震災を忘れないために 0
工房便り 0
全22件 (22件中 1-22件目)
1
恩師が語った「ぼけないための3K 」 1月4日(土) 高校生時代の仲間の新年会を兼ねた懇親会に参加しました。 これまでも毎年開いているのですが都合が合わず出られずにいました。 事前の案内で、母校が統廃合されることになり高名が変わるという情報や 恩師のお一人も参加されるという情報などもあり 今回は参加せねばと思いました。 当時の部活の武勇伝やら、社会人になってからの紆余曲折やら話は様々に 盛り上がりました。 恩師のW先生は御年82歳ということでしたが、大変お元気でした。 私は介護の仕事に関わっているのでいろいろな82歳の方に接しています。 そんなことも手伝ってW先生の『ぼけない秘訣』をお伺いしてみました。 すると大変興味深いユニークなお話をきけました。 「私はきょういくときょうようと好奇心を大事にしている」といわれました。 「教育と教養と好奇心」という意味なのかなと聞き耳を立てて訊き出しましたらそうじゃないんだといわれました。 『きょういく』…というのは「今日行くところがある」という意味。 家にこもっていてはダメ、どんどん外に出掛けなくてはいけない。 『きょうよう』…というのは「今日用事がある」という意味。 地域や社会とつながって自分が役に立っているという実感を持っていること。 不断に好奇心のアンテナを張って自分を活性化することを怠らない暮らし。 「Kyouiku,Kyouyou,Koukishin・・・『3K』を大切にしているのだそうです。 成程、W先生がぼけない秘訣極意はこれなんだなと妙に納得してしまいました。
2020.01.05
コメント(0)
加齢と眠り…身の丈をかんがえる 健康診断で身長を測るとわずかに縮んでいる自分の身体です。 高校生だった頃がマックスだったとして、その頃の数値を起点に考えてみますと 約2cm近くまで縮んでいる66歳の現在の私です。『身の丈に応じた暮らし』ということばがあります。良い言葉だと思います。 少しずつ変わりつつある自分の身体と上手に付き合っていけるよう発想もアプローチも変えるように心がけています。 例えば眠りが浅くなっています。夜間トイレに行きます。平均2回から多い時で4回行きます。 そのことを悩みの対象にせず「眠りが浅くなっている」という自分の身体の変化と向き合います。 それなりの眠り方の工夫を思いつく限り試みます。 起床時間にアラームが鳴ります。 朝行動を開始しなくてはならないリミットの時刻から前倒しして、60~90分くらい前から鳴らします。 眠りが足りているわけではありませんからスッとは起きれません。 スマホのアラームは便利です。 スッと起きれないときには「スヌーズ」機能を使って再セットです。 もう15分追加で眠ります。 この時間のことを最近は『積極的なまどろみタイム』と呼んでいます。 まどろみの中で「眠りは足りたかい?」と対話します。 次のアラームで起きれるときもあれば再セットをもう1~2回することもあります。 夜間たっぷり深くは眠れないのですから暮らしの別の場面、例えば食事のあとだとか、バイトの勤務明けの帰宅の車を走らせる直前だとか、ピンポイントで15分仮眠をしています。 スマホのアラームは便利です。セットして仮眠します。 15分経たないで目覚めることが増えてきました。 目覚めたら「眠りは足りたかい?」と自分の身体と対話します。
2019.10.06
コメント(0)
長寿と心の準備 4月半ばから務めているデイサービスセンターでの仕事です。 実にさまざまの後期高齢者が居られます。 介護の仕事に就いていて、4月から9月までの半年間の中で ご利用者様のどなたかがある日何気に発した言葉があります。 その言葉が不思議なくらい一番心に残っています。 それはその方お一人のつぶやきだったのか、 それとも臨席するどなたかとの会話(世間話)だったのかは 思い出せません。 その一言とは 「(自分が)こんなに長生きするとは思っていなかった」…です。 悲喜こもごもの思いが溢れている一言だったでしょうから、 この一言を自分自身に当てはめてじっくりと味わってみたいと思います。 