震災を忘れないために 0
工房便り 0
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朗読会を開催できぬ日々に朗報 新型コロナウイルスの蔓延で自前の朗読会の開催ができず足踏み状態です。 7年前に100回開催を目指して17年計画を立てました。今年の1月に第31回目の朗読会を開いて以降中止&延期で足踏み状態になっています。7年前に年6回ペースで朗読会を開催した当時、このような状況になろうとは全く思いも及びませんでした。おのずと朗読に対してのテンションも下がり気味でした。 私はYouTubeに朗読作品を33作アップ中ですが、昨夜『セロ弾きのゴーシュ(宮沢賢治・作)』の再生回数が60,000回に達していたことに気が付きました。 有難いことです。 この朗読は宝塚市で朗読会を開いている竹崎さんの朗読会にゲスト出演させていただいたライブ録音です。 裏話を申し上げますと、朗読を収録した3日前に声が殆ど出なくなるというアクシデントに見舞われていました。それでも、当日、なんとか声を出せるまでに快復し朗読できました。語り切れてとても嬉しかったのを今でも覚えています。 ですから朗読の読み初めは不本意な情けない位の「がしゃがしゃ声」でした。が、それでも、朗読会を聴きに来てくださった皆様のパワーを得て、読み進めるうちにどんどん上がり調子になっての朗読でした。 https://www.youtube.com/watch?v=GuXv5c8pY-E
2020.04.12
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朗読会中止のお知らせですかねてよりご案内の「第32回朗読会ばぶの会・3/22開催」は新型コロナウイルスの流行にかんがみ開催を中止することにいたしました。
2020.03.03
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「土神とキツネ」考 その1 ~嘘をつく心持ち~ 恋する人に自分を伝え、認めてもらいたいという欲求は誰にだって多かれ少なかれあるものです。相手の関心を自分のほうに引き寄せたいと望むが故に「エーカッコウシイ」の嘘をつきます。 生来の性格というのはまわりの他者とのかかわりの中で「良い面」と、あるいは「良くない面」として反映されます。土神にしてもきつねにしても、それぞれ良いキャラクターを持っているのに、その良さをうまく発揮できないばかりか、発揮しようとすると自分の発する言葉の嘘によって現実は微妙に歪んでいきます。 二人に共通して言えるのは『自分自身をとことん信じきれない』という点です。 信じきれない面を自覚あるいは予見するが故に、そこを埋め合わせしようとして結果的に「嘘」をついてしまいます。嘘には無理がありますから露見すると倍になって矛盾点が爆発します。 皆それぞれによい面を持っているのですからその一方の自分の弱さや不足している面をそのままに認めてしまえば全く異なる新たなるストーリーの展開があるのですが、認めきれなかったところから「土神とキツネ」のお話が展開されていきます。
2019.09.15
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丸ごと人生の四分の三ポジション(第3クオーター) もう何年も前から15分仮眠というのを生活の中に取り込んでいます。 この方法はたまたま私にとっては実に相性がいいです。 眠れる条件があるときはいつでもどこでも眠くなったら仮眠します。 ただしその時には入眠前に15分後にアラームをセットしてから横になります。 15分というのは1時間(60分)のワンクオーターです。 ひょっこり60進法から「クオーター」という発想に飛躍して 自分の人生丸ごとの時間を考えてみました。 私はこの秋66歳のぞろ目になります。 仮に自分の生涯を88年の寿命と設定してみます。 もしも結果的に88歳より長生きできたらそれはご褒美、おまけとしておきましょう。 88歳というのは「米寿」です。縁起ものです。 88年間をひとくくりと考えると「66」は第3クオーターです。 ここが自分の今のだいたいの立ち位置ということになりそうです。
2019.07.17
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落葉掻き集め 「落ち葉掃き」なんてレベルの落ち葉の量ではありません。そこで…、 「落ち葉を掻き集め」→「落ち葉掻き」という言葉を作って表現してみます。 ここは里山エリアの際ですから、市が買い上げた緑地の雑木林があり 大家さんの敷地のフェンス越しに大小の枝枝を張り出し伸ばしています。 クヌギ・コナラ、ウラジロ樫、樫、スダジイといろいろ覆いかぶさっています。 常緑樹は葉を落しませんが、クヌギ・コナラは落葉樹ですから枯葉を落とします。 クヌギの大木は小枝の先端まで全部葉を落としました。 コナラのほうは紅葉を通り越してすっかり茶色。 枯葉になっていますが、それでも枝先にしっかりついてそのままです。 全部落ちたら落ち葉を掻き集めようかと思っていましたが なかなかコナラのほうは落葉しそうにありません。 とうとう業を煮やしてクヌギの落ち葉中心に1時間半あっちもこっちも掻き集めました。
2018.12.29
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通院日は痛イン日 背中と肘と・・・(朝の満員電車風景) 月に一度都内の大学病院に行き点滴注射を受けています。 同じ「東京在住(者)」でも三多摩の南に暮らしている私です。 通院とはいっても朝早くのいわゆる通勤ラッシュ時間内に 都内の新宿の病院まで出向く移動ですから人ごみの多さに圧倒されます。 最寄り駅の私鉄の駅から新宿に出るまでの電車の乗客の込み加減は 内心戸惑うことが多々あります。 今日は確実にいつもより一人分乗客が多い(私のこと)のです。 込み加減が若干増しています。 電車に乗り込んで、『乗り降りの人の群れの動き』を考えて 自分にとって都合の良いベストの立ち位置を確保しようと努力します。 発車間際に通勤慣れしている人たちがバックギアモードで車内へと 背中でグイグイ押してきます。 まっすぐ単純に押してくる背中、ひねりを加えてスルリと押してくる背中。 顔の見えない背中でも人柄や品位は気配を通じて伝わってきます。背中の不思議。 次に周辺に立つ人の「肘」の存在です。 特に既につり革を確保している肘はその人の意思を端的に表出しています。 「立ち位置の既得権を侵害されまいとする肘」はあとからくる新参者に対して 敵対意識を醸し出しています。実にデリケートな表現です。肘の不思議。 「肩ひじ張って…」とかいう言葉があるくらいですから人間社会の中で 昔から「肩」も「肘」も自己主張をしてきたのでしょう。 こういう肘に遭遇したら対抗はしません。触らぬ神に祟りなし。触らぬ肘に祟りなし。 ちょっと身体をひねるか半歩譲って接触ポイントをずらします。 触れ方が結構痛い意味不明に硬いものが身体を押してくる場合があります。 何だろうとさりげなく見ると大抵通勤カバンに入ったパソコン類です。 持ち主は不快がったり戸惑ったりしている人の心情までは読み切れず無関心ですから、特段悪意のようなものが伝わってこない限りは黙って痛さを回避、譲歩します。 途中の乗換駅で一度に沢山人が降りるとき気配はかたまりとなって急速に 「降りますオーラ」になります。まるで夏の日の積乱雲のようです。 事前に感じ取って動きに巻き込まれぬよう足場をかえ上肢をトルネードします 。 群れの動きから逃れきれないときは一旦ホームに降りて再び電車に乗り込み、 新たな満員電車の乗客としてデビューです。 この時乗り込む頃合いが重要ですが初心者マークの私にはハードルが高いです。 たまに乗り込むのですから程よく右往左往しながら人間観察です。
2018.12.13
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65歳のラジオ体操 65歳になったので体操の動作を点検しながらやっています。 特に肘と膝が曲がらないように注意しています。 前屈の時には「股関節を緩めて上体を曲げる」コツがつかめつつあるので動作が深くなってきました。これは毎週一回の気功のレッスンの成果です。 両腕を左右に伸ばすとき水平の維持などピンポイントでチェックする良い方法を発見しました。 晴れた朝、背中で日差しを受けて地面に映る5~6mに伸びた自分の影法師を見て 両腕の水平が保てているかチェックします。 放送が終わる頃には太陽の位置が幾分高くなっているので影法師が4~5mに縮んでいます。 ラジオ体操を20年くらい前から断続的に続けてきていますが、体操の動作の途中で 『おっとと何でここでよろけるのかなぁ』と苦笑いすることがあります。 体操中全身がリラックスするものか「出物腫れ物所嫌わず」で、出ます、でます、あくびやらおならやら・・・。 この頃のおならはロングトーンの傾向がますます濃くなっていて、自分でも笑ってしまいます。 もしも私が10人いて円陣を組んでラジオ体操などしたものならあっちでこっちであくびが出たり、ぶぅうおおんぶうぶうとおならが出たりでさぞかし賑やかなことでしょう。
2018.10.04
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お前も塩分補給か? 3日前から1匹の「イエバエ」が来訪しています。 イエバエなんて実に久々です。そういえば昔(昭和30年~40年代)、 子どもだった頃にはうんざりする程いたものです。 イエバエもずいぶんすくなくなりました。久々の珍客です。 半袖Tシャツで過ごしている私の腕に停まってぺろぺろやります。 おっぱらっても、おいはらっても、またとまりぺろぺろ。 「おや、お前も水分補給の塩分補給かい?それにしてもうるさい奴だ」 そういえばこんな句がありましたね。 やれうつなハエが手をする足をする (小林一茶) 調べてみましたらハエは口だけでなく、足の先に“味を感じる”器官を持っているんだそうです。 手足をこするのはここについたゴミを落とし、いつでも味がわかるようにしているのです。 私の腕に停まっているこのハエも実にこまめに手入れしています。 そしてその次の日も来ました。また次の日も来ますと・・・、 なんか親しみのような家族の一員とまでは思いたくありませんが生活の風景の一部になります。 そして昨日はなんと2匹のイエバエの到来でした。さて今日はどうなりますでしょうか?
