震災を忘れないために 0
工房便り 0
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色づく林檎の実 店頭に並ぶ期間が割と短い梨の実と比べ、林檎はかなり長い期間並びます。 よく見ると品種名もいろいろあるのですね。 サンつがる、サンフジ等だけではなく初めて目にするような名前の林檎もあります。 目新しく感じた品種に出会うとお試しで一個買おうかなと手を伸ばします。 ある時、もう名前は忘れてしまいましたが、まっかっかではない林檎、薄赤い林檎です。 手にとってみるとヘタのほうはうっすら赤く色づいているのにお尻(?)のほうは 黄緑というか青い林檎。 箱の中に並んでいる林檎を端から手にとって裏返して見ましたが どれ一つ赤みのかかったものがありません。 ちょっと興醒めして、買うのを躊躇しかかりましたが、せっかく出会ったのだから買いました。 家に帰り、さて食べる段になって赤くない部分が食欲を削ぎます。 何とはなしにヘタのほうを上にして、売られていた時と反対側にひっくり返して 放置してほったらかしていました。 そのことさえも忘れた数日後、うっすら赤みを帯びてきている林檎が目に入りました。 「へぇ~、色づくんだなぁ」と感心しつつも、食べようという気持ちにまでは至らず、放置。 それから2~3日後、赤みはさらに増していて「きれいだなぁ」って感じました。 さらに4~5日放っておくと、少しずつ赤みを増してくる林檎です。 毎日観ているとこの林檎の色づき方が家族の一員のようにさえ感じてきて生活の一部です。 感謝を込めて今朝食べました。 縦に8分割して、蔕と芯の所だけ取って、勿論皮ごと食べました。 この一個のリンゴにずいぶん心癒されていた10日間だったことに気づきました。
2019.10.19
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「花とうつわ展」を観てきました 知り合いの陶芸作家が「花とうつわ展」というグループ展に出展しているので台風一過の昨日(10/13)都内のギャラリーに出かけました。 そこで私は初めて「花留」というものに出会いました。 インターネットで調べたものによるとこのような解説がありました。 『花留とは・・・花配 (はなくばり) ともいう。生け花用語。花器の内部に配置して花材を生けやすく,留めやすく,ぐらつきにくくするために考案された用具。生け花初期にはみられず,初めは簡単な詰め物,藁込 (わらごめ) ,板込,砂留など,次には轡 (くつわ) ,鋏,鎖などの応用,生花期には木密,股木などの花配,受筒 (胴輪) ,薬研配 (やげんくばり) ,観世水,七宝,亀甲など,近代になって剣山の類が考案された。』 実際の花器と生け花のコラボで展示されていたので新鮮に楽しめました。野の草花や野草などが30~40種類持ち込まれ生けてあり眼を楽しませてくれました。花屋さんなどで売られている切り花とは全く違う世界を表現してくれていました。 嶮山やオアシスに生ける表現世界と花留に生ける表現世界の両方を見て自分なりに感じたことは 「剣山やオアシス」の類に生けるのはデジタルな表現世界で、 一方「花留」に生けるのは微細な余白がある分だけアナログな表現世界なんだろうなあって感じました。
2019.10.14
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おてんとうさまはおみとおし 母が子供の頃、祖父からよく聞かされてきた 言葉です。母は正直で真面目な人でした。 何より創意工夫の人でした。 知恵の働かせ方の多くも祖父から学んだのです。 口数は少ないけど人の悪口を言わない人でした。 簡単に激高などしない穏やかな人でした。 ある時台風の大風で庭木の幹がブロック塀で ゴリゴリ擦られたのを見て「かわいそうに」と ボロキレを巻いた人でした。 次男が受験浪人で住み込み店員となり、 新聞配りを始めて最初の雨が降った夜明け 「この雨んなか新聞配りしてんだよぉ」と わんわん号泣した人でした。 長男が心筋梗塞のため47歳7カ月で死んだ時 悲しみが大き過ぎて受け止め切れなかったので 葬儀の際には一粒の涙も出ませんでした。 祥月命日には欠かさず墓参りしました。 4年目の墓参りの時初めてポロポロ泣きました。 「母さん、僕らを産んでくれてありがとう。」
2019.08.27
