人達も、バラバラで話をする機会さえありません。 これで、よくもこんなに長く持ちましたよね~。我ながら関心しますわ。 だから、あと10年くらいは、このままやって行けそうです。しかし、仕事の内容のレベルアップを求められるので、それに応えられるかが、自分としては不安でなりません。まぁ、その時に考えますか(^^;; で、何が言いたいかと言いますと、職種を思いっきり変えるようなことはしないでおこうと思います。 しかし、若いうちしか出来ないこの仕事を、定年までやっていこうとは思いません。というか、出来ません! ほんと、これからどうして行くかを、よく考えた方が良さそうですね。 もっと、一生やっていける仕事を模索しようかと思います。
2006.03.21
漸く吹っ切れました。最近になって、転職の話が持ち上がって来てました。小さい頃、路面電車の運転士になりたかったのですが、男女雇用機会均等法なんて無い時代、電車の運転士は男性の仕事でした。だから、真剣にその仕事に就きたいと、考えたこともありませんでした。それに、なりたかった路面電車自体の路線が無くなってしまいましたし・・・。そうやって蓋をしていたのに、最近になって、○○もしかすると×××になれそうな転職話が持ち上がって来ました。 やった! 念願の夢が叶うぞ! 自分もそろそろ歳だし、冒険するなら今が最後のチャンスだ!と思ったのも、つかの間・・・母親からは猛烈な反対を受け、知人からも相当反対されました。「仕事と趣味は分けた方が良い」とか、「職業を変えるにしては後ろ向き」とか、猛烈な反発でした。母の反対は、母がたいそう見栄っ張りなので、反対したのかな?とも思いました。が・・・「女として規格外になるのは、趣味だけにしておきなさい」とまで言うんです。これには、カチンと来ました。女親というのは、娘に対しては特に、自分の理想を押し付けようとするのでしょうか?すぐに、「第三者から見た目はこうだ」とか、「周りから笑われる」とばかり、周りの目を気にします。自分の場合、大半の人から笑われてるので、今更笑われた所で全然気にならないのですが。女親は、それではダメなようです。学歴とか、見栄えとか、勤め先の会社のネームバリューとか、どうでも良いじゃんと思うのですが。女親に取っては、少しでも良くないとダメなようです。娘は、親の飾り物でもないのに・・・まぁ、母親の期待は色々と裏切ってるし、女手1つで大学まで行かせてもらったので、仕事に関しては結婚するまでは期待に沿うようにしてあげますよ。今の会社も、親会社のネームが通ってるだけで、自分が勤めてるのは子会社なのに。自分が見栄を張る為に、娘をコントロールしようとするのは、やめて欲しいですね。見栄っ張りにも程があるように思いました。ちなみに、私が、趣味の方で名前が知れるのは、とても恥ずかしいことなのだそうです。そんなに鉄道という趣味は、恥ずかしい趣味なのでしょうか?私がデザインした、モノレールの20周年のヘッドマークも、見掛ける度に恥ずかしかったそうです。ミニSLにお手伝いに行ってることも、恥ずかしかったのだとか。長崎で「さくら」の車掌さんに花束を渡した事が新聞に出た事も、毛嫌いしてましたね。私は、どうしてそれが恥ずかしいと思うのか、理解出来ません。きっと周りからは、「母親の気持ちを理解する為には、子供を産め」なんて言われるんでしょうね。余計なお世話ですってんだ。ブーブー。
2006.03.20
先日犬猫の出てくるマンガを紹介しましたが、まだ抜けが沢山ありましたので今回も取り上げてみました。と言いますのも、最近、仕事でもプライベートでも、考えさせられることが多くて辟易してました。よって、日記の更新もおざなりになってたのです・・・今回も、まだ何となく気が乗らないので、再びまたマンガ紹介とさせて頂きたいと思います。○みかん絵日記 1~14巻と、特別編3巻があります。 読んだことないので、しりませーん。○ぴくぴく仙太郎 猫まんがではなく、兎まんがですね。 1~27巻まであるようです。○ハッピー 1~25巻まであります。最近は、単行本サイズのも出版されてるようです。 事故で視力を失った女の子と盲導犬のお話です。 主人公の女の子の旦那が、獣医さんだったりします。 どの話も必ずハッピーエンドで終わり、心が温まるマンガですよ。○Dr.