昭和28年(1953年)に生まれ今年66歳になった私です。 私の寿命が何歳までなのかは判りませんが、 もしかしたら私も長寿の人生を送れるかもしれません。 もしそうだとしたら、ありがたいことに今からでも心の準備をする猶予が 与えられている世代の一人なのでしょう。 日々の暮らしは当たり前ですが 「『毎日』は誰かの誕生日でありそして誰かの祥月命日」です。 今日という日に満100歳のお誕生日を迎えた方が 日本全国だけでも十数人はおられることでしょう。 地球全体でみればさらに一桁か二桁多い数かもしれませんね。
2019.10.01
コメント(0)
どこに向かってどのように進むのか 私は9/11で66歳になりました。母は先月8/11に92歳1か月で永眠しました。 着実に「高齢者」のゾーンから「後期高齢者」のゾーンへとスライドしつつある私です。 さてそこで、自分の立ち位置について思いを馳せてみます。 「長寿と健康の国づくり」を頑張って目指した私たちの国ニッポンです。 「長寿」は見事に短時間のペースで達成できて「超高齢化社会」は達成できました。 一方「高齢者の健康の維持」という意味では多くの問題点が露出してしまいました。 現在は自分がこんなに長生きするとは思ってもみなかった…という世代を多く含みます。 デイサービスセンターの介護のスタッフとして就職し、めでたく半年が過ぎ7カ月目に入ろうとしています。なかなか覚えがスムーズでない高齢者の職員の私を受け入れた為、 受け入れてくれた職場の先輩方や同僚の方々には多大な御苦労を強いています。有難いことです。それにつけても皆様方の「忍耐強さ」には敬服の限りを表します。いずれこのご恩は私に続く高齢者の職員が就職してきた時に恩返ししていきたいと思っています。 さて超高齢化社会の日本です。自分自身の10年後20年後に思いを馳せてみます。 とりあえず自分もその時まで生き続けているであろうと想定します。 現役の後期高齢者のご利用者様の介護を仕事としてかかわっていますと、実にいろいろなタイプの「後期高齢者」の皆様が居られます。 その意味では、こんな風な後期高齢者になりたいと憧れを抱くような見事な生き方の方もあれば、あんなふうな後期高齢者にはできればなりたくはないもんだと反面教師的な言動をなさる高齢者もあります。 さて自分はどうでしょう。 高齢者や壮年や青年や少年たちが『お年寄りってかっこいい』『あんなふうなおじいさんに自分もなりたい』というような憧れの対象になれるような齢の重ね方をしていきたい…と思うようになりました。それは自分たちの未来に対しての一つの希望です。 老化は『劣化』であり『喪失体験』でありますが、その一方で「人としての『熟成』」という獲得体験のゾーンなのです。これを私も実証をしていきたいと思うようになりました。 そのことが若い世代にとって「老化」を否定的な一面としてのみ捉えたり忌み嫌ったりする対象にせず、むしろ『老化は憧れ』の対象としてイメージできたなら、未来に対して多少なりとも明るい希望を抱ける日々となるのでは…と思います。 だって「明日(あした)」は「あかるいひ」とかくのですから、その明るい日に対して多少なりとも自分なりの責任を創造していこうと思います。
2019.09.15
コメント(0)
めがね君の言い分 ひょいッとその辺に置くから 近眼の老眼ですから裸眼でいるほうが楽な場面というのがあります。 こうして①パソコンに向かっているとき、②食事をするとき、③・・・。 メガネは見えづらくてかえってじゃまっけで外して裸眼で対応するほうが楽です。 生活しているわけですからあちこちでいろいろなことをします。 見えづらく感じると眼鏡をはずしひょいッとその辺に置きます。 ひょいッと置いたがゆえに何処に置いたのかさえ記憶の彼方。 かくてメガネくんはあてもない一人旅に出てしまうのです。 以前就寝&起床の時に眼鏡くんのありかが時々判らなくなることがあり 改善策として枕もとの壁に眼鏡ポケットを木部で作りました。 これで暫くの間極めてうまくいっていたのですが、かえって油断となりました。 パソコンや食事の時にも壁のポケットを眼鏡の置き場として使っていたのですが そのたびごとに壁のところまで眼鏡を置きに行くのは実際的ではありません。 どうしたってついひょいッとそこらに置くのです。 ならばこの実情に応じて、考え方を修正しました。 「壁に固定式の眼鏡置き場」は温存しつつこれと併用して新たに 「移動自在式の眼鏡置き場」を考案しました。 自分があちこちに行った先でメガネくんを置く専用のトレイを木部で作りました。 帰るべき自分の居場所を得てメガネくんは安堵していることでしょう。