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母が背中を押してくれていたのでしょうか まるで何かにとりつかれるようにして 「王様の新しい服2019」の朗読台本を書きあげたのが 先週の日曜日(8/11)の明け方です。 豆本に製本して2時間ぐらいたった時でした。 実家の妹から一本の電話「さっき母が死にました」という知らせ。 介護のパートの無い曜日にはできるだけ実家に帰って母を介護し 併せて母の面倒を見てきてくれた妹の介護疲れの慰労に家事の応援を ささやかながらも自分なりにしてきていましたので 訃報に耳を疑うことはありませんでしたが、正直驚きました。 ともかく取り急ぎ実家に駆け付けました。 自宅のベッドで静かに息を引き取ったのです。 92歳1か月の生涯でした。 母は母らしい生涯をやり遂げたと思います。 まるで眠っているような実に穏やかな顔でした。 骨髄腫の手術を6年前に受けています。 死因は多発性骨髄腫と老衰です。 実は亡くなる前日の土曜日は迷いました。 実家に帰って介護しようかという思いと、それとも 書きかけのこの朗読台本の脚色を仕上げたいという思いも強く どちらにしようかと迷いました。 ここ数日書きあげようと推敲を重ね、取り組んできていました。 特に先週末は書き進めるうちに勢いがついて、完成間近の予感。 日曜日(8/11)は朝の4時半に目が覚めて脚色は一気に仕上がりました。 そして母の訃報です。 もしかしたら、母が背中を押してくれていたのかもしれません。 葬儀は家族葬で行いました。 通夜は8/14でした。葬儀場に一人泊まった私は 夜中に棺の前で感謝を込めて朗読しました。 告別式は8/15でした。 朗読した豆本を棺の中にありがとうの感謝を込めて収めました。 母は穏やかな人でした。人の悪口を言わない人でした。 めったに激高するようなことのない人でした。 母さん僕たち兄妹を産んでくれてありがとう。
2019.08.18
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夏の日々の楽しみ 2019夏の前半の発見 敢えてエアコンなしの暮らしに挑んで今年で16年目を過ごしています。 360度緑に囲まれた里山の端っこでの暮らしですから、 窓を開ければ緑の中を吹き抜けてくる自然風はエアコンの風よりも 清々しいです。 人工的に設定されたエアコンの風とは違いますから微妙にぬるめだったり しますけれども、「自然風」ですからそれなりに憩えます。 9坪の四角いプレハブですから東西南北に窓があります。 風の進入を優先してどの窓にも網戸をつけていません。 南側の窓が一番緑に近いですから南側の窓を開け放つということは 夜間は特に虫たちの混入のリスクも高いです。 青緑色の「電撃殺虫機」と「「電気蚊取り機」を作動させていますので かなり効果はあります。 それでもこれらの電気製品にはびくともせず侵入してくる昆虫たちの種類は 結構豊富です。 コガネムシ、ドウガネブイブイ、マメコガネの類は飛翔音が結構でかくて 耳煩いです。 ゴマダラカミキリ、クロカミキリ、カミキリムシ、の類はそれほど うるさくありません。 というのは侵入すると間もなく壁などに停まって翅を休めてくれるからです。 コガネムシの類は優柔不断なのかそれとも望みが高いのかなかなか羽を休める 安楽の地をみつけず・みつけられず(?)しつこくブンブンと飛び廻ります。 家屋の内側にはオニグモが同居しています。このクモはハエトリグモのように 蜘蛛の巣を張らない種類なので優遇してます。 先日オニグモがゴキブリを捕獲してディナー食しているのを見ました。 思わずエールを贈ってしまいました。 私は根っからの昆虫少年というのではありませんでしたから知識も貧弱です。 けれどもやたらと殺虫剤を噴射して昆虫を薬殺することに対しては消極的です。 『虫は世界を守ってくれている』こんな思想を持てるようになったのは アニメ「風の谷のナウシカ」を見てからのことでしょうか。 人は人の都合で暮らし、猫は猫の都合で暮らし、昆虫は昆虫の都合で暮らしている。 存外、心持ちを穏やかにすればどんな生き物とも共存できるものです。
2019.08.08