さくらの病院カルテ○きょうの猫村さん 家事が出来る不思議な猫さんが主人公のお話です。 読んでてほのぼのする、ちょっとおもしろい本です。○アタゴオルは猫の森(1) たくさんあります。外伝や、アタゴオル玉手箱篇やアタゴオル篇なんかもあります。 小さい頃に読んだからか、あまりよく意味がわかりませんでした・・・◎野中のばらさんの猫まんが○ネコがスキ 1~6巻まであります。 シャムネコと飼い主(著者)との、普段のやり取りが、ネコと一緒に生活してる人には、笑えます。 ちなみにこのネコは「うなうな」鳴くんです(笑○ネコ様の言うなり こちらもあります。◎いわみちさくらさんの猫まんが○家庭内猫王国 こんなのがあります。 この方のは、雑誌でよく見かけるのですが、何の作品集に収録されてる分かが分かりません。 しかし絵が安定してるので、個人的に好きです。◎こなみかなたさんの猫まんが○チーズスイートホーム(1と2巻) 私はまだ読んだことないのですが、とても可愛らしいマンガなのだそうです。○はぐはぐ(初恋編、激闘編) 主人公のはぐはぐは男の子なのですが、男の子のネコと、女の子のネコとのやり取りが笑えるマンガです。○ふくふくふにゃ~ん new1 最近、newバージョンが出ました。◎手塚治虫さんの猫まんが?○猫傑作集(1) ○猫傑作集(2) 手塚さん、このようなマンガも描かれてたのですね。 今度、買って読みたいと思います。※番外編犬猫マンガではありません。先日創刊になった本をご紹介します。「にっぽん列島鉄道紀行」という本です。1~30巻のシリーズものです。創刊号は、DVDがついて350円ですので買ってみました。全部批評してるとかなりの行数になるので止めますが、「大井川鉄道の旅」は、見てるとなんか恥ずかしくなってしまいます。どうしてこんなにテンション高く出来るのだろう???と思わず思ってしまいます(^^;;しかし、「北九州のSL」はいいですよ。ちょこっとずつしか出てきませんが、香月線、室木線、日田彦山線、田川線、鹿児島本線なんかが出てきます。よく撮ってあるなぁと思ってたら、この映像の提供者は・・・。そりゃ、納得。この方だったらそうでしょうね。鉄道友の会でお世話になってます(mom)次は、鉄道が舞台のマンガを紹介しますね。意外にあるので、ビックリなんですよね。
2006.03.16
先日、「あたしの一生」という本をご紹介しました。その本が結構おもしろかったので、あれ以来その本を買った本屋へ行くことが多くなりました。その本屋は、小さな町にあるような小さな本屋さんなのですが、以外と商品内容がおもしろいことに気が付きました。特に、コミック!ここで、動物関係の本を見つけて、読んでみました(^^;;その本を紹介しますね。○天国の犬ものがたり感動的な飼い主と犬との間にある物語を、漫画に書き綴った小編集です。これは、ただ今お取り寄せ中で、私はまだ読んでいません。○続天国の犬ものがたり天国の犬ものがたりの、続編です。感動的な作品ばかりでなく、ほのぼのするような内容の作品もありました。○みんなの動物園 こちら ↑ は1巻ですが、1と2巻まであります。動物園の飼育係から見た内容の作品です。特に2巻は、戦争中の頃のお話(かわいそうな象を含む)も交えてありまして、ある意味おもしろい漫画です。○ブレーメン動物園においでブレーメン動物園においで(上) こちら ↑ は上巻ですが、上下巻の2巻まであります。動物がメインの作品ではありませんが、結構おもしろい漫画です。少し、少女漫画入ってますので、男性はあまりおもしろいと思われないかも知れません。 あらすじは、主人公の女の子の父親が、ブレーメン動物園という小さな動物園を娘に残して亡くなります。その動物園を娘は引継ぎ、それから色々なことが起こるのですが、すべてハッピーエンドで乗り越えていくというお話です。簡単過ぎましたかね?こちらも、上巻は読んだのですが、下巻はまだ読んでません。○MF動物病院日誌 これは↑、23巻ですが、現在は1~24巻まであります。 読んで字のごとく、漫画上に存在するMF動物病院で繰り広げられる、日々の出来事が作品となっています。動物の病気のことや、処置の仕方なども、作品に織り込んで書かれているので、おもしろいです。○ふくふくふにゃ~ん これは ↑ い巻(1巻)です。現在は、11(いろはにほへとちりぬる)巻まであります。 猫と猫の飼い主のおばあちゃんが登場する作品で、内容は1作品ごとにことわざをもじった形で構成されています。ひねりが効いてる作品は、結構おもしろいです。 最近では、 このような形で、再編されて発売されてるようです。○ねこまんが この作者の漫画、基本的に何みてもおもしろいんですよね。コイズミ学習ブック(1) 特にこの作品が、めっちゃおもしろいです! ちょっとエッチ系です。犬猫とはまったく関係ありません(mom)猫漫画なら、まだ他にも沢山あるのですが・・・紹介しきれません(mom)
