震災を忘れないために 0
工房便り 0
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伊豆キャンプ2019 (7/26~7/31)に参加してきました キャンプ寸描レポート 私は26日から30日までしか参加できませんでした。 途中で返ったためいつもとは反対に皆さんに見送られる初めての体験でもありました。 結果的には大きな台風の直撃も受けずにキャンプは進められました。 けれども7/26日の時点では週末には台風の影響も予測されるという予報でした。 そこで7/26の夜明け前3時30分ごろ目が覚めてしまい、 最悪のコンディションの中に見舞われた時の「雨天プログラム」を 用意しておこうとやにわに準備をしました。 ワークショップというほどのものでもありませんが雨で外へ出られないときに 子どもたちが退屈しないで済むようなサブプログラムという「制作活動」を考えました。 「ハサミ将棋の駒を絵付けして、できた駒を使って対戦する」キャンプ終了後にはテイクアウトして自宅で家族やお友達とあそびを続けられるというコンセプトです。 その為のゲーム板も6家庭分作り置きしておきました。 駒の材(直径22㎜・厚み10㎜・ブナ材)162個のサンディングは 現地で子供たちを巻き込んで仕込むことにしました。 ここまでの準備だけでも4時間半かかりました。 全員が製作するというような強制的な課題にはせず、 あくまでも興味を持った子供の「やりたい・作りたい」の気持ちに沿った 自由参加のスタイルで、「やりたいこと」の選択肢の一つにして提供する。 7/27の午後サンプル用に一組のハサミ将棋を目の前でざっくり作り 子供たちのうちの誰かの興味をそそってみました。 今年初参加の小6男子と小3男子の二人が食いついてきました。 私のサンプル品で勝負をしているうちに 「自分のチームを描きたい」と申し出があり これをとっかかりに二人のゲーム熱はさらにヒートアップ。 遊びこんでいる様子に他の子(女の子)も「私も作りたい」と 制作に取り掛かりました。 「私も勝負に参加したい」とスタッフの大人も混ざって、 いっときは広間の3か所でハサミ将棋のゲームが成り立つような 光景になりました。 駒はいわば自分のサッカーチームのようなもので 自分より強い相手を誘って挑んでいきました。 大人も子供も本気で遊んでいます。 キャンプのメイン活動の合間の隙間時間に断続して、早朝や、食後や、就寝前とかにそれこそ、『寸暇を惜しんで遊び』まくっていました。 今頃は福島に返って各家庭で家族も巻き込んでキャンプの余韻に浸りつつ ハサミ将棋を楽しんでいることでしょう。 28(日)の川遊びは台風の影響も想定されたため 急遽隣町の稲取の海辺のプールに隣接している磯部の潮だまりで遊びました。 シュノーケルを使って泳ぐ大小の魚の姿を追いかけ見たり、岩場でカニを追い回したり、濃厚な遊びのひと時でした。 帰路は町営の温泉施設で入浴をして宿舎に戻りました。 29(月)は自由行動の時間帯を挟んでみんなが集まった午後からは 地元のSさんのバルンアート(子供たちからは風船おじさんと 慕われています)のパフォーマンス、飛び入りのボランティアさんの誘いで 摘んだばかりの茶葉をモミモミ手もみして「紅茶づくり」体験、地元で活躍している作家さんのパフォーマンスの『伊豆に生息している昆虫』のお話。 30(火)夜に向けてのワークショップ『ランタンづくり』 今回のばぶさんのお話タイムはキャンプ期間中に都合4回上演しました。 29(月)の夜公演は子どもたちとボランティア参加の地元の方々なども含めての 朗読会でした。 演目はばぶさん脚色バージョンの「王様の新しい服2019」を語りました。 https://www.youtube.com/watch?v=AFQvZC22ves&t=18s 恒例のバブカフェは26(金)の夜から30(火)の昼前までに119杯の ドリップ珈琲を提供しました。今回は8種類のコーヒー豆&粉を持ち込みました。 付き添いの親御さん、厨房の裏方スタッフ、地元のボランティアの方、 取材に来られた役場の職員などの来訪者、 それぞれコーヒーのテイストを案内書のプリントを読んで選定したり 「マスターにお任せ」したりというような感じで味わっていました。 コーヒー好きな方はお替わりに粉を変えて3杯4杯と楽しんでいました。 今年は8種類全部を制覇した方はおられませんでした。 去年一昨年参加した学童の中にはお母さんに珈琲を淹れたいとメジャーカップで豆を計量しコーヒーミルで豆をガリガリと粉に挽ドリップして『はいどうぞ』とふるまっている子もいました。大きな付加価値のついたコーヒーの味は我が子の成長ぶりも反映した特別の味わいだったことでしょう。
2019.08.01
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保養ネットよこはまイン河津古民家 伊豆キャンプ2019 (7/26~7/31) いよいよ明日(7/26)から始まります。 2019保養ネットよこはま・第7回イン河津古民家・伊豆キャンプです。 河津町いりあい村の古民家はオーナーの菊池文代さんが亡くなられ次の手に渡りました。が、娘さんの菊池すおさんの介在で今夏も借りられることになりました。 保養ネット・よこはまは、福島に暮らさざるを 得ない方々に保養の機会を提供したいとこれまで7年間続けてきました。 私ばぶは今年で6回目のボランティア参加です。 ばぶは7/26~7/30までボランティア参加します。ばぶカフェ今年も開店! もちろんお話しや工作も。お話しおじさんは26,27,29の3夜公演です。 政府の帰還政策は棄民政策だともいわれます。 今後ますます保養が必要と思われるのに逆行しています。 初めての参加者が3家族あり、全6家族です。年々長期間過ごせる家族が減少傾向のこともあり、今回は5泊6日で計画しました。 ~日程~ 7月26日(金)自由行動 27日(土) 〃 28日(日)川遊び(天候次第) 29日(月)ワークショップ(地元のかた、ばぶさん、宮田さん、) 30日(火)自由行動、海遊び? 31日(水)帰宅
2019.07.25
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保養ネットよこはまイン伊豆河津古民家キャンプに参加(ばぶさん報告その2) ●二槽式洗濯機大活躍 このキャンプの居住空間には二槽式の洗濯機があります。 今ではリサイクルショップなどを回らないと見つけ出せなくなっている代物です。 毎年のことですが、洗濯槽と脱水槽が独立して動きますから次々リレーできます。 全自動の洗濯機ではこうはいきません。 たくさんの所帯の洗濯物をひっきりなしに次から次へと洗濯していく二槽式洗濯機に私は表彰状を贈りたいです。そんな思いを込めて昨年は洗濯槽のゴミ取り部分のメンテナンスをねんごろにいたしました。自画自賛ではありませんが、昨年以上に快適に洗濯がはかどるのはそのせいです。 また洗い物の量や汚れ具合でデジタルではないアナログの細かな時間調整が効きます。 『全自動洗濯機』は家事の手間を省いて省エネ化の果てに生み出された電化製品の象徴の一つです。全自動というあなた任せの機能は、思考放棄のライフスタイルをどこかで誰かに取り込まれてはいないでしょうか?要チェックですね。 一見便利な全自動洗濯機の機能は、エンドユーザーの脳みそ内で瞬時にプログラミングされる機能に太刀打ちできません。自分の脳みそで身の丈サイズのプログラムを自分で立てられる思考能力や着眼の感性はぜひ子どもたちに伝授したいものです。 生活のありようは本来フレキシブルで臨機応変な世界なのです。
2018.08.03
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保養ネットよこはまイン伊豆河津古民家キャンプに参加(ばぶさん報告その1) 東日本大震災(2011/03/11)の翌年2012年の夏から伊豆の河津町のいりあい村の古民家をベースに保養ネットよこはま主催の保養キャンプも今年で7回目を迎えました。 福島県在住の子ども達とその家族を伊豆に招いてゆったり保養していただく8泊9日のキャンプです。 今年は参加者の都合もあり7/26(木)~8/1(水)の6泊7日のショートキャンプでした。 今年のキャンプは家庭の都合や子供さんの体調などから直前にキャンセルが一組ありましたので、最終的には4家族子供9名大人5人の参加でした。メインスタッフが3人、ボランティアは20名前後。 私は2013年のキャンプから続けて6年目のボランティア参加です。 日程的には途中台風の接近などあったキャンプでしたが、ともかくは事故なく、怪我や病気も無く、無事、楽しい中で幕を閉じました。 今年も初日から初対面の子どもも含めて「ばぶさん」と呼んでもらえて嬉しかったです。 昨年10月に脳卒中をした為多少へこみ気味のばぶさんでしたが、本来のばぶさんに戻れた6泊7日のキャンプでした。 今年は町田の図書館から10作の紙芝居を借りてきてキャンプに臨めました。 「紙芝居屋のおじさん」バージョンのばぶさんでした。 子ども達からの上演希望があれば夜寝る前のひと時だけでなく、朝の学習タイムの前や昼下がりなどにも可能な限りリクエストに応じました。 雰囲気づくりには手遊び、わらべ歌遊び、自作の童話「ごりちゃんとりらちゃん」より抜粋 毎回上演直前編成の「にわか『出囃子』隊」3人ないし4人構成のイントロ生音。これが結構ドラマティックでわくわくさせられます。 上演した紙芝居 ・おうさまさぶちゃん ・ごきげんななめのコックさん ・ひよこのろくちゃん ・こぶたのマーチ・金のガチョウ ・じごくけんぶつ ・たべられたやまんば ・うりこひめとあまのじゃく など ◆大人のためのお話会今年は「もちもちの木」(斎藤隆介・作 滝平次郎・切り絵) てづくりワークショップは「世界にただ一つのバッジを自分の絵で完成させよう」 をほかの活動の合間に展開しました。 この他に子どもたちは、うどん作り、おやつ作り、パスタづくり、夏ミカンのジュース絞り、ヒップホップダンスのワークショップ、ランタンづくり、かわあそび、おんせん、すいかわり、虫取り、花火、星空観察などなど…こうして書き出してみると盛沢山に体験しましたね。 恒例の「ばぶカフェ」今年は126杯のドリップ珈琲を入れました。 茜珈琲さんのスペシャルアイスコーヒーも結構人気でした。
2018.08.02