2018.09.10
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富弘美術館に行ってきました (その2) 富弘美術館は、群馬県みどり市にある国道122号の道の駅にありました。 昭和21年生まれとありましたから私より7歳年上の方です。 星野富弘さんは中学校の体育の先生をされていました。 がクラブ活動の指導中に鉄棒から落ちて頸椎損傷されました。 口で絵筆を咥えて花の絵と余白に短文を添えられた作品を発表し続けておられます。 なぜ富弘美術館に恋い焦がれて出かけて行ったのかと申しますと、先月(8月)まで働いていたアルバイト中に(再再就職して1か月目に脳内出血…脳卒中を体験し)とても気持ちがくじけそうな日々が続いている時期がありました。 そんな日々の中で脳裏をかすめた「絵の断片の記憶」が不思議と私を慰め励ましてくれました。 数年前にちらっと見た程度の印象ですからうろ覚えそのものでした。 花しょうぶかアヤメかなにかの絵でした。どぶ水を飲みながらあんなにきれいに咲いている…といったような内容の言葉が書き添えられていました。作者名は記憶していませんでしたが、「体育の先生をしていた方でけがをされて車いす生活の中で口に絵筆を咥えて描かれた絵…」というささやかな記憶でした。 身近の何人かにこのおぼろげな絵の記憶を話していろいろ尋ねていましたら、作者は星野富弘という人で、美術館もあるという情報を得ることができました。インターネットでさらに詳しく調べました。 この絵に会いに行きたい…と思いがさらに強まりました。バイトを退職した8月31日の就寝直前に、にわかに『明日出かけてみよう』と急に思い立ったのです。思い立ったが吉日ですものね。
2018.09.02
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ブログのアップしばらくお休みします。 明日(7/26~)「保養ネットよこはま」の主催により伊豆の河津町の古民家キャンプに「ばぶさんのお話しおじさん」としてボランティア参加していますのでブログのアップをしばらくお休みします。 帰京してから報告を綴ります。
2018.07.25
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マツヨイグサ(月見草)のお話 その11 順番ですから今日咲くつもりで昨日の夕方から準備していた花たちがあります。けれども昨夜から雨、そして今朝も本降りの雨は続いていて風も強くなってきています。とりあえず開きはしたものの雨に振り込まれてみんなへたっていました。大きな花びらには小さな雨粒が無数についていました。すぐ隣接している雑木林からは鶯のさえずりも聴こえてきません…と思いながらこの文章をタイピングしていますと、時折短いバージョンの鳴き声です。マツヨイグサは一日花ですから、今日咲く担当の花たちは時のめぐりあわせを愚痴るでもぼやくでもなく自分の担当を果たさんと悪天候に耐えて咲いているかの如くに見えました。こんな風に昔から雨の日も風の日も連綿と咲き続けて種のバトンを手渡しているのですね。その健気さに何となく励まされた思いです。
2018.05.03
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困惑の『大変でしたね』 10/20の退院後、この間いろいろな方々からお見舞いの言葉をいただいたうちの二番目に多かったのが「(脳卒中を体験されて) たいへんでしたね」でした。入院中も、退院してからの暫くも「大丈夫ですか?」のお見舞いの言葉に「はい、調子はいいです。お陰様で経過は順調です。」「奇跡的に軽くて済みました。」などと答えつつも、今から思えば自分で自分の身体のことを『大丈夫』の側に引き寄せ自己暗示をかけていた面もあったのだろうと思います。左被殻出血(脳内出血)したことを後から知った方々が異口同音のように「大変でしたね」というリアクションをされ、それが何度か重なってきますと、自分が思い込んでいた以上に今回のことは大変な体験だったのかとじわじわ思い知らされました。更には再発しないようにと周囲の皆さんから万全のバックアップ体制のご配慮などいただいていますと「大丈夫」だったはずの心持は揺らぎだしました。これもまた不思議な感覚です。事実として一度プッツンした脳の持ち主は周囲の人の側から見ると前歴のある人、だからいつまた再発するかわからない人というグレーな存在として映っているようです。偏見といえば偏見ともいえるでしょうがこのつかみどころのない不安と向き合いながら自分自身のメンタルの維持(保持)は結構厳しいものがあります。「たいへんでしたね」に対して「ええ、たいへんでした」と答えてしまえばいいのでしょうが、心情的には過去形の事象ではなく現在進行形なのです。侮らず、慎重に、されど臆病にならぬように心がけて暮らします。
2017.12.29
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第6回保養キャンプ(7/25~8/2) その1 無事終了しました 東日本大震災のあった年の夏から毎年開催している保養キャンプです。『保養ネットよこはま』主催の第6回キャンプは今年もさして大きなけがも事故もなく、又、急病人も出ることなく本日無事終了しました。参加者のご家族は、リピーターの家族も、初参加で今回デビューの家族も、皆それぞれ無事に福島に帰られたようで何より安堵です。私自身は第3回目の年からの関わりです。今年で連続4年目のボランティア参加でした。8泊9日の日程のキャンプを最初から終わりまで丸々ボランティア参加したのは4年目にして初めての体験でした。あれやこれやの感想や気付いたことなどぼちぼち報告していきます。まずはフルマラソンを完走したランナーのような私なので今夜はここまでの報告にとどめます。
2017.08.02
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童謡 アルプス一万尺 一番最初にこの歌と出会ったのは小学校3年生の時でした。(もう54年前のことなんです。)この歌の「アルプス」とは日本アルプスのことで、私はこの歌の中の何番だかは忘れましたが♪きのう見た夢でっかいちっちゃい夢だよ蟻がリュックしょって富士登山♪というところが好きで、何故かここだけを時たま口にしていました。自分がやっていること、これからもやろうとすることを揶揄するというのでなく自分への応援歌として歌うのです。蟻のようにちっぽけな虫だって志をもってコツコツのぼって行けばいつか富士山だって頂上に立てるのだ。さあ今日もこつこつやるぞ。 今回の記事を書くにあたってインターネットで参考資料を拾い集めていましたら、私の記憶の中の♪…蟻がリュックしょって…♪の『あり』は間違いで正しく(?)は『蚤(のみ)』で2番の歌詞だということも判りました。しかも驚い事に 童謡「アルプス一万尺」の歌詞は29番まであったのです。せっかくですから1~29番までの歌詞を紹介します。 1番 :アルプス一万尺 小槍の上で アルペン踊りを 踊りましょ 2番 :昨日見た夢 でっかいちいさい夢だよのみがリュックしょって 富士登山 3番 :岩魚釣る子に 山路を聞けば 雲のかなたを 竿で指す 4番 :お花畑で 昼寝をすれば 蝶々が飛んできて キスをする 5番 :雪渓光るよ 雷鳥いずこに エーデルヴァイス そこかしこ 6番 :一万尺に テントを張れば 星のランプに 手が届く 7番 :キャンプサイトに カッコウ鳴いて 霧の中から朝が来る 8番 :染めてやりたや あの娘の袖を お花畑の 花模様 9番 :蝶々でさえも 二匹でいるのに なぜに僕だけ 一人りぽち 10番 :トントン拍子に 話が進み キスする時に 目が覚めた 11番 :山のこだまは 帰ってくるけど 僕のラブレタ- 返ってこない 12番 :キャンプファイヤーで センチになって 可愛いあのこの 夢を見る 13番 :お花畑で 昼寝をすれば 可愛いあのこの 夢を見る 14番 :夢で見るよじャ ほれよが浅い ほんとに好きなら 眠られぬ 15番 :雲より高い この頂で お山の大将 俺一人 16番 :チンネの頭に ザイルをかけて パイプ吹かせば 胸が湧く 17番 :剣のテラスに ハンマー振れば ハーケン歌うよ 青空に 18番 :山は荒れても 心の中は いつも天国 夢がある 19番 :槍や穂高は かくれて見えぬ 見えぬあたりが 槍穂高 20番 :命捧げて 恋するものに 何故に冷たい 岩の肌 21番 :ザイル担いで 穂高の山へ 明日は男の 度胸試し 22番 :穂高のルンゼに ザイルを捌いて ヨ-デル唄えば 雲が湧く 23番 :西穂に登れば 奥穂が招く まねくその手が ジャンダルム 24番 :槍はムコ殿 穂高はヨメご 中でリンキの 焼が岳 25番 :槍と穂高を 番兵において お花畑で 花を摘む 26番 :槍と穂高を 番兵に立てて 鹿島めがけて キジを撃つ 27番 :槍の頭で 小キジを撃てば 高瀬と梓と 泣き別れ 28番 :名残つきない 大正池 またも見返す 穂高岳 29番 :まめで逢いましょ また来年も 山で桜の 咲く頃に※「ランラララララララ・・・」の部分は省略してあります。 記憶とはいい加減なところがあって1番の歌詞で「子ヤギ」ではなくて「小槍」でした。小槍というのは槍ヶ岳の山頂付近にある岩のことで「小槍」の標高は3,030mで、ちょうど一万尺なのだそうです。元歌はアメリカ合衆国の民謡・愛国歌でヤンキードゥードゥル(英語:Yankee Doodle)です。"Yankee"とはイギリス軍がその植民地アメリカの軍隊を指して使っていた言葉で、"Doodle"とは「まぬけ」というような意味です。替え歌ですから元の歌詞の世界とは全く別物で作詞者は不明ですが、京大山岳部の学生、とする説が有力なのだそうです。
