震災を忘れないために 0
工房便り 0
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アンテナ数本立てて 5月に入りました。世間では、新型コロナウイルスの感染増加に対応する緊急事態宣言の期限を5月6日よりも延長することが検討されているこの頃です。 一日でも早く感染蔓延の事態が収束に向かって欲しいと念じています。 とかく気重になる日々ですが、その一方でこうした中にも心温まるようなニュースや、みんなの知恵を出し合ってこんな協力体制が新たにできつつあるというような類のニュースも流れてきます。アンテナ数本立てて暮らしてまいりたいと思います。東日本大地震や豪雨災害など体験している中で日本人まだまだ捨てたもんじゃありません。気持ちを明るく保っていきましょう。
2020.05.01
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この冬を無事に乗り越えられた安堵と喜び 世の中は新型コロナウイルスの瀰漫と世界的な蔓延のニュースが連日報道されています。けれども私個人としては「この冬を無事に乗り越えられた」安堵と喜びの日々です。 私は3年前の10月に脳卒中(左被殻出血)を体験しています。 毎日朝晩に血圧を測り、夜間の排尿後にはその都度白湯を飲むことを怠らずに暮らしています。「一病息災」です。 『脳卒中は再発しやすい病気で、5人に1人が再発する…』と言われています。『特に冬場は夏場の2倍の頻度がある』といわれているものですから、とにもかくにもこの冬を無事乗り越えられた安堵と喜びは格別です。 高血圧の既往があった私は動脈硬化から左被殻で出血をし、その為に事実として極々僅かですが右片麻痺と失語症と右口角下垂があります。その自覚を深めた今年度でした。 幸い然したる後遺症もない…という自己暗示に頼って暮らしてきていましたが、『脳の中で出血をして脳がダメージを受けている』のは事実です。事実は事実としてこれを認め受け入れ安易な思い込みを続けないように2年半かかって心がけを改められた今年度でもありました。 たまたまの結果オーライですがアドラー心理学と般若心経に出会え『考え方の整理』の知恵のヒントを得ました。 「加齢」は失うものと同時に得るものの両方があるんだよなぁと自覚できました。 SAS外来の担当医の勧めで昨日一昨日と両日掛けて脳波とMRIの検査を受け良い結果を得られました。「大丈夫」の見える化にはお金がかかりますがこれもまた失うもの(医療費の出費)と得られるもの(大丈夫という安心)の両方があります。
2020.03.28
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ささやかながら 生き延びる努力 3年前の10月に脳卒中(左被殻出血)をやっています。脳卒中は再発しやすい病気で、5人に一人が再発するといわれています。 だから冬場は特に用心して「ささやかながら生き延びる努力」を積み上げています。もう少し生き延びたいからです。自分の人生の残りの時間に自分が何をやりたいのか自問自答をしつつ「ささやかながら生き延びる努力」を積み上げています。 連日スパに行って身体を温めて寝ること(ここの居住空間に風呂はありません)。入眠中のこむら返りはほとんどなくなりました。 CPAP療法をしつつ入眠をするようになって夜中のトイレ排尿は一回だけに減りました。外付けの厠ですから用足しをして戻ってきたら夜中の三時であろうが明け方であろうが白湯を沸かして200CCくらい飲み、そして再入眠します。 寒い冬を無事乗り越えて春を迎えたいです。 デイサービスでバイトしていると御長命の後期高齢者のお方が語る言葉の一つに私の心は立ち止まります。「私こんなに長生きすると思わなかった」その一言が複雑な意味を何重にも含みつつ私の胸に響いてきます。 私は「ささやかながら生き延びる努力」を続けます。 河島英五さんの「生きてりゃいいのさ」は私の応援歌の一つです。 https://www.youtube.com/watch?v=lt2NOMXJyAc
2020.02.12
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墓参 父の祥月命日 今日2月9日は、30年前父が66歳で永眠した日です。 私と3歳違いの妹と二人で墓参してきました。 祥月命日が今年は日曜日でしたので二人揃っての墓参が叶いました。 そして今日、墓参をしている私自身が父と同じ66歳ですから、 ちょっと不思議な心持でした。 父の葬儀の時、漠然とですが「父と同じ年まで生きられるかな…」と 思っていましたからとりあえず目標は達成しました。 合掌し「もう少し生かさせてください」と念じました。 父は大正12年の8月31日(関東大震災の前日)東京の下町で生まれました。 母子共々に生きながらえたのは間違いなく周囲の方々に守られ支えられ 励まされて命をつないでこれた証でしょう。 この世に産まれ来て生きてそして死んでいく命の不思議です。
2020.02.10
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祥月命日 墓参 今日(12/19)は私より2歳年上の実兄の祥月命日でした。 墓参りしてきました。彼は21年前の今日永眠しました。47歳7か月の生涯でした。 その兄よりも私は19年長生きしています。 私の小学校の5、6年生の時の担任だったM先生は私たちの担任になる前の2年間 私の兄の学年の担任でした。 詰まり私たち兄弟は4年間続けてM先生にみてもらっていた訳です。 そのM先生は2003/12/09に永眠されています。 今日から10日前がM先生の祥月命日でした。 そこで兄の墓参の後車で移動してM先生の墓参をしました。 M先生のお墓があるお寺までは車で15分くらいの距離です。 M先生の墓碑を改めてよく見ましたら行年68歳とありました。 私自身、今66歳ですから先生は早く亡くなられたのだなぁって改めて思いました。 永眠されたのは先生が68歳の誕生日を迎えられた9日後の事でした。 自分の年齢に引き寄せてあれこれと思いは馳せます。 私は今、デイサービスセンターで後期高齢者の方々の介護の仕事をしています。 世の中には長寿の方もあればそうでない方もあります。 早く亡くなられた方たちの分まで一生懸命生きようという思いを新たにしました。 それが何よりの供養ですものね。
2019.12.19
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今日で10月が終わります 明日から11月、今年も余すところあと2カ月となりました。 ちょっと早いですが私にとっての今年を振り返ってみます。 2019年という年は、私にとって様々な意味で「はじめの一歩」の年でした。 ・「介護」の仕事の非常勤職員になりました。始めの一歩です。 ・CPAP療法をうけはじめました。始めの一歩です。 ・「高齢者」の仲間入り2年目、自身の身体の変化への戸惑いと対応法の工夫のスタートです。 教育の最終目標が自己教育にあるのですから、ならば介護の最終目標は「自己介護(?)」、 治療の最終目標は「自己治療」にあるのではないか?と予感がしている2019年です。 ひとつ一つを味わい掘り下げていきたいと思います。
2019.10.31