2019.02.11
コメント(0)
メガネくん また君に会えてよかったよ 今回の行方不明はずいぶん暇がかかりました。 誰にも言わず気取られずの8日~10日位の行方不明でした。 もしも、うっかりゴミ袋の中になど落していたとして気が付かぬままに そのままゴミの日に出していたならもうアウトです。 「仕方ない、いい加減諦めて、もう一つ眼鏡をあつらえるしかないか」と半熟卵の心で思いが定まった中での今朝の発見でした。 見つけ出したときは思わずわなわなするほど感動しました。 「メガネくんまた君に会えてよかったよ」と眼鏡に語りかけました。 前回の時は3~4日くらいで見つけ出せました。 けれども我ながら実に情けないのですが、今回ばかりは探し物の期間の最長記録更新です。 ある日ふっと見失ったメガネ、探しても探しても見つかりません。 毎日探すのですが、探しているうちに気が付いたことは 探し方がほぼワンパターン風で同じところを似たような探し方なのです。 メガネをかけている状態で探すのであればもう少し 暇がかからずに見つけ出せるのですが、あいにく近視の老眼の裸眼です。 次こそは今回と同じ轍を踏まないように万全を期したいと思いました。
2019.02.10
コメント(0)
起床時間 発想を変えてみました 体操の放送時間は6:30身支度を含めて間に合うようにぎりぎり6:26に アラームを鳴らしていました。 冷え込む朝の日々、布団から出るのにどうしてもぐずぐずしがちです。 朝のラジオ体操もどうしようかなどと布団の中で悶々してしまいます。 一度ぐずぐずして起きだしそびれるとその後影響は二日三日とずるずる続きます。 ツキノワグマのように春まで冬眠できないものかなどと妄想は広がります。 私はもう10年前から15分仮眠を実践していています。 日中眠くなったらいつでも15分仮眠するのです。 眠りが深いのか、スッと起きれます。これに関しては自信があります。 起床に対して逆の発想を持ち込んでみました。 「予鈴」です。6:26の15分前、6:11に鳴らし、だらだらタイムゾーンを 盛り込みました。 起きる気が高まったらその時点で起きだすという方法です。 今朝はうまくいきました。 暫く続けてみようと思います。 もし頓挫したら別の方法を編み出そうと思います。
2018.12.22
コメント(0)
傷が教えています 日頃「小さな怪我を上手にして大怪我をしない」という心がけで暮らしています。 そそっかしさや思慮の浅はかさと注意散漫がタッグマッチで招くドジに対しての 言い訳にしていると言われれればそれまれででです。と文字が意味なく震えます。 昨日朝食の時カッターナイフの替え刃の刃の側を刃の背中側と見違えました。 しっかり目視確認が甘く触ってしまいました。老眼だとこんなことにもなります。 瞬間指先に鋭い痛みが走って指を反射的に外し「やっちまったぜ」でした。 指を刃先に押し付けていただけで指を引かなかったので指先が切れるところまでは いきませんでした。 間一髪と糠喜びをしていたら数分後にじわっと血が滲んできました。 2年ぶりくらいに救急絆創膏を撒きつけ圧をかけ止血しました。 左の人差し指の先端ですからパソコンのキーボードをタップするのに頼りなく 誤字入力もいつも以上に増大しました。 次は注意深く扱うように傷がチクチク教えています。
2018.12.14
コメント(1)