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東日本大震災から丸7年 2011/03/11から丸7年と一日の朝です。昨日03/10は東京大空襲でした。どちらも「忘れてはいけない」「なかったことにしてはいけない」と思って暮らしています。けれども、あらかた忘れている日々です。忘れていても思い出すきっかけになるものを多く取り込んでおけば思い出しやすくなります。が、思い出し方がワンパターンにならないようにしておくことが大事です。思い出しやすいようにアンテナ3本たてて、感じ取り方や受け止めていたものを再度作り直すようなるべく多面的なアプローチで繋げるように努めています。被災したエリアはあまりに巨大ですから、全体を俯瞰するのはなかなか困難です。ですからちっぽけな私はここでも『蟻がリュックしょって富士登山』の状態です。 あの日「ここ」では何があったか、「そこ」はどうだったか、そしてそれが「今とどうつながっているか」小さなドットとドットを結び付けさらに小さなアンテナを逐次伸ばして心に留めるようにしています。
2018.03.11
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ドキュメンタリー映画 一陽来復 昨日(3/4)有楽町の映画館で、ドキュメンタリー映画「一陽来復」を見てきました。次の日曜日は3/11、東日本大震災の日からちょうど7年目を迎えます。私も2011年の6月以来、福島・宮城・岩手へ23回足を運んできましたので映画の中に実際に訪ねて行ったことのある土地や人々の映像をいくつも見て、復興にはまだまだ手間暇のかかることをあらためて思いました。とりわけ人の心の復興にはこれから先も思いを寄せ続けて繋がり続けていこうと思いました。
2018.03.05
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今年一年で、沢山の善意が480個の折紙独楽となって集まってくれました。私が5個一組のモビールに組み上げ全部で96セットできました。 一昨日大船渡へ7セット陸前高田に追加の6セット送りました。 昨年秋から始めたこの活動、お陰様で無事、福島、宮城、岩手その他の地に送り届けることができています。 来年も引き続き活動していきますので、皆さんのご協力ご支援を宜しくお願いいたします。
2017.12.02
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(7/25~8/2)『2017 福島の子どもキャンプ in伊豆』というのが正式な名称のようですが、今回8泊9日の全日程にボランティア参加できた『ばぶさん(私)が見たもの感じたもの、そして考えたことなど』を徒然に綴っていきます。 ◆命のバトンリレー私を産んでくれた母は昭和2年(1927年)生まれ、今年の6月で満90歳になりました。90年も生きてるという事実はすごいと思います。私は1953年生まれですから今年の9月で64歳になります。「母は今年いくつになっただろうか」とふっと判らなくなることがしばしばありますが、そんなときには、『母は26歳で私を産んでいるから、自分の年齢に26を足せば…』と足し算をすると母の年齢が判ります。1953年生まれの私、つまり、20世紀のまん中あたりに生まれた私が21世紀に生きているのです。今年産まれる子は2017年生まれです。あと84年(84歳)生きれば22世紀まで生きていきますね。84年間は90年より短いです。私たちはせいぜいあと30年そこそこの寿命でしょう。私が「保育」という仕事を通じて今向かい合っている目の前にいる3歳の子が、今の私と同じ年になるにはあと60年。さて60年後には原発事故の後始末はどこまで進んでいるでしょう?22世紀に入っても残念ながら20世紀が生んだ「負の遺産」「核のゴミ」の始末「原発事故の後始末」の諸問題は存在し続けるでしょう。問題解決に向かっては様々な人材が求められてきます。 今、事故現場で稼働しているロボットよりももっとはるかに優秀で精密なロボットを開発設計できる科学者や、描かれた図面通りに寸分のたがいもなく製作できる技術者や職人や、出来上がったロボットを自分の身体の一部の如くに操作運転できるオペレーター、ロボットの異常を即座に見つけ出し正確なメンテナンスを不断なくできる整備士、事故現場で突発する緊急事態に対してこれを俯瞰して全体況を把握し的確な指示を各部署に出せる現場監督、日々の作業でくたびれ空腹をみたす食堂でおいしいご飯をとびっきりの笑顔で配膳できる人・・・・・。子どもたち一人一人が、持って生まれた持ち前の特性や個性を磨きのばして様々なポストで力を発揮していける時代を思い描きます。困難な状況の中でも、決して簡単に諦めたりしないで、粘り強くしぶとく生き抜き「原発事故」などの後始末の問題に立ち向かっていける感性はどのような子供時代のあそび体験の蓄積の中で育っていけるのだろうかなどと考えつつ『保養ネットよこはま』の保養キャンプの活動に加担しています。 (終わり)
2017.08.11
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(7/25~8/2)『2017 福島の子どもキャンプ in伊豆』というのが正式な名称のようですが、今回8泊9日の全日程にボランティア参加できた『ばぶさん(私)が見たもの感じたもの、そして考えたことなど』を徒然に綴っていきます。 ◆食事担当者の苦労と頑張り 衣食住という言葉がありますが殊更「食」を担っているスタッフとそのボランティアスタッフのご苦労は半端ではありません。献立立案と食材の手配と発注の煩雑さの苦労にもまして、ひたすらに「福島の子どもたちとそのご家族の人たちに『安全でおいしい食事』を提供したい」という情念の強さと志の高さ、こうした思いに打てば響くような協力の輪が周囲から波紋のようになって結集してきます。呼応するネットワークからの物心両面からの支援の思いが託されて様々な食材が届き調理されます。あてにしていたものもあれば、予期せぬような食材と予期せぬような量の贈り物。これらの善意を一つも無駄にすることなく日々の献立の中になじませていきます。すばらしいセンスと御苦労の極みです。 私は4年前の初参加の時から「ばぶカフェ」というコーナーを担当し福島のお父さんお母さんたちに『ドリップコーヒーでほっと一息寛いでもらおう』と提供してきています。私が贔屓にしている珈琲豆焙煎専門店のご主人が、私のやっている支援活動のあれこれに共感して、珈琲豆を4年間無償で提供し続けてくれています。6種類から7種類の豆(粉)が用意されますので、皆さんその時々の好みや関心で豆を選びコーヒーブレイクを楽しんでくれています。今年は福島のお父さんお母さんに加えて『食』の下支えをしてくれている厨房担当のメンバーに、コーヒーで元気回復の応援をしたく、食事の準備や後片付けなどの作業の進捗状況を読み取りつつ例年以上に絶妙のタイミングでドリップコーヒーをお出ししたいと試みました。 今年は8泊9日で144杯のドリップコーヒーをお淹れました。昨年一昨年と比べると約50杯ほど少なかったのですが、その理由は今年の場合いりあい村の敷地内で自然に実り収穫された産地直送のレモンや、河津町町内の支援者のお宅で実ったニューサマ―オレンジなど(どれも無農薬で安心)が大量に差し入れられ、それらが、「レモンスカッシュ」や「レモネード」「フレッシュオレンジジュース」それから名前は忘れましたが…イタリヤの食後酒の『○○』という飲み物などとなって食卓をふんだんに飾った為です。「何を飲もうかしら?」という品目の選択肢が豊富になりました。震災直後の夏から6年間続けてきている保養キャンプの実践故の進化です。フレッシュオレンジジュースの絞り出しに関しては、今年中学一年となってボランティア参加してくれた男の子の大活躍があります。搾り器を操作する手つきや身のこなしが瞬く間に熟練しフレッシュジュース100%がペットボトルにして11本分もボトリングされました。 ◆地元の夏野菜や果物のプレゼントなどなど畑で取り立てもぎたてのトマト、ナス、キュウリ、カボチャ、しし唐、ミニトマト、ゴーヤ、ズッキーニなど、それに巨大なスイカの差し入れ。これに加えて、いりあい村のそこかしこで採集された「わらび」や「オオバ(シソの葉)」など。台風接近の前後で砂浜に打ち上げられた天草を採取して、この天草は水で洗って天気の良い日に天日に干して・・・を10回以上も行うというものすごい手数と日数の極みを経て、「ところてん」となって食卓にのぼりました。「福島の子どもに本物の手作りの『ところてん』を食べさせたい」という素朴な思いの結晶です。ところてんのたれは三杯酢よりも黒蜜のほうが子どもたちには人気でした。毎年定番となっている漬物(手製きうゅーりのきゅうちゃん)、お味噌汁のダシに取ったカタクチイワシの身をほぐして甘辛の煮物となって提供されます。ちょっとした生活の知恵や工夫がさりげなく示されています。こうした知恵や工夫や努力が次の世代にも伝承されて行って欲しいものです。 (続く)
2017.08.09
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第6回保養キャンプ(7/25~8/2) 『2017 福島の子どもキャンプ in伊豆』というのが正式な名称のようですが、今回8泊9日の全日程にボランティア参加できた『ばぶさん(私)が見たもの感じたもの、そして考えたことなど』を徒然に綴っていきます。 ◆参加者(初参加と再参加)今年の場合参加者は7世帯、24人、子供13人、大人11人でした。その内、初参加(デビュー)が3世帯、リピーターが4世帯でした。富や幸せの分配という視点から考えれば毎回初参加者のみで構成されるというスタンスであっても良いとは思いますが、保養を企画運営する人たちからは「適度にリピーター家族と初参加家族が入り混じっている構成であるほうが受け入れる側としては苦労が軽減されて助かります」というお話しでした。保養キャンプを呼び掛けて参加者を募るのですが、毎年なかなかのご苦労があります。日頃はそれぞれ別の場所で別々の暮らしをしている人たちがにわかに集団を構成するのです。楽しい企画の保養キャンプですが、「楽しい」「楽しい」「楽しい」の連続では疲れて体調を崩したり、ケガや事故を招いたりしてしまうもの。◆お話し会子どもたちの興奮と鎮静の見極めや調整が肝心です。「ばぶさんのお話しおじさん」や臨機応変に開く「ミニお話会」は保養キャンプでの生活の中に程よい変化をつけ有効です。今年の場合は大小3回お話し会を行いました。年齢の低い小さな子どもさんも含めて皆とてもよくお話を聴いてくれます。これまでお話会のような場をたまたま経験したことがなかった子がだんだんお話しの世界に食いついてくるのは面白くてやりがいを感じます。これとは別に大きな活動(例えば海遊びなど)の後先などとの兼ね合いを俯瞰して、全体の雰囲気や動向やその場全体の「気」を読み取って、時には必要に応じてツボを押さえたピンポイントの関わりも最小限取り入れます。メインスタッフの存在感が光る瞬間でもあります。◆子どもの持っている鋭さと寛容さにわか集団ですから子どもたち相互の理解も基盤が薄いです。小さなトラブルやボタンの掛け違いのような体験を通じて、その一方で、ちょびっとずつ内面的な成長を見せてくれる子どもたちの姿や変化に触れていると保養キャンプに関わる醍醐味を感じます。一人一人の子ども達の感受性や表現の傾向など読み取って子ども理解を深めて対応していくには大人たちの『複眼』が不可欠です。観たまま聞いたまま感じたままをその都度伝え合っていきます。スタッフもボランティアもここに一番のエネルギーを注ぎます。と同時に、子ども達同士だけでなく関わる大人達にとっても気付きや発見や学びの多くを得ます。 (続く)