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遠赤外線電気ヒーターを出しました そういえば2~4日前のこと富士山の初冠雪でか(?)山頂に白い帽子がくっきりと見えましたね。 今朝方冷え込んだのでしょうか午前5時室温が20度を下回っていました。 そこで『遠赤外線ヒーター』をケースから出して半年ぶりに組み立てました。 この先半年またお世話になる暖房器具です。今回は実にスムーズに組み上げられました。 この器具は2代目で今年1月17日に買い換えたものです。4月中頃まで使いましたでしょうか。 1代目は1年前壊れかけ、だましだまし使っていましたが今年(2019)早春に見事に壊れました。 最後までよく働いてくれました。 40年前の電熱線(ニクロム線?)のコイルヒーターの時代を思い出しますと、 この手の分野のとりわけ「遠赤外線電気ストーブ」の進化改良は目覚ましい進歩です。 今回の2代目君はなかなかの優れものでスイッチを入れると0.2秒で『即』温めてくれます。 もっとも据え置きタイプですから器具のすぐ目の前の空気をピンポイントで温めてくれるものです。 部屋全体を温めたいというような欲求はありませんからこれで過不足はありません。 工房内では人間が一人ですから、その一人の居住区域に併せて ピンポイントの暖房機器をつれまわしています。 夏場は扇風機の使いまわし方がこれ同様でした。
2019.10.25
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扇風機をしまう いつしまうかいつしまうかとタイミングを見計らって今日分解収納しました。 今年の夏もエアコンを導入設置せず、代わりに大活躍してくれた扇風機です。 感謝を込めて今年は特に丁寧に分解して掃除しました。 また来年5月の連休明け頃に組み立てます。 季節は巡り、じきに今度は遠赤外線ストーブの登場ですね。
2019.10.02
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9月のおしまい 今日は9月30日、私の大好きな9月も今日でおしまいです。 一年12カ月の四分の三が終わります。 明日からは10月。 一年の経つのは早いなんては思いませんが今年も余すところ3カ月。 自分の人生で自分が一番やりたいと望んでいる分野が 今どこまでできているのだろうかと点検します。 いそがしいという字を漢字で書くと、『心(こころ)』を『亡くす(なくす)』と書いて 『忙しい』と書き表します。程よく忙しいのが一番幸せと思っていますが、 ついつい『忙し過ぎる』日々となりがちです。 若いころのように焦りはしませんが、 日々のせわしなさの中で「心」も「志」も見失わないようにしたいと思っています。 私にしてみれば今年の9月30日はいつになく心静かな夜です。 この心情は昨日(9/29)母の納骨を済ましたことも影響していると思います。
2019.09.30
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母の納骨 母が永眠して昨日(9/28)で49日。そして今日(9/29)納骨してきました。 霊園の職員立会いのもと、墓石屋さんがふたを開け、墓石の下に収める6番目の骨壺。 納骨してこれで気持の節目のひとくぐりです。 合掌し御霊の安らかなることを祈り「これからはみんなを見守ってください」と 念じました。
2019.09.29
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メモリアルな誕生日 昨日夕方から「終夜睡眠ポリグラフ検査」をうけました。 睡眠時無呼吸症候群のデータを取るための検査です。 バイト先の健康診断の検査を受け、引っかかった項目について細かい検査を受け、 さらに細かい検査を受けることになった…というのが経緯です。 身体の脚、胸、指先、首、口の両脇、鼻、頬、顎、後頭部などあちこちにセンサーのコードを貼り付け、その数18本。凄いいでたちです。 センサーがずれたり外れたりしないようにネットを頭部(顔面)にかぶり、 まるで覆面レスラーになったみたいです。 21時から翌朝7時まで、データをとられました。 データの解析結果が出るのは約1か月後。 こうして私の66歳が始まりました。
2019.09.12
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薮下のよんちゃんの孫(祖父の戸籍を訊ねて南へ北へ) 母は2019年8月11日9時20分自宅のベッドで永眠いたしました。 92歳1か月の生涯でした。 49日法要の前までに祖父岩本米蔵のことを調べてみようと行動を起こしました。 なぜなら母は父親っ子でお父さん(祖父)が大好きだった少女です。 母の言葉を借りれば「薮下のよんちゃん」と近所の人から慕われていた人柄です。 「私の祖父のことを調べています」母の出生地のI市役所の戸籍係を訪ねました。 その為には『母の戸籍の写しが必要』ですと係の人からいわれ、 せっかくバスを乗り継いでここまで来たけれど一路南へ。 止む無く隣りのH市役所の戸籍係を訪ねました。 『本籍地は何番ですか?』と問われたものの定かにはわかりません。 私自身でさえ来週には66歳になります。ちょっと昔のことは辿りきれません。 記憶の断片を頼りに半ばあてずっぽうに申請書を書きました。 ここがスムーズにいかず係の人も検索しきれぬと見えてとても長い時間待たされました。 因みに母は先月8月11日に他界していますし、父は39年に鬼籍に入っています。 ようやく母の戸籍をプリントアウトしてもらい、時間が押しているので H市役所からI市役所まではタクシーを飛ばし一路北へと戻ります。 なんとしても今日中に祖父の戸籍を手に入れたいのです。 役所の閉館時間ギリギリに入手できました。 1956年(昭和31年)3月17日祖父は78歳10か月の生涯を閉じています。 ばぶが生後2歳6カ月の時でしたから私に祖父の記憶がないのは致し方ないでしょう。 祖父は曾祖父初太郎の3男として 1877年(明治10年) 4人兄妹の3番目として生まれています。(曾祖父43歳の年。) 因みに曾祖父初太郎は1834年(天保6年)3月生まれ。 1891年(明治24年)10月8日、祖父が14歳の年に弥八氏の養子となりました。 この当時は跡取りとの関係で養子・養父縁組の関係も多かったそうです。 1914年(大正3年) 37歳の祖父は14歳年下の祖母と結婚しています。 祖父にしてみれば晩婚だったろうと思います。 祖母と14歳離れていたわけですから夫婦喧嘩もめったになかっただろうなぁと思います。 私の母チヨさんは1927年(昭和2年)祖父50歳祖母36歳の時に、 9人兄弟の6番目に5女として生まれています。 私の母は23歳で結婚していますから、その時祖父は73歳、祖母は59歳だったのですね。 年代を頼りに、自分自身の年齢も重ね合わせ想像力で、祖父や母の人生や暮らしに思いは馳せていきます。
2019.09.07
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天寿・・・ 母が死んで2週間が経ちました。 人は生まれてきたからにはいつか死ぬのが定め。 と判っていてもそれでも訪れる『死』は遺族にとって どのような死に方であってもやはり「突然死」ですね。 不思議です。 「天寿」という言葉があります。 「天寿を全うする」という言葉があります。 天寿・・・
2019.08.25
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二日前65歳10カ月になりました 誰にも寿命というものがあります。あらかじめ定まっているだろう私の寿命よりも、 もうちょっと先まで長く生きていきたいと思っています。 来年4月までが一つのハードルと覚悟しています。若干の緊張も感じています。 その4月以上長生きしたら…故実父の66歳6月と寿命が並びます。 私よりも2つ歳上の兄は今から21年前に47歳7カ月で生涯を閉じました。 今ではその時の兄よりも18年も多く生きている私です。 そして父よりも兄よりもなるべく長く生きること、そして前向きに一生懸命生きることが、私よりも先だって逝った多くの御霊への供養であるとも思っています。 たまたま今朝(7/14)気が付きました。 明治後期から昭和初期にかけて活躍された作家泉 鏡花さんの生没年をみましたら 1873年(明治6年)11月 4日~1939年(昭和14年) 9月 7日65 歳の生涯だったのですね。 数年前竹崎利信さんの朗読で『高野聖』を聴いていてとても印象深い体験をしていました。 今朝YouTubeで泉鏡花「義血侠血」(「滝の白糸」原作) 朗読:水谷八重子を 聴きました。 作者の日本語の世界の妙、朗読者の妙。耳に快い味わい深いひと時でした。