貴重な失敗 私は時として用意周到に丁寧にドジをすることがあります。 こんなこと単にバスを乗り間違えただけじゃんかと強がって さらりと言ってのけることも出できますが…。そのお話です。 比較的走行距離の長い二地点を往復運行する路線バスです。 その日の天候や交通状況によって時刻表の時間通りには到着しません。 5分や10分近い遅延はざらなことです。 頻繁に本数がある路線ならばそれほど気重ではありませんが、 私がこの先利用することになるかもしれないこの路線の 運行ダイヤは1時間に1本のみという緊張感です。 明日の本番に備えて時間帯も含めて実踏調査をしておこうとバス停に向かいました。 一応時刻表に示された7時51分の9分前に工房を出ました。 バス停までは歩いて2~3分でつけました。順調です。 何せ1時間に一本のバスですから絶対に乗り遅れてはなりません。 バスの到着までやりかけの内職をしながら時間をつぶします。 そして、バスは来ました。 時間を確認したら52分、 「なんだ1分の遅延じゃないか、時間帯によってはこんなこともあるんだなぁ」 これはますます要注意だぞと思いつつ乗車しました。 いつも遅延するからとそれを見越して遅くバス停に着いたとして、 もしもその日に限って時刻表通りにバスが到着したとしても文句は言えません。 何しろ1時間に1本のみ運行しているバスです。 バスに揺られてやりかけの内職を再び続けそっちに気を取られつつも、 ふと車窓の外を見ますと、 「あれれ景色が違う。違う路線バスに乗っちゃたんだ」 次のバス停が前方に見えました。即停車ボタンを押し、バスを降りました。 思わぬところで朝の散歩となりました。5つのバス停区間を歩き戻りました。 再びもとのバス停に戻って表示されている時刻表の隅々まで調べました。 改めて気が付くとこのバス停を通る路線は全部で6路線もあったのです。 私が間違えて乗ったバスは7時43分到着のバスでした。9分遅延でした。 バスのフロントにはちゃんと別の場所行きであることが表示されていましたが、 私にとってはこっちの路線のほうが日ごろ乗り付けているので何の疑問も持たずに うっかり乗車してしまいした。トホホでした。 明日は本番の受験日です。試験開始時間に遅れることなく行こうと思います。
2018.12.04
コメント(0)
大きな不安と小さな大丈夫 こむら返り編 夜間の冷え込みが増してきて春までの季節の到来まで若干の心配があります。 このところ急に冬らしい気候が色濃くなってきて、毎晩ではありませんが、 久々にこむら返りの症状が断続的に起きています。 即漢方薬の芍薬甘草湯を飲みます。ありがたいことに即効性抜群です。 ふくらはぎや足の指が攣る(つる)のは慣れていますからそれなりに大丈夫です。 ところが新たな部位のこむら返り特に『太ももの内側が攣るという痛い体験』を右と左と計3回体験しました。痛さが違います。 ですからまた症状が出たらと漠然とした不安を抱えています。 昨夜も就寝する前に左の太ももの内側にこむら返りの気配を感じていました。 攣ったとしてもおかしくない体調です。 「また今晩夜明け前に攣ったらつらいなぁ」 昨日(毎週月曜日19:30~20:30)は気功のお稽古の日です。 稽古の最中に近況を交えてこむら返りの体験を吐露しました。 それに対して、こういう姿勢をとってこの筋肉をさすってあげるとか、 こういう体操がいいんじゃないかなetcといったアドバイスをいただきました。 対処法を教わったことで安心を得ました。 気功で体ほぐしやストレッチをしたのもよかったのでしょう。 昨夜は珍しく夜中に排尿で目覚めることもなく4時半の排尿一回で済み、 こむら返りも起きないで朝を迎えることができました。嬉しかったです。 暮らしていると「漠然とした『大きな不安』が付きまとう」ものです。 それに対してピンポイントの対処法や工夫など「小さな大丈夫」を拾い集めて 暮らしていけば大きな不安をしのげていけるものだと実感を深めました。
2018.11.27
コメント(0)
