震災を忘れないために 0
工房便り 0
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彩色作業のコツ 何の脈絡もないのですが、ふっと故永六輔さんの言葉を思い出しました。 「職人とは生き方なんです」 彩色作業をしながら永さんの言葉の意味世界を味わいます。 絵筆に絵の具(塗料)をつけてパズルブロックの一つ一つに着色をしています。 絵筆にたっぷり目に絵の具をつけ『塗り』ます。 塗りたい面積に対して幾分多めの絵の具を載せていますから「塗る」行為の後半は 筆先で余分な絵の具を「拭き取る(掻きとる・掃きとる)」ように筆を動かします。 筆を動かし塗るという「加える行為」と、拭き取るという「減らす行為」のひとまとまりで彩色作業が一区切りつきます。面白いでしょう。暮らしの中の行為の中にも生かせるような気がしています。 こんな単純なコツを見出したのはだいぶ以前ですが、その頃は「職人技」のようなものへの憧れがありましたのでコツが「見えた」と小躍りしたい程嬉しかったのでした。 今は少し意識が変わってきました。 「職人技」というよりも化粧というような「表現」というアートな心持です。
2018.11.28
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こどもだまし と こどもだましい と 「子ども騙し(こどもだまし)」というとあまり良い意味でつかわれない言葉のようです。 「子供魂(こどもだましい)」という言葉はめったには見聞きしないでしょう。 「子供魂(こどもだましい)」は私の造語です。 「こ・ど・も・だ・ま・し」の六文字にプラスひともじ「い」が付くと着かないとでは世界がガラッと変わります。この落差というか変貌ぶりが私を魅了します。 「だます」という言葉には罪悪感や確信犯の香りが付きまわってきます。 けれども一方、文学や音楽の世界でも気持ちよくだまされる快感というのもあります。フィクションの妙です。 およそ「だます」側も「だまされる」側も土俵に上がった力士の対戦です。 善意も悪意も全部ないまぜにしたところで子供だましを寛容に受け止めたいです。 子どもに好かれる人とそうでない人がいます。子供は敏感に肌で嗅ぎ分けます。 私は子どもに好かれます。子供が好きですから好かれると嬉しいです。 さて、めったに見聞きしない「子供魂(こどもだましい)」です。 人は誰でも昔はみな子どもだった。けれどもそのことを忘れずにいる大人は極めて少ない。といった言葉を残した人は「星の王子様」をかいたサン・テグジュペリさんです。 子どもだったことを忘れずにいる人、忘れまいとあがなっている人の中に息づいているのが「子供魂」なのです。子供魂は童心とも言い表せます。 童心の中には普遍性があります。 その普遍性を拾い集め新たな形を創り出す試みの中にものづくりとしての私は 22世紀に向けての駅伝ランナーのバトンを思い描いています。
2018.11.18
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身の丈に応じた と 身の程知らず と 身の丈に応じた暮らしのコツをコツコツ拾い集めて極めようとしています。 結構サバイバルです。 これと相反して身の程知らずな妄想にもう早々に見切りをつけようと ちっとも思っていないこの性格です。 お金儲けを最優先に考えないものづくりは、 自分の作りたいものを作りたいように作って、 その先エンドユーザーが面白がったり楽しんだりして 結果的に生活に彩がふえるとしたらなんて素敵なことでしょうと妄想しています。 「蟻がリュックしょって富士登山」アルプス一万尺の替え歌では 「…ノミがリュックしょって…」なのですがそこはばぶさん流で「蟻」に変えて 歌いながら登っていきたいと思っています。こんなのもアリでしょ。
2018.11.14
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今度の土曜日は 今度の土曜日は小学校中学校時代9年間ともにした同級生の第3回目の合同クラス会です。 第2回目の同窓会は5年前、60歳の年をきっかけに「還暦同窓会」ということでしたが、 当日は自分がかかわっている朗読会と重なってしまったので残念ながら欠席でした。 65歳になったので「年金同窓会だよ」と幹事の方が笑いながら案内をくれました。 そして「これが最後の合同クラス会で、この後はもうやらないよ」ということです。 第一回目の同窓会は40歳の年にあり参加ました。 それ以来25年ぶりの再会なのでなんとしても出席したいと思っています。 どのような参加の仕方をしようかとプランをいろいろ考えました。 幹事の方に事前の連絡を入れ工房ばぶの木のおもちゃの 『展示パフォ-マンスのコーナーを設けさせてもらいたい』と申し出ました。 ありがたいことに幹事さんからはOKの返事がもらえました。 興味を感じた方々にちょいとひと遊びを楽しんでもらえたらと思っています。 65歳ということですから「65はラッキーナンバー」というキャッチコピーから 『たわわの木と65匹のおさるのサーカス積み木』を作ってみようと思いました。 とりかかってみると65匹というのは結構ボリュームがあって作りごたえがありました。 出来上がると達成感は大きかったです。
