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10/14~16 支援活動に行ってきました。 ~その3~復興支援活動をしている場所や人々と、支援活動している人の支援をしに10/14~16と2泊3日、宮城県気仙沼市、岩手県山田町、福島県福島市、東京武蔵野市と5か所行ってきました。 16(日)朝3時50分岩手県山田町を出発。帰路はどうしてもテンションが下がります。走行プランのノルマを決めずに『気』に任せて走ります。それに道中の蓄積疲労がどよよ~~んと全身をくるみます。『疲れたら安め』は原則ですから、「何分走行したら何分休憩をとる」といった目安の考え方にとらわれ過ぎず、またやたらな根性論は振り回さず、往路以上に遠慮なく何度でも休憩を取ります。S.A.で休憩をとって出発したもののほんの20分ほどの走行で再び休憩というのも2回ありました。 道中東京に戻るまでに、様々な支援活動を展開している人々を支援して帰ろうと思い立ちました。そこで福島市の知人と東京の武蔵野市の知人と2か所を訪ねました。 岩手の前沢インターから東北自動車道に乗り、宮城を抜けて福島に入るか入らない頃、このままひたすら東京に戻るというのも知恵がないなぁと思ってハンドルを握っていましたら突然ひらめきました。そうだ、福島市の知人を訪ねてみるというのはどうだろう、連絡を入れてみて都合がつくようなら立ち寄ってみよう…。正午過ぎ、国見のS.A.に車を止めてAさんの都合を問い合わせてみました。実に幸運なことに調整が利きましたので福島飯坂のインターで高速道路を降りました。Aさん宅は先月9月9日に民泊し、福島市内の保育園と幼稚園の2か所で『ばぶさんのお話おじさん』をしています。 (この時の詳細は9月10日のブログで紹介しています。) Aさんはこの夏保養ネットよこはまの主催する『第5回保養キャンプin河津』で知り合った方です。私はこのキャンプには今年で3年続けての参加で、Aさんは今年が初めての参加で初対面でした。Aさんは特殊教育の学校の先生を退職されて数年、かねてより障がい児の放課後の居場所作りの構想を持っておられます。そのプランに私の木のおもちゃなどの創作をコラボできないかというお話が前回訪問した際に生まれ、さらにその中身とプロセスをどう作っていくかという方向性を探りました。車に持ち合わせていた遊具(教具)を2点ほど見本(雛型)としてお預けし、今後のたたき台の一つとして検討してもらうことにしました。お孫さんのL君には会えませんでしたが、20~30分の滞在で着実な一歩をさらに踏み出せました。再び福島中央のインターから高速道路に乗りました。新たなプランを得て再びテンションは上がりだしました。こういうときは次々とひらめくものです。時間が間に合うようなら武蔵野市にある『子育て支援スペースとことこ』に立ち寄ってみよう。時間的には若干きつい道程でしたが、ここ一番は気力で休憩を端折って運転しました。施設長さんにはお会いできませんでしたが、こちらとのご縁は園長さんがここを立ち上げる以前からのお友達でしたから、支援のお世話になったりお世話したりの関わりが今も続いています。 世の中はお互いに誰かが誰かの支えや元気の源になっています。元気の連鎖です。そこから相互に生まれてくる力をよりどころに『復興支援』をこれからも幅広く続けていきたいと思っています。
2016.10.19
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10/14~16 支援活動に行ってきました。 ~その2~ 復興支援活動をしている場所や人々と、支援活動している人の支援をしに10/14~16と2泊3日、宮城県気仙沼市、岩手県山田町、福島県福島市、東京武蔵野市と5か所行ってきました。 岩手県下閉伊郡山田町・・・岩手県の沿岸部、海に向かってギザギザとリアス式海岸が続く地形の中で、この山田湾だけは海に向かって開口部が狭く奥に向かって広いという「トックリ型(壺型)をしている地形」が湾の特徴です。