2019.07.13
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ときどき こむらがえり どきどきどっきん 6月の末辺りから時々夜中から明け方にかけて、こむら返りを発症します。 痛いですよ。 昨年まではもっぱら冬場のみの発症でてっきりそのようなものなのだと思い込んでいましたが、どうやら通年の症状へと進化したようです。これも加齢現象の一つでしょうか? 発症すると痛いです。いたたまれないくらい痛いです。 ふくらはぎとかだけなら何とか凌げますが、両太ももの内側やらすねの内側とかやらが攣るとたまらなく痛いです。 昨年秋ごろより漢方薬の芍薬甘草湯を頓服のように使っています。 ありがたいことに即効性があるのでまずは安心でしたが、 この間の明け方は服用して30分ぐらいで別の筋が攣ったりしましたので、あの時ばかりは即効性がないこともあるんだなぁと焦りました。 服用回数が増え、とうとう手持ちの在庫がなくなり本日通院して処方してもらいました。 ライフスタイルの全体をとらえ返して症状が起きないように対策を練っています。
2019.07.11
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怒涛の出会い!? この6月から7月の頭にかけては実に多くの貴重な出会いが続出しました。 人生何年かに一度の大豊作の「出会い元年?」 あまりに多く続発しました。けれども「年齢」というキャリアは 人生65年も生きていれば「今日のこの出会い」が今後自分のささやかな人生の中で 大きなドラマへと転換していく(であろう・かもしれない…)という予測に対して敏感です。 「人と人が出会う妙(不思議)」に関しては古来沢山の金言が残されています。 人生とは出会いだ。 出会いこそが人生だ。 出会いは楽し!! 勿論「出会い」が期待外れに終わるかもしれない・錯覚だった…というこれまでの苦い体験を重々踏まえつつ、今回はあえて見切り発車をしましょう。 事前の計算づくでは成り立たない「運命的な出会い」、あとからこじ着けて『運命』と言い放てたとしても、どっちにころんだっていいじゃないですか。 出会いの先に各々のあれやこれやをすり合わせていくうちの「人生のお宝」に対して産まれ来るものに対してときめいていたいと思うのです。
2019.07.06
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怒涛の出会い!? この6月から7月の頭にかけては実に多くの貴重な出会いが続出しました。 人生何年かに一度の大豊作の「出会い元年?」 あまりに多く続発しました。けれども「年齢」というキャリアは 人生65年も生きていれば「今日のこの出会い」が今後自分のささやかな人生の中で 大きなドラマへと転換していく(であろう・かもしれない…)という予測に対して敏感です。 「人と人が出会う妙(不思議)」に関しては古来沢山の金言が残されています。 人生とは出会いだ。 出会いこそが人生だ。 出会いは楽し!! 勿論「出会い」が期待外れに終わるかもしれない・錯覚だった…というこれまでの苦い体験を重々踏まえつつ、今回はあえて見切り発車をしましょう。 事前の計算づくでは成り立たない「運命的な出会い」、あとから漕ぎ着けて『運命』と言い放てたとしても、どっちにころんだっていいじゃないですか。 出会いの先に各々のあれやこれやをすり合わせていくうちの「人生のお宝」に対して産まれ来るものに対してときめいていたいと思うのです。
2019.07.06
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今日で6月も終わりです 半分経過しましたね 半年がたちました。新たな試みと発見が、上半期いろいろありました。 介護の仕事に就いたこと。くたびれますが、疲労回復の手立ても整理されつつあります。 始めの一歩です。まだ跳びきってはいませんが、ともかく歩き出しました。 ガーデニング…、のり面の崩落防止の養生、孟宗竹を使った花壇の額縁のあしらい、挿し木の試み、 初春から初夏に向けての花のリレーうまくいってます。いい気分です。 やはり安定するには4~6年かかるものですね。 来年に向けての花壇計画の展望が出ました。 このあと夏から初冬にかけての花のリレーの試みに挑みます。 ものづくりは休止中です。
2019.06.30
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飛んでいたのはモンシロチョウではなくて、キアシドクガでした 昨夜遅く窓を開け閉めした際に2匹飛び込んできました。 よく観察しインターネットで調べてみましたら、 連日(今朝も同様に乱舞)飛んでいたのはモンシロチョウではなくて, キアシドクガ(黄脚毒蛾)という名のチョウ目ドクガ科の昆虫だと解りました。 北海道から九州,朝鮮半島,シベリア,中国に分布するそうです。 年1回発生、卵で冬を越します。 名称の由来は成虫の脚が黄色い為、 幼虫には毒のあるドクガ特有の毒針毛は無く、 一生を通じて毒は無いそうなので一安心です。 日の高い内に成虫の飛ぶ姿を見て、 多くの人は「白い蝶」と誤認する…なるほど私も誤認しました。 改めて今朝花壇を飛び回っているモンシロチョウと飛び方を比較しますと、 モンシロチョウの飛び方は上下にドデバタしていますがキアシドクガの飛び方は スマートで省力的。エコで無駄がありません。
2019.05.28
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「旬の景色」 蝶の乱舞の続き 今朝もはよから雑木林に蝶が舞っています。 この前ラジオ体操をしながら見つけた時の場所(庭)からでなく、 部屋の中から窓を大きくあけ放ってもぐもぐと朝食を食べながら 別のアングルから乱舞の様子を見ます。 窓に身を寄せるようにして眼を上のほうに移動したり、 窓枠の左右の端のほうにまで眼を移したりして見えている範囲を広げてみます。 するとそちらでもあちらでもこちら同様の数の蝶が飛んでいます。 見ているうちに、これは求愛の舞ではなく、・・・なんだろう・・・、 もしかしたら「祭り」? 試みに「ラッセラーラッセラー」とつぶやきながら様子を見てみる、 掛け声は結構乱舞に似合っています。飛び疲れないものだろうか。 葉っぱや小枝に停まって翅を休めている蝶は一匹も見当たりません。 6時を過ぎ7時を過ぎ間もなく8時になるのに乱舞は続いています。 みんなタフですね、というよりは飛ばずにはいられない命の躍動。やっぱり祭り。 一年でもこのわずかな日々に限定した光景でしょう。「旬の景色」
2019.05.26
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健康診断、バリウムのリベンジ 就職した職場の健康診断を受けてきました。検査項目の中にバリウム 胃のレントゲン撮影がありました。 バリウムを飲んでの胃のレントゲン撮影の体験は過去に2回あり今度が3回目でした。 過去二回とも撮影直前にゲップをしてしまい・・・そんな体験から今回こそは ゲップをせずに撮影を済ませたいと果敢に挑みました。 撮影前に看護師さんレントゲン技師さんから かたっぱし「ゲップ」を抑えるコツを収集しました。 そのコツの要点は、ゲップが出そうになったらとにかく『ゴクンと飲み下す。』 咳が出そうになっても咳をすると息が漏れて始うので『咳も我慢』して咳をしない…というものでした。 おかげさまで辛くも成功しました。 まさに「三度目の正直」検診の全項目を無事終了しました。 下剤の効果もあり午後にはめでたく排便できました。
2019.05.22