2018.10.31
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ルーズなデザインをタイトに加工したい 36歳の時からいわゆる「ジグソーパズル」を創作し続けてきました。 今年で継続29年になる活動です。 若い時は勢いが優先の多少ちからわざの作品群でした。 加齢とともに、これに加えて脳卒中を体験していますから、 ますます「量」を作れなくなっています。 おのずと作り方そのものが変わってきています。 眼を三角にして作りまくり、薄利多売ならぬ薄利少売は、 ここへきて営業色を前面に出してのものづくりは昨年からやめています。 世にいうところのジグソーパズルは500ピースだとか2000ピースといったもの ですが、私の場合乳児&幼児のもてあそぶ玩具という想定のもとに製作しています。ですから全部で4ピースのパズルとか多くて30ピース程度のパズルです。 パズルとしての難易度は「簡単」なもの「やや簡単」なもの 一方「簡単そうに見えて意外とてこずる」ものetc…といったレベルの難易度を備えています。 超難しくてクリアできたら二度と触りたくもないパズルといった性格のあそびの世界よりも、 答えは「ばればれなんだけれども…」何となく毎日いじりたくなる…といった性格のあそび世界を提供できることが作者としての醍醐味なのです。 「かたはめ&かたぬき」あそびが基本でさらにはピース本体を独自に使って 「ごっこ遊び」の世界へと広がっていくおもちゃです。 ちょっと目に脱着しづらそうで意外なほどにスムーズとか、なんだ簡単じゃないかと『侮らせて』おいて、いじくりだしょたらあれ?って小首をかしげさせたいので、 その為にも作り手としては『ルーズなデザインをタイトに加工する』製作への集中力の持続を思いっきり極めてさりげなく仕上げてみたいと思っている今日この頃です。
2018.10.11
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ブロー&バキューム顛末記 木材を切削した後に断面を平滑にする工程があります。まず①ベルトサンダーを使い続いて②スポンジサンダーを使い、必要に応じて③ハンドさんダーと三段工程です。のベルトサンダーには専用に掃除機を連結してヤスリ掛けして排出される木粉(もっぷん)をバキュームしながら作業できるようにセットしてあります。現在この掃除機は2代目です。初代の掃除機は中古品の掘り出し物で20年以上も使っていました。よく働いてくれましたがとうとうこわれました。みごとに使いつぶした為、この春に量販店で購入しました。新品の掃除機2代目デビューです。アタッチメントの様式が進化していましたので連結部を新規に作り直しました。「新品」という頭があったためバキュームを作動した時に木粉の煙が排気口のほうからもわ~っと出ても「なんか変だな」で片づけていました。横着を決め込んでいたわけです。変だなと思いつつひと月以上前からその症状の出るままに使っていました。今日の症状は断然に濃厚でした。木粉がぶうぉおおっと出ました。なんかへんだなはなんか変だではなくて明らかに変だったのです。今頃さとるとはお恥ずかしい。ようやく今日はやらねばと掃除機のふたを開けて中の紙パックを見ました。見事に破けていました。木粉が出るわけです。まったく脳天気でドジな私です。そこでベルトサンダーとの連結部を外して掃除機の徹底掃除です。ひと仕事です。幸いというかモノづくりの工房ですからコンプレサーがあります。掃除機の内も外もあらゆる部分をブロー・ブロー・そしてブローです。詰まりに詰まっていた木粉をコンプレッサーのエアーダスターで吹き飛ばしました。出るわ出るわ、相当量の木粉がもうもうと吹き飛ばされていきます。結構時間かかりました。ようやく再生できた2代目の掃除です。新たな紙パックを装填して今度は掃除機自身で本体をバキューム。なんとまあ吸い込みのいいこと良いこと。 教訓 新品とはいえ5か月も使ったのですから新品ではなく定期的に点検することにします。