2006.03.13
金曜日に日帰り手術を行ったハナですが、そこそこ経過は順調のようです。手術当日の夜は、流石に少し痛かったみたいで「フゥーーーーン」と、たまに言ってました。夜も一緒に寝たのですが、ぺったりくっついて丸まって寝てました。そしてあまり吠えることもせず、あまり走り回りもしませんでした。しかし2晩も経つとかなり違うみたいで、今日はいつもと変わらないくらいに走り回って、ワンワン吠えてました(>_
2006.03.12
書こうかどうしようか迷ったのですが・・・ご本人の日記にも書かれてますので、書くようにしましたm(__)m私の所へもよく来て下さる、iso9209さんの所のニャンタンちゃんが、昨日旅立ちました。ラムが病気を発症してどうしようと日記に書いてた頃、iso9209さんも日記を書き始めたようで、同じ時期にスタートしたので同志のように勝手に思ってました。そして先にラムが旅立ち、ニャンタンちゃんにはまだ頑張って欲しいねぇと思って見守ってた所でした。最後の旅立ちは、あっと言う間だったのではないかと勝手に想像してますが、20歳。大往生だと思います。すごいですよね、20歳!素晴らしいです。と言われても、どんな歳で飼い猫を亡くしても、その悲しみの深さは変わらないですよね。iso9209さんはニャンタンちゃんが少しでもラクになれるようにと、あらゆる努力をされてました。お部屋の模様替えしたり、いろんなご飯試したり、猫の栄養学の勉強したりと。、かなりがんばっておられたので、その分ショックは大きかったのではないでしょうか。iso9209さんは、ニャンタンちゃんを、とても愛してましたしね。どの猫さんも、みんな幸せになって、あの世で幸せに過ごして、また戻ってきて欲しいですよね。人間でなくても、数年でも、一緒に過ごした日々は、楽しく幸せな日々でしたから(^^)どの猫さんも、猫さんの飼い主さんも、幸せが来ますように。
2006.03.10
今朝、ハナを病院へ、タクシーで連れて行きました。そういえばつい何ヶ月か前まで、会社に行く前に、ラムをタクシーで病院へ連れて行ってましたね・・・。懐かしいです。ハナですが・・・起きてから絶食でしたので、朝早めに起きてさっさと水飲み場は撤去しました。ご飯もあげずに家から連れ出したので、びっくりしてるようで、ケースの中で震えてました。病院へ行き、昨日の獣医さんへ渡して、手術をお願いしました。診察室と別の部屋で、午前中のうちに順次手術を行い、昼過ぎには終わるような事を言ってました。ただ今、掛かりつけの病院は診察室のリフォーム中なんです。だから仮診療所で診察してますので、手術の設備があまり整ってないんです。よって1日辺りの手術の数を減らしてるようなんですよね。今日は、ハナの他に3件入ってるみたいでしたが、ぎりぎりなんとか潜りこませてもらえたようでした。4月になったら、リフォームが終わった正規の診療所になるので、一度きちんと検査してもらって、歯石も取ってもらおうと言ってたのですが・・・。手術が早まりましたね。まぁ、人生このようなものでしょうかね。
2006.03.10
ラムとの思い出 その7 アルバム 幼児期その6では、地縛霊憑依についてお話し致しました。今回のその7では、小さい頃の写真をご紹介したいと思います。あまり小まめに写真を撮って居なかったため、あまり写真がないんです・・・。その少ない写真の中から、生まれて1歳の頃までを簡単にご紹介します。生後10ヶ月頃の頃です。*-*-*-*-*-*-*この頃は、遊びたいさかりのようで、紐をゆらゆらするとよくじゃれてました。遊びの中でも、物を投げて取って来るものが好きでした。買い物袋のビニールを丸めたのも、大好きでした。 私:「ラムー!