それゆえに湾の内側は平素であれば波の静かな湖のような海なのです。それゆえにこうした立地条件の為、津波による被害は周辺海岸と比較してやや緩やかであったと聞きます。ここには3/11の震災の翌年から単身現地に入って「街づくり計画」のコンサルタントを続けている私の古い友人のG氏がいます。彼は私より1歳年上で、知り合って以来約35年の付き合いです。彼との再会は一年ぶり。じっくり歓談しながら前回会った時から今回までの仕事の進捗状況や現段階で抱えている様々な困難などいろいろ話を聞きました。彼は「自分にとってこの仕事がおそらく最後の仕事になるだろう」と語っていました。自らの仕事への肝の据わった彼の姿勢は実に凛としていて、仕事に対する気魄を痛切に感じさせられました。私の好きな言葉の中に『仕事がその人間の顔を創る』という言葉があります。彼の場合も全く同じで、大きな課題に向かって精進している人に共通の気配や雰囲気、ちょっと大袈裟に聞こえるかもしれませんが、何というかある種の神々しいものを感じさせられました。それならば、私自身は最後になるかもしれない今の自分の仕事に対してどれほどの自覚や決断をもって日々実践しているだろうか?仕事を推し進める上で何が肝心なのか、困難を乗り越えていくときには何が力の源となるのか、彼と歓談していると様々なことを自問自答させてくれる逸材です。『街の復興』と言葉で言うのでさえも決して簡単なことではありませんがそれを現実に具体化していこうとしている彼や彼とつながる多くの人たちの苦労や努力のことをずっと応援していきたいと改めて思いました。 翌朝10/15友人宅の一室を借りて持参したパーテーションのパネルを3枚連結し組み上げを完成させ、かねてより訪問をお伝えしていた山田町の大沢地区にあるO保育園を訪問しました。こちらの保育園に訪問するのは3回目です。今回は特製のパーテーションをお土産に持っていきました。乳児だけでなく幼児さんも使えるような大きなパーテーションです。園に到着すると、ちょうどお遊戯(体操)の最中でした。一緒に混ぜてもらってテンポの速い体操(踊り?)を見よう見真似でしどろもどろの初体験です。一区切りついたところで居合わせた主任さんから了解をもらい急遽飛び入りの『ばぶさんタイム』をさせてもらい歌や手あそびを一緒にしました。・「ごひきのこぶたがオオカミをやっつけたお話(自作)」・やまごやいっけん(外国の手あそび歌)・たまごがわれた(作者不明)・やさいのうた(作者不明)・おてらのおしょうさんが・・・(わらべ歌ベースの現代版)・ぐーぱー、ぐーぱー、グ~~~パー(自作) 他子どもたちから「もっともっと」のアンコールもありましたが、すでにお給食を食べる時間に食い込んでいましたので八文目の処できりあげることになりました。子どもたちが食事をしている間に、ここでも気仙沼の保育園の訪問の時と同じように事務室をお借りして乳児クラスの部屋用にモビールを一組制作しプレゼントしました。 後で判ったことでしたが、この日職員の中にたまたま保育実習の学生さんが二人混じっていました。実習期間のまん中でした。『ばぶさんタイム』の手あそびの時にやたら目を輝かして食いついてくる職員がいるなぁと好感を持ってみていましたが、この二人はこの保育園の卒園生なのだそうで、主任も園長もかつて彼女たちを担任したことがあったそうです。卒業後に就職する先は既に他の施設に決まっていて、こちらの保育園の職員にはならないのだそうです。ま、ともかく、この日の実習が終わってそれぞれ帰宅という頃、多少時間にゆとりがあるというので二人の実習生に反復練習を含めたスペシャルの実技講座と保育を展開していく上で是非大切にしてほしいことなどを少々レクチャーしました。 出会いの記念に『ばぶバッチ』の中から自分の気に入ったものを選んでもらいプレゼントしました。
2016.10.18
