2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
2012
2011
7月
8月
9月
10月
11月
12月
全2件 (2件中 1-2件目)
1
その後、引き続き、新たな人生の課題が出てきました。先日書いた課題以上に大きい、今年向きあわなきゃいけない課題。それは、 怒りや憎しみを愛に変えられるようになることご存知の方もいるかと思いますが、私、いろんなところに怒りや憎しみをもっています。相手は巨大組織だったり、個人だったりいろいろだけど、その怒りや憎しみをそのままぶつけたり、無いようなふりして自分を偽るやり方で、今までずっと失敗してきていました。相手は変わらないし、何も解決しない。 憎たらしいことをいうその人は、本当は何を求めているのか? もしかしたら、その人は今いる場所から出たくてもがいているのかもしれない。 もしかしたら、その人は何かを恐れて、何かに抵抗しているだけなのかもしれない。誰にでも言葉にならない言葉があります。言葉で言っていることは不純物が混ざっていることが多いけど、言葉にならないものの中に本当のその人は確かにいる。そんな相手の言葉にならないものを読みとっていけるようになろうと思いました。それが読みとれたら、誰もが美しい愛すべき存在になる。変な言い方かもしれないけど、自分はその相手よりも少しだけ先を歩いているのかもしれないって思う。これってすごく傲慢なのかもしれないけど。でも、もし少しでも謙虚になれるのだとしたら、「私はここまで来ました。」と相手と向き合うんじゃなくて、「私もあなたと同じようにまだ歩いている途中。ほんの少しだけ前を歩いているけれど。見ている方向はあなたと同じ。」って、自分も今までもがいてきた、抵抗してきたプロセスを相手が歩む傍らにいつでもいける自分でいたいと思う。先日、ある人が日野原重明さんの話をしてくれました。日野原さんって年齢的にも社会的にもずっと上の方まで階段を上りつめたような人でありながら、階上から下の人を見下ろすんではなくて、階段の下の方にいる人たちの所にタタタタタッと降りていって話をするような人なんだそうです。この話を聞いて、「謙虚でいる」というか、「謙虚」とかいう言葉すら意識しないぐらい、それが当たり前である自分というのが、目指すあり方としてしっくりきた感じがした。自分自身としては人間的成長を目指して階段を上っていくけれども、人とのつながりの中ではいつでも階段の下の方に降りていけるような、それも相手にそうとは気づかれないぐらいさりげなく自然にあたりまえにできたらいいなって。いつでも、誰に対してもそれができるような自分になれたら・・・もう求めるものは何もないかもしれない。先日は「本気で真正面から向き合う」ことが課題だと書いたけど、今は違ってそんな風に思ってます。昨日書いたコーチ仲間めぐっちの直感から生まれた行動が、他人の私にこんなすごい気づきをもたらしてくれた。気になったら、無視しないで、動いてみること。めぐっちを見習おうよ>私
Jan 15, 2008
コメント(107)
新年早々、夫と激しい夫婦喧嘩をしました。きっかけは、私の帰宅が遅くなって9時までに頼まれていた布団を敷けなかったというアホみたいに些細なこと。それなのに、今までにないほど怒りが爆発し、気がついたら怒鳴っていた。彼も怒鳴り返した。お金をもらう仕事と家事が第一優先、お金にならない活動は二の次だろ!と。私もたまらず怒鳴り返す。この人生で命を賭けてもやりたい活動が第一優先、それがお金をもらえるかどうかは関係ない!と。お互いの不平不満が堰をきったように噴き出した。それは今までお互いに見て見ぬふりをして溜め込んでいた不満でした。非難の応酬は30分続きました。まあまあ落ち着いてという殊勝な息子の仲裁でその夜は休戦状態になったものの、お互いの中にくすぶっているものはそこにあるままでした。翌日の朝は夫は早く家を出たので顔をあわすこともなく、私は一人でモヤモヤ考えてました。この喧嘩を通して、私も夫も向き会わなければならない課題がある。その課題とはいったい何なのかと。ちょうどタイミングを同じくしてあるコーチ仲間のブログを目にしました。あ、これ昨日友人が言ってた話だ。と思って読み進み、 ・・・・・・一瞬、我を忘れました。感動して。。ドヤ街のおっちゃんたちから目を背けず真正面から向き合う彼女。ひるんでない。逃げてない。向き合ってる。その後、別のコーチ仲間のブログで「人から逃げない」あり方の記事を読みました。「ドヤ街や病院でなくたって、あなたの周りにチャンスは無数に転がってるよ。」彼女の言いたかった意味は少し違うのかもしれないけど、私にはそう受け取れた。 ・・・・・!そうだった。自分の周りに、一番身近なところにいる夫との関係から、私は逃げていた。クライアントにコーチングをする時は、もちろんその人に100%向き合うし、逃げないし、その人を信じてどんなことでも言える。でもそれは、コーチという帽子をかぶったときだけ。クライアントに対してだけ。いついかなる時でも、誰に対しても、その人を信じて、向き合って、本気でかかわる。私は、夫との喧嘩を通して、それを学ばなきゃいけない。そう思いました。そして、その日の夜、夫に本気でかかわるプロジェクト開始。まず、私から見える彼の課題を伝えました。命を賭けて、本気でやりたいこと、あったよね?起業スクールで起業家を育てたかったんじゃないの?こんな学校をつくりたい、常識をぶち壊せと目を輝かせて話していたんじゃないの?あの時は、本当に頑張ってほしいと思ったし、そのためならどんな協力だって惜しまないと本気で思った。人生を賭けてやりたいことから逃げないでほしい。と。夫は黙って聞いていましたが、そのことに対しては何も言わずにそのまま寝床につきました。彼に何かが伝わったかどうかはわかりません。彼との関係性がどうなるかもわかりません。でも、これを伝えたことで、今まで私の中にずっと溜まっていたモヤモヤの鎖が取れたような、自由になれた感覚があります。今まで縮まっていた羽を広げることができそうな感じ。まだ結果はわかりませんが、今年は夫婦喧嘩がきっかけでものすごいギフトをもらった一年のスタートでした。長々と聞いてくれてどうもありがとう!
Jan 9, 2008
コメント(0)
全2件 (2件中 1-2件目)
1