震災を忘れないために 0
工房便り 0
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契約期間満了のため本日(3/31)介護の仕事を離職しました デイサービスの介護の仕事の思い出を一つ綴ります。 チームで仕事をしていますので日々様々の役割を分担し「挨拶の担当」も順番で回ってきます。担当して特に嬉しかった思い出深い出来事が一つあります。 ある時「いろはにほへと」の話題を皆さんに紹介したことがありました。 その翌週。7~9日経ったときご利用者様のお一人が「このあいだ『いろはにほへと』のおはなしを(挨拶の時に)なさったでしょう。もうひとつ別の詩があるのよ」とメモを一枚下さいました。そこには「鳥啼く歌」の全文がひらがなで鉛筆書きされていました。私はこの歌を初めて知りました。ちょっとご紹介します。 鳥啼歌 (とりなくうた) とりなくこえす ゆめさませ みよあけわたる ひんかしを そらいろはえて おきつへに ほふねむれいぬ もやのうち 鳥啼く声す 夢覚ませ 見よ明け渡る 東を 空色映えて 沖つ辺に 帆船群れゐぬ 靄の中 歌の意味するところは・・・ 【鳥の鳴く声がします 夢の世界から目覚めなさい ごらんなさい 日の出の東の明るい空を 暁の空の色に染まる 水平線のかなた 朝もやの中、帆船が集まっています】・・・ 朝の訪れを告げる鳥の鳴き声、朝ぼらけの海の美しさ、眠りから覚めて活動をはじめる人々、そうした早朝の風景を見事に表現しています。 便宜上「いろはにほへと」を「古いろは歌」とすれば、 「新いろは歌」にあたる歌が「鳥啼歌(とりなくうた)」です。 ちなみにこの歌の作者は坂本百次郎という方で、当時埼玉県児玉郡青柳村で、数学を専門とする教員をされておりました。 ついでながら 『いろは歌 』もご紹介しておきましょう。 いろはにほへと ちりぬるを わかよたれそ つねならむ うゐのおくやま けふこえて あさきゆめみし えひもせす 色はにほへど 散りぬるを 我が世たれぞ 常ならむ 有為の奥山 今日越えて 浅き夢見じ 酔ひもせず 七五調の今様形式で、全47文字からなるお馴染みのいろは歌。 普通、「美しい花も散ってしまう。世の中は無常だ。 だから現世を超えて、つまらない夢もみまい、酔いもしまい。」といった、無常観を歌ったものとして解釈されています。 話を戻しましょう。 「どなたに教わったのですか?」 「子供の頃あたくしの父からいろいろなことを教わったんですよ。」 「お父様は明治何年のお生まれですか?」 「さあ、もうすっかり忘れてしまいました…ほほほ」 帰宅してからインターネットで調べに調べまくりました。 明治36年(1903)に「萬朝報(よろずちょうほう)」という新聞社を立ち上げる時にその新聞社の企画で「新・いろはにほへと」の創作を全国に公募しました。 そのコンクールで一等に選び出された歌が「鳥啼く歌」でした。 ここからは私の推察するところです。お父様は明治8年生まれとありました。公募の当時28歳です。すでに教職に就いて現場に立たれておられます。 もしかしたらお父様も応募なさったのでは…と思いを勝手に巡らせてみます。 お父様はどのような思いをもって子育てなさったことでしょう。 娘さんとしてはでどのような印象を持ってお父様の存在を感じていたことでしょう。子育ての日々の中で「鳥啼く歌」は父から娘へ伝承されました。 私としては「挨拶担当」の内容を「できるものならご利用者様と職員の『双方向』のものでありたい」と願っていましたので思わぬ反響にいたく感動しました。
2020.03.31
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疲労回復術の試み デイサービスセンターの介護スタッフとして就職できて2カ月がたちました。 高齢者の仲間入りをしている65歳9か月の私ですから、新しい職場・新しい職種に従事していて疲れは隠せません。確かに肉体的にも精神的にも疲れます。 疲れつつもありがたいことに新しい環境に大分慣れてきました。 とは言ってもどうしたって疲れるのは事実ですから否定せずに受け入れて、上手に疲れと向き合ってこれに対処する工夫を試みています。 この2カ月の間で2つほど対処方法を編み出せました。 勤務明けの帰路、運転席に座ってから15分の仮眠をしたのちにスッキリと発進します。道中疲れからの「居眠り運転」をしない為の安全対策でもあります。15分仮眠の後スッキリと起きれるように50歳の頃から自分の身体をそのようにしつけてきました。いつどのタイミングで入眠しても15分の仮眠で復活できます。日曜日も一旦はいつも通りに起床します。が、そのあと自分の身体に訊いて、必要とあらば二度寝も、三度寝も、4度寝だってしたって構いはしないと眠ります。ともかく「疲れた身体を休めることが最優先なのだ」と割り切って再入眠を試みます。「日曜日は寝て曜日」と割り切っていることが肝心です。けれども実態は、2度寝程度で大概身体は疲労回復し『眠り足りた、もういいや』と実感して起床できます。不思議なものです。