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10/14~16 支援活動に行ってきました。 ~その1~ 復興支援活動をしている場所や人々と、支援活動している人の支援をしに10/14~16と2泊3日、宮城県気仙沼市、岩手県山田町、福島県福島市、東京武蔵野市と5か所行ってきました。2泊3日の合計で1,634キロメートル走破しました。結構くたびれました。 14日町田を朝4時に出発、気仙沼までは約530キロ、ノンストップで走ったとして7時間20分というカーナビの案内でした。私は先月63歳になったのでやっぱり昨年よりも体力は落ちていまして、疲れや眠気を感じたら何度でも休憩を取りつつ安全運転優先で休み休み移動しました。8時間半くらいかかって現地に到着です。気仙沼のS保育園 、乳児クラスのみの施設でここへは約3年半ぶりの再訪問でした。その当時は『前年の3/11の津波で園舎を喪失し、職員の有志がアパートの一室を借り受けて無給で保育を始めたという報道』などをラジオで聞き、ささやかでも応援したいと木のパズルと積み木を郵送し、そののち数か月後に直接気仙沼に出向く際、「それならば一緒にこれもプレゼントして下さい」と私の仕事仲間が制作したままごと用の座卓を預かりお届けしました。先に私の贈ったおもちゃ類が日々の保育の中で実際どのように使われているかを確かめて、保育(あそびの展開)の質疑応答と共に簡単な助言やヒントをさしあげました。そして今回の再訪問でした。この間に当時の仮園舎の保育施設を刷新し、別の場所に新園舎(3年前)を落成し新たな保育を再開したという報告のはがきを私は嬉しく受け取っておりました。確実な復興の一歩です。その報告のお葉書をいただいた時ぜひまたS保育園を訪れてみたいと強く思っていました。園舎も園庭の場所も新しくきれいに、広々と変わっていました。今回はおみやげに特製のパーテーションを届けました。このパーテーションは保育室の間仕切り以外にこどもたちが『いないないばあ』だとか『かくれんぼ』だとか『トンネルくぐりのあそび』だとかいろいろに使えるものです。段ボール製ですので表面のコーティングは職員の皆さん方でデコレーションしてもっと夢のあるパーテーションに進化させてくださいとお伝えしました。現地に到着したのはお昼過ぎでしたのでこどもたちはお昼寝中でした。ですから残念ながら今回は私のパフォーマンス(手あそびや踊りやお話)はできませんでした。そこで、保育室に吊り下てもらおうと「折り紙で作られた独楽」を4つ構成してモビールを一組、現場合わせのサイズに事務室の中をお借りして制作しました。この「折り紙独楽」は福島市在住の小学生の女の子が福祉施設に贈るために作り続けているもので、たまたま先月福島を訪れたときにいただいていたものを活用してのモビールです。泣いている赤ちゃんやご機嫌の悪い赤ちゃんをあやしたり気分転換を誘うときなどにきっと役立つことでしょう。次回こちらを訪問する時には前日にどこか近所に宿泊をして朝から午前中に子供たちと遊びたいと思いました。次の訪問地に到着したい時間との関係で、15時過ぎにはさよならしなければなりませんでした。カーナビで調べると岩手県の山田町の目的地までは気仙沼から103キロ、2時間20分、今度も道中休み休み国道45号線を北上しました。
2016.10.18
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ピーマン、シュークリーム、麦酒(ビール)の泡、人生の余白 この夏、どういうきっかけだか忘れましたが、何故かピーマンが大好きになりました。ピーマンの色つやもさることながら、ぜ~んぶ同じ形をしていない、一つ一つ個性的な形をしている、さりげなく、実に見事な造形美になんとも魅惑させられました。些細なことに囚われ過ぎることなく自由奔放に育った結果があの形となっているのです。天然が作り出すまさに芸術作品です。ピーマンなんて今までずっと見てきたのにその造形美の発見は新鮮な驚きでした。そしてそこから目に留まった(心に留まった)スイーツが、シュークリームです。