居場所をはっきりさせて帰る場所(定位置)を作ってあげます そこいらにひょっと置くと、もうどこに置いたか忘れています。 時には置いたことさえも忘れています。 一番の悲劇は出掛ける身支度十分済まして「さあ出発」という直前に財布や 交通系電子カードが見当たらない。 バス停まで何分、急ぎ足でも何分かかる…もうパニクリます。 これを避けるためになるべく置き場所を固定しておくようにしています。 物忘れは想定内ですからめったに悲劇を生まないように努めて暮らしています。 それでも時として見当たらなくなることがあります。 近眼の眼鏡についてはロフトの枕もとの壁に眼鏡入れケースを作ってビス留めしてからは、殆ど解消しました。 最近新規に購入し携帯ポケットラジオ、この子がまた放蕩息子で神出鬼没。 ひょいとしまってどこにしまったかわからなくなります。 今日はポケットラジオの置き場ケースを作って壁付けにしました。 私は木工をやりますから工作機械と材料には事欠きません。
2018.11.26
コメント(1)
夜間から夜明け前、そして迎える朝 毎晩のことですが、だいたい深夜の1時台ないし2時台に一回、そして夜明け前の4時台に一回。朝までに2回で済めば極めてラッキーなほうで、冷え込んだ夜中にはこれに加えて1~2回の排尿行脚です。電気敷毛布の温度調整の閾値も定まってきました。暑すぎる設定だと汗ばんで夜中に上下の肌着を着替えなくてはならなくなり逆効果です。さりとて弱すぎる設定だと排尿頻度を増してしまいます。機械的に設定せず匠を極めてやろうと野心的に微妙な温度設定に挑んでいます。冬場だからできる暮らしの中の楽しみなのです。うまくいかないときは「ドンマイ」となぐさめ、うまくいったら心の中でピース。漏らすなよ、漏れるなよと尿道対話的なつぶやきだったものがこの頃は全身全霊『漏らさない』という強い意志の塊となって、さらに道中こけない・よろけないと足元に気合を入れて『なんとなく歩かないように意図的に一歩一歩』の往復道中。この行脚そのものがアンチエイジングの為のリハビリーなのだと面白がっています。そして無事に往復できた時には自分を褒めつつ掛布団をかけます。起床時間のアラーム5時25分まで浅めのひと眠りワクワクの再入眠です。起きたらなるべく6時前に朝食が済むようにしています。6時半からのラジオ体操とその後のガーデニングタイムが私を待っています。
2018.11.19
コメント(0)
合同クラス会に参加して感じたこと 私は19歳で故郷を離れ東京へ。一旦帰郷したものの2年ほど暮らして再び東京暮らし、 卒業後も地元で暮らし続けている同級生とは空気感というかどこか何かが違うものを感じました。 私たちの学年はひとクラスざっと45人で5クラスあった学年でした。 5年前の「還暦合同クラス会」の時は150人の参加者だったそうです。今回は54人の参加者です。 中に一本筋を通して生きてきたのだろうという気配を滲ましている人が3~4人いました。 いい味出しているなぁと共感を覚えました。自分の顔に責任を持っているという感じです。 「人は見た目が9割」なんて言葉が登場して十数年。 「男は40歳を過ぎたら自分の顔に責任を持て」とはアメリカのリンカーン大統領の言葉だそうですね。 時代の変化も考えあわせてみて私は 「男は50歳を過ぎたら自分の顔に責任を…」と思っています。 65歳ともなると大雑把に言って二通りに分かれるように感じました。 なかなか会えない彼は参加しているかな?と配布されたプリントの一覧を見ました。 私には「できれば会いたいなぁ」と思い続けている友人が4人いました。 そのうちの二人には会えました。その二人とも再会は50年ぶりでした。嬉しかったです。 一方今回も会えずにいた人が二人、会場にも名簿に見当たりませんでした。 思い続けて暮らしていればいつか会えるでしょう。先の楽しみに取っておきます。 当日は来ていない人でも思い出話に出てくる人でサッカーが抜群にうまかった同級生がいました。 「今の時代だったらかなりなところまで行けたんじゃないかなぁ」みんな同感しています。 当時の代表的ストライカーは釜本さんでダントツでした。 彼はサッカーだけでなくエレキギターでベンチャーズの楽曲のコピーもうまかった人です。 都合がつかずに不参加という連絡が入っている人の他に、音信不通という人が結構います。 「卒業」とともに帰属意識を区切ってしまったのでしょう。 けれども参加すれば友達との情を改めて深められてと思うのですが…。 友達は財産ですもの。