2019.06.16
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職員集団の中での自分の立ち位置が見えてきたような予感 先々月の4月16日に採用されたデイサービスセンター内での介護スタッフの仕事も順調に慣れ進み(?)3か月目に突入。この約50日の勤務の中で見えてきたことがあります。 私よりははるかに若い職員の世代の方々の中には「いまいち使えないやつ(?)」という印象を与え仕事を遂行する上で若干のストレスの根源になっているかもしれませんね。ごめんなさい。努力していますのでもうちょっと見守っていてください、悪しからず。 昭和28年生まれの職員として、スタッフの中での立ち位置のようなものが、それなりにあるのではないだろうかという予感です。 自分自身が去年9月以来「高齢者」の中にカテゴライズされ、介護の仕事をするうえで、いわば「老老介護」のような構図の中で自分なりに何ができるか? 私の世代だからこそできる何かがありそう…な予感があります。 キーワードとしては「利用者様(後期高齢者)との共感」と「思い描ける想像力」です。 頭の中を整理するときに職業訓練校時代に学んだ「マズローの欲求段階説」が大いにヒントになっています。仮説を立てて、小さなアプローチを積み上げてまいりたいと思っています。
2019.06.08
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令和の朝 朝5時2分、アラーム無しで不思議とすっきりと目が覚めました。 眠りが足りたという感じです。 令和元年の朝です。 令和の初日です。 昨日から降り続いた雨の空は曇っていますが、雨は降り止んでいます。 鶯がいい声で鳴いてます。 新たな時代の幕開けを寿ぐかのように良いノドを聴かせてくれています。 遠くのほうからは別の鶯の鳴き声が聞こえてきます。 鳴き声の主はわかりませんが鶯の他の里山の鳥たちの鳴き声も数種類聞こえます。 雑木林の樹々の芽吹き、新しい緑の柔らかな色合いが目に優しいです。 みんな生まれ変わっていく息吹が感じられます。 変わったのです。だから私も変わっていくのです。 私も世の中も今よりももっと良い世界に向かって変わっていくのです。 変われぬものもありますが、変われるものもあります。 世界は良いことばかりではありません、さりとて、悪いことばかりでもありません。 なんてポジティブな「さりとて」でしょう。 デイサービスセンターの介護員として先月半ばに就職できた私が平成の最後の日と令和の一番先の日をこの職場で働けるのはちょっぴり幸せを感じます。
2019.05.01
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介護職員としての始めの一歩、半月経ちました平成最後の4月の半ばよりデイサービスセンターの介護員として働き始めました。保育園の保育の仕事時代とは一味違う介護の仕事時代の開幕です。まだまだ新米スタッフですが、早速この施設のご利用者さんに愛されて私は幸せ者です。また職場全体としての明るさやぬくもりが感じられこちらの施設職員に採用された身の幸せを感じています。戸惑いつつも、ここでスタッフの一員として、介護の仕事に加担できる有難さを感じています。 利用者さんのお一人お一人の個々のニーズに応じたキメの細やかなサービス(援助)体制は、職員としてその逐一を覚えることの大変さよりも、むしろ個別配慮の背景の奥深さやピンポイントの配慮から滲んでくる余韻・余白の幅広さ等々に感動を覚えています。何しろ人生の先輩、大先輩ですから、「傾聴」の仕事も利用者さんの語る個人の昔話・パーソナルヒストリーの行間やエピソ-ドの経緯やら背景やらに思いを馳せつつ想像力をフルに発揮して聴き取りを試みています。当面は先ずお顔とお名前とが一致できるよう覚え、個別のお人柄の特徴などを感じ取ることに専念しています。今まで勤めていた保育の世界から職種を介護職という世界にスライドさせての再出発は自信を失いかけていた私にとっての『再起動』ボタンを押したのと同じかもしれません。
2019.04.28
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