なまけいぬの、お茶うけをひとつ。  

なまけいぬの、お茶うけをひとつ。  

2006年06月18日
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カテゴリ: 楽園に吼える豹
突然の来客にもかかわらず、家の中はきちんと片付いていた。几帳面な人なのだろう。


ふかふかのソファにぎこちなく腰を下ろすと、夫人が紅茶をトレイに乗せて運んできた。

何の種類かはわからないが、カップから漂う紅茶の香りは、橘に出身階級の差を見せ付けるように部屋の中を満たし始める。

やはり清里家は相当裕福な家だ。素人目から見ても調度は上等だし、家も広い。だが人気はなかった。

もう午前十時をまわっていたから、家族がいたとしてももう仕事に出かけているはずで、夫人以外が不在でも別段不自然ではないはずなのだが、橘には何となくこの家を包む寂しさが感じられた。

「…………」

夫人は無言のまま、橘の向かいに腰を下ろした。
その顔をじっと見る。少々憔悴の色が見えるせいだろうか。あまりアスカに似ているようには見えなかった。




「娘の居場所は私も知りません。心当たりもありません」

橘が前置きをするやいなや、本題に入る間もなく有無を言わさぬ調子で夫人は答えた。

彼女の視線は下を向いたり橘のほうを向いたりと、落ち着かない。膝の上で組まれた両手は、かすかに震えている。

橘はめまいを覚えた。
彼女の娘であるアスカは、もう何日もろくに家に帰っていないはずだ。それなのに、そのことについての心配の言葉よりも先に、自分は無関係だと主張するかのような言動。

半分諦めてはいたものの、改めて現実を突きつけられるとやはりショックだった。
アスカはあんな少女のうちに、母親の愛を失う運命にある。



「……心配じゃ、ないんですか」

それでもそう聞かずにはいられなかった。
あちこちをせわしなく彷徨っていた夫人の視線が、橘を凝視して止まった。

「私…私、努力したわ。あの子を愛そうと……精一杯」



「でももう限界。あの子を見るたびに、あの子が普通じゃないことを思い知らされるのよ! この気持ち、あなたに分かって?」

人よりも足が速い。
人よりも身軽。

「豹(パンサー)」のDNAを宿した少女は、様々な特質を備えている。人間離れした点が見られるのも、事実だ。
しかし。







感情の揺れ幅が徐々に大きくなりつつある夫人は、少々乱れた呼吸を整えつつ、絞り出すように声を出す。


「…あなたには、わからないわ………」





太陽が空の真上に現れる前に、橘は清里家を後にした。彼の表情は暗い。自然とため息が口から漏れ出す。

(あの女(ひと)は……もしアスカちゃんに何かあっても、罪悪感を持ったりしないのかな…)

十年以上、娘を育ててきて、ただの一度も愛情を感じたことがなかったというのだろうか。

(後悔したときには、もう遅いのに)

寂しそうな瞳で真新しい住居を振り返っていた橘は、やがて前を向き、歩き始めた。アスカを探すために。








つづく


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最終更新日  2006年06月18日 16時18分13秒
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