なまけいぬの、お茶うけをひとつ。  

なまけいぬの、お茶うけをひとつ。  

2006年07月15日
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カテゴリ: 楽園に吼える豹
アスカの頬に、橘の平手が飛んだ。

「―――!!」

何が起こったのかわからないのは、その場にいたその他の人間も同じだった。

それはそうだ。彼らはGSが殴られるところなど見たことはない。自分でそうすることもない。

今目にした光景は、「ありえない光景」なのだ。
ゴウシでさえも、一瞬固まってしまっていた。


「…っ何しやがんだ!!」

だが、そこはアスカ。予測不可能な事態からの立ち直りの早さはさすがだ。
しかし。







橘の瞳は別人のような炎をたたえている。怒りだ。そう、彼は怒っていた。

「麻薬の売人に手を出すなんて、一体何考えてるんだ! 死にたいのか、君は!!」

「しいッ! 橘くん、声が大きい!」

ようやく我に返った部長。だが結局彼はこのときも保身の塊だった。

「落ち着きたまえよ、橘くん。彼女も反省していることだし………」

「部長! そうやって曖昧に済ませるから、こんなことになったんでしょう!! 悪いことは悪いと、僕らが教えてあげなくてどうするんです!


彼女は人間なんですよ! 一体何を怖がってるんですか!」


そう怒鳴り返された部長は固まってしまった。普段の橘とは別人のようだったからだ。
成り行きを見守っていた取り巻きたちも、ぽかんとしている。

「橘さん……」

思わずゴウシの口をついて出た言葉は、何ともいえない感情がないまぜになったものだった。だがゴウシは、この若者を見直していた。彼は、見かけよりずっと骨のある人間だ。





そう言って、またアスカの瞳を見る。
そこにいたのは、獣でも何でもなく、ただの幼い子供だった。


(怖いのは、ただ一つ)

―――サヤカ。
彼女のように、誰かがこの世からいなくなってしまうことだけ。





ゆっくりと手を伸ばし、アスカの体を抱きしめる。
彼女の体に、一瞬緊張が走った。

「アスカ、もうやめてくれ。―――もう見たくない…君が誰かを傷つけるのも、誰かに傷つけられるのも」


呼吸が止まるほどの動揺。なぜこの男はここまでするのか。こんなことまで言ってくれるのか。
温もりが伝わるにつれ、動揺は戸惑いに変わる。

「あたし………」



橘に一喝されてひるんだまま完全に居場所を失った感じになった部長とその取り巻きは、ゴウシにじろりと睨まれてすごすごと病室から退散していく。

彼らの後ろ姿を見送り、部屋の扉を閉じると、ゴウシは再び二人のほうへ目をやった。



「あたし…あたし、怖い………」

声が震えている。
他人の温もりを感じたことで、張りつめていた緊張の糸が切れたのだろう。

その途端に、先ほどの凄惨な光景がアスカを襲う。

「気付いたら…みんな、倒れて動かなくなってたんだ………」

“化け物”。

そう言われた途端に頭がかあっと熱くなって、砂嵐のようなノイズが脳の中を満たした。もちろんリョウジを始めとした少年少女たちを殴った記憶はある。

だがその記憶は、夢の中の出来事のように薄ぼんやりとして、現実感がなかった。
それが余計に怖い。

「あたし……いつか、ホントに……」

人を殺してしまうかもしれない。そう言いたいのだろうと、橘にはわかった。

こんな小さな体に収まりきらないほどの強大な力をたたえて。こんなに肩を震わせて。
こらえきれず、橘の目から一筋の涙がこぼれる。


「アスカ」


彼女から体を離し、橘は目をしっかり合わせて言葉を紡ぎだす。

「君が人よりも強大な力を持っていることは動かしがたい事実だ。でもね、君はその力の使い方をこれから学ばないといけない。本当に怖いのはね、超人的なパワーを持っていることじゃないんだ。