投げるよ~」ぽいっと遠くへビニールを投げる ラム:顔をギョロギョロさせてビニールを見つめ、すさまじい ダッシュで取りに行く 私:(すべりながら走ってるよ、ぷぷぷ)と思う ラム:得意顔をして、フンフンとオスマシ顔で持ってくる ラム:私の足元へ持ってくる 私:拾い上げ、もう一度投げる「そらっ」 ラム:足を滑らせるくらいに思いっきりダッシュをかけて 取りに行く 私:じっと見てる ラム:フンフンとはずみながらオスマシ顔で持ってくる ラム:私の足元へ持ってくる 私:拾い上げ、反対方向へ投げる「それっ」 ラム:床を這うようにダッシュをかけて取りに行く 私:じっと見てる ラム:フンフンとオスマシ顔で持ってくる 私:「ラムー」ためしに呼んでみる ラム:返事しようとして、持って来たものを落とす 私:足元より少し遠くへ落としたので、知らん顔をする ラム:「ブニャー(早く投げてよ)」日々、これの繰り返しでした(^^;;この頃は、スラリとスマートでした。写真を撮る時は、ストロボ焚いて撮ることが多かったので、小さい頃の写真は赤眼が多いです。*-*-*-*-*-*-*この頃は、母にべったりでして、私は遊び相手または手下と思ってるようで、すぐ私に対して威嚇してました。といいますのも、「わっ」と少し大声出すとびっくりするんです。その時は必ず尻尾を立てて膨らませながら、横飛び移動して「ウォウォ」言ってました。この様子がまたとてもコミカルでおもしろくて、何度もやりました・・・(ごめんよぉ*-*-*-*-*-*-*1歳なる前は、まだ白い所が多く、黒い部分も小さかったですね。*-*-*-*-*-*-*これは、6歳の頃です。「ラムとの思い出 その5 いとしのチーカマ様」でチーカマが大好きと紹介しましたが、その分の参考写真です。ラムが体をくねらせてますが、これは母がチーカマの袋をラムの前でゆらゆらっとした後の様子です。必死でラムが、チーカマを追いかけています。
2006.03.10
今日は、この子のことです。 10歳11歳になりました。今年の夏で、11歳12歳になります。(年齢を勘違いしてました)最近のハナちゃんは、戻したりすることが多く、病気なのかなと気にしてました。でも、別に普通にご飯は食べるし、いつものように暴れまわって、吠えてます。しかし、なんとなく元気ないといいますか、なんとなく病気のような気がして、注意して見てたのですが・・・ついに、見つけちゃいました☆だから、本日、掛かりつけの獣医さんの所へ行きました。 解りますか?青文字でココと書いてる所、ぷちっと何か出来てますでしょ?乳腺の腫瘍なのだそうです。3日前に見た時は、なんともなかったのに、昨日見たらぽっこりなってました。そして、今日見たら、昨日よりも少し大きくなってました。獣医さん曰く、「大きくなるようだったら悪性でしょうね」と。つまり、乳癌ということですね。まさしく、ガーン。といった感じでしょうか(^^;本日は、病院で手術に耐えられるかのチェックを行いました。血液検査、レントゲン、心電図・・・です。血液検査の結果は、若い子並みに元気良いということでした。しかし、心電図からは、左心室肥大ということで、少し心臓が老化してるようでした。レントゲンを見れば、左心室肥大だからか解りませんが、心臓が少し大きいそうです。そして、やっぱり年取ったのでしょうね。首の根元には老化による、骨が隣の骨とひっついて硬くなるものが見られるということです。そして、背中の真中辺り、椎間板が見えなくなってる所があるということでした。へたしたら、腰が抜けるかも知れないということでした。ひえ~。とりあえず、結果からは、心臓が若干悪いですが、手術に耐えられないというレベルではないということでした。ということで、まだ小さいうちに、そして来週半ばから院長が学会に行って留守なので、明日、腫瘍の摘出手術を行うようになりました。実はちょっと無理言って、明日入れさせてもらったんです。ちなみに、日帰りで出来るんですって。すごいですね~。しかし、手術決めるのも、えらい早いなぁ・・・病院に行く前から、この場合はこうすると考えてたからですね。※摘出した後に、組織検査を行いますので、まだ癌とは断定出来ない状態です(^^ゞ
2006.03.09