2018.09.15
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ものづくりのつくりもの 自分はどこまで遊べるかという自分自身への挑戦です。その為に創作の時間を二種類用意してみます。 一つは今までのスタイルです。あれこれあれこれ考えて考えて作り、作ってはまた考える創作の時間と もうひとつは直観モードでひらめきの勢いで作る創作の時間です。 「あさめしまえ」という言葉があるので朝食前のひと時を使って あれこれ考えずに出たとこ勝負のオブジェづくり(かたちあそび)の時間にして遊びます。 さてどこまで遊べるか、なんかワクワクしてきました。あそびをせんとや・・・という歌がありました。 遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん、遊ぶ子供の声きけば、 我が身さえこそ動がるれ。 舞え舞え蝸牛、舞はぬものならば、 馬の子や牛の子に蹴させてん、踏破せてん、 真に美しく舞うたらば、華の園まで遊ばせん。 後白河法皇の『梁塵秘抄』(りょうじんひしょう)平安時代末期に編まれた歌謡集ですね。 あそび心の心映えを体感してみたいものです。
2018.09.05
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直観モードで一気呵成に作り上げてみました 「降臨」が錯覚でないように願い、むしろその一方で「降臨」を思い込みたくもあり、先日お邪魔した保育園の小さい子たちから一番大きい子たちのクラスまで「ひよこぐみ」「りすぐみ」「うさぎぐみ」「ぱんだぐみ」「きりんぐみ」「らいおんぐみ」の6クラスのキャラが集合写真に納まっているような絵柄で一枚のジグソーパズルに作り上げました。私を招聘してくれた感謝の気持ちを形にしてみたかったのです。作りものには勢いも大切です。久々に一気呵成に制作しました。ものづくりの妖精さんが私の周りをビュンビュン廻って拍手喝采していました。ものすごい拍手でした。この感覚しばらく遠のいていました。これって無理してる状態ではないです。けれども脳卒中してから再発を危惧して慎重に作りものしていた反動かもしれません。このまま調子に乗りすぎると無理をする結果になるのは目に見えていますからひとまず、一区切りと致しましょう。翌朝郵送しました。
2018.02.27
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直観モードを盗みたい バイト先で1歳から3歳の子どもたちと付き合っています。彼らのあそび行動を見ていると思考が直観モードであることが読み取れます。大人は誰でも昔子どもだった、けれどもそのことは覚えていません。私だって61年前は3歳の乳幼児だったのですが、その当時のことは全く覚えていません。もったいないですが仕方ありません。仕方ないのですからこちらの頭を柔らかくして観察します。直観のひらめきは千差万別で玉石混淆、見ていてワクワクします。囚われがない分だけ発想が自由に飛躍する場合もあれば、その反対に、こだわりがあまりに強いために自由に羽ばたけないで駄々をこねたりこねくり廻したりします。思わずハッと息をのむような閃きは見落とさないようにしておもちゃの創作の発想に活かします。今日は忘備録的に綴るにとどめ、具体的な事例はまたの機会にご紹介します。
2018.02.20
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自分のペース 仕事のペース 今朝は実に穏やかな呼吸をしています。こんな朝は実に珍しいことです。穏やかな呼吸ができている理由はだいたいわかっています。一つ見えてきたことがあるからです。 自分のペースで作り物(乳幼児があそぶ木のパズル)の仕事をしているのですが、その作り物を仕上げるのは厄介で暇がかかる世界です。作ろうとする物の性格から派生してくるペースがあります。20年前なら自分のペースでガンガン飛ばして仕事のペースを作りだしていました。けれども今回の仕事は、創り出そうとする物の性格から派生してくるペースのほうに自分のペースを合わせて制作を続けています。 蟻がリュックしょって富士登山、アリの呼吸もきっと穏やかなことでしょう。
2018.02.19