一時の感情に引きずられて、そのパワーの使い方を間違ってしまうことなんだよ」



彼女はまだ子供だ。それにもともとの気性が激しい。
忍耐強く自らを制御することは至難の業かもしれない。けれど実現しなければいけない。

でなければ、彼女は彼女自身が恐れている“怪物”になってしまう。

そうなるのを止めることができるのは、彼女自身と、橘ら周りの者しかいない。

「―――大丈夫、君ならできる。そして忘れないで、君を大切に思ってる人たちがいるってことを」

不安げに見つめるダークブラウンの瞳が揺らいでいる。
守ってみせる。命をかけても。



その時、遠くから廊下を走ってくる足音が近づいてきた。その足音はアスカの病室の前で止まったかと思うと、いきなり扉が開けられた。

「アスカさん!」

肩でぜいぜいと息をしながら病室に駆け込んできたのは、ユキヒロだった。連絡を受けて、ようやく今着いたらしい。

「だ、大丈夫なんですか……!?」

「アスカが撃たれた」ことしか聞いていなかったのか、声は悲壮なものだった。ベッドの上に上半身を起こしている彼女を見ても、まだ完全に安心できないようだ。

「大丈夫だ、命には別状ねえよ。見ての通りな」

見かねて口を開いたゴウシの言葉を聞いて、ようやく安堵したようなため息を漏らす。
ユキヒロはベッドに近づき、アスカの両手を取って絞り出すように言った。



「よかった……」



これほどユキヒロとアスカが近い距離にいるのは、ずいぶんと久しぶりのことだ。彼にしてみれば、ろくに彼女の力になれないまま永遠の別れを迎えてしまうことを、極度に恐れていたのだろう。

ユキヒロは、以前会った時と変わっていなかった。変わらぬ優しさを、そのままアスカに向けてくれる。

今まで自分は、何をしていたんだろう―――



「アスカ、これに懲りたらもう無茶すんなよ。おそらく事件のほうは、奴らがもみ消してくれるだろ」

ゴウシは言った。
奴らとは、無論先ほどまでここにいた部長たちだ。

今回ばかりはあいつらの事なかれ主義に感謝しないとな―――とも言った。

「―――もう蚊帳の外はごめんだぜ」

最後にそう結んだ。

忙しさにかまけて十分にアスカを気遣ってやれなかったとはいえ、その後悔は人一倍のはずだ。ゴウシは責任感の塊のような人間なのだから。



アスカはゴウシとユキヒロに交互に視線を漂わせると、小さく呟いた。

「バカじゃねえの、お前ら………」

瞳にはうっすらと涙が浮かんでいた。



(止められた―――…)

アスカの涙ぐんだ目を見て、そこで初めて橘の心は弛緩した。

彼岸(ひがん)へと渡りかけていたアスカの心を、ほんの少しだけ引き戻すことができた。これからもそうし続けなければ。




(君を彼岸へは行かせない。絶対に)

窓の外では、漆黒の夜空に星が小さく瞬いていた。











外伝 Graceful World ―了―


第四章へつづく





一万ヒット記念として、金比羅系さんからいただいたリクエストを元に書いてきた外伝も、ついに最終回を迎えました(^_^)

カッコいい橘さんを、というリクエストだったのですが、ちゃんとカッコよくなってましたでしょうか・・・?

物語はここで終わってますが、もちろんすぐにアスカが明るさを取り戻したわけではなく、周りの人の温かい心に支えられて、徐々に今のようなアスカになっていったのですよ。

この経験があるから、アスカは孤独な人を放っておけなくなったのです。
橘さんやユキヒロやゴウシが彼女に与えてくれたものを、アスカは藤堂さんに与えることができるのか―――これが本編の一つの見所のつもりで書いてます。


さて、私の遅筆のおかげで約三ヶ月も本編から遠ざかってしまいましたが、次からはいよいよ本編に復帰です!

タイトルは「第四章 砂漠の攻防」。
お楽しみに♪(*^_^*)






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最終更新日  2006年07月15日 12時03分20秒
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