2017.05.08
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虔十公園林・考 ⑦人としての虔十の輝き 作中から引用しますと『…雨の中の藪を見ては、喜んで眼をぱちぱちさせ、青空をどこまでもかけていく鷹を見つけては、跳ね上がって手を叩いて、みんなに知らせました。…』虔十さんにとっては自然界の森羅万象は驚きと感動に満ち溢れたものなのです。わー雨だ。冷たいな。気持ちいいなぁ。藪が雨に濡れてきれいだぞ。まぶしいくらいにきれいだなぁ。…わぁ、『鷹だぁ』青い空をどこまでもどこまでも飛んでいくぞ。鷹かっこいいなぁ。鷹ってすごいな。僕も鷹になりたいなぁ。その感動や憧れを虔十さんは跳ね上がって拍手で表現します。そしてさらに、「ほらみんな、鷹だよ。素敵でしょ」と知らせます。風がどうと吹いて、ブナの葉っぱがちらちら光ると、それだけでももう嬉しくてうれしくてひとりでに笑えて仕方ありません。けれども周囲の人たち、とりわけ子供たちが馬鹿にして笑うものですから笑われないような工夫をしつつもそれでも彼は自分の感動や喜びを伝え続けます。 虔十の家の後ろに大きな運動場くらいの野原がまだ全く手つかずの状態で残っていました。『おがあ、おらさ、杉苗700本買ってけろ』700本という数量をどうやって算出したのかは判りませんが、たぶん尺取虫みたいに一歩ずつ実測してうんと手間暇かかりながらも計算したのではないでしょうか。ある時風が吹いていて何処かの杉林を見たら「アッ、杉の樹がみんなして『おーい、元気かぁ?』って手を振ってくれている」って思ったのでは…。『杉苗700本買って…』という虔十さんの提案に戸惑う母や兄。けれども一家の長たる父親がこれを了承してくれます。とてもよろこんだ虔十さんは唐鍬を持ち出し空地の芝をぽくりぽくり掘り起こして杉を植える穴を掘り始めます。自分の望みが聞き入れてもらえた嬉しさにじっとしてなんかいられません。即行動です。「杉の穴は植える直前に掘らないとダメなんだ」と兄にたしなめられ、気まり悪そうに鍬を置きます。翌日はよく晴れて、ひばりが高くさえずり、もう嬉しくてこらえきれず兄から作業の段取りを教わるなり杉苗を植える穴を掘り始めます。実にまっすぐに、実に間隔正しく穴を700掘り続けます。一体何時間かかったでしょうね。空地の底は堅い粘土質の土地でしたから、杉は5年までは緑色の芯がまっすぐに空の方へ伸びていきましたが、それ以上は伸びず、木の先端が丸くなったまま何年たっても3メートル弱の長さのままにとどまります。「杉林の杉」という観点からみれば商品価値のない貧弱な育ちっぷりの杉です。(結果オーライですがかえってこの木の高さと育ち加減が子どもたちの格好の遊び空間となるのでした。) 周囲の大人たちからは『やっぱりバカはバカだ』と笑われ、からかわれます。『…あの杉ぁ枝打ぢさなぃのか?』との冗談を真に受けて、上の方の枝を三・四本位ずつ残して夢中で下枝を払う虔十さんです。すっかりがらんとなった杉林にぼんやりと立っている虔十さんに野良から帰った兄さんが『おう、枝集めべ、いい薪ものうんとできた。林も立派になったな。』と機嫌よく言います。虔十さんに対する虔十さんの家族のあったかさがにじみます。 がらんと隙間だらけの虔十さんの杉林は子供たちの格好の遊び場として変貌します。本当の幸とはなんなのかを人々に感じ取らせる杉林はこうして後世に残りました。 気持ちが純粋で正直な虔十さんです。その虔十さんが隣の畑の持ち主の平二から『虔十、きさんどこの杉伐れ』と執拗に恫喝されます。この時虔十さんが一生のうちでたった一度きっり人に対する逆らいの言葉を一言「きらない」と明言します。この一言にどれほどの思いをこめて虔十さんは平二に言ったことでしょう。生涯に一度きりの逆らいの言葉…それはそれはすさまじい一言だったと思います。 さて、その秋に虔十さんはチブスで死にます。平二も同じ病気で死にます。虔十さんはおそらく二十歳前後の短い生涯だったことでしょう。 虔十公園林という作品を通じて、宮沢賢治さんは人の心の美しさ、家族愛、自然との共生という生き方の意味するところなどを伝えてくれていると思います。
2017.04.19
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第14回ワンコイン朗読会&朗読広場を開催します。日時 3月25日(土) 開場13:30 開演14:00~15:15頃 参加費500円(お茶と菓子付き)です。 会場 旧押立カフェ(稲城市押立945-9) アクセスJR南武線矢野口下車徒歩9分矢野口駅改札出て左、北口を出て左折JRの高架の下の側道に沿って歩く(立川方向)。二つ目の『止まれ』の交通標識を右折(四小通りカーブしている)道なりに2~3分前方に手作りパンの店が見えたらその奥隣り。 今回の演目斎藤隆介・作「花咲き山」他この作品をばぶは語りでおこないます。「語り」は初挑戦です。新境地を開きたいと挑みます。 ◆ 朗読広場での朗読参加者を若干名募集中です。 ※次回『第15回ワンコイン朗読会&朗読広場』より、開催日を従前の日程より一週間前倒しして第3週の土曜日に変更します。第15回 2017年 5月20日(土)第16回 2017年 7月22日(土)第17回 2017年 9月16日(土)第18回 2017年11月18日(土)第19回 2018年 1月20日(土)第20回 2018年 3月17日(土)
2017.03.13
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楽しく暮らす心持ちの置き場 現代人の生活、人間社会はどうしたってストレスはたまるもの。だからストレスが心の底に沈殿したり溜まったりしないような心持ちの置き方、の知恵を大切にしています。こうありたいなという希望と、このようなのは嫌だなという敬遠を前提にして、心持のありかを探しています。言葉を荒げ、目を三角にしていがみ合い罵り合うような暮らしはしたくありません。事は考えようによって見え方が違ってくるものです。最近自分なりに発見した知恵をここで改めて2つ程紹介します。①『必要は発明の母、ならば、失望は希望の父親(⁉)』②『夏蒸し暑く冬底冷える自分の居住空間は「寒冷地仕様」になっているのだ』この二つの捉え方をできるようになってでずいぶん楽に暮らせています。 さて、もっとさかのぼります。「(人は)『か・き・く・け・こ』で暮らすと幸せな心持で暮らせる」当時友人から教わった言葉の内容はだいたいこんなものでした。か…観察するき・・・興味を持つく・・・工夫するけ・・・研究するこ・・・恋をするこの知恵と出会ったのは今からもう何年前だかわかりません。そして誰かの説の又聞きのそのまた又聞きなので由緒来歴は解りません。なるほどとこの視点と態度に共感しましたので以来四半世紀、自分なりにさらに言葉を拾い出して膨らませて暮らしています。か・・・観察、感動、感激、観劇、関心を持つき・・・興味、共感、共生、共同、協調、く…工夫、苦労、苦心、苦学、繰り返し、け・・・研究、献身、謙虚、敬虔、稽古こ・・・恋、恋心、恋人、好感、声掛け、 100人のお友達がそれぞれの感性や視点から紡ぎ出していったらどれほどたくさんの言葉と出会えることでしょう。それをみんなで持ち寄ったら私たちの暮らしはどんなに心豊かになるでしょう。単なる言葉あそびではなく、自分なりの言葉を拾い出し紡ぎ出して暮らしていくということは『自分という付加価値』を広げ膨らませ極めていく創造的な行為なのです。くじけそうになる時、背中をちょっと押してくれて、自分を励まし、慰め、元気づけてくれる言葉です。 この青空の下で「この指と~ま~れ」と呼びかけます。
2017.02.05