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今日抜糸できました 2週間前の日曜日朝10時頃、段ボール箱を寸詰めする加工をしている最中、 カッターナイフがツルッと滑りました。 ナイフの切っ先が右大腿四頭筋の真ん中の一番太い筋にぷすり。 ナイフが滑った瞬間緊急回避と腿を引こうと試みかけたが間に合いません。 負傷してしまいました。 傷口は長さ20㎜くらい、カッターナイフの刃先で突っついたのですから切れ方はシンプル。 すぐ傷口を手指で左右から押えましたので出血はごく少々。 心細さの中で「落ち着いて、落ち着いて」と自分を励ましつつ、ともかく止血が優先。 心にゆとりがなかったので消毒は端折り絆創膏を張り伸縮包帯をグルグル巻きつけ、 休日当番医はどこかと、市民病院に問い合わせます。 日直の事務員の方が当番医を二か所紹介してくれました。 近いほうの医療機関に行きましたら「うちは脳外科の専門医ですから」と断られました。 2番目の病院の救急外来で有難いことに見ていただけました。 当番の先生は傷口を見てすぐに処置です。 医療技術は深化しているのですね。 ドクターは傷口を消毒しけがの状態をチェックすると看護師に指示を出します。 「ちょっと痛いですよ」といいながらホッチキスのような医療器具でパチンパチンパチン。 3針縫いました。 「はい、終わりました」ほんの1~2分の出来事です。 10日ほどして再診。「傷口はきれいにふさがっていますね」 処置して2週間の今日抜糸(ホッチキスのピンのようなもの)しました。 小さなラジオペンチのような器具で「痛い」という間もなくあっという間に抜糸。 医事課の出入り口の張り紙が気に入りました。 当病院の基本理念 …生きる力を支える医療と看護をご提供します。… こんな素敵な病院が我が町にあることを誇りに思います。 休日当番医と医療機関に感謝です。
2019.05.05
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「再起動」で復旧 この間のことです。パソコンが立ち上がらず難儀しました。 いろいろな経緯のあれこれを経て、詮ずる所、量販店の店員さんの中で私が一番の信頼を寄せているWさんを指名して、出張で復旧していただきました。 そして今日また突然にこんどはスマホが起動しなくなりとてもとてもパニクリました。 専門外であろうけれども量販店のWさんを訊ねてお店に飛び込みました。 まったく「おぼれるものはわら(WARA)をもつかむ」そのものです。 幸い彼は勤務していらしたので事情を話し、 何度試みても起動してくれない私のスマホを見てもらいました。 ダメもとと覚悟しつつ、 いくら彼でも専門外なのですから埒が明かなかったとしても諦められます。 「なるほど、とりあえず『再起動』かけて様子を見てみましょう」 冷静沈着な彼の対応はこんな時には実に頼もしいです。 そしてなんとスマホは無事復旧し正常に機能してくれました。 「どうやって直したのですか?」やり方を教わりました。 電源ボタンを『長押し』します。『再起動』の文字列をクリック 「パソコンでもスマホでも『再起動』をかけると治ることはよくあります。」 ありがとう、私も一つ経験智が増えました。
2019.04.22
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有象無象の整理整頓の試み なにしろ「とっくべつの春休みの大詰め」です。 新たな生活の始まりの前にできるだけ工房内の片づけをしようと取り組んでいます。 年数掛けてゴミ屋敷のごとき工房に成長した空間です。有象無象であふれています。 引越してきた時に「こいつはとりあえずここに置いておこう」の『とりあえず』はその後、全く手つかずのままに、『放し飼い状態』です。これが有象無象の受け皿になっています。 「いつか使えるだろうから捨てるのはもったいない」これが有象無象の正体です。 片づけの苦手な私ですが、片づけなくっちゃという切羽詰まった重苦しい思いで取り組むのではなく、きれいさっぱり片づけて生まれり替わりたい…の思いで取り組んでいます。 有象無象をどうやって片づけていくか考えました。 その試みの第一弾は「うぞうむぞう」を「うぞう」と「むぞう」に仕分けしてみます。 その気になって「有象無象」を俯瞰すると自分なりに「うぞう」と「むぞう」が見分けられてきました。すなわち即ゴミ扱いの類の袋詰めとちょっと考え中の保留の類に分けます。 今日は2時間取り組みました。 今日の袋詰めは大のゴミ袋2袋、中のごみ袋2袋。 丸ごと全体から見れば着実に遅々と進んでいます。また明日。
2019.04.12
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新たな一歩、始末とは『末』と『始』なのだ 新しい生活が始まるカウントダウンあと6日です。『とっくべつの春休み』もあと6日。後半戦です。 新しい生活が始まるのですから、これから先の暮らしの中で使わないもの、いらなくなるもの、などなどを整理整頓しようと試みつつあります。 この試みは私にしては画期的な取り組みです。 実はこの手(整理整頓)の分野が見事に不得手なのです。 ですから世にいうところの「きれい好きの人」に対して私は「きたな好きの人」ですなどと洒落ていました。 方づけきれずに、いつか使える時も来るからもったいないと先送りしてきたものであふれています。 いろいろと諸状況が変貌してきたのだからさすがにもう手を出さなければと「潮時」を感じています。 「とっくべつの春休み(後半)」に潮時の到来の気配を感じています。 確かに「やらねば」なのですが不得手なのですから「やらねば」で事態収拾に取り組むのは気分がどんよりと重いです。 「やらねば感覚」を「やりたい感覚」にどこまで変えて取り組めるかの実証実験にエネルギーを注いでみます。 つくづくあれもこれもと手を下さなくてはならないものばかりです。 が既に収拾がつかない気が遠くなるようなゴミ屋敷状態。 はっきり言えることは「あれもこれもは一度にやりきれない」です。 そこで、今日はあれ、次回はこれとまず頭の中の思考回路を整理整頓です。 『あれ』なり『これ』なりをフォーカスしてピンポイントで取り組み始めています。 それにしても廃棄するものを大胆に廃棄するのは弁別の見極めと勇気と決断がいりますね。 思慮深く見つめてひるまず臆せず大胆に…「修行」のような日々です。
2019.04.10
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街の灯一つ消えました 今日、私のなじみの居酒屋さんが一軒25年間営業の幕を閉じました。 お店というのはどんな業種であれ地域の文化の花です。 25年です。楽しいお酒の夜のエピソードはあれこれあります。 四半世紀ですからよく頑張ってくれましたと熱烈拍手です。 もともと家の外でお酒を飲む機会は一年間で4~6回程度の私です。 ですからなじみの居酒屋さんも2~3軒です。 「今夜飲もうか」というときの選択肢の最有力のお店を失ったのは寂しいです。 こちらのお店の店主の奥さんは『陰徳陽報』を絵にかいたような性格で、 その働く姿から学びや気づきを沢山いただきました。 奥さんは私にとって人として自分の人生を生きていく上で貴重なお手本です。 今後は同じ町に暮らしているご近所さんとして新しい何かを始められるでしょう。
2019.01.29
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0.2秒の即暖力 暖房器具の遠赤外線電気ストーブがついに壊れ、 熊のように冬眠するわけにもいかず これなしではさすがに耐えきれませんので新品に買い換えました。 首振り機能やタイマーのついていないもっとも単純な様式を選びました。 便利な機能が沢山ついていればその分だけ故障する率が高くなるからです。 初代のストーブは10年間活躍してくれましたから費用対効果という点では 十分元は取れたと思います。 10年前に購入した時よりも今回のもののほうが安かったのはありがたかったです。 この10年間でこの手の電化製品は目覚ましい進歩をしているようで、 2代目の遠赤外線電気ストーブはスイッチを入れて何と0.2秒で温まります。 スイッチを入れると同時に温かいです。実にありがたいです。 スポット暖房ですからストーブの傍だけ暖かいです。部屋全体は温まりません。 周りは寒いですが、今は冬なのですからそれで充分です。 頭の中では「寒冷地仕様」「寒冷地仕様」とお題目のように唱えています。 不思議と凌いでいけます。