当然ながら中の空洞のスペースがたまらなくいいのです。この空ろな空間こそがうまさを秘めているのでしょう。もしもピーマンやらシュークリームの内側にみっちりと中身の果肉やらクリームやらがそれこそびっちりと目いっぱい詰まっていたら旨さは半減してしまうように思うのです。どちらも皮の内側の『うつろ』こそに意味があるように思えてきました。人生も生活にもうつろな部分というか余白というか創りだせたら私という人間の旨味ももっともっと増すような気がしています。そういえば20代前半の頃ぶらりと入った居酒屋でカウンターに居合わせたすぐ隣の客が、初対面の私に「ビールは泡が旨いんだよなぁ」という言葉を語ってくれたのがうつろの旨味の原点なのかもしれません。
2016.10.09
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60年後に思いを馳せつつ 保育園の中にある一時保育室です。曜日ごとに毎日登園してくる子の顔触れが変わります。満2歳になる子から満3歳になる子たちが一日最大10名定員の保育室です。実にいろいろなお子さん方がいます。 私は先月63歳になりました。私が日々付き合っている子どもたちの60年後に思いを馳せながら保育の仕事をしています。目の前の彼らの殆どは今から60年後もきっと生き続けて社会の中で活躍しているでしょう。今から60年後の私は間違いなく生きてはいません。だからどんな命のバトンを彼らに手渡せるのかと日々自問自答しつつ仕事しています。 これから先の60年後の日本はどのような状況でしょう?原子力発電所の事故現場ではその事故処理が果たしてどこまで進展していることでしょう。原発からでる『核のゴミ処理』はどこまで技術が進んでいるでしょう? 原発事故現場では今よりもはるかに高度な能力を発揮するロボットが沢山働いているでしょう。 そのロボットたちを設計できる学者、その図面通りに寸分たがわずに加工&組み上げられる職人 (技術者)、組み上がったロボットをあたかも自分の身体の一部のように操作しきれるオペレ-ター、事故現場で予測を超えた緊急事態が発生したときに冷静沈着に現場全体を俯瞰して的確な指示を次々と出せる統括者や統括チーム。現場で働く作業者に美味しいお昼ご飯を提供できる料理人、できた美味しいお食事を笑顔で配膳して『疲れた身体を癒し元気回復を提供』できるスタッフ。ありとあらゆる人材が必要です。社会全体が大きなネットワークとなって問題解決に取り組んでいるでしょう。そのありとあらゆる分野の人材になるかもしれない可能性をもったひとたちの乳幼児期の感性の根っこのところを日々の保育を通じてせっせと耕している…そんな保育を展開できる自分でありたいと思うのです。と同時に同じ思いで東日本大震災後の復興支援をこれからもできる限り長く続けていきます。
2016.10.05
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「戦いごっこやりたい」・・・今できることとできないことを伝える 保育園の中にある一時保育室です。毎回日々の保育の中で感じたささやかな感動をお伝えしています。 毎曜日登園してくる子どもさん方の顔触れが異なります。今年は登録しているお子さんの多くが女の子さんであるというのが特徴のようで、たいていの日は女の子が主流派で男の子がぽつんぽつんという曜日のほうが圧倒的に多いのです。が、それでも月曜日だけは「マンデイボーイズデイ」で唯一男の子が大半で、女の子がぽつんぽつんという曜日なのです。今日は月曜日です。 いろいろなあそびがありますが、男の子はやはり『ヒーロー戦隊ごっこ』でそのキャラになり切って暴れあそびを好んで楽しむお子さんが圧倒的に多いです。湿度の高い日などはまるでサウナ室から出てきたのかと思わされるほどに汗ばんで嬉々とあそんでいます。 あそびとしての『戦いごっこ』に対しては保育界でも賛否両論百出の機運がありますが、私の立場・考え方の基本はこれを拒否するものではありません。