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一時保育室から 子どものあそびと生活の風景 寸描⑥ はしゃいじゃおう 保育園の1歳児クラスの子どもと2歳児クラスの子どもに該当する子供たちが混在しています。1~2歳児の縦割り仲間です。 一日当たりの保育室の定員は10名が上限です。曜日によって登園するメンバーが異なります。その分少々ややこしい面もありますが一方極めて面白い保育です。お正月休み明けの数日は、特に登園してくるお子さんが少ない保育室です。たまたま普段自己主張の強い子の陰で目立ちにくいお子さんが二人(男の子が一人女の子が一人)、お昼寝から起きてきました。他のお子さんたちはぐっすりとよく寝ています。目覚めた二人にしてみればいつも通りの午睡の眠りの長さで目覚めたにすぎません。他のお子さんたちは実にぐっすりとよく寝ています。起き抜けの二人が穏やかにゆるゆるとあそべるおもちゃを今日も用意します。とりあえずいつものパターンでデュプロブロックなどで騒がしい音もたてず静かに遊んでいました。他のお子さんたちはよく寝ています。こんなチャンスはめったにありませんから私のこころの中で『レッツ・はしゃいじゃおう』のギアスイッチをロウからドライブに入れてちょっとかまってみました。段ボール製のおうち(パーテーション)を使って、二人をお家の壁で取り巻きました。お家といっても屋根のないモンゴルのパオみたいな空間です。壁には○△□の窓があちこちに明けてあります。空間をすぼめたり広くしたりして不思議の国のアリスのお家もどきで、まず私自身がはしゃいで不思議空間の不思議を演出します。二人も私の笑い声と不思議オノマトペに共鳴してケラケラ笑い出し、やがてげらげら笑いだし、さらにはげたげたと笑いのマックス域にせりあがってきました。それなのに他のお子さんたちは二人の大笑いにもかかわらず、ぐっすりと眠りつづけています。時間的にはもういつでも起き出してきても構わない頃合いです。『レッツ・はしゃいじゃおう』のギアスイッチをドライブからハイトップに入れて、おうちの壁のほうがぐるぐる回ります。中の二人は床の上に座っているだけなのですが、周りの壁がぐるぐる回っているのを見ているうちにまるで自分たち自身がフィギュアスケーターのスピンをしているような錯覚状態になるのでしょう。笑い声のマックスは超マックス。酔っ払い声のようで、おやおや、よだれまで垂らしちゃって…。それなのになんとほかのお子さんたちはまだ眠っています。夕方お母さんがお迎えに来た時に「おもしろかったねぇ」と報告していました。このはしゃぎあそび体験の印象を大事にしてあげたいと思います。
2017.01.05
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ばぶにとっての2016年ってどんな年だったか ④動画などから You Tubeで今年見つけた感動動画など先ずは合唱 ベルディの歌劇ナブッコよりhttps://www.youtube.com/watch?v=J5qi_4DnpKg 続いて対話 佐治晴夫さんと茂木健一郎さんの対話https://www.youtube.com/watch?v=38FB8qjMWHM 続いて落語 立川志の輔という人の落語「みどりの窓口」https://www.youtube.com/watch?v=Denc3h1iqlI 続いて ラジオドラマFM福岡製作 JFN38局系列 ラジオドラマ 「鉄の河童」 オーディオドラマこれは聴いていて号泣してしまいました。https://www.youtube.com/watch?v=8YiyeicEam4続いて捧腹絶倒のギャグ演奏https://www.youtube.com/watch?v=BcV19rylSZc 続いてクロアチアのアカペラコーラス沢山ありすぎて一つに絞り切れません検索キーワードで「Klapa~」と入力してみてください。どれもこれも全部好きです。 もう一つフィリピンのコーラスグループhttps://www.youtube.com/watch?v=wfOYybYjdmshttps://www.youtube.com/watch?v=TNDsNdDqkIY&index=18&list=RDxxxOue3xxa4
2016.12.30
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ばぶにとっての2016年ってどんな年だったか ②ものづくりのはなし東日本大震災以来「お金儲け」を最優先のモノづくりをやめて作ることそのものを楽しむものづくりのスタイルに変え6年目に入りました。作ることそのものをあそぶのです。あそび半分で作るというのではありません。可能であれば100%遊びに徹して作り上げたいものです。製作態度の立ち位置を変えましたら、視点が変わります。視点が変わると素材の見え方や作りたいものの形のイメージが変わります。今まで溜まっていた木っ端の類が創作物の良い素材に生まれ変わってきました。それと素材という意味では「段ボール」の再発見です。木工作家というよりは段ボール作家というところまで上り詰めてみたいくらいです。段ボールを5枚前後重ねて形状を整えぐるり全体の隅を麻ひもを使って縫い上げていきます。針は最初針金のハンガーだったものをリメイク。適当な長さのUの字型に作って縫っていましたが、縫い付けるときの抵抗が大きくて手や腕やらの体を壊しかねないところまで行きました。そしてこれに換わるものとしてはっと気が付いたのは『ピアノ線』です。縫う前の下穴の開け方も金物屋のショウウインドウのなかにあった大工道具の「クジリ(角利)」、子供の頃畳屋さんが使っている光景が記憶にありました。錐(きり)というか、文房具でいうところの「せんまいどうし」の大親分のようなものです。必要は発明の母。手は第二の脳。とにかく作業量と経験智の蓄積でノウハウが面白いように増大していっています。縫い止め方はボタンホールステッチ(ブランケットステッチ)で一針一針均一になるように縫います。この時の麻ひもの引き具合締め具合が奥深いです。巧みを極めてみたいものです。
2016.12.25
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交通事故にあいました 先週土曜日(12/10)の夜8時過ぎ、友人と二人で道路を横断中、斜め前方のわき道からの右折車のドアミラーに接触され、はずみで路上に転倒しました。幸い頭を打たなかったのが何より不幸中の幸いの出来事でした。朗読会の打ち上げの反省会を中座して、会場から片道3時間の自宅に帰宅するところでした。友人は自転車を降りて押しながら歩き、私は徒歩でした。右から私、友人の自転車、友人で横並びに歩いておりました。この日行われた朗読会の感想やら次回の予定やら、朗読に寄せる熱い思いやらなどなど、あれこれよもやま話をしながら最寄り駅まで向かう途中のことです。瞬間のことで微細なところまでは覚えていませんでしたが、後日友人からの状況説明の電話で、『車に接触され跳ね飛ばされ同時に弾みで友人の自転車にぶつかり、そしてその直後路上に転倒したようだ』ということでした。ということは自転車にぶつかったことでそれが衝突の衝撃の緩衝材になって転倒の衝撃を小さくしてくれたようです。特に痛かった右肩の内側、それに右わき腹、右肘、右膝、右手に痛みがありました。救急車で病院に緊急搬送されレントゲンを撮ってもらいました。骨折、ひび等の所見は確認できない、打撲という診断でした。 「お前さんにはまだやるべきことが残っているから、まだ死んじゃダメです」と天の神様からの啓示を受けた思いでした。明日は我が身、車は走る凶器、急発進・急ハンドル・急ブレーキをしないこと、安全確認を重ねること。自戒の体験でした。
2016.12.13
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保育園の行事(バザール)に参加して かつて関わりのあった保育園のお祭りというかバザーというかそうした類の行事に業者の一人として『木のおもちゃのお店 / 工房ばぶ』という立場で参加させてもらっています。今年もありがたいことに園から出店のお誘いのお声をかけていただき本日参加しました。 元よりお金儲けの営業という意識を前面に押し出しての参加ではありません。お店の場所として用意していただいたスペースで自分の作っている作品(木のおもちゃ)を展示即売しています。すると、訪れてくださる現役の在園児親子だけでなく、在職当時関わっていたお子さんが卒園して今では小学校2年生だとか4年生になったとかの報告を聴き留めつつ、再会してその彼らに…日頃は乳幼児を対象に想定して制作している品物…私の作品群(例えば木のパズル)などあそんでもらうと、改めて作品が備えている難易度が幼児でなく学童だったらどの程度通用するのかしないのかなどのいわばマーケティング(市場調査)をリアルに点検できるのも醍醐味です。かつて担任していたお子さんの親御さん(在職中は朝夕の挨拶程度しか言葉を交わせなかった方)と再会でき、子育てのこと・職場の仕事のこと・または人生のあれこれなどよもやま話やらお互いの近況を語り合ったりできるのも何よりの喜びのひとときです。人として出会った縁や絆を深められた一日でもありました。
2016.11.20
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11月3日このブログのアクセス数が10000回を超していました。自分でも信じられないアクセス数で驚いています。今後ともよろしくお願いいたします。
2016.11.14
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昨日(2016./11/12)ひねもす祭りという朗読会に参加しました。企画としては今回が第1回になるのでしょう。参加を予定していた方で体調を崩した為参加できなかった方がお一人ありましたが、朗読者は12人。12の作品が12の個性という彩と表現を得てきらびやかでした。会場は亀戸梅屋敷のホール(?)。今回の朗読祭りの土台はSNSで広がった『ひねもす朗読会』というコミュです。年4回勉強会を兼ねた例会を深川資料館通り商店街事務局2F(最寄り駅清澄白河駅)で開催していますが、今回のお祭りには福岡県の北九州市と四国徳島からも参加された方があり、私としてはこれまでSNSでしか御目文字できないでいた御両人とも初の顔合わせもでき大変貴重でした。お二人からはそれぞれの地元での朗読会の現状やら苦労話なども聴くことができました。そのお話を伺うにつけ、朗読は自由表現の世界なのだということと、その自由を謳歌できる環境(朗読会の在り方)に改めて有難さを感じました。