2019.01.17
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8年後の明けの明星のこと 気持がふさぎそうなとき、へこみそうなとき自分を励ます方法を考えてきました。 そして今朝一つ新しい方法を見つけました。 それは金星(明けの明星)の輝きです。 朝5時まだまだ外はマックラケで東の空にひときわ美しく輝いている金星です。 朝6時20分東のほうが朝焼けの兆し。 朝6時30分NHKラジオ第1で「ラジオ体操」が放送開始です。 金星(明けの明星)を見上げながらラジオ体操をします。 朝6時40分ラジオ体操の放送終了です。 このころはだいぶ空も明るんで、金星の輝きはごくひっそりとして 朝の空の明るさの中に溶け込みます。 最近ちょっと気に停まっていましたので、金星のことを調べてみました。 『金星と地球の会合周期は584日、その5倍は地球の公転周期(約365.25日)の ほぼ8倍。その8年の間に、明けの明星の時期と宵の明星の時期とは それぞれ5度づつ見られるのです。』 「金星の軌道の特性ゆえに地球上での見え方は、8年ごとに殆ど同じ位置で再現される」 成程、ということは今朝見ている金星(明けの明星)は8年後の同じ時間帯に だいたい同じような見え方をしているのだな。 夕べは冷え込んだから夜間のトイレも6回くらい通いました。 そんな至近距離の現実の中に自分を置くと気持ちが小さくなって思わずへこみそうになります。 私はもっと遠くまで行きたいのだから思いを8年後の自分とつなぎ金星と契ります。 すると、へこみかけていた自分の中に力が湧いてきます。不思議です。 自分の8年後をイメージしてみます。 73歳になっている自分はどこで何をしていることでしょうね。
2019.01.10
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今日から通学、始まった新たな日常 朝の風景 夜間は2回トイレに起きいつものような浅めの眠りで熟睡はできませんでした。 けれども信じられないくらい朝の目覚めが爽やかでした。 セットしていたアラームは縁起を担いで5:55。 「ゴーゴーゴー」と気合が入ります。とてもいい気分です。 起きぬけにもう一度排尿をして、血圧計で測定をし、定番の朝食もスムーズ。 ラジオ体操の放送時間にゆとりを作れました。 放送前 ♪あたーらしいあさがきたきぼーうのあさーだ・・・♪ 思わずテーマ曲を口ずさんでしまいました。こんな気分は初めてです。 東の空には明けの明星が輝いています。 メガネをかけて明けの明星を見ながら6:30からのラジオ体操、身体の動きは快調。 ラジオ体操するとき眼鏡をかけるのには理由があります。 なるべく遠くの一点と気を結びつつ体操すると大きな心持ちで動かせるからです。 この点で明けの明星は最高のスカイマークです。 午前の風景 今日は職業能力開発センターの入校式とガイダンスでした。 学生も教師も新しいことを始めることへの期待感や意欲が滲んでいました。 学生のほうには若干の戸惑いや緊張を秘めつつ学び取りたいという熱、 教師のほうにはこれからいろいろ伝授していきたいという熱がありました。 学生も教師も年齢が近いというか、教師よりも年かさの生徒もちらほら。 どんな学生生活になるのでしょう。 ハローワーク経由で入学した人のほうが多かったです。 明日は第2日目。教科書の販売とか教室の見学などがあります。
2019.01.07
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お正月休み 自問自答してみます。 いわゆるお正月休みらしいお正月休みをしたことが19歳の年から65歳までの間に 一体何回できただろうか? 6回? 9回? 今年は自分なりにお正月休みらしい休み方ができた貴重な年でした。 やはり生まれて初めての失業生活だったからでしょうか? それなりにエンジョイできました。 いろいろ考えさせられたお正月休みでした。 感じた事、考えた事が多々ありますがこれを整理するには時間がかかりそうです。 少しずつ綴っていこうともいます。 明日(1/7)からは学生生活が始まります。通学生活は何と41年ぶりでしょうか。 だから今夜はもう早々寝ます。熟睡できるといいんですけどね。おやすみ。
2019.01.06
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新年初落ち葉焚き 昨夕(1/3)大家さんがトタン板をかぶせて焚火してありました。 今朝7時そのトタン板をどけると熾火の真ん中からうっすら煙が昇っています。 年末に敷地のあちらこちらに小さな山に積み上げていた落ち葉を、 チリトリの大親分のような箕に掻きよせ、焚火の熾火の上に積み上げました。落ち葉をもっこりとてんこ盛りです。 一度にうずたかく積み上げては危険ですから1m30㎝位の高さで積み止めます。 そしてそのそばに第2第3の枯葉の山を作って待機します。 ブスブスと燻って暫くは着火まで暇がかかりますが、着火発火点に達すると、 それまでの我慢も限界というかの如くボッと燃え出しました。 火の勢いがピークを越して弱まったのを見計らって枯葉をつぎ足します。 見上げると年末には枯葉が枝いっぱいにしがみついていたコナラの大木は3分の2位落葉していました。新参者の落ち葉も履きよせ掻き集め箕にてんこ盛りです。 箕にいっぱい掻き集めた枯葉を焚火に追加しくべること80杯ほど。 1時間半ほどボランティアでした。
2019.01.04
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正月三が日 おついたち初日の出を一目見ようと相模川の河口や海岸に足早に集っていく人々 二日、箱根駅伝往路の選手に声援を送ろうと国道134号線の平塚沿道に集っていく人々 三日、箱根駅伝復路の選手に声援を送ろうと国道134号線の平塚沿道に集っていく人々 どれもみな期待感にあふれたワクワク感のオーラが全身から出ています。 実にいいです。皆希望にあふれている眼差しです。 良い一年でありますようにと祈ります。
2019.01.03
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タヌキを見ました たまたまですがお正月の2日、昼前の11時過ぎのこと。 夜行性の野生動物のはずのタヌキを2匹見ました。 1匹目は工房の進入路の坂下で。 わたしと目が合うなり俊敏に草むらの中に姿を隠しました。 その坂を上がり切ると坂上の奥のほうで2匹目を見ました。 今度のは目が合って一呼吸くらい間があって土手のほうへと消えました。 1匹目は若者でした、毛並みもよくコロンとした体形。 2匹目のはその親でしょうか、少々痩せ細っていました。 その30分後くらいに3度目の目撃。これは2匹目の狸と同じタヌキです。 腰のあたりで体毛はだいぶん抜けていて尻尾にかけてはもっとちょろちょろでした。 栄養が足りないと体内に虫も湧いて毛が抜けるのだそうです。 昨年の暮れにタヌキの世間話を工房の大家さんとしていました。 「ばぶさん、このごろタヌキ見かけたかい?」 「最近見かけませんね、絶えちゃったんでしょうかね」と立ち話したばかりです。 生息の確認は実害のない私たちにすれば朗報でしょうか。
2019.01.02