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エビ天のしっぽ 食べる?食べ残す? 感動の結論 月に一回のペースで大学病院に行き点滴注射を受けています。 そして3回に一回は血液検査し、担当Dr.の診察を受け、その後、 点滴注射を受けています。 今日がその日でした。 朝6:30過ぎには家を出て8:00ちょい過ぎに病院に到着。 採血室で採血をし、廊下の待合室で血液検査の分析結果が出るまで待ち、 それからDr.の診察を受け、その後の点滴は終了までに1時間前後かかります。 会計を済まし院内の薬局で処方されたお薬を受け取って ようやっと病院を出るころはお昼頃。 帰路、下車駅をわざと通り過ぎ急行電車の止まる次の駅まで行き 遅めの昼食にありつくのは14:00。 すっかり空腹の身体にファーストフードのお店は実にありがたいです。 長丁場辛抱した受診日の昼食はささやかなご褒美に外食の贅沢を許します。 私が好んでいくお店は『天丼て〇や』 ここで「オールスター天丼」をオーダーするのがほぼ定番です。 「えび、いか、ほたて、かぼちゃ、まいたけ、おくら」 海鮮の天ぷらが3種、野菜天が3種そこでなづけたのがこの名前。 商品名にオールスターとはいいネーミングを思いついたものだと思います。 美味しい天丼ですが、食事の終わりに私はかねてより小さな悩み事がありました。 その悩み事とは『エビ天のしっぽ食べる?食べ残す?』という案件。 それが本日スッキリ明快に解決しました。もう悩みません。 揚げたてのエビ天のしっぽです。赤々とてかっています。 なんてったって揚げたてですから、しかも天丼の真ん中で凛々しくテカっています。 このしっぽにいきなりいの一番にかぶりつきました。 「うんめ~」なんてったって揚げたてですから、感動の旨さです。 冷めきったエビのしっぽの味とは全く別物のうまさです。 この『うまさの発見』の感動は十数年前の冬場に「畑で掘りたての長ネギ」を頂戴し帰宅し調理し食した時以来の感動でした。
2019.08.01
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コキコキパーティーに参加しました 昨日(6/29)コキコキパーティーという集いがあり出席しました。 私の職場の同僚で今年「古稀(70歳)」の方が二人いらっしゃいます。 このお二人への慰労と感謝を込めた集いです。企画をしたのは別の同僚でした。 古稀の方が二人おられるので名付けて「コキコキパーティー」 なかなか洒落たネーミングで企画者のセンスが光ります。 手作りのお弁当が見事に美味しかったのもこの会への感動を底上げしていました。 まるで『二人のビッグショー』のようでお得意の歌を沢山披露してくれました。 歌声には70歳のキャリアの人間味が溢れ余すところなくたっぷりと謳われていて、 その歌う姿と歌に込めた魂がいぶし銀のように輝いていました。 何よりお二人とも永遠の青春真っ只中という存在感でした。 私は自分自身の近未来に向けての展望と憧れの姿を示してもらっただけでなく、 人生の先輩から『生きている力・生きていく力』をもらったような感動を覚えました。
2019.06.30
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500年後の人類の権利という発想 昨日、あるパーティーに出席して気づかされた発想です。 使い捨ての消費生活スタイルをしている私たちです。 貴重な地球資源をどんどん使っていずれ枯渇してしまうことは予測できます。 石油、鉄鉱石、ありとあらゆる資源のすべてが有限です。 その枯渇した地球に暮らす500年後の地球人は500年前の私たち人類に対して 「彼らは私たちの生存権のことを考えない暮らしをしていた」と言うでしょう。 なんかすんごく考えさせられました。 命のつながりの中で生きている私たち、 一日一日をもっと大切に暮らそうと思います。 今日 昨日 明日 (第2稿)あなたが無為に生きていると嘆いている今日という日は昨日までに亡くなられていった多くの人々が「もっと生きたい」と狂おしいまでに望み願い祈った明日
2019.02.12
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温州ミカン 糖度12体験 私は温州ミカンが大好きです。特に小粒のSサイズの温州ミカンに目がありません。 気が付けばあっちのスーパーでもこっちのスーパーでもMサイズやLサイズを押しのけるようにSサイズあるいは2Sサイズのミカンも店頭に並んでいるじゃありませんか。 毎年今頃はこんな感じの時期があったんだ。 迂闊にもこれまで全く気が付きませんでした。 Sサイズを店頭で見かければ前に買ったミカンを全部食べ切っていなくても追加で買い求めます。 産地には拘りません。「どんな味かなぁ」と一応チェックのつもりで買います。 中に特売ではあったけれども「味のとぼけたもの」を買ってしまったときには 若干の後悔を覚えます。口惜しさからラベルをしっかり目に焼き付けます。 