2017.08.08
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第6回保養キャンプ(7/25~8/2) 『2017 福島の子どもキャンプ in伊豆』というのが正式な名称のようですが、今回8泊9日の全日程にボランティア参加できた『ばぶさん(私)が見たもの感じたもの、そして考えたことなど』を徒然に綴っていきます。 福島からの参加世帯は7世帯、そのうちリピーターが4世帯、今回初の参加が3世帯という構成でした。昨年参加して今年も参加したかったのだけれども様々な事情で参加できなかった子供たちもいます。参加できなかった子どもの思いも何らかの形で参加し、さらにその思いを皆さんに還元できないものかとばぶはキャンプ前から考えていました。たまたま昨年参加して今年は中学生になったことで惜しくも参加できない少女がいました。彼女は折紙でコマを作ることがとても得意です。ここ何年間か折紙独楽を沢山作って小児癌の病棟などにお見舞い品として送る活動をしてきていたそうです。ばぶは昨年福島のお宅を訪ねたときその折紙独楽を見せてもらいました。『これをさかさまにしてモビールにしたら楽しいものができそうだ』と閃いて25個もらってきました。そしてモビールに組み上げて支援活動でこれまで訪問してきた福島や宮城や岩手の保育園に昨年秋再度お訪ねしたときにお土産の一つとして贈呈してきました。そのエピソードをメイルで伝え、在庫の駒があったら東京に送ってくださいと連絡しました。そうしましたら後日段ボール箱ひと箱(約110個ぐらい)郵送してくれました。どちらの園でも好評でしたので、今回の保養キャンプでも宿舎(母屋と食堂棟の二か所)に現地で組み上げて飾りました。保養キャンプに参加した福島の人たちも、ボランティアの人たちもモビールを賞讃してくれましたので、まずは世帯ごとにさしあげられたら善い記念品になるだろうと製作を思い立ちました。中には職場やお店にも欲しいという方もありましたのでその方々にはその分も製作しました。 ◆カレンちゃんの折紙独楽がモビールになりました8泊9日の保養キャンプ期間中に、昼間も夜中も夜明け前もありとあらゆるアイドリングタイムをフル活用して結果的には16組のモビールを作り上げました。参加している福島の子どもたちの全部の世帯、そしてボランティアの人々、さらにバックアップの人々に差し上げました。さらにあと二組ほど作りたかったのですがついに体力も尽き果てましたのでひとまず製作を終了しました。次回さしあげることにします。モビールをひとつ組み上げるのに約30分、テイクアウト用の特製キャリングボックスを作り上げるのに約15分、時間に換算すると全部の作業時間の合計は約12時間強。こうなると修行僧の修練のようでした。かなり熟練しました。興味関心を持ったお母さんにはにわかミニワークショップ「モビールを作りましょう」もしました。 (続く)
2017.08.06
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第6回保養キャンプ(7/25~8/2) 『2017 福島の子どもキャンプ in伊豆』というのが正式な名称のようですが、今回8泊9日の全日程にボランティア参加できた『ばぶさん(私)が見たもの感じたもの、そして考えたことなど』を徒然に綴っていきます。 7/29(土)この日は『海であそぶ』日でした。◆海あそびその前日は台風接近の影響で海岸には遊泳禁止の赤い旗が強い風にはためいていました。「すごいうねりですね、これでは明日の海遊びは厳しいですね。」スタッフは天気予報や波情報をこまめにチェックして対策を検討し続けました。当初予定していた伊豆半島の東側(相模湾側)の海水浴場での海あそびを諦めて、河津からバサラ峠を越えて伊豆半島の西側(駿河湾側)の海岸での海あそびが検討されました。そして松崎町の岩地海岸を選定しました。キャンプ参加家族はそれぞれ車に分乗して乗用車、軽貨物車、軽トラックなど8台を連ねて移動しました。うねりが残る外海の東側と内海の西側では海の景観が全くの別世界でした。「日本のコートダジュール」と銘打った岩地海岸の海はまるで湖の如く水面は鏡のよう。波頭一つ立たないとても静かな入り江でした。毎年のことですが、地元のボランティアの方があらかじめ用意しておいてくれていたライフジャケットの登場です。それぞれジャケットを装着し波打ち際の砂浜あそびを楽しんだり、ゴムボートや浮き輪に乗っかり少し沖合いのほうへ漕ぎ出したりして海を楽しみました。海は全く初めてという子どももいて目をキラキラさせてひとあそびふたあそびしました。少々あそびに飽きてきたかな(?)という頃合いを見計らって湾の中央部の砂浜から岩地湾の北側の磯辺(岩場)に移動しました。海あそびパート2の始まりです。新たに水中メガネとシュノーケルを着用し磯に生息する小魚群を見たりヤドカリを捕まえたりしてあそびました。ちょっぴり勇気を出して磯から離れた海の中では大きめの魚もたまに泳いでいたりして、この姿を目撃できた人は「おっきい魚いたよぉ~」と周辺の人たちに興奮気味に伝え合っていました。「私、なんか得した気分」というお母さんの言葉に幸せな心持があふれていました。宿舎への帰路『踊り子温泉会館』で入浴しました。 ◆川あそび中一日置いて二日後の7/31(月)河津川で川遊びをしました子どもたちが川遊びをする河原は地元の「手つなぎの会」の方々が前日までに河原に生えたぼうぼうの草を草刈り機で丁寧に除草してくれてありました。刈り込んだ草の根元を見ればどれほどの作業量であったか想像できます。本当にご苦労様でした。沢山の人たちの縁の下の力持ちのバックアップがあってはじめてこの合宿がつつがなく成り立っているのだなぁと実感しました。 川幅は広くなったり狭くなったりしますので、それによって川底までが深くなったり浅くなったり、水の流れ方に緩急が生まれたりします。また川の流れ方も水量も日々刻々と変化します。「今年は空梅雨のせいか今日の流れ方から見て例年よりも水量が少ないコンディションだ」という説明でした。こうした川の特性への深い理解や直感が地元の人たちならではのセンスとなって子どもたちの「安全な川遊び」への万全の体制を下支えしてくれています。川遊びのエリアの末端にはロープが張られここから先の川下は急流となって危険度が高いというので冷たい川の水の流れの中にずうっと立ちんぼで漬かり続けて子どもたちのあそびの様子をひたすら見守ってくれているボランティアさんも3人いました。 さて川遊びの様子で印象深かったことが3つありました。先ずは小学生の男の子3人組です。まるで別人の如く遊びまくります。「あそびスイッチ」が入ったものか「ツボにはまった」ものか、面白さの醍醐を掴んだのでしょう。水流に段差のある瀬を『ウォータシュート』に見立てて河底の大石に身体がこすられて「痛いいたい」と嬉しく絶叫しつつ痛さも楽しみに取り込んで急流を流れ落ちるスリリングな「おもしろい」の絶頂。その勢いのままに川下のあそびエリアの際まで流され泳ぎを繰り返しました。そこからいったん河原の大石小石ゴロゴロのきわを嬉々として上流のスタート地点まで飛び跳ねるように駆けのぼり再びスタート。この連中何と13回も川下りしました。こういうあそび体験大切にしたいですね。続いては小学低学年の女の子たち、川辺の石ころを三つ四つ六つと堀りのけて底から染み出てくる川の水を温泉に見立てて遊んでいます。なんと川の水よりも日向水よりもやんわり暖かいのです。まるで「足湯」のようです。これにはお母さん方も心惹かれて満員御礼の足湯でした。そして三つ目、あんまりにも子どもたちが活き活きのびのび川遊びを楽しんでいるのでお母さん方も川流れに参戦しました。川の流れに身を任せて次々と優雅に下っていくお母さんたち、ライフジャケットは彼女たちの絶対安心の守護神です。子どもも大人も『保養』の髄でした。(続く)
2017.08.05