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大みそかから元旦顛末 毎年のことですが大みそかに移動して、お正月は実家のある平塚で過ごします。 自分でも不思議なくらいカウントダウン番組に興味がそそられずお風呂に入って 22時頃就寝しました。 年が明けての夜中1:40頃でしたでしょうか、 布団の中で「あれっ」と嫌な予感です。 「これはいかん、こむら返りが起こりそう」と布団から起きだすと、 予感はみごとに的中。 「痛ぇててて」痛みはどんどん連なっていき、 両の土踏まずからふくらはぎ、太ももの内側から足の付け根まで、 しかも何と右足左足の両方に『こむら返り』です。 ここまで派手な痛み方をするのは初体験。 とても「こむら返り」などという言葉では表現しきれません。 「こむら返り」ではなく見事な『おおむら返り』です。 就寝前お風呂で温まって布団に入りましたから 明け方まで熟睡できるか…と侮りましたが、その果てのざまです。 拍子の悪いことに頼みの綱の漢方薬(ツ〇ラの芍薬甘草湯)は持参忘れです。 何はともあれ宇宙遊泳のようにトイレに行って夜間排尿。 トンプク無しで痛みのさなかにパジャマのズボンを脱いで 股引(タイツ)を履きハイソックスを履き、 再びパジャマを重ね履きし…ここまでの所要時間なんと9分間。 痛い痛いといいつつ布団に入りました。 新年早々のこの体験は何かの啓示でしょうか。 次の目覚めは6:11のアラーム音(1/7からの学生生活に向けての生活習慣づくり)。 恒例の初日の出を見に出かける支度にとりかかりました。 ここ30年以上初日の出を見に平塚の海岸に行ってます。 今年は場所を変えて相模川の河口の堤防の上で見ました。 実家から海岸もしくは河口まではだいたい徒歩15分くらいの距離。 今年の初日の出は雲の隙間からのご来光でした。 振り向けば富士山。 天気の良い年は裾野まで雄姿を眺められるのですが、 今年は厚い雲に遮られてその雄姿は見られませんでした。
2019.01.01
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ラジオ体操と月の軌道 ラジオ体操の最中に見つけた西の空の月も今日で三日続けて観察です。 日々の印象の記憶をつなげていくと空に月の点描画ができます。 一日ごとに高さ方向に変化していくだけでなく左側(南側)にもずれているのが 見て取れました。 すると明日の朝になると月は空のあの辺にあるだろうな。楽しみが一つ増えました。
2018.12.27
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ラジオ体操西の空 22日当時を境に日いちにちごとに昼の時間が長くなっているんだよなと思いつつ 夜明けの東の空を見てラジオ体操の放送開始(6:30)を待っています。 さりげなく西の空を振り返り見るとまるい月(有明の月/残月)が見えました。 ラジオ体操をしている所からは東側に一路線、西側に二路線、送電線が見えます。 東側のは佐久間線という送電線、あと二つは名前を忘れてしまいました。 昨日の朝、その名前を忘れた西側の送電線の鉄塔の上あたりに月が見えました。 今朝は、送電線のかなり上のほうの空に月が見えました。 同じ時間に定点観測をしつつラジオ体操をしているので一日ずれると月の位置は こんなにずれるんだなと思いました。 昨日の空の印象から、明日の空の月はだいたいあの辺の高さかなと想像しました。 送電線がランドマークというかスカイマークで見当が付きます。
2018.12.25
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私のホームドクターズ 感謝、感謝の一年でした 日常お世話になっている主治医や薬剤師はもちろんのこと 自動車の修理工場のIさん、車検も含めメンテナンス全般を見てもらっています。 自転車屋さんのSさん、安全点検が入念でありがたいです。 花屋のKさん、ガーデニングの初歩的な知識やアドバイスを授けてもらってます。 家電の量販店のWさん、特にPC類のトラブルなど面倒見てもらっています。 殊更この一年はWさんには要所要所でお世話になりました。 実にありがたい私のホームドクターズです。 この何日かブログをアップできない日が続きました。が、それには事情がありました。 インターネットを使っていろいろやっていると 「このパソコンは危険な状態にあります」というようなメッセージが入ります。 指示に従って画面を追っていくと、PCの現状を診断され、 かくかくしかじかのソフトをダウウンロード(購入)することを勧められます。 途中で解りにくくなったり面倒になったりで手続きを放棄します。 電源を切れば問題は終わっていたようでしたがそれをしないで画面を休止状態にして断続して使っていました。 メッセージがその後もしつこく侵入してきて、 やがては「警告」という小さな画面が出て、早く手続きを完了するようにという メッセージと供に画面そのものがフリーズしてしまい何もできなくなりました。 こうなっては私のPCのホームドクターWさんの助力より打つ手はありません。 お店に電話して彼の本日の勤務時間のシフトを確認し、 藁をもすがる思いでデスクトップ型のパソコンを持ち込みました。 お店に着くと彼は今から出張で出掛けなくてはならないという処に居合わせました。 愕然もどきになってしまいました。修理完了まで何日かかるかもしれません。 機器をお店に預けて後で連絡を入れてもらうという段取りを確認して帰宅しました。 夕方連絡が入りました。朗報でした。 問題のメッセージを処理(退治)してくれたのです。 実にありがたかったです。
2018.12.24
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手続きに行きました 今日はハローワークの失業保険受給資格認定日で通所してきました。 一昨日は東京都立の職業能力開発センターの入校手続き書類を提出してきました。 それぞれ手続きそのものは簡単なものですが出かけて帰ってくると半日は潰れます。 出掛けたついでだからと他の用事もこなそうというのはやめました。 かつては難なく掛け持ちもこなせていたのですが、無理しないことにしました。 行って帰ってくるだけでもほんのり疲れを感じます。 自分を甘やかしているのではありませんが疲れを次に持ち込まさないように 心掛けることにしました。 当たり前のことを当たり前にやれる幸せはたまに当たり前にやれずに思いのほか 手こずったりするようになると実感します。 テンションが下がるのでしくじりを嘆きの対象にしないようにしています。 時には当たり前のことを当たり前にこなせるよう気を張ってすることも増えました。 これもリハビリーの一環なのだと丁寧に行います。
2018.12.20
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祥月命日 平成10年12月19日(土)私の兄は心筋梗塞で倒れ吐物が喉に詰まり窒息死でした。 今日は20回目の祥月命日です。 兄は47歳7カ月の生涯でした。弟の私は現在65歳と3カ月。 今日墓参して近況など報告しました。 先だって逝った兄の分まで生きて仕事しますよと改めて誓ってきました。
2018.12.19