本日は、ラムの四十九日にあたる日でした。 母と一緒にお出かけした時に、ラムを埋めている所に植える花を買って来ました。 しばらくは、お花が咲いてる状態のものを植えたいと思うので、今回は冬の花になりますが、ポリアンサ・ジュリアンというお花を植えました。 春になったら、もう咲かなくなるので、そうなったら次はペチュニアに植え替えようと思います。 そして、ラムのメモリアルスペースには、また花を飾り、線香を焚きました。 ラムは、そろそろあちらの世界に行ったでしょうか? 最近は、部屋が鳴ることとか、気配を感じることが、ありませんから・・・ 早く、生まれ変わって来て、また一緒に暮らしたいなと思っております。 次の、アビシニアンを考えてましたけど、ペットショップで買うのもあまり好きではないので、見送りたいと思います。 リビングの窓を開けると、ラムの埋まってる所が写真のような感じで見えます。 写真に写ってる柵は、となりの土地との境の柵で、となりの土地は小さな緑地帯のような半端な土地なのです。
2006.03.05
本日は、犬猫情報誌の「犬吉猫吉」の撮影会が近所へ来る予定でしたので行く予定だったのですが、起きたのが見事にお昼でしたので中止にしました。 仕方ないので、母と一緒にまた近所のペットショップめぐりをして来ました。私の住んでる近くには、2軒のペットショップがあります。いつも猫目当てで行くのですが、地域柄でしょうか、猫はほとんど置いてなくて犬ばかり多く置いていました。 この二軒、比較してみると結構おもしろいです。 片方のショップは、一度つぶれたお店で、他の資本を入れてまた開業してるとこなのです。 しかしここは不思議なことに、チワワがめちゃめちゃ多いんです。そして安いんです。しかもオープン初日は、血統書なしのビーグル犬を1匹1万円で販売してました。ダンボールに兄弟全員を詰め込んで連れて来て、店先にしばらく放置してました。なんだかなぁ。 そして店員さんは、威張った態度で客に物を言うんです。そして、犬を見てるお客さん皆さんに犬を「飼え買え飼え買え」と進めるんです。積極的に接客するのは良いことなのですが、抱っこもしてないうちから、とりあえず買うか買わないか決めろと進めるのも、なんだかなぁという話ですよねぇ。 そして今回は、「猫はどれくらいのペースで入って来ますか?」と聞いてみました。「猫は売れないから滅多に入れません。お探しの品種は何ですか?」と聞いてくるので、「こちらとしては品種で探してるのではなく、ぱっと見の第一印象で決めたいから、入って来た猫を見て決めたいんです」と言ってるのに、盛んに「探してる品種は?予算は?特定の種類を探すとなると、料金も割り増しです」と威張って聞きかえしてくるんですよねぇ。 店内は明るく?キレイです。ショーケースの中も掃除はしてるようなのですが、バーベキューに使うような金網むき出し状態の床なんです。隣のケースとの堺も、ガラス一枚ですので、吠えまくる犬が横に居ると、ストレス溜まりそうです。 ということで、私は、最悪な店とレッテルを貼りました。 そしてもう一軒のショップは・・・。ここは、某大手ホームセンター内に出店してるペットショップです。(もう、バレバレ?・笑) 犬を気軽に見れるように、ショーケースから出して、大きなサークルに入れてお客さんが気楽に見れるようにしたりしてます。しかし、積極的に営業はしないんです。こちらから「抱っこしたい」と言ったら、初めて営業攻勢に入ります。 どの子が言いかと聞かれ、どれと言うと、希望の子を出して来てくれます。続いて、手を消毒スプレー(酢のようです)するよう言われ、スプレーしたら椅子に座るよう言われます。ここで初めて抱っこさせてくれます。この抱っこしてる時に、今まで飼って来た子のことや、現在家に居る子などを聞かれます。そして、あまりに抱っこが下手な人や、犬猫が嫌がる場合は、さっと引き離してます。飼い方教室などをしてるかどうかは解りませんが、飼い方は事細かに教えてました。前者のお店には絶対に無いことです。 店員さんも皆さん明るく、ショーケースの中もキレイです。ショーケースの中の床は相変わらず金網なのですが、ビニールコートをしてあるもので、この上に紙を敷いてます。そして、このショーケースのガラスは、2重のガラスになってまして、子供がガンガンガラスを叩いても、直接は聞こえない構造になってました。 前者の店より、まだマシかな?といった感じです。 後者のお店に居るアビシニアン、欲しいなぁ~。
2006.03.05