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第6回保養キャンプ(7/25~8/2) 『2017 福島の子どもキャンプ in伊豆』というのが正式な名称のようですが、今回8泊9日の全日程にボランティア参加できた『ばぶさん(私)が見たもの感じたもの、そして考えたことなど』を徒然に綴っていきます。 メインスタッフの考えたキャンプの活動内容の骨組みについてお聞きしました。「今年のキャンプは五日目(7/29土曜日)の海あそびと七日目(7/31月曜日)だけ決めてありますが、後の日はそれぞれの家族ごとに自由に過ごしてもらうように計画を立てました」キャンプというと期間中とかく「めじろおしの『お楽しみ』でスケジュールを盛りだくさんに構成」しがちで、主催者も参加者も時間に追われてその諸活動をこなしていくという傾向がありますが、あえてそのような計画立てをせずにそれぞれの世帯のペースでゆったりと保養を楽しんでもらうというやり方、実に極めてゆる~い考え方で今回のキャンプ全体の活動内容が構成されてありました。私はとても良い着眼点だと共感しました。 ◆主催者の基本姿勢に連動する方式でばぶさんのワークショップもお話おじさんも臨機応変に組み込んでいきました。「パズルづくりのワークショップ」は、全員が一斉によーいどんで始めるのではなく、即やりたい・作りたいと強く関心を持った子から取り組みを開始しました。いろんな子がいます。その活動に誘われて尻込みする子もいれば、取り掛かったものの途中でどうしようかなと中断し、まる一日以上考え中の子もいます。これと並行して強く関心を持った子の活動ぶりに触れさせて、それぞれのモチベーションが高まるのを待ちました。二日以上のインターバルを取った低学年小学生もいました。無理強いせず本人がやる気になるまでじっくり待ちました。やる気になってとっかかり出したその子は一気呵成に仕上げました。このような集中力の発揮体験を大切に見守ってあげたいものです。「絵付けをしよう」の誘いで絵を描くことが苦手な子には『絵』だけでなく『模様』やなぐり描きのような色遊びもありなんですよと取り組みの間口を広げました。余計な緊張を強いない配慮です。参加している子どもさんたち14人の年齢や経験がバラバラです。1歳の男の子は全く初めての体験でした。なにしろ『人生で初めてのおえかきデビュー』ですから、親御さんの感動もひとしおでした。3歳になったばかりのその子のお姉ちゃんもお絵描きはあんまりしてこなかったそうです。盤面に色が付くたびにだんだん勢いづいていく変身ぶりは新鮮でした。キャンプ全体の活動プランがゆる~いからこそこのような取り組み方が成り立ちます。『ばぶさんのお話おじさん』の上演は期間中3回やりました。子どもたち全体の興奮状態や疲れ具合などやその日の天候状態によって臨機応変の上演でした。お楽しみの隙間を埋めてここでの生活に緩急の変化を付けました。ミニお話会の会場づくりの段階から子どもたちを巻き込んで一緒に「場」を作りました。開演に向けての出囃子を子どもたち3人組で音出しをした回もありました。「さっき、ちょっと練習しました。皆さんお待たせしました。では音出し行ってみましょう。」と促しました。やや緊張した音出しでしたから、「はい、今のはリハーサルでした、それでは本番行きます。はい、どうぞ」などとフェイントをかけて会場の雰囲気を和らげました。とっても良い出囃子でした。 思い起こせば私にとって4年前のキャンプ参加は『お話おじさんの世界にやや力技で子どもたちを巻き込んでいく』ような側面もあったように思います。最初にスケジュールの駒があってそれに当てはめていくようなスタイルでした。一方、今年はまさに「泰然と子どもたちの様子に合わせてこれに応じるお話おじさん」でした。これもキャンプ全体の取り組みがゆる~いという基本姿勢故の展開でした。デジタルな計画ではなく、アナログな出たとこ勝負(?)の取り組み方は、併せ持ってはこちらの力量が問われるものでもあり、日々の暮らしの有り様は本来このような姿です。保養キャンプという非日常の8泊9日ですが、日ごろの暮らしの延長上に『保養』を思い描いた取り組みでした。 (次回のレポートは海遊び&川遊びにフォーカスしてお届けします。) 続く
2017.08.05
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第6回保養キャンプ(7/25~8/2) その2 キャンプ全体のあらまし 『2017 福島の子どもキャンプ in伊豆』というのが正式な名称のようですが、今回8泊9日の全日程にボランティア参加できた『ばぶさん(私)が見たもの感じたもの、そして考えたことなど』を徒然に綴っていきます。◆福島からの参加者は7世帯24人でした。そのうち子どもは13人(中学生二人、小学生高学年三人、小学生低学年四人、乳幼児二人)そして大人は11人(父三人、母七人、祖母一人)保養キャンプ参加のリピーター四世帯、初参加三世帯。参加の仕方はそれぞれの都合や事情により短期の部分参加であったり一日ずれて最後までの参加であったりなどで、丸々全日程参加できた人はありませんでした。全員の顔触れがそろったのは三日目の7/27でした。この他に福島県出身で他県に在住している母子一組が四泊五日ボランティアで参加しました。◆宿泊した建物河津町見高にある『いりあい村』と呼ばれる敷地内の豊かな緑の森に囲まれた建物で、数十年前に石川県から移築した漆塗りの古民家(母屋)、このほかに別棟の食堂棟があります。◆ばぶさん(私)はどのように参加したか保養キャンプへの参加は今年で四年連続です。キャンプの全日程を参加できたのは今年が初めてでした。◄ワークショップ『自分で絵や模様を描き込んで世界に一つしかないパズルを完成させよう』がメインのプログラムでした。木製のパズルの土台を14組仕込みました。1日2時間で2週間(28時間強の作業量)◄お話おじさん3回上演しました。◄アッシー君、最寄り駅までの人の送迎の足。ちょっとした買い物。 (続く)
2017.08.04
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保養キャンプでワークショップをします 7月14(金)~17(月)の4日間、久々に「モノづくり」に徹した日々でした。震災があったその年の夏から『保養ネットよこはま』は福島県在住の子どもたちとその家族を伊豆の河津町に招いて保養キャンプをしています。今年で6回目のキャンプです。私は3年目の年から今年で4年継続しての関わりです。今年は7月25日(火)~8月2日(水)まで8泊9日の全日程をボランティアスタッフとして関わります。例年子どもたちの為に『ばぶさんのお話おじさん』のコーナーと、大人の為の「ばぶカフェ」を店開きし、福島のお父さんお母さん、保養キャンプのスタッフ、地元のボランティアの方々、見学や取材に見えるお客様にドリップコーヒーをお淹れします。一昨年は195杯のドリップコーヒーをお淹れしました。『コーヒーブレイク』という時間と空間を提供します。初対面の方々同士、また一年ぶりの再会という方々が一杯の珈琲を飲みながらしばし寛ぎます。この和やかな雰囲気が実にいいのです。 今年は『お話』と『カフェ』の他に、自分で絵や模様を描いてじぶんのパズルを完成させようという「ワークショップ」も行います。そのための素材の選定と木製のパズルの生地仕上げ加工と下準備に明け暮れした4連休でした。 参加する子ども 13人(中学生2人 小学生 8人 幼児2人)は年齢も様々です。発達段階も、制作力量も大きく異なりますからたっぷり時間をかけてじっくり納得のいくような、どの子にも身の丈サイズの楽しい表現活動のひと時となるように最大限配慮を施しました。子ども一人一人が自分で仕上げるパズルですから、盤面のパズルピースのカットのデザインの全てを変え世界にたった一つのという独自性を持たせました。絵付けで仕上がるパズルには達成感や充実感が持てます。そればかりではありません。出来上がったパズルを「ばらして&組んで」のあそびタイムは作者自身が楽しめるばかりか、ほかの子どもさんとお互いのパズルを貸し借りしてパズル広場になるでしょう。13種類のパズル、どんな作品に仕上がるか楽しみです。
2017.07.20
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福島に行ってきました の続き 今回の支援の旅は12(金)13(土)14(日)の2泊3日の訪問でした。 直接現地に行くのは今回が21回目。 走行距離は790㎞の行脚でした。 福島市で3か所、田村市で一か所訪問してきました。 「森のほいくえん野の子」を訪問した後、同じ福島市内の『放課後等デイサービス むすび』という施設をおたずねしました。この施設を立ち上げた穴澤由美さんとは昨年の8月伊豆の『保養ネットよこはま 河津古民家キャンプ』で初めてお会いしました。その時彼女は「私は『障がい児が放課後過ごせる居場所』というものが見当たらないのでぜひとも何とかして作りたいと思って活動しているのです。」とお話しされていました。そしてこの春一本の電話が入りました。「居場所が作れました。4月からオープンしています」という吉報でした。そのお話を聞いてビビビと閃き「野の子に行くのでその後見学させてもらいたい」と申し出ました。話はすぐに受け入れられました。 この民間施設を立ち上げるにあたっての熱い思いの丈がリーフレットの中に語られていますのでご紹介します。 私たちの想い障がいがある子どもたちは、日常生活の中での不安や人間関係など様々なストレスを自分の力で跳ね返すことは困難です。子どもたちには、遊びや運動を通してストレスを発散させ、自信を持たせ、みんなと遊ぶことの楽しさや喜びをたくさん経験させたいと思っています。 ~遊びは!~子どもの成長を促すためにとても重要です。例えば、人との関係性や相手の思いと自分の願いを伝え合い理解し合う事、がまんする力・譲り合う力・ルールを守る等々、「遊び」には人格形成に大切な要素が含まれています。 ~運動は!~12歳ごろまでを「ゴールデンエイジ」といい、運動を通した神経系統への刺激は運動能力の向上に大きな役割を果たすと言われています。この時期を大切に考え、子どもの体力づくりに力を入れたいと思います。 ~学習は!~生活に必要な基本的な「読み」「書き」「計算」等は、子どもたちにとって大きな希求です。可能なお子さんには十分な支援を致します。 穴澤さんと歓談していて印象深かったことばは「障がい児が小学校、中学校、高校と進学し卒業した後の就労支援までを整えて、その後彼らが社会に出たときに自活できるような能力を身につけさせてあげたいのです。」彼女の思いの丈のスケールに圧倒されつつ大きな共感を覚えました。 後で気づいたのですが「森のほいくえん野の子」の園長さんの丹治さんは昭和18年生まれ、穴澤施設長さんは昭和19年生まれ、私より10歳上の人たちと何故か御縁があり心惹かれます。世代的にハングリー精神の健全な息吹を感じました。そして自分自身の10年後に向けての一つの憧れ像を得たような気がした今回の旅でした。
2017.05.16