2016.11.13
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10/14~16 支援活動に行ってきました。 ~その1~ 復興支援活動をしている場所や人々と、支援活動している人の支援をしに10/14~16と2泊3日、宮城県気仙沼市、岩手県山田町、福島県福島市、東京武蔵野市と5か所行ってきました。2泊3日の合計で1,634キロメートル走破しました。結構くたびれました。 14日町田を朝4時に出発、気仙沼までは約530キロ、ノンストップで走ったとして7時間20分というカーナビの案内でした。私は先月63歳になったのでやっぱり昨年よりも体力は落ちていまして、疲れや眠気を感じたら何度でも休憩を取りつつ安全運転優先で休み休み移動しました。8時間半くらいかかって現地に到着です。気仙沼のS保育園 、乳児クラスのみの施設でここへは約3年半ぶりの再訪問でした。その当時は『前年の3/11の津波で園舎を喪失し、職員の有志がアパートの一室を借り受けて無給で保育を始めたという報道』などをラジオで聞き、ささやかでも応援したいと木のパズルと積み木を郵送し、そののち数か月後に直接気仙沼に出向く際、「それならば一緒にこれもプレゼントして下さい」と私の仕事仲間が制作したままごと用の座卓を預かりお届けしました。先に私の贈ったおもちゃ類が日々の保育の中で実際どのように使われているかを確かめて、保育(あそびの展開)の質疑応答と共に簡単な助言やヒントをさしあげました。そして今回の再訪問でした。この間に当時の仮園舎の保育施設を刷新し、別の場所に新園舎(3年前)を落成し新たな保育を再開したという報告のはがきを私は嬉しく受け取っておりました。確実な復興の一歩です。その報告のお葉書をいただいた時ぜひまたS保育園を訪れてみたいと強く思っていました。園舎も園庭の場所も新しくきれいに、広々と変わっていました。今回はおみやげに特製のパーテーションを届けました。このパーテーションは保育室の間仕切り以外にこどもたちが『いないないばあ』だとか『かくれんぼ』だとか『トンネルくぐりのあそび』だとかいろいろに使えるものです。段ボール製ですので表面のコーティングは職員の皆さん方でデコレーションしてもっと夢のあるパーテーションに進化させてくださいとお伝えしました。現地に到着したのはお昼過ぎでしたのでこどもたちはお昼寝中でした。ですから残念ながら今回は私のパフォーマンス(手あそびや踊りやお話)はできませんでした。そこで、保育室に吊り下てもらおうと「折り紙で作られた独楽」を4つ構成してモビールを一組、現場合わせのサイズに事務室の中をお借りして制作しました。この「折り紙独楽」は福島市在住の小学生の女の子が福祉施設に贈るために作り続けているもので、たまたま先月福島を訪れたときにいただいていたものを活用してのモビールです。泣いている赤ちゃんやご機嫌の悪い赤ちゃんをあやしたり気分転換を誘うときなどにきっと役立つことでしょう。次回こちらを訪問する時には前日にどこか近所に宿泊をして朝から午前中に子供たちと遊びたいと思いました。次の訪問地に到着したい時間との関係で、15時過ぎにはさよならしなければなりませんでした。カーナビで調べると岩手県の山田町の目的地までは気仙沼から103キロ、2時間20分、今度も道中休み休み国道45号線を北上しました。
2016.10.18
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60年後に思いを馳せつつ 保育園の中にある一時保育室です。曜日ごとに毎日登園してくる子の顔触れが変わります。満2歳になる子から満3歳になる子たちが一日最大10名定員の保育室です。実にいろいろなお子さん方がいます。 私は先月63歳になりました。私が日々付き合っている子どもたちの60年後に思いを馳せながら保育の仕事をしています。目の前の彼らの殆どは今から60年後もきっと生き続けて社会の中で活躍しているでしょう。今から60年後の私は間違いなく生きてはいません。だからどんな命のバトンを彼らに手渡せるのかと日々自問自答しつつ仕事しています。 これから先の60年後の日本はどのような状況でしょう?原子力発電所の事故現場ではその事故処理が果たしてどこまで進展していることでしょう。原発からでる『核のゴミ処理』はどこまで技術が進んでいるでしょう? 原発事故現場では今よりもはるかに高度な能力を発揮するロボットが沢山働いているでしょう。 そのロボットたちを設計できる学者、その図面通りに寸分たがわずに加工&組み上げられる職人 (技術者)、組み上がったロボットをあたかも自分の身体の一部のように操作しきれるオペレ-ター、事故現場で予測を超えた緊急事態が発生したときに冷静沈着に現場全体を俯瞰して的確な指示を次々と出せる統括者や統括チーム。現場で働く作業者に美味しいお昼ご飯を提供できる料理人、できた美味しいお食事を笑顔で配膳して『疲れた身体を癒し元気回復を提供』できるスタッフ。ありとあらゆる人材が必要です。社会全体が大きなネットワークとなって問題解決に取り組んでいるでしょう。そのありとあらゆる分野の人材になるかもしれない可能性をもったひとたちの乳幼児期の感性の根っこのところを日々の保育を通じてせっせと耕している…そんな保育を展開できる自分でありたいと思うのです。と同時に同じ思いで東日本大震災後の復興支援をこれからもできる限り長く続けていきます。
2016.10.05
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保育園の中にある一時保育室です。毎日登園してくるお子さんの顔触れが変わります。いろいろなお子さんがいます。同じお子さんでも、毎日登園してくる保育園児とは違いますから、その時々で機嫌やら心持加減やらの「安定」と「不安定」の振れ幅が大きい子もいます。このお子さんたちの場合の保育は多少厄介です。けれども『その子なりに落ち着けるような条件やきっかけ』は何だろうかと思い描き、周囲も含めて整えて自然な流れで『その子の安定』へいざなえられると保育担当者としては仕事をしているという充実感となり思わず「やったぁー」なんて心の中でガッツポーズします。 押し並べてどんなお子さんが気がかりかというと、自分を出さない子、自分を出せない子です。心を閉ざしているお子さんの心を開くのはその子自身ですから、そのお子さんにとって安心できる関係の大人としてあるいは安心できる空間(保育室)として認めてもらえるように保育しながら焦らずに待ちます。 強烈に「やだあ」と泣きわめいたり暴れたりするお子さんは実際手がかかり厄介ですが、それでもまだ救いがあります。何がどのような功を奏するか早々には解りませんけれども、「いやだ」と拒否されているときには、その「いや」に対して「いや」の丸ごとを「そうなの、いやなんだね」と認め受け止めます。だからといって「いや」をとりのぞけない場合も多々あるわけで、仕方ないですものね。時にはその子の「やだやだ」をおちゃらけでなく一緒に「やだやだ」と言っちゃい共感します。 能面のように無表情でいる子、おとなしくしている子と心をつなげられるようになるのは相当時間がかかります。一見手がかからないのでついつい見落としがちです。見落とさないようにと自戒しつつ、心がけ、気にかけ、目をかけ、声をかけ、手をかけ、あと何をかけ…?複数で担任をしている場合には複眼で見ているのですからそれぞれが知り得た感じ得た情報を密に交流して、その子への理解を立体的に構築していきます。カチカチの氷の塊だって常温の空間においておけばだんだん溶けていきます。頑固な氷はなかなか解けませんがそれでもいつか溶けます。きっとそのお子さんとつながれる時が来ると希望を持ち続けて保育をします。なんくるないさぁの精神です。 自分を出せているけれど気がかりなお子さんというのもあります。おもちゃやものや周囲の他のお子さんに八つ当たりする子、顔の表情がきつく言い方がきつい子、気持ちがとげとげしてたり、気持ちががさついていたり、自分でも自分の抱えているイライラを対処できずにいる子、こんがらがっている糸の塊は力技では解きほぐせませんから、焦らずじっくり付き合うしかありません。 あまったれちゃん、「ねえ、これどうやんの?」「わかんない」「やってぇ」etc。これまた厄介です。ちっとは自分の脳みそで考えてごらんよといいたい気持ちも起こりますがこらえて一緒に考えます。 日頃はしっかりしている子が、妙に甘えたりしてくる場合があります。まず、無条件に受け入れます。抱っこやおんぶのスキンシップは理屈抜きに癒し効果があります。甘えることで、あるいは甘えながらエネルギーをためているのです。自動車はガソリンスタンドで給油します。小鳥は止まり木に留まって羽を休めます。船は港に停泊して次の準備をします。エネルギーが溜まると自分から降りて遊びだします。実に明快です。ここで見られる厄介なケースとしては、際限なく甘えるかのごとき(?)お子さんです。あまえがエネルギーになっているように思われない・・・う~む、難問といえば難問、さてここが思案のしどころです。そのお子さんの背景に日頃甘えきれない条件がある場合はどうでしょう。たとえば満3歳にならないうちに弟や妹が産まれたという家庭の場合、どうしたって下の子に手がかかりますから、お兄ちゃんお姉ちゃんにはついつい甘えを我慢してもらう場面が起こります。そこがストレスやプレッシャーになっていることだって十分考えられます。子どもは健気なのです。自分に期待されていることが何なのかと判ると、その期待に対して健気に答えようとするものです。ですからせめて保育室で補えるものならば…と条件が許す限り抱っこやおんぶで対応します。が、一番甘えたい人の代用である限り満足度の点で十分には至れないのは仕方のないことです。「おにいちゃん」「おねえちゃん」ということばかけを控え目にしてみたらどうなるでしょうか、より一層本物の「おにいちゃん」「おねえちゃん」に成長できるためのタイムラグ・・・模索してみようと思います。