2018.11.05
コメント(0)
小学校中学校(9年間)の合同クラス会があり出席しました 25年ぶりとか中には50年ぶりという再会までの間が空いている仲間がほとんどです。 特に50年ぶりの再会でこの人とは是非言葉を交わしておきたいという人たちと わずかながらも会話できたのが嬉しかったです。 パッと見て名前と顔が一致出来た人もいれば どうしても思い出せない人とかいろいろでした。 「だれだっけ?」「どなたでしたっけ?」のお相手に 昔話のキーワードを挙げてもらってそれをきっかけに ようやっと思い出せた時の喜びは大きかったです。 60名参加予定ということでしたが当日の都合が急につかなくなって 欠席された方もあり53名(?)の参加でした。 なんといっても相手と話をしているうち、 もしくは誰かさん同士の会話のやり取りをそばで聴いているうちに 思い出がじわ~~っとよみがえってくるひと時でした。 「今回で最後」という触れ込みでしたが、アンコールの声が多く、 次回は「70歳の古希」に開催する方向で盛り上がりました。 今回労を取ってくれた7人の幹事さん本当にご苦労様、ありがたかったです、感謝合掌。 私は二次会の流れにあいにく合わせられず皆さんと一次会でお別れでした。残念。
2018.11.03
コメント(0)
思い通りにならぬ夜 寒さ対策 思い通りにならない夜…と昨夜は思いかけましたが今朝になればそれ程でもなくそれなりの効果はあったようです。 10月末日まで使用開始をなるべく我慢して先延ばしにしてきた電気敷き毛布です。 11月1日の朝は冷え込んだ朝でした。夜中の排尿にトイレは4回行きました。 さすがにもう頃合いかと昨日の午後に時間をかけて電気敷き毛布をセットしました。 スイッチのコントローラーもロフトの柵の外側に安定して掛けて置けるように 新たにあしらいを施しました。 生活の中で程よい不便を抱えていてそれに向けて何か良い工夫はできないものかと 改善に知恵を働かす試み…こんな時ちょっぴり幸せを感じます。 もうこれで昨年までのコントローラーの扱いの不便さが改善できました。 結果オーライに漕ぎ着けられたなら身の丈サイズの付加価値の追加です。 温度設定をメモリの一番低い位置にセットして入眠です。 朝までぐっすり安眠が理想ですが3:15には尿意で目が覚めました。 しかも久しぶりのこむら返りもありました。トホホでした。 世の中そう簡単に思惑通りにはいかないものかなぁと起きだして 即、漢方薬の芍薬甘草湯68番を頓服にして飲みました。これ即効性あります。 今までの夜はたいてい01:15くらいに一回目の排尿があり、 その後最悪の時は一時間おきくらいにトイレに行っていました。 10月31日の夜などはまさにその代表例でした。 たったの一時間の経過でも大量の尿が出ます・でます、 まるでおしっこ製造機のような身体です。 温度設定を一目盛り上げて再入眠。 次の目覚め(今朝の目覚め)は5:15でしたから、眠りは足りたともう起きだしてブログを書いています。 電気式毛布の効果は見込めそうです。 夜間一回もトイレに行かずに朝を迎えられるようになるのが理想です。
2018.11.02
コメント(0)
旅から帰った近眼者の眼鏡くん 今回の一人旅はかなりロングスケールでした。表彰状ものです。 かれこれ一週間以上も見当たらなかったのです。不便でした。 これほどの紛失期間の長さは初めてでした。 いったいどこ行っちゃったんでしょう…という 途方もない時間の流れを感じた一人旅でした。 度が合わなくて疲れますが、買い換える前の昔の眼鏡で急場をしのぎました。 この頃だんだん多くなってきています。物忘れ。 はなっから覚えようとしていないのですから「忘れた」という自覚もおぼろです。 対策としてはなるべく「定位置」を決めて こまめにその場所に戻すように工夫しているのですが、 それでもその意識の網をかいくぐって神出鬼没の物忘れです。 我ながら情けないのですがひょいっとそこいらに置いたっきり そのこと自体を思い出せず、ストレスが堪らない範囲で断続的に探し続けます。 