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福島に行ってきました。 今回の支援の旅は12(金)13(土)14(日)の2泊3日の訪問でした。直接現地に行くのは今回が21回目。 走行距離は790㎞の行脚でした。福島市で3か所、田村市で一か所訪問してきました。 昨年の12月福島市の『森のほいくえん野の子』の施設長の丹治さんから「やっと認可が取れました。その節はお世話になりました」という嬉しい報告と、リンゴが届きました。私は4年前こちらの保育園に自作の木のパズルや木のおもちゃなどを復興の支援品として贈り、さらにその数か月後に『お話おじさん』として訪問をした経緯があります。 市から認可が取れたという吉報にビビビッと反応して『お祝いにパーテーションを制作して、時期はゴールデンウイークの次の週に届けよう。』というアイデアが即、閃き決意しました。 こちらの保育園は最初無認可として立ち上るため「三日後には入園説明会を開く」というタイムスケジュールの中、まさにその直前あの東日本大震災(2011/3/11)にあいました。それから今日に至るまで本当に苦しい運営の中へこたれずに踏ん張って6年間の保育実践を積み上げその実績が認められ「森の保育園野の子」は福島市の小規模保育事業B型として市から認可されこの4月から認可保育園としての新たな一歩を踏み出したのです。定員19名という枠ですが今年は12名でのスタートです。 今回のワクワクパーテーションの制作には自分でもびっくりするくらい普段以上に熱が入りました。材料の段ボールを集め、こつこつ縫い上げ、ザクザク切り抜き、ペタペタクラフト紙と和紙でコーティングして制作延べ時間41時間。材質:段ボール紙製 寸法:厚み28㎜×縦幅640㎜×横幅780㎜のパネルに○△□の大小の窓を開けこれを蛇腹折5枚連結し完成しました。 12(金)のお昼寝明け「野の子」の子どもたちはワクワクパーテーションとご対面。早速中に入り込む子ども、○窓から顔を覗き込む子、大きめの窓をトンネルくぐりして中から出てきたり外から入り直したりする子、一番端のパネルをドアに見立ててやたら開けたり締めたりする子。5枚のパネルは5角形のお家になったりUの字型になったりVの字型になったり、W型っぽくなったりして狭い空間になったり広い空間になったりと変幻自在です。子どもたちのあそびの反応ぶりがあまりに穏やかで和やかに楽しんでいる姿に私は感動して、保育時間が終わったあと2階の予備室でさらに5時間かけて和紙をもう一重貼り重ねて『念入り仕上げ』にバージョンアップしました。合計で46時間の制作時間でした。
2017.05.14
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あれから6年 あれから6年。3/11まであと3日の朝です。その日が近づいてきます。今年は例年になく心がざわついているのを感じます。6年目だから…なのか、6年経ったのに…なのか、心はその時々で揺らぎます。6年という歳月の中で見えてきたもの、ますます見えにくくなってきているものさまざまです。まるで砕けた鏡のかけらの一つ一つに映し出され垣間見える現実の片りん群。生き残った私達、ちっぽけな私に今できることは何なのだろう・・・と自問自答の日々は今日も続きます。届く情報、届かない情報といろいろです。届けてほしい情報、耳目を覆いたくなるような情報と様々です。アンテナを複数たてて志のありかをメンテナンスします。復興支援ソング「花は咲く」この歌で励まされた人もいます。一方この歌のアンサーソングとして「花は咲けども」という歌もあります。あえてURLは載せず検索キーワードとしてご案内しておきます。今後さらに年月が経つ中でアンサーソングのそのまたアンサーソングが生まれ、ささやかな希望や勇気が湧いてくるような日々にしたいものです。いいことばかりではないけれど、さりとて、悪いことばかりでもありません。『さりとて』の中に明るい光を見つけ続けていきます。
2017.03.08
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10/14~16 支援活動に行ってきました。 ~その3~復興支援活動をしている場所や人々と、支援活動している人の支援をしに10/14~16と2泊3日、宮城県気仙沼市、岩手県山田町、福島県福島市、東京武蔵野市と5か所行ってきました。 16(日)朝3時50分岩手県山田町を出発。帰路はどうしてもテンションが下がります。走行プランのノルマを決めずに『気』に任せて走ります。それに道中の蓄積疲労がどよよ~~んと全身をくるみます。『疲れたら安め』は原則ですから、「何分走行したら何分休憩をとる」といった目安の考え方にとらわれ過ぎず、またやたらな根性論は振り回さず、往路以上に遠慮なく何度でも休憩を取ります。S.A.で休憩をとって出発したもののほんの20分ほどの走行で再び休憩というのも2回ありました。 道中東京に戻るまでに、様々な支援活動を展開している人々を支援して帰ろうと思い立ちました。そこで福島市の知人と東京の武蔵野市の知人と2か所を訪ねました。 岩手の前沢インターから東北自動車道に乗り、宮城を抜けて福島に入るか入らない頃、このままひたすら東京に戻るというのも知恵がないなぁと思ってハンドルを握っていましたら突然ひらめきました。そうだ、福島市の知人を訪ねてみるというのはどうだろう、連絡を入れてみて都合がつくようなら立ち寄ってみよう…。正午過ぎ、国見のS.A.に車を止めてAさんの都合を問い合わせてみました。実に幸運なことに調整が利きましたので福島飯坂のインターで高速道路を降りました。Aさん宅は先月9月9日に民泊し、福島市内の保育園と幼稚園の2か所で『ばぶさんのお話おじさん』をしています。 (この時の詳細は9月10日のブログで紹介しています。) Aさんはこの夏保養ネットよこはまの主催する『第5回保養キャンプin河津』で知り合った方です。私はこのキャンプには今年で3年続けての参加で、Aさんは今年が初めての参加で初対面でした。Aさんは特殊教育の学校の先生を退職されて数年、かねてより障がい児の放課後の居場所作りの構想を持っておられます。そのプランに私の木のおもちゃなどの創作をコラボできないかというお話が前回訪問した際に生まれ、さらにその中身とプロセスをどう作っていくかという方向性を探りました。車に持ち合わせていた遊具(教具)を2点ほど見本(雛型)としてお預けし、今後のたたき台の一つとして検討してもらうことにしました。お孫さんのL君には会えませんでしたが、20~30分の滞在で着実な一歩をさらに踏み出せました。再び福島中央のインターから高速道路に乗りました。新たなプランを得て再びテンションは上がりだしました。こういうときは次々とひらめくものです。時間が間に合うようなら武蔵野市にある『子育て支援スペースとことこ』に立ち寄ってみよう。時間的には若干きつい道程でしたが、ここ一番は気力で休憩を端折って運転しました。施設長さんにはお会いできませんでしたが、こちらとのご縁は園長さんがここを立ち上げる以前からのお友達でしたから、支援のお世話になったりお世話したりの関わりが今も続いています。 世の中はお互いに誰かが誰かの支えや元気の源になっています。元気の連鎖です。そこから相互に生まれてくる力をよりどころに『復興支援』をこれからも幅広く続けていきたいと思っています。
2016.10.19
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10/14~16 支援活動に行ってきました。 ~その2~ 復興支援活動をしている場所や人々と、支援活動している人の支援をしに10/14~16と2泊3日、宮城県気仙沼市、岩手県山田町、福島県福島市、東京武蔵野市と5か所行ってきました。 岩手県下閉伊郡山田町・・・岩手県の沿岸部、海に向かってギザギザとリアス式海岸が続く地形の中で、この山田湾だけは海に向かって開口部が狭く奥に向かって広いという「トックリ型(壺型)をしている地形」が湾の特徴です。それゆえに湾の内側は平素であれば波の静かな湖のような海なのです。それゆえにこうした立地条件の為、津波による被害は周辺海岸と比較してやや緩やかであったと聞きます。ここには3/11の震災の翌年から単身現地に入って「街づくり計画」のコンサルタントを続けている私の古い友人のG氏がいます。彼は私より1歳年上で、知り合って以来約35年の付き合いです。彼との再会は一年ぶり。じっくり歓談しながら前回会った時から今回までの仕事の進捗状況や現段階で抱えている様々な困難などいろいろ話を聞きました。彼は「自分にとってこの仕事がおそらく最後の仕事になるだろう」と語っていました。自らの仕事への肝の据わった彼の姿勢は実に凛としていて、仕事に対する気魄を痛切に感じさせられました。私の好きな言葉の中に『仕事がその人間の顔を創る』という言葉があります。彼の場合も全く同じで、大きな課題に向かって精進している人に共通の気配や雰囲気、ちょっと大袈裟に聞こえるかもしれませんが、何というかある種の神々しいものを感じさせられました。それならば、私自身は最後になるかもしれない今の自分の仕事に対してどれほどの自覚や決断をもって日々実践しているだろうか?仕事を推し進める上で何が肝心なのか、困難を乗り越えていくときには何が力の源となるのか、彼と歓談していると様々なことを自問自答させてくれる逸材です。『街の復興』と言葉で言うのでさえも決して簡単なことではありませんがそれを現実に具体化していこうとしている彼や彼とつながる多くの人たちの苦労や努力のことをずっと応援していきたいと改めて思いました。 翌朝10/15友人宅の一室を借りて持参したパーテーションのパネルを3枚連結し組み上げを完成させ、かねてより訪問をお伝えしていた山田町の大沢地区にあるO保育園を訪問しました。こちらの保育園に訪問するのは3回目です。今回は特製のパーテーションをお土産に持っていきました。乳児だけでなく幼児さんも使えるような大きなパーテーションです。園に到着すると、ちょうどお遊戯(体操)の最中でした。一緒に混ぜてもらってテンポの速い体操(踊り?)を見よう見真似でしどろもどろの初体験です。一区切りついたところで居合わせた主任さんから了解をもらい急遽飛び入りの『ばぶさんタイム』をさせてもらい歌や手あそびを一緒にしました。・「ごひきのこぶたがオオカミをやっつけたお話(自作)」・やまごやいっけん(外国の手あそび歌)・たまごがわれた(作者不明)・やさいのうた(作者不明)・おてらのおしょうさんが・・・(わらべ歌ベースの現代版)・ぐーぱー、ぐーぱー、グ~~~パー(自作) 他子どもたちから「もっともっと」のアンコールもありましたが、すでにお給食を食べる時間に食い込んでいましたので八文目の処できりあげることになりました。子どもたちが食事をしている間に、ここでも気仙沼の保育園の訪問の時と同じように事務室をお借りして乳児クラスの部屋用にモビールを一組制作しプレゼントしました。 後で判ったことでしたが、この日職員の中にたまたま保育実習の学生さんが二人混じっていました。実習期間のまん中でした。『ばぶさんタイム』の手あそびの時にやたら目を輝かして食いついてくる職員がいるなぁと好感を持ってみていましたが、この二人はこの保育園の卒園生なのだそうで、主任も園長もかつて彼女たちを担任したことがあったそうです。卒業後に就職する先は既に他の施設に決まっていて、こちらの保育園の職員にはならないのだそうです。ま、ともかく、この日の実習が終わってそれぞれ帰宅という頃、多少時間にゆとりがあるというので二人の実習生に反復練習を含めたスペシャルの実技講座と保育を展開していく上で是非大切にしてほしいことなどを少々レクチャーしました。 出会いの記念に『ばぶバッチ』の中から自分の気に入ったものを選んでもらいプレゼントしました。