その産地のその売られ方をしているミカンには二度と手を出さないようにします。 とはいえそこは温州ミカンだけあって「喉元過ぎれば○○忘れる」です。 かっこよく言えば私のミカンに対する博愛心です。 甘いミカンも甘くないミカンもみんなこよなく愛しているのです。 そんなこんなの日々で今日の遭遇。 「糖度12」とわざわざ表示している温州ミカンを見つけました。 値段は日頃私がだいたい買い求める価格帯プラス120~150円割高で一瞬ひるみましたが思い切って買いました。帰宅後どの粒から食べようかと指先センサーフル稼働で選出。 ピンポイントで食しました。ラベルに嘘はありませんでした。 甘いです。甘さに納得のいく糖度です。 しかも一粒食べ終えた後口中にも脳内にも「甘さの印象」がしっかり残ります。 「糖度12」というレベルはしっかり甘さ体験の余韻が残る閾値なのでしょうね。
2018.11.07
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魂のメッセンジャー 私には素敵な言葉を見つけてそれを紹介してくれる友人がいます。 勿論彼自身がその言葉に出会って深い感銘や共感や、時には啓示を覚えたものだけを伝言してくれます。 直接訪ねて来てくれてコーヒーを飲みながら談笑し面前で紹介してくれることもあり、 またある時にはメールに印字して知らせてくれることもありいろいろです。 そんなに頻繁ではありませんが、頻繁でないがゆえにかえって印象は強く染み込みます。 今回は今朝メールで届いていた言葉です。 考えは言葉となり、言葉は行動となり、行動は習慣となり、習慣は人格となり、人格は運命となる イギリスのサッチャーさんの言葉ですということでしたが、 私にとってはこれが誰の言葉かというよりも彼が教えてくれた言葉そのものとしてインパクトを感じます。 その紹介してくれる言葉に彼の感動の純度の高さが丸ごと反映されていて、さらに一層の付加価値を高めます。 毎回良い言葉でどれもこれも私にとって好きな言葉となります。 紹介してくれる言葉は私自身の熟成に寄与してくれています。「外れくじ無し」みんな「大当たり」です。 私の人生や価値観に多大な好刺激となり生活の一部となっています。 こんな素敵な友人を持っている私は幸せ者だなぁと感じています。彼は私にとって魂の共鳴者です。 今まで印象深く心に残った言葉を2つほど紹介します。 ・つぶやきは人生を作る。 ・やって見せ、言って聞かせてさせてみて、ほめてやらねば人は動かず。
2018.09.06
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私が私として認められ受け入れられていく空間で まず何より私が「私として認められ」そして「受け入れられていく空間」に身を置けば 出てくる、出てくる素敵な思い付き。水を得たお魚のような私。 私らしさの発想、私らしさの着眼&着想を臆することなく丁寧に出して談笑します。 会話のキャッチボールの中で更に深まっていく信頼関係の伝播。 ささやかですけれども理想のような状況がここで展開できている幸せ感をかみしめています。 先月までの反動が反映しているといえば間違いなくそうだといえます。 けれども、見方を変えてみれば感謝です。 引き絞った弓の矢が放たれたこの勢いはあそこで育まれたのです。 世の中捨てる神あれば拾う神ありです。 幸せはいつも自分の心映えの中にあります。 ここに来るのは数年ぶりですが、今月に入ってすでに二度程この園にお邪魔しました。 この先もちょくちょくお邪魔します。 未完成なものは可能性がいっぱい溢れています。
2018.09.05
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動く身体と動かす身体 9月の1日をきっかけに暫く途絶えていた「ラジオ体操」を復活しました。 そして昨夜(9/3)の月曜日は毎週「気功」のお稽古教室に行って学んでいます。 今朝のラジオ体操をしていて気が付きました。 昨夜の気功で学んだ動きのポイント・動かし方のポイントがラジオ体操の動きの中に反映できていたのです。 運動靴の中で10本の足の指が目覚めている状態でラジオ体操ができていたのです。 今まで感じ得なかった新感覚です。 これは良い、二つのメソッドが自分の中で混ざり合ってまるで複眼でものを見ているような感じでした。 私は体が硬いほうなので気功のお稽古を毎週積み上げていって身体の動かせ方がだんだん変わっていく自分の身体を実感しています。嬉しいです。