2016.10.01
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スマホの蓄電能力の衰えと自分自身の加齢からくる衰えから学んだこと 昨年の6月に携帯電話をガラケイからスマホに変えました。当初その利便性に小躍りして(?)いろいろ面白がって使ってみました。とはいってもこのスマホの機種が持ち合わせている多機能のあらかたを使いこなせているわけではなく、それまでつかっていたガラケイでできなかったプラスアルファ―を楽しんできました。購入してから満一年が過ぎ、今年の夏が過ぎ、スマホの蓄電能力が日増しにガクンと落ちてきました。焦りました。とてつもない不安に駆られました。蓄電池の蓄電能力が落ちていく背景として、スマホというのは電源を入れたままだと未使用の裏側でいろいろ電気を消耗している機械なのだということを知りました。考えてみればもったいない話です。そこで暫く使わないという時間帯には電源そのものを切ることにしました。使おうとするときに起動するまで20秒ほど待つことになるのですが、そのこと自体を『わずらわしい』行為と思わないように腹をくくりました。ショップと購入した家電量販店の窓口にそれぞれ行きスマホの近況を伝え相談しました。たまたまショップで対応してくれた人はマニュアルに書いてある内容の範囲の対応を丁寧にしてくれるのですが、個別私の心情に沿った質疑応答ではありませんでした。そこでこのスマホを購入した量販店に行くとたまたま先の対応で満たされなかった私の不安や心配事に沿って具体的に事例を挙げて解説とアドバイスをもらえました。ちょっぴり勇気づけられました。この九月で齢を一つ重ねました。蓄電能力の低下しつつあるスマホと自分自身がオーバーラップしてきました。そしていま私は思っています。一日一日をもっと丁寧に生きよう。丁寧に呼吸しよう。丁寧に歩こう。睡眠のほうは相変わらず浅めで熟睡できてはいませんが、ともかく熟睡は難しくても『永眠』だけはしないようにと喚起しています。
2016.09.20
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「もういいかい?」「まーだだよ」の言葉のやり取りからみなさんのほとんどが連想するのは『かくれんぼ(う)』あそびでしょう。私はこの言葉の掛け合いをかくれんぼあそび以外のほかのあそびや園生活の中で多用して子どもたちとのコミュニケーションを楽しんでいます。 例えば給食の場面やままごと遊びの中で『もう・いい・かい?』を言い換えて 「たーべ・てる・かい?」とか「おい・しー・かい?」と声をかけます。 すると子どもたちの返事は「たーべ・てる・かい?」に対して「たーべ・てる・よ」とか 「おい・しー・かい?」に対して「おい・しー・よ」といった返事が来ます。 給食の場面で、食がすすまない子や、食べることに関心の薄い子に対して、個別に食事の誘いかけをするよりもテーブルに着席している子どもたち全体に「たー・べて・てる・かい?」「たーべ・てる・よ」とか「おい・しー・かい?」「おい・しー・よ」の掛け合いをして食事の雰囲気を徐々に整えていくほうが存外効果的です。ニコニコ笑顔で食べている子の様子などを感じながら、自分もちょっと食べてみようかなというモチベーションがちょいと上向くようです。 集団保育の場面ならではの利点でしょう。 このことばの掛け合いに日々なじんでいくと、決まってバリエーションを思いつく子が出てきます。 「たー・べて・てる・かい?」「たーべ・てる・よ」とか「おい・しー・かい?」「おい・しー・よ」に対して 「たー・べて・てる・かい?」「たべて・なーい・よ」とか「おい・しー・かい?」「おいしく・なーい・よ」 というバリエーションです。反対言葉を面白がっています。どうやらこの傾向には普遍性があるようで、今から40年前の子どもたちの中にも、そして今現在目の前の子どもたちの中にも同様の楽しみ方が見られます。面白いですね。 好きな歌でも歌詞の一部分を反対の替え歌にして楽しんでいるのを聴いたことがありますか? これが幼児さんや学童さんになると例えば『うみの歌』を ♪うーみーは ひろくない おおきーくない つきがのぼらないし ひがしずまーない♪ かなり高度な楽しみ方ですから1~2歳児クラスあたりのレベルではせいぜい 「たべて・なーい・よ」とか「おいしく・なーい・よ」のようなアレンジを充分面白がっているのです。 実際に食べていないよと報告しているのでもなく、おいしくないよと不平を言っているのでもありません。たんなる言葉あそびですから、正面切って訂正させたり小言を言ったりせず、一緒に面白がって、いなしてその先へと誘います。「え~、ほんとかなぁ」とか「まぁ、そうおっしゃらずにおたべなさい」「どれどれ、たべてみましょう。うっわ、おい・しー。たべてごらん」このバリエーションもいろいろです。会話のやり取りを楽しみつつも、食事そのものを味わってもらえるように雰囲気を整えます。 さて、再び「もう・いい・かい?」「まー・だだ・よ」のやり取りの話題に戻しましょう。 今度は子どもさんの側に「もう・いい・かい?」と言わせて、私のほうが「まー・だだ・よ」と返事をする場面があれこれあります。 おトイレで、おむつの中にウンチをひりだした子どもさんのおむつ交換の場面がその一つの例です。 子どもさんもいろいろですからお尻の周りの汚れをおしりふきシートできれいにぬぐい取るまでの間、じっとおとなしくしていてくれる子もあれば、じっと待ち続けてくれないお子さんもいます。暴れられたりしたら厄介で、うっかりすると仕事が増えるような場面展開さえ起こりかねません。 そこでじっとし続けてくれそうにない子のうんちの始末のおむつ交換の時などには私は子どもさんにリクエストをします。 「ねえ、『もう・いい・かい』っていってくれる?」子どもさんのほうもこの言葉の掛け合いには耳慣れていますから実に素直に「もう・いい・かい?」って言ってくれます。 これに対して私は「まー・だー・よっ」とか「あと・ちょっ・と」とか「もう・すこ・し」とか 「あと・ちょっ・とね」とか「もう・すーこ・し」とかお尻拭きの進展具合によってバリエーションを凝らして返事します。 「もう・いい・かい?」「「まー・だー・よっ」のワンクールで事が済まない事態の時には 「もういっかい『も・いい・かい?』ってきいてくれる?」と仕切り直しをして時間調整をし、めでたく「はい・おーし・まい」と宣言します。10人中10人の子が暴れずにうんちの始末を付き合ってくれます。 「さっ、あそぼっか」と背中をそっと送り出します。水を得た魚のように自分のやりたいあそびに向かって飛び出していきます。その背中を見送るのって実にいい心持です。
2016.07.23
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ここは保育園の中にある一時保育室です。1歳児と2歳児が同居している縦割り空間です。毎日登園してくる子どもさんの顔ぶれが変わります。一週間に一回登園のお子さんもいれば、週に3回登園しているお子さんもいます。保育室や保育担当者(職員)との慣れ具合もまちまちです。一泣きもせず、ワクワクと登園してくる子もいれば、大泣きする子もいれば、きょとんとしている子もいます。 子どもが、登園し母との別れで泣いているとき、ここはどこだろう(?)という感じでキョトンとしているとき、遊びを見つけ出す前の暇そうにぼうっとひているとき、おもちゃの取り合いで、おもちゃを取られてかなしい・くやしいと泣いているとき、いろいろな場面で私は「はいどうぞ」と何か見繕って手渡しします。そのことで気が紛れたり、ちょっとした気分転換になったり、狭くなっていた心持がちょっぴり広くなったりします。「さあ、あそぼっか」といざないます。 1歳の子どもさんが最近覚えた「どうぞ」で、私におもちゃを手渡してくれる時、気持ちを込めて『ありがとう』と受け取ります。そして、それをまたその子に「はいどうぞ」と手渡します。その子も「ありがとう」のしぐさをかえしてくれます。ささやかなやり取りですが実になごやかでいいもんです。 