2016.10.18
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福島に行ってきました 3/11以来、東北3県(福島・宮城・岩手)に直接出向くのは今回が19回目です。今回は片道約320キロ、安全運転優先ですから途中疲れを感じたら何度でも休憩をするという運転の仕方で往路は5時間ちょい、復路は7時間半くらいの行脚でした。 今回は8月の『保養ネットよこはまin伊豆河津』の古民家キャンプで知り合いになった福島市在住のAさんのつながりでひかりの子保育園とめばえ幼稚園で『お話おじさん』をしてきました。 ひかりの子保育園ではお話おじさんの他にお土産に創っていった乳児用のパーテーション(約畳1・5畳分位のスペースの壁面を創りだせる大きさ)を先ずはクラスでお披露目して、保育室で使えそうならば差し上げたいのですがどうでしょうか…と担当の職員の方々に採用の判断を仰ぎました。幸い気に入っていただけましたのでめでたく贈呈という運びになりました。日々の保育の中で今後どのように使われていくことでしょう、とても楽しみです。このパーテーションのモデルは現在私が非常勤保育士をしている保育園の0歳児クラスで大型遊具としても実践実証済みなので自信をもって現地でお披露目してきました。大小の○△□の窓から内側をのぞいたりイナイナイバーをしたり蒲鉾型の穴をトンネルにみたててくぐり抜けたりのあそびに使っています。このパーテーションの素材は段ボール製です。極めて大型の段ボール箱を入手しこれを一度解体して4枚重ねにし周囲を麻糸で縫い上げたパネル状 (高さ約62㎝幅約80㎝厚み約35ミリ程の大きさ) のものを6~7枚連結してあります。製作時間は延べ26時間ぐらいかかりました。縫い上げるのに使う「針」は私の考案した手製のもので針金のハンガーを一部切り出してリフォームして作った特製の道具です。糸の麻糸は結び目を『テグス結び』にして、輪っか連結して使います。パーテーションの使い方としては「間仕切り」以外の使い方として、パネルを自立させて「L字型」にしたりカタカナの「コの字型」にしたり円形や楕円にしたり、長方形にしたりいろいろの形に臨機応変の遊び空間として使え、と同時に活用としては担当の保育者の遊び心のありようも反映されるというものです。ここしばらくは支援活動で訪問する保育園の乳児保育室に大型遊具の一つとしてあちこち出前しようと計画しています。実は私はこの数か月間このパーテーションの制作に凝っていて、木工作家というよりは段ボール作家のような、畳職人のような・・・状況になりつつあります。創っていて楽しいです。子どもたちがどんな顔してあそぶだろうかなどとその様子を思い描くとわくわくしてきます。自分なりにできる支援活動のアイテムがさらに具体的に広がりつつあります。来月は岩手県に行ってきます。
2016.09.10
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福島県在住の子どもたちとその家族を伊豆にお招きしてのんびり夏休みを取っていただくという、保養ネットよこはま主催の第5回保養キャンプが7月28日(木)~8月5日(金)まで、今年も伊豆・河津の古民家を宿泊所に8泊9日で行われました。私は7月の30日に自分の主催する『朗読会』があったので、それを終え、途中の7月31日から最終日までの5泊6日ボランティアスタッフとして参加しました。私は第3回目の保養キャンプから3年続けての参加です。参加された家族の中には3年続けての再会という子供たちもいて、毎年子供たちの成長ぶりを定点観測のように見守っています。このキャンプの中で私のポジションは① 『ばぶさんのお話おじさん』② 子どもたちの遊びと生活のメンテナンス③ 名物『ばぶカフェ』が主な役どころです。 ◆今年のお話はばぶさん童話『からっぽ』、紙芝居『こぶたのマーチ』、宮沢賢治・作『注文の多い料理店』、をメインにやりました。期せずしてアンコールの声がかかりましたので土屋由岐雄・作『かわいそうな像』を読みました。この他にゲリラ的に3回上演をしました。計4回の公演です。4回目の時には、さねとうあきら・作「おこんじょうるり」を読みました。 ◆子どもたちの遊びと生活のメンテナンス昨年のキャンプ終了とともに一年かけて準備をしてきた、ばぶさん流オセロ、名付けて『コブタカネコさんのオセロ』。166時間かけて製作した力作は、子どもたちだけでなく予想外に大人たちにも好評でした。これは一つの駒が50㎜くらい(缶コーヒーの直径位)厚み12㎜、盤面は60㎝角のジャンボサイズ。白い面にあたる部分が『こぶた』、裏返して黒の面が『黒猫』で8×8=64個の駒の表情はすべて違う表情を書き込みました。時間がかかりました。その日その日のメインの活動の前後やアイドリングタイムに随時対戦風景が見られました。 ◆『ばぶカフェ』は茜珈琲さんからの差し入れでコーヒー粉を今年は6種類用意できました。家族の親御さんや、ボランティアスタッフや、見学や取材のお客様方にドリップコーヒーをお出ししています。3年目という条件も加味して、今年はこれに加えて『コーヒー豆&手動式のコーヒーミル』を持参してみました。メジャーカップを用いて自分で豆を計量して~ の手動ミルで豆を粉に挽く~その粉をペーパーフィルターに入れて~お湯を注ぎ~コーヒーを抽出する…こうした一連の「手間」が子どもたちを魅了したようで、僕も私もと志願者続出。誰にコーヒーを飲んでもらいたいかの一番人気のお客様は地元のボランティアのKさんでした。探検家のような帽子にサングラス、短パン姿でジープ(正しくはジープでなくフォルクスワーゲン社の○○)を運転するKさんは子どもたちのあこがれです。なんてったってかっこいいんです。何でもかんでも便利が進んでインスタント商品があふれる中で昔ながらの『手作業』を伴った淹れたてのコーヒーづくり、この体験はこれからの彼らの生活を捉え返すときに新たな視座を見出していく一つのきっかけになったろうと思います。
2016.08.21
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5月8日(日) 『福島の今を訪ねるバスツアー2016春』 ~自分の目で見て、食べて、考えよう~ というイベントに参加しました。私は昨年に引き続き2回目の参加です。 参加者は現地集合の人も含めると47人でした。 バスに乗り朝8時に東京駅前の丸ビルの前から常磐自動車道を経由して一路福島に向かいました。浪江インターで高速道路を降り浪江駅から国道6号線沿いに浪江町、双葉町、大熊町、富岡町など沿岸部の現状を視察しました。震災から5年が過ぎた現在の街の様子をつぶさに見ました。 浪江駅の駅舎の中をガラス戸越しに覗くとあの日からあの時間のままで停まった壁掛け時計。駅周辺の無人の街が見渡せました。 大熊町では原発までほんの近距離のところでありながらも『土盛りをして遮蔽工事を済ました場所』ではそこだけピンポイントで数値の低い場所があり5分という短い時間でしたがその場所に立ち見学もできました。 富岡駅は何もありませんでした。すぐ目の前には穏やかな海が見えました。印象的だったのは富岡駅のすぐ目の前の神社が無傷で存続していました。しかも周囲とはほんの数十センチの高低差にもかかわらずにそこだけ津波の被害に見舞われなかったのです。何百年の年月の中で過去の数度の津波災害を経験し『この場所は水をかぶらない』という経験智から選定して神社は建立されてきたのでしょうというガイドの方の解説も大変よく実感できました。ほかの被災現場でも同様の神社の事例が何か所かあるそうです。 沿岸部の視察の後は川内村のいわなの郷に移動して昼食。そしてさらに村内の個人のお宅に移動して川内村で暮らしている人たちの現在の様子や心情などいろいろ聞かせていただけました。今回のツアーで新たな出会いも沢山ありました。福島への理解をさらに深める一つのきっかけを新たに得ることが出きました。大変貴重な一日でした。 次回もこのようなツアーが企画されたならまた参加しようと思います。震災から5年以上が過ぎました。 支援し続けようとする自分の気持ちや志がどこまで本物かと問われる日々です。 人間はどうしても「忘れる動物」ですから大事なことを忘れかけても思い出しやすいような回路や人脈を創ることが大切だと思いました。
2016.05.09
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以前から3/11の日に何か行動しようと思っていて今回は宮城県石巻の『チームわたほい』の慰霊の集いに駆け付けました。約80人前後の人たちが集っていました。私にとってはこの日の集いの参加者はわたほいの代表の遠藤さん以外全員初対面でした。「どこからおいでですか?」と私の周辺に居合わせた人たちに尋ねたところ、地元の人たちのほかに、北海道から、仙台から、三重県から、静岡県から、岐阜県から、山形県から、私と同じ東京から駆け付けた人は町田、杉並、八王子、・・・と実に様々なところから参加されていました。皆さんそれぞれ「チームわたほい」とのボランティア活動つながりの人たちばかり。そして参加者の皆さんに共通していたのはどこかの組織だとか団体だとかでボランティアに関わっているのではなくて皆それぞれに自分で志を立てて行動されていること、そして、皆さん人懐っこいというか、気さくで実にフレンドリーなのです。新たな行動のスタートラインとして『東日本大震災』という出来事をそれぞれに体験したのです。その現在進行形の関わりがこの集いを成り立たせているという実感を強く持ちました。市内の防災広報が、直前に「14時46分に黙祷のサイレンを・・・」という告知が15分くらい前から時間をおいて2度ほどアナウンスされました。やがてその時が来ました。集いの参加者は皆こうべを垂れ、個々のおしゃべりもやめて厳粛な気持ちで黙とうに入りました。サイレンは流れませんでした。