2018.09.04
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朗読会「 声と心の空間 」に参加して 昨日友人の主催する朗読会「声と心の空間」に友情出演で朗読参加させてもらってきました。とても素敵な朗読会で、素敵な作品に沢山たくさん出会えました。そのなかで「ゆずりは」という詩に感動しましたのでウキペディア等で自分に引き寄せながら調べてみました。 ◆ 杠(ゆずりは)という詩 河合酔茗さんのこと作者のお名前は、河井 醉茗(かわい すいめい)、幼名は幸三郎。日本の詩人。1874(明治7年)/05/07 ~ 1965(昭和40年)/01/17、91歳の生涯。私が小学校6年生の時に急性心臓衰弱で東京都目黒区中目黒の自宅でお亡くなりになったのでしたか。この方はどんな仕事をした人なのかというと『少年文庫』の記者として1907年(33歳)に退くまで詩欄を担当し、北原白秋、島木赤彦ら多くの詩人を世に送り出したとありました。雑誌「女性時代」「詩人」を刊行するなどして口語自由詩を提唱しました。1901年(27歳)に詩集『無弦弓』を刊行。また「よしあし草」の詩歌欄を編集。1893年(19歳)に石井たまと結婚し一男六女を授かる。1922年に平塚海岸に移住、ふぅ~ん私の生まれ在所に暮らしていた時期があったんですねぇ。作者についての紹介はこれくらいにして、詩 「ゆずりは」を紹介します。 ◆ ゆずり葉 かわい すいめい こどもたちよ、これはゆずりはの木です。このゆずりはは 新しい葉ができると 入れ代わって古い葉が落ちてしまうのです。こんなに厚い葉 こんなに大きい葉でも 新しい葉ができると無造作に落ちる、新しい葉にいのちを譲って—。 こどもたちよ、おまえたちは何をほしがらないでも すべてのものがおまえたちに譲られるのです。太陽のまわるかぎり 譲られるものは絶えません。輝ける大都会も そっくりおまえたちが譲り受けるものです、読みきれないほどの書物も。 みんなおまえたちの手に受け取るのです。 幸福なるこどもたちよ、おまえたちの手はまだ小さいけれど—。世のおとうさんおかあさんたちは 何一つ持っていかない。みんなおまえたちに譲っていくために、いのちあるものよいもの美しいものを 一生懸命に造っています。今おまえたちは気がつかないけれど ひとりでにいのちは伸びる。鳥のように歌い花のように笑っている間に 気がついてきます。そしたらこどもたちよ、もう一度ゆずりはの木の下に立って ゆずりはを見る時がくるでしょう。
2018.03.25
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『あん』という映画を見てきました 監督・脚色:河瀨直美原作:ドリアン助川『あん』(ポプラ社) キャスト樹木希林永瀬正敏内田伽羅市原悦子他 この作品は原作としてはまだ読んでいませんが、たまたま何か月か前NHKラジオのオーディオドラマ番組(新日曜名作座?かなにか)で聴いていましたので興味はかなりありました。私の主催する朗読会の会場のチラシ置き場でこの作品が映画化されていたことと近日上映会があるというチラシを見つけ今回の1day上映会をさっき(3/23)見てきました。 ハッピーエンドのお話しではないけれども、作者たちが伝えたいと念じたであろ「実際につい最近まで続いていた悲しい出来事の背景にある哀しみの深さと奥行き」に押しつけがましさがなく、じわ~っと伝わってきました。「悲しみ」の伝え方に余韻や余白がありました。そのことによって自分なりにささやかでも何か行動を起こそう、そのためには手始めにハンセン氏病記念館を訪ねてみようというモチベーションを押し上げてくれました。
2018.03.23
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まだ雪解けぬ朝の「お気をつけていってらっしゃい」 22日から降った大雪。その日の夜のうち翌朝歩きやすいようにと歩ける幅の道を付けました。が、夜・夜中も降り続けていたようで、翌朝(23日火曜日)出勤の時には段差の痕跡は確認できつつも通り道は雪で覆われていました。いつもだったらアルバイト先の一時保育室までチャリンコで15分前後か、もしくは、てくてく歩きだと36分程の通勤路です。さて今朝の通勤手段はどうしましょう。自転車では無理だし危険なので一瞥してやめにしました。てくてく歩き+ところどころラッセルもどきの行程を考えて所要時間は1時間6分と予測しました。