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富士山にまつわる言葉に「一度登らぬ馬鹿、二度登る馬鹿」というのがあるのを思い出しました。私はたまたま2度のぼった経験があります。一度目は高校生の時。二度目は社会人になって20歳の時。どちらとも企画があってそれに便乗したのでした。富士山にまつわる言葉の「一度登らぬ馬鹿、二度登る馬鹿」というのはどんな意味合いが込められているのかなと調べてみましたら、大体思っていたようなことが当たっていました。その意味は「日本一高い富士山に一度も登らないというのは馬鹿げたことだ。しかし退屈なおもしろくない山だから二度も登るのも馬鹿げたことだ」という事でした。山登りの途中から頂上が見えていても高いのでなかなか上り切るのに暇がかかります。森林限界を超えた5合目より上は荒涼とした斜面をジグザグに登るだけの登山道。近隣に山がないから山岳展望というものがなく、独立峰だから風の影響をもろに受け、強風の時は危険。だから遠くから眺めているのが一番いいのかもしれません。この謂れは、富士講が盛んになった江戸時代の文化、文政期頃からいわれ出したらしい・・・というのは意外でした。200年以上もいわれ続けているのですから、定説でしょう。暇のかかる作り物の製作の途上です。さて気分は『蟻がリュックしょって富士登山』今日もコツコツまいります。
2018.02.18
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一山越え、もう一つ山… 昨日木のおもちゃの製作依頼の大口の仕事を一つ納品できました。ほっとしています。昨年12月から取り掛かっていて、納品は今月末位の見通しになるかも…と思っていましたが、2月に入ってからのラストスパートで勢いに乗ることができました。脳卒中をして3か月目からの取り組みでしたので、病気以前のようなテンポとペースで作り物の製作をし続けると鼻血が滲んできたり、夕方から夜にかかる頃ともなると視力が俄然落ちて見えにくくなったり、見え方がぼやけてきたりと身体から『そろそろ休憩してくれよ』とのいろいろな信号が伝わってきます。それで無理がかさばらない程度にゆるゆるたらたら休み休みで仕事を進めてきました。身体の具合と相談しながらの仕事の進め方という意味では休み方も上手になってきています。2月に入ってから無理してでなくてラストスパートで勢いに乗れたのはなぜかといいますと依頼された「仕事の質」のせいです。本業であろうがバイトであろうが「労働力の切り売り的な扱いで仕事を依頼される」のと、私だからできる内容の仕事と評価されゆえに「私に是非制作して欲しいと個別に依頼された仕事」では、おのずとモチベーションが異なります。有り難いことです。今年度内に収めるもう一件の大口の製作依頼が来ています。こちらは既にその半分ほどを納品できています。力むことなく焦ることなく評価と期待に過不足なく存分に答えたいと思います。
2018.02.07
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ねこのおきみやげ 昨夜は寝ていて何となく生き物の気配を感じていましたので(ははん、多分猫の奴また工房の中に入り込んだな…)とは思っていました。明日は早朝から作業に取り掛かるのだからと気配を感じつつも、追い出しに時間を取られるのは癪だから「まあいいか」とほったらかしにして眠りに徹しました。 9月9日の福島行に間に合うように大きな作り物の制作に取り掛かっているので、今朝は4時ころから作業を開始したいと思っていました。そんな訳で起床したのが3時半。戸外にあるトイレに行き大小の用を足し、うす暗い工房内に戻ると奇妙なものがあるのです。発見したのは今朝3時45分頃だから、今朝というよりは夕べの夜中というべきか、ともかく夜明け前の工房内です。 猫とはいっても飼い猫ではなく外猫というか野良なのです。前回の時は工房内の通路の真ん中にひりだしてあって、それと知らずに私はそれをものの見事に踏んでしまいました。わたしは糞害に憤慨しました。情けないことにまさに見事なばかりに鮮やかにドジ踏んだのです。糞を踏んづけた経験は工房の外で一回ありますからそれを入れると二回目でした。 以来猫が入り込むと即追い出していたのでしたが、今回は見事にその監視の目をくぐっての挙行でした。 不幸中の幸いというべきは今回のおきみやげは毛布を半分の長さで切り分けてこれを小さくたたみ座布団代わりに使っているクッションの上にありました。仮に立て看板を作って「猫、工房内に入るべからず」と表記しても猫は猫の都合で生きています。入り込んだは良いけれど戸締りされて外に出られないと解ると猫もパニックルのでしょうか。
2016.09.03
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