出雲がいよいよ近くなってから、仮眠休憩を取りました。今回は、「キララ田儀」という道の駅にしました。ここは、JRの駅で言う田儀駅の近くです。 4時間程ばかり仮眠を取ったら、次は撮影地目指して走ります。 途中朝ごはんを仕入れる為、ファミリーマートへ行きました。9号線は、ポプラ>ローソン>>ファミリーマートというコンビニの勢力図があるようでして、今回入ったファミリーマートはとても珍しかったです。 まず、出雲市-西出雲の鉄橋へ向かいました。とてもよい感じの所で、撮影したらサマになるような場所なのですが・・・。橋梁工事をしてました。なので諦めて次へ・・・。 出雲市-直江の直線区間へ向かいました。ここは、すでに2人来てまして、この2人を避けて三脚を立てておきました。 出雲号が通るまでは、しばらく時間あるので、テキトーに時間つぶしてました。 そして、該当列車の出雲号が通過して行きました。とりあえず、他に撮る予定のものもないので、連写しておきました。 列車が近づいてくると、皆さん一斉にシャッターを押すので、カシャカシャと音がワーッと聞こえます。ちょっと笑える瞬間だったりします。一種異様な光景ですね(^^;; 被写体だった出雲号は、お客さんはほぼ満員状態で、皆さんこちらを向いてました。というのも、乗ってる方の大半は鉄道ファンではないのでしょうか?ビデオカメラ回してる人が、とても目に付きました。 その後、西出雲駅近くにある電車区へ向かいました。急がずにちんたらちんたら行ったら、出雲号はもう車庫に入ってる途中で全然間に合いませんでした。 この時、11時を越えていたので、お昼ごはんとして出雲蕎麦を食べに行くことにしました。今まで出雲は、夜中と早朝しか通ったことがないので、出雲蕎麦は食べたことがないのです。 出雲大社方面へ向かい、蕎麦を頂きました。蕎麦としてはおいしかったですが、個人的にはそば殻の入ってない、信州蕎麦の方が好きです・・・。母曰く、行ったお店が良くなかったのだろう、ということでした(>_
2006.03.04
出雲に行くことを決め込んだので、会社は定時で上がり、急いで帰宅しました。 帰宅したらすぐ晩御飯を食べ、荷物をまとめて、20時過ぎに家を出ました。 出雲までのルートとしては、北九州都市高速に乗って門司港まで行き、続いて関門トンネルと通り、2号線を抜けます。小郡(JRでは新山口)からは9号線に入り、ヒタスラ走り続けて出雲まで向かいました。全行程、270kmほどあったようです。いつもそうなのですが、小郡を抜けるまでが、妙に眠たいんです。しかし9号線へ入ると、眼がシャキッとなって、妙に眼が覚めます。益田まで抜け、浜田まではシャキッとなってるのですが、その後はいつもグロッキー状態で眠いんです。不思議ですねぇ。 9号線は、小郡から益田までの間に、何箇所か気温を表示してるものがあります。これを見るのが楽しくてですね。この時期、冷え込むので、「-3℃」とか表示があると、ワクワクするものです。しかしうっかり、こんな時にフロントガラスが汚れたからと言って、ウォッシャー液を出してワイパーを動かそうものなら・・・フロンドガラスに氷の膜が出来てしまいます。この区間では、津和野峠の所が1番冷え込む所です。 益田から先は、所々に道の駅とポプラ(コンビニ)があります。この道の駅に立ち寄るのがおもしろいんですよね。しかしこれら道の駅には、陽が登ってる時に立ち寄ったことがほとんどありません。いつも、真夜中、早朝ばかりです。撮影地の1つとして有名な、三保三隅の道の駅も、夜中にトイレでしか寄ったことがありません(笑 9号線沿いの山陰は、高速道路がないこともあって、9号線沿いに色々な店があるのがいいんですよ。大概、高速道路が平行してある国道は、昔はとても繁栄した通りでも、高速道路に車を取られてしまって、閑散として来るんですよねぇ。それが、山陰には無いからいいですよ~(^^)
2006.03.03
今日は、寒いです。最近は、暖かくなったり、寒くなったり、三寒四温という所でしょうか。昨日までは暖かかったのですが、今日は寒くめっきり冷え込んでます。寒い寒いと思いながら、会社へ行く為に駅まで歩いて行きました。途中から、ほんの少しですが、雪が降ってました。 ラッキー。何か、いいことありそうな予感ですね。ということで、今夜から出雲へ行こうと思います。途中で、雪に逢えるといいな。
