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60 年後に思いを馳せつつ
保育園の中にある一時保育室です。
曜日ごとに毎日登園してくる子の顔触れが変わります。満 2 歳になる子から満 3 歳になる子たちが一日最大 10 名定員の保育室です。実にいろいろなお子さん方がいます。
私は先月 63 歳になりました。
私が日々付き合っている子どもたちの 60 年後に思いを馳せながら保育の仕事をしています。
目の前の彼らの殆どは今から 60 年後もきっと生き続けて社会の中で活躍しているでしょう。
今から 60 年後の私は間違いなく生きてはいません。だからどんな命のバトンを彼らに手渡せるのかと日々自問自答しつつ仕事しています。
これから先の 60 年後の日本はどのような状況でしょう?
原子力発電所の事故現場ではその事故処理が果たしてどこまで進展していることでしょう。
原発からでる『核のゴミ処理』はどこまで技術が進んでいるでしょう?
原発事故現場では今よりもはるかに高度な能力を発揮するロボットが沢山働いているでしょう。
そのロボットたちを設計できる学者、その図面通りに寸分たがわずに加工&組み上げられる職人 ( 技術者 ) 、組み上がったロボットをあたかも自分の身体の一部のように操作しきれるオペレ-ター、事故現場で予測を超えた緊急事態が発生したときに冷静沈着に現場全体を俯瞰して的確な指示を次々と出せる統括者や統括チーム。
現場で働く作業者に美味しいお昼ご飯を提供できる料理人、できた美味しいお食事を笑顔で配膳して『疲れた身体を癒し元気回復を提供』できるスタッフ。
ありとあらゆる人材が必要です。社会全体が大きなネットワークとなって問題解決に取り組んでいるでしょう。
そのありとあらゆる分野の人材になるかもしれない可能性をもったひとたちの乳幼児期の感性の根っこのところを日々の保育を通じてせっせと耕している…そんな保育を展開できる自分でありたいと思うのです。
と同時に同じ思いで東日本大震災後の復興支援をこれからもできる限り長く続けていきます。