見つからないときは見つからないもんです。 メガネ、財布、パスモカードケース、車の鍵、稀にスマホ。 スマホの時だけは安易に家電話から電話して着信音を頼りに探しまくります。 4~5か月に一回くらいは着信音のお世話になっていますでしょうか。 老眼が進んでいるとはいえ基本「近眼の裸眼状態」で探すのですから捜索は困難を極めます。 ひょっと見失って探しても探しきれず困ったもんなのですが困らないことに決めています。 一番よくあるパターンは定位置に戻しておきながら、 戻していないと思い込んであちこち探しまくる。 次に多いパターンは目の前に置いてあるのに目に入らないで見落としている。 内心パニクッているから心理的視野狭窄の為見てもすっ飛ばしていて目に入らないのでしょう。 あちこち探していても俯瞰して反省してみると探し方が情けないほどパターン化しています。 見つからなくても焦りません。いつか必ず見つけ出せるものですから。 けれどもなるべく「探し物」でロスタイムを作り出したくないです。 探し物をするのが自分の人生のメインテーマというのではないのですから。
2018.10.31
コメント(0)
朝起きぬけに大事にしていること 朝起きぬけに大事にしていることの一つにベッドメーキング(?)があります。ロフトで寝起きしているのでベッドメーキングという言い方は適切でないかもしれません。要するに寝具の整頓です。私は寝相がそれほど悪いほうではないと思っていますが、寝具の乱れ加減を見ると「いやぁ~あなた、そうはおっしゃっても結構な寝相だと思いますよ」とシーツや掛布団がぐしゃぐしゃつぶやいているかのようです。ここ何日かはなおざりで中途半端でしたので、今朝は入念にやりました。・足元の脚枕(足のむくみへの対処)の整頓、・シーツの寄れよれは四隅のほうに皺を引っ張って、・純毛布とポリエステル綿100%の掛布団はそれぞれに縦方向に二つ折りにします。こうすると掛布団類が二倍の厚みに早変わりです。・その後M+J形に蛇腹に畳み脚枕の上に重ね置きにします。こうしておくと入眠の際に掛布団類をシャッターのように ずるずると引っ張り出せます。ワンタッチで手戻りがない分快感です。
2018.10.27
コメント(0)
私は鉄の包丁です 私は鉄の包丁を愛用しています。今使っているのは2代目です。 鉄の包丁ですから扱いをぞんざいにしますと直ぐにキレ味が落ちます。横着を決め込んでラフな使い方をしていても錆びないステンレスの包丁よりは程よく手間がかかってくれる鉄の包丁をこよなく愛しています。 野菜や果物など切った後すぐに水気を拭き取っておかないと錆が来ることもあります。 切れ味のセンサーはトマトです。トマトを切る時の切れ加減で解ります。 私は65歳目下加齢街道驀進(?)中です。様々な面が有形無形に劣化します。 今朝、嘆く前にはっと気が付きました。 私は鉄の包丁です。砥石で研ぐと包丁は切れ味を回復します。 劣化してもへこたれずいろいろなシチュエーションの砥石を取り込み増やせばいいのです。 フィジカル面ではラジオ体操、気功、サイクリング。メンタル面では…私はものづくりですから図面に描くデザインに溺れずこれをもとに試作を重ね手でものを考えます。 安易に妥協をせず言い訳を持ち込まずイメージに関しては実現に向けて頑固に追求します。 センサーはその形の中に背骨が通っているかという視点から自然体に思いを馳せ読み取ります。 読み取りも感性という砥石で研ぎだすのに似ています。
2018.10.10
コメント(0)