途中まで表通りのバス通り沿いに歩いて、お寺さんがあるところからバス通りを離れてお寺さんの脇の108段石段を登ってショートカットです。有難いことに石段はどなたかがあらかた除雪しておいてくださったので危なげなく上まで上がることができました。住宅街を抜けて再び別の路線バス通りの歩道を歩きます。平常であればここからバイト先までは徒歩&徒歩30分弱の直線路。道中に某新聞店がありましてこちらのお店の前の歩道はかなり除雪が完了してました。かき寄せた雪がうず高く約1メートル40㎝位の雪だるまらしきものになっていました。時折足元つるつるしつつ若干の緊張を抱いて目の前まで近づき通り過ぎようと横目でチラリ。その雪像に目をやるとありきたりの「雪だるま」ではありませんでした。なんと「シロクマ」のような面立ち、ふううんなんかおしゃれですねえ、グッドセンス・・・と思いつつその白熊君を丁寧に見ると何やら細枝に画用紙の旗を持っています。その旗には「(おあしもと)おきをつけていってらっしゃい」とかいてあるじゃぁありませんか。私は妙に感動してしまいました。ユーモアのセンスと隣人愛にあふれた心づくしの言葉。きっとこの方(製作者)も人生を楽しむことを忘れずに日々をお暮しになっておられることでしょう。
2018.01.25
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落葉松という楽曲と出会えました。 知人のクラシックコンサートに行ってきました。実の姉妹によるピアノとソプラノによる音楽会でした。 コンサートの最後に聞かせてくれた楽曲が「落葉松(からまつ)」でした。こんなに素敵な楽曲をたまたま今日まで全く知りませんでした。聴いていて、そして聴き終えて、心に保湿成分を届けてもらった心境です。「湿潤の気候と文化の国に生まれた幸せ」を感じました。 落葉松/作詞:野上彰 作曲:小林秀雄 落葉松の 秋の雨にわたしの 手が濡れる落葉松の 夜の雨にわたしの 心が濡れる落葉松の 陽のある雨にわたしの 思い出が濡れる落葉松の 小鳥の雨にわたしの 乾いた眼が濡れるというがっきょく
2017.09.02
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夏の終わりの予感がする頃 今年の8月もあと10日を切りました。私の好きな夏がもうじき終わるなぁ…って思うこの頃です。残暑は9月に入っても続きますが、残暑は残暑で別物です。やはり8月の終わりころに感じる心持とは異なります。夏の終わりを実感した体験が一つあります。今から40年近い前の頃青森県の青森市に住んでいるお友達を訪ねて遊びに行きました。「せっかく青森に来るのなら「ねぶた」をはねにいらっしゃいよ」と誘われて、当時強烈に憧れていた自転車旅行を兼ねて東京多摩から青森市まで輪行(自転車をたたんでキャリングバックに詰め青森駅で再び組み立てる方法)し、友人宅をお訪ねしました。彼は地元の人が装うねぶたの跳人(ハネト)の衣装を一式用意してくれていて頭の先から足元まで見ごとに仕上がりました。顔に化粧も施してもらい、少々照れたのは30秒ほどで、すっかり跳人のいでたちになじみました。30分後には「らっせーら、らっせーら」と若さに任せて跳ねまくっていました。跳ねながら、なんでみんなこんなにエネルギッシュに跳ねているのだろう?とても不思議でした。不思議を抱きつつもともかくは全身汗まみれでぐっしょり祭りに溶け込みました。 彼の家には連泊させてもらっていましたので、青森のねぶたを存分に堪能できました。そして感じました。8月の初旬とはいえ、ねぶたが終わると風が違っているのです。青森の街の中を吹き抜ける風がもう秋なんです。それで私は解りました。何故青森の人々(とりわけ若者たち)がねぶたをあんなに熱狂的に跳ねるのか、『ああ、夏が行ってしまう、夏が終わってしまう』その思いが頂点に達して「らっせーら、らっせーら」の掛け声になるのです。 補足この年は弘前のねぷたと大鰐町のねぷたも体験してきました。大鰐町のねぷたはまさに子どもの祭りという印象が強かったです。
2017.08.23
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笑顔と笑顔が伝播し響き合っている https://www.youtube.com/watch?v=bwCfy78coK0&feature=youtu.be 笑顔は余計な力みを解きほぐし心開き、それが歌声となって一つにまとまっていきます。こんな心持で「仕事」も「暮らし」も展開していきたいものです。※前回ご紹介した合唱団の別のテイクです。