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青年とラーメンを食べました 昨夜(12/16日曜日)のことです。 愛娘と久々 (多分2年半ぶりくらい) に会って居酒屋で二人の 忘年会もどきの時をしばし過ごししました。 近況などいろいろ聞いてそれなりに元気でやっていることを実感しました。 お開きにして店を出て駅まで戻り、私は上り電車、愛娘は下り電車。 「じゃあまたね」と別れました。 最寄り駅で下車しバス停に歩いていくと、発着所の暗がりにぽつんと人影。 時刻表を見たかった私が「すみません」と覗き込むと 「次のバスは40分発ですよ」と親切に教えてくれました。 その言葉を確かめようと覗くと一緒に覗いてる彼が「あっ」と驚きの声。 「今日は日曜だから40分発がありませんよ。」 四枚全部の時刻表の欄をあちこち指先でたどっていって、 「もう終バス全部おわってます。うっかりしてたなぁ」 バイト帰りの彼は平日乗っているバスが今日もあるものだと思い込んで 待っていたようです。 まだ23時前なのですがそんな場合もあるだろうととっくに想定内です。 歩いて帰るという方針はすでに定まっています。 二言三言世間話をしていたら彼も同じバス路線の利用者、 しかも私が降りるバス停の一つ前のバス停まで行くのだといいます。 「それじゃあ歩きますか」と何気に誘います。 訊くと「来月二十歳になります。」 まるでじっちゃんと孫の二人連れのようです。 徒歩38分ほどの帰路には少し先に中華料理店の灯が見えます。 「おなかすいてる?ラーメンでも食べる?」 「え?ご馳走してくれるんですか?」と早合点の彼。 そういうのもありかと思いつつ、店のドアに手を伸ばしかけると『閉店』の看板。 はらっぺらしの彼を誘ってその気にさせといてこのままでは酷です。 さらに歩きます。 帰路の道のりの半分程のところに中華のファミレス。 夜更けに初対面の青年とラーメンをすすりました。
2018.12.17
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合格しました ハローワークで紹介された東京都の職業能力開発センターの 平成31年1月入校生募集の選考試験を先週水曜日(12/5)受けました。 受けたのは『生活支援サービス』という学科です。 今日は選考試験結果発表の日です。 郵送され結果の通知が自宅に届くのはたぶん明日でしょう。 我ながらせっかちですね、待ちきれずに試験会場の 多摩職業能力開発センター府中校に結果を見に行きました。 合否結果が10時に掲示されました。 合格していました。嬉しいです。やっぱ嬉しいです。 これで、来年1/7~3/25までの約3か月間みっちり月曜から金曜まで 毎週5日間7時間の授業を受けます。40年ぶりの学生生活です。 路線バスと電車を乗り継いで片道1時間弱の通学です。 最寄駅から学校まで徒歩10分の道。 道中の電信柱に巻きついている「通学路」の表示が身近なものに感じだしました。
2018.12.11
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恩師の墓参をしてきました 日々の暮らしは毎日誰かの誕生日で毎日だれかの祥月命日です。 2003(平成15年)/12/9今から15年前のことです。 私の小学校5年6年の担任だったM先生がお亡くなりになりました。 今年はたまたま日曜日の祥月命日ということもあって墓参してきました。 墓参は今回が2回目でした。 墓碑を読んだのに迂闊にも先生が何歳でお亡くなりになったのか見ませんでした。 風が冷たく強めに吹き抜けていました。 私には2歳年上の兄(故人)がいました。平成10年没の47歳の生涯でした。 M先生は私たちの学年を受け持つ前やはり5・6年生を担任していましたので 私たち兄弟を4年続けて担任したことになります。 生前M先生のご自宅を訪問したことが一度あります。 私が保育士になってざっと9年目のことでしたから今から36年前頃になります。 その時M先生は国立(こくりつ)の小学校の校長さんをされていました。 「兄ちゃん達の学年は長男長女(第1子)が多く君たちの学年は兄弟の2番目や3番目が多い学年だったのが特徴だったよ」と語られていました。 私の学年の担当の時は30歳だったとおしゃってました。 生徒と18歳違いという計算になります。若くてバリバリだったろうと思います。 放課後に生徒と本気で遊んでくれる日もありました。 ドッジボールなんて手加減なしの本気でやってくれました。 先生との談笑で特に記憶に残っている象徴的な話が一つあります。 教師は教壇に立って授業を始める時「みんな前を向いて」と声を掛けます。 この時、後ろを向いている生徒がいたとします。 みんなが前を向いている時一緒に前を向いてるほうが楽なのに後ろを向いている。 「さあ前を向きなさい(勉強することで幸せが待っているよ)」と声をかけつつも、 『この子はどれだけの悲しみをもって後ろを向いているの』と思いを馳せてみる。 教師には複眼の感性が大事なんだよ的なことを語っておられました。 自分が現場の保育士をしてた時大切にしていた心がけのひとつはM先生からの伝授です。
2018.12.09
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今日(12/05)受験しました 東京都の職業能力開発センターの平成31年1月入校生募集の試験を受けました。 受けたのは『生活支援サービス』という学科です。 たまたま応募締め切りの2日前ハローワークの職業相談で紹介されました。 ですから事前の見学会などには全く参加していませんが気にも留めませんでした。 決してヤケクソではないけれども、もうまな板の上の鯉の心境でした。 それに「世の中は捨てる神あれば、拾う神あり」の人生観ですから 『なるようになる、なるようにしかならぬ』というさばさばした心持でした。 合否の結果は来週火曜日です。待ち遠しいですね。 これに先立って10月に別のところを一つ受けまして その結果は不採用(落第)でしたので、正直「試験」というと若干気重でした。 何しろ試験ですから必ず合格できるという保証は全くありません。 もしも合格したらもっと詳細を綴ることにし今日のところは中間報告です。
2018.12.05
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Sが消えました 各産地とも出荷しきったのでしょうか? また来年のシーズン到来までの「お愉しみ」です。 何のことだかお分かりですか? もう少し続けましょう。 熊本3回 佐賀3回 長崎2回 福岡4回 愛媛4回 和歌山3回 広島1回 静岡1回 小田原(神奈川)1回 不明(無記入)1回 曖昧サイズのもの2回 特に産地は拘りがないのでたまたま店頭で見かけるたびに 買い置きの残り加減を思い起こしては条件反射的に衝動買いしています。 何のことだかわかりますか? 答えは今シーズン今日までに買い求め食した温州ミカンの産地です。 私のことですから次回から来年2月末くらいまではMサイズの温州ミカンを 購入し食ていることでしょう。 そして全部まとめて「温州ミカンはうまい」んです。私は大好きです。 今日で11月も終わり明日から12月。 この11カ月いろいろデコボコありましたがだいたいいい感じに過ごせました。 今年もあと残すところ1か月に入ろうとしています。 今年一年良い年だったなぁいい仕事ができたなぁと言い切れるよう12月も精進します。 今日は小さな保育園の行事に招かれて今年最後のパフォーマンス(お話しおじさん)をしてきました。演目は自作の「うさぎくんとかめくん」「おいしいおかゆ」をやってきました。
2018.11.30
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人生の徳俵 お相撲の「土俵」は、土を詰めた20個の俵で試合場の内外を円形の境界線で 表しています。縁の大きさは内径が十五尺、およそ4.5メートルです。 東西南北の四俵は、俵の幅の分だけ外側にずらしてあり これを「徳俵(とくだわら)」と言います。 勿論、外に出ている分、土俵際に追い込まれても その分だけ足を残せるところから「徳俵」と呼ばれています。 調べてみましたら徳俵がずれている理由は他にありました。 昔、相撲は野外に土俵を作っていましたので雨が降って土俵内に水が溜まった時に 水の掃き出し口として考案されたのが徳俵です。知恵がさえわたっています。 相撲の勝負で劣勢の力士が徳俵に足をかけて踏ん張っている姿には 手に汗握る感動を覚えます。 失業して求職中の私も徳俵に足をかけ踏ん張っているようなものです。 土俵内に溜まったストレスという水たまりの水も殆ど掃き出し終わりました。 焦らずに納得のいく仕事にたどり着こうと思っています。
2018.11.25