遠くのほうで近所のお寺の鐘が「ご~~ん」となりました。果たしてあれがサイレンなのだろうかな…という半信半疑のままに黙祷を続け祈りました。一分ほど経過して再びお寺の鐘が聞こえてきました。皆それぞれに黙祷を終えました。そしてその後やや時間が経ってから再び防災広報が流れました。サイレンが鳴らなかったことの陳謝の放送でした。「なんという失態だ」と憤りを語る人「なんか変だったわね」と感想を述べる人、それぞれの戸惑いの言葉でしばらくざわざわとしました。合図のない一分間の黙祷は私にいろいろなことを考えるきっかけを与えてくれました。かえって良かったとさえ思うのです。セレモニーが式次第通りにつつがなく完了していたら、『形式(もしくは様式)』の表面をなぞってそれで気持ちを納めていたかもしれません。合図がなかったことによって自分自身の祈りの気持ちのありようが自問自答できました。本気で祈りました。「ちームわたほい」代表の遠藤さんとは今回が二度目の再会です。きっかけは彼が津波で流出した古民家の梁を再生し新たに形にした作品の『拍子木のストラップ』を私の友人が私にプレゼントしてくれたことが御縁でした。※チームわたほい…東日本大震災で被災したメンバーが、地元石巻で支援のサポートのために立ち上げたボランティア団体です。集いの合間を縫って市立K保育所に自作のおもちゃを届けてきました。『オセロゲーム』をばぶさん流にアレンジした大型のおもちゃです。もともとの白と黒の駒を、『白の面が豚さんの顔で黒の面に裏返すと黒猫』というアレンジを施したものをプレゼントしました。年長組はさっそく盛り上がって遊びだしました。製作者としてこのアイテムの魅力の手ごたえを確認しました。ばぶさんにんまりです。この日の夜は石巻のビジネスホテルに宿泊しました。折角石巻まで来たのだからもう180キロ走って岩手県の山田町まで行こうと、急きょ段取りしました。山田町のおおさわ保育園に3度目のおもちゃ(パズルバード)を贈呈をしてきました。この夜は山田町に泊まり、翌日帰路は何故かもう一度「わたほい」に立ち寄りたい気持ちがこみあげてきて三人のおじぞうさんに宮沢賢治さんの童話朗読を奉納してきました。https://www.youtube.com/watch?v=FC9kO5982es
2016.03.13
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日々の暮らしは、毎日決まって誰かの誕生日であり、毎日決まって誰かの祥月命日です。明日は3月11日。5年前のこの日に生まれた小さな命があり、無念にも失われた実に多くの命があります。https://www.youtube.com/watch?v=liJPOxPT1-o&feature=player_embedded#!https://www.youtube.com/watch?v=phJt9_ymv5Y&feature=youtu.be
2016.03.10
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先週8月27日から30日まで三泊四日で岩手県(大船渡市、大槌町、山田町)と宮城県(東松島市)に行ってきました。被災地の現地を直接訪問したのは今回が14回目です。岩手県のこれらの地域への訪問は3年ぶり、保育園を5か所廻ってきました。以前訪問した時にはプレハブの仮園舎だった施設がこの3年の間に『本園舎が完成した云々』等のお知らせなどもいただいていたのでこの目で実際を確認して置きたかったのです。道中、疲れたら何度でも休憩し、眠くなったら無理せず眠る(安眠を心がけ、但し永眠だけはしない)という心づもりで出かけました。そんな訳で当初カーナビで案内された所要時間の約二倍の時間がかかってしまいました。何しろ愛車は既に13万キロ以上走行している軽ワゴン、運転手は7月中旬に網膜剥離の手術を受けて間もないのですから、絶対安全運転に心掛けました。往復で1,405キロの行脚でした。復興はまだまだ道半ばです。たとえささやかでも末永く支援し続けようという思いを新たにしました。津波を体験された方方のお話を何人からうかがうことができました。お話を伺っていてすさまじい極限の体験をされた皆様にある共通したものを発見しました。それは、皆さん瞳が美しかったことです。とてつもない苦しみ悲しみとどう向かい合って生きてこられたかの証と感じました。
2015.09.03
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3/11を契機に毎月の「月命日の11日」に新宿の『結』というお店を会場に福島県御出身の方や、復興に向けて活動を展開されている方、福島県が好きな人、福島に関心のある人などが20数名集待ってそれぞれの情報を持ち寄って交流を深めています。私にとっては「自分なりにできる復興支援の活動」をたとえ地味でささやかでも息長く続けていくうえで貴重な集まりです。来月も参加しようと思います。
2015.05.13
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『りょうぜん里山○っこうありのままに体験ツアー』に参加してきました。主催したのは学術フォ-ラム“多価値化の世紀と原子力”福島の伊達市に住む友人がこの企画があることを教えてくれました。今福島はさまざまな風評被害になやまされています。風評被害とはそもそも何いなのか、放射線で汚染された地域で生活していくことにどのような困難があるのか。風評被害を生み出す構造を考え、地域と都市の関係を多角的に見つめる・・・霊山(福島県伊達市)に出かけ“ありのままの現実”をシンポジウムと討論会を通じて共有し、地域産のおいしい産品を楽しむというバスツアーでした。幸い定員が埋まる前に申込みが間に合い参加することができました。東京駅を出発して福島に着くまでの車中でたっぷりと半谷輝○己さんによる福島のお話。『福島という県のさまざまな歴史を紐解き、県の成り立ちと現在&原発事故etc』に関するレクチャーは、大変わかりやすく、実に興味深いものでした。『福島学』の様なものを感じました。氏は双葉町に生まれ、田村市在住、伊達市の地域メディエーターをされている方です。ご自身の足で県内をくまなく歩かれて実態の把握と細かい分析と提言には説得力がありました。参加者は56名。女性が約10名。メディア関係のジャーナリスト、弁護士、電力会社社員、公官庁の職員、NPO職員、保育士、などなど業種は実に様々、こういるような機会でもなければ決してご一緒できない様な方々ばかりでした。このようなツアーに参加していくことでもじっくりと「支援」の中身をつくっていけることを実感しました。次回は秋に第二回目が開催されるようです。また、参加しようと思います。
2015.05.10
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齢を重ねて私は今61歳です。 あと60年後には121歳という計算ですが、十中八九この世に生きながらえてはいません。 それよりも前に寿命が尽きることでしょう。 レイチェル・カーソンという方が彼女の著書「センス・オブ・ワンダー」の中でこのように語られています。 ・・・『子どもにとって「知ること」は「感じること」の半分も重要ではないのです。』・・・ このことばは私にとって実に偉大なカルチャーショックでした大きく保育観や人生観を変えてくれました。 昨年から仕事で一時保育室のパートの保育士をしていますが目の前の現役の子供たち(だいたい1歳半~3歳くらい)と付き合っていく上でレイチェル・カーソン女史のこの言葉はおおきな指標となっています。 私は20世紀のど真ん中に生まれた人間の一人としてまるごと21世紀を生き抜いていく世代に、どのようなバトンをどのように手渡せるだろうかと思いを巡らします。 今、目の前の現役の子どもたちがたとえばこれから60年後の暮らしの中で原発事故の後始末に困難にもめげずそのとき「粘り強く」「へこたれ難く」「しぶとく」めげずに希望を捨てずに立ち向かい続けていける感性というものがあるとしたらその感性を獲得していけるお手伝いは乳幼児期にいかに可能かと自問自答しています。 もしかしたら何かのヒントを得られるかもという予感を抱きつつ明後日開催される『福島の支援バスツアー』に参加してきます。
2015.05.07
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先月新宿で『東日本大震災を忘れない3/11の集い』という集まりがあることをSNSの友人から教えてもらいこれに参加しました。それがご縁で、一つのグループを知りました。このグループは毎月の震災の月命日に例会を開いています。『結イレブン』という集まりが昨夜あり参加しました。昨夜の例会の会場はいつもの新宿の会場ではなく、下北沢にあるコミュニティー&オーガニックカフェで開催されました。昨夜さらにまた新たな出会いを得ました。自分がこれまでやってきたこと、今考えていること、この先できることややりたいことなどの自己紹介をお互いに伝えあいました。自己紹介という形で人に伝わるような言葉を紡いでいく中で『自分』というものをさらに明確にするきっかけになりました。昨夜の出会いを通じて改めて感じたのは畢竟『全ては人と人とのつながりのありようによって決定づけられていく』ということです。私にできることは何だろうか? 支援活動というのは本気で真剣に考え行動すればするほど難しい側面があります。だからこそねばり強く息長く地道に続けていこうと思いました。原発事故以降その後の状況はどこまで進展しているのでしょう?なかなか情報が得られませんので、支援活動にしても復興活動の現状にしてもその後現在どうなっているのか、今何が求められているのか、それらの情報を少しでも得たいと思い、このような集まりがきっとどこかにあるはずと思いつつ日々アンテナを張り、具体的な行動を模索しています。
2015.04.12