積み木の箱を前に、一つ一つ取り出しては、ポイ、ポイ、ぽいっ…とあそんでいます。みごとな散らかしっぷりです。箱の中はとうとうからっぽです。そうかと思うと、箱をひっくり返して中身を丸ごと一気にぶちまけるあそび方の子どもさんもいます。ちらかし界の横綱です。 「さあ、おもちゃを片付けておちゃ(水分補給)をのみましょう」とよびかけます。♪おかたづけ♪、の歌なんて歌いません。片づけた先に何が自分たちを待っているのかという見通しを示して子どもさんが納得してかたづけられる生活感覚を大事にしたいのです。 教育の最終目標が自己教育にあるのと同様に、『しつけ』を大人が子どもさんに押し付けるのではなくて、子供の心の内側に芽吹いてくる生活感覚こそが自分で自分をしつけていくのです。 片付けに興味を持ちだした子どもたちがそばに寄ってきます。丁寧に戻す子。大胆にポイ、ポイっとワイルドに入れる子。自分こそが入れたいと一つのおもちゃを二人で取り合いになるとき、形勢の不利な子のほうに、あるいは無理やりに取ろうとしている子のほうに「はいどうぞ」と同類の別のおもちゃを手渡します。それぞれのお子さんの「かたづけたい」の気持ちの満足を だいじにしてやりたいです。 あいさつ代わりに「タッチ」といって手のひらと手のひらを合わせます。私は手のひらを大きく広げて待ち受けます。子どもさんが「タッチ」といいながら触れてきます。手を合わせられてにんまりと満足げに微笑みを返してくれます。これもまた「はいどうぞ」のすてきな贈り物です。ちょうちょうが花びらに触れるようなタッチもあれば、力強い目いっぱいのタッチもあれば、もっと高い位置にしてよとハイタッチをしたがるお子さんもいてタッチもいろいろです。 贈り物には贈り物効果というものがあるようで、人の心を和ませ、ちょっぴり幸せな心持にしてくれます。「はいどうぞ」は私の好きな贈り物(プレゼント)です。
2016.07.08
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劇団車輪のわく~Rim~主催ろうどくかい声と心の空間日時 2月27日(土) 13時開場 13時30分開演 入場無料 場所 幸手南公民館にて あまんきみこ作 本「車のいろは空のいろ」シリーズより 運転手松井さんの不思議な世界をお届けいたします。 出演 高岩靖典 いなむらひさえ いしざこひろこ いしざこゆうな 坂下かの どんぽのばぶ 上田みつ子 こちらの劇団への客演は今回が4回目です。 最寄り駅 東武日光線「杉戸高野台駅」下車徒歩15分 東武日光線「幸手駅」下車徒歩15分
2016.02.08
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第7回ワンコイン朗読会のご案内1月30日(土)13:30会場14:00~開演今回の作品は第一部 (宮沢賢治・作) 『セロ弾きのゴーシュ』第二部 (宮部みゆき・作)『神無月』 他会場 日替わりオーナーの店『押立カフェ(旧ティールームSAKAI)』南武線矢野口駅下車徒歩10分/稲城市押立945-9昨年1月より、年6回ペースで産声を上げた「ワンコイン朗読会」です。はや二年目に入り今回で第7回です。当初は向こう二年間のプランでプログラムを組みましたが、途中から『目指せ100回朗読会』という企画に改め17年計画の朗読会に修正しました。そこで朗読会全体を今年から二部構成に改めました。前半・第一部…『ワンコイン朗読会』の部です。後半・第二部…『朗読広場』の部です。第一部は朗読を聴いて楽しみたい人のための時間帯です。第二部はご自身が朗読をしたい人、朗読を皆さんに聴いてほしい人たちの発表の場としての時間帯です。小さな会場ですので要予約で願います。
2016.01.10
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前々回ご紹介したラジオドラマが再放送されます。JFN38局(TOKYO FM 系列)で再放送決定!webmaster (2015年10月20日 10:30) 平成26年度の文化庁芸術祭賞大賞を受賞した「鉄の河童」ですが この度、JFN38局での再放送が決定いたしました。 放送時間は、2015年10月31日(土)14:00-14:55 です。 (SATURDAY MUSIC LAB. は休止)
2015.10.22
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今年の夏、私なりの被災地支援活動の一環として『福島の子供in伊豆』というプロジェクトのボランティア・スタッフとして参加してきますので、その間ブログをお休みいたします。
2014.07.30
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伝えたい思いは『おいしいね』です。だから、頑張らせないでね。 もうちょっと丁寧に言うと、あなたにとって「次世代の子供たちに伝えたい言葉と心持ちは何ですか?」という問いかけです。この自問自答を試みます。子どもたちに伝えたい言葉として、『挨拶』は勿論大前提ですが、その次のステージにお招きしたい言葉は『ありがとう』と『ごめんなさい』です。とかく『形』で教えたり教え込もうとされがちですが、肝心なのはその心持をどう伝授し切れるかの一点にあります。この『ありがとう』と『ごめんなさい』を的確に使えれば人生のあらかたを円滑に送れると考え信じ、子どもたちと関わってきました。あわせもって、『ありがとう』と『ごめんなさい』を程よく使いこなせないが故に損をしてきている大人たちにも沢山出会ってきました。実にもったいない話です。さてそして、最近、偏食傾向(?)のクッキリとした子どもたちとの食事介助の場面で彼らと付き合っていて学び気付かされた言葉があります。それは『おいしいね』です。『野菜嫌い』だとか『お肉嫌い』だとか、その『嫌い』の中身は単に『食べず嫌い』だったり『思い込み』だったりもするのですが、それはさておき、この時私の中に禁句があります。それはその食材を『頑張って食べなさい』です。この言葉と概念はこの地球から絶滅させたいほどの概念です。凡そ、食材とか食べ物は『頑張る』対象ではないのです。ところが大人たちは安易にこの言葉を使います。親も含め、教育熱心を自負する大人たちは特にそうです。頑張るべきとか、頑張らせるものとして捉えたりそのようにかかわっているあまたの大人たちに、私は諫言します。『そろそろその考え方卒業しませんか?』子供に頑張らせて、その結果その子がそれを嚥下したとしてなんの幸せが待っているのでしょう?自分の関わりによってこの子はこの食材を食べるようになった…という“自分は全うに仕事していますよ”という心持ちになれる自己満足以外には何もありません。子ども達に何かを伝えたいとか伝えようとする時に子どもから『いやだ』と拒否される、もしくは子どもの側に『いやだ』と言える余白が保証されているときに初めて『保育』も『教育』の指導が本当の意味で成り立つのです。嫌だという抵抗のないままに成り立ったら、それは一見「保育や教育」に見えますが本質的には『飼育』なり『調教』でしかないのです。『子育て』でもおんなじです。人が人として育つダイナミズムはそこにはないのです。仮に「食べず嫌い」だったとしてもいいじゃないですか。いずれ遙かな年月を経て『これって、結構うまいんですね』と感動に出会える日はいつかきっと訪れます。「これ、おいしいよ。たべてごらん」とすすめて、子どもの側から一筋縄でいかない『いやだ』を食らったら、躊躇しつつもその拒否を面白がりましょう。そして、その子が『おいしいね』という言葉を獲得するかもしれない遙かな道のりを思い描いて付き合いましょう。『おいしいね』と感じ取れるような食事場面や食材そのものとの出会いを粘り強く創り出せたらいいのです。仮にその子が獲得した『おいしいね』が誕生して、その子の人生まるごと90年の中で生涯一体何度『おいしいね』と言いながら生きてくのでしょう。そこに今、関われているとしたらすごいことだと私は興奮します。
2014.07.25