子犬や子猫やお山の熊の子も産まれ落ちたときの兄弟とレスリングあそびをしながら沢山のことどもを学んでいきます。自分の身体の使い方や身のこなし、相手に加える力加減の程、防御の受け身等々。その自然なあそびの姿の中に人間の子どもたちもお手本のように学べるものがあふれています。人間の子ども、とりわけ乳幼児期の子供たちはまだまだ「人間」になり切っていない人間以前の「野性を持った動物に近い段階」にあります。 若い大学生のお兄さんがバイトで入ってくれている日はあらかた彼がその『戦いごっこ』の相手をしてくれていますが、何かの都合でそのシフトに変更や微調整がかかると子どもさん方は私にヒール役を求めてきます。やはり誰か悪者とか悪役とか怪獣とかお化けとかがいないとヒーロー伝説は華々しさを欠いて味気ないものになります。個々ひとりひとりの子どもさん方の「力量」や「好み」や「怖がり加減」「無鉄砲加減」などを総合的に考慮しつつ、彼らのリクエストに応じてどんなキャラにもなります。時には「ちょっとだけこわいかいじゅうになって」だとか「うんとおっかないお化けになって」など遊びの途中で微調整を加味しつつ悪役を演じます。悪役は結構面白いのです。 保育キャリア42年ですからいぶし銀の『わるものさま』の登場です。 加減を知らないわけですし加減の調整が上手にできない段階ですからこれを実践的に伝えるにはそのあそびの渦の中に参加しつつ「あーぁ、今のキック痛かったぞ」「痛すぎるのやだ~ぁ」「もっとうそんこでやってよね」と力の加減を伝えたり、かなりリアルに痛がったりいろいろ表現の粋を尽くします。時には、やられたのとほぼ同じくらいのインパクトを相手のお子さんにやり返して「ね、痛いでしょ。わかった?やりすぎよ」と実践的に伝えます。一回限りではそう簡単にわかる力加減の世界ではありませんから、そこは「反復練習」の修練の世界です。 今日も朝から午前中の大半は『戦いごっこ』です。ところが今日はバイトのお兄さんは途中でほかのクラスの保育の助っ人にシフトとなりました。急遽のオファーを受けていぶし銀のワルモノサマの登場です。いつもと一味違う戦いごっこです。その余韻を引いています。お給食が済んで午睡に入る前のひと時に彼らは『たたかいごっこ・パートⅡ』をやりたいのです。食事が済んだ直後ですし、入眠前にあまり興奮させすぎてはその後の生活づくりの塩梅が宜しくありません。彼らの欲求を頭ごなしに全面否定はしたくないので難易度の高い提案を持ちかけました。「静かにあばれられる?」提案しつつも無理だろうなと思いましたが「できる」とへんじ。「じゃあ約束よ、うるさくなり過ぎたらおしまいにするよ、わかった?」「うん、わかった」なんとその直後の数分間、実に見事(?)に静かにあばれています。やればやれるもんです。とはいえまだ2~3歳の子どもたちです。だんだんエスカレート、してきます。無理もないことですがとうとう閾値を超えるほどのレベルとなりました。ドクターストップ発令です。当然「やだ」「もっとやりたい」と反発です。先程の念押しの約束事の中身をピンポイントで改めて伝え、そして新たに、『お昼寝から起きておやつ食べたらまたあばれあそび(戦いごっこ)いっぱいできるよ』先の見通しとイメージが持てたのでしょう、見事に聞き分け午睡の態勢に入れました。その見事さに感動してしまいました。
2016.10.03
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保育園の中にある一時保育室です。毎日登園してくるお子さんの顔触れが変わります。いろいろなお子さんがいます。同じお子さんでも、毎日登園してくる保育園児とは違いますから、その時々で機嫌やら心持加減やらの「安定」と「不安定」の振れ幅が大きい子もいます。このお子さんたちの場合の保育は多少厄介です。けれども『その子なりに落ち着けるような条件やきっかけ』は何だろうかと思い描き、周囲も含めて整えて自然な流れで『その子の安定』へいざなえられると保育担当者としては仕事をしているという充実感となり思わず「やったぁー」なんて心の中でガッツポーズします。 