震災を忘れないために 0
工房便り 0
全2件 (2件中 1-2件目)
1
とっくべつの春休み 4/1年度が新しくなりました。 3月末ぽかぽか陽気でこのまま暖かな春になるのか・・・と思っていたら 朝晩冷え込む日が数日続きましたね。 冷え込みは放射冷却も影響しているのでしょう。 ラジオ体操をしていて見上げた空の青さに感動しました。 見渡す限り雲一つない朝の空の青さが目に染みるほどです。 殊に4/1の空は雲一つない晴れ渡った青空でしたよ。きれいでした。 こんなにきれいな青空を届けてくれるのなら冷え込みの嘆きは「チャラ」にしましょう。 4/1(月)ハローワークに行き面接試験を受けた事業所さんから 一昨日(土曜日)就職の内定の知らせがあったことを私の就職相談担当者に報告し、 当面の動きの段取りを確認しました。 16日から勤務なので2週間の春休みです。 はるやすみ、はるやすみ、とっくべつのはるやすみです。 社会人になって勤労夜学生でしたからこんな春休みは初体験です。わっくわくです。 就職祝いのご褒美のつもりで久々に顔見知りのお蕎麦屋さんで天ざるを食べました。 会計をするときにカウンターに何気に置いてあったパンフレットが目に留まりました。 「御蔵島」の観光案内が2種類です。 こちらのお店の娘さんが御蔵島でお仕事をされているとのことでした。 とっくべつのはるやすみだもの「御蔵島」を観光するっていう計画もありでしょう。 早速パンフレットをもとにアクセスや宿泊の予約などざっくり問い合わせてみました。 ところが、『毎年四月のこの時期は天候が不安定で条件が良くない…』という宿の方の説明でした。いずれまた計画を練るということで断念。 さて、とっくべつのはるやすみ、何かをしたい何をしようか? 『石巻』というキーワードが思いつきました。Eさんにあいたい。 早速、彼に電話で近々のスケジュールを伺いました。すると 「今週末(4/6~7)に『フェニックス救援隊』の方と一緒に女川で植樹と草刈のボランティアをするのです」との返事。 「もしもご迷惑でなかったら私も仲間に入れてください」で話がまとまりました。 一昨年脳卒中(脳内出血)をしているので単独での運転はどんなものだろうかと危ぶまれました。 「ばぶさん、無理はしないでくださいね」のEさんのことばに 「慎重に行動します。移動の途中で無理だと感じたらリタイヤする場合もあります。 その時はすぐ連絡入れます」と返事しました。 そして待ち合わせの場所と時間は 『東松島市にある彼の工房「木遊木」に土曜日の朝8時』 ということになりました。 そこで最大限大事と余裕を取っての移動計画を実行しました。 約束の日の前日(4/5)の金曜日朝5時に東京町田を出発で現地(宮城県東松島市)入りを目指しました。 ラジオでは「…今日仙台市で桜の開花宣言が出ました…」というニュースがありました。 道中安全第一でくたびれたら何度でも休み休みすると決めていました。 カーナビで6時間ほどの距離でしたが8時間45分くらいかけて移動しました。 『わたほいの虹の架け橋』に着くと、たまたまEさんの奥さんが仕事をされてました。 彼女の貴重な作業時間をお邪魔して震災後の話やお互いの近況など語りあいました。 「わたほい」の最寄りの宿に飛び込みで素泊まりし石巻の街に吹き付ける風を体感しました。 強風の中ラッパ水仙がけなげに咲き続けていました。 翌朝 宿の外でラジオ体操をしていたら風は昨日よりももっと強くなっていました。 石巻から東松島に移動する際ラジオで 「…今日暴風警報が出されました…」 と言ってました。 さて『木遊木』で懐かしいEさんと3度目の嬉しい再会を果たし暫く懇談しました。 彼のお話の中で3/11のエピソードで印象的だったのは 「同じ石巻でも直接津波災害にあった人とそうでない人との温度差があったんですよ」 情報の共有や発信していくことの意義を感じました。 「『復興』という言葉は地元の人は言わない・使わないんです」 この町で暮らしている方々の市民感情に配慮して言葉を選んでいく大切さを学ばされました。 行政の補助金などの枠組みから外れる子供たちが現に存在すること。 震災から8年経ってもまだまだ癒えていない彼らの心の傷に寄り添い『こころスマイルプロジェクト』という活動にEさんが取り組み続けてきている心情には含蓄深いものがありました。 実はEさんのこの活動に連帯したくて数カ月前『こぶたかねこさんのオセロ』を創作し贈りました。製作者の独りよがりでなく実際的に『こころスマイルプロジェクト』の活動に役立てているのかを確かめたい今回の石巻訪問でもありました。いろいろエピソードをうかがえたのは貴重です。 直接彼ら子供たちと関われなくても私の創作おもちゃ(遊び道具)の製作と提供で後方支援はできることを確信しました。 私はEさんのこの活動を今後もずっと支援していこうと改めて強く心に留めました。 お話を聞いていて阪神淡路や様々の被災体験をした子供たちのその後にも同様のケースは各地できっとあるのだろうな、それらの関連の情報にアンテナを張リ続けていこうと思いました。 今後の私なりのボランティアの手法が明確になりました。 さて午後からは『フェニックス救援隊』のボランティア活動に仲間入りをして除草と植樹 それと今回は500個のグラジオラスの植栽です。 暴風警報の通り強風の吹き付ける中での除草と植栽活動でした。 私は2013年の6月以来単独行動で支援活動をしてきましたが、 今回のようにグループの総力戦で行うボランティアの威力や行動力は実に新鮮な体験でした。 ボランティア活動や夜の懇親会を通じて女川町の人たちとも知り合えました。 新たに一期一会がうまれました。 女川に一泊し翌日の帰路はともかく絶対安全運転で時間を気にせず運転しました。 道中何度も休憩しつつ気が付けば12時間近くかけての移動でした。町田に無事戻りつきました。 とっくべつのはるやすみ・・・中身の濃い体験です。