2006.03.03
2月26日の日記で、寝台特急「さくら」が好きだったという話をしましたが・・・ 「どうして『さくら』が好きなの?」という質問が来ましたので、お答えしようと思います。私は、就職して最初に配属された先が東京支社でした。就職して1月半程新入社員研修があり、それが終わった5月半ばから、東京支社勤務となりました。しかし東京には今まで縁がなく、知ってる人と言えば、親戚が1軒居るだけでした。その親戚とも、始めの頃は行き来する事もありましたけど、段々と行かなくなりました。東京支社に配属された始めの頃は、辛く苦しい時代でした。会社に行けば上司からいじめられますし、同じ会社の他の人にも馴染めませんでした。そして段々会社へ行くのが嫌になり、そして住んでる東京も大嫌いになりました。そして、会社を辞めたいと真剣に思うようになりました。そんなある日、たまたま東京駅を通り掛かりました。ふと列車の電光案内表示を見上げると、10番ホームの案内に「寝台特急」という文字が見えました。 「そうだった、寝台特急というのを、まだまともに見たことがなかった・・・」と思い、見に行ってみることにしました。階段を登りホームへ出ると、青い車両が止ってました。その車両は、古ぼけた、汚くて、老いぼれのような車両でした。魅力のミの字も感じさせない、お客はガラガラの、ボロボロでクタクタな列車でした・・・。しかし、行き先表示の幕を見ると・・・ 『さくら 長崎』 『さくら 佐世保』と、書かれてるんです。これを見た時に、 「あ~、これに乗ったら、いつでも実家へ帰られる。ならばもう少しがんばってみよう。」と思いました。それ以来、辛いと思う時には、東京駅へ寝台特急を見に行くようになりました。大袈裟のように聞こえるかも知れませんが、私にとっては、辛い気持ちを癒してくれる、偉大なる存在になって行ったのです。その当時、東京から九州方面へ行く寝台特急は、『富士』『さくら』『はやぶさ』『あさかぜ』とあったのですが、不思議と癒してくれる存在だったものは『さくら』だけだったのです。なぜでしょう?私も未だに解らないのですが、同じ寝台特急でも『さくら』に使われてる車両は少し違ってまして、他のそれより若干古い車両だったのです。その老いぼれ具合が、郷愁感が、妙にマッチしたのでしょうか。だから、『さくら』が好きなのです。私が初めて見た頃(9年前)の『さくら』は、長崎行きと佐世保行きという二つの列車が、途中まで一つの列車で行き、途中で別れるというものでした。しかしこの佐世保行きが廃止になる時、『さくら』と『はやぶさ』が、別々の列車だったのにお客が少なくなった為、一つの列車になりました。この時も、東京から長崎まで往復しました。そして、辛かった東京勤務も解消になり、本社勤務になってしばらく経った、昨年の2月末に『さくら』自体が廃止になりました。この時も乗りに行きました。癒しの存在だった『さくら』の、最後ですから。最後を見届けるのは、好きだった者の勤めですよね。また、見届けないと、心の整理も付きませんし・・・色々な方の力をお借りして、長崎から最後に出発した『さくら』の車掌さんに、花束を渡せました。このことが、西日本新聞の長崎版にカラー写真で、さくらファン(笑)として載りました。廃止までのカウントダウンの間に、何度も写真を撮りに行き、皆で撮影会ツアーに行ったり、音を録ったり、自分で出来る限りのことを色々やり遂げ、そして沢山の思い出を作りました。今でも、『さくら』が好きです。駅で待ってたら、また走ってくるのじゃないかなぁという思いに駆られるのですが、もう走って来ません。しかし、私の思い出として、心の中では未だに『さくら』が生きているのです。モノが全然違いますが、余命宣告をされ、命尽きるまで見届けたラムの時と、同じような気持ちです。鉄道趣味って、意外に寂しいでしょう?駅や列車に群がって、わんさかわんさかして、うざったく、むさくるしい、邪魔な存在に思えるでしょうけど、皆さんそれぞれにこのような気持ちを持っているんですよね・・・。風体からは想像出来ませんが、鉄道ファンは意外にロマンチストな人が多いかも知れません。 中には、たま~に、ネジの外れたような方もいらっしゃるようですけどね・・・(-_-;)
2006.03.02
全546件 (546件中 1-50件目)