ドリカムハイスクール塾長の日記

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2009.12.01
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カテゴリ: 塾長の日記
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ドリカムハイスクール


さあ、今日から12月
今年も残り1ヶ月

終わりよければすべてよし!

12月の最高のスタートにこのお話がピッタリだと思い紹介します。


++++++++++
ピート・グレイは、ペンシルバニア州に生まれました。

この物語はペンシルバニア州の小さな片田舎の町ナンティコークで始まります。





メジャーリーガーになることが夢だったピート・グレイ少年は6歳の時に、大好きな列車を見に行った時、事故にあい、野球を断念しようと思いました。


しかし、父親は「何を言っているんだ。 あきらめるな!人間、やる気になればできないことはないんだよ 」と温かい励ましの言葉で、ピート・グレイ少年の夢と希望を繋ぎとめ、
ピート・グレイ少年は再び夢に向かい走りだしました。


その日から、ピート・グレイ少年の 挑戦 が始まります。


ピート・グレイは、草野球チームに入りますが、 一度も練習には参加させてもらえませんでした


しかしピート・グレイは不平をいわず、毎日玉拾いをし、一人で素振りの練習しました。そして、そのかたわら野球学校へ通いました。


野球学校へ通いながら、いろんな球団の入団テストを受けましたが、ピート・グレイ はことごとく、入団テストに落ちてしまいました。

しかし、お父さんの言葉通り、 諦めませんでした


そして、 雨の日も風の日も、黙々と練習を、続ける彼の姿を見て、心を打たれた学校の先生がいました


先生は、全米のDリーグの監督に電話をかけました。「うちにピートという、熱いやつがいる、見に来てくれないか、お願いします。」その電話に触発され、Dリーグの監督が集まってきました。


そこでピート・グレイは全力でプレーを見せましたが、 どこの球団も彼を雇おうとはしませんでした





24才の時、ニューヨークのセミプロ球団、「ブッシュウイックス」から声がかかりました。


ピート・グレイは「大好きな野球ができる。僕はセミプロ球団でもかまわない」喜んで入団しました。そして、そこで、素晴らしい成績を残し、その活躍を見ていた、マイナーリーグの「スリーリバース」という球団の監督が大抜擢します。


そして、何とピートはこの「スリーリバース」で打率.381で首位打者を獲得。
素晴らしい成績を残します。


このような相次ぐ大抜擢にも、全くおごること無く、努力を続けるピートに、次々と幸運の扉が開かれました。


1943年、AAAの「メンフィス・チックス」に昇格、そして彼は、打率333、本塁打5、盗塁68という素晴らしい成績を残し、ついにこのチームでMVPを獲得しました


そして、ついに夢の叶う時がやってきました。1945年大リーグの「セントルイスブラウンズ」がピート・グレイの採用を決定しました。


そして、初打席の瞬間がやってきました。


彼は大きく息を吸って、バッターボックスに入りました。 
1球目、空振り、2球目、空振り、3球目、空振三振とピートの初打席は、三振に終わりました。 でもその三振を見て、スタンドの観客達は、総立ちになり、終わらない拍手を送りました。

「ブーイング」ではなく、惜しみない拍手がなぜ、送られたのか??

それは、6歳のときの事故で、彼は、
列車から落ちて、 利き腕の右腕を失っていたのです

彼は、片腕で、プレイを続けたのです

左手一本で球速に負けない為、重くて長いバットを使いました。

しかし、そのためには、さらに強い左手の筋力を必要とします。
ハンデキャップを克服するために涙ぐましい訓練を続けてそれを身につけたのです。


打撃にもまして大変だったのは守備でした。


フライをとるときにはグローブを胸に押し当て、指と右腕の付け根を使ってグローブをはずし、右脇にかかえると同時に左手でボールをつかんで投球しました。


ゴロの場合、ボールを軽く空中にはね上げ、その間に右肩の付け根に挟んだグローブから左手をはずし、その手で投げかえしたのです。


手を深くグローブに入れていたのではすばやく抜くことができないので、わざわざ指の短いグローブを作って、半分しか手を入れなかったのです。


しかも少しでも手の感触をよくし、手の出し入れを滑らかにするために、
グローブの中の詰め物はほとんどなく、革だけに等しかったのです。


まさに、ペチャンコで指の短いピートのグローブには、文字どおり、彼の汗と涙と血が染み込んでいたのです。

そんな彼だからこそ、スタンドの観客から惜しみない拍手が起きたのです。


残念ながら、この年彼は引退します。



その後、彼は野球殿堂入りを果たしました。
「片腕のメジャーリーガー」として・・・。

彼が亡くなる前に残した言葉があります。
「私の子供の頃の夢は、ヤンキースタジアムで野球をすることでした。
そして、それを叶えられたことが、自分の人生にとって、もっとも素晴らしい出来事だったと思います。
自分のような、体に障害を持つものにとって、練習こそがすべてでした。
でもたとえ練習しても自分にやってくるチャンスはわずかなものでした。ある時こう言われたことがあります。
両方の腕があっても、野球をするのが難しいのに、片腕で野球なんかできるわけわけがないだろう
それでも諦めずに、自分は常に夢に向かって練習したのです。最後に好きな言葉を送ります。
【A winner never quits.】(勝利者は常にあきらめない)

いかがでしょうか?

自分の甘さが恥ずかしくなります。

俺はこれだけやっている!
とか、思う瞬間ありません??

でも、ピートグレイ選手がしてきたことを考えると、まだまだです!!

この 感動を行動にかえて 、今から激走しちゃいましょう!





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最終更新日  2009.12.01 15:37:53
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