2019.04.08
コメント(1)
「がんばれナラの木」というブログのことについて このブログを書いているのは高槻成紀さんという方です。ご自身のブログで以下のようなプロフィールをつづられておられます。 ◆高槻成紀(たかつきせいき)1949年鳥取県出身。1978年東北大学大学院理学研究科修了、理学博士。東北大学助手、東京大学助教授(1994-2007)、教授(2007)、麻布大学教授(2007-2015)を歴任。現在は麻布大学いのちの博物館上席学芸員。専攻は野生動物保全生態学。ニホンジカの生態学研究を長く続け、シカと植物群落の関係を解明してきた。最近では里山の動物、都市緑地の動物なども調べている、一方、スリランカのアジアゾウ、モンゴルのモウコガゼル、タヒ(野生馬)、モンゴル草原の生物多様性などの研究もした。~プロフ引用 さてこのブログの「はじめ」の文章を紹介します。引用が続いて恐縮です。 ◆クマ研究者仲間のメーリングリストにアメリカのダイアナ・ドーンクライダー*(Diana Doan-Crider)さんという人が『The Oak Tree』**(ナラの木)という詩を送ってくださいました。私はそれを読んで感銘を受けました。仙台で20代から40代までを過ごした私にとって、東北地方は特別の存在です。その東北地方の人が想像を絶する被害に会っておられることを知り、心おだやかではいられませんでした。なんとか力になりたいと思っても、私たちには募金くらいしかできず、もどかしさと心苦しさが続いていました。そんな時に出会った詩でしたから、もしこの詩を被災者の皆さんに聞いてもらったら、少しでも元気になってもらえるのではないかと思いました。訳しながらこみあげるものがありました。その拙訳をメーリングリストに送ったら、思いがけないことに、庄内ことばに訳したものが送られて来ました。 私はそれをゆっくり声を出して読んでみました。すると実に心に響いてきました。それで思いつきました。この詩の魂を表現するには東北のことばのほうがいいのではないかと。それで、地方訳を送っていただくようお願いをしました*。そうしたらさまざまな地方から、ぽつり、ぽつりと届き始めました。そのひとつひとつが暖かく、やさしく、力強く、私は東北のことばのもつ表現力の豊かさに目をみはりました。そこで、それらのたくさんの「ナラの木」をこのブログで紹介することにし、関連する情報や写真なども添えました。こうして「ナラの木」の輪がじわじわと広がり、いまや東北地方以外からも地方訳が届いています。「ナラの木」は私の手を離れたかのように、ひとりで歩き出しました。 この詩は不思議な力をもっているように思います。その魂を伝える自分の言葉による「ナラの木」が被害に遭われた皆さんのもとに届き、少しでも勇気づけることができることを祈っています。 私はあの東日本大震災(2011/3/11)の半年・あるいは1年くらい後だったでしょうか、たまたま深夜のラジオ番組で岩手弁に翻訳したバージョンを聴き大いに魂を揺さぶられました。私の被災地支援の活動がヒートアップしました。 今年の夏も「保養ネットよこはま」の第8回伊豆河津古民家キャンプが7/26~8/2の日程で行われ、私は6回目のボランティア参加をします。 ナラの木 (高槻成紀 たかつきせいき 訳) たいそう強い風が吹きました 昼となく夜となく ナラの木のすべての葉っぱを吹き飛ばし 枝をびゅんびゅんと揺らし 木の皮も引きはがすほどでした ついにナラの木は丸はだかになってしまいました それでも地面にしっかり立っていました ほかの木はみんな倒れてしまいました くたびれてしまった風は あきらめて言いました 「ナラの木よ、どうしてまだ立っていられるのだい?」 ナラの木は言いました 「あなたは私の枝を折ることも すべての葉っぱを吹き飛ばすことも 枝を揺らすことも 私をゆさゆさと揺することもできます でも私には大地に広がる 根っこがあります 私が生まれたときから 少しずつ強くなりました あなたはこの根っこには決してさわれません わかるでしょう 根っこは私のいちばん深い部分なのです 実は今日まで 私はよくわかっていませんでした 自分自身がどれだけものごとに耐えられるかを でも、今おかげでわかりました 自分が知っていたよりも 私はもっと強くなったのです」 Johnny Ray Ryder Jr.原作, Copyright Hallmark Inc.
2018.06.06
コメント(0)
全2件 (2件中 1-2件目)
1