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身の丈に応じた失業暮らし 「身の丈に応じた暮らし」という言葉があります。私は今失業中で求職中なので『身の丈に応じた失業暮らし』というところです。とは言ってみたものの「身の丈に応じた失業暮らし」とは一体どんな暮らしなのでしょう。どんな暮らしか解らない部分が殆どですからその中身を創り出すやり甲斐があるというものです。収入がないという暮らしは漠然とした不安が付いて回りそんな不安との静かな戦いをしています。収入がないのですから消費生活のスタイルに節約や倹約を取り込みます。けれども「貧すれば鈍す」にならぬよう「品のないセコイ生き方」にならぬように戒めています。無収入でも、ストレスに束縛されない暮らしの解放感は自分を見つめるうえでとてもクリアです。自分の残りの人生の時間の中で一番やりたいことは何か、静かな心持で自分と向かい合います。せっかく失業したのだから心の洗濯をしつつじっくり自分に合った仕事を見つけようとしてます。自分の才能や感性を安売りせず納得のいく仕事を見出していきたいと思います。
2018.11.10
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通院日 私はキャッスルマン病のキャリアです。 昨日は月に一度の通院日でした。生物学的製剤を一時間かけて点滴注射します。 小田急線で新宿まで行きJRの総武線に乗り換えて信濃町まで行きます。 総武線は怖いです。何しろ乗車しようとして片足が中に入っている状態でもドアが閉まるのです。 昨日は二度目の同じ怖い体験をしました。 一度目は以前新宿駅で乗車するときに。 昨日の場合は目的地の駅の一つ手前で混雑した車内で「降ります」の声を聴きました。道を譲るため一度プラットホームに降りて再び乗り込もうとした時に体験しました。 全くおとっとでした。 乗務員さんもこのようなドアの開閉をしないとダイヤ通りの運行ができないほどの状況なのでしょうね。 月に一度しか都内には出向かないのですが、心してもたつかずに乗るようにしないといけません。 信濃町からK大学病院へと急ぎ足に向かいます。 月に一回の点滴注射の通院ですが、3か月に1回は血液内科の主治医の診察と血液検査があります。 昨日はその月でした。 近代化が進んだ病院です。良くシステムが整理されていると思います。 さらに進化した新館ができました。 システムに対してのこちらの学習能力が曖昧なため段取りが不十分で 昨日は思わぬアイドリングタイムをたっぷり招いてしまいました。 が、おかげさまでたっぷり経験智を増やすことができました。 次回からはスムーズに受診できます。
2018.11.09
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指先センサー 私は温州ミカンが大好きです。毎年手のひらがやや黄色くなるくらい食べます。 県別産地までは特別執着しませんが、粒の大きさにはこだわりがあります。 サイズがSと表示されている温州みかんを特に好んで買い求めます。 ミカンの出始めの早生品種が店頭に並ぶ頃にSサイズは全く姿を見せません。 年が明けて1月末頃になるとやはり姿を消します。 かつてSSサイズというのを一度だけ見かけ食したことがあります。 昨日はスーパーで憧れのSサイズをたまたま見かけたので衝動買いしました。 温州ミカンそのものが今シーズン初購入でした。理由はりませんたまたまです。 2㎏詰めでしょうか大袋のラベルには「お徳用」と表記され産地は愛媛産とありました。 帰宅し早速5粒ほど食べました。 私なりの美味評価では「中のやや上」ランクでした。 欲を言えば「上のやや中寄り」位までは期待したいところです。 一粒目の皮をたまたまミカンのお尻のほうから剥き出しましたが、 やたら短くちぎれてばかりです。 剥け具合が私のイメージからすると今一つスムーズでありません。 「そうだ!蔕(へた)のほうから剥くんだった」と反省。 2粒目からは剥き方を変えました。 自論ですが、やっぱりミカンの皮の剥き方は蔕のほうからに限ります。 3粒目に手を伸ばしかけた時、気が付けば私の指先センサーが稼働していました。 一通りミカンに触れてややシワンボのものを選択的に食しました。 私から先に食べてよと果物や野菜からの言葉を指先が聴き取っています。 指先センサーは信頼度が高いです。私の期待に応えてくれます。 指先センサー…これは夏場にミニトマトを食べる時に習慣化した技です。 この冬一体何ぷくろの温州みかんを食べることでしょう。
2018.10.29
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この10月は あと今年も3か月…とつぶやいた10月も残すところわずかとなりました。 この10月はいろいろ試行錯誤の月でした。 思いついたことはどんどん試みました。 木製パズルやオブジェの作り物も以前とは違った心持でゆるゆる再開です。 ハローワークにも行っています。情報が多くて我ながら絞り込むのが下手です。 履歴書も書き面接試験も受けました。結果はあいにくでした。 また振り出しに戻してゆるゆると仕事探しを続けます。 起床のアラームは夏場まで4:56セットでしたが、秋の深まりとともに一旦廃止しました。 布団の恋しい朝もありますから、替わりに5:25セットにスライドしました。 大抵5:25分の少し前に目が覚めますので、覚めたら起きます。 実に稀なことですが爆睡していて6:26であわてて起きる日もあります。 起きたらだらだらとあれこれやります。 TVレスライフも15年を超しています。 この間にTVで放送された教養番組など興味に沿ってネットサーフィンすることもあります。 次のアラームが6:26ラジオ体操の身支度等の開始です。 「朝のラジオ体操(6:30~6:40)引き続き除草作業(~7:15、もしくは、~8:00)目安タイム」は定着しています。 先日の台風ので樹木が受けた風の被害の後始末もゆるゆるやっています。 その流れで、第4番目の花壇づくりスペースの着手も試みだしました。うまいこと行きそうです。
2018.10.26
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『貧しても鈍しない志』 貧すれば鈍するという言葉があります。 今回、生き方として選択的に「貧した」のですから、『貧しても鈍しない生き方』を志向します。 貧したのですから収入に対して出費額をとことん圧縮する知恵を総結集してみたいと思います。 総結集が可能になるように生活の知恵を多面的に集めます。 ただしこの時、品格を欠いたさもしい行動や言動とならぬように不断に注意します。 目先の安さに振り回されては「買い物」をしているのか「買わされている」のか判りません。 夜9時まで営業のスーパーがあります。 8時過ぎに行くとめぼしいものは買われ尽くされています。 その理由がわかりました。 この店舗の営業システムに遭遇したことは少なからずショックでした。 夜7時55分頃一斉に惣菜の類の商品に「半額」のラベルステッカーが貼られます。 心得ているお客さんたちが間合いも見事に手際よく首尾よく次々買い物を済まします。 ですからたちまち見事に売り切れです。 売れ残りとはいえ「半額」は魅力です。私は以前から「半額反応者」です。 あからさまに「ハゲタカ」ってしまっては「貧してこそ鈍している輩」の権化です。 この際ですからハゲタカならぬ半額にたかる「ハンガタカ」を意欲的に窮めてみます。 合理化に走らないように発想や思考を点検します。言い訳はいりません。 店舗の側としては営業的戦略として、なるべく売りつくしてロスを減らしたいのです。 社会的全体から捉えれば、余剰生産物を廃棄として処分される商品の量の減量です。 元来粗忽物の見切り発車人間ですから「安物買いの銭失い」にならぬように注意深さを磨きます。
2018.10.07
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