かんがく きどたかよし
勧 学 木戸孝允
どば おそ いえど せきさいおお たかやま おおさわことごと す た
駑馬 遅しと雖 も 積載 多ければ 高山 大沢 尽 く 過ぐるに堪えたり
こ み いっきく せんがん みず なが なが おおよう ばんり なみ な
請う看よ一掬 泉巌の 水 流れ流れて汪洋 万里の 波と 作る
詩文説明
どんなにのろまな馬でも休まず怠ることなく長い年月を努力すれば、どんなに高い山でも、どんな沢地や沼地であろうとも必ず通過する事が出来るものである。ほんのわずかな岩間から湧出ている水も絶え間なく流れ出ていれば、やがて流れ流れて、広々とした大海の波となるのである。このように人間も不断の努力を続ければ、やがて大成するものである。
1、駑馬と雖も歳月をかければ、どんな高い山でも沢や沼地でも通過する事が出来るで
あろう
2、僅かな岩間からもれる水 3、小さな水も流れ流れてやがては大海の波となる
1、大海の波となる(写真は木戸孝允の郷土、関門海峡)
2、人間も目標を以って将来を見つめて勉学する事を勧めます
(
写真は幼少から萩の松下村塾で勉学に勤しむ桂小五郎
) 合成
3、不断の努力を重ねるとやがては大きな人物となる
(
写真は江戸の大火を救った勝海舟と西郷隆盛「江戸無血開城」【両英雄】
作者 木戸孝允
(1833
~
1877)
天保
4
年~明治
10
年
政治家・長州藩出身。和田昌景の子、号は松菊、木圭、通称小五郎、のち準一郎。桂家を継ぎ
1865(
慶応元年
)
木戸と改正した。吉田松陰に学び、斉藤弥九郎に剣術を学び、江川英龍に洋式兵術を学んだ。尊攘・討幕運動に先導的役割を果たし、西郷隆盛・大久保利通と共に明治維新の三傑といわれる。維新後、五箇条の誓文の起草、廃藩置県など尽力。征韓論・台湾征討に反対した。西南戦争の最中に病死、妻は彼を庇護した芸者幾松