ああ、回復力 今年の夏前後からよろけそうになる時が増えました。 ラジオ体操の最中などにバランスを取り切れずふらつくことも時たまあります。 こけてからでは塩梅が悪いのでこけないように気を付けています。 それなのにちょっとした打ち身などして、その後の治りにくさに自分でも驚いています。 9月3日頃工房の中を歩いていて足元の段ボール箱の角に右の脛の下のほうをぶつけました。 それほど強打でもなく出血もなく痛いところをさする程度にしていました。 一週間ほどたった9月10頃より左足の膝から下から足の甲も足指もむくんできました。 内出血をしていたとみえて血が踝(くるぶし)の下に溜まって足が変色していました。 その変色に気が付いたときは内心焦りました。 気が付くとおかしなもので感じている痛みが増しました。 先々週あたりは痛みもむくみもマックスでした。 幾分腫れは引いてきつつあるものの右足の膝から下は4週間目に入った今日もまだむくんでいます。 先週あたりまではまだむくみ方がパンパンで畑から引っこ抜いてきた大根のようでした。 先週の通院で採血した結果が今日でました。 数値から判断する限りではことさらの異常は検知されませんでした。 「ああ、回復力の低下」と嘆きつつも受け入れて、されど気持ちは前向きに暮らします。
2018.10.02
コメント(0)
65だから 60代の真ん中になったのだから60代をもっとあそぼうとおもいます。 65歳になったのだから、悲喜交々(ひきこもごも)それなりにいろいろあります。昨日は「おおぼけ」、「ちゅうぼけ」、「こぼけ」のサイクルヒットを図らずもしでかしました。心持ちの整理が必要なので詳細は後日折を見て綴りましょう。『身の丈サイズに生活をデザイン(再構成)し直す』という発想に軸足を置いてみます。 今までスマホの中に溜まっていたアラームタイム(私時報)を整理して取捨選択の洗い出しをしました。どれもこれも言ったもん勝ちのとびっきりのマイ・ラッキータイムにしていきます。3:45 イレギュラーに起きたいときの目安時報…※これはめったに使いません。夜中にトイレ等で目覚めてしまったときにそこで起きるかどうかの見極めに使います。4:56 とりあえず毎朝起床のための時報…すっきり目覚められる体調かどうかの見極め、追加で15分眠ること多々あります。6:26 ラジオ体操のための準備&身支度の時報9:11 今日丸ごとの縁起担ぎ (私は9月11日の生まれ)12:34 昼の縁起担ぎ19:53 夜の縁起担ぎ (私は1953年の生まれ)23:45 就寝のための最後通告…シンデレラ爺さんにならぬように自戒。
2018.09.14
コメント(0)
飲み忘れたドリップ珈琲 朝起きて、コーヒーカップの上に乗っかったままのドリッパーを見かけて、 「あ、夕べ淹れたコーヒー飲み忘れた」 と気が付くことが時折あります。やだなぁぼけが始まったかなぁ。 とカップにふたを載せて1分弱レンジで加熱し、もったいないから飲みます。 温めたコーヒーの味はドリップしたてのコーヒーの味とは全く違います。 どんな味かというと『ドリップしたてのコーヒーではない味』です。 ドリップした淹れたてのコーヒーの味というものはピンポイントでデジタルなものです。 温めてもそれは再現できません。仕方ないと割り切ってあきらめる世界です。 なぜ飲み忘れたのだろうなんてことは考えません。飲み忘れたは飲み忘れたなのです。 覆水盆に返らずです。 夕べ淹れたコーヒーもったいないから飲み切りはしましたが、満足ではないのでまた新たに今コーヒーを淹れます。 淹れ直すのではなく、新たに淹れます。この次は飲み忘れないようにします。
2018.06.14
コメント(0)
放屁注意報 人のからだは糞尿袋 初めてうっかり粗相をしたのは3年前だったろうか。ちょぴっと漏れました。 「人のからだは糞尿袋」というキーワードが生まれた記念すべき出来事でした。 そして侮って粗相になったことが2年前に一回。 改めて「人のからだは糞尿袋」なのです。 侮りは禁物です。自覚を深めました。 そしてあろうことか、うっかりも侮ってもしていなかったが結果的に粗相ってしまたのが昨日のこと。放屁が呼び水でした。ひょっとして放屁がもしかして悲惨を…、いざとなったら括約筋が活躍してくれるであろうと期待を込めつつあれこれやりかけているものを続行していました。むむ、今の感触は何のこと?まさか?と思いつつも厠へ直行。 「人のからだは糞尿袋」残念無念でした。 括約筋は本人がイメージしているほど活躍してくれなくなってきていました。着実な加齢現象の深化なのでしょう。現実の自分の身体の変化を直視ましょう。
2018.06.04
コメント(0)
全22件 (22件中 1-22件目)
1