2017.06.30
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指揮者の手指の表現に魅惑されています。 https://www.youtube.com/watch?v=LTno_ErhE-g曲名は ROSAS PANDAN Pandan(地名?)出身の美しい女性 Rosasへの叶わない恋を歌ったフィリピン民謡ジョージ・エルナンデスによるの編曲の合唱曲 彼はサンフランシスコ沿岸で、若いフィリピン系アメリカ人を中心メンバーとする「The Philippine Saringhimig Singers」の音楽監督を務めています。世界中の名だたる合唱団が取り上げているレパートリーの一つです。小気味よいリズムが刻む「tigiding」は興奮に打ち震える心臓の鼓動。ハバネラのごとき熱い旋律が歌います。この合唱団の指揮者の手指の表情に魅せられています。まるで指揮者の手指から合唱が湧き出ているみたいに感じられますます。できるものなら自分もこの合唱団の列に加わって一緒に歌声を合わせたいような衝動と妄想にかられています。沖縄の踊りでカチャーシーというのがあります。また青森県の津軽には手踊りというものがあります。ハワイアンダンスの手指の表現も実に豊かなものがあります。手は豊かな表現を生み出します。手は偉大です。手仕事の世界に魅せられものづくりの道を歩んでいるのは私は手が大好きだからです。
2017.06.28
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今年最後のくぎ煮 先週末友人からの差し入れで『くぎ煮』が届きました。 連日少しずつ美味しくいただいています。例年ですともっと早い時期にいただくのですが、今回届いたくぎ煮は、なんでも今年最後の入荷のいかなごで作ったのだといいますから私にとってはいつもよりもかなり付加価値性が高いです。 いかなごのくぎ煮の名前の由来は、諸説いろいろあるようですが、できあがりが折れた釘のように見えるためこう呼ばれているという説が一般的には有力のようです。生の新子を醤油・砂糖(ざらめ)・生姜で煮詰めて作るのですが、その家庭ごとに仕上がりの塩梅がそれぞれ微妙に違い,関西の方では「くぎ煮検定」などというものもあるらしく、実に奥深い世界のようです。 最近はスーパーなどで一年中店頭に並んで入手できるのですけれども、友人の手作りで季節限定となると存在感が違います。しかもその友人、数年前に「初めて旨く炊きあげられた(納得できた)からそのおすそ分け」という目をキラキラさせて届けてくれた感動の経緯を経て今回の差し入れです。おそらくそれより以前の何年間かチャレンジ時代の隠れた修業(?)があったことでしょう。その段階を経てご自身である程度の納得に至った故の差し入れであったろうと思われます。あの時の目のキラキラがそれらを語っていました。 創る楽しみ、分け与える楽しみ、いつ届くかなぁと期待して待ち続ける楽しみ、お酒のつまみとして味わう楽しみ、あったかいご飯に乗せて食べる楽しみ、沢山の楽しみが『旬』の中に凝縮されています。
2017.04.26
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目にも心にも美味しかったランチ 稲城市の百村にある居魚屋梅月でランチを食べた。「梅月御膳」を食しようと心づもりして入店した。13:00を少し廻っていたので、店内は混雑のピークを過ぎているだろうかと思って入店したが、甘かった。次々と入ってくる食事のオーダーをよどみなくこなしていく店長の全身からは神々しい程のオーラを感じた。客席30席強の店内は入れ代わり立ち代わり次々と満席で一人客の私はウェイティングの縁台に座って順番を待った。店員さんから相席を勧められたが『時間がかかってもいいからカウンター席にしてください』と頼んだ。ここの店長のことは永山のお店~鶴川のお店の修行時代から知っていたのでカウンター越しに彼の仕事ぶりを見ながら食事したかったのである。相変わらずというか益々磨きがかかった仕事ぶり、包丁捌き、注文捌き、定員たちへの的確な指示とアドバイス。身のこなしには無駄と戸惑いがない。しかもどの客席からなんの注文が来たか、その品物を出すにあたっての配慮や、タイムラグがあるにもかかわらず食事が済んで席を立ちレジに向かうお客さんの注文の品が何だったか、お勘定はいくらかなどを全部記憶しているのである。実に全くみごとな記憶力なのだ。物語を暗記しようと精進している今の自分にとって大きな励みとエネルギーもいただいた今日の昼職だった。