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ごりちゃんとりらちゃんのサイクリング ごんごり川の土手の道が、今月新しく「サイクリング専用の道」に整備されました。そこでごりちゃんとりらちゃんはサイクリングに出かけました。 ごんごり川の土手の道 チリリン チリリンとベルを鳴らし元気よくペダルを漕いでいくごりちゃんとりらちゃんです。風がとっても気持ちいいです。すると、その風に交じってとってもいいにおいがします。甘いバニラエッセンスのような香りです。ごりちゃんはペダルをこぐのを止めて大きく息を吸いました。「りらちゃん、なんかとてもいいにおいがするよ。」「ほんとうだ、どこからにおいがくるんでしょう」「しらべてみよう」二人は自転車から降りました。「あっ、このきからいいにおいがしてくる」その木には名札がついていました。「なんてかいてある?」「えーとね、『カラクニオガタマの木』だって」「へえ~『カラクニ・オガタマ』かあ」ごりちゃんはもう一度、思いっきり花のにおいをかぎました。「ほんとうに、いいにおいだね」アイボリーホワイトの小さな花びらがばらばらになって、木の根元に沢山降り積もっていました。 「これおみやげにしよっか」「うん、ママきっとよろこぶわ」二人は花びらを手のひらいっぱいに拾うとポケットに詰めました。「ちょっときゅうけいしよう」 ゴリちゃんとリラちゃんはロクジ大橋の南側のごじが土手に寝転んで、思いっきりぐぅ~んと手足を伸ばしました。「はああ~あ~」「いいてんきだね」 二人が空を見上げていると空がお話をしてくれました。それはこんなお話でした。 白い雲が そらに ぽっかり とありました。「あるある、あのくものことだ」風が ぷふぅっ と吹いてきました。「あっ、ふいてきた、ふいてきた。」白い雲は ふわぁっ と押されて 驚いて「うひょっ」と言いました。「うんうん」白い雲が 空に ふわぁ っとありました。風が ぴゅ―ぁあ と吹いてきました。白い雲は びよぉおお っと押されて面白そうに「わ~~い」と言いました。「うんうん、それから?」白い雲が 空に びよぉおお っとありました。風が だばぁああ と吹いてきました。白い雲は どひゃぁあ っと押されて「あれ~~」と言いました。「うんうん、それから それから?」白い雲が 空に どひゃぁあ っとありました。白い雲のおなかに ぽっかり と穴ぼこがあいてしまいました。風が ぴろぴろぴろぴろぉお と吹いてきて「とんねる くぐってもいいですか」と訊きました。「うんうん、それで それで?」白い雲は「ちょっとだけならいいですよ。・・・ひゃぁあ~、くすぐった~い」といって体をねじりました。風は「でられなくなっちゃったよぉお」って言いました。白い雲と風は「わっはっはっは」って笑いました。 お・し・ま・い ごりちゃんとりらちゃんは空に向かってパチパチパチと拍手して大きな声で『はっはっは』と大笑いしました。「そらさん、ありがとう。おもしろかったよ」「じゃあ、またね」ごりちゃんとりらちゃんはまた自転車に乗って土手の道をチリリン チリリンと走っていきました。 ~お・し・まい~
2014.07.18
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ばぶさん童話 新シリーズ『5匹の仔豚とオオカミ』集より 創作メモ◆5ひきの仔豚と狼の名前と性格長男ぶた……ブァ太郎・・・のんびり屋・気は優しい・まとめ役二男ぶた……ブィ次郎・・・めざとい・アイデアマン三男ぶた……ブゥ三郎・・・理屈っぽい・思慮深い四男ぶた……ブェ四朗・・・ちょっとあまえんぼ・まけずぎらい末妹ぶた……ブウ子・・・・しっかりもの、がんばりや オオカミ…… のうてんき、ばかちから、いつでもポジティブ 時たま本能が顔を出す(本音は仔豚を食いたい) まだ名前がない 第2話 5ひきの仔豚と狼の『お家づくり』 (2/5回) (3) しゅらしゅらしゅっしゅ 次の日5ひきの仔豚はとっても早起きをしました。そして張り切って屋根を作ろうとしました。「だめだぁ、ざいりょうがたりないや。」とブァ太郎君が言いました。「きのうはしらとかべをつくるのにみんなつかってしまったから、やねはできないよ。」とブゥ三郎君が言いました。「そうだ、わらをあつめてきてわらのやねをつくろう。」とブィ次郎君。「うん、そうしよう。」 わんさかわんさかわらはこびわんさかわんさかわらはこびうんとこどっこいわらはこび わらわらわらわもわらはこびわらわらわらわもわらはこびわっしょいわっしょいわらはこび お家の下まで運んでくるとひと束ずつ藁を放りあげました。 「そらいくよ、ぽい。」とブェ四朗君が張り切って投げましたが、ぴゅ~~ん、ぽとり。屋根まで届かないで落ちてきました。「あららら、だめだめ、もっとちからをいれて、もっとたかーくなげて」「こんどはぼくだ。いっくよー。えい・やぁー・たぁ~あ」とブァ太郎君が元気いっぱいびゅーん。わらはお家をおおきく飛び越えてしまいました。「れれれれ、だめだめ、ちからのいれすぎだよ。」とブゥ三郎。「よーっし、こんどこそ。とりゃ~あ」「ナイス・キャァ~~ッチ。いいちょうし。もういっちょ。」「ほらいくよ、よいやさのぽーい。」「こりゃさのっキャァ~アッチ。いいかんじ。」 しゅらしゅらしゅっしゅとやねづくりしゅらしゅらしゅっしゅとやねづくり 5ひきの仔豚が沢山の藁を運び上げるとそれはそれは立派な藁屋根があっというまにできました。 藁屋根と板壁でできた立派なお家が完成しました。「ちょっときゅうけいしておちゃをのもう」5ひきの仔豚はほうじ茶を飲みながら次は何をしようかと相談しました。 (4) ぺたぺたさっさ ぺたぺたさっさ 「おうちのそとかべにペンキをぬろう」とブィ次郎君が言いました。「なにいろにぬろうか」5ひきの5ひきの仔豚は自分の一番好きな色を言いました。「あかがいい」とブウ子ちゃん。「あおがいい」とブェ四朗君。「きいろとむらさき」とブゥ三郎君。「ぴんくとちゃいろ」とブィ次郎君。「ぜったいみどりがいい」とブァ太郎君。そこでみんなは自分の好きな色のペンキで一番塗りたい場所に塗りたいだけ塗りました。 ぺたぺたさっさとペンキぬり ぺたぺたさっさとペンキぬり最初は調子よくカラフルに塗れていましたが、だんだんいろいろな色が隣同士混ざり合って、全部塗りきったときには何と表現していいか判らないような灰色になってしまいました。それでも5ひきの仔豚は満足して「ばんざーい。かんせいだあ」「ひとやすみしよう」「つぎはゆかをつくらなくっちゃ。ゆかのつぎにはなにをつくろうか?」「ぼくはテーブルをつくる」「ぼくはいすをつくりたい」「ぼくはねぇ・・・5段ベット」「ぼくはすてきな絵をかざれる額縁をつくる」「じゃあぼくは・・・スプーンとお皿にしよう」こうして5ひきの仔豚は何日もかけてお家の中身を作り続けました。 ~つづく~
2014.05.05
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『痛いのいたいの飛んでけ~』乳幼児を相手の仕事(保育の臨時職員)をしていますから、保育中に子供さんがこけたりすると、代弁するというわけではありませんが瞬時に「痛い」と声をそのお子さんのその痛みに添えます。すると、大概のケースではそのお子さんの痛みは『半減』まではいかないにしても、かなりのレベルまで軽減するようです。そして「痛かったねぇ~」と言葉をかけつつ痛いところを掌でさすってやるなどすると痛みはさらにその半分ほどに小さくなるようです。人間の手のひらには癒しの効力があるところから古来「手当」という言葉が生まれたと聞きます。(もっともそのお子さんと私との気持ちのつながり具合によっても効果は大きく左右されます。言葉が届く関係を創れているかがその分かれ目です。)そしてトドメは『痛いのいたいの・飛んでけ~』です。この『飛んでけ』の時にどこへ飛んでけなのかによって、遊びの局面は新たに展開されます。たとえばエイちゃんがこけて泣いたとします。保育中であればその『痛い現場』のご近所に居合わせたほかのお子さんのビーちゃんとかシーちゃんなども巻き込んで『痛いのいたいのシーちゃんのお尻にくっつけ』などとボディーアクションにメリハリつけて痛いの飛ばします。たいがいシーちゃんは「痛いのいたいのばぶさんのおしりにくっつけ」と切り返してきます。痛いのが私のところまで飛んでくるタイム・ラグを微妙に加味して「痛ってぇ~な…えい!」と刺さったと見立てた「痛み」をお尻から引っこ抜き今度は「痛いのいたいのビーちゃんのおへそにくっつけ!」とかやります。そのやりとりを見ている当のエイちゃんは自分の痛かったことも忘れて「痛いの跳んでけごっこ」に仲間入りします。さて、私の痛風です。左足の症状はかなり薄くはなったものの、一昨日~昨日あたりから右足まで痛くなって、今日は両足揃って仲良く疼きます。さてさて、この痛み、一体どこに向けたら私の痛みは軽減するでしょうか?
2014.04.01
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今日は3月31日年度末の末尾ですが、気分は今日から新年度。ふっと思い立ったのが『ラジオ体操復活』ここ半年弱なぜかラジオ体操する気になれず、時にはBGMでしたが、朝日を浴びてラジオ体操。両足の裏野人差し指と中指の第2&第3関節がややはれていて右も左も痛風症状が残存していて、踏ん張れない、軽快に動けない。ラジオ体操は体調の定点観測が可能なひと時です。焦らず無理せず、スムーズに体を動かせる日が再び来る朝を思い描いて体操しました。
2014.03.31
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この間『飛蚊症』君とお仲間になったところへもう一人ニューフェイスがやってきました。『痛風』君です。3月13日に左足のひとさし指と中指の第2第3関節に赤みが差し妙に疼くという不可解な症状が出て16日にはパンパンに腫れ上がって熱を持ち、痛くて痛くて寝ていられない程でした。痛みで夜眠れないというのは人生60年間でこれが初めてでした。その後半月程経って徐々に徐々にむくみと痛みが減少しつつありますが、昨日からは今度は右足の同じ部位にも小さな痛みが感じられはじめ、今朝は右左とも同じくらいの小さな鈍痛があります。嘆いても仕方ありませんから仲良く付き合っていこうと腹を据えました。
2014.03.30
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