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2011年以降毎年秋に小林さんはヨーロッパ諸国を廻って反核兵器・反原発の講演旅行をされておられます。5回目の講演旅行は昨年(2014)10/6~11/14、ポーランド、トルコ、チェコ、オーストリア、スロベニア、ベルギー、ドイツの7ヵ国35都市で36回の講演をされてこられた。その講演旅行の報告会が昨日横浜の鶴見公会堂でありました。今回はドイツを中心に反原発市民運動が広がり続ける西ヨーロッパとは異なり、新たに原発建設計画がすすめられている東欧諸国で反原発運動をしている市民団体を支援する講演活動もなさいました。講演中、福島の現状や、福島の子供たちの未来に思いを馳せて小林さんの目頭に光るものが何度も浮かびました。私も涙をぬぐいながらお話を聞きました。志を同じくする市民が国境を越えて繋がっていくことの大切さ、自分にできる方法で行動を起こしていくことの大切さを強調されておられました。氏の活動の詳細はインターネット検索のキーワード「小林和彦・ドイツ」で調べることができます。
2015.02.01
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8月29日(金)一枚のハガキが岩手県の大槌町から届きました。仮設でない本格的な『園舎が完成しました。8月11日より新園舎で保育を行っております。』という文面のお知らせでした。3/11の東日本大震災により津波で園舎を全喪失した保育園がユニセフの援助等を受けてプレハブの建物で保育を展開して頑張っているという情報を得て、昨年止むに止まれぬ思いで支援の保育用品(自作の木製玩具・ジグソーパズルなど)を製作し贈りその数か月後、同園を直接訪問し『お話しおじさん』と『元気交流会』をしてきた保育園からのハガキでした。そのハガキが届いた前日のこと、宮城県石巻市に今年の4月お寺さんの頑張りで新たな保育園がオープンした…その保育園の園長さんが、なんと、私が昨年やはり支援活動で回っていた牡鹿半島の公立の保育所の所長さんをなさっていた方でこの春定年退職され、こちらの新しい保育園の園長さんとしてスカウトされていた・・・という情報を得ていました。こちらの園長さんとは直接お会いして数時間歓談などした方ですからやはり他人事でない我が事のような二重の喜びでもありました。気がつけば私と同学年生まれの同級生ということです。妙に親近感も増しました。同じ年生まれの人ががんばっている姿や情報は何よりの励みとなります。この二つの保育園にそれぞれお祝いと変わらぬ支援を今後もし続けていますよというメッセージと志を「形」に仕上げて本日郵送しました。またこれに先立つこと2か月前には宮城県気仙沼市で仮設の保育室で頑張っておられた人たちが新たに本格的な保育園を再開運営しましたというお葉書もいただいていました。被災地は場所によっては今もなお手つかずで被災直後と全く変わらない状態の地域や施設も多々ありますが、一方ささやかながらも着実に復興への歩みを推し進めている人々や施設のがんばりもあります。アンテナを張り続けて、ずっと気持ちをつなげて関わりを持ち続けていきたいと思います。
2014.08.30
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今年の夏ももうじき終ろうとしてます。私にとってのこの夏の発見は二つあります。今回はその1として『超・ミニコミという発想』の気づきについて綴ってみます。◆『マス・コミ』という言葉があります。辞書を紐解くとテレビ、ラジオ、新聞、雑誌等の伝達手段を通じて不特定多数の人々に大量に情報を伝達することとあります。◆これの対概念として『ミニ・コミ』というのがあります。これは少数の人々を対象とする情報伝達とあります。高校を卒業するころから『ミニ・コミ』という発想に自分の人生の軸足を置いて、いろいろな活動をちょぼちょぼやっては挫折し、懲りずにまた別の発信をし、また挫折をし…を実に性懲りもなく繰り返し繰り返し42年近くを過ごしてきました。3年前の3・11をきっかけに「ミニ・コミ」的発想からいろいろ発信し『被災地支援』や『社会貢献』の活動をしてきました。支援活動に関してはあまりにその対象が広域であまりに沢山の方々のご苦労に接し、ちっぽけな自分の非力で一体何ができるのかを真面目に考えようとすればする程、難しさを感じ一体どう動いたらいいのかと気持ちは行き詰っていました。自分だからできる『支援』自分なりの『支援』がきっとあるはず。そして『自分にしかできない支援』というような傲慢さを持たずにあくまでも謙虚に「このちっぽけな私だからこそ今やれる何かがきっとあるはず」それは一体何だろう・・・という可能性を探りつつ具体的に行動した今年の夏でもありました。そしてこの夏発見した発想(アプローチ)に気づきました。それは『ミニ・コミ』を突き抜けた『超ミニ・コミ的な人との関わり&結びつき』です。出会った「その人」もしくは「その家族」と心の結びつきを丁寧に築くこと。それがまず成り立ってこそ、その先、その成り立ちの周辺に枝葉が茂り結ばれたパイプがだんだんと太くなっていく…。ちっぽけな私なのですから、『誰が誰に向かって何をどう発信し、どう受信してくのか』を見定めたらいいのです。沢山の活動をやれなかった今年の夏でしたが、大きな気づきを得た夏でした。今後はこの発想が私の行動の軸足となっていきます。
2014.08.28
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◆福島で暮らしている子ども達とその家族にゆったりとした夏休みを過ごしてもらおうということを目的とした「保養ネット・Y」の主催する福島の子どもキャンプin伊豆(7月28日~8月5日/8泊9日間)が行われました。河津町いりあい村の古民家でのキャンプの取り組みも今年で3年目だそうです。 私は今回初めてボランティアスタッフとして7/31~8/5(5泊6日)参加しました。 ◆一般的に3泊4日という企画のものが圧倒的に多い中でこのプロジェクトはなぜこの長さなのかという考え方の根拠を主催者の方にお聞きしました。 その理由は、もし仮に身体に良くない物質などが取り込まれていても子供の場合は新陳代謝が早いので8泊9日くらいのゆったりとした時間があればそれらの物質を体外に排出できるのだそうです。 ◆当初、『ばぶさんのお話おじさん』という時間枠をひとつプログラムの中に盛り込んでいただきましたが、プログラム全体の進行の中で2枠に増え、さらには有り難いことに子供達からのリクエストも集中しゲリラ的(?)に「早朝・お話おじさん」の追加公演をやりました。 自分の創作童話を語りました。子供たちの反応は自分の作品の中味を育ててくれます。実にありがたいことです。そして今回その反応の仕方に子どもたちの感性の素晴らしさが一人ひとり別々に輝いて感じ取れ、このステキな感性と彼らの命を私たち大人は守らなくてはならないと改めて強く思いました。 ◆出発前、今回のボランティア参加の世間話に、普段行きつけのコーヒー豆焙煎のお店のマスターが珈琲豆を約1キログラムどカンパして下さいました。 テーブルガスコンロ&ヤカン2種類、ドリッパー3器、フィルターペーパー、自作のメジャーカップ、用具一式持ち込んで、私の参加期間中、子どもたちのお父さんお母さんとスタッフとお客様に92杯のドリップコーヒーを一杯ずつお入れしました。大変ご好評を得ました。こういう形の『支援』もあるのだと実感しました。https://www.youtube.com/watch?v=phJt9_ymv5Y&feature=youtu.be
2014.08.08
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http://www.youtube.com/watch?v=MxXEtOAc8l0あれから3年4か月。 多くの尊い命が失われた東日本大震災から40回目の月命日です。 14時46分には黙祷をします。 自分には今何ができているだろうかと内省し、今できることはなんだろうと思いを馳せます。
2014.07.10
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東日本大震災から今日で3年3か月です。39回目の月命日です。今何がどこまで復興しているのかいないのか、今どんな課題を抱えているのかこれから何が大切なのかなど、アンテナを張って注意深くしていると、ごく少ない情報の中にも、誠意を込めて発信し続けておられる方々の貴重なレポートに出会うこともできるものです。ともすれば忘れがちになりますが、ちょっと背筋を伸ばしてこの日のことを忘れてはならないと自分に言い聞かせます。そして、14時46分には黙祷をささげます。
2014.06.11
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私の使っている携帯電話にはアラーム機能がついています。そのアラームは10種類セットできます。そしてアラーム音も様々な音色で20種類くらいパターンを選べます。ある日これを使わないのはもったいないと思いつき、自分のラッキーナンバーなるものをこじつけであろうとも気にせずいくつか考案してその時間に鳴るようにしました。そしてその時間に一番ふさわしいメロディーを選びました。生れた西暦や月日をラッキーナンバーの内の一つとして鳴らしてみました。特に根拠もなく面白がって毎日鳴らしていたのです。そのうちその時間に本当にいいことが続くようにでもなったら楽しいと期待したわけです。土鍋でご飯を炊生活を始めた頃でもありましたから、10種類のアラームの中にイレギュラーではありますがお米をといで炊き上がるまでの工程の節目節目にアラームを鳴らしています。アラーム設定時間に対してはタイトルも印字できる機能が付いていると気付き最もふさわしい表題を付けました。お米を水洗いして20分後「(うるかし~)点火」8分後「消火」さらに20分後「(蒸らし~)食事開始」と命名し愛用しています。それからほぼ一年ほどたったとき(2011/03/11)東日本大震災がありました。けれども一月半から二か月くらいたつと忘れかけている自分に気が付きました。それで、地震の起きた14時46分にアラームが鳴るようにセットして、日々の暮らしはいろいろ流動的ですから黙祷のできる条件のある日は極力黙祷するようにしています。アラーム時には「黙祷」と印字しました。私の生まれた月日は48歳の誕生日を迎えた日から世間やマスコミによって「テロの日」と呼ばれるようになりましたが、9時11分にもアラームをセットしています。この時間には『自分原点回帰』と印字しています。自分の残りの人生の時間を何に向かって燃焼しているか?その志に向かって具体的に今日は何を精進しているかなどなど自己点検をするのです。思わず背筋が伸びるひと時でもあります。
2014.03.23
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