2017.04.14
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思いが届いた歓び 2011年の6月からコツコツと震災復興支援の活動を続けています。福島、宮城、岩手ととても広い範囲の3県の中のあっちの保育園こっちの幼稚園をお訪ねして、ポツリポツリとささやかながら『元気交流会』をしています。自分の創作した木のおもちゃや大型遊具を郵送で贈ったり、持参し送り届けたり、子どもたちと一緒に遊んだりをしています。昨日、岩手県山田町の保育園からお電話が来ました。半年くらい前に3回目の訪問をしてその時持参した段ボール製のパーテーションです。その後、このパーテーションが保育のあそびや生活の中で根付き、さらにはこれをベースに自分たちでデコレーションして『お菓子のおうち』となり日々あそびこんできて、また卒園制作の一つとして年長さんから次年度の年長さんへ贈りましたという記事が、園から発信しているブログに2回紹介されてました。子どもたちのあそび世界への熱い思いを込めて一針一針縫い上げ完成したパーテーションです。それが子どもたちのあそびや想像力の下支えになって活用されていることを知り、復興支援の思いが届いた歓びを実感しました。http://www.aiiku-osawa.com/post_147.htmlhttp://www.aiiku-osawa.com/post_146.html
2017.04.07
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今夜の発見です。味覚再発見。意外なほどに日本酒に合うのです。 お金がない、あるいは所持金が心もとない…となれば、酒の当てを変えるまでのこと。 スーパーの営業の閉店に近い時間帯に買い物をします。 『半額』のレッテルが、もとい、半額のシールが貼られているパックに入った惣菜やら弁当やらのコーナーをざっと見ます。私流に言いますと「半額反応ショッピング」といいます。 たんなる節約経済というのではなく、市民運動としての廃棄前食品の購入消費、という意識でもう長いこと以前から実践行動してきていました。 そうこうしていましたらこの間ラジオのトーク番組で小耳にはさんだのですが『フードレスキュー/私をおうちに連れてって』というキャンペーンが始まっているらしい。なんでも、連日店頭で売れ残った食品の廃棄処分される総量が膨大なものらしく、これに対して賞味期限間近であってもまだまだ十分に食べられる食品群に対して起こしたアクションらしい。いい訳でもなく強がりでもなく私のささやかな市民運動(半額ショッピング)は「フードレスキュウ」でもあったのです。 たまたま今夜はお金も乏しかったし、悠長に買い物する時間も作りそびれていました。 そこで、冷蔵庫に備蓄していた『梅干し(正確には梅漬け)はちみつ漬け』を酒の肴に、あと、たべるにぼしをつまみに軽く晩酌しました。そしたら、日本酒に『梅干し』が思いのほか似合うのです。 梅干し(紀州南高梅)は店頭で売られていた時のパック(約300グラム入り)のままで食卓に乗せましたので、パックのふたを開けると、さてどれをつまもうかなと『迷い橋』するくらい一粒一粒が個性的な顔をしていているのです。「私を食べて」「僕こそあなたの晩酌にふさわしい」などと、一粒一粒がアッピールしてきます。 スーパーの半額弁当をレンジでチンする前に「たべるにぼし」と「うめぼし」を肴に2合ほど日本酒しました。
2016.04.24
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久々に聴きごたえのあるラジオドラマに出会えました。私は感動しました。嬉しいので感動のおすそわけの気持ちを添えて皆様にご紹介します。まずはFM福岡のHPをご案内します。http://fmfukuoka.co.jp/tetsunokappa/そのページの中ほどにポッドキャスト公開という案内がありそこの文字列をクリックするとラジオドラマ『鉄の河童カッパ』を聴くことができます。FM福岡制作の『鉄の河童』です。この作品は2014年12月25日に発表された平成26年度の文化庁芸術祭賞において、文化庁芸術祭賞ラジオ部門大賞受賞を受賞しました。繰り返し聴いてみてもそのたびに感動で涙します。
2015.10.17
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