押し並べてどんなお子さんが気がかりかというと、自分を出さない子、自分を出せない子です。心を閉ざしているお子さんの心を開くのはその子自身ですから、そのお子さんにとって安心できる関係の大人としてあるいは安心できる空間(保育室)として認めてもらえるように保育しながら焦らずに待ちます。 強烈に「やだあ」と泣きわめいたり暴れたりするお子さんは実際手がかかり厄介ですが、それでもまだ救いがあります。何がどのような功を奏するか早々には解りませんけれども、「いやだ」と拒否されているときには、その「いや」に対して「いや」の丸ごとを「そうなの、いやなんだね」と認め受け止めます。だからといって「いや」をとりのぞけない場合も多々あるわけで、仕方ないですものね。時にはその子の「やだやだ」をおちゃらけでなく一緒に「やだやだ」と言っちゃい共感します。 能面のように無表情でいる子、おとなしくしている子と心をつなげられるようになるのは相当時間がかかります。一見手がかからないのでついつい見落としがちです。見落とさないようにと自戒しつつ、心がけ、気にかけ、目をかけ、声をかけ、手をかけ、あと何をかけ…?複数で担任をしている場合には複眼で見ているのですからそれぞれが知り得た感じ得た情報を密に交流して、その子への理解を立体的に構築していきます。カチカチの氷の塊だって常温の空間においておけばだんだん溶けていきます。頑固な氷はなかなか解けませんがそれでもいつか溶けます。きっとそのお子さんとつながれる時が来ると希望を持ち続けて保育をします。なんくるないさぁの精神です。 自分を出せているけれど気がかりなお子さんというのもあります。おもちゃやものや周囲の他のお子さんに八つ当たりする子、顔の表情がきつく言い方がきつい子、気持ちがとげとげしてたり、気持ちががさついていたり、自分でも自分の抱えているイライラを対処できずにいる子、こんがらがっている糸の塊は力技では解きほぐせませんから、焦らずじっくり付き合うしかありません。 あまったれちゃん、「ねえ、これどうやんの?」「わかんない」「やってぇ」etc。これまた厄介です。ちっとは自分の脳みそで考えてごらんよといいたい気持ちも起こりますがこらえて一緒に考えます。 日頃はしっかりしている子が、妙に甘えたりしてくる場合があります。まず、無条件に受け入れます。抱っこやおんぶのスキンシップは理屈抜きに癒し効果があります。甘えることで、あるいは甘えながらエネルギーをためているのです。自動車はガソリンスタンドで給油します。小鳥は止まり木に留まって羽を休めます。船は港に停泊して次の準備をします。エネルギーが溜まると自分から降りて遊びだします。実に明快です。ここで見られる厄介なケースとしては、際限なく甘えるかのごとき(?)お子さんです。あまえがエネルギーになっているように思われない・・・う~む、難問といえば難問、さてここが思案のしどころです。そのお子さんの背景に日頃甘えきれない条件がある場合はどうでしょう。たとえば満3歳にならないうちに弟や妹が産まれたという家庭の場合、どうしたって下の子に手がかかりますから、お兄ちゃんお姉ちゃんにはついつい甘えを我慢してもらう場面が起こります。そこがストレスやプレッシャーになっていることだって十分考えられます。子どもは健気なのです。自分に期待されていることが何なのかと判ると、その期待に対して健気に答えようとするものです。ですからせめて保育室で補えるものならば…と条件が許す限り抱っこやおんぶで対応します。が、一番甘えたい人の代用である限り満足度の点で十分には至れないのは仕方のないことです。「おにいちゃん」「おねえちゃん」ということばかけを控え目にしてみたらどうなるでしょうか、より一層本物の「おにいちゃん」「おねえちゃん」に成長できるためのタイムラグ・・・模索してみようと思います。
2016.10.01
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